ノート:オショー・ラジニーシ/過去ログ1
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アメリカ時代の記述について
[編集]ちよつと気になつたのですが、アメリカ合衆国がらみの記述は事実もしくはオショウ・コミューン関係者以外の人にも支持された意見なのでせうか。さうでなければ中立的な観点に立つてゐない記述であると思ひます。(私はオショウに関しては全く知らないので、見当違ひの指摘だつたら済みません)nnh 12:08 2004年4月17日 (UTC)
- どうも後指摘ありがとうございます。言い切ってしまうのは行きすぎでした。オショウ側の主張と言う表現に変えて中立的な文章にしました。当然アメリカ政府は同意しないでしょう。--Setu 12:36 2004年4月18日 (UTC)
- すでに16年前の対話なので、より分かりやすいタイトルとしました。--Bhavesh.jp(会話) 2020年10月25日 (日) 07:22 (UTC)Bhavesh.jp
提案、英語表記は「Rajneeshpuram」のワンワードなので、日本語表記も「ラジニーシプーラム」と表記することを提案します。すで日本語文献では統一されていますが、こちらの記事だけ2ワードになっていて統一感がありません。もし異論がなければ、随時変更させていただきたいと思います。--Bhavesh(会話) 2020年11月10日 (火) 02:10 (UTC)Bhavesh
バイオテロリズム?
[編集]↓の件について言及が無いようですが、まったく無視というのもいかがなものでしょうか。Kadzuwo 2009年3月20日 (金) 06:35 (UTC) http://www.google.co.jp/search?hl=ja&safe=off&num=100&q=%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%82%B7+%E3%83%8D%E3%82%BA%E3%83%9F%E3%83%81%E3%83%95%E3%82%B9%E8%8F%8C
→ リンク先(2チャンネル)での書き込みをあたかも信頼できる情報のように扱うのは不適切です。
「ラジニーシってサルモネラ菌かネズミチフス菌を撒いて生物テロやらかしたカルト教団の教祖」
これは情報が混乱しています。サルモネラ菌を撒くというのは、ラジニーシプーラムでシーラが計画していたとされる犯罪行為として報道されたことがありますが、シーラはオショウを無視してコミューンの実権の掌握を狙った女性であり、あたかもオショウがこのような犯罪を指示したかのように思わせる主張は事実を歪めています。
根拠の薄い記述なので、誤解をまねかないように、タイトルを中立的にしました。--Bhavesh.jp(会話) 2020年10月25日 (日) 07:25 (UTC)Bhavesh.jp
というか、上記の後に、また違った形で編集がはいりました。いろいろな意見、参考になります。--Bhavesh.jp(会話) 2020年10月26日 (月) 02:32 (UTC)Bhavesh.jp
「Osho」という呼称について
[編集]「Osho」という呼称については、以下の問題点がある。
1)「オショウ(和尚)」という呼称は人名でなく、あくまでもラジニーシ師の信者によるラジニーシ師への尊称に過ぎず、客観性を欠く。(宣伝・布教目的の編集は禁止)
2)「オショウ(和尚)」という呼称は、ラジニーシ師の生前は最晩年のわずか2年間弱の間でのみ使用された呼称に過ぎず、生前のラジニーシ師の事績を扱った本項の名称に相応しくない。また"改名後"の日本の刊行物をチェックしても(そこには最終的にはシンプルにOSHOへと段階を経て変名する本人の意向があったにせよ)、和尚、OSHO、オショー・ラジニーシ、和尚ラジニーシなど混乱が見られ、統一呼称としてはラジニーシのほうが適していると考えられる。
3)「オショウ(和尚)」という呼称は日本仏教における日本語にすぎず、幾ら生前の本人による意向とは言え、この呼称を使用する事は世界の諸宗教に対して幅広い見識を持っていたラジニーシ師の宗教観をあたかも日本仏教のが主体であるかの如く矮小化させる効果しか無く、生前のラジニーシ師の事蹟を正しく反映しているとは言えない。
4)「オショウ(和尚)」という呼称は日本語で「仏教僧」という意味の伝統的な一般名詞であり、日本国内では今後ラジニーシ師の固有人名として一般化する可能性は極めて低い。
5)バグワン(目覚めた者、あるいは勝利者)・シュリ(尊称)・ラジニーシ、いわば「覚醒者ラジニーシ様」と自らを称することについて、ラジニーシ師はこうした常識を外れた行為によって信者の心を揺さぶっているのだ、と述べていた。となれば、これをオショウとすることはラジニーシ師の思想や人間性の特徴をゆがめたり矮小化することにもつながる可能性がある。
6)ラジニーシ師が思想的に最も影響を与えた時期は『バグワン・シュリ・ラジニーシ』を称していた時期であろう。(ほとんどの期間がそうなのだから当然ではあるが。)当時影響を受けたものからすれば、本人及び信者の意向とはいえ、ラジニーシ師を知識上の項目として最終的にオショウとすることに違和感を持つものは少なくないだろう。
よって、本項のラジニーシ師の人名は、「オショウ(和尚)」という呼称ではなく生前より世間に広く知られている「バグワン・シュリ・ラジニーシ 」にすべきと思われます。
以上の点に有効な反論がない場合、本項の「オショウ(和尚)」という呼称を全面的に改定させて頂きます。
なお、ラジニーシ師の死後の信者活動については、「オショウ(和尚)」という呼称も商標として認められているので問題は無いと思います。 --PurpleCarpenter 2010年10月16日 (土) 17:34 (UTC)
- 異論が出なかったため、「バグワン・シュリ・ラジニーシ」に改名しました。--Mait 2011年3月9日 (水) 04:56 (UTC)
色々な各論から、バグワン シュリ ラジニーシの名称の妥当性を記載されていますが、何よりラジニーシ本人の、Oshoという呼称に対しての意向は各論以前のファクターとして考慮すべきであると思われます。Wikipediaにおいても、現在の信者・組織活動においてOshoという呼称が商標登録として認められている事にも留意すべき点はあろうかと考えます。 Anand Sanatano(会話) 2020年10月17日 (土) 15:35 (UTC)
バグワン・シュリ・ラジニーシという名称は、1974年3年から1988年8月までの14年間使用されたものであり、その後は1989年からはOSHOという名称のみ使われており、現在流通している日本を初め、英語や世界の多くの国で、数百の著書が使用しています。一般には、OSHOあるいは、その国の発音での表記がされています。つまり、1990年以降、すでに30年間にわたって、OSHOとして知られている人物なので、そう表記すべきです。--Bhavesh.jp(会話) 2020年10月18日 (日) 19:42 (UTC)Bhavesh.jp
- PurpleCarpenterさんが説明された改名理由は理にかなっており、英語版もOSHOでありません。改名には反対です。合意を形成してください。なお、改名の合意形成は多数決ではありません。--MICCAgo(会話) 2020年10月19日 (月) 10:47 (UTC)
- この人物は、一般的にバグワン等と呼ばれていたのは1974年から1988年までの14年間です。その後、世界各国で数百の出版物が続刊されていますが、その後の32年間は、世界中一貫してOSHO(あるいは、その国の音でOSHO)と表記されています。その他の呼称をつけるのは、まったく時代錯誤の、混乱を生み出します。この人物は、単にOSHOと呼ばれるべきで、このページもまた、そのように書き換えられるべきだと考えます。MICCAgo氏以外、異論はないようなので、今後一定期間をおいて、もし皆さまの特段のご意見がなければ、そうさせていただきますので、よろしくお願いいたします。--Bhavesh.jp(会話) 2020年10月21日 (水) 11:59 (UTC)Bhavesh.jp
- --PurpleCarpenter さんが上記発言されたのは、2010年10月16日 (土) 17:34 (UTC) のことであり、すでにちょうど10年が経過しています。、私は、2020年10月18日に、「すでに30年間にわたって、OSHOとして知られている人物なので、そう表記すべきです。」と提案いたしました。それに対し、上記MICCAgoさん以外、特段の反対意見はないようなので、10月18日から起算し、二週間後の11月1日をもって、呼称をOSHOに変更させていただきたいと考えております。商標関連などについての情報や、賛成、反対の意見を求めます。ご意見のある方は積極的に、この場にて発言いただければ幸いです。--Bhavesh.jp(会話) 2020年10月23日 (金) 04:35 (UTC)Bhavesh.jp
- 人物記事で存命時ではなく死後の状況が重視されるというのは、ウィキペディアのどこにそうしたルールがあるでしょうか?また、合意の形成というのは、合意が形成されるまで続きます。「今後一定期間をおいて、もし皆さまの特段のご意見がなければ、そうさせていただきます」とおひとりで決めることはできません。合意が形成される前に記事を改変しないよう、よろしくお願いいたします。--MICCAgo(会話) 2020年10月21日 (水) 12:51 (UTC)
- こちらにガイドラインWikipedia:合意形成がありますので、ご一読ください。ガイドラインに書かれていますが、合意は多数決ではありませんので、ご理解ください。--MICCAgo(会話) 2020年10月21日 (水) 13:04 (UTC)
・Oshoの表記についてですが、「死の1年程前に自らの名をOsho(和尚/オショー)に変えており」というのは事実です。私の意見は、個人が自身の名前を変えたのであるからOshoという表記にするのが自然だと思います。近年はインターネットの普及により、横書きが多くなり、Wikiもすべて横書きです。翻訳における海外の人名(日本語以外の名前)については、オリジナル言語でそのまま記述することが多くなりました(またはカタカナ表記です)。したがって、「Osho」で統一するのが良いと思います。--Swachid(会話) 2020年10月22日 (木) 00:07 (UTC)
現在は、彼の昔の名前を覚えている人はまれだと思います。私個人は、彼がバグワンと呼ばれていた頃から知ってますが、バグワンとかラジニーシと呼ばれると違和感を感じます。1990年を過ぎてから関わっている人は多く彼らはOshoの名前しか知りません。
また、たぶんウィキペディアに記事はないと思いますが、元オショウの弟子でラジニーシという弟子の名前を持っていたたぶんインド出身の香港あるいは南米在住の人物がおり、彼自身の宗教的活動をはじめてOshoの公式な流れとは対立しています。 Osho周辺の一部の人々ではラジニーシというとこの人物を指すことがあり、このラジニーシは後にオショウ・ラジニーシと自称しています。
そのような2つの理由から、本記事のタイトルを Osho にすることに賛成します。
また、聞いた話ですが、英語版は現在Rajneeshになっていますが、以前、Osho に戻すことが提案されて合意が取れた後に、一度、Oshoに戻されていたそうです。
その後、特に合意形成もなしに Rajneeshに変えられたと聞いています。たぶん、確認をしようとすれば、確認が取れる範囲だと思います。
新Osho Rajneeshですが、Ozen Rajneeshと改名したようです。サイトが見つかったので、置いておきます。 https://ozenrajneesh.com/ozen-swami-rajneesh/
よろしくご理解をお願いします。 Setu(会話) 2020年10月23日 (金) 06:15 (UTC)
Sanatanoさん、MICCAgoさん、Swachidさん、Setuさん、ご意見ありがとうございます。他に意見があるかもしれませんので、もう少し待って、みんなの合意を形成できればいいなぁ、と思います。--Bhavesh.jp(会話) 2020年10月24日 (土) 10:18 (UTC)Bhavesh.jp
MICCagoさんが4月に編集された内容ですが、その時点及び現在の海外でのWikipedia
Osho ページと比較しますと、記載内容に大きな隔たりがあります。Oshoの存在を考慮しますと、世界各国で共有でき、かつ国際的な記載のあり方は求められて然るべきでしょう。現在、すでに記事については改編がされ、偏りのない正確なものとなっており、記事内容からもページタイトルはOshoとするのが正しいかと考えます。 ShiningStar1979(会話) 2020年10月24日 (土) 11:43 (UTC)
MICCagoさんが4月に編集された内容ですが、その時点及び現在の海外でのWikipedia
Osho ページと比較しますと、記載内容に大きな隔たりがあります。Oshoの存在を考慮しますと、世界各国で共有でき、かつ国際的な記載のあり方は求められて然るべきでしょう。現在、すでに記事については改編がされ、偏りのない正確なものとなっており、記事内容からもページタイトルはOshoとするのが正しいかと考えます。 ShiningStar1979(会話) 2020年10月24日 (土) 11:49 (UTC)
みなさん、いろいろな意見ありがとうございます。私はちょっと混乱しているのですが、OSHOとOshoと二つの表記がありますが、どちらをご希望なのでしょうか? また違いはあるのですか? 分かっている方あれば、教えてください。できればその根拠や由来なども、お願します。--Bhavesh.jp(会話) 2020年10月24日 (土) 12:05 (UTC)Bhavesh.jp
サイトにより異なっていますが、OSHO Internationalや、OSHO JapanではOSHOの表記です。代表的なサイトでの表記に統一しても良いかと考えます。 ShiningStar1979(会話) 2020年10月25日 (日) 00:43 (UTC)
OSHO はロゴのようなもので、wikipedia の文章内では、Osho と明記するのが正しいでしょう。 まらかいとまっくす(会話) 2020年10月25日 (日) 01:16 (UTC)
まらかいとまっくすさん、ありがとうございます。理解できました。私もOsho表記に賛成します。--Bhavesh.jp(会話) 2020年10月25日 (日) 01:39 (UTC)Bhavesh.jp
Osho、との表記の件、了解致しました。異存ありません。 ShiningStar1979(会話) 2020年10月25日 (日) 03:20 (UTC)
- アカデミックな書籍では、ラジニーシを取り上げる場合、当然存命時が中心であり、Oshoという名前を中心に取り上げられることはありません。よって反対です。合意というのは、議論参加者全ての意見が一つの結論でまとまることです。合意もないのに冒頭の呼称青変えられている方がいますが、おやめください。--MICCAgo(会話) 2020年10月25日 (日) 13:29 (UTC)
反対 Google Scholarでの"Bhagwan Shree Rajneesh" での検索結果が約1,860件であるのに対し、"Osho Rajneesh"での検索結果では約353件に留まります。ダブルクォート抜きの「Osho Rajneesh」検索でも約1,390件に留まり、「Bhagwan Shree Rajneesh」での検索結果(ダブルクォート抜きでは約2,000件)がより優位であることに変わりがありません。Bhagwan Shree Rajneeshとして知られている人物なのであれば、そのまま音写すべきでしょう。百科事典の見出し語としては、より良く知られた名前がふさわしいように思いますので、改名には反対です。--Strangesnow(会話) 2020年10月25日 (日) 21:04 (UTC)--Strangesnow(会話) 2020年10月25日 (日) 20:56 (UTC)
検索結果の話ですが、OSHO や Oshoではどうなんでしょうか? まらかいとまっくす(会話) 2020年10月25日 (日) 22:33 (UTC)
すみません。検索してみました。上記の質問は取り消します。 まらかいとまっくす(会話) 2020年10月25日 (日) 22:56 (UTC)
- 返信 Osho(ないしOSHO)は一般名詞かつ他の人物もよく使う名前なので単体ではちょっと検索が難しいです。ちょっと変わった検索で「Bhagwan Rajneesh -Osho」では約1,790件であり、「Osho Rajneesh -Bhagwan」では約647件でした。オショーの別名抜きで言及されるケースのほうが多いのだろうなと思っています。ざっくりとしか検索していないのですが、日本語での第三者言及の文献でも「ラジニーシ」のものが見受けられます。オショー表記の第三者文献が多くあるのであれば、何かしらで示してくださると改名に賛成しやすいです。--Strangesnow(会話) 2020年10月25日 (日) 23:16 (UTC)
Strangesnowさん、貴重な少数意見ありがとうございます。さまざまな意見を拝聴していて、大変参考になりました。なお、もっと多くの編集者の意見が聞ければいいな、と思います。みなさん、最後まで、総意を形成できるよう、ご協力おねがいします。--Bhavesh.jp(会話) 2020年10月26日 (月) 02:29 (UTC)Bhavesh.jp
Google Scholarの検索結果数は、次の通りです。
・「Bhagwan Shree Rajneesh」 約 2,000 件
・「Osho」 約 13,000 件
「Osho」の方が6倍以上になります。そもそも、Google Scholarは学術文献の検索サイトであり、論文等の文献数で知名度を図るというのは、あまり意味をなしません。
Googleにおける検索結果数ですが、以下となります。
■英語
・「Bhagwan Shree Rajneesh」 約 519,000 件
・「Osho」 約 20,900,000 件
■日本語
・「ラジニーシ」 約 45,400 件
・「オショー」 約 104,000 件
検索結果数は、知名度、浸透率と比例しています。結果は一目瞭然です。百科事典は、百年スパンの視座で観る必要があります。統計学的にも「Osho」がベストであることを示しています。--DY111(会話) 2020年10月27日 (火) 07:36 (UTC)
- 「Rajneesh」を伴わない「Osho」単独でヒットした件数が「Osho Rajneesh」への言及であるということはどのように確かめられたのでしょう。Googleでの検索結果には餃子の王将や大阪王将、辞典の単語やブランド名、ゲームプレイヤーのハンドル、将棋の「王将」、投資家の名前、富山の「大庄」駅などが含まれているようです。--Whatsfb(会話) 2020年10月27日 (火) 07:57 (UTC)
- Whatsfbさん、精一杯調べて、上記ぐらいだったのですね。お疲れさまです。Googleの精度が低かったのは10年ぐらい前までですものね。
--DY111(会話) 2020年10月27日 (火) 08:53 (UTC)
- 「精一杯調べて」はいません。「Rajneesh」そのものや明らかに「Rajneesh」のことを指すだろうキーワードを除外した上で、数ページ見ただけです。Googleを「Osho」単独で検索した際に「Osho Rajneesh」のことしか出ないのでしたらそれこそ精度が低いと言わざるをえないでしょう。--Whatsfb(会話) 2020年10月29日 (木) 13:51 (UTC)
さらに、長期的な視座で観れない方のために、理解の補助に、追記しておきます。 例えば、有名な「利休」は、生前は「宗易」と呼ばれていました。利休に変えたのは晩年です。Wikipediaにも次のように記されています。 「いずれにせよ「利休」の名は晩年での名乗りであり、茶人としての人生のほとんどは宗易を名乗る。」 https://ja-two.iwiki.icu/wiki/%E5%8D%83%E5%88%A9%E4%BC%91
わかりますか?本人の生前の略歴だから、生前に長く使われた名前を良しとする、視座の低さが。 なによりも本人の意志が尊重されて、後世に広がるものです。それを無視するということは、基本的人権を無視するということになります。 --DY111(会話) 2020年10月27日 (火) 08:12 (UTC)
- コメント Whatsfbさんが仰る通り、その検索方法では信頼度の高い結果は得られません。また、Google Scholarを用いる理由としては、個人のブログや書籍販売サイトなどを含まない、信頼できる二次資料を検索対象とするためです(Wikipedia:信頼できる情報源)。ウィキペディアで千利休として立項されているのは、認知度高く見つけやすい「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」であるためで、それ以上でもそれ以下でもありません(Wikipedia:記事名の付け方)。ところで主題が故人の記事について「基本的人権を無視するということになります」は意味が分かりません。もう少し具体的にお願いします。--Strangesnow(会話) 2020年10月29日 (木) 08:38 (UTC)
- Strangesnowさんはちょっと混同されているようですね。文献数を基に「認知度」を測るというのがナンセンスなわけです。そもそも出典の文献数が多くても、信頼度の高さはイコールではありません。文献、論文等はピンからキリまでありますので、質の高さはあくまでもその文献1点ごとに寄ります。だから、Google Scholarは判断基準にはならないと申し上げているのです。それにしても、類似語を除いても、Oshoの方が多いでしょうけどね(笑)
- ご指摘の(Wikipedia:記事名の付け方)ガイドラインにもあるように、最重要なのが名前の「認知度」です。現在と将来の一般大衆に、どの名前が浸透していくかということです。名前を決める基準は、この「認知度」です。だから、ベーシックなGoogle での検索数の方が重要になります。
- また、人権に関しては、本人が明確にOshoへの改名を表明し、それから30年以上を経って世界中にその名前が浸透してきています。例えば、レディ・ガガはOshoの本を愛読していることを公言しているように、著名人や文化人、メディアではほとんどOshoという名前を使っていて、その名前で世界中で認知されています。若い人々はOshoを知っていても、ラジニーシは知りません。
- このように本人の意志を無視し、現実的に世界中に浸透している知名度、認知度を無視することは、人権を尊重しないことに繋がると申し上げているのです。--DY111(会話) 2020年11月2日 (月) 08:32 (UTC)
- 別に若い人だけがウィキペディアを読むわけではありません。また、インターネット上だけの情報源策では不十分でしょう。過去にも多く言及されてきた人物です。書籍や論文などでの言及例を考慮に入れることは不可欠です(バグワンといわれなけれピンと来ない人だっています)。人権云々については何を仰りたいのかさっぱり伝わりませんでした。--Strangesnow(会話) 2020年11月3日 (火) 14:29 (UTC)
- Strangesnowさんはちょっと混同されているようですね。文献数を基に「認知度」を測るというのがナンセンスなわけです。そもそも出典の文献数が多くても、信頼度の高さはイコールではありません。文献、論文等はピンからキリまでありますので、質の高さはあくまでもその文献1点ごとに寄ります。だから、Google Scholarは判断基準にはならないと申し上げているのです。それにしても、類似語を除いても、Oshoの方が多いでしょうけどね(笑)
Strangesnowさんへ。しかしながら、公式サイトが、OSHOと言っているのでOSHOが正しいと思います。文章の中ではOsho 。 まらかいとまっくす(会話) 2020年11月4日 (水) 11:25 (UTC)
