「ノート:ラジニーシ教団によるバイオテロ事件」の版間の差分
→改名提案の再開 2024年8月: 返信: 賛成票、改名先「ラジニーシ教団によるバイオテロ事件」 |
m 呉野 がページ「ノート:ラジニーシ事件」を「ノート:ラジニーシ教団によるバイオテロ事件」に移動しました |
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2024年9月4日 (水) 09:32時点における版
より適切なページ名への改名を
より適当なページ名への改名を提案します。--MICCAgo(会話) 2020年6月1日 (月) 13:12 (UTC)
- 情報 当記事は上記提案の翌日の2020年(令和2年)6月2日に「ラジニーシによるバイオテロ」⇒「ラジニーシ教団によるバイオテロ」へ改名移動されました(差分/77834681)。--Yumoriy(会話) 2024年7月28日 (日) 14:04 (UTC)
改名提案
本記事についてラジニーシ事件あるいはラジニーシ教団事件へと改名することを提案します。用例としては多くありませんが、前者はバイオセキュリティ研究会の会議録や宮坂直史氏によるこちらの論文などがあります。後者についてはモーリー・ロバートソンによる週プレニュースの記事くらいですが、この集団を取り扱った書籍・資料などでは「ラジニーシ教団」としている例が多くみられることによります。
まず、この記事は2012年9月1日に「ラジニーシによるバイオテロ」という記事名で立項されました。その後、2020年5月31日に改名提案テンプレートが貼られましたが、提案者の履歴を確認したところ、正式に改名提案には出されていません。そして記事は提案者によって2日後の6月2日に「ラジニーシ教団によるバイオテロ」へと改名されています。これは本来定められている審議期間を無視した、議論無しでの改名強行と見なせるでしょう。さらに2021年4月1日になって他の利用者によって、再び議論無しで「シーラ・シルバーマンによるバイオテロ」への改名が強行されています。この際に当該利用者は要約欄に「適切な名前でなかったため」と書いていますが「改名後の記事名が適切」と誰が判断したのでしょうか? この2人の編集履歴を見る限りではかなり傾向が似ており、同一人物あるいは関係者ではないかとの疑念を払拭できません。
なお、改名跡地のうち、現在の記事名である「シーラ・シルバーマンによるバイオテロ」については独自研究に等しいと思われますので、削除すべきと考えます。--KAMUI(会話) 2022年10月17日 (月) 09:57 (UTC)
- (報告)改名しました。リダイレクトについてはRFDに提出しています。--KAMUI(会話) 2022年10月24日 (月) 19:27 (UTC)
- 情報 当記事は2022年(令和4年)10月24日に「シーラ・シルバーマンによるバイオテロ」⇒「ラジニーシ事件」へ改名移動され(差分/92106426)、移動後の跡地は同日提出のWikipedia:リダイレクトの削除依頼(WP:RFD)により同年10月29日に削除されました(差分/92183312、参照:ページの公開記録)。なお、「ラジニーシ教団によるバイオテロ」⇒「シーラ・シルバーマンによるバイオテロ」への改名移動は上記投稿にあるように2021年(令和5年)4月1日付で実施されていました(差分/82770080)。--Yumoriy(会話) 2024年7月28日 (日) 14:04 (UTC)
改名提案 2024年7月
英語記事が1984 Rajneeshee bioterror attackで、「Rajneeshee」がラジニーシの弟子・信者のことですが、日本では名詞として知られていないので、「ラジニーシの弟子」「ラジニーシの信者」「ラジニーシの教団員」等と表記する必要があります。日本語版Wikipediaではラジニーシの記事はOshoとなっており、合わせて「Oshoの弟子」「Oshoの信者」「Oshoの教団員」等と表記するべきですが、Oshoを記事命名ルールに沿って「オショー」への改名提案をしており、合わせて「オショーの弟子によるバイオテロ攻撃」もしくは「オショーの教団員によるバイオテロ攻撃」に改名することを提案します。現状の記事名では、何の記事かよく分かりませんでしたし、人名の表記がばらけるのはよろしくないと思います。--呉野(会話) 2024年7月27日 (土) 13:52 (UTC)
- こんにちは。ご提案ありがとうございます。「人名の表記がばらけるのはよろしくない」とのご主旨は了解できます。当事件について詳しくないのですが、日本語文献でご提案の「オショーの弟子によるバイオテロ攻撃」や「オショーの教団員によるバイオテロ攻撃」などの呼称が一般的であることを示す資料 などはありますでしょうか。それが示されると、記事名の原則の第1に挙げられている「信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるもの。」という「信頼できる情報源における慣例」(記事名の付け方の目安)に従って改名に賛成しやすくなるように思いました。--Yumoriy(会話) 2024年7月28日 (日) 14:19 (UTC)
