「オスカー・デ・ラ・ホーヤ」の版間の差分
編集の要約なし タグ: 差し戻し済み 曖昧さ回避ページへのリンク |
|||
1行目: | 1行目: | ||
{{存命人物の出典明記|date=2018年8月10日 (金) 13:14 (UTC)}} |
{{存命人物の出典明記|date=2018年8月10日 (金) 13:14 (UTC)}} |
||
{{年譜のみの経歴|date=2023年1月}} |
|||
{{Boxing statsbox |
{{Boxing statsbox |
||
|name=オスカー・デ・ラ・ホーヤ |
|name=オスカー・デ・ラ・ホーヤ |
||
|image=Oscar de la Hoya 2014 (cropped 2).jpg |
|image=Oscar de la Hoya 2014 (cropped 2).jpg |
||
|caption=慈善団体[[救世軍|The Salvation Army]]にて(2014年) |
|caption=慈善団体[[救世軍|The Salvation Army]]のイベントにて(2014年) |
||
|realname=オスカー・デ・ラ・ホーヤ |
|realname=オスカー・デ・ラ・ホーヤ |
||
|nickname=Golden Boy(ゴールデン・ボーイ) |
|nickname=Golden Boy(ゴールデン・ボーイ) |
||
30行目: | 31行目: | ||
{{MedalBottom}} |
{{MedalBottom}} |
||
'''オスカー・デ・ラ・ホーヤ'''('''Oscar De La Hoya'''、[[1973年]][[2月4日]] |
'''オスカー・デ・ラ・ホーヤ'''('''Oscar De La Hoya'''、[[1973年]][[2月4日]] - )は、[[アメリカ合衆国]]のプロボクシングプロモーター、元[[プロボクサー]]。[[カリフォルニア州]][[イーストロサンゼルス]]市出身。元WBO世界スーパーフェザー級王者。元IBF・WBO世界ライト級統一王者。元WBC世界スーパーライト級王者。元WBC世界ウェルター級王者。元[[世界ボクシング協会|WBA]]スーパー・[[世界ボクシング評議会|WBC]]世界[[スーパーウェルター級]]統一王者。元WBO世界ミドル級王者。史上初の[[複数階級制覇|世界6階級制覇王者]]。[[1992年バルセロナオリンピックのボクシング競技|1992年バルセロナオリンピック]]金メダリスト。 |
||
ボクサーとして、数々のビッグマッチを経験した世界屈指の人気選手で、端正なルックスから女性の支持も高かった。引退後は、自らプロモーション会社「'''[[ゴールデンボーイ・プロモーションズ]]'''」を立ち上げ、ボクシング業界の一大勢力へと成長した。いとこの[[ディエゴ・デ・ラ・ホーヤ]]もプロボクサー<ref name="Oscar De La Hoya" >[https://boxerlist.com/boxer/oscar-de-la-hoya/7085 Oscar De La Hoya] Boxer List </ref>。 |
|||
== 人物 == |
|||
* 現役時代にボクシング興行会社「[[ゴールデンボーイ・プロモーションズ]]」を立ち上げ、選手引退後も[[最高経営責任者]]を務めている{{R|kotobank}}。 |
|||
* 功績が認められ2008年12月1日に[[ロサンゼルス]]の[[ステープルズ・センター]]の前に銅像が建てられた<ref group=注>銅像のモデルになった2006年5月6日のリカルド・マヨルガをKOした後にコーナーの上に上ってファンの歓声に応える場面。</ref><ref>[https://www.afpbb.com/articles/-/2544587?pid=3575623 デラホーヤの銅像がステープルズ・センターに] 「AFPBB News」 2008年12月2日</ref>。 |
|||
* いとこの[[ディエゴ・デ・ラ・ホーヤ]]もプロボクサー。 |
|||
== 来歴 == |
== 来歴 == |
||
=== アマチュア時代 === |
==== アマチュア時代 ==== |
||
6歳からボクシングを始めるが、従兄弟とのボクシングでいつも打ちのめされていたことから当初はボクシングが嫌いだったとのことだが<ref>『ボクシング・バイブル』1999年3月29日、著者・ジョー小泉、199頁。</ref>、試合に出始めてからは4年5か月もの間敗戦を経験しないなど、アマチュア時代から既に非凡な才能を見せる。アマ時代の通算戦績は234勝(163KO・RSC)6敗。6敗のうち2敗はシェーン・モズリーに敗れたものだった<ref>[http://www.cyberboxingzone.com/boxing/mosely.htm "Sugar" Shane Mosley]. Cyber Boxing Zone. Retrieved on May 19, 2012.</ref>。 |
|||
祖父、父、オスカーの親子三代でボクシングを経験しているというボクサーの家系で育ち、5歳でボクシングを始めた<ref name=kotobank>{{Cite web2 |url=https://kotobank.jp/word/%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%BC+%E3%83%87%E3%83%A9%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A4-1683867 |title=オスカー デラホーヤ |publisher=[[コトバンク]] |author=[[日外アソシエーツ]] |date=2012年 |accessdate=2018年4月20日 }}</ref>。[[ジョー小泉]]の著書『ボクシング・バイブル』によれば、「従兄弟とのボクシングでいつも打ちのめされていたことから当初はボクシングが嫌いだった」との記述がある<ref name=ジョー小泉>『ボクシング・バイブル―ボクシングはいかに進化したか』1999年3月29日、アスペクト刊、[[ジョー小泉]]著、199頁(全339頁)。{{ISBN2|978-4757204133}}</ref>。 |
|||
[[1992年]]、19歳で[[1992年バルセロナオリンピック|バルセロナオリンピック]][[ライト級]]に出場。同競技で米国勢唯一となる[[金メダル]]を獲得<ref name="Oscar De La Hoya" />、アマ時代の華麗な遍歴を踏まえて「ゴールデンボーイ(Golden Boy)」と名付けられ[[ボブ・アラム]]率いる[[トップランク]]と契約金100万ドルで契約しプロに転向した<ref>[http://www.hbo.com/boxing/fighters/delahoya_oscar/bio.html Boxing: Fighters: Bio: OSCAR DE LA HOYA]. HBO. Retrieved on May 19, 2012.</ref><ref>[http://www.gale.cengage.com/free_resources/chh/bio/delahoya_o.htm Gale – Free Resources – Hispanic Heritage – Biographies – Oscar De La Hoya]. Gale.cengage.com. Retrieved on May 19, 2012.</ref><ref>[http://www.successmagazine.com/oscar-de-la-hoya-is-as-good-as-gold/PARAMS/article/794 Oscar de la Hoya is as Good as Gold | SUCCESS Magazine | What Achievers Read]. SUCCESS Magazine. Retrieved on May 19, 2012. {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20111002003121/http://www.successmagazine.com/oscar-de-la-hoya-is-as-good-as-gold/PARAMS/article/794 |accessdate=October 2, 2011}}</ref>。 |
|||
アマチュアでの戦績は228戦5敗で、端正な顔立ちとボクシングの才能によりアマチュアボクサーとしては異例の人気があった{{R|kotobank}}。 |
|||
==== プロ時代 ==== |
|||
1990年および翌1991年のアメリカ合衆国[[ライト級]]アマチュア王座を獲得しており、また1992年、19歳の時に[[バルセロナオリンピック]]のライト級で[[金メダル]]を獲得した{{R|kotobank}}。 |
|||
===== スーパーフェザー級 ===== |
|||
1992年11月23日、ラマー・ウイリアムズとデビュー戦を行い初回KO勝ちを収めた<ref>{{cite web |title=De La Hoya’s Debut as a Pro Is Golden |url=https://www.latimes.com/archives/la-xpm-1992-11-24-sp-1096-story.html |publisher=Los Angeles Times |access-date=20 September 2024 |date=24 November 1992}}</ref>。 |
|||
[[1994年]]3月5日、[[グランド・オリンピック・オーディトリアム]]で[[世界ボクシング機構|WBO]]世界[[スーパーフェザー級]]王者[[ジミー・ブレダル]]([[デンマーク]])を10回終了時にブレダルが棄権した為TKO勝ちを収め王座を獲得した<ref name="Oscar De La Hoya" /><ref>{{cite news |title=IN THE CLUTCH, DE LA HOYA DELIVERS |url=https://www.washingtonpost.com/archive/sports/1994/03/07/in-the-clutch-de-la-hoya-delivers/6eb4d06d-4e01-40e5-9dc4-d553058efcff/ |access-date=21 September 2024|publisher= Washington Post|agency=Associated Press |date=6 March 1994}}</ref>。 |
|||
=== プロ契約・4階級制覇まで === |
|||
バルセロナオリンピックで金メダルを獲得した1992年に[[ボブ・アラム]]率いる[[トップランク社]]と破格の契約金でプロ契約、同年11月23日にプロデビュー。1994年3月にプロ12戦目で[[世界ボクシング機構|WBO]]世界[[ジュニアライト級]]王座を獲得、同年7月にWBO世界[[ライト級]]王座を獲得した{{R|kotobank}}。 |
|||
1994年5月27日、[[ラスベガス]]の[[MGMグランド・ガーデン・アリーナ]]でジョルジョ・カンパネラ([[イタリア]])を3回2分22秒TKO勝ちを収め初防衛に成功した<ref name="Oscar De La Hoya" />。 |
|||
1995年5月には[[国際ボクシング連盟|IBF]]ライト級王座を獲得、これによりIBF・WBO統一王者となった{{R|kotobank}}。また、翌1996年6月にはWBC世界[[ジュニアウェルター級]](現[[スーパーライト級]])王座を賭けて、当時の王者メキシコの[[フリオ・セサール・チャベス]]と対戦し勝利、世界3階級制覇を達成した{{R|kotobank}}。 |
|||
===== ライト級 ===== |
|||
世界3階級制覇後も勝利は続き、1997年4月にアメリカの[[パーネル・ウィテカー]]と対戦し勝利、WBC世界[[ウェルター級]]王座を獲得し4階級制覇となった{{R|kotobank}}。同ウェルター級ではその後王座防衛回数7度を数えている{{R|kotobank}}。 |
|||
====== vs パエス ====== |
|||
1994年7月29日、MGMグランド・ガーデン・アリーナで元IBF・WBO世界フェザー級王者の[[ホルヘ・パエス]]([[メキシコ]])とWBO世界[[ライト級]]王座決定戦を行い2回KO勝ちで2階級制覇を達成した<ref name="Oscar De La Hoya" />。 |
|||
====== vs モリナ ====== |
|||
[[1999年]]2月13日にはガーナの元WBA世界ウェルター級王者[[アイク・クォーティ]]に判定勝ち。 |
|||
[[1995年]]2月18日、MGMグランド・ガーデン・アリーナで元IBF・WBO世界スーパーフェザー級王者[[ジョン・ジョン・モリナ]]([[プエルトリコ]])に12回判定勝ちを収め3度目の防衛に成功した<ref name="Oscar De La Hoya" />。 |
|||
====== vs ルエラス ====== |
|||
=== 史上最年少・5階級制覇 === |
|||
1995年5月6日、IBF世界ライト級王者[[ラファエル・ルエラス]]と王座統一戦を行い、2回1分43秒TKO勝ちを収めWBO王座は4度目の防衛、IBF王座獲得に成功した<ref name="Oscar De La Hoya" />。 |
|||
1999年9月に行われたIBF世界ウェルター級統一戦で同王座を持つ[[プエルトリコ]]の[[フェリックス・トリニダード]]と対戦したが、判定負けによりデ・ラ・ホーヤはプロとなって以降初の敗北を経験した{{R|kotobank}}。 |
|||
====== vs エルナンデス ====== |
|||
2000年2月、WBC世界ウェルター級王座の挑戦者決定戦でアメリカの[[ダレル・コーリー]]と対戦しKO勝利を収め、王座挑戦権を獲得{{R|kotobank}}。同年3月には前年に対戦したフェリックス・トリニダードが自身の保持していたWBC世界ウェルター級王座を返上したため、デ・ラ・ホーヤはそのまま同王座を再獲得した{{R|kotobank}}。しかし、同年6月にアメリカの[[シェーン・モズリー]]との対戦で敗れ王座を失った{{R|kotobank}}。 |
|||
1995年9月9日、[[シーザーズ・パレス]]内{{仮リンク|ザ・コロシアム|en|The Colosseum at Caesars Palace}}で元[[世界ボクシング協会|WBA]]世界スーパーフェザー級王者[[ヘナロ・エルナンデス]]と対戦し、6回TKO勝ちで5度目の防衛に成功した(実は自身がWBA世界スーパーフェザー級1位にランクされた際にエルナンデスに[[指名試合]]で挑戦出来たが回避しWBO世界スーパーフェザー級王座へ迂回した)<ref>[http://articles.nydailynews.com/1995-07-13/sports/17983745_1_peter-mcneeley-wbc-lightweight-champion-alphabets Oscar Revolts Against the IBF]. nydailynews.com (July 13, 1995)</ref><ref name="Oscar De La Hoya" />。 |
|||
====== vs レイハ ====== |
|||
2001年6月になってWBC世界スーパーウェルター級王者、[[スペイン]]の[[ハビエル・カスティリェホ]]に判定勝利し史上最年少、かつ最短で5階級制覇を達成した{{R|kotobank}}。 |
|||
1995年12月15日、[[ニューヨーク]]の[[マディソン・スクエア・ガーデン]]で元[[世界ボクシング評議会|WBC]]世界スーパーフェザー級王者の{{仮リンク|ジェシー・ジェイムス・レイハ|en|Jesse James Leija}}と対戦し、2回終了時にレイハが棄権した為TKO勝ちを収め6度目の防衛に成功した<ref name="Oscar De La Hoya" />。 |
|||
===== スーパーライト級 ===== |
|||
2001年10月5月、デ・ラ・ホーヤが自身のミュージックビデオに出演を依頼したことをきっかけに[[プエルトリコ]]の歌手兼女優のミリー・コレチャーと結婚した。 |
|||
====== vs チャベス ====== |
|||
[[1996年]]6月7日、シーザーズ・パレス内ザ・コロシアムで[[フリオ・セサール・チャベス]]と対戦し、スピーディーなジャブでチャベスの顔面を切り裂き4回2分37秒TKO勝ちを収め、3階級制覇を達成した<ref>{{cite web |url=http://www.cyberboxingzone.com/boxing/jrwelt.htm |title=The Lineal Junior Welterweight Champions |publisher=The Cyber Boxing Zone Encyclopedia}}</ref><ref name="Oscar De La Hoya" />。 |
|||
[[1997年]]1月18日、ラスベガスの[[トーマス&マック・センター]]で元WBC世界ライト級王者の[[ミゲル・アンヘル・ゴンザレス]]と対戦し、12回3-0の判定勝ちを収め初防衛に成功した<ref name="Oscar De La Hoya" />。 |
|||
[[2002年]]9月14日、WBA世界スーパーウェルター級王者、アメリカの[[フェルナンド・バルガス]]と王座統一戦を行い、11回にダウンを奪ったデラホーヤが試合を決めTKO勝ち。王座を統一した。また試合後にバルガスからは薬物検査で陽性反応が確認された<ref>[http://www.47news.jp/CN/200209/CN2002092801000058.html バルガス、薬物検査で陽性 王座戦でデラホーヤに敗北] 共同通信社 2002年9月27日{{リンク切れ|date=2018年4月}}</ref>。 |
|||
===== ウェルター級 ===== |
|||
[[2003年]]5月3日、元IBF世界スーパーウェルター級王者[[ルイス・ラモン・カンパス]](メキシコ)と対戦。7回2分54秒TKO勝ちを収めWBA王座は初、WBC王座は2度目となる防衛にそれぞれ成功した<ref>[http://www.47news.jp/CN/200305/CN2003050401000140.html デラホーヤがTKO勝ち 統一世界Sウエルター戦] 共同通信社 2003年5月4日{{リンク切れ|date=2018年4月}}</ref>。 |
|||
====== vs ウィテカー ====== |
|||
1997年4月12日、ラスベガスのトーマス&マック・センターでWBC世界[[ウェルター級]]王者[[パーネル・ウィテカー]]と対戦し<ref>{{Cite news |url=http://www.nydailynews.com/archives/sports/1997/04/11/1997-04-11_big_picture_for_oscar__de_la.html |location=New York |publisher=Daily News |title=Big Picture For Oscar De La Hoya Image Concerns Arum |access-date=April 11, 1997}}</ref>、12回判定で勝ちを収め、4階級制覇に成功した(試合後WBC世界スーパーライト級王座を返上した)<ref>{{cite web |url=http://www.cyberboxingzone.com/boxing/welter.htm |title=The Lineal Welterweight Champs |publisher=The Cyber Boxing Zone Encyclopedia}}</ref><ref name="Oscar De La Hoya" />。 |
|||
1997年6月14日、[[テキサス州]][[サンアントニオ]]の[[アラモドーム]]でデビッド・カマウと対戦し、2回2分54秒TKO勝ちを収め初防衛に成功した<ref name="Oscar De La Hoya" />。 |
|||
しかし同年9月13日、既にWBC世界ウェルター級王座を失っていたシェーン・モズリーと再戦したが判定負けし、両王座から陥落した<ref>[http://www.47news.jp/CN/200309/CN2003091401000153.html 王者、雪辱ならず 進退には明言避ける] 共同通信社 2003年9月14日{{リンク切れ|date=2018年4月}}</ref>。この対戦では採点不正の疑惑があり、後にプロモーターが召喚されている<ref>[http://www.47news.jp/CN/200309/CN2003091701000202.html プロモーターを召喚へ 世界戦で採点に不正] 共同通信社 2003年9月17日{{リンク切れ|date=2018年4月}}</ref>。 |
|||
====== vs カマチョ ====== |
|||
=== 史上初・6階級制覇 === |
|||
1997年9月13日、ラスベガスのトーマス&マック・センターで元世界3階級制覇王者の[[ヘクター・カマチョ]]と対戦し、12回判定勝ちを収め2度目の防衛に成功した<ref name="Oscar De La Hoya" />。 |
|||
2004年6月5日、WBO世界ミドル級王者だった[[ドイツ]]の[[フェリックス・シュトルム]]に判定勝利、ボクシング史上初の6階級制覇を達成した{{R|kotobank}}<ref>[http://www.47news.jp/CN/200406/CN2004060601001222.html デラホーヤが6階級制覇 WBOミドル級タイトル戦] 共同通信社 2004年6月6日{{リンク切れ|date=2018年4月}}</ref>。 |
|||
====== vs チャベス 第2戦 ====== |
|||
しかし同年9月18日にはWBA・WBC・IBF世界ミドル級王者[[バーナード・ホプキンス]]と、ミドル級の規定体重である160ポンド(72.57キロ)ではなく158ポンド(71.66キロ)のキャッチウェイトで対戦したが、プロキャリア初のKO負けを喫し王座から陥落した{{R|kotobank}}<ref>[https://web.archive.org/web/20150124170945/http://www.47news.jp/CN/200409/CN2004091901001440.html デラホーヤ初のKO負け 統一世界ミドル級戦] 共同通信社 2004年9月19日{{リンク切れ|date=2018年4月}}</ref>。 |
|||
[[1998年]]9月18日、ラスベガスのトーマス&マック・センターで元WBC世界スーパーライト級王者[[フリオ・セサール・チャベス]]とリマッチを行い、8回終了時にチャベスが棄権した為TKO勝ちを収め5度目の防衛に成功した<ref name="Oscar De La Hoya" />。 |
|||
====== vs クォーティ ====== |
|||
この敗北の後、1年8か月間休養を挟み、[[2006年]]5月6日、20か月ぶりの試合でWBC世界スーパーウェルター級王者、[[ニカラグア]]の[[リカルド・マヨルガ]]と対戦した{{R|kotobank}}。初回にダウンを奪うなど試合を有利に進め、6回TKO勝ち{{R|kotobank}}を収め3年ぶりに同王座を再獲得した<ref>[http://www.afpbb.com/article/sports/sports-others/boxing/2054352/536615 <ボクシング>デラホーヤがマヨルガを降して王座に返り咲く! - 米国] 「AFPBB News」 2006年5月7日{{リンク切れ|date=2018年4月}}</ref>。また10個目の世界王座獲得ともなった{{R|kotobank}}。 |
|||
[[1999年]]2月13日、ラスベガスのトーマス&マック・センターで元WBA世界ウェルター級王者の[[アイク・クォーティ]]と対戦し、12回2-1の判定勝ちを収め6度目の防衛を成功した<ref name="Oscar De La Hoya" />。 |
|||
1999年5月22日、ラスベガスの[[ミケロブ・ウルトラ・アリーナ]]でオーバ・カーと対戦し、11回55秒TKO勝ちを収め7度目の防衛に成功した<ref name="Oscar De La Hoya" />。 |
|||
====== vs トリニダード ====== |
|||
1999年9月18日、ラスベガスのミケロブ・ウルトラ・アリーナでIBF世界ウェルター級王者[[フェリックス・トリニダード]]と王座統一戦を行い、12回0-2の判定負けを喫しWBC王座陥落と共にプロ初黒星を喫した<ref name="Oscar De La Hoya" />。 |
|||