- 返信 (まらかいとまっくすさんへ宛) WP:CRITERIAの話をしています。本節を先頭から読まれてから、ウィキペディアの方針やガイドラインを下敷きに返信してくださると建設的な議論になります。--Strangesnow(会話) 2020年11月6日 (金) 03:11 (UTC)
- ながながと続いているこの議題ですが、やっぱりページ全体を「Osho」とすべきだとあらためて再提案します。--Bhavesh(会話) 2020年11月16日 (月) 19:34 (UTC)Bhavesh
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- 事典項目の見出しが「バグワン・シュリ・ラジニーシ」という1974年から89年まで用いられていた呼称になっているのは違和感があります。英語版はリーガルネームをとって「Rajneesh」となっています。過去30年使用されている「Osho」を仮に使用するとした場合、本文中の表記に関して2点おたずねがあります。
- 1)本文中すべてでOshoとなるのか。たとえば、「1974年、Oshoはムンバイからプネーに移動し、バグワン・シュリ・ラジニーシとして活動をはじめた。」となるのか。
- スウェーデンの研究者、Lisellote Friskはこの方法で表記しています(Google scholarで検索ください)。わたしには違和感がありますが、慣れの問題かもしれません。https://www.diva-portal.org/smash/get/diva2:520837/FULLTEXT01.pdf
- 2)日本語のwikipediaにおいて、その表記はOsho、オショー、和尚(オショー)のどれになるのか。日本語事典において、見出しが英語というのは問題ないのでしょうか。もしOshoにするなら、いくつかの類似する事例が必要です。これは慣れだけでなく、日本語の事典においての公共性、中立性に関わる事項かと思います。サニヤシンや共鳴者がOshoと呼んだり、日本語文中で表記するのは構いませんが、一般の文章で特定の人物のみを英語表記というのは違和感があります。ほかにこうした例があれば挙げていただければ納得できるかもしれません(ラジニーシ、バグワンでも日本語です。)あるいは、「オショー」として文中すべてで表記すると、別の意味での違和感がないか。慣れなのか。
- この2点についての編集者のみなさまのご意見をうかがいたいです。わたしの暫定的な意見は1)見出し 「オショウ・ラジニーシ」(あるいは「和尚ラジニーシ」)、本文はすべてラジニーシです。バグワンよりはよいというくらいなので、説得力のある議論をうかがいたいです。
--Itou masayuki(会話) 2020年11月17日 (火) 00:18 (UTC)
- 改名提案は「Wikipedia:記事名の付け方」のうち、「認知度が高い」「見つけやすい 」「曖昧でない」(WP:CRITERIA) という点で合意に至っていないわけですが、再提案の新たな根拠は何でしょうか。「ラジニーシ」や「バグワン」への改名なら再検討するのですが、「OSHO」(ないし「オショー」)への同じ視点からの改名提案をくりかえすだけならばいまのところ賛成する理由がありませんので 反対 です。--Strangesnow(会話) 2020年11月17日 (火) 00:39 (UTC)
Itou様、Strangesnow様、ご検討、大変ありがとうございます。わがまま言って申し訳ありません。これは私の感性の問題です。1989年以降、個人的にはずっとOshoでとうしてきて、30年間慣れ親しんできた呼称ですので、やはり急に変えることはできません。ただ、Wikipediaは私個人のものでも、友人たちや仲間内だけのものではなく、広く、多くの方々との共通認識としての場であってみれば、みなさんの意見もなるほど、とうなづけました。itou様や、Strangesnow様のおっしゃる、「ラジニーシ」に賛成させていただきます。「和尚」か「オショー(オショウ)」かは、みなさんの意見をもうすこしお伺いできればな、と思います。よろしくお願いします。--Bhavesh(会話) 2020年11月17日 (火) 03:50 (UTC)Bhavesh
- (Bhaveshさんが「Osho」と呼ぶように、ぼくが主題人物を呼ぶときは「バグワン」ですが、それらは個人的な話なのでおいておきます)「ラジニーシ・プーラム」「ラジニーシ・ムーブメント」「ラジニーシ教団」という言葉もあり、他に「ラジニーシ」と呼ばれる著名な人物がおらず、主題を指す言葉として曖昧でなく首尾一貫している点で「ラジニーシ」への改名であれば特に反対する必要もないかな、といまのところは思っています。--Strangesnow(会話) 2020年11月17日 (火) 04:56 (UTC)
Strangesnow様 貴重なご意見ありがとうございます。「ラジニーシ」への改名のご提案、そしてご賛同ありがとうございます。なお、私見ではありますが、私は「ラジニーシ・プーラム」ではなく、英語表記Rajneeshpuramに従って、「ラジニーシプーラム」とワンワードで表記していますこと、追記させていただきます。よろしくお願いします。--Bhavesh(会話) 2020年11月17日 (火) 05:38 (UTC)Bhavesh
- 私は、暫定的ですが、「ラジニーシ」に賛成です。理由ですが、「バグワン」は意味的に「祝福されし者」であり、仏陀やマハヴィーラにも使われた尊称であると聞いています。また「シュリー」は「先生、師」ぐらいの軽い尊称のようです。ですので、個人を表す意味としては「ラジニーシ」が適当かと思います。
- 「Osho」については長くなるので別の機会に譲りますが、「Osho」は個人名であり、「OSHO ®️」は知的財産権を有する瞑想技法などに使われていると認識しています。
- 冒頭の項目タイトルの直後に、かつてのフルネーム「バグワン・シュリ・ラジニーシ」や「Osho」「OSHO®️」などを列記すればいいのではないでしょうか。 Drachma12(会話) 2020年11月17日 (火) 07:47 (UTC)
- 情報 ところで改名提案の際は、「Wikipedia:ページの改名#改名前にすべきこと」「Wikipedia:改名提案#改名の手順のガイドライン」を参照し手順通りに行ってください。これらの手順に従わないで改名の提案・記事の移動を行うと、合意の形成に不備があるとして差し戻される場合があります。--Strangesnow(会話) 2020年11月18日 (水) 00:28 (UTC)
- 私は、暫定的ですが、「ラジニーシ」に賛成です。理由ですが、「バグワン」は意味的に「祝福されし者」であり、仏陀やマハヴィーラにも使われた尊称であると聞いています。また「シュリー」は「先生、師」ぐらいの軽い尊称のようです。ですので、個人を表す意味としては「ラジニーシ」が適当かと思います。
- Drachma12様、ラジニーシに賛同、ならびに情報提供ありがとうございます。Strangesnow様、重ねて情報提供ありがとうございます。この件の注意事項に気づいていませんでした。よく検討して、参考にさせていただきます。--Bhavesh(会話) 2020年11月18日 (水) 01:56 (UTC)Bhavesh
- 参考までに、現在、世界のWikipediaでこの人物が記載されているのは64言語。そのうち、日本語と同じ「Bhagwan Shree Rajneesh」を入口としているのは4言語のみ。「Osho」を入口として表記しているのは47言語(大文字のOSHOは無し)。「Rajneesh」が7言語。「Osho Rajneesh」が3言語。その他(「Chandra Mohan Rajnish」など)が3言語。世界のWikipediaにおいては、言語による文字の違いはありますが「Osho」がもっとも多く、標準と言えます。--Bhavesh(会話) 2020年11月26日 (木) 15:38 (UTC)Bhavesh
- 上のリストを画像にしてみました。 --Bhavesh(会話) 2020年11月26日 (木) 17:21 (UTC)Bhavesh
***
最近、本項目において、「ラジニーシ」から「Osho」への改変がされていますね。 ノートにおいて、「バグワン・シュリ・ラジニーシ」の呼称についていろいろな意見がでましたが、結論に至っておりません。きちんと議論し、ある程度の期間を設けて同意が得られてから編集をしませんか。ここでの書き込みが実りあるものとなるために。わたし自身は名称変更するかどうかについて、2点問題提起させていただきました。 --Itou masayuki(会話) 2020年11月17日 (火) 00:18 (UTC) 少し上のほうをご覧ください。
この点への見解を何もいただいておりません。日本語の辞典項目において、「Osho」だけ英語表記ということへの違和感があります。ご意見うかがいたいです。
世界のwikipediaの情報が掲示されていますが、残念ながら、ほとんどの言語を理解できません。できれば、英語圏のなかで、申し合わせをして合意された根拠資料(2次資料:学術書、学術論文、3次資料:Oxfordとかブリタニカ百科事典など)の情報をいただきたいです。 --Itou masayuki(会話) 2020年11月27日 (金) 10:36 (UTC)
- Itou様 質問ありがとうございます。このリストは、Wikipedia日本語版「バグワン・シュリ・ラジニーシ」の左サイドメニューにある「他言語版」から引き出したものです。ここには60数種の言語で書かれたWikipediaのこの同一人物についての記述があります。私はそれこそ日本語版とシンプル英語と英語版程度しか読めませんが、そのページの入り口になっている言葉を調べたものです。その言葉をコピペし、さらに、ネットのその言語の翻訳ソフトで日本語として表記したものです。日本語としたものの、でてくるのは英語(文字)でした。あきらかにBhagwan Shree Rajneeshは少数派で、かなりの言語がOshoで多数派です。Rajneeshも決して多くはありません。--Bhavesh(会話) 2020年11月27日 (金) 12:54 (UTC)Bhavesh
***
Bhaveshさま
お返事いただきありがとうございます。しかし、わたしの質問・コメントへの回答になっていません。
1)本辞典項目において、根拠資料の採用方針、そのほかの指針は本ノートにて提案され、議論し、合意形成をはかるようにしてきました。合意が得られたと思っても1週間の期間を辛抱強く待つようにしておりました。
「Osho」の呼称については、このノートで長らく議論がされ、まだ審議の途中のはずです。こうした状況のなか、勝手に「ラジニーシ」から「Osho」に改変されるというのは、wikipediaのガイドラインにおいても、本辞典項目のこれまで(とくに11月以降)の議論の蓄積からも、著しく信頼を損なう、ルール違反ではないですか。
2)日本語版wikipediaでの「Osho]とした場合の表記です(2度おたずねしたのに、返答がありません)。いまは英語表記に改変されています。日本語版の辞典項目にある人物を終始英語で記載するということはどのように正当化されるのでしょうか。わたしは違和感があると表現しました。これについて回答ください。また、ほかの人名について事例があれば、教えてください(できれば複数)。固有名詞、芸名に関しては、「TBSテレビ」「T.M. Revolution」などありますね。
掲載していただいた世界のwikipediaを少しだけ確認しました。フランス語、そのほかのヨーロッパのアルファベットを使う言語は、文章中で「Osho」との表記です。しかし、中国語版では、Oshoは「奧修」、ロシア語版は「Ошо」、韓国語版はハングルで表記されています。これに準拠すると、「ラジニーシ」はすべて「和尚」「オショー」「おしょう」のどれかに統一するということでしょうか。
あるいは、英語圏に準拠し、「Osho」になるのでしょうか。後者の場合、いまのわたしからはきわめてインサイダー的な観点からの人物表記であり、公平、中立な辞典での表記とは思えません。
それでもこの編集会議で合意されれば、それでも結構です。しかし、議論もなし、合意もなしで勝手に改変することには断固反対です。
--Itou masayuki(会話) 2020年11月28日 (土) 00:47 (UTC)
- Itou様 再度質問ありがとうございます。私は研究者でもなければWikipediaの管理者でもなく、一参加者ですので、いたらないところはどんどん指摘してください。また、間違っていたところがあったら、どんどん修正していただいて結構です。断固なになにする、というような姿勢は、私はすくなくともWikipedia上には持ち合わせていません。よろしくお願いします。なお翻訳ソフトの違いやタイミングにもよるとおもわれますが、Google翻訳ソフトによれば「奧修」は翻訳すると「Osho」、ロシア語版の「Ошо」も「Osho」、韓国語版はハングル「오쇼 라즈니쉬」は「Ōshō rajinīshi」と出るようです。お試しください。--Bhavesh(会話) 2020年11月28日 (土) 01:44 (UTC)Bhavesh
***
Bhaveshさま
研究者とか管理者とか関係ないと思います。ここで積み上げた合意事項を無視しての改変はやめていただきたいということです。まずお願いします。合意を得ておりませんので、「Osho」に改変された方(たち)はご自身で「ラジニーシ」に戻してください。
そのうえで、議論しましょう。また上記質問への回答をおねがいします。
またもし「Osho」を日本語表記でよいなら(合意が得られたうえでですが)、「和尚」「オショー」「おしょう」のどれがよいかご提案ください。ウィキペディアは中国語版、ロシア語版、韓国語版、フランス語版ほかをわたし自身でチェックしました。その際の表記について上に書きました。
わたしだけでなく、Drachma12さんは暫定的に「ラジニーシ」で賛成のほか、Strangesnowさんはいくつかの根拠を示しつつ「ラジニーシ」の表記に賛成されています。それらの根拠に反論、補足する形でのご提案おねがいします。
--Itou masayuki(会話) 2020年11月28日 (土) 02:18 (UTC)
- Ito様 ご指摘の点、反省すべき点は多々あると感じ入ります。ご迷惑をおかけしたとすればお詫びするしかありません。すみませんでした。自分で修正することも可能でしょうが、すでに私が加筆した部分の多くがすでに削除されており、完全に元に戻すことはできません。この点については今後の私自身の反省材料として大いに注意していきたいと思います。--Bhavesh(会話) 2020年11月28日 (土) 02:43 (UTC)Bhavesh
*** Bhaveshさま
さらなる返信をいただきありがとうございました。議論し、合意形成できれば問題ありませんので、わたしの疑問へも反論や具体例を是非お示しいただければうれしいです。
現行の本辞典項目では、本文中の主語がOshoとなっています。ラジニーシをOshoに代えたことは合意形成のないルール違反ではないかと抗議しております。わたしの読んでいるのは最新版ではないのでしょうか。
--Itou masayuki(会話) 2020年11月28日 (土) 06:36 (UTC)
- Itou様 お問合せありがとうございます。例えば、中川吉晴氏の文章は最初私が加筆したものですが、現在は削除されています。この文章は学者が書いたものですが、研究論文ではないという理由(かどうか不明ですが)で、削除されました。私としては残念ですが、それは一つの考え方なので、そうなのかな、と思いました。元文献の本文は「OSHOは」、というような形で大文字表記でしたが、前後の文脈に合わせて、私が「Oshoは」となおしました。また、私の不徳のいたすところですが、著作権というものがあり、いちど私自身のブログの私自身の文章をあるところ(別記事です)にそのまま貼り付けたところ、それは著作権違反になるとかでクレームがつきました。自分の文章であっても、そのままではあってはならないと、理解し、文脈を変えたり、要約したり、して、元文の意味を失わないようにして、改変して書き込んでいる部分があります。(そのまま引用するには、著作権を放棄する、というプロセスが必要なようです)。また、他の著者の引用文にしても、脚注をつけたりしながら、元文の文意をできるだけ失わないようにして、著作権にひっかからないように工夫しているつもり(なのですが・・・)です。人名についても、前後の文脈をみたり、表記がズレている場合は、積極的に直しました。(例えば、ラジニシプラム→ラジニーシプーラム)。Itou様がおっしゃっている意味は解りますが、現在私が改変した箇所をすべて直せと言われても、かなり難しく感じます。少なくとも、ここからここまでは、変だよね、という部分があれば、私が自分の書いたところを直す、という意味ではなく、現在の文面として、よりわかりやすく正しくなるように、一編集者として書き直すことはやぶさかではありません。よろしくお願いします。--Bhavesh(会話) 2020年11月28日 (土) 07:40 (UTC)Bhavesh
*** Bhaveshさま
すみません。わたしが言っているのは、文の主体にあたるところがいままでは「ラジニーシ」で統一されていたのに、ほぼすべて「Osho」に改変されていること。それをするなら、議論して合意形成してからにして欲しいという要望です。
本文を見ますと Oshoは大学で哲学を学び、1960年にはジャバルプール大学教授となった[1]。
Oshoは21歳の時に悟りに至ったという[9]。
Oshoによれば、人間の究極的な目的は光明(enlightenment)を得ることである[13]。
これが人々を「本来の自分」から分離させてしまう虚偽の実存であるとOshoは捉える[13]。
以下、本文でずっと「ラジニーシ」から「Osho」になっていますよね。この点に関してです。
それをされたのが、誰なのかわからないので、その1点のみでの抗議をまずは誰宛とかなくノートに書かせていただきました。ですので、Bhaveshの加筆・修正されたところを全部元に戻して欲しいということではまったくありません。
なんだか話が噛み合いませんが、わたしが見ている、あるいはBhaveshが見ているwikiのページは同じなのでしょうか?
なお、最初に書かれているご指摘は「編集内容の要約」で書いたとおり、「ラジニーシの人物像を一面的に特徴付けた箇所であり、引用された著者自身、文責ある立場として容認できず、削除を希望」ということです。 --Itou masayuki(会話) 2020年11月28日 (土) 08:31 (UTC)
- Itou様 みなさま 家族に急用が入り諸行事でこちらに来ることができませんでした(今後もつづきます)。すみませんでした。訂正ありがとうございます。ちょっと考えてみると、私の勘違いは、入り口が気になってしかたない、ということでした。「Osho」と検索しているのにもかかわらず、「バグワン・シュリ・ラジニーシ」になってしまうことに、強い違和感を持っていたのです。ここんとこを直したい、というのが一番の真意でした。なお、例の各60数言語を見ますと、なるほど入口は「Osho」になっていますが、本文は両論(両名称)併記、三論(三名称以上)併記が常態で、呼称はたくさん入り混じっているところも多いようです。--Bhavesh(会話) 2020年11月29日 (日) 20:44 (UTC)Bhavesh
Oshoという呼称について意見を書かせていただきます。 私自身バグワン・シュリ・ラジニーシと呼ばれていた頃から(80年代)の一読者ですが、「バグワン・シュリ・ラジニーシ」を記事名に使用することに関して、いっこうに違和感が拭えません。再度視野を変えて検証し、またOSHO International から資料をいただいてまとめました。 まず議論の中で何人かの方が言及されている「認知度」についてです。(Strangesnowさんの発言で取り上げられている3点「認知度」「見つけやすい」「曖昧でない」を元に)
現在日本語のOSHO公式のソーシャルメディアは3つあり、フォローワー数は合計約3万5千人だそうです。フォローワーの年齢層は45歳から54歳までが一番多く、次に35歳から44歳の層が続くそうです。つまり大多数の方がOshoとして認知されているわけです。(成人後にOshoを知ったと想定して。最近では35歳を過ぎた方が圧倒的に多いそうです) そして、邦訳書や公式サイトなどは、2001年半ば頃からOshoを使用しているとのことでした。つまり日本で「Osho」表記に変わってから20年の月日が経ちます。 邦訳書で「バグワン・シュリ・ラジニーシ」名義で出版されているタイトルは、27ありますが、すべて絶版しています。その中の8つのタイトルがOsho名義で復刻/再版されています。「和尚ラジニーシ」名義のものは4つありますが、これもすべて絶版しています。 「和尚」または「Osho/和尚」で出版されているタイトルは30ありますが、25タイトルが絶版しています。その内10タイトルがOsho名義で再版されています。市場にある5タイトルですが、アマゾンの在庫状態はほとんどのものが数点でした。 「Osho」名義のものは44タイトルです。Oshoで再版されているものを含むと、62タイトルが市場にあるわけです。 重ねて書きますが、「バグワン・シュリ・ラジニーシ」名義の邦訳書は皆無です。(中古本をのぞいて)
次に「見つけやすいもの」ですが、上記の理由から読者は「バグワン・シュリ・ラジニーシ」ではなく、「Osho」を検索する場合が圧倒的に多いはずです。Oshoに興味を持ち、検索する方(Oshoに好意的にせよ、そうでないにせよ)の立場に立って考える必要があります。何人かの方が書いていますが、Googleなどの検索結果を見ても明らかではないでしょうか。
最後の「曖昧ではない」です。確かに「和尚」の表記は日本では曖昧さに繋がると思います。今回邦訳書を調べて、「和尚/Osho」と二つを使ってあるタイトルが多い理由に納得できました。
2020年11月17日にItou masayukiさんが発言されている1)に対してのコメントです。 確かにこの文章を例とするなら、工夫が必要ですね。「バグワン・シュリ・ラジニーシとして」を削除して「1974年、Oshoはムンバイからプネーに移動し、活動をはじめた。」で良いのではないでしょうか? 次に2)についてです。 日本語のWikipediaで人名がアルファベット表記である例を挙げてみました。「Gackt」 、「Matt」、 「Yoshiki」、 「DAIGO」などです。いずれも芸能人名ですが、会社名、団体名、その他諸々のアルファベット表記は枚挙にいとまがありません。日本語のWikipediaでは、ラテン文字を記事名で使用できるとあります。また、「日本人の名前にはペンネームなどに特殊記号やアルファベットなどを用いているものがあるが、これらはそのまま表記し、カタカナ化などはしない」とあります。(Wikipedia:記事名の付け方を参照)日本人名でさえ、アルファベット表記を認めています。ですから、Osho表記に問題があるとは思えません。固定的な考えを脇に置いて、時代の変化に伴う必要があるのではないでしょうか?
次にOSHO International からの資料をまとめたものです。 公式サイトosho.comは13ヶ国語に対応しており、2015年度の訪問数は680万人。160カ国からのアクセスがあり、2015年度の新規の訪問者は44パーセント。 13ヶ国語ある言語別アクセスランキングでは、日本語が5番目。(2020年) 2015年度に出版されたOshoのタイトルは484タイトル、62ヶ国語に翻訳されている。 YouTubeの公式Oshoチャンネルの再生回数は、2013年は32,472,921回、2014年は38,126,692回、2015年は48,022,296回、そして2021年の6月21日の時点では、132,903,873回で、6月の時点にも関わらず、2015年と比べて3倍近く再生されている。購読者数は817,590人。多くのビデオは日本語字幕で視聴可能。
Wikipediaは今後も成長を遂げる媒体だと感じます。このグローバルな時代、グローバルに知られている「Osho」を使用するのが正しいのではないでしょうか? 以上、記事名を「Osho」と変更したく、書きました。 「バグワン・シュリ・ラジニーシ」の呼称を支持されている方も、再度冷静に判断していただけますか?
