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「ジェンダーフリー」の版間の差分

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教育現場: 出典のない記述&内閣府の報告については重複するためコメントアウト
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*[[運動会]]の競技を男女混合にする。
*[[運動会]]の競技を男女混合にする。
*ロッカーや下駄箱の男女別の禁止。
*ロッカーや下駄箱の男女別の禁止。
*過激な性教育を行う([[都立七尾養護学校]]等、賛成派は子供の権利と主張[http://www.shinfujin.gr.jp/b_category/2_danjo/n_2007_1_1_jender.html]。反対派は年齢に相応しない、純粋な子供の心を傷付けると主張)
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*過激な性教育を行う(賛成派は子供の権利と主張。反対派は年齢に相応しない、純粋な子供の心を傷付けるなどと主張)
::男性器の模型に避妊具を被せる練習を行わせる。
::男性器の模型に避妊具を被せる練習を行わせる。
::白い液体(牛乳)が出る男性器の模型を使う。
::白い液体(牛乳)が出る男性器の模型を使う。
::性器がついた男女の人形に性行為をさせ、生徒に見せる。
::性器がついた男女の人形に性行為をさせ、生徒に見せる。
::性描写がある絵本を見せる。-->
::性描写がある絵本を見せる。
*さいたま市議会議員の市議は、[[日教組]]平和学習冊子編集委員会編の「総合学習の時間に生かす『これが平和学習だ』」という冊子において、「1 女男混合名簿の実践、2 各教科の女男平等教育・・」など、「女男」という用語を用いた取り組みが示されていると指摘している<ref>[http://dbsearch.city.saitama.jp/dsweb.exe/document!1!guest03!!2612!1!1!301,-1,301!904!42840!301,-1,301!904!42840!304,303,302!1!1!17766!33!1?Template=DocMokujiPage&DocumentSelect=All#LinkNoundefined さいたま市議会 会議録]</ref>。 
*さいたま市議会議員の市議は、[[日教組]]平和学習冊子編集委員会編の「総合学習の時間に生かす『これが平和学習だ』」という冊子において、「1 女男混合名簿の実践、2 各教科の女男平等教育・・」など、「女男」という用語を用いた取り組みが示されていると指摘している<ref>[http://dbsearch.city.saitama.jp/dsweb.exe/document!1!guest03!!2612!1!1!301,-1,301!904!42840!301,-1,301!904!42840!304,303,302!1!1!17766!33!1?Template=DocMokujiPage&DocumentSelect=All#LinkNoundefined さいたま市議会 会議録]</ref>。 
*衆議院特別委員会で質問に立った議員は、自分が千葉県松戸市の「ふりーせる保育」について保護者に取材した結果の一例として、[[運動会]]のダンスを「慎吾ママのおはロック」のCDで踊りたいという希望があったが、母親が朝ごはんをつくるフレーズがジェンダーフリーに反するという理由で、歌詞のないカラオケになった事例があると指摘した<ref>[http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/007315520021121002.htm 衆議院青少年問題に関する特別委員会 2002.11.21],産経新聞2002.11.22</ref>。
*衆議院特別委員会で質問に立った議員は、自分が千葉県松戸市の「ふりーせる保育」について保護者に取材した結果の一例として、[[運動会]]のダンスを「慎吾ママのおはロック」のCDで踊りたいという希望があったが、母親が朝ごはんをつくるフレーズがジェンダーフリーに反するという理由で、歌詞のないカラオケになった事例があると指摘した<ref>[http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/007315520021121002.htm 衆議院青少年問題に関する特別委員会 2002.11.21],産経新聞2002.11.22</ref>。

2007年5月24日 (木) 16:49時点における版

ジェンダーフリー(gender-free)とは、社会的性別(ジェンダー)に対する一般通念にとらわれず、人それぞれの個性や資質に基づいて、自分の生き方を自己決定出来るようにしようという、「ジェンダーからの自由を目指す」思想、および、この思想に基づいた運動を指す。『デイリー新語辞典』(三省堂)では、「従来の固定的な性別による役割分担にとらわれず,男女が平等に,自らの能力を生かして自由に行動・生活できること。」と定義されている。内閣府男女共同参画局は、誤解と混乱を避けることを目的として、地方公共団体においてこの用語を用いないよう各都道府県・各政令指定都市に通達を出している(男女共同参画局「ジェンダーフリーについて」)。