[[2000年]]2月26日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでWBC世界ウェルター級2位のダレル・コーリーと挑戦者決定戦を行い、7回終了KO勝ちを収めトリニダードへの挑戦権と[[国際ボクシング協会|IBA]]世界ウェルター級王座決定戦も兼ねていたためIBA王座を獲得した<ref name="Oscar De La Hoya" />。だがトリニダードが3月20日付で王座を返上したため、デ・ラ・ホーヤがそのまま返り咲いた<ref>{{cite news |date=21 March 2000 |title=WBC declares de la Hoya welterweight champion |url=https://www.independent.co.uk/sport/general/wbc-declares-de-la-hoya-welterweight-champion-283460.html |publisher=The Independent |url-status=live |archive-date=September 29, 2021 |archive-url=https://archive.today/20210929125503/https://www.independent.co.uk/sport/general/wbc-declares-de-la-hoya-welterweight-champion-283460.html |access-date=29 September 2021 }}</ref>。 |
|||
====== vs モズリー 第1戦 ====== |
|||
2000年6月17日、ロサンゼルスの[[クリプト・ドットコム・アリーナ]]で元IBF世界ライト級王者[[シェーン・モズリー]]と対戦し、12回1-2の判定負けを喫し初防衛に失敗、王座から陥落した<ref name="Oscar De La Hoya" />。 |
|||
[[2001年]]3月24日、MGMグランド・ガーデン・アリーナで元世界2階級制覇王者の[[アルツロ・ガッティ]]と対戦し、5回1分16秒TKO勝ちを収めた<ref>{{cite news |last=Spousta |first=Tom |date=March 25, 2001 |title=BOXING; Savvy De La Hoya Stops Gatti With Technical Knockout |url=https://www.nytimes.com/2001/03/25/sports/boxing-savvy-de-la-hoya-stops-gatti-with-technical-knockout.html |publisher=The New York Times |access-date=June 28, 2018}}</ref><ref name="Oscar De La Hoya" />。 |
|||
===== スーパーウェルター級 ===== |
|||
2001年6月23日、MGMグランド・ガーデン・アリーナでWBC世界スーパーウェルター級王者[[ハビエル・カスティリェホ]]と対戦し、12回3-0の判定勝ちを収め[[シュガー・レイ・レナード]]、[[トーマス・ハーンズ]]に続く史上3人目の5階級制覇に成功した<ref>{{cite web |url=http://www.cyberboxingzone.com/boxing/jrmiddle.htm |title=The Lineal Junior Middleweight Champions |publisher=The Cyber Boxing Zone Encyclopedia|access-date=2001年6月23日}}</ref><ref name="Oscar De La Hoya" />。 |
|||
[[2002年]]9月14日、ミケロブ・ウルトラ・アリーナでWBA世界スーパーウェルター級王者[[フェルナンド・バルガス]]と王座統一戦を行い、11回1分48秒TKO勝ちを収めWBA王座を獲得、WBC王座は初防衛に成功した<ref name="Oscar De La Hoya" />。また試合後にバルガスからは薬物検査で陽性反応が確認された<ref>[http://www.47news.jp/CN/200209/CN2002092801000058.html バルガス、薬物検査で陽性 王座戦でデラホーヤに敗北] 共同通信社 2002年9月27日{{リンク切れ|date=2018年4月}}</ref>。 |
|||
[[2003年]]5月3日、ミケロブ・ウルトラ・アリーナで元IBF世界スーパーウェルター級王者[[ルイス・ラモン・カンパス]]と対戦し、カンパスのセコンドが棄権をアピールした為7回2分54秒TKO勝ちを収めWBA王座は初防衛、WBC王座は2度目の防衛に成功した<ref name="Oscar De La Hoya" /><ref>{{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20120403033143/http://www.eastsideboxing.com/boxing-news/DeLaHoya-Campas.php|publisher=EASTSIDEBOXING|date=April 3, 2012}}</ref><ref>[http://www.47news.jp/CN/200305/CN2003050401000140.html デラホーヤがTKO勝ち 統一世界Sウエルター戦] 共同通信社 2003年5月4日{{リンク切れ|date=2018年4月}}</ref>。 |
|||
====== vs モズリー 第2戦 ====== |
|||
2003年9月13日、MGMグランド・ガーデン・アリーナでシェーン・モズリーと再戦したが12回0-3の判定負けを喫し、両王座から陥落した<ref name="Oscar De La Hoya" /><ref>[http://www.47news.jp/CN/200309/CN2003091401000153.html 王者、雪辱ならず 進退には明言避ける] 共同通信社 2003年9月14日{{リンク切れ|date=2018年4月}}</ref><ref>[http://www.47news.jp/CN/200309/CN2003091701000202.html プロモーターを召喚へ 世界戦で採点に不正] 共同通信社 2003年9月17日{{リンク切れ|date=2018年4月}}</ref>。 |
|||
===== ミドル級 ===== |
|||
====== vs シュトルム ====== |
|||
2004年6月5日、MGMグランド・ガーデン・アリーナでWBO世界ミドル級王者[[フェリックス・シュトルム]]と対戦し、12回3-0の判定勝ちを収め、ボクシング史上初の6階級制覇を達成した<ref name="Oscar De La Hoya" /><ref>[http://www.47news.jp/CN/200406/CN2004060601001222.html デラホーヤが6階級制覇 WBOミドル級タイトル戦] 共同通信社 2004年6月6日{{リンク切れ|date=2018年4月}}</ref>。 |
|||
{{Main|[[オスカー・デ・ラ・ホーヤ対フェリックス・シュトルム戦]]}} |
|||
====== vs ホプキンス ====== |
|||
2004年9月18日、MGMグランド・ガーデン・アリーナでWBA・WBC・IBF世界ミドル級王者[[バーナード・ホプキンス]]と、ミドル級の規定体重である160ポンド(72.57キロ)ではなく158ポンド(71.66キロ)のキャッチウェイトで初の4団体王座統一戦で対戦したが、初のKO負けとなる9回1分38秒KO負け喫し王座から陥落した<ref name="Oscar De La Hoya" /><ref>[http://www.47news.jp/CN/200409/CN2004091901001440.html デラホーヤ初のKO負け 統一世界ミドル級戦] 共同通信社 2004年9月19日{{リンク切れ|date=2018年4月}}</ref>。 |
|||
{{Main|{{仮リンク|バーナード・ホプキンス対オスカー・デ・ラ・ホーヤ戦|en|Oscar De La Hoya vs. Bernard Hopkins}}}} |
|||
===== スーパーウェルター級復帰 ===== |
|||
====== vs マヨルガ ====== |
|||
[[2006年]]5月6日、MGMグランド・ガーデン・アリーナで20か月ぶりの試合でWBC世界スーパーウェルター級王者[[リカルド・マヨルガ]]対戦し、初回にダウンを奪うなど試合を有利に進め、6回1分25秒TKO勝ちを収め3年振りの王座に返り咲いた<ref name="Oscar De La Hoya" /><ref>[http://www.afpbb.com/article/sports/sports-others/boxing/2054352/536615 <ボクシング>デラホーヤがマヨルガを降して王座に返り咲く! - 米国] 「AFPBB News」 2006年5月7日{{リンク切れ|date=2018年4月}}</ref>。 |
|||
{{Main|リカルド・マヨルガ 対 オスカー・デ・ラ・ホーヤ戦}} |
{{Main|リカルド・マヨルガ 対 オスカー・デ・ラ・ホーヤ戦}} |
||
====== vs メイウェザー・ジュニア ====== |
|||
[[2007年]]5月5日、史上初めて4階級を制した無敗の[[フロイド・メイウェザー・ジュニア]](アメリカ)との「世紀の一戦」において、1-2の12回僅差判定で敗れる<ref name=afpbb-20070505>[https://www.afpbb.com/articles/-/2221190?pid=1571280 メイウェザー・ジュニア デラホーヤを下し5階級制覇達成] 「AFPBB News」 2007年5月6日</ref>。メイウェザーはこの試合で5階級制覇を達成し{{R|afpbb-20070505}}、デ・ラ・ホーヤは王座を失った{{R|kotobank}}。 |
|||
[[2007年]]5月5日、MGMグランド・ガーデン・アリーナで[[フロイド・メイウェザー・ジュニア]]と対戦し、12回1-2の判定負けを喫した<ref name="Oscar De La Hoya" /><ref name=afpbb-20070505>[https://www.afpbb.com/articles/-/2221190?pid=1571280 メイウェザー・ジュニア デラホーヤを下し5階級制覇達成] 「AFPBB News」 2007年5月6日</ref>。メイウェザーはこの試合で5階級制覇を達成した{{R|afpbb-20070505}}。 |
|||
===== ウェルター級復帰 ===== |
|||
[[2008年]]5月3日、[[ディグニティ・ヘルス・スポーツ・パーク]]で元IBF世界スーパーフェザー級王者の[[スティーブ・フォーブス]]と対戦し、12回3-0の判定勝ちを収めおよそ1年振りとなる試合を白星で飾った<ref name="Oscar De La Hoya" /><ref>[https://www.afpbb.com/articles/-/2386902?pid=2896519 デラホーヤ フォーブスを判定で下す] 「AFPBB News」 2008年5月4日</ref>。 |
|||
2008年12月1日、自身の功績が認められ[[ロサンゼルス]]のクリプト・ドットコム・アリーナの前にリカルド・マヨルガをKOした後にコーナーの上に上ってファンの歓声に応える場面を再現する銅像が建てられた<ref>[http://www.afpbb.com/article/sports/sports-others/boxing/2544587/3575623 デラホーヤの銅像がステープルズ・センターに] 「AFPBB News」 2008年12月2日</ref>。 |
|||
=== |
====== vs パッキャオ ====== |
||
2008年12月6日、 |
2008年12月6日、[[ラスベガス]]の[[MGMグランド・ガーデン・アリーナ]]で、前戦でライト級王座を獲得した2階級下の[[マニー・パッキャオ]]とウェルター級契約のノンタイトル12回戦で対戦。試合前の予想はデ・ラ・ホーヤが[[ブックメーカー]]の賭け率で1.5対2.5と僅差で有利だったが<ref>{{cite web|url= https://bleacherreport.com/articles/89751-manny-pacquiao-vs-oscar-de-la-hoya-spreads-lines-odds |title= Manny Pacquiao Vs. Oscar De La Hoya: Spreads, Lines, Odds |publisher= Bleacher Report |
||
|date= |accessdate= 2021年3月26日}}</ref><ref>{{cite web|url= https://www.oddsshark.com/boxing/manny-pacquiao-betting-odds |title= Manny Pacquiao Betting Odds History |publisher= OddsShark |date= 2017年7月5日 |accessdate= 2021年3月26日}}</ref>、試合は序盤から精彩を欠いたファイトでパッキャオの動きに全くついていけず、7回にはパッキャオの攻撃でストップ寸前に陥る(この回の採点はジャッジ三者とも8-10)など一方的な展開の末、8回終了後にコーナーでデ・ラ・ホーヤ自身がギブアップの意思を表明してTKO負けを喫した<ref>[https://www.afpbb.com/articles/-/2546669?pid=3593804 デラホーヤ パッキャオに敗れる] 「AFPBB News」 2008年12月7日</ref>。この試合がデラホーヤのラストファイトとなった。 |
|date= |accessdate= 2021年3月26日}}</ref><ref>{{cite web|url= https://www.oddsshark.com/boxing/manny-pacquiao-betting-odds |title= Manny Pacquiao Betting Odds History |publisher= OddsShark |date= 2017年7月5日 |accessdate= 2021年3月26日}}</ref>、試合は序盤から精彩を欠いたファイトでパッキャオの動きに全くついていけず、7回にはパッキャオの攻撃でストップ寸前に陥る(この回の採点はジャッジ三者とも8-10)など一方的な展開の末、8回終了後にコーナーでデ・ラ・ホーヤ自身がギブアップの意思を表明してTKO負けを喫した<ref>[https://www.afpbb.com/articles/-/2546669?pid=3593804 デラホーヤ パッキャオに敗れる] 「AFPBB News」 2008年12月7日</ref>。この試合がデラホーヤのラストファイトとなった。 |
||
89行目: | 138行目: | ||
[[2009年]]4月14日、体力の衰えなどから現役引退を表明<ref>[https://www.afpbb.com/articles/-/2592603?pid=4026370 元6階級王者デラホーヤが現役引退を発表] 「AFPBB News」 2009年4月15日</ref>。 |
[[2009年]]4月14日、体力の衰えなどから現役引退を表明<ref>[https://www.afpbb.com/articles/-/2592603?pid=4026370 元6階級王者デラホーヤが現役引退を発表] 「AFPBB News」 2009年4月15日</ref>。 |
||
===== 引退後 ===== |
|||
[[2011年]]4月8日に行われた[[ワールドプレミアムボクシング]]The REAL13 副題(東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ)ではVTRながら日本にエールを送った<ref>[https://www.nikkansports.com/battle/news/p-bt-tp0-20110409-758764.html パッキャオとデラホーヤ氏「頑張れ日本」] 日刊スポーツ 2011年4月9日</ref>。 |
|||
[[2011年]]4月8日に行われた[[ワールドプレミアムボクシング]]The REAL13 副題(東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ)ではVTRながら日本にエールを送った<ref>[http://www.nikkansports.com/battle/news/p-bt-tp0-20110409-758764.html パッキャオとデラホーヤ氏「頑張れ日本」] 日刊スポーツ 2011年4月9日</ref>。 |
|||
2011年8月30日、近年自身が重度の薬物(コカイン)、アルコール依存であることを発表し5月21日からリハビリ施設に入っていることを公表した。飲酒は幼少期の9歳頃から行い、試合前に恐怖心を紛らわすために飲酒をエスカレートさせていったとしている。引退試合となったパッキャオ戦でも体力の衰えもあり「勝てるわけがない」と思って飲酒と薬物に手を出していたという<ref>[ |
2011年8月30日、近年自身が重度の薬物(コカイン)、アルコール依存であることを発表し5月21日からリハビリ施設に入っていることを公表した。飲酒は幼少期の9歳頃から行い、試合前に恐怖心を紛らわすために飲酒をエスカレートさせていったとしている。引退試合となったパッキャオ戦でも体力の衰えもあり「勝てるわけがない」と思って飲酒と薬物に手を出していたという<ref>[http://www.nikkansports.com/battle/news/f-bt-tp0-20110831-828380.html 薬と酒で「自殺も考えた」デラホーヤ氏] 日刊スポーツ 2011年8月31日</ref><ref>{{cite web|url= http://www.ninomiyasports.com/sc/modules/bulletin/article.php?storyid=3870 |title= 杉浦大介「NY摩天楼通信」 : 第203回 オスカー・デラホーヤ、衝撃の告白 |publisher= スポーツコミュニケーションズ |date= 2011-09-02 |accessdate= 2013-09-14}}</ref>。その後のインタビューで薬物、アルコール依存症が辛く自殺を考えたこと、浮気をしており一時期妻と別居していたことを語っている<ref>{{cite web|url= http://sports.yahoo.com/box/blog/box_experts/post/De-La-Hoya-talks-suicide-drugs-and-hitting-rock?urn=box-wp617 |title= De La Hoya talks suicide, drugs and hitting rock bottom during Univision interview |publisher= Yahoo.Sports.com |date= 2011-08-31 |accessdate= 2013-09-14}}</ref>。 |
||
2011年9月上旬、薬物とアルコール依存を告白したのに続き「もう嘘はつきたくない、あれは自分だった」と、2007年に流出した自身が女性下着を着用した写真が本物であったことを認め、当時はコカインとアルコールの飲用で気分が高揚した状況下にあったと弁明した<ref>{{ |
2011年9月上旬、薬物とアルコール依存を告白したのに続き「もう嘘はつきたくない、あれは自分だった」と、2007年に流出した自身が女性下着を着用した写真が本物であったことを認め、当時はコカインとアルコールの飲用で気分が高揚した状況下にあったと弁明した<ref>{{cite web|url= http://maash.jp/archives/9703 |title= 「あれは自分だった」4年前のフォトスキャンダルについてデラホーヤ告白 |publisher= マーシュ |date= 2011-09-02 |accessdate= 2013-09-14}}</ref><ref>{{cite web|url= http://www.j-cast.com/tv/s/2011/09/07106444.html |title= 不世出のボクサー・デラホーヤ「あの女装姿はオレ」 |publisher= J-Cast.com |date= 2011-09-07 |accessdate= 2013-09-14}}</ref><ref>{{cite web|url= http://nypost.com/2011/11/10/oscar-de-la-hoya-threw-kinky-coke-fueled-sex-party-suit/ |title= Oscar De La Hoya threw kinky, coke-fueled sex party: suit |publisher= New York Post |date= 2011-11-10 |accessdate= 2013-09-14}}</ref>。 |
||
[[2013年]]9月10日、自身の[[ゴールデンボーイ・プロモーションズ]]が主催する[[フロイド・メイウェザー・ジュニア]]vs[[サウル・アルバレス]]のプロモーション活動を精力的にこなしていた矢先、試合4日前に緊急でリハビリ施設へ入り療養に専念することが発表された<ref>{{cite web|url= https://sports.yahoo.com/blogs/boxing/oscar-la-hoya-relapsed-admitted-himself-rehab-facility-185415064--box.html |title= Oscar De La Hoya has relapsed, admitted himself into a rehab facility |publisher= Yahoo.Sports.com |date= 2013-09-10 |accessdate= 2013-09-14}}</ref>。 |
[[2013年]]9月10日、自身の[[ゴールデンボーイ・プロモーションズ]]が主催する[[フロイド・メイウェザー・ジュニア]]vs[[サウル・アルバレス]]のプロモーション活動を精力的にこなしていた矢先、試合4日前に緊急でリハビリ施設へ入り療養に専念することが発表された<ref>{{cite web|url= https://sports.yahoo.com/blogs/boxing/oscar-la-hoya-relapsed-admitted-himself-rehab-facility-185415064--box.html |title= Oscar De La Hoya has relapsed, admitted himself into a rehab facility |publisher= Yahoo.Sports.com |date= 2013-09-10 |accessdate= 2013-09-14}}</ref>。 |
||
[[2015年]]6月29日、現役復帰について五分五分であると復帰する考えがあることを一旦は公表するが、家族と話し合い自分を見つめ直した結果、現役復帰を断念したことを発表した<ref>{{ |
[[2015年]]6月29日、現役復帰について五分五分であると復帰する考えがあることを一旦は公表するが、家族と話し合い自分を見つめ直した結果、現役復帰を断念したことを発表した<ref>{{cite web|url= http://www.afpbb.com/articles/-/3053199 |title= デラホーヤ氏、42歳での現役復帰を断念 |publisher= AFPBB News |date= 2015-6-30 |accessdate= 2015-7-6}}</ref>。 |
||
[[2017年]]1月25日、ロサンゼルスで飲酒運転で逮捕された<ref>{{ |
[[2017年]]1月25日、ロサンゼルスで飲酒運転で逮捕された<ref>{{cite web|url= http://www.afpbb.com/articles/-/3115468 |title= ボクシング元世界王者デラホーヤ氏を逮捕、飲酒運転容疑で |publisher= AFPBB News |date= 2016-01-26 |accessdate= 2017-02-04}}</ref><ref>{{cite web|url= http://www.espn.com/boxing/story/_/id/18553506/oscar-de-la-hoya-arrested-suspicion-drunken-driving-california |title= Oscar De La Hoya arrested on suspicion of drunken driving |publisher= ESPN.com |date= 2016-01-26 |accessdate= 2017-02-04}}</ref>。 |
||
2017年11月15日、現役復帰をして総合格闘技[[UFC]]の[[コナー・マクレガー]]と対戦するために5ヵ月間ひそかにトレーニングをしてきたと明かし、「ケージでは彼に破壊されるだろうから、リングでやろう。マクレガーを2ラウンドでKOできる」と対戦表明をした<ref>{{ |
2017年11月15日、現役復帰をして総合格闘技[[UFC]]の[[コナー・マクレガー]]と対戦するために5ヵ月間ひそかにトレーニングをしてきたと明かし、「ケージでは彼に破壊されるだろうから、リングでやろう。マクレガーを2ラウンドでKOできる」と対戦表明をした<ref>{{cite web|url= http://efight.jp/news-20171115_272416 |title= 【ボクシング】44歳デ・ラ・ホーヤが「マクレガーを2RでKO」宣言、復帰に向けて特訓も |publisher= |date= 2017-11-15 |accessdate= 2017-11-18}}</ref><ref>{{cite web|url= http://www.espn.com/boxing/story/_/id/21404130/oscar-de-la-hoya-teases-possible-unretirement-calls-conor-mcgregor |title= Oscar De La Hoya: 'Can take out Conor McGregor in two rounds' |publisher= ESPN.com |date= 2017-11-15 |accessdate= 2017-11-18}}</ref>。 |