SapphireeiP(会話) 2021年6月25日 (金) 11:15 (UTC)
☆公式サイトがOshoの記載なのでOshoが正しいと思います。変更をお願いします。--ダイヤモンド123(会話) 2021年7月2日 (金) 13:13 (UTC) ♡1998年の9月にOshoと呼ばれるようになって以来、「Osho」の名は世界中の沢山の人々に愛されていると確信します。Oshoに変更をお願いします。--T=C=O=T=C(会話) 2021年7月4日 (日) 10:05 (UTC)3838.com
Oshoの表記については、2020年10月22日にこのノートに私の意見を書きましたとおり、Oshoという表記にすることに賛成します。 「Rajneesh」は、(調べた限りでは)Oshoのリーガルネームではありません。Oshoのリーガルネームは「チャンドラ・モハン」で、「ラジニーシ」は、Oshoの幼少期に家族が付けた名前となっています。つまり当時、Oshoは家族が呼んでいた名前を自分の呼称として選択したのだと思います。その後、Osho自身が自分の呼称として「Osho」を選択し直したのですから、その後はOshoと表記するのが極めて自然であると思います。 Osho自身が自分の呼称として「Osho」を選択してから30年以上経過した現在は、世界中の出版社が「Osho」という呼称を採用しており、すでに「Osho」という呼称が十分に認知され普及していると思います。--Swachid(会話) 2021年7月4日 (日) 22:50 (UTC)
前回は、暫定的に「ラジニーシ」に賛同する、と申し上げた者です。今回の SapphireeiP さんの提案をよく検討させていただきましたが、まず最初に説得力があると思ったのは、Yoshiki, Gackt, DAIGO等の日本人名が項目のタイトルとして認められているという事実です。これが「よしき、がくと、だいご(漢字不詳)」でなければいけないということであれば、まさに当事者の意思を無視した人権侵害に当たるものではないしょうか。 その意味では、この項目のタイトルになっている人物が、1987年だかの時点で、自らの意思によって改名しているのですから、故人になったとはいえ、その遺志を認めないということは、ある種の人権侵害と言っても過言ではありません。 ましてやこの人物が宗教者であるとか、信者の主張であるとかいう趣旨の発言は、同様に基本的な人権の高邁な理想を踏みにじる妄言と申せましょう。何人も自らの存在に課せられた形容詞の如何によって差別されてはならないのです。 よって私はここに「Osho」への項目タイトルの変更に賛同いたします。 Drachma12(会話) 2021年7月4日 (日) 23:50 (UTC)
■「Osho」の表記に賛成いたします。以下がその理由です。
①1988年にインド・プネー市の彼のコミューンにおいて、本人の意志でOshoに改名され、世界中に発信されています。
②それ以降、世界的に翻訳されている出版物、講話ビデオ、映像等はすべてOshoで統一されています。
③その本や講話映像により、Oshoの名は世界的な知名度をもち、定着しています。
④学術的には「ラジニーシ」の名で統一したいという気持ちと意図はよくわかりますが、ウィキペディアは専門的な学術書ではなく、一般的な汎用性の高い百科事典の役割があり、長期的に一般に浸透している名前を使うのがふさわしい。「木を見て、森を見ず」では、百科事典の役割を果たさなくなってしまいます。
⑤混迷を深める現代にあって、Oshoのビジョンや洞察はその価値がさらに認められ、世界的な評価がますます高まっています。今後の長期的な未来においても、Oshoとして浸透し続けることは間違いありません。
⑥近い将来、「ラジニーシ」では誰のことを示しているのか、誰も知らない時代が訪れることでしょう。
--DY111(会話) 2021年7月5日 (月) 03:17 (UTC)
––––本人の意思に基づき変更された名前であり、それ以降出版されている書籍の著者名ははすべてOshoであることから、その表記はOshoであるべきだと当然思いますので、「Osho」の表記に賛成いたします。--Blissful flowering(会話) 2021年7月5日 (月) 06:51 (UTC)
- 賛同していただいた皆さま、ありがとうございます。
これまでのところ反対意見はありませんが、しばらく待って合意形成をはかりたいと思います。SapphireeiP(会話) 2021年7月5日 (月) 11:11 (UTC)
- 賛同していただいた皆さま、ありがとうございます。
これまでのところ反対意見はありませんが、しばらく待って合意形成をはかりたいと思います。SapphireeiP(会話) 2021年7月5日 (月) 11:12 (UTC)
- 改名提案の告知を出しました。反論がない場合は、一週間後に改名します。2021年7月9日 (金) 09:21 (UTC)
- 告知の体裁が悪くて申し訳ありません。
真意は読み取っていただけると思います。2021年7月9日 (金) 09:37 (UTC)
賛成 Oshoは30年間もOshoと呼ばれています。Oshoに改名に賛成です。 まらかいとまっくす(会話) 2021年7月18日 (日) 03:32 (UTC)
Yoshiki, Gackt, DAIGO等の日本人名が項目のタイトルとして認められていること、またこの項目のタイトルの人物が、1987年の時点で、自らの意思によって「Osho 」へと改名をしていることなどから、この変更に賛成します。 Drachma12(会話) 2021年7月18日 (日) 11:41 (UTC)
- Oshoへの改名に全面的に賛成します。 --Setu(会話) 2021年7月21日 (水) 20:28 (UTC)
賛成意見)呼称をOshoに変更することに賛成します。現在の出版されている書籍やインターネット媒体もOshoの名前の方が浸透して使われていると思います。--GViknn-P(会話) 2021年7月23日 (金) 14:18 (UTC)
- 済 既に管理者のえのきだたもつさんによって移動されています。--Kanninbukuro(会話/投稿) 2021年8月15日 (日) 22:58 (UTC)
- コメント この再提案と改名に全く気が付きませんでした。改名の再提案をするつもりはありませんが、半年以上議論が止まっていた項目に、改名に反対していた編集者への通知も全くないまま、過去の議論を全く無視した形での再提案とわずかな期間だけで改名実行されたことをとても残念に思います。--Strangesnow(会話) 2021年11月2日 (火) 01:08 (UTC)
除去依頼
[編集]またセラピー等の指導内容には危険なものもあり、自由なセックスの推奨による性病(淋病やエイズ等)の蔓延という問題もあった[13]。
とありますが、和尚と過ごしたダイヤモンドの日々 によりますと、P145 1983年4月、コミューンは和尚からのメッセージを受け取りました。「エイズと呼ばれる不治の病が世界中に広まりつつある。コミューンはこれを予防する必要がある。セックスにはコンドームとゴム製の手袋を用意しなさい。」 和尚はこのように言いました。この話を聞いたマスコミは大喜びで、まだほとんど知られていない病気への予防策を提示したということで、それを物笑いの種にしました。その5年後、何千人もの人々がエイズで死んだあとで、アメリカの保健当局はとうやくこの病気の危険性に目覚め、かつて和尚が提示したのと全く同じような予防策を推奨するようになった。 という記述。 未知への扉 p451 1987年 アシュラムでは世界でも類をみないエイズ・フリーゾーンになり、来訪者のすべてにエイズの陰性証明書が求められるようになる。 と書いてあるので、 またセラピー等の指導内容には危険なものもあり、自由なセックスの推奨による性病(淋病やエイズ等)の蔓延という問題もあった[13]。
という文章は正しくありません。削除をお願いします。 --ダイヤモンド123(会話) 2020年9月20日 (日) 14:49 (UTC)
- 『和尚と過ごしたダイヤモンドの日々』は弟子の書籍で第三者文献ではありませんし、これを根拠に出典のある文章を削除するというのは不適当な対応です。また、1987年という晩年にアシュラムでエイズに対して何らかの対応があったという情報は、それ以前に性病が蔓延してたという情報を否定する根拠にはなりえませんし、『未知への扉』は講話録なので、こちらも第三者文献ではありません。--MICCAgo(会話) 2020年9月21日 (月) 10:32 (UTC)
- ラジニーシ・プラムでの性病対策について、調べてわかる範囲で加筆しました。関係者以外の出典を探していただければ対応もしやすいので、気になる点は英語の情報なども確認していただければと思います。--MICCAgo(会話) 2020年9月21日 (月) 11:07 (UTC)
性病の蔓延、とはどういう状況を言い表しているのでしょうか。どういう科学的な基準があるのでしょうか。そもそも「性病」とは何でしょうか? エイズが世界的に感染しはじめた時に、日本国内においても髭剃りや歯ブラシの共用を避けるように注意をうながされたし、現在の新型コロナ・ウィルスのパンデミックについても、マスクや手の洗浄などが勧められています。マスク着用が進んでいるからコロナ・ウィルスが感染している、という証拠にはならず、むしろマスクをすることによってパンデミックを防いでいる、ということになります。コンドームなどをいち早く着用を地域が仮にあったとして、その地域がすでにエイズや性病が蔓延していた、とは考えにくいです。むしろ、先進的であった、と評価すべきです。--Bhavesh.jp(会話) 2020年10月16日 (金) 16:01 (UTC)Bhavesh.jp
- ここは私のラジニーシへの評価を書く場所ではなく、Bhavesh.jpさんの評価を書く場所でもありません。自分による評価を書いた場合、それは独自研究として除去されます。--MICCAgo(会話) 2020年10月17日 (土) 02:33 (UTC)
- 私の発言は独自研究ではなく、加筆訂正へのお願いと準備です。MICCAgoさんがご自身で訂正されるか、他の方が訂正されない場合は、私自身が訂正させていただきます。よろしくお願いします。--Bhavesh.jp(会話) 2020年10月18日 (日) 19:54 (UTC)Bhavesh.jp
- 「先進的であった、と評価すべき」というのは、Bhavesh.jpさん個人の意見ではないのでしょうか?先進的な対応であったと評価する第三者の信頼できる情報源があれば、加筆いただくことはかまいません。--MICCAgo(会話) 2020年10月19日 (月) 10:47 (UTC)
本文冒頭の「ゴッドマン」というカタカナ語の表現ですが、一般読者へのわかりやすさを目標とする百科事典としては、一見してなんの意味か理解できません。リンクされている英語版のGodman を参照すると、これがインド英語であり、「colloquial term」とあります。つまり口語表現であって、社会一般で通用する正式の用語ではないのです。 オンライン版のオックスフォード辞典では「Indian English, often disapproving」とあり、「しばしば非難の意味」が込められる用語です。また LEXICO.com では「Indian derogatory」、つまり「インド英語では侮蔑語」としています。アメリカのウェブスター辞書にこのインド英語の用例がないのは、インドを植民地化していた英国のオックスフォード辞典のようなインド英語への関心が薄いためでしょう。 以上のことを踏まえると、この「ゴッドマン」という用語は、このセンテンスに並べられた他の表現、「インドの宗教家、グル、神秘思想家。精神指導者」といった中立的な表現からは著しく逸脱するものであり、ひとつの大項目の冒頭の解説としてふさわしくありません。 どうしてもこのカタカナ語を使いたいのなら、英英辞書を検索しない一般読者にもわかりやすいように、「ゴッドマン(インドの侮蔑語)」等の説明を加えねばなりません。しかし、ここまで来ると、「ゴッドマン」という表現が項目の冒頭の解説にふさわしくない、偏向した表現であることは明らかです。 よって削除を要請します。--Drachma12(会話) 2020年10月26日 (月) 00:26 (UTC)
Drachma12さん、明快な説明ありがとうございます。非常に説得力のあるコメントでした。--Bhavesh.jp(会話) 2020年10月26日 (月) 17:54 (UTC)Bhavesh.jp
- コメント
- Kaur, Sapanpreet (September 2020). “A SEMIOTIC READING OF UNCONVENTIONAL FIGURE OF 'LORD KRISHNA' IN SWARAJBIR'S KRISHAN (2001): A RETELLING OF 'KHANDAVADAHA' INCIDENT”. Journal of Critical Reviews 7 (4): 3912. doi:10.31838/jcr.07.14.708.
- Susan J. Palmer; Frederick Bird (1992). “Therapy, Charisma and Social Control in the Rajneesh Movement”. Special Presidential Issue Conversion, Charisma, and Institutionalization 53: S73. doi:10.2307/3711252.
- HUGH B. URBAN (2005). “Osho, from sex guru to guru of the rich”. GURUS IN AMERICA: 181.
- など、複数の文献でRajneeshは"god-man"の文脈で語られており、単に偏向した表現として除去することには反対です。一般的にそのように評価されているのであれば、そう書けばよいでしょう。また、"The Divinity of Man in the Philosophy of Osho"などに見られるように、必ずしもネガティブな意味だけに用いられるものではありません。「ゴッドマン」だけでは読者に不親切だとおっしゃるのであれば、ゴッドマンの記事を執筆すべきで情報を減らす理由にはなりません。--Strangesnow(会話) 2020年10月26日 (月) 19:46 (UTC)
しかし、「ゴッドマン」単独ではいかにも唐突であり、利用者に不親切です。何度でも申し上げますが、このカタカナ語だけでは一般の日本人には意味が通じません。例えば「オーマイゴッド」なら多くの普通の日本人でも理解できるでしょう。そもそもインド英語であることなど、この字面からだれが読み取れるでしょうか? 不誠実で傲慢ではありませんか? 百科事典はただ知識を際限なく増殖させることが主目的なのではなく、短時間に、手際よく、中立的な知識が得られることのほうがむしろ重要なのです。「ゴッドマン」のページを作ればいいという提案は上記の趣旨からして責任放棄です。誰がいつ作るのかもわからない新たなページに責任を押しつけることは誠実な対応とは言えません。だとすれば、利用者の便宜を勘案し、とりあえず「ゴッドマン(インドの口語表現)」もしくは「ゴッドマン(インドの俗語)」としてはいかがでしょうか。 Drachma12(会話) 2020年10月26日 (月) 23:54 (UTC)
Strangesnow さんにはせっかくご意見をいただきましたが、より専門性の高い方向へのご提案と受け取りました。ここで改めて確認しておきたいのですが、百科事典はより公益性のある、より公共的な方向へと向かうのが基本、本筋であると私は考えています。その原点に立ち戻れば、利用者の第一の便宜(中立的な知識を手軽に、手短に得られる)にかなうように、お互いに協力し合うのが肝要かと思います。別項目をもうけることは解決にはなりません。それはそれでやりたい人がやればいいのです。しかし、このわずか一語の「ゴッドマン」であれ、それをここに放置しておくことはいかにも杜撰と言わざるをえません。以上、ご理解ください。 Drachma12(会話) 2020年10月27日 (火) 00:35 (UTC)
- 返信 Drachma12さんが「ゴッドマンという言葉は読者には理解できない」し議論相手を「不誠実で傲慢」であるとと考えていることは了解しました。ところで「より専門性の高い方向へのご提案と受け取りました。」とはどういう意味でしょうか。まったく理解できないので説明をお願いします。
- Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)の観点からみてもバグワンの記事の第一文ではゴッドマンの側面は定義されるべき内容です。多少譲っても定義文が終わる「精神指導者という人もいる。」の直後に「しばしばゴッドマンとして言及される。」程度の紹介は必要でしょう。記事にとって必要な要約や定義を根拠なしに「私は通じないと思う」という主張だけで除去しようとするのはお止めください。記事の冒頭では記事全体を要約する定義・内容が記述されるべきであり、ゴッドマン、カルト指導者としての側面は主題を説明する記事には必要なものです。--Strangesnow(会話) 2020年10月29日 (木) 00:38 (UTC)
両論、参考になります。ありがとうございます。私には、Drachma12さんのほうが分かりやすく、とりあえず、ここでの議論の解決策としては簡便なのかな、と期待します。--Bhavesh.jp(会話) 2020年10月27日 (火) 08:05 (UTC)Bhavesh.jp
- 「ゴッドマン」は存続で全く問題ないと思われます。補足で意味の説明があり、理解も問題ありません。基本的に、学術的な出典のある情報は残すというのがウィキペディアの方針です。出典に問題がないのに消すという対応は見たことがありません。ゴッドマンの記述は簡潔で記事を圧迫しているということもなく、除去の必然性はないと思われます。「「ゴッドマン(インドの口語表現)」もしくは「ゴッドマン(インドの俗語)」ですが、インドの口語表現、インドの俗語とする根拠とする出典がなければ独自研究になりますので、合わせて出典を提示いただければ、そうしていただいてもよいと思います。「一般読者へのわかりやすさを目標とする百科事典」とのことですが、わからないことを知るためのものですので、わかりにくい単語があれば除去ではなく、補足や説明を充実させるという対応が建設的です。ウィキペディアは専門的な内容を含む記事も多いですが、書籍の百科事典と違いリソースの制限がないため説明も充実させることができます。シンプルにすべきといって記事が削られることは見受けられませんし、学術的な出典が重視される方針上学術的な内容は少なくありません。方針にのっとり存続に賛成します。--MICCAgo(会話) 2020年10月27日 (火) 12:47 (UTC)
MICCAgo さん、いちばん最初の書き込みで以下のような説明をしました。これでは不足ですか? Wikipedia の他の項目は使えないのですか?
リンクされている英語版のGodman を参照すると、これがインド英語であり、「colloquial term」とあります。つまり口語表現であって、社会一般で通用する正式の用語ではないのです。 オンライン版のオックスフォード辞典では「Indian English, often disapproving」とあり、「しばしば非難の意味」が込められる用語です。また LEXICO.com では「Indian derogatory」、つまり「インド英語では侮蔑語」としています。 Drachma12(会話) 2020年10月27日 (火) 13:54 (UTC)
宗教団体、教団、と呼ぶのはふさわしくない。
[編集]インナーラビリンスP20によると、 OSHOが、自分は宗教的ではあるが宗教の創始者ではないと言っている点に共感した。ふつう使われている狭義の宗教という言葉には、常に胡散臭さがつきまとうからだ。だが、彼の言う「宗教的」とは信仰を土台としない内面的探究、精神世界の求道であり、個の次元でしか可能でないから組織宗教はまったくの圏外におかれる。
とある。
消されてしまったが、以前、反逆のブッダからの引用で OSHOは宗教性の香り高い人であったが、組織宗教というものを蛇蝎のごとく嫌い彼の後に宗教組織はないし、各地の瞑想センターにしても、決して信者を統括し、教義を堅持して敷衍するような総本山と支部ではない。[7] とある。 実際、OSHOは宗教法人ではなく、Osho財団である。 そういうわけで、Oshoを宗教団体や、教団と呼ぶのはふさわしくない。 --ダイヤモンド123(会話) 2020年9月22日 (火) 12:34 (UTC)
- それは貴方の見解で、ここは個人的な見解を開陳する場ではありません。現在のOsho財団は自らを宗教団体ではないと考えているという使用可能な出典があるなら、そう加筆することは可能です。しかし、対立する意見を加筆したとしても、他の文章を削除することはできません。--MICCAgo(会話) 2020年9月22日 (火) 13:25 (UTC)
ダイヤモンド123さんのどこが個人的な「見解」なのでしょうか。おそらく多数はダイヤモンド123さんの書き込みを裏付けることとなると思います。必要なら出典を多数提示することは可能であり、長いリストになると思います。むしろMICCAgo|MICCAgoさんのご意見に違和感を感じます--Bhavesh.jp(会話) 2020年10月16日 (金) 15:50 (UTC)Bhavesh.jp
- 出典を提示することは無論必要です。違和感というあいまいな言い方だとお返事が困難なので、信頼ある第三者の、学術的またはジャーナリズムの出典を提示してご意見いただければと存じます。オショー国際財団のホームページや関連組織の情報、本人・関係者の著作からの賞賛などの一次資料は、出典として使用することが難しいので避けてください。--MICCAgo(会話) 2020年10月17日 (土) 02:33 (UTC)
- MICCAgoさんは、多数ある資料のなかから、恣意的に選び出し、なおかつ、両論併記の資料なかから、特に偏った表現の一部だけを使用する傾向があります。ご自身で引用されるなら、自分の意向に沿った部分ばかりではなく、全体を咀嚼して、より中立的な代表的な部分をご利用ください。すでに、参考資料を手元で確認しました。ひとつひとつ訂正させていただきたいとは思いますが、その前に、まずは、今後MICCAgoさんの編集方針として、中立的な表現で裏付けの取れた部分を引用してください。また、同じ意味で、他の編集者の中立的な表現を、一方的に加筆訂正削除しないでください。--Bhavesh.jp(会話) 2020年10月18日 (日) 20:06 (UTC)Bhavesh.jp
内容にふさわしいタイトルにしました。--Bhavesh.jp(会話) 2020年10月25日 (日) 10:39 (UTC)Bhavesh.jp
こちらも、上記の私のコメントのあとに、別の編集者の手により変更が加えらています。さまざまな意見があることを認識している最中です。--Bhavesh.jp(会話) 2020年10月26日 (月) 02:36 (UTC)Bhavesh.jp
MICCAgoさんへ 「現在のOsho財団は自らを宗教団体ではないと考えているという使用可能な出典」 これはいわゆるカテゴリーエラーではないでしょうか? 「財団」は法律上の団体であり、「宗教団体」はきわめて漠然とした概念で、法的な概念ではありません。 「財団法人」に対置されるべきは「宗教法人」であり、どちらも法人格を持ちますが、OSHO財団 は宗教法人ではないから、その意味では宗教団体ではないです。--ダイヤモンド123(会話) 2020年11月4日 (水) 13:51 (UTC) 一週間経っても反論がないので、ふさわしくない文章を削除します。--ダイヤモンド123(会話) 2020年11月10日 (火) 13:03 (UTC)
一次資料を使った称賛の加筆について
[編集]本人の著作や関係者の著作といった一次資料を使った称賛の加筆は避けてください。Wikipedia:自分自身の記事、Wikipedia:信頼できる情報源などをお読みください。賞賛を加筆することは問題ありませんが、客観的な第三者出典、できるなら学術的な資料を用いてください。本当に素晴らしい人物なら、関係者以外の客観的な肯定的意見が見つかると思います。また、百科事典ですので、ただ褒めている文章ではなく、客観的に見てどこがどう素晴らしいのか、内容のある文章を記載してください。よろしくお願いいたします。--MICCAgo(会話) 2020年9月23日 (水) 11:32 (UTC)
信頼できる出版元によって、その情報が入手できる状態になっていない一次資料は、使ってはいけません。
と、ウィキペディアの説明に書いてあります。
簡単に入手できる資料を使ってます。--ダイヤモンド123(会話) 2020年9月23日 (水) 12:07 (UTC)