ジェンダーフリー概念の成立

元々「gender-free」という言葉自体は、アメリカの教育学者バーバラ・ヒューストンが用いたとされている。しかし、ヒューストンはこの言葉を「ジェンダーの存在を意識しない」という意味で使用しており、かつ、「ジェンダーフリー(ジェンダーの存在を意識しない)よりも、ジェンダーに起因する差別や格差に敏感な視点を常に持って教育を進めるべきだ」と述べて、「ジェンダーフリー」に賛成しないという文脈で使ったのである。故に、日本において「ジェンダーからの自由を目指す」思想や運動に「ジェンダーフリー」という語が用いられたのは、本来の意味と異なる誤用であった。

日本で「ジェンダーフリー」と呼ばれる運動の思想は、英語圏における「ジェンダー・イクォリティ(Gender Equality)」運動に近い。

(なお、フェミニストの山口智美は、『「ジェンダー・フリー」をめぐる混乱の根源』の中で以下のように述べている。
『私は10年以上、アメリカの大学院でフェミニズムを専門としてきたが、「ジェンダー・フリー」という言葉は聞いたことがなかった。「ジェンダー・フリー」の「フリー」は、日本で一般に理解されているような「~からの自由」という意味より、英語では「~がない」という意味合いが強い。アルコールフリービール、オイルフリーファンデーションなどを例にとるとお分かりいただけるだろう。アメリカ人のフェミニスト学者数名に、「ジェンダー・フリー」について聞いてみたところ、「何それ?ジェンダー・ブラインドって意味なの?」という反応が返ってきた。彼女たちは、「ジェンダーを見ようとしない。ジェンダーが見えていない」という意味にとった。つまり、ジェンダー・フリーを、男女平等に対して否定的な意味合いを持つ用語と解釈したのである。』)
[1]

 「ジェンダーフリー」は、フェミニズム運動の一環と捉えられることが多いが、フェミニストのすべてがジェンダーフリー賛同派というわけではない。

 男性に対する文化的圧力を問題とする「男性学」、「メンズリブ」、「マスキュリズム」などの活動を行う者たちの中にも、ジェンダーフリー運動に賛同する者は多い。また、「クィア」と呼ばれる、同性愛者などの性的マイノリティーに属する層の中にも賛同する者がいるが、彼らの中では、本来の「ジェンダーフリー」の意味から離れ、独自の政治的意味を付加する論も存在する。

関連リンク

ジェンダーフリー運動とそれをめぐる状況 

ジェンダーフリーでは、「ジェンダー」とは文化的・社会的文脈における「男」「女」の性の役割やイメージに限定した意味で用いられている。

それから、ジェンダーフリーは主として「ラディカル・フェミニズム」の一環として、あるいはその考え方を中心にした文脈で理論、運動が展開されたため、この運動において用いられる「ジェンダー」の概念は、人文系の学問において一般的に用いられる中立的・客観的な意味での「社会的文化的性別」という概念とは異なっている。

ラディカル・フェミニズム」においては、「ジェンダー」は、男性と女性を平等で相互補完的に位置づけているものではなく、「男が上で女は下」「男が支配し女が従う」といった、一方的な支配関係として機能している、と捉えている。「ジェンダー」は男女の支配従属の関係を維持するための装置であり、また、ジェンダーを根底から規定し、女性を差別的状況におく社会的仕組みの中心をなすのが、性別役割分業であるとしている。

すなわち、ジェンダーフリー運動における「ジェンダー」は、中立的な概念・用語ではなく、性別役割分業を階級構造であると見なし、また、これを解消すべきという意図を持った政治的な概念・用語となっている。

また、この運動においては、「社会に男女の区別や性差の意識があるために役割分業も発生するから、男女を分ける制度を失くしてしまおう」という考え方のもとに、男女の差異そのものを否定・相対化してしまおうという主張を展開する。

この政策には、制度面の改革と評価面の改革という二つの面がある。
たとえば、学校教育運動であるジェンダーフリー教育としては、以下のような特徴が挙げられる。
制度面では、男女に分けない共通性として、科目の共通性(男子も家庭科を必修にする等)、衣服・教材の共通性(体操服を両性共通のデザインにする等)、呼称の共通性(両性とも「さん」付けに統一する等)、呼び順の共通性(男女混合名簿等)など、各制度における両性の共通化を推し進める。
また、評価面では、ジェンダーステレオタイプによるバイアス(偏り)を解消し、生活指導面(泣く男子は叱るのに、泣く女子は叱らない等の区別はしない)、進路指導面(女子が理系に進むことに消極的になるような誘導はしない)、固定的な役割分担を定めない(常に男子が学級委員、女子が副学級委員等と固定化しない、運動部マネージャーを女子のみに限定しない)など、「個々の個性」に基づいた評価・進路指導の方針を進める、などである。
また、学校教育方面以外にも、育児教育や職業選択などでジェンダーフリー運動が展開されている。