||
[[2019年]]2月27日、ゴールデンボーイ・プロモーションズの契約選手である[[ライアン・ガルシア]]に頻繁に接触したり、公の場で[[ガーボンタ・デービス]]との対戦オファーを出すなどしていた[[フロイド・メイウェザー・ジュニア]]に対し、デ・ラ・ホーヤは、それらの行為は違法行為だと通告し今後はガルシアに接触しないよう警告する法的文書を送付した<ref>{{cite web|url= https://www.boxingscene.com/de-la-hoya-sends-legal-letter-mayweather-over-ryan-garcia--136618 |title= De La Hoya Sends Legal Letter To Mayweather Over Ryan Garcia |publisher= Boxing Scene.com |date= 2019年2月27日 |accessdate= 2020年6月28日}}</ref><ref>{{cite web|url= https://www.boxingscene.com/de-la-hoya-explains-legal-threat-mayweather-over-ryan-garcia--136632 |title= De La Hoya Explains Legal Threat To Mayweather Over Ryan Garcia |publisher= Boxing Scene.com |date= 2019年2月27日 |accessdate= 2020年6月28日}}</ref>。 |
[[2019年]]2月27日、ゴールデンボーイ・プロモーションズの契約選手である[[ライアン・ガルシア]]に頻繁に接触したり、公の場で[[ガーボンタ・デービス]]との対戦オファーを出すなどしていた[[フロイド・メイウェザー・ジュニア]]に対し、デ・ラ・ホーヤは、それらの行為は違法行為だと通告し今後はガルシアに接触しないよう警告する法的文書を送付した<ref>{{cite web|url= https://www.boxingscene.com/de-la-hoya-sends-legal-letter-mayweather-over-ryan-garcia--136618 |title= De La Hoya Sends Legal Letter To Mayweather Over Ryan Garcia |publisher= Boxing Scene.com |date= 2019年2月27日 |accessdate= 2020年6月28日}}</ref><ref>{{cite web|url= https://www.boxingscene.com/de-la-hoya-explains-legal-threat-mayweather-over-ryan-garcia--136632 |title= De La Hoya Explains Legal Threat To Mayweather Over Ryan Garcia |publisher= Boxing Scene.com |date= 2019年2月27日 |accessdate= 2020年6月28日}}</ref>。 |
||
[[2020年]]5月5日、CBS Sportsのポッドキャストで「マクレガーを2ラウンドでKOできる。オクタゴンの彼は大好きだし、尊敬もしている。彼の試合はいつも見るよ。でもボクシングは全く別の世界だ」とコナー・マクレガーを挑発すると<ref>{{ |
[[2020年]]5月5日、CBS Sportsのポッドキャストで「マクレガーを2ラウンドでKOできる。オクタゴンの彼は大好きだし、尊敬もしている。彼の試合はいつも見るよ。でもボクシングは全く別の世界だ」とコナー・マクレガーを挑発すると<ref>{{cite web|url= https://news.yahoo.co.jp/byline/kiyoshimio/20200508-00177565 |title= UFCのコナー・マクレガーが伝説のボクサー、オスカー・デ・ラ・ホーヤの挑発に応戦 |publisher= 三尾圭 |date= 2020年5月8日 |accessdate= 2020年8月29日}}</ref>、マクレガーがツイッターで「俺はあなたの挑戦を受ける。オスカー・デ・ラ・ホーヤ」と応じるも、デ・ラ・ホーヤは「はっきりさせておくが、マクレガー。私はあなたに挑戦したことは決して無い。私は単に質問に対して本当のことを話しただけだ」とツイッターで返答し<ref>{{cite web|url= https://www.espn.com/boxing/story/_/id/29147756/oscar-de-la-hoya-takes-aim-conor-mcgregor-says-knock-two-rounds |title= Oscar De La Hoya takes aim at Conor McGregor, says he'd knock him out in 'two rounds' |publisher= ESPN.com |date= 2020年5月8日 |accessdate= 2020年5月13日}}</ref><ref>{{cite web|url= https://www.boxingscene.com/de-la-hoya-says-hed-only-2-rounds-knock-out-mcgregor-boxing-match--148680 |title= De La Hoya Says He'd Need Only 2 Rounds To Knock Out McGregor In Boxing Match |publisher= Boxing Scene.com |date= 2020年5月4日 |accessdate= 2020年5月13日}}</ref>、さらに立て続けに、デ・ラ・ホーヤが2017年のフロイド・メイウェザー・ジュニアvsコナー・マクレガーを批判して以来因縁が有るUFC代表[[ダナ・ホワイト]]へも唐突に「おまえはクソガキだ、ボクシングエアロビクスの先生だった時以外でボクシンググローブを着けたことないだろ。おまえは運良くUFCの10%を持てただけじゃないか」とツイッターで挑発した<ref>{{cite web|url= https://www.badlefthook.com/2020/5/8/21252742/oscar-de-la-hoya-tirade-aimed-ufc-president-dana-white-tweet-conor-mcgregor-boxing |title= Oscar De La Hoya goes on tirade aimed at UFC President Dana White |publisher= Bad Left Hook |date= 2020年5月8日 |accessdate= 2020年5月13日}}</ref><ref>{{cite web|url= https://www.boxingscene.com/de-la-hoya-calls-dana-white-little-bitch-reacts-mcgregor--148762 |title= De La Hoya Calls Dana White a 'Little Bitch,' Reacts To McGregor |publisher= Boxing Scene.com |date= 2020年5月8日 |accessdate= 2020年5月13日}}</ref>。 |
||
2020年6月23日、エキシビションでの復帰を宣言した[[マイク・タイソン]]に触発される形で、「まずタイソンの復帰戦の動きを見てから決定したい」と、エキシビションではなく公式戦での現役復帰を真剣に検討していると表明した<ref>{{cite web|url= https://www.boxingscene.com/de-la-hoya-on-possible-comeback-im-really-considering-it--149712 |title= De La Hoya on Possible Comeback: I'm Really Considering It! |publisher= Boxing Scene.com |date= 2020年6月23日 |accessdate= 2020年6月24日}}</ref>。 |
2020年6月23日、エキシビションでの復帰を宣言した[[マイク・タイソン]]に触発される形で、「まずタイソンの復帰戦の動きを見てから決定したい」と、エキシビションではなく公式戦での現役復帰を真剣に検討していると表明した<ref>{{cite web|url= https://www.boxingscene.com/de-la-hoya-on-possible-comeback-im-really-considering-it--149712 |title= De La Hoya on Possible Comeback: I'm Really Considering It! |publisher= Boxing Scene.com |date= 2020年6月23日 |accessdate= 2020年6月24日}}</ref>。 |
||
=== 現役復帰 === |
=== 現役復帰 === |
||
2020年8月19日、デ・ラ・ホーヤが「本当の戦いをする。ボクシングが好きで、リングが恋しい。今があるのはボクシングのおかげ。今はそれを失っている」と、現役復帰を表明<ref>{{ |
2020年8月19日、デ・ラ・ホーヤが「本当の戦いをする。ボクシングが好きで、リングが恋しい。今があるのはボクシングのおかげ。今はそれを失っている」と、現役復帰を表明<ref>{{cite web|url= https://www.nikkansports.com/battle/news/202008200000175.html |title= 47歳デラホーヤ氏が現役復帰表明「リング恋しい」 |publisher= 日刊スポーツ |date= 2020年8月20日 |accessdate= 2020年8月29日}}</ref><ref>{{cite web|url= https://www.reuters.com/article/instant-article/idJPKBN25G2TH |title= 6階級制覇デラホーヤ氏、47歳で現役復帰 |publisher= ロイター |date= 2021年8月21日 |accessdate= 2021年5月20日}}</ref><ref>{{cite web|url= https://www.boxingscene.com/de-la-hoya-comeback-rumors-true-ill-start-training-next-few-weeks--151069 |title= De La Hoya: Comeback Rumors Are True; I'll Start Training In Next Few Weeks |publisher= Boxing Scene.com |date= 2020年8月19日 |accessdate= 2020年8月29日}}</ref><ref>{{cite web|url= https://www.boxingscene.com/dana-white-on-de-la-hoya-ring-return-cocaine-not-cheap--151182 |title= Dana White on De La Hoya's Ring Return: Cocaine is Not Cheap |publisher= Boxing Scene.com |date= 2020年8月23日 |accessdate= 2020年8月29日}}</ref>。現役選手を「15~20年前のレベルにはない。金を求め過ぎ」と批判し、「私は栄光のために闘う」「トップの選手なら誰とでも」と対戦を希望した<ref>{{cite web|url= https://www.sponichi.co.jp/battle/news/2020/08/21/kiji/20200821s00021000009000c.html |title= 47歳デラホーヤ氏 現役復帰を表明!史上初6階級制覇王者、08年引退のスーパースター |publisher= スポニチ |date= 2020年8月20日 |accessdate= 2021年5月20日}}</ref>。 |
||
2020年12月、デ・ラ・ホーヤが「私にとって[[ゲンナジー・ゴロフキン]]がどれほど楽な相手かわかるだろ。彼みたいなタイプの選手に対していつもうまく戦ってきたし、常に勝ってきたからね。自分の中ではそれくらい楽な相手だ」と語ったことに対して、ゴロフキンが「自分がどれだけ汚い口をきいているか分かっているのか、オスカー。やつが何をしゃべろうと勝手だが、こちらも言わせてもらう。リングの上で合法的に人を殺すチャンスがあったら、俺はその機会を活用する」と激怒した<ref>{{ |
2020年12月、デ・ラ・ホーヤが「私にとって[[ゲンナジー・ゴロフキン]]がどれほど楽な相手かわかるだろ。彼みたいなタイプの選手に対していつもうまく戦ってきたし、常に勝ってきたからね。自分の中ではそれくらい楽な相手だ」と語ったことに対して、ゴロフキンが「自分がどれだけ汚い口をきいているか分かっているのか、オスカー。やつが何をしゃべろうと勝手だが、こちらも言わせてもらう。リングの上で合法的に人を殺すチャンスがあったら、俺はその機会を活用する」と激怒した<ref>{{cite web|url= https://www.afpbb.com/articles/-/3321628 |title= ゴロフキン、デラホーヤ氏の対戦希望を一蹴 |publisher= AFPBB News |date= 2020年12月16日 |accessdate= 2021年1月28日}}</ref><ref>{{cite web|url= https://www.boxingscene.com/golovkin-warns-de-la-hoya-he-risk-his-life-if-they-fight--154079 |title= Golovkin Warns De La Hoya That He Would Risk His Life if They Fight |publisher= Boxing Scene.com |date= 2020年12月15日 |accessdate= 2021年1月28日}}</ref>。 |
||
2021年3月26日、動画投稿[[モバイルアプリケーション|アプリケーション]]会社「[[Triller (アプリケーション)|Triller]]」が主催する[[ジェイク・ポール]] vs [[ベン・アスクレン]]の試合記者会見でサプライズでステージに登場し、「7月3日、私は現役復帰します」と、Trillerが7月3日に主催する[[ペイ・パー・ビュー]]興行で現役復帰すると発表した<ref>{{cite web|url= https://www.boxingscene.com/oscar-de-la-hoya-headline-july-3-triller-fight-club-pay-per-view-event--156435 |title= Oscar De La Hoya To Headline July 3 Triller Fight Club Pay-Per-View Event |publisher= Boxing Scene.com |date= 2021年3月26日 |accessdate= 2021年3月26日}}</ref>。 |
2021年3月26日、動画投稿[[モバイルアプリケーション|アプリケーション]]会社「[[Triller (アプリケーション)|Triller]]」が主催する[[ジェイク・ポール]] vs [[ベン・アスクレン]]の試合記者会見でサプライズでステージに登場し、「7月3日、私は現役復帰します」と、Trillerが7月3日に主催する[[ペイ・パー・ビュー]]興行で現役復帰すると発表した<ref>{{cite web|url= https://www.boxingscene.com/oscar-de-la-hoya-headline-july-3-triller-fight-club-pay-per-view-event--156435 |title= Oscar De La Hoya To Headline July 3 Triller Fight Club Pay-Per-View Event |publisher= Boxing Scene.com |date= 2021年3月26日 |accessdate= 2021年3月26日}}</ref>。 |
||
120行目: | 170行目: | ||
2021年5月13日、元UFCのスター選手[[ジョルジュ・サンピエール]]との対戦を目指していたが、ダナ・ホワイトがサンピエールにデ・ラ・ホーヤとの対戦許可を出さなかったことで交渉が頓挫し、元UFC選手の[[エディ・アルバレス]]にも対戦を断られたことで<ref>{{cite web|url= https://www.mmafighting.com/2021/4/27/22405190/eddie-alvarez-lost-interest-oscar-de-la-hoya-triller-event-its-boxing-its-not-a-fight-mma-is-a-fight |title= Eddie Alvarez lost interest in facing Oscar De La Hoya after watching Triller event: ‘It’s boxing. It’s not a fight. MMA is a fight’ |publisher= MMA Fighting |date= 2021年4月27日 |accessdate= 2021年7月3日}}</ref>、デ・ラ・ホーヤの復帰戦が7月3日から9月に延期になったことをTrillerが発表した<ref>{{cite web|url= https://www.boxingscene.com/de-la-hoya-return-pushed-september-holyfield-mcbride-august--157607 |title= De La Hoya Return Pushed To September, Holyfield-McBride in August |publisher= Boxing Scene.com |date= 2021年5月13日 |accessdate= 2021年5月14日}}</ref>。 |
2021年5月13日、元UFCのスター選手[[ジョルジュ・サンピエール]]との対戦を目指していたが、ダナ・ホワイトがサンピエールにデ・ラ・ホーヤとの対戦許可を出さなかったことで交渉が頓挫し、元UFC選手の[[エディ・アルバレス]]にも対戦を断られたことで<ref>{{cite web|url= https://www.mmafighting.com/2021/4/27/22405190/eddie-alvarez-lost-interest-oscar-de-la-hoya-triller-event-its-boxing-its-not-a-fight-mma-is-a-fight |title= Eddie Alvarez lost interest in facing Oscar De La Hoya after watching Triller event: ‘It’s boxing. It’s not a fight. MMA is a fight’ |publisher= MMA Fighting |date= 2021年4月27日 |accessdate= 2021年7月3日}}</ref>、デ・ラ・ホーヤの復帰戦が7月3日から9月に延期になったことをTrillerが発表した<ref>{{cite web|url= https://www.boxingscene.com/de-la-hoya-return-pushed-september-holyfield-mcbride-august--157607 |title= De La Hoya Return Pushed To September, Holyfield-McBride in August |publisher= Boxing Scene.com |date= 2021年5月13日 |accessdate= 2021年5月14日}}</ref>。 |
||
2021年6月9日、ゴールデンボーイ・プロモーションズの子会社として新たなプロモーション「KOエンターテインメント」を設立して、実験的な試みの格闘技興行「バリーズ・ファイト・ナイト」を開始した。テレビ画面内にテレビゲームの[[ストリートファイター (ゲーム)|ストリートファイター]]や[[鉄拳シリーズ|鉄拳]]などの[[対戦型格闘ゲーム]]で存在する「体力ゲージ」を表示させ、選手のグローブ内にセンサーを挿入して、グローブが相手にヒットした際の強弱で体力ゲージが100%から減っていく初心者にも選手のダメージが視覚的にわかり易い仕組みを構築して、ボクシングと総合格闘技の試合を行った<ref>{{ |
2021年6月9日、ゴールデンボーイ・プロモーションズの子会社として新たなプロモーション「KOエンターテインメント」を設立して、実験的な試みの格闘技興行「バリーズ・ファイト・ナイト」を開始した。テレビ画面内にテレビゲームの[[ストリートファイター (ゲーム)|ストリートファイター]]や[[鉄拳シリーズ|鉄拳]]などの[[対戦型格闘ゲーム]]で存在する「体力ゲージ」を表示させ、選手のグローブ内にセンサーを挿入して、グローブが相手にヒットした際の強弱で体力ゲージが100%から減っていく初心者にも選手のダメージが視覚的にわかり易い仕組みを構築して、ボクシングと総合格闘技の試合を行った<ref>{{cite web|url= https://www.sportingnews.com/jp/%E3%83%9C%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%B0/news/%E3%83%87%E3%83%A9%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A4%E3%81%8C%E7%8F%BE%E5%AE%9F%E3%81%AE%E3%83%9C%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%B0mma%E3%82%92%E6%A0%BC%E9%97%98%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0%E5%8C%96-%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%96%E3%83%AB%E7%AB%AF%E6%9C%AB%E8%A3%85%E7%9D%80%E3%81%A7%E8%A9%A6%E5%90%88%E3%82%92%E3%83%87%E3%83%BC%E3%82%BF%E5%8C%96/pf4paym6pl7k102dkrtwyrvt9 |title= デラホーヤが現実のボクシング・MMAを格闘ゲーム化? ウェアラブル端末装着で試合をデータ化 |publisher= スポーティングニュース |date= 2021年6月10日 |accessdate= 2021年6月10日}}</ref><ref>{{cite web|url= https://nyfights.com/announcements/oscar-de-la-hoya-project-aims-at-gamification-of-combat-sport/ |title= Oscar De La Hoya Project Aims At Gamification of Combat Sports |publisher= NYFights |date= 2021年6月9日 |accessdate= 2021年6月10日}}</ref>。 |
||
2021年6月17日、元UFC選手の[[ビクトー・ベウフォート]]と9月11日に対戦することが発表された<ref>{{cite web|url= https://www.boxingscene.com/oscar-de-la-hoya-box-former-ufc-star-vitor-belfort-ppv-exhibition-september-11--158465 |title= Oscar De La Hoya To Box Former UFC Star Vitor Belfort In PPV Exhibition September 11 |publisher= Boxing Scene.com |date= 2021年6月17日 |accessdate= 2021年7月3日}}</ref>。 |