- 質問いただきありがとうございます。「○○事件」のような決まった呼び方はないようで、そのため英語版も「1984 Rajneeshee bioterror attack(1983年のラジニーシ―によるバイオテロ攻撃)」という説明的な記事名になっているのだと思います。英語のBritannicaの「Rajneesh movement」の記事では「a bioterror attack in 1984」と表記されていましたが、これは記事のテーマありきでの表記となります。
- また、ざっと調べたときに気が付いたのですが、ラジニーシ教団関係者の事件は、浮浪者を集めて一時的に住民にして投票させ、街の行政を乗っ取ろうとした別の大きな事件もあり、医療やテロ対策関係の話題の場合、ラジニーシ教団関連の事件と言えばバイオテロ攻撃、法律や行政関係の話題の場合、ラジニーシ教団関連の事件と言えば街の乗っ取りという傾向があるようでした。
- オショーと名乗るようになったのが最晩年なので、彼の生前の主な活動はおおむねラジニーシ名義で行われており、アカデミックな世界では当時の資料を用いて研究を行いますし、オショー名義を押している彼の財団に合わせる必然性もないので、アカデミックな資料ではあまりオショーという表記は使われないように思われます。
- それならラジニーシで合わせればいいという話になるのですが、ファンが悪いイメージのついたラジニーシ表記を忌避しているようで、彼の記事のラジニーシへの改名とその維持はなかなか骨が折れる作業になりそうです。また、新しく出版される書籍はOSHO名義なので、日本ではOSHOの名義が今ではかなり一般的になっており、現在彼の情報に新しく触れる一般の人はラジニーシという表記を知らない人も多いでしょうし、どちらが適当とも言いかねると感じます。
- 「1984年ラジニーシ―事件」
- 201234033A0008.pdf 食品防御の具体的な対策の確立と実行検証に関する研究(使用例はこれのみ)
- 「ラジニーシ事件」
- 「『ラジニーシ』事件」
- 「1984年ラジニーシ―事件」
- 行政乗っ取り事件を「ラジニーシ事件」と呼んでいる例
- 今検索してみたところ、このような感じでした。この事件は、通称を聞いて事件の内容が思い出されるほど日本では知られていないように思います。--呉野(会話) 2024年7月28日 (日) 15:21 (UTC)
- 英語版のトークページのアーカイブを最近のものまで確認しましたが(最新のアーカイブ en:Talk:Rajneesh/Archive 12)、信奉者が一次資料と検索結果の数を根拠にOSHOへの改名を提案し、コミュニティがルールに従って学術的な二次資料を根拠に却下する(en:Talk:Rajneesh/Archive 12#Requested move 13 September 2016)という動きが繰り返されており、確かにWikipediaのルール上現状もまずいのですが、「オショー」への改名も不適切だと思われ、「ラジニーシ」「パグワン・シュリ・ラジニーシ」への改名が適当ということになります。現在日本ではオショー=ラジニーシ運動は下火で、そのため情報発信がほぼ運動側からしかなく「OSHO」表記となっていることから、記事oshoでの改名案を折衷的に「オショー・ラジニーシ」に修正し、それに伴い本記事の改名案もオショー・ラジニーシの弟子によるバイオテロ攻撃もしくはオショー・ラジニーシの教団員によるバイオテロ攻撃に修正しました。--呉野(会話) 2024年7月30日 (火) 09:44 (UTC)
- コメント たくさんの情報ありがとうございます。なんだか難しいことになっているのですね…。(前セクションと見出し名が重複していたため見出しを修正させていただきました。ご寛恕ください。)
キーワード「1984 バイオテロ オレゴン」で検索してみると、(WEB上の)日本語文献での当事件についての言及が総覧できる印象を持ちました。検索結果を精査できておらず印象論なのですが、改名先は「ラジニーシ教団によるバイオテロ事件」あるいは呉野さんの修正提案を勘案すると「オショー・ラジニーシ教団によるバイオテロ事件」あたりが妥当な記事名のように私には思われました。