- 一つ例として評価を追加しましたが、まず、トム・ロビンスの評価を「イエス・キリスト以来、最も危険な男」としか書かなければ、ラジニーシへの批判になりますが、この方の評価は前後の文脈を含めば肯定的なもので、一部だけを取り出して批判にしてはいけません。私が加筆したものを読んでいただければ、トム・ロビンスがどのようにラジニーシを評価し称賛したかわかっていただけると思いますが、ただ「たぐいまれな人物」「非常にすばらしい」「前代未聞」「心が打たれる」というように褒めても、実質的に内容がなく、百科事典の文章として意味がありません。出典は簡単に入手できる資料であればいいわけではなく、中立性に配慮する必要があります。本人や関係者の著作でどれだけ称賛されていても、客観的な担保がなく、そうした資料を出典に加筆した文章は自画自賛になってしまい、中立的ではありません。一次資料でも他者の言葉の引用だと思われるかもしれませんが、それが正確なものか、恣意的な引用はされていないか、判断ができません。繰り返しになりますが、本当に素晴らしい人物なら、関係者以外の客観的な肯定的意見が見つかると思います。手間を省かず、資料を探してください。--MICCAgo(会話) 2020年9月23日 (水) 12:47 (UTC)
トム・ロビンスの「イエス・キリスト以来、最も危険な男」という評価は、批判でも賞賛でもないと思います。イエス・キリストを「危険」と見るか、安全と見るか、それは読者にゆだねられているので、短いコピーであっても無効であるとは思えません。むしろ、読者の熟考を誘う、という意味で、中立的な名コピーだと思います。--Bhavesh.jp(会話) 2020年10月16日 (金) 15:44 (UTC)Bhavesh.jp
- コピーは残っていますが、何をおっしゃりたいのでしょうか。--MICCAgo(会話) 2020年10月17日 (土) 02:33 (UTC)
- MICCAgoさんが、理解されないのであれば、いずれ、もうすこしかみ砕いて説明させていただきますが、他の編集者の意図を中立的にくみ上げるいただけるよう、理解力を高めていただければ幸いです。何処が分からないか、質問していただけると、参考になります。--Bhavesh.jp(会話) 2020年10月18日 (日) 20:15 (UTC)Bhavesh.jp
- 「短いコピーであっても無効であるとは思えません。」とおっしゃっていますが、私はコピーが無効だといったでしょうか?あと皆様、読みにくいのでインデントをつけていただけないでしょうか。--MICCAgo(会話) 2020年10月19日 (月) 10:47 (UTC)
- MICCAgoさん、他の編集者の意向も少しは汲んでいただければ幸いです。一人で長期にわたり、独自研究ともいえる内容を、引用文を使って装うのは、いかがなのでしょう。自粛してください。--Bhavesh.jp(会話) 2020年10月25日 (日) 10:35 (UTC)Bhavesh.jp
- 「独自研究ともいえる内容を、引用文を使って装う」とはどこの記述でしょうか?具体的にお願いします。--MICCAgo(会話) 2020年10月27日 (火) 11:50 (UTC)
MICCAgoさん、質問ありがとうございます。探しておきますので、少々お時間ください。ただ、正直申し上げますと、あなたの編集そのもの全体が、そう見えてしかたないのですよ。ごめんなさいね。最初の4月の印象とガラリと変化してしまったのは、最初から、いくつかの印象的な文献を特徴的に使い、つなぎ合わせているからではないか、と考えています。印象だけで言うな、といわれそうですが・・・・。--Bhavesh.jp(会話) 2020年10月27日 (火) 12:32 (UTC)Bhavesh.jp
ゴッドマンという表記は中立ではない
[編集]Oshoは、インドでは光明を得たマスターとして有名で、モディ大統領も大統領になる前にグジャラートの瞑想センターを訪れています。インドではOshoの誕生日には大きなバースデイパーティーが行われ、TVで放映されます。そういう人対してゴットマンという表記はふさわしくないと思います。確かにその資料を出せといわれてもそのような資料があるのかどうかはまだわかりません。 MICCAgo さんの主観がそのまま反映されたページで中立ではありません。 --ダイヤモンド123(会話) 2020年9月23日 (水) 12:47 (UTC)
- 学者による出典があり、主観ではありません。中立性に問題はありません。--MICCAgo(会話) 2020年9月23日 (水) 12:57 (UTC)
差し戻した件についてのコメントですが、控訴の理由が正当であろうとなかろうと相手を訴えることはできますので、名誉毀損で訴えられたといって、ヒュー・ミルンの書籍が信頼できないということにはなりません。学者が参考にしうると評価し、研究に用いているとわざわざ言及しているので、こうした信頼できる・できないの無益なやり取りをなくすためにも、学者の評価は残してください。もう1点、「ゴッドマン」という言葉は日本では一般的でなく、説明がなければ意味が分かりませんので、消さないでください。--MICCAgo(会話) 2020年10月14日 (水) 14:51 (UTC)
これは日本語版のWikipediaであり、あえてここでゴットマンという表記を使って、形容の羅列を重ねる必要があるのでしょうか。わざわざ説明までつける必然性がわかりません。--Bhavesh.jp(会話) 2020年10月16日 (金) 15:36 (UTC)Bhavesh.jp
- それは個人的なご意見なので、消す理由としては不十分かと存じます。--MICCAgo(会話) 2020年10月17日 (土) 02:33 (UTC)
これは個人的な意見ではありません。多くの研究がありますが、ゴットマンという表現が使われているのは、ごく一部の方の表現です。むしろ、膨大な研究の中から、一個人や少数の研究をもとに、その人物全体の形容となるような部分に冠するのは中立とは思えません。それこそ「個人的な意見」となります。--Bhavesh.jp(会話) 2020年10月18日 (日) 20:20 (UTC)Bhavesh.jp
- ゴットマンという表現が使われているのは、ごく一部の方の表現であり、そうした形容が不適切であるという学術的な出典をご提示ください。提示いただければ両論併記すればよろしいかと存じます。--MICCAgo(会話) 2020年10月19日 (月) 10:47 (UTC)
MICCAgoさま、ゴットマンという表記が一般的な表現である、という根拠をお示しください。よろしくお願いします。--Bhavesh.jp(会話) 2020年10月25日 (日) 07:09 (UTC)Bhavesh.jp
削除依頼の項に次のコメントがあり、大変参考になりました。個人的には、こちらに大きく関係しているコメントなのではないか、と判断し、失礼ながら、私個人の判断で、こちらにもコピーいたします。各編集者のみなさまの参考になる行為であることを願っています。お許しください。
ーーーー 本文冒頭の「ゴッドマン」というカタカナ語の表現ですが、一般読者へのわかりやすさを目標とする百科事典としては、一見してなんの意味か理解できません。リンクされている英語版のGodman を参照すると、これがインド英語であり、「colloquial term」とあります。つまり口語表現であって、社会一般で通用する正式の用語ではないのです。 オンライン版のオックスフォード辞典では「Indian English, often disapproving」とあり、「しばしば非難の意味」が込められる用語です。また LEXICO.com では「Indian derogatory」、つまり「インド英語では侮蔑語」としています。アメリカのウェブスター辞書にこのインド英語の用例がないのは、インドを植民地化していた英国のオックスフォード辞典のようなインド英語への関心が薄いためでしょう。 以上のことを踏まえると、この「ゴッドマン」という用語は、このセンテンスに並べられた他の表現、「インドの宗教家、グル、神秘思想家。精神指導者」といった中立的な表現からは著しく逸脱するものであり、ひとつの大項目の冒頭の解説としてふさわしくありません。 どうしてもこのカタカナ語を使いたいのなら、英英辞書を検索しない一般読者にもわかりやすいように、「ゴッドマン(インドの侮蔑語)」等の説明を加えねばなりません。しかし、ここまで来ると、「ゴッドマン」という表現が項目の冒頭の解説にふさわしくない、偏向した表現であることは明らかです。 よって削除を要請します。--Drachma12(会話) 2020年10月26日 (月) 00:26 (UTC) ーーーーーーーーーーーー
--Bhavesh.jp(会話) 2020年10月26日 (月) 02:57 (UTC)Bhavesh.jp
MICCAgoさん、「そうした形容が不適切であるという学術的な出典をご提示ください」とありますが、私個人は、上記Drachma12さんのご説明に、なるほど、と腑に落ちるところがありました。それに対する反証等をお待ちしていてよろしいでしょうか? それとも「提示いただければ両論併記すればよろしい」ということであれば、そのようにさせていただいてよろしいですか? その場合、Drachma12さんのおっしゃる通り「「ゴッドマン」という表現が項目の冒頭の解説にふさわしくない、偏向した表現であることは明らか」なのであれば、少なくとも冒頭の解説からははずし、下位のスペースに移し、なお、Drachma12さんの説明等を参考にしながら、最小限の「両論併記」の理由等を付記する、という形を了承いただけますか? ご回答をお待ちします。--Bhavesh.jp(会話) 2020年10月26日 (月) 05:27 (UTC)Bhavesh.jp
MICCAgo さん、その他の皆さん。「削除以来」のほうでは私の発言に続き Strangesnow さんがコメントされています。それに対して私も二度にわたり意見を述べさせていただきました。その辺りを見ていただければ、私の論旨は明らかと思われます。今回の大幅な加筆や差し戻しなど、最大の活動を行っている執筆者は MICCAgo さんあなたであり、「ゴッドマン」もあなたの記述ですので、この件についてどうお考えなのか、こちらでも削除依頼のほうでも、どちらでもけっこうですのでお聞かせください。 Drachma12(会話) 2020年10月27日 (火) 05:27 (UTC)
- 英語版でもトップに来ている単語であり、学術的な出典もあるため、ウィキペディアの方針にのっとって判断するなら、存続で問題ありません。--MICCAgo(会話) 2020年10月27日 (火) 12:47 (UTC)
削除依頼のほうでくわしく説明しました。 Drachma12(会話) 2020年10月27日 (火) 13:56 (UTC)
ページ全体が偏っている
[編集]このページは一人の人間よって書かれ、非常に偏りのあるページとなっております。非常に問題と感じております。 ニュー・ミルン『ラジニーシ 堕ちた神』は、名誉毀損で訴えられているものであり、その本を元にした文献を数多く引用したもので出来上がっているページです。--ダイヤモンド123(会話) 2020年10月14日 (水) 15:02 (UTC)
- ダイヤモンド123さんは、学者たちがミルンの本を評価して参考にしていることを否定されており、つまり、学術研究、アカデミックな資料を否定されているということになります。また、出典にミルンの本を元にした文献が多いというご意見も、根拠が示されておりません。英語の出典が多いですが、それも含め、入手されて参考文献を確認されたということでしょうか?それとも印象ですか?ミルンの本だけを参考に書かれた本はなかろうと思われます。このような学術研究やジャーナリズムを否定する評価の仕方は、ウィキペディアの評価軸と真逆になりますので、ルールにそった問題提起をお願いいたします。気持ちによる判断にならないようご留意ください。--MICCAgo(会話) 2020年10月14日 (水) 15:25 (UTC)
私は、むしろ、ダイヤモンド123さんの意見に賛成です。4月29日以降、MICCAgoさんが、おひとりでこのページに手を入れられてきているようですが、それまでの多くの人々の合意に於いて成り立っていた文章についても、ほとんどおひとりで編集されてきました。もうすこし多数による意見をとりいれていただきたい、と思います。--Bhavesh.jp(会話) 2020年10月16日 (金) 15:32 (UTC)Bhavesh.jp
- 「それまでの多くの人々の合意に於いて成り立っていた文章」とありますが、削除されず放置されていれば、出典がなくてもいいわけではありません。むしろそういった出典のないファンエッセイのようなものは、百科事典の記事とは言えず、ウィキペディアの方針に抵触しています。私がほかの方の意見を取り入れないように見えているなら、加筆が出典をつけていなかったり、ファンエッセイのようなものだったり、百科事典的な内容でないなどの問題があるためで、問題をクリアしている加筆を消すことは致しません。きちんと第三者の信頼できる情報源を探し、ほかの方の文章を参考にするなどして、残して問題のない加筆をしていただければと思います。
- Swachidさんの削除についてですが、足立は論文で「つまり、少なくともラジニーシは、サルモネラ菌散布を承知していた」と書いていますので、事実誤認ではありません。近年の研究という書き方では明確さが欠けていたのだと思いますので、足立の見解だとわかるようにし復帰しました。
- SapphireeiPさんが修正いただいた引用ですが、冒頭の「LOVE」が唐突で理解ができなかったので、いったん消しています。これはLOVEに関する十戒だということでしたら、そうわかるよう補足していただければ問題ありません。また出典の書誌情報が不足しており、出典のつけ方は、ほかの出典を参考に同じようにしていただけますでしょうか。
- これは友人や弟子に宛てた私信です。"Love"は日本の手紙に使う「拝啓」などの頭語に当たります。訳すと「愛する者へ」といった感じでしょうか。ですが、邦訳書には"Love"となっていたので、そのようにしました。同じように邦訳書には句点がなかったので、あのようにしました。"Love"を戻していただけますか? それともこちらから戻す必要があるのでしょうか? 出典方法はウィキペディアのヘルプを参照したのですが、再度見直します。--SapphireeiP(会話) 2020年10月17日 (土) 10:10 (UTC)
- SapphireeiPさん、ご説明ありがとうございます。復帰いたしました。出典方法に関しては、厳しく言ってしまいすみません。出典のつけ方にはいろいろなやり方があり、本ページの場合、参考文献・関連文献の節に出典の情報があり、そこに内部リンクする形で各文章の出典がついているのですが、慣れないとテンプレートの利用は難しい面もありますので、著者名、翻訳者名、著作名、出版社、出版年の情報があれば、とりあえず問題ございません。これが欠けていると、誰かが著作の情報を調べて加筆することになりますので、よろしくお願いいたします。--MICCAgo(会話) 2020年10月17日 (土) 11:21 (UTC)
- ラジニーシのファンの方々の加筆についてですが、ルールを守っていないため、削除せざるを得ないという面がありますので、手を抜かず、出典を探し、ほかの優良記事の書き方などを参考にしていただければと思います。ウィキペディアの方針に合致した姿勢での加筆で、出典が第三者のもので信頼性が十分であるなら、好意的な見解・否定的な見解への反対意見が増えることに異論はございません。漠然と誰々の意見に賛成というのではなく、具体的にどこにどう問題があり、どう直したい、両論併記したい、その根拠となる出典はこれです、という風にご提案いただければ、建設的な議論ができ、良いのではないかと思います。よろしくお願いいたします。--MICCAgo(会話) 2020年10月17日 (土) 01:56 (UTC)
どうして、「ファンの方々」という表現になるのでしょうか? それぞれが独立した編集者であり、それぞれの立場でそれぞれ編集しているのですから、ひとりひとりが尊重されて、十分その意見が参考にされるべきです。MICCAgoさんは、その言葉遣いで、他の独立した編集者を嘲笑している、と思われかねません。おやめください。--Bhavesh.jp(会話) 2020年10月18日 (日) 20:27 (UTC)Bhavesh.jp
- 内容についてふさわしいタイトルにしました。--Bhavesh.jp(会話) 2020年10月25日 (日) 10:41 (UTC)Bhavesh.jp
ここも、上記私のコメントのあとに、別の編集者の手により、あらたな変更がされています。様々な意見があることを理解している最中です。ありがとうございます。--Bhavesh.jp(会話) 2020年10月26日 (月) 03:18 (UTC)Bhavesh.jp
Wikipediaの編集歴が浅く、または全くない利用者で、ダイヤモンド123さん側の立場の方の議論への意見が続いたため、Wikipedia:多重アカウント#ミートパペット行為をご案内いたします。身近な同意見の方への声掛けなどされている方がいらっしゃったら、まとめてブロックされる可能性も出てしまいますので、こういった方針があるということをご留意ください。--MICCAgo(会話) 2020年10月17日 (土) 11:21 (UTC)
- wikiは初心者や新規を歓迎してますよ。わたしは、このページは1人の人が書いて偏りがある、と以前にノートに書いただけです。それに、MiCCAgoさん、この場を借りてお伝えしますが、信頼できる情報源に ウキペディア日本語版では、可能な限り日本語による情報源をさがすべきであり、常に日本語による情報源を日本語以外の言語による情報源より優先して使用すべきです。
- と、書いてあります。--ダイヤモンド123(会話) 2020年10月18日 (日) 12:31 (UTC)
- 日本語の出典でなければ消していいというルールはありましたか?「ここは日本なので日本語文献から引用。」という理由付けは、英語出典の文章を消す理由として成立しない、と申し上げております。英語圏で活動された人物記事で、英語出典の文章を消していいなどということになったら、多くな記事が無残なことになるでしょう。加筆と同時ならほかの出典のある文章を消していいわけではないことは、ご理解いただけますでしょうか。編集内容は都度拝見しております。--MICCAgo(会話) 2020年10月18日 (日) 12:52 (UTC)
- それを言うならMiCCAgoさんもどんどん参考文献付きの文章を消しているでしょう? 何かといいががりをつけて。ヨーガを押したいばかりにOshoのページを偏ったものにし、わざと偏った参考文献を探して掲載し、あなたにとって不都合な事はどんどん消していくやり方やめていただけますか? --ダイヤモンド123(会話) 2020年10月18日 (日) 13:01 (UTC)
- Wikipedia:信頼できる情報源#日本語以外の言語で書かれた情報源には、「例えば、相当する記事が日本語の新聞にないような場合以外は、外国語の新聞を情報源として使ってはいけません。しかし外国語の情報源は、検証可能性や、日本語の情報源と同じ基準に従うという観点では受け入れられます。」とあります。差分:バグワン・シュリ・ラジニーシをご覧いただけば、ダイヤモンド123さんが加筆と同時に「最後は寝たきりで笑気ガス中毒だった[1]。」という文章を消していることが分かりますが、このような出典のある文章を勝手に消すことはルール違反です。「日本語以外の言語で書かれた情報源」に書かれた内容に従うなら、「ラジニーシは最後は寝たきりで笑気ガス中毒だった」という内容の日本語の情報を探し、Kickの出典に追加または差し替える対応をされることは問題ありません。
- ダイヤモンド123さんが関係者やラジニーシ本人の講話集を出典に賞賛を加筆された際に言いましたが、手間を省かず、第三者の信頼性のある文献を探してください。消している理由はご説明しておりますので、問題点をクリアしてください。
- また、Wikipedia:個人攻撃はしないをご一読ください。--MICCAgo(会話) 2020年10月18日 (日) 13:22 (UTC)
インデント戻します。Anand Sanatanoさんがご自身のページで、本ページを編集する仲間を募集していらっしゃいましたが、そう言った行為はおやめください。--MICCAgo(会話) 2020年10月18日 (日) 14:12 (UTC)
- MICCAgoさんは、「おやめください」とおっしゃってますが、当該行為は、単に推奨されていない、というだけで、禁止事項ではありません。MICCAgoさんは、「おやめください」と個人的に発言する前に、他の人々の意見も参照するなり、意見を求めてはいかがでしょうか? --Bhavesh.jp(会話) 2020年10月18日 (日) 19:47 (UTC)Bhavesh.jp
- 私自身、長期に渡ってWikipediaのオショーページを見ておりませんでした。前回の改編時にチェック出来なかったため現在新たな編集が必要ではないかと思っております。同様に多くの友人がページの現状を見ておらず、メッセージとして参加を呼び掛けているところです。当然参加するか否かは各人の自由意思です。基本的には個人としての編集作業です。当面は編集ノート作成となります。宜しくお願いします。 Anand Sanatano(会話) 2020年10月19日 (月) 00:13 (UTC)
- Wikipedia:多重アカウント#ミートパペット行為には、「友人や親族や、自分と同意見のコミュニティの人々にウィキペディアの記事について知らせ、ウィキペディアへ招き入れて議論におけるあなたの立場へ味方させることは不適切であると考えられています。」とあり、まさにその参加の呼びかけが問題だと書かれています。ご理解ください。--MICCAgo(会話) 2020年10月19日 (月) 10:47 (UTC)
- MICCAgoさん、一人の人間が半年にわたり、好き放題書いてよい、とも、どこにも書いてませんよ。一人で勝手に予告もなく改ざんしないでください。--Bhavesh.jp(会話) 2020年10月25日 (日) 10:31 (UTC)Bhavesh.jp、
- 第三者の信頼できる情報源に沿った記述をすることも、出典のある記述が除去されていた場合の復帰も、出典のない記述の除去も、予告を必要とされる行為ではありません。--MICCAgo(会話) 2020年10月27日 (火) 11:50 (UTC)
ガイドラインの「検証可能性」の初めに以下の文言があります。
大きな変更を加える場合は、先にノートページで提案してください。 (中略)記事は可能なかぎり情報源を明記すべきです。情報源が明らかでない内容は、異議を述べて取り除くことができます。
先にノートで提案すること、予め異議を述べること、とあります。MICCAgo さんは四月末からの大幅な削除や加筆でこれを守りましたか? ガイドラインのもっと基本的な部分には「マナーを守る」「お互いを尊重する」とあります。これに沿うなら、ノートに大幅な加筆や出典のない記述の削除を「宣言」し、二週間ぐらいは待つぐらいの慎重さがあってしかるべきでした。それをやっていれば、いまでもノートでそれらの発言を確認できたはずなのです。ましてや、四月以前の記述にもそれなりに出典がついていたのに、それらも消してしまったのだとしたら、まったくもってなにをかいわんやです。 Drachma12(会話) 2020年10月28日 (水) 15:28 (UTC)
Shepherd(https://www.kevinrdshepherd.info)からの引用が多くみられますが、当該サイトはWikipedia編集方針の自己公表された情報源に該当しないでしょうか? Shepherdの内容には、個人のウェブサイトの様なところから引用が多くみられます。 Wikipedia編集方針には自己公表された本や個人のウェブサイト、ブログの大部分は情報源として受け入れられませんとあります。故にShepherdのウェブサイトは信頼できる情報源に該当しないと思います。 (例) https://www.enlightened-spirituality.org http://meditation-handbook.50webs.com http://www.sannyasnews.org/sannyasnews/index.html http://ashejournal.com/two/davisson.shtml http://www.paulmorantz.com/cult/escape-from-rajeneeshpuram/ 反論がない場合は、引用した全ての記述を削除させて頂きます。 --GViknn-P(会話) 2020年10月18日 (日) 15:52 (UTC)
- ウィキペディアの方針を鑑み、建設的なご意見を提案いただきありがとうございます。Shepherdは著作家なので、彼のサイトも信頼性があると思い使用していましたが、おっしゃることはもっともですので、Shepherdの出典と一緒に他の出典がついている記述の巻き込み削除にだけ留意いただければ、消していただいて構いません。
- 加筆いただいた部分も拝見しました。「ラジニーシがサルモネラ菌散布を承知していれば、米国における共謀罪に問われるはずであるが、実際には有罪どころか訴追もされていない。参照されている足達好正文献のソース(Seth Carus)には「承知していた」と断定できるような記述は見当たらない。」という加筆ですが、こうした書き方は望ましくありません。カルスの著作の出典のページには、シーラがラジニーシが人々を傷つけないのが一番だが、何人か死んでも気にすることはないとコメントしたと語ったとあり、足立のカルスの著作の引用は正確です。シーラの言葉によれば、ラジニーシは事前に計画の存在を知っており、人々を傷つけることを許容していたということになりますが、シーラの言葉をそのまま事実とすることはできないというご意見は当然あるだろうと思います。「~という記述は見当たらない。」という表現は、人によって見解が異なることになりますで、「シーラは~と述べている」「シーラの供述を根拠に、足立は~と述べている」という記述ならよいと思います。また、共謀罪については、ラジニーシは司法取引をしていますし、「ラジニーシがサルモネラ菌散布を承知していれば、米国における共謀罪に問われるはず」という出典がありませんので、これも個人の見解になります。書き方を調整していただけますでしょうか。よろしくお願いします。--MICCAgo(会話) 2020年10月19日 (月) 10:47 (UTC)