2021年6月17日、元UFC選手の[[ビクトー・ベウフォート]]と9月11日に対戦することが発表された<ref>{{cite web|url= https://www.boxingscene.com/oscar-de-la-hoya-box-former-ufc-star-vitor-belfort-ppv-exhibition-september-11--158465 |title= Oscar De La Hoya To Box Former UFC Star Vitor Belfort In PPV Exhibition September 11 |publisher= Boxing Scene.com |date= 2021年6月17日 |accessdate= 2021年7月3日}}</ref>。 |
||
2021年9月4日、デ・ラ・ホーヤが自身のツイッターで新型コロナウイルスに感染したことを報告、ビクトー・ベウフォートと対戦することになっていた9月11日の現役復帰戦が延期となった<ref>{{ |
2021年9月4日、デ・ラ・ホーヤが自身のツイッターで新型コロナウイルスに感染したことを報告、ビクトー・ベウフォートと対戦することになっていた9月11日の現役復帰戦が延期となった<ref>{{cite web|url= https://www.nikkansports.com/battle/news/202109040000112.html |title= デラホーヤ、ワクチン接種もコロナ感染 11日の現役復帰戦は延期 |publisher= 日刊スポーツ |date= 2021年9月4日 |accessdate= 2021年9月16日}}</ref>。 |
||
2023年1月、別居から6年以上たっていた妻のミリー・コレチャーと正式に離婚した<ref>{{cite web|url= https://www.tmz.com/2023/01/06/oscar-de-la-hoya-files-for-divorce-from-wife-millie-corretjer/ |title= OSCAR DE LA HOYA OFFICIALLY FILES FOR DIVORCE FROM WIFE... Over Six Years After Split |publisher= TMZ |date= 2023年1月6日 |accessdate= 2023年2月19日}}</ref><ref>{{cite web|url= https://www.dailymail.co.uk/sport/boxing/article-11608599/Oscar-La-Hoya-files-divorce-wife-Millie-Corretjer-six-years-split.html |title= Oscar De La Hoya files for divorce from wife over six years since the couple split with the boxing legend looking for joint custody of their three children amid his new relationship with glamorous girlfriend Holly Sonders |publisher= Mail |date= 2023年1月7日 |accessdate= 2023年2月19日}}</ref>。 |
|||
=== 訴訟歴など === |
=== 訴訟歴など === |
||
デ・ラ・ホーヤは1996年6月に当時15歳だった女の子をホテルに連れ込み強姦したとして1998年11月に告訴されていた<ref>{{cite web|url= http://www.nytimes.com/1998/11/26/sports/plus-boxing-de-la-hoya-accused-of-rape.html |title= BOXING; DE LA HOYA ACCUSED OF RAPE |publisher= The New York Times |date= 1998-11-26 |accessdate= 2013-09-14}}</ref>。この件はその後2001年に示談となり解決している<ref>{{cite web|url= https://web.archive.org/web/20100819132842/http://www.forbes.com/business/free_forbes/2004/0426/120.html |title= Oscar De La Hoya has found a new way to score knockouts--by promoting fights himself. |publisher= Forbes.com |date= 2004-04-26 |accessdate= 2013-09-14}}</ref>。 |
デ・ラ・ホーヤは1996年6月に当時15歳だった女の子をホテルに連れ込み強姦したとして1998年11月に告訴されていた<ref>{{cite web|url= http://www.nytimes.com/1998/11/26/sports/plus-boxing-de-la-hoya-accused-of-rape.html |title= BOXING; DE LA HOYA ACCUSED OF RAPE |publisher= The New York Times |date= 1998-11-26 |accessdate= 2013-09-14}}</ref>。この件はその後2001年に示談となり解決している<ref>{{cite web|url= https://web.archive.org/web/20100819132842/http://www.forbes.com/business/free_forbes/2004/0426/120.html |title= Oscar De La Hoya has found a new way to score knockouts--by promoting fights himself. |publisher= Forbes.com |date= 2004-04-26 |accessdate= 2013-09-14}}</ref>。 |
||
2007年9月~12月、デ・ラ・ホーヤが赤いハイヒールを履き、全身網タイツなど女性もの下着を着用した写真が数枚ネット上に流出する。この写真を撮影したとされるストリッパーの女性がデラホーヤから写真を公開しないよう強制され精神的苦痛を受けたとして総額1億ドル(110億円)の損害賠償請求裁判を起こす。デラホーヤは写真はデジタル加工された偽物であるとしていた<ref>{{ |
2007年9月~12月、デ・ラ・ホーヤが赤いハイヒールを履き、全身網タイツなど女性もの下着を着用した写真が数枚ネット上に流出する。この写真を撮影したとされるストリッパーの女性がデラホーヤから写真を公開しないよう強制され精神的苦痛を受けたとして総額1億ドル(110億円)の損害賠償請求裁判を起こす。デラホーヤは写真はデジタル加工された偽物であるとしていた<ref>{{cite web|url= http://www.nikkansports.com/battle/p-bt-tp0-20071117-284066.html |title= デラホーヤが総額110億円訴えられた |publisher= 日刊スポーツ.com |date= 2007-11-17 |accessdate= 2013-09-14}}</ref><ref>{{cite web|url= https://www.afpbb.com/articles/-/2352557?pid=2649818 |title= ボクサー、オスカー・デラホーヤの写真問題 Milana Dravnelさんが裁判所に登場 |publisher= AFP |date= 2008-02-18 |accessdate= 2013-09-14}}</ref><ref>{{cite web|url= http://www.nydailynews.com/entertainment/gossip/pix-fixed-stripper-drops-oscar-de-la-hoya-suit-article-1.293181 |title= Pix fixed, so stripper drops Oscar De La Hoya suit |publisher= Dally News |date= 2008-06-09 |accessdate= 2013-09-14}}</ref>。 |
||
2020年9月8日、ゴールデンボーイ・プロモーションズ所属選手の[[サウル・アルバレス]]から、契約違反や詐欺、隠蔽等があったとして、ゴールデンボーイ・プロモーションズと共に、2億8千万ドル(約300億円)の損害賠償請求と契約解除を求める訴訟を起こされた<ref>{{cite web|url= https://theathletic.com/2035943/2020/09/02/sources-canelo-alvarez-dazn-remain-deadlocked-over-35m-2020-fight-in-doubt/ |title= Sources: Canelo Alvarez, DAZN remain deadlocked over $35M; 2020 fight in doubt |publisher= The Athletic |date= 2020年9月2日 |accessdate= 2020年10月18日}}</ref><ref>{{cite web|url= https://www.espn.com/boxing/story/_/id/29842347 |title= Canelo Alvarez files suit vs. Golden Boy, Oscar De La Hoya, DAZN over record deal |publisher= ESPN |date= 2020年9月9日 |accessdate= 2020年10月18日}}</ref><ref>{{cite web|url= https://theathletic.com/2053804/2020/09/09/canelo-alvarez-sues-oscar-de-la-hoya-dazn-alleging-breach-of-contract/ |title= Canelo Alvarez sues Oscar De La Hoya, DAZN, alleging breach of contract |publisher= The Athletic |date= 2020年9月8日 |accessdate= 2020年10月18日}}</ref><ref>{{ |
2020年9月8日、ゴールデンボーイ・プロモーションズ所属選手の[[サウル・アルバレス]]から、契約違反や詐欺、隠蔽等があったとして、ゴールデンボーイ・プロモーションズと共に、2億8千万ドル(約300億円)の損害賠償請求と契約解除を求める訴訟を起こされた<ref>{{cite web|url= https://theathletic.com/2035943/2020/09/02/sources-canelo-alvarez-dazn-remain-deadlocked-over-35m-2020-fight-in-doubt/ |title= Sources: Canelo Alvarez, DAZN remain deadlocked over $35M; 2020 fight in doubt |publisher= The Athletic |date= 2020年9月2日 |accessdate= 2020年10月18日}}</ref><ref>{{cite web|url= https://www.espn.com/boxing/story/_/id/29842347 |title= Canelo Alvarez files suit vs. Golden Boy, Oscar De La Hoya, DAZN over record deal |publisher= ESPN |date= 2020年9月9日 |accessdate= 2020年10月18日}}</ref><ref>{{cite web|url= https://theathletic.com/2053804/2020/09/09/canelo-alvarez-sues-oscar-de-la-hoya-dazn-alleging-breach-of-contract/ |title= Canelo Alvarez sues Oscar De La Hoya, DAZN, alleging breach of contract |publisher= The Athletic |date= 2020年9月8日 |accessdate= 2020年10月18日}}</ref><ref>{{cite web|url= https://boxingnews.jp/news/77186/ |title= 現役最高峰カネロ GBPデラホーヤ氏とDAZN提訴 スーパー・スターの次戦はさらに迷走 |publisher= ボクシング・ニュース |date= 2020年9月10日 |accessdate= 2020年10月18日}}</ref><ref>{{cite web|url= https://sports.yahoo.com/making-the-rounds-canelo-alvarezs-case-vs-golden-boy-dazn-isnt-going-away-181859759.html |title= Making the Rounds: Stunning allegations in Canelo Alvarez's case vs. Oscar De La Hoya |publisher= Yahoo Sports |date= 2020年9月16日 |accessdate= 2020年10月18日}}</ref>。11月6日に交渉が合意に達して、アルバレスとの契約を解除した<ref>{{cite web|url= https://www.boxingscene.com/canelo-alvarez-now-free-agent-says-manager--153053 |title= Canelo Alvarez A Free Agent, Released from Golden Boy, DAZN Contracts |publisher= Boxing Scene.com |date= 2020年11月6日 |accessdate= 2020年12月3日}}</ref>。 |
||
2022年3月19日、[[ゲンナジー・ゴロフキン]]から、デ・ラ・ホーヤがプロモートした2018年9月に行われたサウル・アルバレス第2戦に関連しての未払い分があるとして、300万ドル(約3億9千万円)以上の損害賠償を求め提訴された<ref>{{cite web|url= https://www.boxingscene.com/golovkin-sues-golden-boy-promotions-least-3-million-owed-from-canelo-rematch--164881?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter |title= Golovkin Sues Golden Boy Promotions For At Least $3 Million Owed From Canelo Rematch |publisher= Boxing Scene.com |date= 2022年3月19日 |accessdate= 2022年6月16日}}</ref><ref>{{cite web|url= https://www.espn.com/boxing/story/_/id/33564480/middleweight-champ-gennadiy-golovkin-sues-golden-boy-promotions-minimum-3-million-says-owed-money-2018-alvarez-bout |title= Middleweight champ Gennadiy Golovkin sues Golden Boy Promotions for minimum $3 million, says he's still owed money from 2018 Alvarez bout |publisher= ESPN.com |date= 2022年3月21日 |accessdate= 2022年6月16日}}</ref>。 |
2022年3月19日、[[ゲンナジー・ゴロフキン]]から、デ・ラ・ホーヤがプロモートした2018年9月に行われたサウル・アルバレス第2戦に関連しての未払い分があるとして、300万ドル(約3億9千万円)以上の損害賠償を求め提訴された<ref>{{cite web|url= https://www.boxingscene.com/golovkin-sues-golden-boy-promotions-least-3-million-owed-from-canelo-rematch--164881?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter |title= Golovkin Sues Golden Boy Promotions For At Least $3 Million Owed From Canelo Rematch |publisher= Boxing Scene.com |date= 2022年3月19日 |accessdate= 2022年6月16日}}</ref><ref>{{cite web|url= https://www.espn.com/boxing/story/_/id/33564480/middleweight-champ-gennadiy-golovkin-sues-golden-boy-promotions-minimum-3-million-says-owed-money-2018-alvarez-bout |title= Middleweight champ Gennadiy Golovkin sues Golden Boy Promotions for minimum $3 million, says he's still owed money from 2018 Alvarez bout |publisher= ESPN.com |date= 2022年3月21日 |accessdate= 2022年6月16日}}</ref>。 |
||
139行目: | 187行目: | ||
== エピソード == |
== エピソード == |
||
* 2021年9月1日、[[ロサンゼルス・タイムズ]]でのインタビューで、自身が13歳の時に35歳ぐらいの中年女性に[[強姦]]され童貞を喪失し、そのことが一時期トラウマとなっていたことを告白した<ref>{{cite web|url= https://nypost.com/2021/09/01/oscar-de-la-hoya-says-he-was-raped-at-13-by-an-older-woman/ |title= Oscar De La Hoya says he was ‘raped at 13’ by an ‘older woman’ |publisher= ニューヨーク・ポスト |date= 2021年9月1日 |accessdate= 2021年10月24日}}</ref>。 |
* 2021年9月1日、[[ロサンゼルス・タイムズ]]でのインタビューで、自身が13歳の時に35歳ぐらいの中年女性に[[強姦]]され童貞を喪失し、そのことが一時期トラウマとなっていたことを告白した<ref>{{cite web|url= https://nypost.com/2021/09/01/oscar-de-la-hoya-says-he-was-raped-at-13-by-an-older-woman/ |title= Oscar De La Hoya says he was ‘raped at 13’ by an ‘older woman’ |publisher= ニューヨーク・ポスト |date= 2021年9月1日 |accessdate= 2021年10月24日}}</ref>。 |
||
* 自身が女性下着を着用した写真が流出したことについて、後のインタビューで、流出を止めるために、写真を撮影したロシア系のストリッパーの女性に2000万ドルを払ったこと、[[ロシアン・マフィア]]にも金を払ったがその際にデ・ラ・ホーヤの弁護士が体に盗聴器を仕掛けていないことを証明するために屋上のプールに飛び込んだこと、流出後には写真は偽物であると言わせるために法医学者に金を払ったことなどを赤裸々に明かしている<ref>{{cite web|url= https://www.boxingscene.com/de-la-hoya-admits-paying-forensic-claim-crossdressing-photos-fake-recounts-paying-off-russian-mob--176360 |title= De La Hoya Admits To Paying Forensic To Claim Crossdressing Photos Were Fake, Recounts Paying Off ‘Russian Mob’ |publisher= Boxing Scene.com |date= 2023年7月23日 |accessdate= 2023年8月6日}}</ref>。 |
|||
=== 現役復帰に関するエピソード === |
==== 現役復帰に関するエピソード ==== |
||
* 2021年3月26日、デ・ラ・ホーヤは、[[Triller (アプリケーション)|Triller]]が7月3日に主催する興行で現役復帰すると発表した。現役復帰戦の対戦相手として、Trillerの親会社プロキシマメディアの最高経営責任者[[ライアン・カヴァノー]]は「UFCのビッグネーム」をターゲットにしていると明かしたが<ref>{{ |
* 2021年3月26日、デ・ラ・ホーヤは、[[Triller (アプリケーション)|Triller]]が7月3日に主催する興行で現役復帰すると発表した。現役復帰戦の対戦相手として、Trillerの親会社プロキシマメディアの最高経営責任者[[ライアン・カヴァノー]]は「UFCのビッグネーム」をターゲットにしていると明かしたが<ref>{{cite web|url= https://www.chunichi.co.jp/article/225784 |title= 48歳デラホーヤが7月に復帰戦!対戦相手は総合格闘技UFCのビッグネームをターゲット |publisher= 東京中日スポーツ |date= 2021年3月27日 |accessdate= 2021年3月29日}}</ref><ref>{{cite web|url= https://www.espn.com/boxing/story/_/id/31143034/oscar-de-la-hoya-make-return-ring-13-years-july-3 |title= Oscar De La Hoya to make return to ring after 13 years on July 3 |
||
|publisher= ESPN.com |date= 2021年3月27日 |accessdate= 2021年3月29日}}</ref>、UFC代表ダナ・ホワイトは、UFCの会見で記者からUFCの選手がデ・ラ・ホーヤと対戦することを許可するか質問を受けると、「くだらない。君たちは50歳の男がボクシングすることについて本当に話をして、報道するのかい?」と一蹴した<ref>{{cite web|url= https://heavy.com/sports/ufc/dana-white-getting-silly/ |title= Dana White Unimpressed: ‘This S*** Is Getting Silly’ |publisher= heaby. |date= |accessdate= 2021年3月29日}}</ref>。 |
|publisher= ESPN.com |date= 2021年3月27日 |accessdate= 2021年3月29日}}</ref>、UFC代表ダナ・ホワイトは、UFCの会見で記者からUFCの選手がデ・ラ・ホーヤと対戦することを許可するか質問を受けると、「くだらない。君たちは50歳の男がボクシングすることについて本当に話をして、報道するのかい?」と一蹴した<ref>{{cite web|url= https://heavy.com/sports/ufc/dana-white-getting-silly/ |title= Dana White Unimpressed: ‘This S*** Is Getting Silly’ |publisher= heaby. |date= |accessdate= 2021年3月29日}}</ref>。 |
||