(当初のご提案にあった「オショーの弟子によるバイオテロ攻撃」もしくは「オショーの教団員によるバイオテロ攻撃」への改名は、日本語用例もなく、関連する文献〈信頼できる情報源〉へのアクセスも困難にすると思われますので、明確に好ましくない、と私は考えます。また一方で、現在の主ページはバイオテロ事件に焦点した内容となっていることから「ラジニーシ事件」という現行記事名も適切でない、とWEB検索結果から感じています。)--Yumoriy(会話) 2024年8月7日 (水) 15:23 (UTC)- 返信 改名案のご提案ありがとうございます。セクションの修正についても、お手数おかけしました。今の記事名に強引に改名されてしまった理由のひとつが、ラジニーシのフォロワーは「信者」や「教団」という言い方をことのほか嫌うためだろうと推察し、激高したフォロワーが多く集まってノート:Osho/過去ログ1のような状態になった場合に対応する自身がなく、「ラジニーシ教団」という言葉を避けてみたのですが、それで適切でない改名案になっては本末転倒でしたね。島岩・坂田貞二 編『聖者たちのインド』春秋社、2000年収録の、足沢一成「ラジニーシ教団 教団の形成・外部社会との対立・対立の回避」のタイトルでも「ラジニーシ教団」となっており、Yumoriyさんにご提案いただいた「オショー・ラジニーシ教団によるバイオテロ事件」でよいと思います。来週末まで待って異論が出なければ、こちらで改名作業を行いたいと思います。--呉野(会話) 2024年8月11日 (日) 12:35 (UTC)
- コメント たくさんの情報ありがとうございます。なんだか難しいことになっているのですね…。(前セクションと見出し名が重複していたため見出しを修正させていただきました。ご寛恕ください。)
- 教団ではない為、「オショーの弟子によるバイオテロ攻撃」が良いと思います。もしくは、「マ・アナンド・シーラによるバイオテロ攻撃」が良いと思います。
- 伊藤雅之『現代社会とスピリチュアリティ』P77〜P79 を読んでみて下さい。この件は弟子が起こしたものであり、オショーは関わっておりません。--ダイヤモンド123(会話) 2024年8月12日 (月) 07:31 (UTC)
インデント戻します。Wikipedia:投稿ブロック依頼/ダイヤモンド123を提出しておりますので、こちらが決着するまで改名はいったん保留とします。--呉野(会話) 2024年8月14日 (水) 11:14 (UTC)
- 当セクションでの改名提案は保留とのこと、了解いたしました。また、上でご教示のあった書籍を実見できました。
- 第II部が「フィールドへの接近 : 和尚ラジニーシ・ムーブメントの事例」と題されており、第4章「和尚ラジニーシ・ムーブメントの歴史的展開 : 制度化と脱制度化を軸として」(初出:「ニューエイジの実践に関する歴史的考察 : 和尚ラジニーシ・ムーブメントの制度化と脱制度化」『宗教研究』第73巻第3号〈日本宗教学会〉、1999年12月)、および第5章「宗教の暴力性 : 信者の心が揺れるとき」(単行本書き下ろし)、第6章「イニシエーション前後の価値観の変化 : 当事者への聞き取り調査から」(初出:「イニシエーションまでの過程 : 和尚ラジニーシ・ムーブメントの場合」『ソシオロゴス』第21号〈ソシオロゴス編集委員会(東京大学社会学研究室)〉、1997年10月)の3論文が、“和尚ラジニーシ・ムーブメント”を扱った専論となっていました。なお、本文ではオショー・ラジニーシ氏個人については一貫して「ラジニーシ」の呼称でのみ言及・記述され(「和尚」「オショー」の名では記述されていません)、弟子・信徒らを含む「運動」については「和尚ラジニーシ・ムーブメント(Osho Rajineesh Movement、以下ORM)」(p. 64)との呼称で言及されているようです。--Yumoriy(会話) 2024年8月19日 (月) 18:40 (UTC)
- いろいろとご確認ありがとうございます。この記事の改名が必要だと考えたのは、Oshoとラジニーシ事件という記事名に情報の連続性がなく、「良い情報」はOsho、「悪い情報」はラジニーシという情報工作を疑ったためですが、私としてはこの記事をどうしてもこの記事名にしたい、というこだわりがありません。Oshoはオショー・ラジニーシに改名したので、この記事にオショーと入れなくても、一応情報の連続性はある状況にはなりました。
- 事件当時には「オショー」名義は使われていないので、事件に言及される場合は当然「オショー」とは使われないんですよね。やはり「ラジニーシ教団によるバイオテロ事件」が適切でしょうか。(財団側のイメージ戦略に乗ってしまう形になるかもしれませんが、これはもう仕様がありません)--呉野(会話) 2024年8月21日 (水) 10:13 (UTC)
改名提案の再開 2024年8月
改名提案の再開、了解いたしました。おつかれさまです。
現時点で私(Yumoriy)は、(A)「ラジニーシ教団によるバイオテロ事件」あるいは(B)「オショー・ラジニーシ教団によるバイオテロ事件」が改名先として妥当だと考えています。が、どちらがより適切か、その判断の基準が見えない状態です。ウィキペディア上でラジニーシ個人についての独立項目が「オショー・ラジニーシ」としてあるなら後者(B)の記事名のほうがよい気がしますし、ウィキペディア外のさまざまな情報源への/からのアクセスを考えたら前者(A)のほうがよいような気がします。こうした場合、どう考えたらよいのでしょうか?