- もう一つすみません。King, Elroyの出典のページ番号を入れてください。--MICCAgo(会話) 2020年10月19日 (月) 10:57 (UTC)
Miccago様 この度、ご指摘させて頂きました件につきまして、ご理解を賜りありがとうございます。時間がかかるかもしれませんが、 削除をさせて頂きたいと存じます。巻き込み削除などがございましたら、ご教示を頂ければ幸いに存じます。 よろしくお願い申し上げます。 また、加筆部分のご指摘がございましたが、その部分の加筆は私が行ったものでございましょうか? ご確認を願います。--GViknn-P(会話) 2020年10月19日 (月) 13:08 (UTC)
- GViknn-Pさん、よろしくお願いします。対応がひと段落してからお声がけいただけば、私のほうでも確認します。削除で文脈が不自然になる箇所があれば、合わせて調整いただくか、ご相談ください。
- 加筆の件ですが、大変失礼しました。GViknn-Pさんではなく、Swachidさんですね。Swachidさん、ご確認よろしくお願いいたします。--MICCAgo(会話) 2020年10月19日 (月) 13:19 (UTC)
MICCAgo 様、 昨日、追加投稿したSwachidです。
>足達好正文献のソース(Seth Carus)には「承知していた」と断定できるような記述は見当たらない。」という加筆ですが、こうした書き方は望ましくありません。
この件についてお答えします。上記の追加は短い投稿にしたかったため、要点のみ記述しています。
これはKD(David Berry Knapp)がシーラから聞いたことです。つまり、「ラジニーシが……と語った」とシーラがKDに語ったのをKDが証言しているわけです。伝聞の伝聞ですね。私は研究者である足達がこんな情報に基づいて(ラジニーシが)「承知していた」と断定するはずがないと思いましたので、ソース(Seth Carus)の他の部分をざっと確認してみましたが、「承知していた」と断定できるような記述は見当たりませんでしたと書きました。
>カルスの著作の出典のページには、シーラがラジニーシが人々を傷つけないのが一番だが、何人か死んでも気にすることはないとコメントしたと語ったとあり、足立のカルスの著作の引用は正確です。
厳密には違います。カルスの著作の出典のページの情報を要約すると、ラジニーシが語ったとシーラが言ったをKDが聞いたと書かれています。そこから足達は(ラジニーシが)「承知していた」と断定していますが、とうてい断言できるレベルの情報ではありません。
KDがそのように証言したのは記録ですから事実ですが、シーラが本当にKDにそのように語ったのかどうかは調査が必要でしょうし、ラジニーシが本当にシーラに語ったのかどうかはさらなる調査が必要でしょう。そのようなプロセスを経ずに足達が「承知していた」と断定するのは誤り(軽率)だと思います。 米国の法執行当局は当然そのような(証拠採用のための裏付け)調査を行っているはずであり、その結果訴追しなかったのです。
>「ラジニーシがサルモネラ菌散布を承知していれば、米国における共謀罪に問われるはず」という出典がありませんので、これも個人の見解になります。
これは事実に基づいた解説です。このサルモネラ菌散布の事件は重大な犯罪であり、刑事告発されるべき事件です。ラジニーシがサルモネラ菌散布を承知していたのであれば(または少なくともその容疑があれば)、(米国には共謀罪があるため)法執行当局が司法取引を提示して出国させることはあり得ないのです。 これについて連邦検事らが語っているのが直前に追加した以下の地元新聞からの引用の翻訳です(英語版Wikiの「Rajneesh」のページから引用しました。引用元が新聞のためか、リンクはありませんでした)。
当時米国の連邦検事であったチャールズ・ターナーとデイヴ・フロンマイヤー検事総長は、「ラジニーシプーラムで明らかになったすべての犯罪行為について、(ラジニーシが)関与をしていたという証拠がほとんどなかった」ことを認めた[24]。
>共謀罪については、ラジニーシは司法取引をしています
この場合、司法取引は関係ありません。この件の司法取引について説明します。司法取引に言及するなら、内容を調べてからにしてください。
Twelve days after Rajneesh's arrest, he was released in Portland on $500,000 bail. Six days later he agreed to a plea bargain on two out of the original 35 immigration charges. (A Passage to America P.17) (https://ildspor.files.wordpress.com/2018/03/159239659-a-passage-to-america.pdf)
ラジニーシは起訴状の移民法関連の35項目中の2項目を司法取引によって認めることに同意しました。
この司法取引は厳密にはAlford plea(アルフォード・プリー、有罪答弁)です。つまり、「容疑については否定しつつ、自分が有罪となることについては同意する」ということです。
起訴状にあった35項目は(通常は書類送検で終わる)移民法関連であり、ラジニーシプーラムで明らかになった犯罪行為に関する項目はありませんでした。その中の2項目を認めて出国することに同意したわけです。 --Swachid(会話) 2020年10月20日 (火) 07:22 (UTC)
- セス・カルスと足立の文献についてですが、Swachidさんの中にあるその流れが読者には分からず、独自研究になっています。セスの書籍を出典として追加し、セスの書籍に書かれている内容と、足立の見解が分かるように加筆していただけないでしょうか。読者がその二つを見比べ、それぞれ判断すればよいことなので、二つを読み比べると~だ、といったことも書かないほうが良いかと思います。(個人的には、あなたの見解にうなずく部分も大きいですが)
- 司法取引に関しては、Wikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成になっているのではないかという懸念があります。誰が出典を確認しても、出典でシンプルにその内容が確認できる、という程度で書くべきなので、こういうことならほぼほぼそうだろうと感じる場合でも、明確な出典がない場合は書くことは避けてください。よろしくお願いいたします。--MICCAgo(会話) 2020年10月21日 (水) 12:51 (UTC)
MICCAgoさん、
あなたは、最も重要で基本的なことに気づいていません。ラジニーシプーラムで明らかになったすべての犯罪行為について、ラジニーシは「有罪どころか訴追もされていない」という事実です。それを踏まえた上でさまざまな資料を調査吟味し、自分の意思で掲載するのかどうかを判断する必要があります。
足達やミルンは(学位や書籍売上などの)自分たちの都合によって、そこを無視して、カルト教団、テロ、オウムというレッテルを貼ってから議論を始めます。彼らの都合によって、ラジニーシは犯罪者でなければならないのです。しかし、ラジニーシは、あの一連の事件とは法的に無関係であり、法的に無実なのです。足達の「承知していた」という断定は根拠が不十分であり、とうてい論文で断定できるレベルの史実ではありません。 シーラが言ったことをKDが聞いたことがあるということですが、シーラは本当にラジニーシに犯罪の計画について話したかどうかの検証が必要であり、その後にラジニーシがその際に本当にその文脈でシーラが言ったとおりに答えたのかどうかの検証も必要でしょう。明らかに調査検証不足でありながら足達は断定しています。
以下のWikipediaのページをお読みください。
Wikipedia:名誉毀損(https://ja-two.iwiki.icu/wiki/Wikipedia:%E5%90%8D%E8%AA%89%E6%AF%80%E6%90%8D) 特に日本法においては真実性・相当性等に関する証明責任が表現者側に課されており、現実的悪意の法理が認められているアメリカ等に比べると名誉毀損が成立しうる範囲がかなり広いといえます。記述対象にとってネガティブな情報を記述する場合は、充分慎重に判断して、名誉毀損の可能性があるなら書かないようにすることが重要です。
ラジニーシは「有罪どころか訴追もされていない」わけですから、あの一連の犯罪に対して、法的には私たち同様に無関係なのです。無実の個人が犯罪に関わったことを記述するのは、中でも最も重大な誹謗中傷のひとつです。 「日本法においては真実性・相当性等に関する証明責任が表現者側に課されて」いるのですよ。あなたが引用した内容の問題性について他の編集者が指摘したら、表現者であるあなたに証明責任があるのです。論文などの資料からの引用だからというような理由は通用しません。
司法取引については、私が提示した書籍からの引用を確認しましたか? 起訴状にあった35項目は(通常は書類送検で終わる)移民法関連であり、ラジニーシプーラムで明らかになった犯罪行為に関する項目はありませんでした。この点に同意なさるなら、直前の「(他の容疑は司法取引で不問)」を削除してください。--Swachid(会話) 2020年10月21日 (水) 23:10 (UTC)
- 足沢氏の著作を出典に修正しました。--MICCAgo(会話) 2020年10月25日 (日) 13:29 (UTC)
MICCAgoさん、Swachidさんとの対話、大変興味深く拝見しています。ただ、その根拠となる資料は、私は手元にありません。その出典となる資料なり、Web情報なりをお示ししていただくことは可能でしょうか。私だけではなく、他の編集者の方々の参考にも益するものと考えます。よろしくお願いします。--Bhavesh.jp(会話) 2020年10月26日 (月) 03:26 (UTC)Bhavesh.jp
MICCAgoさん、 あなたは「サルモネラ菌を使用したバイオテロ」で、未だに「自衛隊でCBRNテロリズムを研究する足達好正は、セス・カルスの著作の伝聞を参考に、ラジニーシはサルモネラ菌散布を承知していたとしている[82]。」という記述を残していますが、私が指摘したように個人を誹謗中傷する内容に関しては、Wikipedia当局が指定しているように「表現者であるあなたに証明責任がある」のです。足達でもなく、足沢でもなく、「あなた」が「承知していた」と記述する根拠を示してください。
私を含めたチームは95年に「米国にオウムのようなカルト教団があった」という趣旨の報道が雑誌テレビなどで大々的に報道されたときにその対応に当たりました。その結果、多くのメディアが報道内容に事実誤認があったことについて謝罪しました。日テレ、TBS、フジは番組内で謝罪文を読み上げました。この事件は36年の前に起こった事件であり、私は今回も当時の資料を使って反論しています。当時からもはやこれに関する新しい事実は出ていないためです。テレビメディアが番組内でかなりの量の謝罪文を読み上げるのは異例のことですが、その事実誤認というのが今回も指摘している法的に非常に明確で単純な事実です。Oshoはこの一連の事件に関与していないのです。メディアが即座に謝罪したのはそのためでした。あなたは、この点に関する自身の事実誤認をしっかり確認し、事実誤認が含まれる引用を削除する必要があります。--Swachid(会話) 2020年10月27日 (火) 00:43 (UTC)
- 私が根拠を示すなら、それはウィキペディアの方針において独自研究になります。私は根拠を示すことはできず、信頼できる情報源と判断される情報を用いて記述するのみです。足立の出典を使うことができない、それはこの学術的な出典と記述に矛盾があり、正確性に問題があると思われる、よって足達の出典を根拠にした記述は除去するべきだ、という提案は可能かと思われます。私について問うのではなく、個々の出典、個々の記述について検討・提案してください。私を説得されても、ルールに合わせ、具体的に提案いただかなければ対応できません。特に私を説得しなくても、提案が方針に沿っていれば、議論は進みます。--MICCAgo(会話) 2020年10月27日 (火) 12:47 (UTC)
MICCAgoさん、以下のWikipediaをもう一度お読みください。 Wikipedia:名誉毀損(https://ja-two.iwiki.icu/wiki/Wikipedia:%E5%90%8D%E8%AA%89%E6%AF%80%E6%90%8D) 特に日本法においては真実性・相当性等に関する証明責任が表現者側に課されており、現実的悪意の法理が認められているアメリカ等に比べると名誉毀損が成立しうる範囲がかなり広いといえます。記述対象にとってネガティブな情報を記述する場合は、充分慎重に判断して、名誉毀損の可能性があるなら書かないようにすることが重要です。
「真実性・相当性等に関する証明責任が表現者側に課されており」と明確に書かれています。他の編集者がここであなたの記述内容に関する事実誤認を指摘した場合は、それに対する証明責任は表現者(あなた)にあるのです。したがって、以下についてあなたの証明責任を果たすように求めます。
・Oshoがサルモネラ菌撒布事件を「承知していた」と断言するに足る客観的な根拠 ・Oshoが「ラジニーシの事件への関与」を証明するに足る客観的な根拠
これらはOshoが一連の犯罪に関与していたことを明確に断言する記述であり、一連の事件に対して「有罪どころか訴追もされていない」法的に無実の個人に対する重大な侮辱であり、誹謗中傷です。 最近は、SNSで他者の誹謗中傷を含む記述をリツイートしたり、「いいね」を付ける行為も問題視されています。たとえ文献からの引用であっても、Wikipediaのような広く認知されているメディアで、個人を正当な根拠なく侮辱する文脈で自身の主張を長々と繰り返し展開するような行為は到底許されるべきものではありません。
--Swachid(会話) 2020年10月28日 (水) 07:09 (UTC)
同じ著書が言っている文章をなぜ消すのか?
[編集]聖者達のインドの、足沢一成が言っている箇所P87
インドのヒンドゥー教で伝統的な不二一元論(アドヴァイタ・ヴェーダーンタ)と同じものとなる。しかし、ラジニーシ自身は「ブラフマンとアートマンの合一」あるいは「全体と個の合一」という考え方が自分の思想の中心であると断言してはいないし、注がれるべき「エネルギー」が何であり、どこから来るかということも断言していない。
と書いてある。しかし、MiCCAgoさんは しかし、ラジニーシ自身は「ブラフマンとアートマンの合一」あるいは「全体と個の合一」という考え方が自分の思想の中心であると断言してはいないし、注がれるべき「エネルギー」が何であり、どこから来るかということも断言していない。
という文章を消してしまう。それはなぜですか? 足沢の次の文章をなぜ消すのか? --ダイヤモンド123(会話) 2020年10月20日 (火) 13:38 (UTC)
- 冒頭は簡潔な解説なので、本文に移動させています。「ラジニーシ自身は「ブラフマンとアートマンの合一」あるいは「全体と個の合一」という考え方が自分の思想の中心であると断言してはいないし、注がれるべき「エネルギー」が何であり、どこから来るかということも断言していない。」という文章は、ラジニーシが自然であることを重視したこととの関係で足立の書籍で語られていますが、思想の細かい解説になってしまうので、冒頭は「ラジニーシ自身は自身の思想の構造について明言していない」という程度で十分ではないでしょうか。概略でわざわざ言及しているのだから、この否定の文章の後には重要な解説が来るだろうという文脈で切れているので、読んでいて困惑してしまうというのが個人的な感想です。文中に詳しい解説を追加していただくのは良いと思いますので、よろしくお願いいたします。--MICCAgo(会話) 2020年10月21日 (水) 12:51 (UTC)
私も資料を入手し、確認中ですが、そもそも足沢氏の表現に偏りがみられ、また大きく事実誤認されているのかなぁ、と思うところがありましたので、検証中です。しばらくお時間ください。--Bhavesh.jp(会話) 2020年10月25日 (日) 07:02 (UTC)Bhavesh.jp
MiCCAgoさんの言いたい事はわかりましたが、まとめて概略で言っているなら冒頭も必要ないですね。そもそも神はいない、といっているOshoはヒンズー教と少しも似てはいないのです。 --ダイヤモンド123(会話) 2020年10月25日 (日) 11:10 (UTC)
- ヒンドゥー教には無神論も含まれますが。「足沢氏の表現に偏りがみられ、また大きく事実誤認されている」といった個人的な判断で学術書を否定することはできません。個々の執筆者の意見より、出版された学術書の足沢氏の文章のほうが信頼されます。--MICCAgo(会話) 2020年10月25日 (日) 13:29 (UTC)
MICCAgoさん、別段に「個人的な判断で学術書を否定」しているわけではありません。客観的かつ検証可能性のうえで、あきらかな誤認があります。すべてが「出版された学術書(だけが)が信頼され」優先されるのであれば、Wikipediaの存在基盤は大きく失われてしまのではないでしょうか。ウェブ上の百科事典としての存在は、多くの編集者の中立的かつ、検証可能で、かつ、独自研究を排除したもの、と理解しています。学術書にも、多くの記述があり、対立した意見も相当数あります。誰か特定の人の学術書だけが信頼されているわけではありません。独自研究を避けてください。--Bhavesh.jp(会話) 2020年10月26日 (月) 02:07 (UTC)Bhavesh.jp
- 学術書をジャッジするというのは独自研究に踏み込んでおり、Wikipediaの方針に反すると思われます。学術書は正しくない、一次情報を確認するなら~だ、というようなことが言いたい場合は、Wikipediaは合う場所ではありません。自己研究の持ち込みは、論文を書いて紀要や学術誌に発表し、それを出典とするという対応が考えられます。--MICCAgo(会話) 2020年10月27日 (火) 12:47 (UTC)
他者の文章に手を加えることはルール違反であるため、節タイトルを戻します
[編集]表題の通りです。Kadzuwoさん、わたし、ダイヤモンド123さんの文章(節タイトル)に手が加えられていましたが、ルールに反するため戻します。修正する場合は本人に了解を取り、元の記述を残して取り消し線で対応するなど、変えたことが分かるよう対応してください。--MICCAgo(会話) 2020年10月25日 (日) 13:29 (UTC)
MICCAgoさんのおっしゃることは理解できますが、それならまず隗より始めましょう。あなたがこれまで4月29日以来、半年間に行われた編集作業は、すべてご自身の編集指針に合致したものだったでしょうか? MICCAgoさん、まず最初にあなたから「修正する場合は本人に了解を取り、元の記述を残して取り消し線で対応するなど、変えたことが分かるよう対応してください」お願いします。--Bhavesh.jp(会話) 2020年10月26日 (月) 01:53 (UTC)Bhavesh.jp
MICCAgoさんが4月29日以来、大幅に改ざんしたときに、「修正する場合は本人に了解を取り、元の記述を残して取り消し線で対応するなど、変えたことが分かるよう対応」されましたでしょうか?全くされていませんね。 今回、SapphireeiPさんやBhavesh.jpさんをはじめとする、出典のある良質な文章も削除されています。いかがなものでしょうか? 都合が悪くなると、自らの個人的なルールに沿っていないからと、すべてご和算にする暴挙。 それならば、4月28日以前に戻した方がいいということになります。それでよろしいですね。 --DY111(会話) 2020年10月26日 (月) 02:54 (UTC)
MICCAgoさん、すみませんが、何を言いたいのかがさっぱりわかりません。何年もログインしていないKadzuwoさんが何の関係があるんですか? 私が、節タイトルを変えた? という事ですか? 節タイトルを変えた覚えはありませんが、変えましか? よろしければ、わかりやすく書いていだだけますか? 理解不足ですみません。--ダイヤモンド123(会話) 2020年10月26日 (月) 11:14 (UTC)
- 「他者の文章に手を加えることはルール違反である」というのはノートページでの発言が変えられて分からなくならないように、修正する場合は元の文章を残して取り消し線を引き、修正内容を書く、という対応をすることになっているということです。ダイヤモンド123さんが節タイトルを変えたのではなく、ダイヤモンド123さんが立てた節タイトルを他の方が変えるなら、ダイヤモンド123さんに一言聞いて、許可を取り、変更したことがわかるようにしましょう、と述べています。わかりにくくてすみません。--MICCAgo(会話) 2020年10月27日 (火) 12:47 (UTC)
MICCAgoさん、まずご自身の4月29日の、あなたが最初に登場した日の編集をみてください。大幅な削除、書き込み、引用のある他人の文章の削除。ここからあなたの編集が始まっています。あなたの言葉が説得力がないのはそのためです。おたがい、尊重しあえるような編集者になりましょう。 https://ja-two.iwiki.icu/w/index.php?title=%E3%83%90%E3%82%B0%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%82%B7&diff=next&oldid=76448330 --Bhavesh.jp(会話) 2020年10月28日 (水) 09:56 (UTC)Bhavesh.jp
保護を依頼しました
[編集]出典のある記述が消される、記事として体裁が崩れているなど、問題が多いのでいったん戻し、保護を依頼しました。Shepherdを出典とする記述は一通り除去しています。呼びかけでルールをよく知らない新規参加者が集まり、更新をひとつひとつ吟味して戻すことが難しいため、一気に戻すことになったことをご理解ください。--MICCAgo(会話) 2020年10月25日 (日) 13:29 (UTC)
Shepherdを出典とする記述が誤解だったようにMICCAgoさんの文章には、かなりの誤解がある文献を使用されています。新規参加者と記事を作っていったら良いのではないですか? まらかいとまっくす(会話) 2020年10月25日 (日) 15:35 (UTC)
MICCAgoさん、あなたが加筆を始められた4月29日以前のページと、現在のページの差分をごらんください。これが、あなたがほぼ半年に渡って、たった一人で、9月上旬まで加筆されてきた結果です。「ルールをよく知らない新規参加者が集まり、更新をひとつひとつ吟味して戻すことが難しいため」というような、私のような新規編集者を排除するような発言は、おやめいただけるでしょうか。すくなくとも私は別なページを立ち上げるためにWikipediaに参加したのであり、Wikipediaは私のような新規編集者を歓迎している、と理解しています。先輩なのであれば、後輩に「更新をひとつひとつ吟味して戻すこと」を、ご指導していただくことが、本筋ではないでしょうか。少なくとも私はMICCAgoさんが、「一気に戻すことになったこと」など、まったく理解できません。--Bhavesh.jp(会話) 2020年10月26日 (月) 04:58 (UTC)Bhavesh.jp
これまでに多くの人々の時間とエネルギーが編集に費やされています。
それを無に帰して、MICCAgoさんの独壇場としたいならば、それは独裁政治と同じことになります。
そもそも、4月からここにあなたが登場してから、問題の多い文章に改ざんされました。
問題の多い文章を修正するのは、百科事典として当然のことです。ここは三流週刊誌ではないのですから。
とにかく、一気に戻したのは言語道断。暴挙と言わざるを得ません。
戻した上で、保護依頼を出したというのも狡猾ですね。
これまでのその狡猾なトリッキーな手口の数々をぜひ観ていただきましょう。
こちらこそ、保護依頼により公正に観ていただくことは望むところです。
--DY111(会話) 2020年10月26日 (月) 05:53 (UTC)
合掌 Setu(会話) 2020年10月26日 (月) 06:40 (UTC)
MICCagoさんへ。保護を依頼されるのはWikipedia上、認められた行為には違いありませんが、ここを始めとする多くの方々(Bhavesh.jpさん、DY111さんほか)のあなたのページへの頑なとも思える編集行為に対する質問の多くに、まったくお答えがありません。もう一度目を通されて、誠意あるご返答をいただきたく思います。宜しくお願い致します。 ShiningStar1979(会話) 2020年10月26日 (月) 11:42 (UTC)