* 2021年5月9日、デ・ラ・ホーヤが自身のInstagramに「この最悪に頭のおかしい野郎(ダナ・ホワイト)は[[ジョルジュ・サンピエール]]が私と最大の報酬を稼ぐのを妨げたんだ」と、ダナ・ホワイトが2019年2月に総合格闘技を引退した元UFCのスター選手ジョルジュ・サンピエールにデ・ラ・ホーヤと対戦する許可を出さなかったと投稿した<ref>{{cite web|url= https://www.youtube.com/watch?v=zyaRC_o7v7g |title= "F**K NUT" - DE LA HOYA SLAMS DANA WHITE FOR BLOCKING GEORGES ST-PIERRE BOXING SHOWDOWN |publisher= FightHype.com |date= 2021年5月9日 |accessdate= 2021年5月17日}}</ref><ref>{{cite web|url= https://www.bloodyelbow.com/2021/5/15/22437423/ufc-vetoed-a-georges-st-pierre-vs-oscar-de-la-hoya-boxing-match-costing-gsp-a-big-payday |title= UFC vetoed a Georges St-Pierre vs Oscar De La Hoya boxing match, costing GSP a ‘big payday’ |publisher= Bloody Elbow |date= 2021年5月15日 |accessdate= 2021年5月17日}}</ref>。ライアン・カヴァノーも「ダナ・ホワイトとUFCは、ジョルジュ・サンピエールがオスカー・デ・ラ・ホーヤと戦うのを阻止したんだ。対戦はサンピエールとオスカー両者の夢だったんだ。電話やメールをダナにしたのに、折り返しの電話さえ無いんだ」と投稿した<ref>{{cite web|url= https://www.instagram.com/p/COob_pCLo6v/ |title= #danawhite and#ufc just blocked @georgesstpierre from fighting @oscardelahoya . |publisher= ライアン・カヴァノー公式Instagram |date= 2021年5月9日 |accessdate= 2021年5月17日}}</ref><ref>{{cite web|url= https://www.boxingscene.com/triller-exec-dana-white-blocked-de-la-hoya-vs-st-pierre-ppv-fight--157687 |title= Triller Exec: Dana White Blocked De La Hoya vs. St-Pierre PPV Fight |publisher= Boxing Scene.com |date= 2021年5月16日 |accessdate= 2021年5月17日}}</ref><ref>{{cite web|url= https://mmajunkie.usatoday.com/2021/05/dana-white-blocked-georges-st-pierre-vs-oscar-de-la-hoya-triller-boxing-match |title= Dana White blocked Georges St-Pierre from boxing Oscar De La Hoya; Triller boss upset |publisher= MMA Junkie |date= 2021年5月15日 |accessdate= 2021年5月17日}}</ref>。2021年5月16日、ダナ・ホワイトがUFCの会見で「彼らの電話に出てさえいないよ。 この馬鹿者は毎日電話をかけてくるんだ。そっちはそっちで勝手にやって、こっちのことは放っておいてくれ」と語った<ref>{{cite web|url= https://www.boxingscene.com/dana-white-tears-apart-triller-de-la-hoya-they-full-sht--157756 |title= Dana White Tears Apart Triller and De La Hoya: They Are Full of Sh!t |publisher= Boxing Scene.com |date= 2021年5月19日 |accessdate= 2021年5月20日}}</ref><ref>{{cite web|url= https://mmajunkie.usatoday.com/2021/05/ufc-262-dana-white-triller-jake-paul-hounding-phone-calls |title= Dana White tells Triller executives to stop hounding him: 'This idiot calls me every day' |publisher= MMA Junkie |date= 2021年5月16日 |accessdate= 2021年5月17日}}</ref>。カヴァノーはこれに対して「ダナ・ホワイト、サンピエールに試合の許可を出してくれ。契約の成立にはあなたの承認を待っているだけなんだ」と投稿し<ref>{{cite web|url= https://www.instagram.com/p/CO8obkOrUfk/ |title= @danawhite let GSP fight. Deal is done pending only your approval. |publisher= ライアン・カヴァノーInstagramアカウント |date= 2021年5月16日 |accessdate= 2021年5月17日}}</ref>、デ・ラ・ホーヤも同様の投稿をした<ref>{{cite web|url= https://www.instagram.com/p/CO-iiFiBrI-/ |title= it is only #danawhite holding this up. |publisher= デ・ラ・ホーヤInstagramアカウント |date= 2021年5月16日 |accessdate= 2021年5月17日}}</ref><ref>{{cite web|url= https://www.boxingscene.com/georges-st-pierre-fighting-de-la-hoya-dream-come-true--157751 |title= Georges St-Pierre: Fighting De La Hoya Would Have Been a Dream Come True |publisher= Boxing Scene.com |date= 2021年5月19日 |accessdate= 2021年5月20日}}</ref>。 |
* 2021年5月9日、デ・ラ・ホーヤが自身のInstagramに「この最悪に頭のおかしい野郎(ダナ・ホワイト)は[[ジョルジュ・サンピエール]]が私と最大の報酬を稼ぐのを妨げたんだ」と、ダナ・ホワイトが2019年2月に総合格闘技を引退した元UFCのスター選手ジョルジュ・サンピエールにデ・ラ・ホーヤと対戦する許可を出さなかったと投稿した<ref>{{cite web|url= https://www.youtube.com/watch?v=zyaRC_o7v7g |title= "F**K NUT" - DE LA HOYA SLAMS DANA WHITE FOR BLOCKING GEORGES ST-PIERRE BOXING SHOWDOWN |publisher= FightHype.com |date= 2021年5月9日 |accessdate= 2021年5月17日}}</ref><ref>{{cite web|url= https://www.bloodyelbow.com/2021/5/15/22437423/ufc-vetoed-a-georges-st-pierre-vs-oscar-de-la-hoya-boxing-match-costing-gsp-a-big-payday |title= UFC vetoed a Georges St-Pierre vs Oscar De La Hoya boxing match, costing GSP a ‘big payday’ |publisher= Bloody Elbow |date= 2021年5月15日 |accessdate= 2021年5月17日}}</ref>。ライアン・カヴァノーも「ダナ・ホワイトとUFCは、ジョルジュ・サンピエールがオスカー・デ・ラ・ホーヤと戦うのを阻止したんだ。対戦はサンピエールとオスカー両者の夢だったんだ。電話やメールをダナにしたのに、折り返しの電話さえ無いんだ」と投稿した<ref>{{cite web|url= https://www.instagram.com/p/COob_pCLo6v/ |title= #danawhite and#ufc just blocked @georgesstpierre from fighting @oscardelahoya . |publisher= ライアン・カヴァノー公式Instagram |date= 2021年5月9日 |accessdate= 2021年5月17日}}</ref><ref>{{cite web|url= https://www.boxingscene.com/triller-exec-dana-white-blocked-de-la-hoya-vs-st-pierre-ppv-fight--157687 |title= Triller Exec: Dana White Blocked De La Hoya vs. St-Pierre PPV Fight |publisher= Boxing Scene.com |date= 2021年5月16日 |accessdate= 2021年5月17日}}</ref><ref>{{cite web|url= https://mmajunkie.usatoday.com/2021/05/dana-white-blocked-georges-st-pierre-vs-oscar-de-la-hoya-triller-boxing-match |title= Dana White blocked Georges St-Pierre from boxing Oscar De La Hoya; Triller boss upset |publisher= MMA Junkie |date= 2021年5月15日 |accessdate= 2021年5月17日}}</ref>。2021年5月16日、ダナ・ホワイトがUFCの会見で「彼らの電話に出てさえいないよ。 この馬鹿者は毎日電話をかけてくるんだ。そっちはそっちで勝手にやって、こっちのことは放っておいてくれ」と語った<ref>{{cite web|url= https://www.boxingscene.com/dana-white-tears-apart-triller-de-la-hoya-they-full-sht--157756 |title= Dana White Tears Apart Triller and De La Hoya: They Are Full of Sh!t |publisher= Boxing Scene.com |date= 2021年5月19日 |accessdate= 2021年5月20日}}</ref><ref>{{cite web|url= https://mmajunkie.usatoday.com/2021/05/ufc-262-dana-white-triller-jake-paul-hounding-phone-calls |title= Dana White tells Triller executives to stop hounding him: 'This idiot calls me every day' |publisher= MMA Junkie |date= 2021年5月16日 |accessdate= 2021年5月17日}}</ref>。カヴァノーはこれに対して「ダナ・ホワイト、サンピエールに試合の許可を出してくれ。契約の成立にはあなたの承認を待っているだけなんだ」と投稿し<ref>{{cite web|url= https://www.instagram.com/p/CO8obkOrUfk/ |title= @danawhite let GSP fight. Deal is done pending only your approval. |publisher= ライアン・カヴァノーInstagramアカウント |date= 2021年5月16日 |accessdate= 2021年5月17日}}</ref>、デ・ラ・ホーヤも同様の投稿をした<ref>{{cite web|url= https://www.instagram.com/p/CO-iiFiBrI-/ |title= it is only #danawhite holding this up. |publisher= デ・ラ・ホーヤInstagramアカウント |date= 2021年5月16日 |accessdate= 2021年5月17日}}</ref><ref>{{cite web|url= https://www.boxingscene.com/georges-st-pierre-fighting-de-la-hoya-dream-come-true--157751 |title= Georges St-Pierre: Fighting De La Hoya Would Have Been a Dream Come True |publisher= Boxing Scene.com |date= 2021年5月19日 |accessdate= 2021年5月20日}}</ref>。 |
||
* 2021年5月22日、デ・ラ・ホーヤが自身のSNSに「ダナ・ホワイトよ、サンピエールの戦うチャンスを妨害するのをやめてくれ。まず我々がリングに入るのはどうだろう、臆病者」と投稿して、ダナ・ホワイトに対戦を呼びかけた<ref>{{cite web|url= https://twitter.com/OscarDeLaHoya/status/1395817316470837249 |title= #DeLaHoyaGSP #LetGSPFight |publisher= デ・ラ・ホーヤ公式ツイッター |date= 2021年5月22日 |accessdate= 2021年6月8日}}</ref><ref>{{cite web|url= https://www.tmz.com/2021/05/21/oscar-de-la-hoya-wants-to-fight-dana-white-ill-kick-your-ass/ |title= OSCAR DE LA HOYA WANTS TO FIGHT DANA WHITE... I'll 'Kick Your Ass' |publisher= TMZ |date= 2021年5月21日 |accessdate= 2021年6月8日}}</ref>。 |
* 2021年5月22日、デ・ラ・ホーヤが自身のSNSに「ダナ・ホワイトよ、サンピエールの戦うチャンスを妨害するのをやめてくれ。まず我々がリングに入るのはどうだろう、臆病者」と投稿して、ダナ・ホワイトに対戦を呼びかけた<ref>{{cite web|url= https://twitter.com/OscarDeLaHoya/status/1395817316470837249 |title= #DeLaHoyaGSP #LetGSPFight |publisher= デ・ラ・ホーヤ公式ツイッター |date= 2021年5月22日 |accessdate= 2021年6月8日}}</ref><ref>{{cite web|url= https://www.tmz.com/2021/05/21/oscar-de-la-hoya-wants-to-fight-dana-white-ill-kick-your-ass/ |title= OSCAR DE LA HOYA WANTS TO FIGHT DANA WHITE... I'll 'Kick Your Ass' |publisher= TMZ |date= 2021年5月21日 |accessdate= 2021年6月8日}}</ref>。 |
||
* 2022年6月8日、デ・ラ・ホーヤがインターネット番組で「1000%謝罪をした。将来、ダナと一緒にやるべきことは沢山ある」と謝罪をしていたことを明らかにした<ref>{{cite web|url= https://www.bjpenn.com/boxing-news/oscar-de-la-hoya-reveals-he-buried-the-hatchet-with-dana-white-theres-still-business-to-be-done-with-me-and-dana/ |title= OSCAR DE LA HOYA REVEALS HE BURIED THE HATCHET WITH DANA WHITE: “THERE’S STILL BUSINESS TO BE DONE WITH ME AND DANA” |publisher= BJ Penn.com |date= 2022年6月8日 |accessdate= 2022年12月4日}}</ref>。これに対してダナは、謝罪に感謝をして受け入れつつも「あの男はあまりにも多くの損害を与えた」として、昔のような友人関係に戻るつもりはないと語った<ref>{{cite web|url= https://www.boxingscene.com/dana-white-not-interested-reconciling-with-de-la-hoya-guy-way-too-much-damage--168314 |title= Dana White Not Interested In Reconciling With De La Hoya: 'That Guy Did Way Too Much Damage' |publisher= Boxing Scene.com |date= 2022年8月13日 |accessdate= 2022年12月4日}}</ref>。 |
* 2022年6月8日、デ・ラ・ホーヤがインターネット番組で「1000%謝罪をした。将来、ダナと一緒にやるべきことは沢山ある」と謝罪をしていたことを明らかにした<ref>{{cite web|url= https://www.bjpenn.com/boxing-news/oscar-de-la-hoya-reveals-he-buried-the-hatchet-with-dana-white-theres-still-business-to-be-done-with-me-and-dana/ |title= OSCAR DE LA HOYA REVEALS HE BURIED THE HATCHET WITH DANA WHITE: “THERE’S STILL BUSINESS TO BE DONE WITH ME AND DANA” |publisher= BJ Penn.com |date= 2022年6月8日 |accessdate= 2022年12月4日}}</ref>。これに対してダナは、謝罪に感謝をして受け入れつつも「あの男はあまりにも多くの損害を与えた」として、昔のような友人関係に戻るつもりはないと語った<ref>{{cite web|url= https://www.boxingscene.com/dana-white-not-interested-reconciling-with-de-la-hoya-guy-way-too-much-damage--168314 |title= Dana White Not Interested In Reconciling With De La Hoya: 'That Guy Did Way Too Much Damage' |publisher= Boxing Scene.com |date= 2022年8月13日 |accessdate= 2022年12月4日}}</ref>。 |
||
==== ファイトスタイル ==== |
|||
基本に忠実なオーソドックス・スタイルを得意とし、インファイトから[[アウトボクシング]]までこなすことができるコンプリートファイターである。抜群のスピードとテクニックで相手を翻弄する展開を好むが、一瞬の隙を突く強打も併せ持ち通算KO率は65%を上回る。特に左フックはフィニッシュ・ブローとして幾多のKO劇を演出した。また、コンビネーションも多彩だった<ref name="Oscar De La Hoya" />。 |
|||
== 戦績 == |
== 戦績 == |
||
153行目: | 203行目: | ||
{{Fightstatstop}} |
{{Fightstatstop}} |
||
{{Fightstatscont|1|1992年11月23日|{{Yes2}}☆|1R 1:42|KO|ラマー・ウィリアムズ|{{USA}}|プロデビュー戦}} |
{{Fightstatscont|1|1992年11月23日|{{Yes2}}☆|1R 1:42|KO|ラマー・ウィリアムズ|{{USA}}|プロデビュー戦}} |
||
{{Fightstatscont|2|1992年12月12日|{{Yes2}}☆|1R 1:15|KO|クリフ・ヒックス|{{USA}}|}} |
{{Fightstatscont|2|1992年12月12日|{{Yes2}}☆|1R 1:15|KO|クリフ・ヒックス|{{USA}}||}} |
||
{{Fightstatscont|3|1993年1月3日|{{Yes2}}☆|2R 1:52|TKO|パリス・アレキサンダー|{{USA}}|}} |
{{Fightstatscont|3|1993年1月3日|{{Yes2}}☆|2R 1:52|TKO|パリス・アレキサンダー|{{USA}}||}} |
||
{{Fightstatscont|4|1993年2月6日|{{Yes2}}☆|4R 1:40|TKO|カーチス・ストロング|{{USA}}|}} |
{{Fightstatscont|4|1993年2月6日|{{Yes2}}☆|4R 1:40|TKO|カーチス・ストロング|{{USA}}||}} |
||
{{Fightstatscont|5|1993年3月13日|{{Yes2}}☆|4R 1:35|TKO|[[ジェフ・メイウェザー]]|{{USA}}|}} |
{{Fightstatscont|5|1993年3月13日|{{Yes2}}☆|4R 1:35|TKO|[[ジェフ・メイウェザー]]|{{USA}}||}} |
||
{{Fightstatscont|6|1993年4月6日|{{Yes2}}☆|4R|判定3-0|マイク・グレーブル|{{USA}}|}} |
{{Fightstatscont|6|1993年4月6日|{{Yes2}}☆|4R|判定3-0|マイク・グレーブル|{{USA}}||}} |
||
{{Fightstatscont|7|1993年5月8日|{{Yes2}}☆|4R 2:00|TKO|フランク・アベラル|{{USA}}|}} |
{{Fightstatscont|7|1993年5月8日|{{Yes2}}☆|4R 2:00|TKO|フランク・アベラル|{{USA}}||}} |
||
{{Fightstatscont|8|1993年6月7日|{{Yes2}}☆|1R |
{{Fightstatscont|8|1993年6月7日|{{Yes2}}☆|1R終了|TKO|[[トロイ・ドーシー]]|{{USA}}||}} |
||
{{Fightstatscont|9|1993年8月14日|{{Yes2}}☆|6R 2:10|TKO|レナルド・カーター|{{USA}}|}} |
{{Fightstatscont|9|1993年8月14日|{{Yes2}}☆|6R 2:10|TKO|レナルド・カーター|{{USA}}||}} |
||
{{Fightstatscont|10|1993年8月27日|{{Yes2}}☆|4R |
{{Fightstatscont|10|1993年8月27日|{{Yes2}}☆|4R終了|TKO|アンジェロ・ヌネス|{{USA}}||}} |
||
{{Fightstatscont|11|1993年10月30日|{{Yes2}}☆|1R 2:25|TKO|ナルシソ・バレンズエラ|{{MEX}}|}} |
{{Fightstatscont|11|1993年10月30日|{{Yes2}}☆|1R 2:25|TKO|ナルシソ・バレンズエラ|{{MEX}}||}} |
||
{{Fightstatscont|12|1994年3月5日|{{Yes2}}☆|10R |
{{Fightstatscont|12|1994年3月5日|{{Yes2}}☆|10R終了|TKO|[[ジミー・ブレダル]]|{{DEN}}|[[世界ボクシング機構|WBO]]世界[[スーパーフェザー級]]タイトルマッチ}} |
||
{{Fightstatscont|13|1994年5月27日|{{Yes2}}☆|3R 2:22|TKO|ジョルジョ・カンパネラ|{{ITA}}|WBO防衛1}} |
{{Fightstatscont|13|1994年5月27日|{{Yes2}}☆|3R 2:22|TKO|ジョルジョ・カンパネラ|{{ITA}}|WBO防衛1}} |
||
{{Fightstatscont|14|1994年7月29日|{{Yes2}}☆|2R 0:39|KO|[[ホルヘ・パエス]]|{{MEX}}|WBO世界[[ライト級]]王座決定戦}} |
{{Fightstatscont|14|1994年7月29日|{{Yes2}}☆|2R 0:39|KO|[[ホルヘ・パエス]]|{{MEX}}|WBO世界[[ライト級]]王座決定戦}} |
||
{{Fightstatscont|15|1994年11月18日|{{Yes2}}☆|3R 1:02|TKO|カール・グリフィス|{{USA}}|WBO防衛1}} |
{{Fightstatscont|15|1994年11月18日|{{Yes2}}☆|3R 1:02|TKO|カール・グリフィス|{{USA}}|WBO防衛1}} |
||
{{Fightstatscont|16|1994年12月10日|{{Yes2}}☆|9R 1:07|TKO|ジョン・アビラ|{{USA}}|WBO防衛2}} |
{{Fightstatscont|16|1994年12月10日|{{Yes2}}☆|9R 1:07|TKO|ジョン・アビラ|{{USA}}|WBO防衛2}} |
||