これに対して批判側からは、性別は生物学的要素を多分に含むものであるから体格、出身、門地、民族その他の要素と同一に取り扱えない、差別ではない性差による区別は否定されるべきでない、といった批判がなされている。

英語圏では、「男女平等」を目指すものとして、「ジェンダー・イクォリティ」運動が、日本の「ジェンダーフリー」運動に近いものとして存在している。ただし、日本以外では、「あらゆる場面において男女の区別を解体すると、女性を対象にして保護や優遇措置を求めるフェミニズム運動にとって不利である」ことが早くから指摘されており、これを踏まえ、男女の区別を画一的に解体せずに、ジェンダー・イクォリティ」運動を進めるべきであるというフェミニストも見られる。

日本政府の「内閣府男女共同参画局」はジェンダーフリーについて『一部に、画一的に男女の違いを無くし人間の中性化を目指すという意味で「ジェンダー・フリー」という用語を使用している人がいますが、男女共同参画社会はこのようなことを目指すものではありません』と説明している(内閣府・男女共同参画関連用語集より引用)。2003年2月27日の国会における福田康夫官房長官(当時)の答弁では、「ジェンダーフリーという言葉はいかなる場合でも使ってはいけないということではない」「誤解を招くような、そういう恐れあるので政府として公式に使っていない」「使用する際に、例えば地方公共団体とか関係機関において用語を適切に定義して、それが誤解なく理解されるようにする、これが大事だ」との見解を示した(第164回予算委員会第一分科会 第一号 平成15年(2003年)2月27日)。2005年12月27日に閣議決定された男女共同参画基本計画(第2次)第 2 部 2 (2) 項で使われている『「社会的性別」(ジェンダー)の視点』の用語の補足説明 2.では、『「ジェンダー・フリー」という用語を使用して、性差を否定したり、男らしさ、女らしさや男女の区別をなくして人間を中性化を目指すこと、また、家族やひな祭り等の伝統文化を否定すことは、国民が求める男女共同参画社会とは異なる』と記されている。また、児童生徒の発達段階をふまえない行き過ぎた性教育、男女同室着替え、男女同室宿泊などの事例を極めて非常識であると記載している(男女共同参画基本計画(第2次)2005.12.27) 。これをうけて、2006年1月31日に、内閣府男女共同参画局は各都道府県と政令指定都市に対して「ジェンダーフリー」の用語を使わないよう求める通達を配布している(関連リンク参照)。

内閣府男女共同参画局の指摘する意味での「ジェンダーフリー」という用語は、アメリカでも、日本政府でも、国連でも、公式に使われていない。なお、「(生物学的な意味での)男女を区別せず処遇する」と言う意味でのgender-freeは、英米軍の公式用語として使用されているし、「(生物学的な)ジェンダー(性)にかかわらない(語彙など)」という意味では使われているので「英語にない完全な和製英語」という言い方も正しくない。

福井県では、男女共同参画関連施設の県生活学習館で開架されていた男女平等やジェンダーなどを論じた書籍を閲覧室からカウンター近くの事務室へ移し、敦賀市の市議等から抗議をうけた事例がある。県は、内容を確認をするためにこれらの書籍を移動したと説明し、確認の結果、全て問題がなかったとして一般公開を再開している[ジェンダー関連書排除 県生活学習館(福井新聞 2006/5/12)、ジェンダー関連 元戻し閲覧再開(福井新聞2006/5/17)]。
東京都では、男女の違いを否定するという意味でのジェンダーフリーが、都教育委員会の男女平等の見解と異なることから、ジェンダーフリーという言葉を用いないように文書で通達している。また、抗議を受けて、東京都国分寺市が,「ジェンダーフリー」という言葉を使用する恐れがあるとして講演を依頼していたフェミニストである上野千鶴子を招くことを見送った事例がある(関連リンク参照)。

現在は「ジェンダーフリー」を前面に押し出して普及させようという形の運動は下火となっているが、一部の保守派などがジェンダーフリーという言葉に反発するなど、バックラッシュと呼ばれる現象が顕著である。また、現在では、ジェンダーフリー教育を批判する言説を「バックラッシュ」と呼び、そのバックラッシュを批判しながら、ジェンダー等の用語について解説したり、ジェンダーフリーや男女共同参画の問題点を論じたり、バックラッシュ言説が問題とした各論点について検証する、という立場にたった論考集なども出版されている[1]