上で参照指示をいただいた伊藤雅之『現代社会とスピリチュアリティ』(渓水社, 2003)のpp. 77-79(第4章「和尚ラジニーシ・ムーブメントの歴史的展開 : 制度化と脱制度化を軸として」)も確認しました。本項主題のバイオテロを含むオレゴン州のラジニーシ・コミューン内外での不法行為の発覚とその後が述べられていますが、ダイヤモンド123さんがおっしゃっていたとおり(差分/101446698)、バイオテロ事件へのラジニーシ個人の関与は言及されていませんでした。一方で同箇所には「オレゴン共同体も次第に全体主義的な特徴をもつようになる。[...] オレゴン共同体の外部でも、ORM〔和尚ラジニーシ・ムーブメント〕の中央集権化と標準化は進んでいった。オレゴンのスタッフは世界各地の瞑想センターを訪れて、ラジニーシプーラム〔en:Rajneeshpuram〕への寄付を強く求めた。また、各自が独自に運営していた瞑想センターを1つにまとめ、各国に大きなコミューンを作ることを要求した。」(pp. 76-77)といった記述があり、本項主題のバイオテロ事件を引き起こした当時のラジニーシ・コミュニティが「全体主義的な特徴」を示す“教団”的な性質を強めていたことが垣間見えました。こうした専門研究者による記述に徴しても、記事名に「ラジニーシ教団」との表現があったとしても、「教団ではない為」おかしい、といった違和感は実際には低いのではないか、と感じました。(なお、同書第5章「宗教の暴力性 : 信者の心が揺れるとき」では、バイオテロ事件とラジニーシ個人の関係について「ラジニーシへの信頼を失う根拠は十分にあるように思われる。ORM幹部が行った犯罪にラジニーシも関与していた、また関与していないとしても、幹部たちが行っていることを知っていた可能性は十分にある。そもそも、シーラを個人秘書に任命したのは、ほかならぬラジニーシ自身である。」(pp. 92-93)と評価されていました。) --Yumoriy(会話) 2024年8月25日 (日) 14:29 (UTC)
- いろいろとご確認いただきありがとうございました。最近オショー・ラジニーシの記事を加筆しており、私もいくつも資料を見たのですが、「ラジニーシ教団」という表記は一般的で(これ以外に宗教組織として呼びようがないというのはあるかと)、学術的に宗教団体という扱いなので、「ラジニーシ教団」の表記は問題ないと思います。
- 一方「オショー・ラジニーシ」という表記なんですが、彼の生涯を一貫して語るならぎりぎりありと考えられるので、人物記事の方はこちらで改名しましたが、このバイオテロ事件はひとつの出来事で、改名以前のことなので、当然学術資料で「オショー」と入っていることもなく、この記事名に「オショー」と入れると、意味不明になってしまうかなと感じました。
- 以前は人物記事が「Osho」、本記事が「ラジニーシ事件」で、「Osho」からこの記事へのリンクもなく、カテゴリもなく、意図的に分断されていましたが、現在はきちんと繋がっていますし、「ラジニーシ教団によるバイオテロ事件」で問題ないかと思います。
- オショー・ラジニーシ#オレゴンでの犯罪行為についてで、宗教学者による「すべての証拠は、シーラと彼女の小さなサークルだけがこれらの行為に直接関与していたことを示しているが、ラジニーシが彼女たちの犯罪行為を支持していたかどうかは、依然として論争が続いている」という文章を引用していますが、本記事の事件はラジニーシ教団のメンバーが行った犯罪ですので、ラジニーシが知っていたかどうかでこの記事名が左右されることはないと考えられます。一応ファンの方向けに説明しますが、「シーラ・シルバーマンによるバイオテロ事件」と言われても、そんな表記は一般的に存在せず、記事のアクセシビリティが著しく低下し、Wikipediaの記事の命名ルールにも沿いません。--呉野(会話) 2024年8月27日 (火) 10:42 (UTC)