{{Fightstatscont|17|1995年2月18日|{{Yes2}}☆|12R|判定3-0|[[ジョン・ジョン・モリナ]]|{{PRI}}|WBO防衛3}} |
{{Fightstatscont|17|1995年2月18日|{{Yes2}}☆|12R|判定3-0|[[ジョン・ジョン・モリナ]]|{{PRI}}|WBO防衛3}} |
||
{{Fightstatscont|18|1995年5月6日|{{Yes2}}☆|2R 1:43|TKO|[[ラファエル・ルエラス]]|{{MEX}}|[[国際ボクシング連盟|IBF]]・WBO世界ライト級王座統一戦<br>IBF獲得・WBO防衛4}} |
{{Fightstatscont|18|1995年5月6日|{{Yes2}}☆|2R 1:43|TKO|[[ラファエル・ルエラス]]|{{MEX}}|[[国際ボクシング連盟|IBF]]・WBO世界ライト級王座統一戦<br>IBF獲得・WBO防衛4}} |
||
{{Fightstatscont|19|1995年9月9日|{{Yes2}}☆|6R |
{{Fightstatscont|19|1995年9月9日|{{Yes2}}☆|6R終了|TKO|[[ヘナロ・エルナンデス]]|{{USA}}|WBO防衛5}} |
||
{{Fightstatscont|20|1995年12月15日|{{Yes2}}☆|2R |
{{Fightstatscont|20|1995年12月15日|{{Yes2}}☆|2R終了|TKO|{{仮リンク|ジェシー・ジェイムス・レイハ|en|Jesse James Leija}}|{{USA}}|WBO防衛6}} |
||
{{Fightstatscont|21|1996年2月9日|{{Yes2}}☆|2R 2:38|KO|ダリル・タイソン|{{USA}}|}} |
{{Fightstatscont|21|1996年2月9日|{{Yes2}}☆|2R 2:38|KO|ダリル・タイソン|{{USA}}||}} |
||
{{Fightstatscont|22|1996年6月7日|{{Yes2}}☆|4R 2:37|TKO|[[フリオ・セサール・チャベス]]|{{MEX}}|[[世界ボクシング評議会|WBC]]世界[[スーパーライト級]]タイトルマッチ}} |
{{Fightstatscont|22|1996年6月7日|{{Yes2}}☆|4R 2:37|TKO|[[フリオ・セサール・チャベス]]|{{MEX}}|[[世界ボクシング評議会|WBC]]世界[[スーパーライト級]]タイトルマッチ}} |
||
{{Fightstatscont|23|1997年1月18日|{{Yes2}}☆|12R|判定3-0|[[ミゲル・アンヘル・ゴンザレス]]|{{USA}}|WBC防衛1}} |
{{Fightstatscont|23|1997年1月18日|{{Yes2}}☆|12R|判定3-0|[[ミゲル・アンヘル・ゴンザレス]]|{{USA}}|WBC防衛1}} |
||
{{Fightstatscont|24|1997年4月12日|{{Yes2}}☆|12R|判定3-0|[[パーネル・ウィテカー]]|{{USA}}|WBC世界[[ウェルター級]]タイトルマッチ}} |
{{Fightstatscont|24|1997年4月12日|{{Yes2}}☆|12R|判定3-0|[[パーネル・ウィテカー]]|{{USA}}|WBC世界[[ウェルター級]]タイトルマッチ}} |
||
{{Fightstatscont|25|1997年6月14日|{{Yes2}}☆|2R 2:54|KO|デビッド・カマウ|{{KEN}}|WBC防衛1}} |
{{Fightstatscont|25|1997年6月14日|{{Yes2}}☆|2R 2:54|KO|デビッド・カマウ|{{KEN}}|WBC防衛1}} |
||
{{Fightstatscont|26|1997年9月13日|{{Yes2}}☆|12R|判定3-0|[[ヘクター・カマチョ]]|{{PRI}}|WBC防衛2}} |
{{Fightstatscont|26|1997年9月13日|{{Yes2}}☆|12R|判定3-0|[[ヘクター・カマチョ]]|{{PRI}}|WBC防衛2}} |
||
{{Fightstatscont|27|1997年12月6日|{{Yes2}}☆|8R 2:48|TKO|ウィルフレッド・リベラ|{{PRI}}|WBC防衛3}} |
{{Fightstatscont|27|1997年12月6日|{{Yes2}}☆|8R 2:48|TKO|ウィルフレッド・リベラ|{{PRI}}|WBC防衛3}} |
||
{{Fightstatscont|28|1998年6月13日|{{Yes2}}☆|3R 1:56|TKO|パトリック・シャルパンティエ|{{FRA}}|WBC防衛4}} |
{{Fightstatscont|28|1998年6月13日|{{Yes2}}☆|3R 1:56|TKO|パトリック・シャルパンティエ|{{FRA}}|WBC防衛4}} |
||
{{Fightstatscont|29|1998年9月18日|{{Yes2}}☆|9R |
{{Fightstatscont|29|1998年9月18日|{{Yes2}}☆|9R終了|TKO|フリオ・セサール・チャベス|{{MEX}}|WBC防衛5}} |
||
{{Fightstatscont|30|1999年2月13日|{{Yes2}}☆|12R|判定2-1|[[アイク・クォーティ]]|{{GHA}}|WBC防衛6}} |
{{Fightstatscont|30|1999年2月13日|{{Yes2}}☆|12R|判定2-1|[[アイク・クォーティ]]|{{GHA}}|WBC防衛6}} |
||
{{Fightstatscont|31|1999年5月22日|{{Yes2}}☆|11R 0:55|TKO|オーバ・カー|{{USA}}|WBC防衛7}} |
{{Fightstatscont|31|1999年5月22日|{{Yes2}}☆|11R 0:55|TKO|オーバ・カー|{{USA}}|WBC防衛7|}} |
||
{{Fightstatscont|32|1999年9月18日|{{No2}}★|12R|判定0-2|[[フェリックス・トリニダード]]|{{PRI}}|WBC・IBF世界ウェルター級王座統一戦<br>WBC陥落}} |
{{Fightstatscont|32|1999年9月18日|{{No2}}★|12R|判定0-2|[[フェリックス・トリニダード]]|{{PRI}}|WBC・IBF世界ウェルター級王座統一戦<br>WBC王座陥落}} |
||
{{Fightstatscont|33|2000年2月28日|{{Yes2}}☆|7R 3:00|KO| |
{{Fightstatscont|33|2000年2月28日|{{Yes2}}☆|7R 3:00|KO|ダレル・コーリー|{{USA}}|[[国際ボクシング協会|IBA]]世界ウェルター級王座決定戦・WBC世界ウェルター級挑戦者決定戦→WBC王座復帰}} |
||
{{Fightstatscont|34|2000年6月17日|{{No2}}★|12R|判定1-2|[[シェーン・モズリー]]|{{USA}}|WBC陥落}} |
{{Fightstatscont|34|2000年6月17日|{{No2}}★|12R|判定1-2|[[シェーン・モズリー]]|{{USA}}|WBC王座陥落}} |
||
{{Fightstatscont|35|2001年3月24日|{{Yes2}}☆|5R 1:16|TKO|[[アルツロ・ガッティ]]|{{CAN}}|}} |
{{Fightstatscont|35|2001年3月24日|{{Yes2}}☆|5R 1:16|TKO|[[アルツロ・ガッティ]]|{{CAN}}||}} |
||
{{Fightstatscont|36|2001年6月23日|{{Yes2}}☆|12R|判定3-0|[[ハビエル・カスティリェホ]]|{{ESP}}|WBC世界スーパーウェルター級タイトルマッチ}} |
{{Fightstatscont|36|2001年6月23日|{{Yes2}}☆|12R|判定3-0|[[ハビエル・カスティリェホ]]|{{ESP}}|WBC世界[[スーパーウェルター級]]タイトルマッチ}} |
||
{{Fightstatscont|37|2002年9月14日|{{Yes2}}☆|11R 1:48|TKO|[[フェルナンド・バルガス]]|{{USA}}|WBA・WBC世界スーパーウェルター級王座統一戦<br>WBA獲得・WBC防衛1}} |
{{Fightstatscont|37|2002年9月14日|{{Yes2}}☆|11R 1:48|TKO|[[フェルナンド・バルガス]]|{{USA}}|[[世界ボクシング協会|WBA]]・WBC世界スーパーウェルター級王座統一戦<br>WBA・IBA獲得・WBC防衛1}} |
||
{{Fightstatscont|38|2003年5月3日|{{Yes2}}☆|7R 2:54|TKO|[[ルイス・ラモン・カンパス]]|{{MEX}}|WBA防衛1・WBC防衛2}} |
{{Fightstatscont|38|2003年5月3日|{{Yes2}}☆|7R 2:54|TKO|[[ルイス・ラモン・カンパス]]|{{MEX}}|WBA防衛1・WBC防衛2}} |
||
{{Fightstatscont|39|2003年9月13日|{{No2}}★|12R|判定0-3|シェーン・モズリー|{{USA}}|WBA・WBC陥落}} |
{{Fightstatscont|39|2003年9月13日|{{No2}}★|12R|判定0-3|シェーン・モズリー|{{USA}}|WBA・WBC王座陥落}} |
||
{{Fightstatscont|40|2004年6月5日|{{Yes2}}☆|12R|判定3-0|[[フェリックス・シュトルム]]|{{DEU}}|WBO世界ミドル級タイトルマッチ}} |
{{Fightstatscont|40|2004年6月5日|{{Yes2}}☆|12R|判定3-0|[[フェリックス・シュトルム]]|{{DEU}}|WBO世界[[ミドル級]]タイトルマッチ}} |
||
{{Fightstatscont|41|2004年9月18日|{{No2}}★|9R 1:38|KO|[[バーナード・ホプキンス]]|{{USA}}|WBA・WBC・IBF・WBO世界ミドル級王座統一戦<br>WBO陥落}} |
{{Fightstatscont|41|2004年9月18日|{{No2}}★|9R 1:38|KO|[[バーナード・ホプキンス]]|{{USA}}|WBA・WBC・IBF・WBO世界ミドル級王座統一戦<br>WBO王座陥落}} |
||
{{Fightstatscont|42|2006年5月6日|{{Yes2}}☆|6R 1:25|TKO|[[リカルド・マヨルガ]]|{{NIC}}|WBC世界スーパーウェルター級タイトルマッチ}} |
{{Fightstatscont|42|2006年5月6日|{{Yes2}}☆|6R 1:25|TKO|[[リカルド・マヨルガ]]|{{NIC}}|WBC世界スーパーウェルター級タイトルマッチ}} |
||
{{Fightstatscont|43|2007年5月5日|{{No2}}★|12R|判定1-2|[[フロイド・メイウェザー・ジュニア]]|{{USA}}|WBC陥落}} |
{{Fightstatscont|43|2007年5月5日|{{No2}}★|12R|判定1-2|[[フロイド・メイウェザー・ジュニア]]|{{USA}}|WBC王座陥落}} |
||
{{Fightstatscont|44|2008年5月3日|{{Yes2}}☆|12R|判定3-0|[[スティーブ・フォーブス]]|{{USA}}|}} |
{{Fightstatscont|44|2008年5月3日|{{Yes2}}☆|12R|判定3-0|[[ スティーブ・フォーブス]]|{{USA}}||}} |
||
{{Fightstatscont|45|2008年12月6日|{{No2}}★|8R |
{{Fightstatscont|45|2008年12月6日|{{No2}}★|8R終了|TKO|[[マニー・パッキャオ]]|{{PHI}}||}} |
||
{{Fightstatsbottom}} |
{{Fightstatsbottom}} |
||
294行目: | 344行目: | ||
== 脚注 == |
== 脚注 == |
||
{{脚注ヘルプ}} |
|||
; 脚注 |
|||
{{Reflist|group=注}} |
|||
; 出典 |
|||
{{Reflist|2}} |
{{Reflist|2}} |
||
307行目: | 353行目: | ||
* [[世界ボクシング協会世界王者一覧|世界ボクシング協会(WBA)世界王者一覧]] |
* [[世界ボクシング協会世界王者一覧|世界ボクシング協会(WBA)世界王者一覧]] |
||
* [[世界ボクシング評議会世界王者一覧|世界ボクシング評議会(WBC)世界王者一覧]] |
* [[世界ボクシング評議会世界王者一覧|世界ボクシング評議会(WBC)世界王者一覧]] |
||
* [[リングマガジン世界王者一覧]] |
|||
* [[統一世界王者]] |
* [[統一世界王者]] |
||
* [[複数階級制覇]] |
* [[複数階級制覇]] |
||
== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
||
* {{Boxrec|id=8253}} |
|||
* [https://www.goldenboypromotions.com/about/ ゴールデンボーイ・プロモーションズ公式サイト内紹介ページ] |
* [https://www.goldenboypromotions.com/about/ ゴールデンボーイ・プロモーションズ公式サイト内紹介ページ] |
||
* {{Twitter|OscarDeLaHoya}} |
* {{Twitter|OscarDeLaHoya}} |
||
* {{Instagram|oscardelahoya}} |
* {{Instagram|oscardelahoya}} |
||
* [https://kotobank.jp/word/%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%BC+%E3%83%87%E3%83%A9%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A4-1683867 オスカー デ・ラ・ホーヤ コトバンク] |
|||
* {{Boxrec|id=8253}} |
|||
* {{Commonscat-inline}} |
* {{Commonscat-inline}} |
||
{{Championshiptitle次空||[[世界ボクシング機構|WBO]]|世界[[ |
{{Championshiptitle次空||[[世界ボクシング機構|WBO]]|世界[[スーパーフェザー級]]|ジミー・ブレダル|レジリオ・ツール|1994年3月5日 - 1994年(返上)}} |
||
{{Championshiptitle先次空||[[世界ボクシング機構|WBO]]|世界[[ライト級]]|ジョバンニ・パリージ|アルツール・グレゴリアン|1994年7月29日 - 1996年(返上)}} |
{{Championshiptitle先次空||[[世界ボクシング機構|WBO]]|世界[[ライト級]]|ジョバンニ・パリージ|アルツール・グレゴリアン|1994年7月29日 - 1996年(返上)}} |
||
{{Championshiptitle次空||[[国際ボクシング連盟|IBF]]|世界[[ライト級]]|ラファエル・ルエラス|フィリップ・ホリデー|1995年5月6日 - 1995年7月(返上)}} |
{{Championshiptitle次空||[[国際ボクシング連盟|IBF]]|世界[[ライト級]]|ラファエル・ルエラス|フィリップ・ホリデー|1995年5月6日 - 1995年7月(返上)}} |
||
{{Championshiptitle次空||[[世界ボクシング評議会|WBC]]|世界[[ |
{{Championshiptitle次空||[[世界ボクシング評議会|WBC]]|世界[[スーパーライト級]]|フリオ・セサール・チャベス|コンスタンチン・チュー|1996年6月7日 - 1997年(返上)}} |
||
{{Championshiptitle||[[世界ボクシング評議会|WBC]]|世界[[ウェルター級]]|パーネル・ウィテカー|フェリックス・トリニダード|1997年4月12日 - 1999年9月18日}} |
{{Championshiptitle||[[世界ボクシング評議会|WBC]]|世界[[ウェルター級]]|パーネル・ウィテカー|フェリックス・トリニダード|1997年4月12日 - 1999年9月18日}} |
||
{{Championshiptitle先空||[[世界ボクシング評議会|WBC]]|世界[[ウェルター級]]|フェリックス・トリニダード|シェーン・モズリー|2000年2月28日 - 2000年6月17日}} |
{{Championshiptitle先空||[[世界ボクシング評議会|WBC]]|世界[[ウェルター級]]|フェリックス・トリニダード|シェーン・モズリー|2000年2月28日 - 2000年6月17日}} |
||
348行目: | 396行目: | ||
[[Category:世界ボクシング評議会世界王者]] |
[[Category:世界ボクシング評議会世界王者]] |
||
[[Category:世界ボクシング協会世界王者]] |
[[Category:世界ボクシング協会世界王者]] |
||
[[Category:リングマガジン世界王者]] |
|||
[[Category:アメリカ合衆国のプロボクシングプロモーター]] |
[[Category:アメリカ合衆国のプロボクシングプロモーター]] |
||
[[Category:国際ボクシング名誉の殿堂博物館]] |
[[Category:国際ボクシング名誉の殿堂博物館]] |
2024年10月25日 (金) 15:22時点における版
伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。 |
慈善団体The Salvation Armyのイベントにて(2014年) | |
基本情報 | |
---|---|
本名 | オスカー・デ・ラ・ホーヤ |
通称 | Golden Boy(ゴールデン・ボーイ) |
階級 | ウェルター級 |
身長 | 179cm |
リーチ | 185cm |
国籍 | アメリカ合衆国 |
誕生日 | 1973年2月4日(51歳) |
出身地 | カリフォルニア州イーストロサンゼルス |
スタイル | オーソドックス(ただし利き腕は左) |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 45 |
勝ち | 39 |
KO勝ち | 30 |
敗け | 6 |
獲得メダル | ||
---|---|---|
アメリカ合衆国 | ||
男子 ボクシング | ||
オリンピック | ||
金 | 1992 バルセロナ | ライト級 |
オスカー・デ・ラ・ホーヤ(Oscar De La Hoya、1973年2月4日 - )は、アメリカ合衆国のプロボクシングプロモーター、元プロボクサー。カリフォルニア州イーストロサンゼルス市出身。元WBO世界スーパーフェザー級王者。元IBF・WBO世界ライト級統一王者。元WBC世界スーパーライト級王者。元WBC世界ウェルター級王者。元WBAスーパー・WBC世界スーパーウェルター級統一王者。元WBO世界ミドル級王者。史上初の世界6階級制覇王者。1992年バルセロナオリンピック金メダリスト。
ボクサーとして、数々のビッグマッチを経験した世界屈指の人気選手で、端正なルックスから女性の支持も高かった。引退後は、自らプロモーション会社「ゴールデンボーイ・プロモーションズ」を立ち上げ、ボクシング業界の一大勢力へと成長した。いとこのディエゴ・デ・ラ・ホーヤもプロボクサー[1]。
来歴
アマチュア時代
6歳からボクシングを始めるが、従兄弟とのボクシングでいつも打ちのめされていたことから当初はボクシングが嫌いだったとのことだが[2]、試合に出始めてからは4年5か月もの間敗戦を経験しないなど、アマチュア時代から既に非凡な才能を見せる。アマ時代の通算戦績は234勝(163KO・RSC)6敗。6敗のうち2敗はシェーン・モズリーに敗れたものだった[3]。
1992年、19歳でバルセロナオリンピックライト級に出場。同競技で米国勢唯一となる金メダルを獲得[1]、アマ時代の華麗な遍歴を踏まえて「ゴールデンボーイ(Golden Boy)」と名付けられボブ・アラム率いるトップランクと契約金100万ドルで契約しプロに転向した[4][5][6]。
プロ時代
スーパーフェザー級
1992年11月23日、ラマー・ウイリアムズとデビュー戦を行い初回KO勝ちを収めた[7]。
1994年3月5日、グランド・オリンピック・オーディトリアムでWBO世界スーパーフェザー級王者ジミー・ブレダル(デンマーク)を10回終了時にブレダルが棄権した為TKO勝ちを収め王座を獲得した[1][8]。
1994年5月27日、ラスベガスのMGMグランド・ガーデン・アリーナでジョルジョ・カンパネラ(イタリア)を3回2分22秒TKO勝ちを収め初防衛に成功した[1]。
ライト級
vs パエス
1994年7月29日、MGMグランド・ガーデン・アリーナで元IBF・WBO世界フェザー級王者のホルヘ・パエス(メキシコ)とWBO世界ライト級王座決定戦を行い2回KO勝ちで2階級制覇を達成した[1]。
vs モリナ
1995年2月18日、MGMグランド・ガーデン・アリーナで元IBF・WBO世界スーパーフェザー級王者ジョン・ジョン・モリナ(プエルトリコ)に12回判定勝ちを収め3度目の防衛に成功した[1]。
vs ルエラス
1995年5月6日、IBF世界ライト級王者ラファエル・ルエラスと王座統一戦を行い、2回1分43秒TKO勝ちを収めWBO王座は4度目の防衛、IBF王座獲得に成功した[1]。
vs エルナンデス
1995年9月9日、シーザーズ・パレス内ザ・コロシアムで元WBA世界スーパーフェザー級王者ヘナロ・エルナンデスと対戦し、6回TKO勝ちで5度目の防衛に成功した(実は自身がWBA世界スーパーフェザー級1位にランクされた際にエルナンデスに指名試合で挑戦出来たが回避しWBO世界スーパーフェザー級王座へ迂回した)[9][1]。
vs レイハ
1995年12月15日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで元WBC世界スーパーフェザー級王者のジェシー・ジェイムス・レイハと対戦し、2回終了時にレイハが棄権した為TKO勝ちを収め6度目の防衛に成功した[1]。
スーパーライト級
vs チャベス
1996年6月7日、シーザーズ・パレス内ザ・コロシアムでフリオ・セサール・チャベスと対戦し、スピーディーなジャブでチャベスの顔面を切り裂き4回2分37秒TKO勝ちを収め、3階級制覇を達成した[10][1]。
1997年1月18日、ラスベガスのトーマス&マック・センターで元WBC世界ライト級王者のミゲル・アンヘル・ゴンザレスと対戦し、12回3-0の判定勝ちを収め初防衛に成功した[1]。
ウェルター級
vs ウィテカー
1997年4月12日、ラスベガスのトーマス&マック・センターでWBC世界ウェルター級王者パーネル・ウィテカーと対戦し[11]、12回判定で勝ちを収め、4階級制覇に成功した(試合後WBC世界スーパーライト級王座を返上した)[12][1]。
1997年6月14日、テキサス州サンアントニオのアラモドームでデビッド・カマウと対戦し、2回2分54秒TKO勝ちを収め初防衛に成功した[1]。
vs カマチョ
1997年9月13日、ラスベガスのトーマス&マック・センターで元世界3階級制覇王者のヘクター・カマチョと対戦し、12回判定勝ちを収め2度目の防衛に成功した[1]。
vs チャベス 第2戦
1998年9月18日、ラスベガスのトーマス&マック・センターで元WBC世界スーパーライト級王者フリオ・セサール・チャベスとリマッチを行い、8回終了時にチャベスが棄権した為TKO勝ちを収め5度目の防衛に成功した[1]。
vs クォーティ
1999年2月13日、ラスベガスのトーマス&マック・センターで元WBA世界ウェルター級王者のアイク・クォーティと対戦し、12回2-1の判定勝ちを収め6度目の防衛を成功した[1]。
1999年5月22日、ラスベガスのミケロブ・ウルトラ・アリーナでオーバ・カーと対戦し、11回55秒TKO勝ちを収め7度目の防衛に成功した[1]。
vs トリニダード
1999年9月18日、ラスベガスのミケロブ・ウルトラ・アリーナでIBF世界ウェルター級王者フェリックス・トリニダードと王座統一戦を行い、12回0-2の判定負けを喫しWBC王座陥落と共にプロ初黒星を喫した[1]。
2000年2月26日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでWBC世界ウェルター級2位のダレル・コーリーと挑戦者決定戦を行い、7回終了KO勝ちを収めトリニダードへの挑戦権とIBA世界ウェルター級王座決定戦も兼ねていたためIBA王座を獲得した[1]。だがトリニダードが3月20日付で王座を返上したため、デ・ラ・ホーヤがそのまま返り咲いた[13]。
vs モズリー 第1戦
2000年6月17日、ロサンゼルスのクリプト・ドットコム・アリーナで元IBF世界ライト級王者シェーン・モズリーと対戦し、12回1-2の判定負けを喫し初防衛に失敗、王座から陥落した[1]。
2001年3月24日、MGMグランド・ガーデン・アリーナで元世界2階級制覇王者のアルツロ・ガッティと対戦し、5回1分16秒TKO勝ちを収めた[14][1]。
スーパーウェルター級