- 拡張半保護が受領されたということは、管理者に新規参加者の投稿や削除が問題があるとみなされたということです。問題の記述や除去をなさった方は、振り返って今後の活動を修正していただくようお願いいたします。わたしはGViknn-Pさんの提案にはお答えして合意し、記事を編集しました。かたくなに記事を支配しているわけではありません。GViknn-PさんはWikipediaの方針を理解し、それにのっとり個別具体的に提案してくださっており、対応することが可能でした。個人の意見の応酬といった堂々巡りの議論にならないように方針があります。方針を理解し、それに沿った具体的な提案をしてください。Wikipediaの方針に沿った具体的な改善提案であれば、議論し合意を目指すことも可能かと存じます。--MICCAgo(会話) 2020年10月27日 (火) 11:50 (UTC)
MICCAgoさん、まさに私も賛成です。上であなたがおっしゃっているように、最初から「修正する場合は本人に了解を取り、元の記述を残して取り消し線で対応するなど、変えたことが分かるよう対応してくださ」っていたら、今回のような問題もおきずにすんだかもしれません。拡張半保護を、他人のせいばかりにしてはいけません。あなた自身が全然反省する点がなかったと言えますか? 全部他人のせいばかりだと思いますか? 私は、9月初旬から、このノートやその他の履歴をみていました。こりゃ、どうなんだろうね、と思ったのは、あなたに対してのほうがさきでした。最初から「合意を目指すことも可能」という姿勢を見せていれば、なにも私がここで、あなたとお話しする必要など、最初から不要だったかな、と思ってます。--Bhavesh.jp(会話) 2020年10月27日 (火) 12:47 (UTC)Bhavesh.jp
追伸ですが、だれだれのように、という要求は取り下げていただけますか? 編集者それぞれにスタイルがあるのであり、それぞれが尊重されるべきです。一定程度の規範に沿っていれば、いろいろな人間が参加してこそ、公平で、中立な編集といえます。だれだれさんは、だれだれさん流にやればよいし、私は私流になんとか、皆さんに歩調を合わせていくつもりです。一方的なスタイルの要求は、個人編集者としては、越権していると感じます。--Bhavesh.jp(会話) 2020年10月27日 (火) 12:53 (UTC)Bhavesh.jp
- 「最初から「修正する場合は本人に了解を取り、元の記述を残して取り消し線で対応するなど、変えたことが分かるよう対応してくださ」っていたら」とおっしゃっていますが、私はほかの方の発言をノートで改竄しましたでしょうか?誤解を招く言い方はおやめください。記事で取り消し線を引いて元の記述を残すことはありません。また、個人の執筆スタイルはウィキペディアの方針・ルールを守った上で尊重されることであり、それ以上のものではありません。方針・ルールを守っていただきたいというのは、越権ではありません。お名前は、方針・ルールを守っている方のやり方を参考にしていただきたいと思い挙げただけですので、特に取り下げる必要はないと存じます。--MICCAgo(会話) 2020年10月27日 (火) 13:12 (UTC)
戻された記述は、人権侵害に当たります。
[編集]MICCAgoさん、あなたは管理人ではありません。あなたが登場する今年4月以降と4月以前では、まったく別の内容となりました。4月以降、あなたは誰も見ていないことをいいことに、極端に偏向的な内容に改悪しました。根拠のない怪しい出典元をさもアカデミックなように見せかけ、文章を合意なしで編集できないようにしてきました。これはWikipediaのルールを悪用していることになります。MICCAgoさんは以下の理由により、大きな過ちを犯していることになります。
①人権侵害に当たる。 世界的に高い評価を受けている人物を、犯罪者として表記している。これは人権侵害に相当する。
②名誉棄損に当たる。 事実無根の記述、極端な偏向記述でひとりの人物を描き出すことは、名誉棄損に相当する。
③百科事典を三流週刊誌に貶めている。 MICCAgo氏の記述内容は、ほぼ三流週刊誌と同じ内容である。客観性を求められる百科事典とは程遠く、Wikipediaを三流週刊誌に貶めている。
④英語版Wikipediaとの乖離が甚だしい。 この人物は世界的に知名度があり、評価されているため、英語版のWikipediaでは内容が定着している。日本だけが世界の記述と乖離しているため、ガラパゴス現象が起きている。許されることではない。 https://en-two.iwiki.icu/wiki/Rajneesh
⑤つまりは、客観性がない。 最初から犯罪者と決めつけて、それを裏付けようと出典をつけているが、どれも根拠がなく、アメリカで立証されていない内容ばかり。著しく読者に誤解を与えることを目的としている、と言わざるを得ない。
以上 --DY111(会話) 2020年10月25日 (日) 22:38 (UTC)DY111
- GViknn-Pさんのように、Wikipediaの方針にのっとり、個別具体的に提案してください。--MICCAgo(会話) 2020年10月27日 (火) 11:50 (UTC)
- MICCAgoさん、奇妙なことをおっしゃいますね。Wikipediaのノートページのガイドラインのどこにそのようなことが書かれていますか?書かれていませんね。議論のテーマを「編集の具体策」に限る、というような制限はありません。「具体策」はいいけど、「方向性」について話してはならない、という制限はありません。「戦術」について話してもいいけど、「戦略」について、話してはいけないという制限はありません。「記述」ついて話してもいいけど、その「動機」について話してはいけないという制限はありません。
- それでは、上記に示した五番までの現実的な傾向と方向性を、あなたが否定しないということは、認めた、という認識でよろしいですね。--DY111(会話) 2020年10月29日 (木) 05:43 (UTC)
提案:ラジニーシプーラムにおける一部の幹部による一連の犯罪に関する詳細な記述を主犯である「シーラ・シルバーマン」または「ラジニーシ教団によるバイオテロ」のページに移動する
[編集]ラジニーシプーラムで発生した(サルモネラ菌撒布事件を含む)一連の犯罪について、Oshoが関与していないことに関して、MICCAgoさんを含めて編集者の一定のコンセンサスが取れたと思います。このページはOsho個人について記述するページであるため、本人が関与していない事件の詳細について長々と(しかも何度も)記述するのは適切ではありません。よって、その部分は主犯である「シーラ・シルバーマン(まだ未作成のようです)」または「ラジニーシ教団によるバイオテロ」のページに移動することを提案します。--Swachid(会話) 2020年10月26日 (月) 22:55 (UTC)
このページは全体として、長すぎて、混乱しているために、一般の読者には利用しにくい状況になりつつあるのかな、と感じます。より公平で、中立、検証可能性のたかい、透明度の高い記述が残ってほしい、という希望から、私はSwachidさんの意見に賛成です。--Bhavesh.jp(会話) 2020年10月27日 (火) 08:10 (UTC)Bhavesh.jp
- ラジニーシが率いる団体でのことですので、本人と切り離して考えることはできません。セス・カルスからの書籍にどのような記述があったかを確認していたことを、ラジニーシと一連の事件が無関係という合意に達した置き換えるのは、論理の飛躍ではないでしょうか。「Oshoが関与していないことに関して、MICCAgoさんを含めて編集者の一定のコンセンサスが取れた」という事実はありません。合意を形成してください。合意形成の議論は、合意が明確に形成されるまで行ってください。よろしくお願いいたします。--MICCAgo(会話) 2020年10月27日 (火) 11:50 (UTC)
校正しただけなのに
[編集]星本光一は、このページの誤字を直したり、webが出典になっているものを書籍の出典の明記に変更したりを行なっただけです。その中には、改変された記事ではなく、元記事の緻密な校正を含みます。星本光一はそれ以外の「私見」を書き込むなどの作業をなんら行なっていません。にもかかわらず、記事は一括して以前のものに戻されました。星本光一による単純な校正作業も無効になり、記事は単純ミスに満ちています。例=sanyasをsanyasinに校正すべき部分があるなど。 時間を費やした緻密な校正作業が、なんらかの対立のようなものに巻込まれ、すべて無効にされたのは大変遺憾です。少なくとも、改変前の元記事該当部分への、星本光一の緻密な校正部分を活かすよう要請します。 星本光一は校正しかしていません。他のことは一切してません。 いつ、我知らぬ対立に巻込まれて、緻密な作業が無駄になるかしれないのがwikiであるということになるなら、編集意志のある者の「良心的な」関与の意志を挫くだけです。 星本光一の校正を活かすよう、強く要望します。 星本光一(会話) 2020年10月27日 (火) 14:22 (UTC)
星本光一さん、貴重なご意見ありがとうございます。MICCAgo氏のご返答や、皆さんのご意見をお待ちします。私自身も反省するところあります。--Bhavesh.jp(会話) 2020年10月28日 (水) 00:17 (UTC)Bhavesh
無断で削除された内容の復活依頼および引用元の確認
[編集]MICCAgo さん
以下の内容は英語版Wikiからの翻訳であり、引用元の地元新聞も明記されていましたが、私に断りなく削除されました。復活してください。
ただし、当時米国の連邦検事であったチャールズ・ターナーとデイヴ・フロンマイヤー検事総長は、「ラジニーシプーラムで明らかになったすべての犯罪行為について、(ラジニーシが)関与をしていたという証拠はほとんどなかった」と認めている[149]。
参照文献: 149 King, Elroy (23 July 1985). "Plea bargain said best deal possible". Dalles Chronicle.
以下は文献の何ページからの引用ですか。 セックスは石炭であり、一方ブラフマチャリア〈性超越〉はダイヤモンドだと言いたい、性超越はセックスの変容だ[10]。
--Swachid(会話) 2020年10月27日 (火) 23:36 (UTC)
この記事についての考察も、大変気になっていました。今後の展開を注視させていただきます。--Bhavesh.jp(会話) 2020年10月28日 (水) 00:22 (UTC)Bhavesh.jp
- Swachidさんがとても重要な個所を、MICCAgo さんから無断で削除されたことに関して言及しています。
- 当時の米国の連邦検事と検事総長の明言に関してです。司法における最高府からの立証結果による発言です。
- MICCAgo さんは事の重要性を本当に理解されているのでしょうか?このページであなたが記述したすべてが崩れ去るのです。立証されていない参考文献を出典元にしているのですから。--DY111(会話) 2020年10月29日 (木) 06:04 (UTC)
恣意的な引用について
[編集]MICCAgo さん、
以下の記述について指摘します。
ゴードン(1987年)は、オレゴン州担当の連邦検事チャールズ・ターナー、オレゴン州司法長官デイビット・B・フローンマイヤー、非公開の口述書の調査に携わり何百時間もの録音テープを聞いた法執行機関の当局者たちが、ラジニーシが起訴されたより多くの犯罪で有罪であることを暗に語ったと報告している[27]。
この引用元を確認すると以下のようになっています。
Others have noted that although Sheela bugged Osho's living quarters and made the tapes available to U.S. authorities as part of her plea bargain, no evidence has come to light that Osho had any part in her crimes. However, Gordon (1987) reports that Charles Turner, David Frohnmayer and other law enforcement officials (who saw affidavits never released publicly and listened to hundreds of hours of tape recordings) implied to him that Osho was guilty of more crimes than those for which he was prosecuted.
あなたは、「Gordon (1987) reports that」以降のみのOshoが犯罪に関与したことを暗示するような内容のみを引用しており、バランスを取っているその直前の部分は引用していません。Oshoに関する記述を公平な立場から行うつもりは最初からないですよね。このような恣意的な引用を繰り返すことによって、MICCAgoさんひとりの偏見でこのページが記述されているのは大変遺憾です。 この箇所をしっかり読むと、Sheelaとのみ対話していた当時沈黙状態にあったOshoは、そのSheelaとの対話を盗聴されていたわけです。そしてそのテープがすべて証拠として提出された。法執行機関で立件できる立場にあったターナーやフローンマイヤーが盗聴テープを聞いて「起訴されたより多くの犯罪で有罪である」とするなら、当然訴追するはずです。この部分全体を読んで十分に理解できる読者はそのあたりを察知するはずですが、あなたは察知しなかったか、または無視して自分の主張に沿った箇所のみを切り取ったのでしょう。そのような姿勢はWikiの基本的な理念に沿っているのですか?
--Swachid(会話) 2020年10月28日 (水) 09:05 (UTC)
ロールスロイスについて。
[編集]本文中に次の記事があります。
また、高級車のロールス・ロイスを90台以上所有し「ロールス・ロイスの第一人者」として知られた[16]。
足沢の記事では直前に「アメリカ時代に」という限定する表現がついていますが、この引用には見当たりません。プーナ1期にはずっとベンツ一台を使用しており、最後の時期にロールスロイスが一台加わったと聞いています。アメリカ時代はわずか数年です。プーナ2期も一台か二台でしょう。敷地が狭いので多くは置けません。誤解を招くので「アメリカ時代に」という言葉を忘れずに付け加えてください。それから、「ロールスロイスの第一人者」という表現は、足沢の記事には見当たりませんでした。どこから引用したものなのか、出典を明示してください。 Drachma12(会話) 2020年10月29日 (木) 10:53 (UTC)
精神医療現場で導入されている瞑想法
[編集]「思想と活動」内に、以下のように「精神医療現場で導入されている瞑想法」を追加しました。 全文削除されましたが、何が問題であるか指摘していただきますか?
瞑想名ですが、OSHO公式サイトにOSHOインターナショナル・ファウンデーションの登録商標だとあるので、「OSHO」と表記しました。 それが問題なのでしょうか? おしらせください。
精神医療現場で導入されている瞑想法
[編集]医学博士のイタリア人医師、フェデリコ・モンテッコ氏は、トスカーナ州に「Villaggio Globale」というコミュニティを設立し、瞑想の研究を行なっている。氏はこう語っている。「OSHO Dynamic Meditation®は、体、マインド、ハートの3つの部分に癒しと統合性を生み出すための最も科学的な方法のひとつです。これほどまでに方法論的かつ科学的に考え抜かれたものはありません」[2]
心理学、腫瘍心理学、精神医学の博士号を持つフロリアーナ・フォルミコーナ博士は、OSHO Dynamic Meditation®とOSHO Kundalini Meditation®を治療に用いている。患者の状態によってこれら二つの瞑想法を使い分けているが、OSHO Dynamic Meditation®は感情障害、不安障害、ヒステリー、被害妄想障害に適し、OSHO Kundalini Meditation®は重い症状を抱えるクライアントにも有効だと語っている。
[3]
パーキンソン病の研究で博士号を取得したオランダ人のヤン・マリウス・ケッペリングは、生物学者であり、医師でもある。神経科医として働き、ドイツのヴィッテン・ヘルデッケ大学で分子薬理学の教授も務めている。これまで三冊の著書と80本以上の論文を執筆しているが、その中でOSHO Dynamic Meditation®についてこう語っている。「通常、瞑想というと、内省的な状態や、ヴィパッサナ瞑想のように呼吸を観察する状態を連想しますが、OSHO Dynamic Meditation®は、とても力強く即効性のあるものです。そのインパクトに完全に感銘を受けました」
[4]
米国ダラスに在住する精神科医Vyas, A博士は、Oshoが編み出したダイナミック瞑想の臨床効果を調査するために、実地研究を行い論文にまとめた。本研究は治験者が実際に瞑想を行い、ペアワイズ比較を用いて行われた。結論として、攻撃的行動、抑うつ状態、形質的危険性、感情的な疲労、役割の過負荷、心理的な緊張の大幅な減少が見られたと実証した。そして、心理療法として使用することができると示している。[5]
ドイツのファフクリニーク・ハイリゲンフェルトという、精神療養所を運営しているヨアヒム・ガルスカ博士は、「ダイナミックは、私が知っているうちでももっともパワフルなテクニックのひとつです」と彼は言う。
精神医学者であるライナ・ファルク博士は、OSHO Dynamic Meditation®を、毎月21日間、患者たちに提供している。[6]
--SapphireeiP(会話) 2020年10月29日 (木) 15:19 (UTC)
- コメント 予備実験の Vyas A. (Editor Kostas Andrea Fanti) "Effects of seven-day Osho dynamic study: A pilot study. Psychological science: Research, theory and future directions." (2007) を出典にした記述はもう少し表現を工夫したほうが良いとはいえ、残せたかなと思います。バグワンが提唱した動的瞑想、所謂"OSHO Dynamic Meditation"がストレス解消など健康に良さそうだぞ、ということを書きたいのであれば、肯定的な視点で纏められたサイトや財団による一次資料を基に宣伝的に書くのではなく、前述の予備実験やBansal, Mittal and Seth "Osho Dynamic Meditation’s Effect on Serum Cortisol Level"(2016) あたりを基に書かれたほうがよろしいのではないでしょうか。被験者数が少なく報酬を受ける医療ボランティアだけでの結果なので追加調査が必要としながらも、ポジティブに纏められています。(運動して声を出すんだからそりゃ健康には良いのだろうなあと思います)--Strangesnow(会話) 2020年10月30日 (金) 06:07 (UTC)
脚注
- ^ Kick 2007.
- ^ https://www.activemeditation.com/Perspectives/Professional/Montecucco.html
- ^ https://www.activemeditation.com/OtherModalities/Psychotherapy/Formicola.html
- ^ https://www.activemeditation.com/Perspectives/Personal/NoThoughts.html
- ^ Kostas Andrea Fanti--編"Psychological Science: Research, Theory and Future Directions"ATINER2007
- ^ https://www.osho.com/ja/read/media/professionals/what-the-doctors-say
- コメント 記事として含むことに問題はないと思います。問題点があるというのは、記事の中で磨いたら良い話だと思います。MiccAgo氏が記事を戻すのに巻き込まれて消えてしまっただけだともいます。現在、拡張半保護中で編集が出来ない状態でしたら、私が代理で追加しても良いですが、どうしましょう? Setu(会話) 2020年10月30日 (金) 19:21 (UTC)
- 代理追加をお願いします。 SapphireeiP(会話) 2020年10月31日 (土) 13:08 (UTC)
- コメント 上の文章を追加して復活させました。編集のコメントに、SapphireeiPさんが追加した内容であることを書いてあります。ご確認ください。--Setu(会話) 2020年10月31日 (土) 17:06 (UTC)
- 記述を復活することに同意できるのはVyas Aの予備実験の結果だけで、一次資料を基にした個々の事例紹介には反対です。--Strangesnow(会話) 2020年11月1日 (日) 13:12 (UTC)
- 削除自体が、「巻き込まれて、誤って消された」状況だと思います。なので、復活は問題ないと思います。その上で削除にあたって、それなりの議論をするべきだと思います。内容に関しては、SapphireeiPさんと議論をお願いします。--Setu(会話) 2020年11月1日 (日) 14:36 (UTC)
- 除去の理由の説明を求められてから「肯定的な視点で纏められたサイトや財団による一次資料を基に宣伝的に書くのではなく~」と私がコメントした後、なんの改善もなく単に過去の記述を戻した理由を教えてください。SapphireeiPさんではなく、あなたが改善無く一次資料のみの記述を戻したのです。--Strangesnow(会話) 2020年11月1日 (日) 15:45 (UTC)
- 出典がある一連のある文章を削除したという、削除の手順自体に問題があるので、削除を戻してから議論をするのが正当という判断です。--Setu(会話) 2020年11月1日 (日) 16:47 (UTC)
- あなたはノートでの会話や記事の内容やその出典を確認せず、手続きのみを理由として議論となっている編集を差し戻しました。編集合戦の元となりますので今後はお止めください。--Strangesnow(会話) 2020年11月1日 (日) 18:08 (UTC)
- 「ルール違反で削除された文章だが、私が同意するまではもとに戻してはならない」というご主張ですか?--Setu(会話) 2020年11月2日 (月) 10:19 (UTC)
- 私が書いていないことを作り出さないでください。議論となっている編集をあなたの独断で差し戻すのは編集合戦の元となりますので今後はお止めくださいという意味です。編集態度を改善してください。--Strangesnow(会話) 2020年11月12日 (木) 05:08 (UTC)
- コメント SapphireeiPさんへ、再度コメントしますが、段落1,2,3の出典に用いられている「activemeditation.com」は1970年代のバグワンによる動的瞑想の開発に携わっていたマニーシャ・ジェームズらによる個人的なサイトに過ぎませんので出典として使えません (Wikipedia:信頼できる情報源)。また、段落5の出典は「OSHO.com」であり、客観的な出典ではありません。せめて冒頭に「OSHOインターナショナルの記事においては、~」のような本文内での帰属化が必要でしょう。段落4は予備実験を出典としていますが「~実証した」となっており限定的な実験に過ぎないことが書かれていません。総じてこのままでの記述は受け入れられません。これらの問題が解決ないし改善されないのであれば除去します。--Strangesnow(会話) 2020年11月1日 (日) 16:12 (UTC)
- Strangesnowさま、まずマニーシャ・ジェームズはアクティブ瞑想の開発などに携わっていません。マニーシャ・ジェームズだけでなく、誰も開発には関与していません。どこからこのような間違った情報を入手されたのですか?
- このサイトは確かにOshoの瞑想法を多く取り上げていますが、その他一般的な瞑想にも触れておりBBC, The Guardian, USA Todayなどから瞑想についての記事も引用しています。
- マニーシャ・ジェームズは"British Association for Counselling and Psychotherapy(BAPC)で認証されたメンバーであり、実際に治療を行なっています。
- BAPCの関係からこのサイトへの記事を依頼されたそうです。
- このサイトは瞑想を治療法の一つとして紹介し、導入例、プレス関係の記事、多くの医師の発言などでまとめられています。
- ですから信頼できる情報源にあたるのではないでしょうか?
- Vyas A.氏の論文を読み翻訳しました。「実証」を使ったのはここからです。(全文を訳した訳ではありません)
- This project demonstrated that Osho Dynamic Meditation had significant effects for many clinical and corporate variables for short term and long term durations.