関連リンク

ジェンダーフリーをめぐる論争

論争の背景

ジェンダーフリー運動については、賛同派と反対派の間でさまざまな論争が行われている。

ジェンダー論の根底にある「性差別が起こるのは、社会的・文化的性が原因である」という考え方は、フェミニズム思想に由来している。そのため、ジェンダーフリー賛同派の一部には、性差そのものを否定する過激なフェミニスト(以下の「ジェンダーレスとの混同」を参考のこと)も存在しており、問題を複雑化しているとされる。


反対・否定派の主張

反対派(バックラッシュ)は、社会的・文化的な性とされる「ジェンダー」は、その社会の文化に強く結びついているため、それを全て画一的に排除するのは困難であると主張する。また、「家族および社会の崩壊につながりかねない(伝統的・社会的規範に反する)」と批判するなどしている。

一方、こうした批判については、「ジェンダーフリー教育や男女共同参画社会に疑問を呈する人たちは、そうした考えを『男らしさ・女らしさをいっさい排除しようとする極端な思想だ』と指摘しておきながら、自分たちも『すべての男は男らしく、すべての女は女らしく』、『それは誰にとっても生まれつき決定されていることなのだ』と極論に走るのはなぜなのだろう」(香山リカ『いまどきの「常識」』P66)との指摘もある。

石原慎太郎東京都知事は、都議会定例会において、「最近、教育の現場をはじめさまざまな場面で、男女の違いを無理やり無視するジェンダーフリー論が跋扈している」、「男らしさ、女らしさを差別につながるものとして否定したり、ひな祭りこいのぼりといった伝統文化まで拒否する極端でグロテスクな主張が見受けられる」、「男と女は同等であっても、同質ではあり得ない。男女の区別なくして、人としての規範はもとより、家庭、社会も成り立たないのは自明の理だ」と強調し、ジェンダーフリー教育を批判した。

賛成派の対応に対する批判

ジェンダーフリー運動が始まってから十数年が経ち、数多くの批判がなされるようになるに従い、ジェンダーフリー批判に対す賛同者たちの対応への批判も強まっている。これは、ジェンダーフリーの理論に対する直接的な批判だけではなく、賛成する立場の硬直的で好戦的な態度に対する批判にも繋がっている。

産業界においては、保守派の採る新自由主義との兼ね合い[2]もあり、目立った批判はされて来なかったものの、アファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)のような女性優遇策に対し、「悪平等である」、「男性差別である」といった批判はなされることはある。ちなみに、アメリカの連邦最高裁判所においてアファーマティブアクションを義務づける法律が違憲とされ、廃止されたことがある。[3]

宗教界においては、「統一教会」が関連する「世界平和教授アカデミー」という学者の団体や、「国際勝共連合」という反共政治団体や『世界日報』という新聞を通して、ジェンダーフリーに対する批判を行なっており、伝統的、保守的な男女観、性文化への回帰を広く呼びかけている。これに対し、ジェンダーフリー賛同側は「批判側にカルトが係わっている」と主張している。ジェンダーフリーに批判的な立場を採る人々は、カルトと呼ばれる宗教がジェンダーフリー批判に賛同することによって事態が複雑化することを懸念している。アメリカでは、パット・タンジェントを初めとするキリスト教右派のテレバンジェリスト(テレビ伝道師)達が、男女の役割分担を尊重し、子供は家庭で母親が育てるべきであると説いている(但し、この場合は学校教育を含めて全否定し、子どものあらゆる活動を家庭が面倒を見るべきだという主張であり、一般的なジェンダーフリー批判とは性質が異なる)。

ジェンダーレスとの混同

宮台真司斉藤環などは、多くの論者がジェンダーフリーとジェンダーレスを混同していると指摘している。彼らによると、ジェンダーフリーとは「性差を否定すること」ではなく、性別による固定された社会的な役割を柔軟にしていく運動であり、逆を言えば従来通りの価値観すら認める立場である。一方で、ジェンダーレスは性別そのものを否定していく運動であり、一般にジェンダーフリー否定派が糾弾するのはジェンダーレスの思想であるという。

また、ジェンダーフリーと性教育は余り関係ないものの、過激な賛成派がジェンダーフリーと絡めて(学童に対する)性教育を主張する影響で、「ジェンダーフリーとは過激な性教育である」とする意見が述べられることがある(自民党による「ジェンダーフリー教育実態調査」)。左記のリンクに見られるように、ジェンダーフリーと性差の否定(ジェンダーレス)は異なる概念であることが一般的には理解されていない。

しかし、ジェンダーフリーの名の下に一部の考え方に基づいたフェミニズムを押し通そうとする団体(政治家も含む)があることも否定できない事実である。例えば、賛成派自体が「ジェンダーフリーはジェンダーレスではない」と唱える一方で、その実態が否定派の懸念する「ジェンダーレス」の内容と一致していることがある。