- 改名先は「ラジニーシ教団によるバイオテロ事件」が妥当とのこと、了解できました。そちらへの改名に賛成いたします。
- 先に「教団ではない為、「オショーの弟子によるバイオテロ攻撃」が良い」(8月12日)と懸念が示されていた点について、(1) 社会的にも信頼できる情報源においても「教団」の表記が一般的であり、また (2)「これ以外に宗教組織として呼びようがない」とのご指摘で納得いたしました。後者(2) については「ラジニーシ弟子集団」「ラジニーシ・セクト」「ラジニーシ信徒集団」「ラジニーシ支持者集団」などさまざま言い換えも考えてみましたが、いずれも信頼できる情報源での用例はないだろうと思います。「本記事の事件は ラジニーシ教団のメンバーが行った犯罪 ですので、ラジニーシが知っていたかどうかでこの記事名が左右されることはない」とのご指摘も妥当と考えます。 一方で、呼称「オショー・ラジニーシ教団」については学術資料(信頼できる情報源)に用例が見られないとのことで、採用すべきでない、と思いました。
- なお、WEB検索してみたところ、呼称「ラジニーシ教団」の当ノートでまだ言及されていない用例として次の2点の書籍が目を惹きました。
- (A)は2018年刊で論文アンソロジー「いま宗教に向きあう」シリーズの第3巻。宗教学を専門とする藤原聖子氏による巻頭総説「序論 : 20世紀から21世紀への流れ」に、「〔ニューエイジと名づけられた〕このような対抗文化的宗教運動は、個々人で実践される場合もあるが、凝集性の高い教団の形をとることもあり、後者は狭義での「新宗教運動」(New Religious Movements, NRM)となる[(5)]。19世紀に興った、前述のクリスチャン・サイエンスやモルモン教(末日聖徒イエスキリスト教会)がキリスト教系の新宗教であるのに対し、この時代を代表する、インド人のグルが率いるラジニーシ教団やハレー・クリシュナ教団などは欧米社会にとってさらに新奇なものと受け取られたためである(日本ではこれに対応する教団は「新・新宗教」とネーミングされたが、欧米社会では新宗教というとまずこれらのアジア系教団やサイエントロジーのようなUFO/心理学系教団を指す)。」(pp. 4-5) と、“ラジニーシ教団”に歴史的なパースペクティブが与えられていました。
- (B)は租税法を専門とする法学者・石村耕治氏(白鷗大学名誉教授)の単著で1995年刊。「第11章 宗教集団による自治体支配の法的課題 : ラジニーシプラム市事件を素材として」が専論として立てられており、第1節の節題が「ラジニーシ教団と“門前町”の形成」で、“ラジニーシ教団”の呼称が見えます(以下、節構成は「2. オレゴン州政府の対応」「3. “門前町”と「政教分離」の原則」「4. 地方交付金,譲与税と「政教分離」「5. 運邦地裁での争点と決定」「6. 政治と宗教の接点上の課題分析」「7. むすびにかえて : わが国での実状分析も含めて」)。なお、著者の石村氏には編著として『宗教法人法制と税制のあり方 : 信教の自由と法人運営の透明性の確立』(法律文化社, 2006年)もあり、宗教団体についても一定以上の学識があると推定できます。
- 以上2件いずれも「「ラジニーシ教団」という表記は一般的」との呉野さんの指摘を支持する信頼できる情報源と言え、改名先は「ラジニーシ教団によるバイオテロ事件」とするのが妥当だと考えました。--Yumoriy(会話) 2024年9月3日 (火) 10:24 (UTC)