- 「実証」で何の問題もないと思います。ですが、パイロット・スタディであることは追記します。
- 5番目の引用文はStrangesnowさんの提案通りの言葉を冒頭に付け加えます。
- --SapphireeiP(会話) 2020年11月1日 (日) 20:53 (UTC)
- 返信 (SapphireeiPさん宛) すみません。発言の編集時には「開発後の初期から」としていたのですが、入力後の校正時に「開発に」としてしまいました。混乱させてしまい申し訳ありません。上記発言は「1970年代に開発された動的瞑想について、同じく70年代後半(1978年以前)から取り組んでいたマニーシャ・ジェームズらによる個人的なサイトを~」のような意味です(実際には60年代から取り組まれていたのかもしれませんが、信頼できる情報源かどうかには強くかかわらないと思っています)。このサイトは主要なメディアや学術団体などではなくWikipedia:信頼できる情報源を満たすサイトではないため、ここで任意に集められた「導入例、プレス関係の記事、多くの医師の発言など」を基にしては中立的な記事が書けない、と考えています。主体が不明なままでは一次情報源としても用いるのは不適切でしょう。各医師の発言などは、信頼できる情報源を出典にしてくださるようお願いします(主語を明確にするのであれば、一次情報を出典にしてもよろしいかもしれません)。--Strangesnow(会話) 2020年11月3日 (火) 14:19 (UTC)
- ダイナミック瞑想の開発に関わった人物がいることは初めて目にしました。ダイナミック瞑想は1960年代から外国人がやってくる前から行われています。すこしずつ変えられて今の形に決まったようですが、基本的にOshoが一人で開発したはずです。ダイナミック瞑想で使われる音楽は後から付け加えられ、この作曲には外国人が参加していると思います。
- サイトがマニーシャ・ジェームスのサイトである記述は見つからないのですが、教えていただけますか?あくまで、イタリア人医師が中心になっているように見えます。--Setu(会話) 2020年11月3日 (火) 08:17 (UTC)
- さっき、サイトの About us を見てたんですが、たぶん、StrangeSnowさんは、ここを見て勘違いされたんだと思います。ここはManeeshaのサイトで、彼女はダイナミック瞑想の共同開発者って。
- 『activemeditation.com concept creator and contributor
- Maneesha James' early background was in general and psychiatric nursing and midwifery. The guinea pig in the early seventies when Osho was designing his active methods,
- Maneeshaは、Oshoが70年代初期にアクティブな手法をデザインする時のモルモットだった。単なる被験者ですね。ここでは、ダイナミック瞑想とは言ってません。Oshoは複数のアクティブな手法を開発しています。クンダリーニ瞑想、ナーダブラフマ瞑想、プレイヤー瞑想、その他多数あります。
- StrangeSnowさんが、『同サイトの About us を見ると…』と言ってくれたら、何を言ってるか分かったのに。急に、とんでもないことをいうので、StrangeSnowさんはひどいデマを言う人だと勘違いしました。どこからそんな情報をもらったのかと思って恐ろしくなりましたが、どういう勘違いをされたか理解して安心しました。--Setu(会話) 2020年11月3日 (火) 19:21 (UTC)
- 返信 (Setuさんへ宛) ひとつ前のSapphireeiPさんへの返信でご説明させていただいた通りです。申し訳ありません。「About us 」の先頭で「activemeditation.com concept creator and contributor」とあるので「マニーシャ・ジェームズらによる個人的なサイト」ではないかなあとは思っています(し、彼女が70年代から「動的瞑想」に係わっていたとも考えていますが、枝葉の話なので置いておきます)。ただ仮にこれが何らかの団体であってマニーシャらに直接関係ないとしても「Wikipedia:信頼できる情報源を満たすサイトではない」という見解に変わりはありません。あと、WP:IINFOの観点から見ると、特別に著名ではない医師や団体での小規模な実践例は本当に必要なのか疑問なんですよね。箇条書きのようになってしまっていますし。--Strangesnow(会話) 2020年11月6日 (金) 03:07 (UTC)
Strangesnowさんの信頼できない情報源だという判断には同意できませんが、これ以上議論を続けるのは無意味に思えるので、1から3は削除します。 それとStrangesnowさんが提案してくださったBansal, Mittal and Seth "Osho Dynamic Meditation’s Effect on Serum Cortisol Level"(2016) からもまとめて追記します。 SapphireeiP(会話) 2020年11月8日 (日) 11:20 (UTC)
Rajendra Partap Sinhaは信頼できる情報源に該当しないのでは?
[編集]「Rajendra Partap Sinha (2015年3月13日). “Osho's Religion - Despite being Against All Religions of World(オショーの宗教 - 世界のすべての宗教に反対しているにもかかわらず)”. SPEAKINGTREE.IN. 2020年5月9日閲覧」からの引用について、これは、個人のブログ(ABOUT ME I am a seeker on Speaking Tree)に当たるものだと思われますのでShepherd同様、信用できる情報源に該当しないと思います。引用したすべての記述の削除を求めます。
https://www.speakingtree.in/blog/oshos-religion---despite-being-against-all-religions-of-world --GViknn-P(会話) 2020年11月1日 (日) 05:11 (UTC)
反論がないようですので、こちらで削除させて頂きます。巻き込み削除が出る可能性がありますが、その際はご教示をしてください。--GViknn-P(会話) 2020年11月9日 (月) 14:03 (UTC)--GViknn-P(会話) 2020年11月9日 (月) 11:46 (UTC)
足達論文を根拠資料として記述された箇所の全面削除を要請
[編集]宗教社会学者である伊藤雅之氏(愛知学院大学文学部教授、日本宗教学会評議委員)と、Wikipediaのこのページに関して直接やりとりしました。伊藤氏は日本におけるラジニーシ・ムーブメント研究の第一人者といっても過言ではありません。
私の方からは、ラジニーシプーラム時代のシーラ事件に関しての記述が特に客観性に欠き、問題が大きいことを指摘しました。それに対する伊藤氏の返答が以下となります。公表を了承いただいています。
伊藤雅之 wikipediaへの見解(追加)
「自衛隊でCBRNテロリズムを研究する足達好正は、セス・カルスの著作の伝聞を参考に、ラジニーシはサルモネラ菌散布を承知していたとしている[87]。」
この箇所を含む足達 2017を根拠資料として記述した箇所は全面削除することが求められる。
足達はセス・カルスの著作の伝聞を参考に...、とあるが、そのセス・カルスの著作はつぎのとおり。
Bioterrorism and Biocrimes
The Illicit Use of Biological Agents Since 1900
W. Seth Carus
August 1998 (February 2001 Revision) https://fas.org/irp/threat/cbw/carus.pdf
このレポートのpp.50-57 がRajneesh communeでのバイオテロの内容になっている。足達が正確に以下の文章を理解したうえで論文に記載したか定かではない。
セス・カルスの原典においての記述では、以下のとおりである(p.52 下のほう)。
クリシュナ・デヴァへの聞き取りでは、彼は「シーラがバグワンにサルモネラ菌の企みを話したところ、人を傷つけないほうがよいが、2−3人死ぬことは気にしなくて良いとコメントした」とシーラは言った、と主張した、となっている。ラジニーシのこの事件への関与に触れたのはこの箇所だけである。セス・カルスの見解、評価としてラジニーシの関与について言及していない。しかも、その箇所はシーラの発言についてのクリシュナ・デヴァの伝聞であり、辞典項目で取り上げて言及する信頼性はきわめて乏しい。
Finally, Sheela decided that they would make the voters of Wasco County sick before the election so that they would not be able to vote. According to KD, after the meeting in which she raised this idea, Sheela and Puja started looking at books that described “bacteria and other methods to make people ill.”161 Furthermore, he claimed that Sheela said “she had talked with Bhagwan about the plot to decrease voter turn out in The Dalles by making people sick. Sheela said that Bhagwan commented that it was best not to hurt people, but if a few died not to worry.”162
162 Report of Interview, Swami Krishna Deva, AKA David Berry Knapp, November 25, 1985, AG files.
--DY111(会話) 2020年11月10日 (火) 07:38 (UTC)
- 上の文章が伊藤雅之氏の文章であることが確認できる手段が必要かな?と思います。すでに、どこかに示してあったらごめんなさい。 Setu(会話) 2020年11月16日 (月) 15:21 (UTC)
より良いページにする為に
[編集]より良いページにする為に意見がある人、それに対して異議がある人はこちらを利用下さい。 現在のページは長すぎるので、あまり重要でない文を削ってもう少し短くして分かりやすくしたいと思っています。 批判があって称賛がないのはおかしいので称賛の項目を付け加えたいと思ってます。--ダイヤモンド123(会話) 2020年11月10日 (火) 10:25 (UTC)
節ですが、☆ラジニーシの十戎 ☆ユダヤ人 ☆ラジニーシ運動の参加者 ☆ラジニーシ・プラムの犯罪と崩壊 が不必要やデマ、重複内容と考え、削除の方向で考えております。--ダイヤモンド123(会話) 2020年11月11日 (水) 02:17 (UTC)
- 称賛という言葉は、批判的立場の人にとっては強すぎるので、反発を招くかもしれないので、是認等のもう少しトーンダウンした言葉のほうがいいのではないでしょうか。
- 十戒は些末な内容なので必要ない、という意見でしたら理解します。ユダヤ人も同様です。
- ラジニーシ運動の参加者については、タイトルがわかりにくいので変えること、日本のラジニーシ運動の展開について説明するコーナーとして、この小項目が使えるかもしれないこと、などを考えると、削除には慎重であっていいと思います。とりあえず信憑性の低いマコーマック出典のものなどを整理することから始めるのもありだと思います。
- ラジニーシプーラムの事件については、私は別項目をもうけて、そこに大半を移動し、ここでは要約、梗概にとどめるという方法を、他のノートで提案しました。検討してみてください。
- いずれにせよ、オレゴン期の一連の事件は、必ずどこかに明記される必要があります。もしも、跡形もなくとは言わないまでも、過剰に削除したりすると、その事件に問題意識を持つ、批判的な立場の人から必ず反発が出てくるでしょう。編集合戦になってしまう可能性があります。それよりも、現状の記事のなかで検証可能性が不十分だったり、興味本意だったりする記述を削除し、もう少しスッキリさせた上で、説明が足りなければ、英語版の信頼できる内容を翻訳移植するなどしたほうが、無難かと思います。
- 以上は私の個人的な見解ですので、他の方も建設的なご意見をお聞かせください。 Drachma12(会話) 2020年11月11日 (水) 04:07 (UTC)
- 称賛という言葉は、批判的立場の人にとっては強すぎるので、反発を招くかもしれないので、是認等のもう少しトーンダウンした言葉のほうがいいのではないでしょうか。
ダイヤモンド123さん、Drachma12さん
辞典の項目ですので、批判も賞賛もいらないと思います。少し引いたところから現象を捉え、できるだけ客観的に「事実」を記述するだけでよいのではないでしょうか。わたしたちはその事実についてもデマかどうかわかりません。ですので、本ノートにおいて書かせていただいた根拠資料を採用する方針に基づき、粛々とまずは削除作業を進めていってはどうかという提案をさせていただいた次第です。
繰り返しとなりますが、本項目の記述の根拠となる参照文献・資料は、
1)学術書、学術雑誌(社会学、政治学、宗教学ほか)、公文書(法廷での証言、陳述書ほか)をメインとする。
2)一般書の場合は、著者の専門性を確認したうえで採用する。
3)信奉者(インサイダー)の著書は貴重な一次資料ではあるが、客観的根拠が見出せる記述のみ採用する(Osho関連のサイトを根拠とする記述は削除する)。
4)元信者による告発本・暴露本、伝聞は基本的に使用しない(使用する場合は、学術書、学術雑誌、公文書にて専門家のフィルターを通った、そこで引用された言説のみとする)。
5)ジャーナリストやライターによる記事、およびその文中での信者・元信者の言葉は使用しない(上記原則と同じく、採用の基準は学術書・学術論文での引用箇所のみ)。
この方針に基づくと、結果として、ダイヤモンド123さんの見解とかなり似てきます。
ご提案箇所を検討すると…
☆ラジニーシの十戎
これはラジニーシ自身のことばなので該当せず。ただし、思想に含めてここに別項を立てる必要なしということならカット。わたしはカットでよいと思います。
☆ユダヤ人
これは5)に該当。ライターの記事なので削除 33^ a b c d e Sinha 2015. 46^ a b c d e f g MCCORMACK(b) 2018. いずれもライターによる記述
本辞典項目をチェックするとMccormackを資料とした記述がかなり出てきますね。
☆ラジニーシ運動の参加者
これには研究者のものも入っているので、ライターによる記述箇所を削除。Puttick 2009は研究者です。伊藤 1997 これはわたしで一応研究者です。
ライターによる記述はつぎのとおり。
注30 ロバートソン
注16 MCCORMACK
削除。
そもそもこのセクション、参加者の特徴と関係ない記述が入っております。論点整理したほうがよいと思います。
***
ヒューマンポテンシャル運動で流行したグループセラピーでは、参加者の自我を「溶解」させ、防衛機制を除去するためにしばしば精神的・肉体的暴力が使われエスカレートしていったが、暴力により実際に起こっていたのは人格の「変容」ではなく「崩壊」のプロセスであり、参加者はその後にしばしばPTSDや解離の症状に見舞われたり、強烈な「変容体験」が中毒化しセラピーに依存するものもいた[99]。
***
注99は研究者によるものです。が、研究会発表です。学術書でも学術論文でもない、配布資料です。これを使用しますか? さらに、上記要約は、太田氏(研究者です)がエサレン研究所の問題点をまとめた箇所です。そもそもこのセクションにある参加者の話題でないですし、こうした特徴を指摘するなら、ラジニーシのセラピーに関して明示的に論じた箇所を引用する必要があります。ここも削除でよいのではないでしょうか。
☆ラジニーシ・プラムの犯罪と崩壊
5)に該当。ジャーナリストやライターによる記事が大半です。本辞典項目での有名人・ウィン・マコーマックの引用、参照箇所、足達論文は問題ということで指摘されたのでこれもカット。そうするとかなりの箇所が削除できます。
このセクションであと残る記述はつぎのとおり。
注29 脇坂
長崎大学の脇坂有希さんの「オウム真理教・「人類最終戦争Jへの道ーその成立から崩壊まで一 」
これ脇坂さんという人の書いた卒業論文ですよ。大学生の卒業論文を事典項目での根拠資料にするというのはありえないでしょう。彼女がさらに学問を続け、大学紀要でも学会誌にでも学術論文を書いたら採用しましょう。とりあえず、大学生の卒論を参照文献にするのは問題外なので該当箇所すべて削除でいかがでしょうか。
--Itou masayuki(会話) 2020年11月11日 (水) 09:25 (UTC)
- Itou 様、4)と 5) の専門家なのかライターなのかの判定はわれわれ一般人には悩ましいところです。
太田氏からの引用がセクションの範囲から逸脱していることにはまったく気づきませんでした。
脇坂さん執筆の文献が卒業論文とは想像を越えています! 手間のかかる作業ですが、センテンスごと、段落ごとに可否を判定し、進めていくのがいちばん確実なのかもしれません。 Drachma12(会話) 2020年11月11日 (水) 10:04 (UTC)
こういう場所に批判だけが載っていると、称賛も必要になってきますが、百科事典なので確かに批判も称賛も両方必要ないかもしれません。明記してから一週間、意見が無ければ削除作業に入ります。時間があるので、まずは文章を足していきましょう。
--ダイヤモンド123(会話) 2020年11月12日 (木) 10:49 (UTC)
「よいページにするために」に対する応答(本項目への見解と改善策の提案)
[編集]Wikipedia「バグワン・シュリ・ラジニーシ」の項目に関する見解
はじめまして。ラジニーシに関する宗教学、社会学における学術論文の執筆、「ラジニーシ運動」の辞典項目執筆(井上順孝編『現代宗教事典』弘文堂)などの研究をしました愛知学院大学の伊藤雅之です。
以下、長文となること、どうかお許しください。
先日、古い友人を介してWikipedia「バグワン・シュリ・ラジニーシ」に関する宗教社会学を専門とするわたしの見解を求められました。率直に言って、長大でまとまりを欠いている点が少なからずあるというのが一読しての印象でした。また一部の記述において、専門家の間で意見が分かれるどころか採用されることのない点にも積極的に踏み込んで言及されており、とても驚きました(おもにラジニーシプーラムでの事件へのラジニーシ自身の関与)。さらに一部ジャーナリストやライターによるラジニーシとその運動へのネガティブキャンペーンのような雑誌記事の内容が本辞典項目に折り込まれており、学術的な裏付けのある辞典という性格を逸脱して、大衆的でセンセーショナルな週刊誌記事を読んでいるような印象をもちました(たとえば、Win McCormackによる雑誌記事)。そして、反ラジニーシとも言えるネガティブな記述の数々のなかに、ラジニーシ賛同者が好みそうな一部著名人の評価・賞賛の羅列、オショウという名称へ至る経緯の長々とした説明など、百科事典という公正、中立とは言えないような記述が散見されるように思えました。
以下、わたしの見解をまとめさせていただきます。一研究者の見解ではありますが、Osho Rajneesh Movementについての学位論文を書き、匿名の査読付きの学術論文を複数執筆させていただいております。このノートで主要な議論のあるラジニーシプーラムでの事件に関しても、かなりの関連著書、論文は読んでおります。英語版Rajneeshで言及されている社会学、宗教社会学の専門家(本文の記載の根拠となる脚注の重要な位置を占めている)とは国際学会、シンポジウムを通じて面識のある方も何人かおりますし、意見交換したことももちろんあります。
wikipediaは編集参加者の話し合いで項目作成が進められることは重々承知しておりますが、以上のわたしの学問的背景をもとにした見解ですので、一意見として参考にしていただければ幸いです。
wikipediaの本項目がより完成度の高い、専門的知見をふまえた内容となり、かつ多くの一般読者に読みやすいものとなることを願ってやみません。
どうかよろしくおねがいいたします。
***
wikipediaは、一般の人たちがアクセス可能な公共性のきわめて高い百科事典なので、記述はできるだけわかりやすく、冗長にならないように心がけることは多くの人たちが同意するところであろう。現時点での本項目は、重要な事実と些末な事実、信頼度の高い内容(分析・解釈)とそうでないものが混在し、長大になりすぎている。
一案だが、全体の分量の3分の1程度をカットする方針にしてはどうか(たとえば、同じ内容の主張であれば代表例を挙げるにとどめ、不必要に羅列しない。信頼度の低い記述は省く)。特定の事象(例「ラジニーシプーラムでの事件」)を詳しく記述する必要があれば(すでに不必要なまでに詳しい)、別項目を立てることにし、本項目からは削除する。本項目は1)ラジニーシの思想と活動、2)ラジニーシに関する運動の展開(参加者の特徴を含む)、3)ラジニーシと彼の活動への評価をバランスよく、コンパクトにまとめる。
以上が、現状の本項目を読んで、比較的短い時間で、完成度の高い、専門的知見を踏まえた内容にするための方策の枠組みである。
より具体的には、根拠資料の学術性が乏しいもの、および信頼度の低い記事に基づく記述箇所はすべて削除する。これにより本項目の3割くらいは削除できるのではないか。
***
本項目の記述の根拠となる参照文献・資料は、
1)学術書、学術雑誌(社会学、政治学、宗教学ほか)、公文書(法廷での証言、陳述書ほか)をメインとする。
2)一般書の場合は、著者の専門性を確認したうえで採用する。
3)信奉者(インサイダー)の著書は貴重な一次資料ではあるが、客観的根拠が見出せる記述のみ採用する(Osho関連のサイトを根拠とする記述は削除する)。
4)元信者による告発本・暴露本、伝聞は基本的に使用しない(使用する場合は、学術書、学術雑誌、公文書にて専門家のフィルターを通った、そこで引用された言説のみとする)。
5)ジャーナリストやライターによる記事、およびその文中での信者・元信者の言葉は使用しない(上記原則と同じく、採用の基準は学術書・学術論文での引用箇所のみ)。
***
一般論だが、反証不可能な一次資料(信者、元信者の証言、伝聞)また一雑誌記者の印象批評的コメント(聞き取った一人の信者、元信者の意見をもとに記事を作成可能)などを組み合わせれば、本項目の編集者の意図でいかようにも結論を導くことが可能となる。そうならないためにも上記原則は定めたほうがよい。
信憑性の乏しい「事実」を掲載すると、本項目全体の信頼度が著しく毀損されることになる。
***
以下、このノートでも多くの議論があるラジニーシプーラムでのラジニーシの事件への関与にかかわる見解を中心を記す(それ以外の箇所についても学術的見地からきわめて問題が多いと言わざるをえない。機会があれば別稿でまとめたい)。
英語版wikipedia ”Rajneesh”では、一読したところ、上記の基準に該当する根拠資料が大半を占める(全体の分量が多いことにかわりないが、読むに耐えうる完成度にはなっている)。アメリカで事件が発生したこともあり、ラジニーシプーラムでの事件に関しては英文で多くの書籍、論文が刊行されている(Carter 1990, Latkin 1992, Latkin et al. 1994, Palmer 1994など)。英語版ではそれらの文献を参照して記述されているが、日本語版ではこうした学術書がほとんどまったく採用されていない。
現状の日本語版では、英語版以上に踏み込んで、ラジニーシプーラムでの一連の犯罪へのラジニーシ本人の関与を裏付ける記述をしている。具体的に、特定箇所の削除、加筆修正が必要不可欠と思われるのはつぎの点である。
1)「サルモネラ菌を使用したバイオテロ」の項目ほかでの足達論文(2017)を根拠資料とした記述箇所の全面削除
「自衛隊でCBRNテロリズムを研究する足達好正は、セス・カルスの著作の伝聞を参考に、ラジニーシはサルモネラ菌散布を承知していたとしている[87]。」 ほか1箇所
これについてはすでに本ノートにてご紹介いただいたので省略する。
2)法廷でのAva Avalosの証言の評価
削除が望ましい。すくなくとも加筆が必要。
日本語版では、オレゴン期のラジニーシの事件への関与(上記項目)に関しては、密室での会話・やりとり(法廷でのAva Avalosの証言)を採用してラジニーシのバイオテロへの関与を裏付けている。
英語版では(”1984 bioterror attack”第4段落)、ラジニーシはシーラをスケープゴートにしているというコメンテーターの見解はあるものの、ラジニーシが事件に関与したという証拠はなかったとする記述があり、評価のバランスをとっている。