一部のジェンダーフリーの研究者は、「~らしさ」の定義・印象が時代と共に変遷していることに着目し、ジェンダー問題の本質は「世代間の意識格差」ではないかと主張している。つまり、同じように「女らしさ」を肯定し、推奨したとしても、各世代間の「女らしさ」の意識にズレがあるため、議論が平行線を辿ってしまうという構造である。また同様に、生活環境による意識の格差も指摘されている。これは都市部と農村部における「女らしさ」の意識にも差異が認められる点に着目した意見である。例えば、農村部では「女性も肉体労働(農作業)に参加するべきだ」と考える一方、都市部では「女性は肉体労働に従事すべきではない」と考える傾向が見られるという[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。。海外の例では、社会階層(階級)によっても意識に差異が見られるという指摘もある。

こういった背景から、ジェンダーフリー運動が要求するのは「~らしさ」の自己決定権[4]この前提を理解していない、もしくは知らない賛成派の人々が事態を複雑化することを懸念する声がある。

一方、自民党などは「男らしさ、女らしさを認めます」とし、ジェンダーフリーを「らしさ」を否定する思想という理解のもと、ジェンダーフリーを否定している。ジェンダーフリー自体は、個々人の考える「男らしさ、女らしさ」を否定する概念ではなく、社会的に必然性のある区別(例:トイレや更衣室を男女別室にする)や、男が「男らしく」あること、女が「女らしく」あることをも、自己決定権を前提に肯定している。


政党政治とジェンダーフリー

自由民主党

  • 自民党の実態調査プロジェクトのホームページには『(教育)現場では「小学5年生で男女同宿」「学校のトイレが男女一緒」など性差を否定する『教育の暴走』がおこなわれている』と記述されている。また、林間学校などでの男女同室着替えをジェンダーフリー教育の結果だとしている。また自由民主党と民主党の違いは「ジェンダーフリーを推進しているかどうかだ」と表現している(関連リンク参照)。男女同室着替えについては、同プロジェクトが実施したアンケート結果の一例として「再三高学年が同じ教室で着替え(体育時)させるのをやめさせて欲しいと要望を出したが、完全無視。校長に直訴したが、不機嫌に拒否。6年生の学年主任の女教師は、男女一緒に着替えることを推奨した」との事例があるという回答が寄せられた事をWebページ上に載せている。

日本共産党

  • 日本共産党は、ジェンダーフリー教育を擁護し、男女同室着替え等はジェンダーフリー教育導入前からあったとしている。

民主党

  • 「老若男女が、それぞれ生きがいを感じる社会システムづくりが社会全体を豊かにするのです。性別役割分業を固定化しない(ジェンダーフリー)社会こそ、日本を再創造するカギとなります。」と主張していた。現在では、党の政策から「ジェンダーフリー」の用語が削除されている。

ジェンダーフリーの実践例等

ジェンダーフリーの実践として次のような例がある。

教育現場

以前より日本教職員組合などは、「男の子だけの通過儀礼を廃止せよ」といった、ジェンダーフリーにつながる主張を行ってきた。さらに、女性の社会進出が進むにつれ、学校教育はより細かいジェンダーバイアスの撤廃を指摘されるようになった。そして男女共同参画社会基本法の制定により、一つの教育運動となったものである。なお、日本教職員組合は、男女同室着替えには反対の立場であり、「更衣室の整備拡充」を文部科学省に要求している。

具体的な事例としては、以下のような事が教育現場で行われていると言われる。

男性器の模型に避妊具を被せる練習を行わせる。
白い液体(牛乳)が出る男性器の模型を使う。
性器がついた男女の人形に性行為をさせ、生徒に見せる。
性描写がある絵本を見せる。
  • さいたま市議会議員の市議は、日教組平和学習冊子編集委員会編の「総合学習の時間に生かす『これが平和学習だ』」という冊子において、「1 女男混合名簿の実践、2 各教科の女男平等教育・・」など、「女男」という用語を用いた取り組みが示されていると指摘している[5]。 
  • 衆議院特別委員会で質問に立った議員は、自分が千葉県松戸市の「ふりーせる保育」について保護者に取材した結果の一例として、運動会のダンスを「慎吾ママのおはロック」のCDで踊りたいという希望があったが、母親が朝ごはんをつくるフレーズがジェンダーフリーに反するという理由で、歌詞のないカラオケになった事例があると指摘した[6]