2001年6月23日、MGMグランド・ガーデン・アリーナでWBC世界スーパーウェルター級王者ハビエル・カスティリェホと対戦し、12回3-0の判定勝ちを収めシュガー・レイ・レナード、トーマス・ハーンズに続く史上3人目の5階級制覇に成功した[15][1]。
2002年9月14日、ミケロブ・ウルトラ・アリーナでWBA世界スーパーウェルター級王者フェルナンド・バルガスと王座統一戦を行い、11回1分48秒TKO勝ちを収めWBA王座を獲得、WBC王座は初防衛に成功した[1]。また試合後にバルガスからは薬物検査で陽性反応が確認された[16]。
2003年5月3日、ミケロブ・ウルトラ・アリーナで元IBF世界スーパーウェルター級王者ルイス・ラモン・カンパスと対戦し、カンパスのセコンドが棄権をアピールした為7回2分54秒TKO勝ちを収めWBA王座は初防衛、WBC王座は2度目の防衛に成功した[1][17][18]。
vs モズリー 第2戦
2003年9月13日、MGMグランド・ガーデン・アリーナでシェーン・モズリーと再戦したが12回0-3の判定負けを喫し、両王座から陥落した[1][19][20]。
ミドル級
vs シュトルム
2004年6月5日、MGMグランド・ガーデン・アリーナでWBO世界ミドル級王者フェリックス・シュトルムと対戦し、12回3-0の判定勝ちを収め、ボクシング史上初の6階級制覇を達成した[1][21]。
vs ホプキンス
2004年9月18日、MGMグランド・ガーデン・アリーナでWBA・WBC・IBF世界ミドル級王者バーナード・ホプキンスと、ミドル級の規定体重である160ポンド(72.57キロ)ではなく158ポンド(71.66キロ)のキャッチウェイトで初の4団体王座統一戦で対戦したが、初のKO負けとなる9回1分38秒KO負け喫し王座から陥落した[1][22]。
スーパーウェルター級復帰
vs マヨルガ
2006年5月6日、MGMグランド・ガーデン・アリーナで20か月ぶりの試合でWBC世界スーパーウェルター級王者リカルド・マヨルガ対戦し、初回にダウンを奪うなど試合を有利に進め、6回1分25秒TKO勝ちを収め3年振りの王座に返り咲いた[1][23]。
vs メイウェザー・ジュニア
2007年5月5日、MGMグランド・ガーデン・アリーナでフロイド・メイウェザー・ジュニアと対戦し、12回1-2の判定負けを喫した[1][24]。メイウェザーはこの試合で5階級制覇を達成した[24]。
ウェルター級復帰
2008年5月3日、ディグニティ・ヘルス・スポーツ・パークで元IBF世界スーパーフェザー級王者のスティーブ・フォーブスと対戦し、12回3-0の判定勝ちを収めおよそ1年振りとなる試合を白星で飾った[1][25]。
2008年12月1日、自身の功績が認められロサンゼルスのクリプト・ドットコム・アリーナの前にリカルド・マヨルガをKOした後にコーナーの上に上ってファンの歓声に応える場面を再現する銅像が建てられた[26]。
vs パッキャオ
2008年12月6日、ラスベガスのMGMグランド・ガーデン・アリーナで、前戦でライト級王座を獲得した2階級下のマニー・パッキャオとウェルター級契約のノンタイトル12回戦で対戦。試合前の予想はデ・ラ・ホーヤがブックメーカーの賭け率で1.5対2.5と僅差で有利だったが[27][28]、試合は序盤から精彩を欠いたファイトでパッキャオの動きに全くついていけず、7回にはパッキャオの攻撃でストップ寸前に陥る(この回の採点はジャッジ三者とも8-10)など一方的な展開の末、8回終了後にコーナーでデ・ラ・ホーヤ自身がギブアップの意思を表明してTKO負けを喫した[29]。この試合がデラホーヤのラストファイトとなった。
2009年4月14日、体力の衰えなどから現役引退を表明[30]。
引退後
2011年4月8日に行われたワールドプレミアムボクシングThe REAL13 副題(東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ)ではVTRながら日本にエールを送った[31]。
2011年8月30日、近年自身が重度の薬物(コカイン)、アルコール依存であることを発表し5月21日からリハビリ施設に入っていることを公表した。飲酒は幼少期の9歳頃から行い、試合前に恐怖心を紛らわすために飲酒をエスカレートさせていったとしている。引退試合となったパッキャオ戦でも体力の衰えもあり「勝てるわけがない」と思って飲酒と薬物に手を出していたという[32][33]。その後のインタビューで薬物、アルコール依存症が辛く自殺を考えたこと、浮気をしており一時期妻と別居していたことを語っている[34]。
2011年9月上旬、薬物とアルコール依存を告白したのに続き「もう嘘はつきたくない、あれは自分だった」と、2007年に流出した自身が女性下着を着用した写真が本物であったことを認め、当時はコカインとアルコールの飲用で気分が高揚した状況下にあったと弁明した[35][36][37]。
2013年9月10日、自身のゴールデンボーイ・プロモーションズが主催するフロイド・メイウェザー・ジュニアvsサウル・アルバレスのプロモーション活動を精力的にこなしていた矢先、試合4日前に緊急でリハビリ施設へ入り療養に専念することが発表された[38]。
2015年6月29日、現役復帰について五分五分であると復帰する考えがあることを一旦は公表するが、家族と話し合い自分を見つめ直した結果、現役復帰を断念したことを発表した[39]。
2017年1月25日、ロサンゼルスで飲酒運転で逮捕された[40][41]。
2017年11月15日、現役復帰をして総合格闘技UFCのコナー・マクレガーと対戦するために5ヵ月間ひそかにトレーニングをしてきたと明かし、「ケージでは彼に破壊されるだろうから、リングでやろう。マクレガーを2ラウンドでKOできる」と対戦表明をした[42][43]。
2019年2月27日、ゴールデンボーイ・プロモーションズの契約選手であるライアン・ガルシアに頻繁に接触したり、公の場でガーボンタ・デービスとの対戦オファーを出すなどしていたフロイド・メイウェザー・ジュニアに対し、デ・ラ・ホーヤは、それらの行為は違法行為だと通告し今後はガルシアに接触しないよう警告する法的文書を送付した[44][45]。
2020年5月5日、CBS Sportsのポッドキャストで「マクレガーを2ラウンドでKOできる。オクタゴンの彼は大好きだし、尊敬もしている。彼の試合はいつも見るよ。でもボクシングは全く別の世界だ」とコナー・マクレガーを挑発すると[46]、マクレガーがツイッターで「俺はあなたの挑戦を受ける。オスカー・デ・ラ・ホーヤ」と応じるも、デ・ラ・ホーヤは「はっきりさせておくが、マクレガー。私はあなたに挑戦したことは決して無い。私は単に質問に対して本当のことを話しただけだ」とツイッターで返答し[47][48]、さらに立て続けに、デ・ラ・ホーヤが2017年のフロイド・メイウェザー・ジュニアvsコナー・マクレガーを批判して以来因縁が有るUFC代表ダナ・ホワイトへも唐突に「おまえはクソガキだ、ボクシングエアロビクスの先生だった時以外でボクシンググローブを着けたことないだろ。おまえは運良くUFCの10%を持てただけじゃないか」とツイッターで挑発した[49][50]。
2020年6月23日、エキシビションでの復帰を宣言したマイク・タイソンに触発される形で、「まずタイソンの復帰戦の動きを見てから決定したい」と、エキシビションではなく公式戦での現役復帰を真剣に検討していると表明した[51]。
現役復帰
2020年8月19日、デ・ラ・ホーヤが「本当の戦いをする。ボクシングが好きで、リングが恋しい。今があるのはボクシングのおかげ。今はそれを失っている」と、現役復帰を表明[52][53][54][55]。現役選手を「15~20年前のレベルにはない。金を求め過ぎ」と批判し、「私は栄光のために闘う」「トップの選手なら誰とでも」と対戦を希望した[56]。
2020年12月、デ・ラ・ホーヤが「私にとってゲンナジー・ゴロフキンがどれほど楽な相手かわかるだろ。彼みたいなタイプの選手に対していつもうまく戦ってきたし、常に勝ってきたからね。自分の中ではそれくらい楽な相手だ」と語ったことに対して、ゴロフキンが「自分がどれだけ汚い口をきいているか分かっているのか、オスカー。やつが何をしゃべろうと勝手だが、こちらも言わせてもらう。リングの上で合法的に人を殺すチャンスがあったら、俺はその機会を活用する」と激怒した[57][58]。
2021年3月26日、動画投稿アプリケーション会社「Triller」が主催するジェイク・ポール vs ベン・アスクレンの試合記者会見でサプライズでステージに登場し、「7月3日、私は現役復帰します」と、Trillerが7月3日に主催するペイ・パー・ビュー興行で現役復帰すると発表した[59]。
2021年4月17日、Trillerが主催する興行のジェイク・ポール vs ベン・アスクレンでコメンテーターとしてテレビ解説席に座るが、酒に酔っぱらい、ふざけたコメントや試合を茶化すようなコメントを連発して、視聴者の反感を買い、後日謝罪をした[60]。
2021年5月13日、元UFCのスター選手ジョルジュ・サンピエールとの対戦を目指していたが、ダナ・ホワイトがサンピエールにデ・ラ・ホーヤとの対戦許可を出さなかったことで交渉が頓挫し、元UFC選手のエディ・アルバレスにも対戦を断られたことで[61]、デ・ラ・ホーヤの復帰戦が7月3日から9月に延期になったことをTrillerが発表した[62]。
2021年6月9日、ゴールデンボーイ・プロモーションズの子会社として新たなプロモーション「KOエンターテインメント」を設立して、実験的な試みの格闘技興行「バリーズ・ファイト・ナイト」を開始した。テレビ画面内にテレビゲームのストリートファイターや鉄拳などの対戦型格闘ゲームで存在する「体力ゲージ」を表示させ、選手のグローブ内にセンサーを挿入して、グローブが相手にヒットした際の強弱で体力ゲージが100%から減っていく初心者にも選手のダメージが視覚的にわかり易い仕組みを構築して、ボクシングと総合格闘技の試合を行った[63][64]。
2021年6月17日、元UFC選手のビクトー・ベウフォートと9月11日に対戦することが発表された[65]。
2021年9月4日、デ・ラ・ホーヤが自身のツイッターで新型コロナウイルスに感染したことを報告、ビクトー・ベウフォートと対戦することになっていた9月11日の現役復帰戦が延期となった[66]。
訴訟歴など
デ・ラ・ホーヤは1996年6月に当時15歳だった女の子をホテルに連れ込み強姦したとして1998年11月に告訴されていた[67]。この件はその後2001年に示談となり解決している[68]。
2007年9月~12月、デ・ラ・ホーヤが赤いハイヒールを履き、全身網タイツなど女性もの下着を着用した写真が数枚ネット上に流出する。この写真を撮影したとされるストリッパーの女性がデラホーヤから写真を公開しないよう強制され精神的苦痛を受けたとして総額1億ドル(110億円)の損害賠償請求裁判を起こす。デラホーヤは写真はデジタル加工された偽物であるとしていた[69][70][71]。
2020年9月8日、ゴールデンボーイ・プロモーションズ所属選手のサウル・アルバレスから、契約違反や詐欺、隠蔽等があったとして、ゴールデンボーイ・プロモーションズと共に、2億8千万ドル(約300億円)の損害賠償請求と契約解除を求める訴訟を起こされた[72][73][74][75][76]。11月6日に交渉が合意に達して、アルバレスとの契約を解除した[77]。
2022年3月19日、ゲンナジー・ゴロフキンから、デ・ラ・ホーヤがプロモートした2018年9月に行われたサウル・アルバレス第2戦に関連しての未払い分があるとして、300万ドル(約3億9千万円)以上の損害賠償を求め提訴された[78][79]。
エピソード
- 2021年9月1日、ロサンゼルス・タイムズでのインタビューで、自身が13歳の時に35歳ぐらいの中年女性に強姦され童貞を喪失し、そのことが一時期トラウマとなっていたことを告白した[80]。
現役復帰に関するエピソード
- 2021年3月26日、デ・ラ・ホーヤは、Trillerが7月3日に主催する興行で現役復帰すると発表した。現役復帰戦の対戦相手として、Trillerの親会社プロキシマメディアの最高経営責任者ライアン・カヴァノーは「UFCのビッグネーム」をターゲットにしていると明かしたが[81][82]、UFC代表ダナ・ホワイトは、UFCの会見で記者からUFCの選手がデ・ラ・ホーヤと対戦することを許可するか質問を受けると、「くだらない。君たちは50歳の男がボクシングすることについて本当に話をして、報道するのかい?」と一蹴した[83]。
- 2021年5月9日、デ・ラ・ホーヤが自身のInstagramに「この最悪に頭のおかしい野郎(ダナ・ホワイト)はジョルジュ・サンピエールが私と最大の報酬を稼ぐのを妨げたんだ」と、ダナ・ホワイトが2019年2月に総合格闘技を引退した元UFCのスター選手ジョルジュ・サンピエールにデ・ラ・ホーヤと対戦する許可を出さなかったと投稿した[84][85]。ライアン・カヴァノーも「ダナ・ホワイトとUFCは、ジョルジュ・サンピエールがオスカー・デ・ラ・ホーヤと戦うのを阻止したんだ。対戦はサンピエールとオスカー両者の夢だったんだ。電話やメールをダナにしたのに、折り返しの電話さえ無いんだ」と投稿した[86][87][88]。2021年5月16日、ダナ・ホワイトがUFCの会見で「彼らの電話に出てさえいないよ。 この馬鹿者は毎日電話をかけてくるんだ。そっちはそっちで勝手にやって、こっちのことは放っておいてくれ」と語った[89][90]。カヴァノーはこれに対して「ダナ・ホワイト、サンピエールに試合の許可を出してくれ。契約の成立にはあなたの承認を待っているだけなんだ」と投稿し[91]、デ・ラ・ホーヤも同様の投稿をした[92][93]。
- 2021年5月22日、デ・ラ・ホーヤが自身のSNSに「ダナ・ホワイトよ、サンピエールの戦うチャンスを妨害するのをやめてくれ。まず我々がリングに入るのはどうだろう、臆病者」と投稿して、ダナ・ホワイトに対戦を呼びかけた[94][95]。
- 2022年6月8日、デ・ラ・ホーヤがインターネット番組で「1000%謝罪をした。将来、ダナと一緒にやるべきことは沢山ある」と謝罪をしていたことを明らかにした[96]。これに対してダナは、謝罪に感謝をして受け入れつつも「あの男はあまりにも多くの損害を与えた」として、昔のような友人関係に戻るつもりはないと語った[97]。
ファイトスタイル
基本に忠実なオーソドックス・スタイルを得意とし、インファイトからアウトボクシングまでこなすことができるコンプリートファイターである。抜群のスピードとテクニックで相手を翻弄する展開を好むが、一瞬の隙を突く強打も併せ持ち通算KO率は65%を上回る。特に左フックはフィニッシュ・ブローとして幾多のKO劇を演出した。また、コンビネーションも多彩だった[1]。
戦績
- アマチュアボクシング:228戦223勝(163KO・RSC)5敗
- プロボクシング:45戦39勝(30KO)6敗
戦 | 日付 | 勝敗 | 時間 | 内容 | 対戦相手 | 国籍 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1992年11月23日 | ☆ | 1R 1:42 | KO | ラマー・ウィリアムズ | アメリカ合衆国 | プロデビュー戦 |
2 | 1992年12月12日 | ☆ | 1R 1:15 | KO | クリフ・ヒックス | アメリカ合衆国 | |
3 | 1993年1月3日 | ☆ | 2R 1:52 | TKO | パリス・アレキサンダー | アメリカ合衆国 | |
4 | 1993年2月6日 | ☆ | 4R 1:40 | TKO | カーチス・ストロング | アメリカ合衆国 | |
5 | 1993年3月13日 | ☆ | 4R 1:35 | TKO | ジェフ・メイウェザー | アメリカ合衆国 | |
6 | 1993年4月6日 | ☆ | 4R | 判定3-0 | マイク・グレーブル | アメリカ合衆国 | |
7 | 1993年5月8日 | ☆ | 4R 2:00 | TKO | フランク・アベラル | アメリカ合衆国 | |
8 | 1993年6月7日 | ☆ | 1R終了 | TKO | トロイ・ドーシー | アメリカ合衆国 | |
9 | 1993年8月14日 | ☆ | 6R 2:10 | TKO | レナルド・カーター | アメリカ合衆国 | |
10 | 1993年8月27日 | ☆ | 4R終了 | TKO | アンジェロ・ヌネス | アメリカ合衆国 | |
11 | 1993年10月30日 | ☆ | 1R 2:25 | TKO | ナルシソ・バレンズエラ | メキシコ | |
12 | 1994年3月5日 | ☆ | 10R終了 | TKO | ジミー・ブレダル | デンマーク | WBO世界スーパーフェザー級タイトルマッチ |
13 | 1994年5月27日 | ☆ | 3R 2:22 | TKO | ジョルジョ・カンパネラ | イタリア | WBO防衛1 |
14 | 1994年7月29日 | ☆ | 2R 0:39 | KO | ホルヘ・パエス | メキシコ | WBO世界ライト級王座決定戦 |
15 | 1994年11月18日 | ☆ | 3R 1:02 | TKO | カール・グリフィス | アメリカ合衆国 | WBO防衛1 |
16 | 1994年12月10日 | ☆ | 9R 1:07 | TKO | ジョン・アビラ | アメリカ合衆国 | WBO防衛2 |
17 | 1995年2月18日 | ☆ | 12R | 判定3-0 | ジョン・ジョン・モリナ | プエルトリコ | WBO防衛3 |
18 | 1995年5月6日 | ☆ | 2R 1:43 | TKO | ラファエル・ルエラス | メキシコ | IBF・WBO世界ライト級王座統一戦 IBF獲得・WBO防衛4 |
19 | 1995年9月9日 | ☆ | 6R終了 | TKO | ヘナロ・エルナンデス | アメリカ合衆国 | WBO防衛5 |
20 | 1995年12月15日 | ☆ | 2R終了 | TKO | ジェシー・ジェイムス・レイハ | アメリカ合衆国 | WBO防衛6 |
21 | 1996年2月9日 | ☆ | 2R 2:38 | KO | ダリル・タイソン | アメリカ合衆国 | |
22 | 1996年6月7日 | ☆ | 4R 2:37 | TKO | フリオ・セサール・チャベス | メキシコ | WBC世界スーパーライト級タイトルマッチ |
23 | 1997年1月18日 | ☆ | 12R | 判定3-0 | ミゲル・アンヘル・ゴンザレス | アメリカ合衆国 | WBC防衛1 |
24 | 1997年4月12日 | ☆ | 12R | 判定3-0 | パーネル・ウィテカー | アメリカ合衆国 | WBC世界ウェルター級タイトルマッチ |
25 | 1997年6月14日 | ☆ | 2R 2:54 | KO | デビッド・カマウ | ケニア | WBC防衛1 |
26 | 1997年9月13日 | ☆ | 12R | 判定3-0 | ヘクター・カマチョ | プエルトリコ | WBC防衛2 |
27 | 1997年12月6日 | ☆ | 8R 2:48 | TKO | ウィルフレッド・リベラ | プエルトリコ | WBC防衛3 |
28 | 1998年6月13日 | ☆ | 3R 1:56 | TKO | パトリック・シャルパンティエ | フランス | WBC防衛4 |
29 | 1998年9月18日 | ☆ | 9R終了 | TKO | フリオ・セサール・チャベス | メキシコ | WBC防衛5 |
30 | 1999年2月13日 | ☆ | 12R | 判定2-1 | アイク・クォーティ | ガーナ | WBC防衛6 |
31 | 1999年5月22日 | ☆ | 11R 0:55 | TKO | オーバ・カー | アメリカ合衆国 | WBC防衛7 |
32 | 1999年9月18日 | ★ | 12R | 判定0-2 | フェリックス・トリニダード | プエルトリコ | WBC・IBF世界ウェルター級王座統一戦 WBC王座陥落 |
33 | 2000年2月28日 | ☆ | 7R 3:00 | KO | ダレル・コーリー | アメリカ合衆国 | IBA世界ウェルター級王座決定戦・WBC世界ウェルター級挑戦者決定戦→WBC王座復帰 |
34 | 2000年6月17日 | ★ | 12R | 判定1-2 | シェーン・モズリー | アメリカ合衆国 | WBC王座陥落 |
35 | 2001年3月24日 | ☆ | 5R 1:16 | TKO | アルツロ・ガッティ | カナダ | |
36 | 2001年6月23日 | ☆ | 12R | 判定3-0 | ハビエル・カスティリェホ | スペイン | WBC世界スーパーウェルター級タイトルマッチ |
37 | 2002年9月14日 | ☆ | 11R 1:48 | TKO | フェルナンド・バルガス | アメリカ合衆国 | WBA・WBC世界スーパーウェルター級王座統一戦 WBA・IBA獲得・WBC防衛1 |
38 | 2003年5月3日 | ☆ | 7R 2:54 | TKO | ルイス・ラモン・カンパス | メキシコ | WBA防衛1・WBC防衛2 |
39 | 2003年9月13日 | ★ | 12R | 判定0-3 | シェーン・モズリー | アメリカ合衆国 | WBA・WBC王座陥落 |
40 | 2004年6月5日 | ☆ | 12R | 判定3-0 | フェリックス・シュトルム | ドイツ | WBO世界ミドル級タイトルマッチ |
41 | 2004年9月18日 | ★ | 9R 1:38 | KO | バーナード・ホプキンス | アメリカ合衆国 | WBA・WBC・IBF・WBO世界ミドル級王座統一戦 WBO王座陥落 |
42 | 2006年5月6日 | ☆ | 6R 1:25 | TKO | リカルド・マヨルガ | ニカラグア | WBC世界スーパーウェルター級タイトルマッチ |
43 | 2007年5月5日 | ★ | 12R | 判定1-2 | フロイド・メイウェザー・ジュニア | アメリカ合衆国 | WBC王座陥落 |
44 | 2008年5月3日 | ☆ | 12R | 判定3-0 | スティーブ・フォーブス | アメリカ合衆国 | |
45 | 2008年12月6日 | ★ | 8R終了 | TKO | マニー・パッキャオ | フィリピン | |
テンプレート |
獲得タイトル
- 1992年バルセロナオリンピックボクシング競技ライト級金メダル
- WBO世界スーパーフェザー級王座(防衛1=返上)
- WBO世界ライト級王座(防衛6=返上)
- IBF世界ライト級王座(防衛0=返上)
- WBC世界スーパーライト級王座(防衛1=返上)
- WBC世界ウェルター級王座(1期目は防衛7、2期目は防衛0)
- IBA世界ウェルター級王座(防衛0)
- WBC世界スーパーウェルター級王座(1期目は防衛2、2期目は防衛0)
- WBA世界スーパーウェルター級スーパー王座(防衛1)
- IBA世界ウェルター級王座(防衛0)
- WBO世界ミドル級王座(防衛0)
ペイ・パー・ビュー売上げ
日付 | イベント | 売上げ |
---|---|---|
1995年5月6日 | オスカー・デ・ラ・ホーヤ vs. ラファエル・ルエラス | 33万件[98] |
1995年9月9日 | オスカー・デ・ラ・ホーヤ vs. ヘナロ・エルナンデス | 22万件[98] |
1997年1月18日 | オスカー・デ・ラ・ホーヤ vs. ミゲル・アンヘル・ゴンザレス | 35万件[98] |
1997年4月12日 | オスカー・デ・ラ・ホーヤ vs. パーネル・ウィテカー | 72万件[98] |
1997年9月13日 | オスカー・デ・ラ・ホーヤ vs. ヘクター・カマチョ | 56万件[98] |
1997年12月6日 | オスカー・デ・ラ・ホーヤ vs. ウィルフレッド・リベラ | 24万件[98] |
1998年9月18日 | オスカー・デ・ラ・ホーヤ vs. フリオ・セサール・チャベス 2 | 52万件[98] |
1999年2月13日 | オスカー・デ・ラ・ホーヤ vs. アイク・クォーティ | 57万件[98] |
1999年9月18日 | オスカー・デ・ラ・ホーヤ vs. フェリックス・トリニダード | 140万件[98] |
2000年6月17日 | オスカー・デ・ラ・ホーヤ vs. シェーン・モズリー 1 | 59万件[98] |
2001年6月23日 | オスカー・デ・ラ・ホーヤ vs. ハビエル・カスティリェホ | 40万件[98] |
2002年9月14日 | オスカー・デ・ラ・ホーヤ vs. フェルナンド・バルガス | 93万件[98] |
2003年5月3日 | オスカー・デ・ラ・ホーヤ vs. ルイス・ラモン・カンパス | 35万件[98] |
2003年9月13日 | オスカー・デ・ラ・ホーヤ vs. シェーン・モズリー 2 | 95万件[98] |
2004年6月5日 | オスカー・デ・ラ・ホーヤ vs. フェリックス・シュトルム | 38万件[98] |
2004年9月18日 | オスカー・デ・ラ・ホーヤ vs. バーナード・ホプキンス | 100万件[98] |
2006年5月6日 | オスカー・デ・ラ・ホーヤ vs. リカルド・マヨルガ | 92万件[98] |
2007年5月5日 | オスカー・デ・ラ・ホーヤ vs. フロイド・メイウェザー・ジュニア | 240万件[98] |
2008年12月6日 | オスカー・デ・ラ・ホーヤ vs. マニー・パッキャオ | 125万件[98] |
脚注
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae Oscar De La Hoya Boxer List
- ^ 『ボクシング・バイブル』1999年3月29日、著者・ジョー小泉、199頁。
- ^ "Sugar" Shane Mosley. Cyber Boxing Zone. Retrieved on May 19, 2012.