団体等の活動

教育行政や団体の運動としては、次のような事例が挙げられる。

  • 日本教職員組合は2005年3月に発刊した『日教組政策制度要求と提言』の政策提言62において、国への政策提言として、男女平等教育のための基本方針の策定、学校における男女平等教育推進のための教職員への研修の実施、性別役割分業に基づく記述や挿し絵をなくすために教科書の検定にジェンダーの視点を入れることなどを提案している。また、活動のひとつとして「毎年2月をメディア・チェック月間と位置づけ、社会の中や自分の中にある「固定的なジェンダー意識」に気付き、問題化し、放送機関や関係機関に対し要請行動を行なって」いると述べている。
  • 日本女性学習財団発行の冊子『新子育て支援 未来を育てる基本のき』において、「無意識のうちに、子どもたちに『女らしさ』や『男らしさ』を押しつけるような子育てをしていませんか? ふり返ってみましょう」との言葉とともに、
ひな祭り」や「鯉のぼり」といった伝統行事
女の子に「さくら」「美咲」「優花」という愛らしい名前をつけたり、男の子に「翔太」「翼」「大輝」というスケールの大きい名前をつけること
出産祝いで、女児にピンクの産着、男児に水色の産着を贈ること
などが、ジェンダーフリーに反する例として挙げられた。

日本女性学会は、2003年3月の学会ニュースにおいて、鯉のぼりとひな祭りに含まれていた「男は強く元気に/女は優しく美しく」と、「性別と人のありかたを結びつけるシンボリズム」は今日では適切でないとし、5月5日が全てのこどものための祝日であるようにひなまつりも性別によらない祝いにするのが良い、と指摘している[7]

  • 2003年に福岡市で開かれた女性フォーラムにおいて、昔話の「桃太郎」を「桃子」に変更し、ストーリーを変えた劇を上演。鬼を退治することでなく、話し合いによって解決する内容となっている。
  • 第156回国会において、社会民主党・市民連合の議員が、財界の出資による「全寮制男子校」設置の構想を批判したうえで、「今後、性別に特化した学校を設立することは、「男女共同参画」と矛盾するのではないか」等の質問を行った。
※ なお、これについて政府は、男女の共学については教育上尊重されるべきものであるが、すべての学校における男女の共学を一律に強制する趣旨のものではない、との見解を示している(参考:衆議院質問答弁・第156回常会質問23)。
  • 埼玉県男女共同参画苦情処理委員は、県立高校の共学化を求める苦情に応じ、公立の男女別学校の早期共学化を求める勧告を行った。これに対し、埼玉県立浦和第一女子高等学校PTA広報部は、同校の保護者を対象としたアンケート結果や、現役の女子高生が疑問の声をあげていることなどから、勧告は「根拠のない結論」であると指摘した。県教育委員会はこの勧告に対し、「早期の共学化は行わず、当面は現状を維持する」との報告を行った[4][5][6]
  • 日本労働組合総連合会はセクシャルハラスメントへの対策の一環として、男性向けに「ジェンダーチェック」を行うための表を作成して公開している。この表では、25個のチェック項目のうち18項目以上に該当すると「レッドカード」と認定される。[8]

教育を受ける生徒達の意識

文部科学省の外郭団体である財団法人「一ツ橋文芸教育振興会」と「日本青少年研究所」は、2003年秋に日本米国韓国中国の高校生各千人を対象にアンケート調査を行い、2004年2月にその結果を発表した。この結果にもとづき、読売新聞は、日本では「女は女らしくすべきだ」を肯定した生徒が28.4%であり、他国(米58.0%、中71.6%、韓47.7%)よりも「突出して低い」と報じた。また、「男は男らしく」を肯定した人も43.4%と、4カ国で唯一半数以下であると指摘した[9]

なお、上記の新聞記事が引用し、日本青少年研究所が公開している調査報告書には、単純集計結果と男女別集計結果が記されている。この報告書における男女別集計結果によれば、調査対象者と各項目を肯定した者の男女比は下記の通りである[10]

調査対象と調査結果(「肯定」は「全くそう思う」と「まあそう思う」の割合の合計。単位は%)
日本米国中国韓国
調査対象 (男子:女子) 35.0:64.847.6:52.145.7:54.052.9:47.1
女は女らしくすべきだ 肯定 (男子:女子)38.9:22.561.0:55.575.4:68.061.3:32.3
男は男らしくすべきだ 肯定 (男子:女子)49.2:40.465.1:62.483.0:79.767.4:40.9


読売新聞は2月20日朝刊の社説において、この国際調査結果により「教育界で流行している『ジェンダーフリー』思想の影響を見て取ることができる。」とし、その社説の最後で「調査結果は、倒錯した論理が広がったときの恐ろしさを示している。」と結論づけた[11]

ジェンダーフリーの思想的背景

日本でジェンダーフリーという政治運動が起こった背景について、推進側は、女性の社会進出(賃金労働者化)が進み、男女観も多様化した中で、従来の男らしさ・女らしさというステレオタイプによる評価基準を不合理に感じたり窮屈に感じる人が増えてきたためとしている。女性の高学歴化が進むに従い「男性並の権利や生活」を求める女性も出てきた。しかし性差や「らしさの壁」に遮られ、男性と同等には扱われないことに気づき、男女の区別を廃止してしまう(ジェンダーフリー)ことに解決の道を見出した、といったものである。

そのため「男女共同参画社会基本法」が作られ、同法が一部のフェミニストたちに「ジェンダーフリーを推進するもの」だと認識されたことが、この運動が広がった要因のひとつだと考えられている。

本来はジェンダーフリーが「社会的性別(日本語の「ジェンダー」)からの離脱の自由」を認める風潮を目指すはずが、「社会的性別(日本語の「ジェンダー」)そのものが悪であり、無くす必要がある」という誤解にいつしか摩り替わった。それがフェミニストが画策した男女共同参画政策に連動した、教育現場でのジェンダーフリー教育で明らかになるにつれて、保守派からの批判がより高まった。内閣府男女共同参画局が言うとおり、ジェンダーそれ自体は良いものでも悪いものでも無いからである。 また、日本の代表的フェミニストの1人である上野千鶴子が著書『ジェンダー・フリーは止まらない』(松香堂)にも収録された2001年4月15日、NPO法人「フィティ・ネット」設立記念フォーラムでの講演にて、「女は嫁に行くのが一番だ、と私は信じています」という見解を述べることについて、「ドイツではヒットラーを支援するような発言をすると犯罪を構成します。(中略)人種に関しては許されないことが、なぜ女に関しては言ってもいいのでしょうか。それを「思想信条の自由」のもとに許していいのか、と思います。」と聴衆に訴えかけた。

ジェンダーフリーの理論的・思想的背景については、ラディカル・フェミニストの江原由美子によれば社会主義イデオロギーから来ているという(『フェミニズムの名著50』)。歴史的にみるとジェンダーフリーの発祥はフランスの社会主義者フランソワ・マリー・シャルル・フーリエによって提唱された「ファランステール」という生活集団に見られる(『フェミニズムの歴史』)。また旧ソ連ではアレンクサンドラ・コロンタイが同じような政策(家族廃止、家事労働の共同化等)を打ち出した。しかし、この政策は失敗に終わり1934年には旧ソ連政府も根本的見直しをすることになった(ニコラス・S・ティマシェフ「ロシアにおける家族廃止の試み」)。ジェンダーフリーと社会・共産主義の結びつきについては、安藤紀典『マルクス主義の女性解放論』が詳しい。

ただし現在のジェンダーフリー運動は、直接的には第二波フェミニズムを源としているという見方がされている。社会的性別(ジェンダー)から解放されるべきだというジェンダーフリー運動の理論的背景は、社会主義・共産主義から直接繋がっているというよりも、フランスの哲学者シモーヌ・ド・ボーヴォワールの『第二の性』に代表される実存主義フェミニズムや、マルクス主義を女性運動の理論的根拠に採り入れたフェミニズム理論(ラディカル・フェミニストのシュラミス・ファイアストーンによる「妊娠・出産によって性の階級制度が生み出され、女性への抑圧となる構造は解消されるべきだ」という主張など)が大きく影響しているといえよう。これは、男女を権力関係と見なす傾向や、女性の「性と生殖に関する権利」などが主張される点に良く現れている。

しかし、にも関わらず、日本のジェンダーフリー運動は、アメリカ、ヨーロッパ、共産主義国のフェミニズム運動とは異なる部分も多い。それはジェンダーフリーという語が日本固有であること、さらにジェンダーフリーの賛同者たちが問題にするジェンダーは「日本文化におけるジェンダー」であることに起因していると言えるだろう。

ジェンダーフリーにおける生物学的問題

ジェンダーフリーの論者は、ジェンダーフリーを正当化する理論として、ジェンダー(社会的性別)は後天的な要因が大きく関わって決定されるという説を主張している。文化人類学者マーガレット・ミードの研究、さらに性科学者ジョン・マネーの研究をその根拠付けに参照する著者も存在した。また、生物学的性差とは元もと人間に備わっているものではなく、後天的な要因のみによって作られるものであるという急進的な主張をするフェミニストも存在した。