- ^ Boxing: Fighters: Bio: OSCAR DE LA HOYA. HBO. Retrieved on May 19, 2012.
- ^ Gale – Free Resources – Hispanic Heritage – Biographies – Oscar De La Hoya. Gale.cengage.com. Retrieved on May 19, 2012.
- ^ Oscar de la Hoya is as Good as Gold | SUCCESS Magazine | What Achievers Read. SUCCESS Magazine. Retrieved on May 19, 2012. Archived 2011-10-02 at the Wayback Machine.
- ^ “De La Hoya’s Debut as a Pro Is Golden”. Los Angeles Times (24 November 1992). 20 September 2024閲覧。
- ^ “IN THE CLUTCH, DE LA HOYA DELIVERS”. Associated Press. Washington Post. (6 March 1994) 21 September 2024閲覧。
- ^ Oscar Revolts Against the IBF. nydailynews.com (July 13, 1995)
- ^ “The Lineal Junior Welterweight Champions”. The Cyber Boxing Zone Encyclopedia. Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
- ^ “Big Picture For Oscar De La Hoya Image Concerns Arum”. New York: Daily News April 11, 1997閲覧。
- ^ “The Lineal Welterweight Champs”. The Cyber Boxing Zone Encyclopedia. Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
- ^ “WBC declares de la Hoya welterweight champion”. The Independent. (21 March 2000). オリジナルのSeptember 29, 2021時点におけるアーカイブ。 29 September 2021閲覧。
- ^ Spousta, Tom (March 25, 2001). “BOXING; Savvy De La Hoya Stops Gatti With Technical Knockout”. The New York Times June 28, 2018閲覧。
- ^ “The Lineal Junior Middleweight Champions”. The Cyber Boxing Zone Encyclopedia. 2001年6月23日閲覧。
- ^ バルガス、薬物検査で陽性 王座戦でデラホーヤに敗北 共同通信社 2002年9月27日[リンク切れ]
- ^ Archived April 3, 2012, at the Wayback Machine.
- ^ デラホーヤがTKO勝ち 統一世界Sウエルター戦 共同通信社 2003年5月4日[リンク切れ]
- ^ 王者、雪辱ならず 進退には明言避ける 共同通信社 2003年9月14日[リンク切れ]
- ^ プロモーターを召喚へ 世界戦で採点に不正 共同通信社 2003年9月17日[リンク切れ]
- ^ デラホーヤが6階級制覇 WBOミドル級タイトル戦 共同通信社 2004年6月6日[リンク切れ]
- ^ デラホーヤ初のKO負け 統一世界ミドル級戦 共同通信社 2004年9月19日[リンク切れ]
- ^ <ボクシング>デラホーヤがマヨルガを降して王座に返り咲く! - 米国 「AFPBB News」 2006年5月7日[リンク切れ]
- ^ a b メイウェザー・ジュニア デラホーヤを下し5階級制覇達成 「AFPBB News」 2007年5月6日
- ^ デラホーヤ フォーブスを判定で下す 「AFPBB News」 2008年5月4日
- ^ デラホーヤの銅像がステープルズ・センターに 「AFPBB News」 2008年12月2日
- ^ “Manny Pacquiao Vs. Oscar De La Hoya: Spreads, Lines, Odds”. Bleacher Report. 2021年3月26日閲覧。
- ^ “Manny Pacquiao Betting Odds History”. OddsShark (2017年7月5日). 2021年3月26日閲覧。
- ^ デラホーヤ パッキャオに敗れる 「AFPBB News」 2008年12月7日
- ^ 元6階級王者デラホーヤが現役引退を発表 「AFPBB News」 2009年4月15日
- ^ パッキャオとデラホーヤ氏「頑張れ日本」 日刊スポーツ 2011年4月9日
- ^ 薬と酒で「自殺も考えた」デラホーヤ氏 日刊スポーツ 2011年8月31日
- ^ “杉浦大介「NY摩天楼通信」 : 第203回 オスカー・デラホーヤ、衝撃の告白”. スポーツコミュニケーションズ (2011年9月2日). 2013年9月14日閲覧。
- ^ “De La Hoya talks suicide, drugs and hitting rock bottom during Univision interview”. Yahoo.Sports.com (2011年8月31日). 2013年9月14日閲覧。
- ^ “「あれは自分だった」4年前のフォトスキャンダルについてデラホーヤ告白”. マーシュ (2011年9月2日). 2013年9月14日閲覧。
- ^ “不世出のボクサー・デラホーヤ「あの女装姿はオレ」”. J-Cast.com (2011年9月7日). 2013年9月14日閲覧。
- ^ “Oscar De La Hoya threw kinky, coke-fueled sex party: suit”. New York Post (2011年11月10日). 2013年9月14日閲覧。
- ^ “Oscar De La Hoya has relapsed, admitted himself into a rehab facility”. Yahoo.Sports.com (2013年9月10日). 2013年9月14日閲覧。
- ^ “デラホーヤ氏、42歳での現役復帰を断念”. AFPBB News (2015年6月30日). 2015年7月6日閲覧。
- ^ “ボクシング元世界王者デラホーヤ氏を逮捕、飲酒運転容疑で”. AFPBB News (2016年1月26日). 2017年2月4日閲覧。
- ^ “Oscar De La Hoya arrested on suspicion of drunken driving”. ESPN.com (2016年1月26日). 2017年2月4日閲覧。
- ^ “【ボクシング】44歳デ・ラ・ホーヤが「マクレガーを2RでKO」宣言、復帰に向けて特訓も” (2017年11月15日). 2017年11月18日閲覧。
- ^ “Oscar De La Hoya: 'Can take out Conor McGregor in two rounds'”. ESPN.com (2017年11月15日). 2017年11月18日閲覧。
- ^ “De La Hoya Sends Legal Letter To Mayweather Over Ryan Garcia”. Boxing Scene.com (2019年2月27日). 2020年6月28日閲覧。
- ^ “De La Hoya Explains Legal Threat To Mayweather Over Ryan Garcia”. Boxing Scene.com (2019年2月27日). 2020年6月28日閲覧。
- ^ “UFCのコナー・マクレガーが伝説のボクサー、オスカー・デ・ラ・ホーヤの挑発に応戦”. 三尾圭 (2020年5月8日). 2020年8月29日閲覧。
- ^ “Oscar De La Hoya takes aim at Conor McGregor, says he'd knock him out in 'two rounds'”. ESPN.com (2020年5月8日). 2020年5月13日閲覧。
- ^ “De La Hoya Says He'd Need Only 2 Rounds To Knock Out McGregor In Boxing Match”. Boxing Scene.com (2020年5月4日). 2020年5月13日閲覧。
- ^ “Oscar De La Hoya goes on tirade aimed at UFC President Dana White”. Bad Left Hook (2020年5月8日). 2020年5月13日閲覧。
- ^ “De La Hoya Calls Dana White a 'Little Bitch,' Reacts To McGregor”. Boxing Scene.com (2020年5月8日). 2020年5月13日閲覧。
- ^ “De La Hoya on Possible Comeback: I'm Really Considering It!”. Boxing Scene.com (2020年6月23日). 2020年6月24日閲覧。
- ^ “47歳デラホーヤ氏が現役復帰表明「リング恋しい」”. 日刊スポーツ (2020年8月20日). 2020年8月29日閲覧。
- ^ “6階級制覇デラホーヤ氏、47歳で現役復帰”. ロイター (2021年8月21日). 2021年5月20日閲覧。
- ^ “De La Hoya: Comeback Rumors Are True; I'll Start Training In Next Few Weeks”. Boxing Scene.com (2020年8月19日). 2020年8月29日閲覧。
- ^ “Dana White on De La Hoya's Ring Return: Cocaine is Not Cheap”. Boxing Scene.com (2020年8月23日). 2020年8月29日閲覧。
- ^ “47歳デラホーヤ氏 現役復帰を表明!史上初6階級制覇王者、08年引退のスーパースター”. スポニチ (2020年8月20日). 2021年5月20日閲覧。
- ^ “ゴロフキン、デラホーヤ氏の対戦希望を一蹴”. AFPBB News (2020年12月16日). 2021年1月28日閲覧。
- ^ “Golovkin Warns De La Hoya That He Would Risk His Life if They Fight”. Boxing Scene.com (2020年12月15日). 2021年1月28日閲覧。
- ^ “Oscar De La Hoya To Headline July 3 Triller Fight Club Pay-Per-View Event”. Boxing Scene.com (2021年3月26日). 2021年3月26日閲覧。
- ^ “De La Hoya Apologizes For Triller PPV Commentating; Says He's 'Back In Beast Mode'”. Boxing Scene.com (2021年4月21日). 2021年4月24日閲覧。
- ^ “Eddie Alvarez lost interest in facing Oscar De La Hoya after watching Triller event: ‘It’s boxing. It’s not a fight. MMA is a fight’”. MMA Fighting (2021年4月27日). 2021年7月3日閲覧。
- ^ “De La Hoya Return Pushed To September, Holyfield-McBride in August”. Boxing Scene.com (2021年5月13日). 2021年5月14日閲覧。
- ^ “デラホーヤが現実のボクシング・MMAを格闘ゲーム化? ウェアラブル端末装着で試合をデータ化”. スポーティングニュース (2021年6月10日). 2021年6月10日閲覧。
- ^ “Oscar De La Hoya Project Aims At Gamification of Combat Sports”. NYFights (2021年6月9日). 2021年6月10日閲覧。
- ^ “Oscar De La Hoya To Box Former UFC Star Vitor Belfort In PPV Exhibition September 11”. Boxing Scene.com (2021年6月17日). 2021年7月3日閲覧。
- ^ “デラホーヤ、ワクチン接種もコロナ感染 11日の現役復帰戦は延期”. 日刊スポーツ (2021年9月4日). 2021年9月16日閲覧。
- ^ “BOXING; DE LA HOYA ACCUSED OF RAPE”. The New York Times (1998年11月26日). 2013年9月14日閲覧。
- ^ “Oscar De La Hoya has found a new way to score knockouts--by promoting fights himself.”. Forbes.com (2004年4月26日). 2013年9月14日閲覧。
- ^ “デラホーヤが総額110億円訴えられた”. 日刊スポーツ.com (2007年11月17日). 2013年9月14日閲覧。
- ^ “ボクサー、オスカー・デラホーヤの写真問題 Milana Dravnelさんが裁判所に登場”. AFP (2008年2月18日). 2013年9月14日閲覧。
- ^ “Pix fixed, so stripper drops Oscar De La Hoya suit”. Dally News (2008年6月9日). 2013年9月14日閲覧。
- ^ “Sources: Canelo Alvarez, DAZN remain deadlocked over $35M; 2020 fight in doubt”. The Athletic (2020年9月2日). 2020年10月18日閲覧。
- ^ “Canelo Alvarez files suit vs. Golden Boy, Oscar De La Hoya, DAZN over record deal”. ESPN (2020年9月9日). 2020年10月18日閲覧。
- ^ “Canelo Alvarez sues Oscar De La Hoya, DAZN, alleging breach of contract”. The Athletic (2020年9月8日). 2020年10月18日閲覧。
- ^ “現役最高峰カネロ GBPデラホーヤ氏とDAZN提訴 スーパー・スターの次戦はさらに迷走”. ボクシング・ニュース (2020年9月10日). 2020年10月18日閲覧。
- ^ “Making the Rounds: Stunning allegations in Canelo Alvarez's case vs. Oscar De La Hoya”. Yahoo Sports (2020年9月16日). 2020年10月18日閲覧。
- ^ “Canelo Alvarez A Free Agent, Released from Golden Boy, DAZN Contracts”. Boxing Scene.com (2020年11月6日). 2020年12月3日閲覧。
- ^ “Golovkin Sues Golden Boy Promotions For At Least $3 Million Owed From Canelo Rematch”. Boxing Scene.com (2022年3月19日). 2022年6月16日閲覧。
- ^ “Middleweight champ Gennadiy Golovkin sues Golden Boy Promotions for minimum $3 million, says he's still owed money from 2018 Alvarez bout”. ESPN.com (2022年3月21日). 2022年6月16日閲覧。
- ^ “Oscar De La Hoya says he was ‘raped at 13’ by an ‘older woman’”. ニューヨーク・ポスト (2021年9月1日). 2021年10月24日閲覧。
- ^ “48歳デラホーヤが7月に復帰戦!対戦相手は総合格闘技UFCのビッグネームをターゲット”. 東京中日スポーツ (2021年3月27日). 2021年3月29日閲覧。
- ^ “Oscar De La Hoya to make return to ring after 13 years on July 3”. ESPN.com (2021年3月27日). 2021年3月29日閲覧。
- ^ “Dana White Unimpressed: ‘This S*** Is Getting Silly’”. heaby.. 2021年3月29日閲覧。
- ^ “"F**K NUT" - DE LA HOYA SLAMS DANA WHITE FOR BLOCKING GEORGES ST-PIERRE BOXING SHOWDOWN”. FightHype.com (2021年5月9日). 2021年5月17日閲覧。
- ^ “UFC vetoed a Georges St-Pierre vs Oscar De La Hoya boxing match, costing GSP a ‘big payday’”. Bloody Elbow (2021年5月15日). 2021年5月17日閲覧。
- ^ “#danawhite and#ufc just blocked @georgesstpierre from fighting @oscardelahoya .”. ライアン・カヴァノー公式Instagram (2021年5月9日). 2021年5月17日閲覧。
- ^ “Triller Exec: Dana White Blocked De La Hoya vs. St-Pierre PPV Fight”. Boxing Scene.com (2021年5月16日). 2021年5月17日閲覧。
- ^ “Dana White blocked Georges St-Pierre from boxing Oscar De La Hoya; Triller boss upset”. MMA Junkie (2021年5月15日). 2021年5月17日閲覧。
- ^ “Dana White Tears Apart Triller and De La Hoya: They Are Full of Sh!t”. Boxing Scene.com (2021年5月19日). 2021年5月20日閲覧。
- ^ “Dana White tells Triller executives to stop hounding him: 'This idiot calls me every day'”. MMA Junkie (2021年5月16日). 2021年5月17日閲覧。
- ^ “@danawhite let GSP fight. Deal is done pending only your approval.”. ライアン・カヴァノーInstagramアカウント (2021年5月16日). 2021年5月17日閲覧。
- ^ “it is only #danawhite holding this up.”. デ・ラ・ホーヤInstagramアカウント (2021年5月16日). 2021年5月17日閲覧。
- ^ “Georges St-Pierre: Fighting De La Hoya Would Have Been a Dream Come True”. Boxing Scene.com (2021年5月19日). 2021年5月20日閲覧。
- ^ “#DeLaHoyaGSP #LetGSPFight”. デ・ラ・ホーヤ公式ツイッター (2021年5月22日). 2021年6月8日閲覧。
- ^ “OSCAR DE LA HOYA WANTS TO FIGHT DANA WHITE... I'll 'Kick Your Ass'”. TMZ (2021年5月21日). 2021年6月8日閲覧。
- ^ “OSCAR DE LA HOYA REVEALS HE BURIED THE HATCHET WITH DANA WHITE: “THERE’S STILL BUSINESS TO BE DONE WITH ME AND DANA””. BJ Penn.com (2022年6月8日). 2022年12月4日閲覧。
- ^ “Dana White Not Interested In Reconciling With De La Hoya: 'That Guy Did Way Too Much Damage'”. Boxing Scene.com (2022年8月13日). 2022年12月4日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s “Post-Mayweather-Pacquiao, interest in boxing has sagged in 2015”. Bad Left Hook (2015年10月23日). 2015年10月27日閲覧。
関連項目
- 男子ボクサー一覧
- オリンピックのボクシング競技・メダリスト一覧
- 世界ボクシング機構(WBO)世界王者一覧
- 国際ボクシング連盟(IBF)世界王者一覧
- 世界ボクシング協会(WBA)世界王者一覧
- 世界ボクシング評議会(WBC)世界王者一覧
- リングマガジン世界王者一覧
- 統一世界王者
- 複数階級制覇
外部リンク
- オスカー・デ・ラ・ホーヤの戦績 - BoxRec
- ゴールデンボーイ・プロモーションズ公式サイト内紹介ページ
- オスカー・デ・ラ・ホーヤ (@OscarDeLaHoya) - X(旧Twitter)
- オスカー・デ・ラ・ホーヤ (@oscardelahoya) - Instagram
- オスカー デ・ラ・ホーヤ コトバンク
- ウィキメディア・コモンズには、オスカー・デ・ラ・ホーヤに関するカテゴリがあります。
前王者 ジミー・ブレダル |
WBO世界スーパーフェザー級王者 1994年3月5日 - 1994年(返上) |
空位 次タイトル獲得者 レジリオ・ツール |
空位 前タイトル保持者 ジョバンニ・パリージ |
WBO世界ライト級王者 1994年7月29日 - 1996年(返上) |
空位 次タイトル獲得者 アルツール・グレゴリアン |
前王者 ラファエル・ルエラス |
IBF世界ライト級王者 1995年5月6日 - 1995年7月(返上) |
空位 次タイトル獲得者 フィリップ・ホリデー |
前王者 フリオ・セサール・チャベス |
WBC世界スーパーライト級王者 1996年6月7日 - 1997年(返上) |
空位 次タイトル獲得者 コンスタンチン・チュー |
前王者 パーネル・ウィテカー |
WBC世界ウェルター級王者 1997年4月12日 - 1999年9月18日 |
次王者 フェリックス・トリニダード |
空位 前タイトル保持者 フェリックス・トリニダード |
WBC世界ウェルター級王者 2000年2月28日 - 2000年6月17日 |
次王者 シェーン・モズリー |
前王者 ハビエル・カスティリェホ |
WBC世界スーパーウェルター級王者 2001年6月23日 - 2003年9月13日 |
次王者 シェーン・モズリー |
前WBA正規王者 フェルナンド・バルガス |
WBA世界スーパーウェルター級スーパー王者 2002年9月14日 - 2003年9月13日 |
次スーパー王者 シェーン・モズリー |
前王者 フェリックス・シュトルム |
WBO世界ミドル級王者 2004年6月5日 - 2004年9月18日 |
次王者 バーナード・ホプキンス |
前王者 リカルド・マヨルガ |
WBC世界スーパーウェルター級王者 2006年5月6日 - 2007年5月5日 |
次王者 フロイド・メイウェザー・ジュニア |