だが近年、マーガレット・ミードとジョン・マネーの研究は間違いであったことが明らかになった(デイヴィッド・ライマーの項を参照)。反対派はこのことでジェンダーフリーの学術的な正当性は否定されたとの指摘を行った。

上記の事実が明らかになった後、賛同派は、「すでにジェンダーフリー思想は様々な多岐にわたる分野の研究成果から成立しており古い学説に依拠するような時代は遥か昔に過ぎ去っている」とした(関連、文化相対主義社会的構築主義)が、実際には、ジョン・マネーが唱えた説は近年に出版されたフェミニズムの書物などにも記されている。それゆえ、「賛同派は自らが依拠していた説をご都合主義的に翻した」との批判も受けることになった。

しかし、性差が後天的な要因でのみ決定されるという説が否定されたことは、性差が先天的な要因のみで決まるということが証明されたことを意味しない。これまで保守派の一部がジェンダーフリーを批判するために援用してきた脳神経学遺伝学などの分野において、男女の脳は従来言われていたほどの差はないのではないか、という傾向の主張もあり、ジェンダーフリー推進側は、このような主張にも注目すべきだとしている(最近の脳神経学の研究をわかりやすく紹介している本としては、田中富久子『脳の進化学 ――男女の脳はなぜ違うのか』など)。

関連項目

関連文献

肯定的立場

  • 日本女性学会ジェンダー研究会著 『Q&A 男女共同参画/ジェンダーフリー・バッシング―バックラッシュへの徹底反論』 明石書店 (2006/06) ISBN 4750323489
  • レナード・サックス著『男の子の脳、女の子の脳~こんなに違う見え方・聞こえ方・学び方』草思社(2006年)

否定的立場

  • 西尾幹二・八木秀次著 『新・国民の油断 「ジェンダーフリー」「過激な性教育」が日本を亡ぼす』 PHP研究所 (2005/01/12) ISBN 4569638120
  • 野村旗守編 『男女平等バカ「ジェンダーフリー」はモテない女のヒガミである!家庭、学校、社会、自治体、中央官庁の“ジェンダーな”事件簿 年間10兆円の血税をたれ流す、“男女共同参画”の怖い話!』 宝島社 (2005/12/02) ISBN 4-7966-5040-7

否定派を批判しているものの肯定的ではない立場

関連特集(雑誌・テレビ等)

平成十八年五月十日号  箱もの利権ほか 暴走するジェンダーフリー これは白い文化大革命だ

ジェンダーフリーに狂奔するフェミニスト8人の仰天「言行録」 千葉展正他二本

 平成十八年九月二十七日号 対中外交からニート利権まで 血税にたかる! 掠める! 喰らう! 悪い奴ら

外部リンク

肯定的立場

否定的立場

関連施設等

脚注

  1. ^ 上野千鶴子・宮台真司・斉藤環・小谷真理他共著 『バックラッシュ! なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?』 双風舎
  2. ^ 男性のみ、あるいは女性のみが専有すると思われていた職業が両性に解放されたり、有能な女性が社会進出すること、必要に応じて男性が育児休暇を取るなど
  3. ^ 1995年5月、米国連邦最高裁判所は、黒人学生のみに適用されるメリーランド州立大学奨学金制度は法の下の平等に反するとした控訴審判決を支持し、同年6月29日には、黒人が多数選出されるように区割りされたジョージア州の下院議員選挙区の設定は違憲であるとした。また、公共事業であるハイウエー工事において、マイノリティー関連企業を優遇する政策が一定の場合には違憲になるとした。ただし、アメリカの場合、アファーマティブアクションは、マイノリティ(主に黒などの国内における少数民族)に対して実施されるものであり、日本のように主に女性に対して行われるものではないことに注意。
  4. ^ 「伝統的な価値観を尊重したい人はそうすれば良いし、その考えは守られた方が良い。一方、伝統的な価値観を受け入れたくない人は別な価値観で生きることが出来れば良いし、その考えは守られた方が良い」とする考えであり、「社会から性差が無くなるべきだ」とは主張しない。
  5. ^ さいたま市議会 会議録
  6. ^ 衆議院青少年問題に関する特別委員会 2002.11.21,産経新聞2002.11.22
  7. ^ 学会ニュース『Q&A-男女共同参画をめぐる現在の論点』日本女性学会 号外 2003.3
  8. ^ 男性のためのジェンダーチェック表(日本労働組合総連合会)
  9. ^ 2004年2月17日読売新聞朝刊
  10. ^ 高校生の生活と意識に関する調査 (日本青少年研究所 2004.2)
  11. ^ 読売新聞2004年2月20日朝刊:社説