また、英語版(”1984 bioterror attack”、第7、8段落)では、シーラは「ラジニーシが殺人を指示した」とする内容(法廷での上記Ava Avalosの証言)のすぐ後で、Avalosは同じく、シーラは「バクワンはこの件について何も知らないので、何が起こっているか尋ねられたら、バグワンに嘘をつくように」言われたとの記述があり、その事実をめぐる評価にバランスをとっている。
日本語版では後者の記述が意図的にかどうかわからないが省略されている。
3)Win McCormackの記事からの引用
全面削除が求められる。
本項目では、ジャーナリストやライターによる雑誌記事に基づく記述が散見される。本ノートを拝読すると、英語文献を読むことのできる編集者が複数いらっしゃると思われる。であるなら、ジャーナリストやライターの記事からの抜粋はすべて削除し、Carter 1990, Latkin 1992, Latkin et al. 1994, Palmer 1994などの研究論文を参照した内容に改訂するとよいと考える。
4)足沢論文に基づく記述箇所
本項目では、足沢一成氏による「ラジニーシ教団」を根拠資料とした記述が散見される。『聖者たちのインド』の執筆陣は研究者たちであるので、一応は学術書となるかもしれない。一般の人たちに向けて書かれたという意味では一般書となる。いずれにせよ、足沢論文(と呼んでよいかはなはだ疑問)には参照文献がほとんどついておらず、元信者の告発本『堕ちたグル』に基づく論文内での記述もあるように思われる。なお、足沢氏は社会学者でも人類学者でもなく、インド学(古典文学が専門)であり、ご自身の長年の調査研究のまとめが本論文とは考えられない。
足沢氏は本稿において、「ラジニーシに関する諸研究の多くもラジニーシ運動に関する多くの部分をこの本[堕ちたグル]によっている」(p.97)としている。いい加減にしていただきたい! 社会学、宗教社会学の学術論文が元信者の告発本に多くの部分で基づくということはありえない。
また足沢氏はラジニーシの思想をアドヴァイタ・ヴェーダーンタと関連づけて解釈している(p.87)。その根拠を知りたい。
残念ながら、足沢氏と面識がないので、いま印度哲学会の重鎮にお願いして彼の連絡先を確認しているところである。もしこの論文の記述で元信者の告発本に基づく箇所が本項目で使用されていれば、削除することが望ましいと思う。
以上、宗教社会学者・伊藤雅之(愛知学院大学文学部教授、日本宗教学会評議委員)の本項目を読んでの見解である。
伊藤の本項目との関連
・学位論文 米国ペンシルバニア大学社会学部にてNew Religious Consciousness in Advanced Industrial Societies: Explorations of the Osho Rajneesh Movement and Its Members in Japan(全287ページ)にて博士号取得(Ph.D. in sociology)、1998年。
・学術書 『現代社会とスピリチュアリティ 』(渓水社) 第4章から6章まで和尚ラジニーシムーブメントに関する記述、2003年 このほかに『ソシオロゴス』『宗教研究』『宗教と社会』にて学術論文数本あり。
・項目執筆 井上順孝編『世界の宗教101物語』新書館「和尚ラジニーシ・ムーブメント」1997年 井上順孝編『現代宗教事典』弘文堂、「ラジニーシ運動」2005年
***
Wikipedia日本語版のガイドラインに「編集は大胆に」とあった。「https://ja-two.iwiki.icu/wiki/Wikipedia:ページの編集は大胆に
根拠資料の信頼性が乏しいものはどんどん削除していくということでわたし自身作業をスタートさせたいところだが、「ただし配慮を忘れない」とも書かれているので、このノートに書かせていただきました。
編集者のみなさまのご意見をうかがえれば幸いです。
長文、失礼いたしました。
--Itou masayuki(会話) 2020年11月10日 (火) 12:01 (UTC)
Itou masayuki様 実名による、専門的な立場からの明快な洞察とサジェッション、たいへん貴重な意見と思い拝読しました。感謝します。--Bhavesh(会話) 2020年11月10日 (火) 12:34 (UTC)Bhavesh 「サルモネラ菌を使用したバイオテロ」の項目ほかでの足達論文(2017)を根拠資料とした記述箇所の全面削除に賛成。 法廷でのAva Avalosの証言の評価削除に賛成。 Win McCormackの記事からの引用、全面削除に賛成。--ダイヤモンド123(会話) 2020年11月10日 (火) 15:10 (UTC)
- 伊藤様、貴重なご意見ありがとうございます。
- オレゴン期の事件にかんする記述は、こちらには一定の長さの要約を残し、別立ての項目に移行するということでよいと思います。
- 私も『聖者たちのインド』の足沢の記述が必ずしも正確ではないとの認識です。ラジニーシの講話が何を題材にしているかという一節では、足沢は西洋心理学も挙げていますが、これは70年代からラジニーシの講話を説明するのに使われている「題材(テーマ)」という語彙を取り違えているものと思われます。
- ラジニーシの毎日の講話は10日で1シリーズ、奇数日が同一の著名な経典や聖典からの引用に解説を加えるもので、偶数日は弟子からの手紙の質問に答える質疑応答となっており、この形式は彼の講話の大部分で踏襲されています。
- パタンジャリのヨーガスートラが題材のシリーズでは、数ヵ月に及ぶ展開になりました。
- このことひとつとっても、足沢の記述が、専門外の人物による、短期間の調査によって執筆されたものであることは明らかなように思えます。
- ですから、足沢の記述でさえ、出典とするときは慎重さが求められると思います。 Drachma12(会話) 2020年11月10日 (火) 16:05 (UTC)
- 伊藤様、貴重なご意見ありがとうございます。
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Bhaveshさま、ダイヤモンド123さま、Drachma12さま、早速のコメントをいただきありがとうございました。いましばらくほかの編者の方のご意見を待って、本辞典項目の編集作業の方針(根拠資料の採用について)が合意できれば幸いです。
すでに書いた通り、足沢氏のご専門はインド古典文学ですので、現代インドの宗教、スピリチュアリティが専門ではありません。([researchmap]で名前を検索)。文献学(フィールドワークは基本的にされません)の拠点であるプーナ大学で学ばれラジニーシアシュラムの近くにいた(『聖者たちのインド』出版準備の時期)、あるいはムンバイでお仕事をされていたので「ラジニーシ教団」の執筆依頼がきたのではないかと思います。あるいは、インド古典文学研究と別に、足沢氏が個人的に関心をもち調査していたのかもしれません。
いずれにせよ、足沢論文では参照文献が示されていませんので、何に基づく言及か判定できません。ラジニーシに関する諸研究の多くが元信者の本『堕ちたグル』によっているという、とんでもないことを書かれていますので、わたし個人がこの論文を引用、参照することは絶対にありえません。
なお、東大の印哲出身の印度学仏教学会の重鎮(足沢氏の所属学会、現在所属かは不明)に問い合わせましたが、足沢氏のことはご存知ないとのお返事をすぐにいただきました。今度は印度学会の若手研究者を通じて事務局に問い合わせはしてみます。しかし、氏の論文を事細かに検証するより、一般の人たちの目にふれるwikiの辞典項目においては参照文献からはずすというのが穏当ではないでしょうか。
ほかに依拠できる資料がないなら別ですが、たくさんのすぐれた学術書、学術論文があります。繰り返しになりますが、英語版をとりあえず参照しつつ、元信者の言説、ライターの記事、それに足沢氏の論文で採用されている箇所はすべて削除するということでいかがでしょうか。どうしてもその箇所が必要だというご判断であれば、学術書、学術論文から類似した内容の記述を使用すればよいと思います。
--Itou masayuki(会話) 2020年11月10日 (火) 23:40 (UTC)
さっそくのお手配ありがとうございます。「よいページにするために」具体的な方策を検討していただいていること、厚く御礼申し上げます。--Bhavesh(会話) 2020年11月11日 (水) 03:21 (UTC)Bhavesh
Itou masayuki様
ご専門の立場から、現在のページの課題点、問題点を指摘され、具体的な改善ポイントなどを詳細に、わかりやすくまとめていただき、さらに全体的な構成まで示していただき、ありがとうございます。
現在のページはとても百科事典と呼べるようなレベルではなく、偏向報道の雑誌レベルであると、私も認識しております。より客観的な記述へとブラッシュアップする必要があります。
Itou様のご提案に関して、私は全面的に賛同いたします。より良いページにするために、少しでもお手伝いできればと思っている次第です。よろしくお願いいたします。 --DY111(会話) 2020年11月11日 (水) 08:53 (UTC)
***
本日(2020.12.12)、足澤一成先生とお電話にてお話しました。『聖者たちのインド』(春秋社、2000年)所収「第3章 ラジニーシ教団」は当時インドに住んでいたこともあっての執筆依頼原稿であり、論文というつもりはないとのことでした。このエッセイのなかで書かれている内容の根拠資料はほとんどがヒュー・ミルン著『ラジニーシ・堕ちた神』になるとのことでした。
わたしは宗教社会学の立場から元信者の手記はもっとも信頼性の乏しいデータだと考える旨をお伝えしましたが、足澤氏は元信者の青春記との理解だということでした。当時資料があまりなかったこともあり、ミルン本の内容を紹介する形でまとめたとのことです。
いずれにせよ、ご本人は論文という認識はそもそもなく、記述は学術書や学術論文を根拠資料としていないとのことですので、wikipediaでの引用、参照から削除していただいてもちろん構わないとのことでした。したがって、本辞典項目においては、足沢論文からの引用、参照は慎重にする、ということでいかがでしょうか。
--Itou masayuki(会話) 2020年12月12日 (土) 03:25 (UTC)
- Itou 様、ご尽力に感謝します。足沢氏自身が論文という認識はないとのことで、もやもやしていたものが一気に吹き飛んだ気分です。
- 足沢氏のエッセイは、それなりに納得できる内容もあり、一方で腑に落ちない表現も少なからずあり、割りきれない気持ちでいたところです。
- これを機会に、この項目がさらに偏りのない内容になるように、今後も微力を尽くしたいと思います。 Drachma12(会話) 2020年12月13日 (日) 04:49 (UTC)
Itou様、お電話までして頂き、ありがとうございます。内容の件、承知致しました。 --ダイヤモンド123(会話) 2020年12月13日 (日) 12:24 (UTC)
*** Drachma12さま、ダイヤモンド123さま
確認のレスをいただき誠にありがとうございました。足澤氏に連絡するために何人かの方にもご協力いただきましたが、直接お話でき、「ラジニーシ教団」執筆の経緯や意図、主要参考文献がわかりたいへんよかったと思います。引き続き、どうかよろしくおねがいいたします。
--Itou masayuki(会話) 2020年12月13日 (日) 15:03 (UTC)
専門家とライターの見分け方
[編集]Drachma12さんよりコメントでいただきました1)研究者と4)5)元信者、ライターの区分がむずかしいというのはご指摘のとおりです。たいへん失礼しました。
見分け方としては、研究者は学術系の出版社や学術雑誌で論文を発表。残りの人たちは一般の出版社、および週刊誌・月刊誌で記事を書きます。通常はどちらの情報もわれわれは利用しているし、それで全然問題ないです。
wikiでの本項目できわめて重大な問題点は、百科事典の項目にもかかわらず、週刊誌の記事、大学の卒業論文、外国書籍の誤った要約をしている箇所をつなぎあわせていることです。『堕ちたグル』という元信者の告発本を足沢がどの程度使用したかは検討中。
といってもわかりづらいと思いますので、本辞典項目が根拠資料としている111箇所の脚注のうち、専門家でないところを列挙します(漏れがあるかもしれません)。
脚注
出典
1)足沢(研究者、インド古典文学の専門家)「ラジニーシ教団」論文において『堕ちたグル』(元信者の告発本)をおもな根拠資料にした可能性あり(確定でないのでご注意ください!)
注8, 14, 24, 25, 26, 28, 31, 32, 34, 42, 43, 47, 51, 53, 55, 56, 66, 67, 90, 91, 93
21箇所 すべてではないが、根拠に乏しい記述が含まれている可能性大
2)McCormack(ライター)雑誌記者、編集者 書かれていることが事実かどうか判断できないが、研究論文に書かれていないことを積極的に書いている。事典項目において、雑誌記者の記事内容を採用することは避けた方がよい。全面削除が望ましい。
注12, 16, 46
3箇所
3)そのほかのライター、タレント、大学生の卒論など
注 30(ロバートソン、タレント)、33(Sinha), 36(Kostas 出典不明), 39 (Cowie), 52(Oregonian 新聞記事), 70(Olsen), 73(Haberman), 74(アップス), 75(Zeitz), 77(Davisson), 78(Seven他), 81(AP NEWS), 92(Klatt 出典不明), 109(Sussex)
14箇所
本辞典項目の編集者のみなさまで、ライターの記述は削除でよい(あるいは一読して信憑性の乏しいと判断した箇所については削除でよい)と同意された場合には、本文中の句点の前の[ 数字]にカーソルをもっていくと出典名が表示されるのを参考に削除作業のご協力をおねがいいたします。削除作業を進めると、上記注の番号が変わってきますのでご注意ください。--Itou masayuki(会話) 2020年11月11日 (水) 14:34 (UTC)
Itou masayuki様 研究者・足澤一成氏は、「聖者たちのインド」でのみ、足沢一成、の筆名を使っていますが、当記事においては、足澤に統一すべきと考えますが、いかがでしょうか? --Bhavesh(会話) 2020年11月11日 (水) 21:56 (UTC)Bhavesh
***
Bhaveshさま
ご指摘のとおり足沢氏はインド古典文学に関する論文執筆の際には「足澤」とされています。ご自身でこの2つを使い分けているか、たまたまなのかわかりません。一般には、島岩・坂田編『聖者たちのインド』所収の「ラジニーシ教団」の執筆では「足沢」とされていますので、この文献を参照するときには「足沢」となります。 --Itou masayuki(会話) 2020年11月11日 (水) 23:49 (UTC)
Itou様 明快なご回答ありがとうございます。すっきりしました。--Bhavesh(会話) 2020年11月12日 (木) 00:18 (UTC)Bhavesh
「ウィキペディア 信頼できる情報源」の内容確認
[編集]2020年11月10日に本ノートにおいて、「よいページにするために」に対する応答(本項目への見解と改善策の提案)を書かせていただきました。
いまのところ、それへの批判、反論などはいただいておりませんので、わたしを含む編集者で、根拠資料の扱いの原則に基づき削除作業をできれば幸いです。告知から1週間後となる、来週月曜日、11月16日から開始してよいでしょうか。
そのうえで、削除しおわった文章を読んで、根拠資料としては認められるが(内容に関する信頼性はある)、事典項目に掲載する重要性(些末かどうか)があるかどうかを議論できればと思います。また情報が足りない点に関しては学術書、論文から該当箇所を探す作業となります。
編集作業をするにあたり、すでに読まれている方もいらっしゃると思いますが、「wikipedia 信頼できる情報源」https://ja-two.iwiki.icu/wiki/Wikipedia:信頼できる情報源#日本語以外の言語で書かれた情報源 の内容をどうかご精読ください。
わたしたちが使用できるのは、2次資料、すなわち学術書、学術論文だけです。一般書(たとえば『ヒンドゥー教の本』)は内容を吟味したうえでの採用となります。これはわたしの勝手に定めたルールではないので、上記サイトをご確認ください。
記述されている内容が事実かどうか(これはわたしたちでは容易に判断できません)にかかわらず、元信者による告発本はもちろん、ジャーナリスト、ライターによる一般雑誌での記述は原則認められません。
例 『堕ちたグル』というラジニーシを告発する書物が刊行された。netflixのドキュメンタリーシリーズが公開された。 以上は事実ですので記載できます。
したがって、『週刊プレイボーイ』に掲載されてロバートソンからの引用はできません。また個人のブログを参照URLにもできません。
1次資料であるOsho関連のサイト、書籍からの情報は、客観性のある事実(例、グループセラピーの分類、各種瞑想のアシュラムでの開始時間など)以外の内容(著名人の評価)は載せられません。
いま一度ご確認のほど、どうかよろしくお願いします。 --Itou masayuki(会話) 2020年11月13日 (金) 01:41 (UTC)
Itou様 これまで私自身が追記した内容も、厳密にはどうなるのか忸怩たるところはありますが、基本、Itou様の具体的なご提案に賛成同意させていただきます。--Bhavesh(会話) 2020年11月13日 (金) 02:45 (UTC)Bhavesh
***
Bhaveshさま
お気持ちはわかりますが、どうかよろしくおねがいします。wikiの過去の履歴のチェックの仕方もようやくわかってきました。 過去のバージョンは見ると、 2020年4月29日 (水) 17:01版( MICCAgoさんが少し書き込みや削除をした時点での版)はこの原則を満たした脚注(情報源)になっていると思います。 --Itou masayuki(会話) 2020年11月13日 (金) 03:36 (UTC)
Itou様 「wikipedia 信頼できる情報源」確認できました。大鉈(という表現は妥当かどうかわかりませんが)を振るっていただいて、「よいページにするために」賛同協力させていただきます。--Bhavesh(会話) 2020年11月13日 (金) 03:46 (UTC)Bhavesh
- Itou 様、Wikipediaの参考資料に目を通しました。分野によって基準が変わるということで、なかなか難しいところがあります。
- Itou さんの投稿を手がかりにして、いくつかの記述(脇坂、ロバートソン、足沢の数ヵ所、ヒンドゥー教の本が出典)を理由を示した上で削除しました。しかし、後になって Itouさんが公表されてから一週間たっていないことに気づき、可能なものは元に戻しました。しかし、他の編集と競合して戻せないものもいくつかありました。詳しい経緯は編集履歴で確認することができます。とりあえず、ご報告まで。 Drachma12(会話) 2020年11月13日 (金) 07:09 (UTC)
***
- Drachma12さま
一部文章を元に戻された経緯をご説明いただきありがとうございました。了解いたしました。合意まで1週間という目安は議論が続いている事項についてだと理解しております。大学生の卒論だとか、不正確な事実と異なる孫引きだとか(足達論文)、週刊プレイボーイ誌の記事などは、wikipediaが定める「信頼できる情報源」の大原則から大きくはずれておりますので、即座に削除しても何ら問題ないと思います。大人の配慮として、異論・反論を待つというのはありだとは考えます。
『ヒンドゥー教の本』について何かわたしは書きましたでしょうか。これは研究者の執筆した一般書となります。ラジニーシのところは短いまとめですので3次資料(辞典の一種)として扱っても、使用可だとは思います。本としては、とてもよくできているので、わたしがヨーガ哲学講座を主催するときには一部使用したり、受講者の方に購入をすすめたりしております。 --Itou masayuki(会話) 2020年11月13日 (金) 10:16 (UTC)
- Itou様、「アシュラムでフリー・セックスを含むヨーガの臨床実験(ダイナミック・メディテーションやクンダリーニ・メディテーションなど)を繰り返した」という一節があり、動的な瞑想をヨーガの臨床実験とするのは無理があると考え、ラジニーシの項目全体に信憑性があまり期待できないと考え、削除の理由としました。
- その一方、覚醒のためなら「何をやってもよい」というスタンスは、性道徳や社会秩序を破壊すると危険視された[1]。
- その一方、覚醒のためなら「何をやってもよい」というスタンスは、性道徳や社会秩序を破壊すると危険視された[1]。
- 上記の一節です。同様のもう一ヶ所は元に戻せました。 Drachma12(会話) 2020年11月13日 (金) 10:51 (UTC)
- Itou様、「アシュラムでフリー・セックスを含むヨーガの臨床実験(ダイナミック・メディテーションやクンダリーニ・メディテーションなど)を繰り返した」という一節があり、動的な瞑想をヨーガの臨床実験とするのは無理があると考え、ラジニーシの項目全体に信憑性があまり期待できないと考え、削除の理由としました。
上記はWikipediaの執筆者が途中を省略したもので、その点でも誤解を招きやすい表現になっていると考えました。全文では次のようになります。
- 人間の真の覚醒というテーマに、きわめて忠実であったラジニーシのスローガンは、悟りへの道のためなら「何をやってもよい」ということでもあった。
- それを真摯に具体化しようとすればするほど、一部の先進国の若者や知識人を中心に称賛される反面、性道徳や社会秩序を破壊する危険思想家として見なされることにもなった。
- 人間の真の覚醒というテーマに、きわめて忠実であったラジニーシのスローガンは、悟りへの道のためなら「何をやってもよい」ということでもあった。
Drachma12(会話) 2020年11月13日 (金) 11:20 (UTC)
- ***
- Drachma12さま
上記の件、了解しました。文脈があるとよくわかりますね。確かにヨーガの臨床実験という表現はピンときませんね。「フリーセックス」という語が本事典項目で頻繁にあまり注意深くなく出てきますが、もし使用するとしても限定的に状況を説明しつつ用いたほうがよいと思います。まず1970年代のプーナのアシュラム(時代の限定)での出来事、そして公式には「タントラ・グループ」と呼ばれるグループセラピーにおいて(状況の限定)。これ以上書く必要ないですが、1970年代おわりから80年代以降、タントラ・グループは日本人やインド人の参加は公式には認めていなかったのではないでしょうか。 --Itou masayuki(会話) 2020年11月13日 (金) 11:30 (UTC)
- Itou 様、説明が舌足らずで申し訳ありません。以下の箇所は『ヒンドゥー教の本』の一節であり、この本のラジニーシの項目の筆者の方に一部の誤解があるのではないかと思いました。この本自体は、他の箇所、8割ぐらいはなかなかバランスよく書けていると、私も思います。
- Itou 様、説明が舌足らずで申し訳ありません。以下の箇所は『ヒンドゥー教の本』の一節であり、この本のラジニーシの項目の筆者の方に一部の誤解があるのではないかと思いました。この本自体は、他の箇所、8割ぐらいはなかなかバランスよく書けていると、私も思います。
アシュラムでフリー・セックスを含むヨーガの臨床実験(ダイナミック・メディテーションやクンダリーニ・メディテーションなど)を繰り返した
- 一方、このWikipediaの「バグワン」の項目で私が削除して戻らなかったのは、以下の一節です。問題は、このWikipediaの執筆者が『ヒンドゥー教の本』の内容を要約しすぎているために、「何をやってもよい」という表現が「人を殺してもよい」という意味に曲解されることを、私は危惧したのです。
その一方、覚醒のためなら「何をやってもよい」というスタンスは、性道徳や社会秩序を破壊すると危険視された[1]。
- 説明が錯綜してご迷惑をおかけします。 Drachma12(会話) 2020年11月13日 (金) 11:59 (UTC)
改善のための削除箇所の合意形成とその期間
[編集]現在のページの文章は、出典元があるとはいえ、その内容は公平性に欠け、百科事典の客観性に耐えうるものではないことがすでに判明しています。今後、改善していくためには、Itouさんが掲げた編集方針に沿うことがベストであると考えます。『現代宗教事典』の中の「ラジニーシ運動」のような客観性の高い記述が求められています。
すでに現在のページの問題のある削除箇所までItouさんより提示されており、その理由も上記に明示されています。
問題箇所の削除に当たり、Wikipediaでは合意形成と期間に関して、以下のようなガイドラインが明記されています。↓
Wikipedia:合意形成
「合理的な期間〔通常は168時間程度(約7日間=約1週間)が妥当でしょう〕内に異論がなければ、提案がそのまま決定事項となります。透明性を確保するため、合意はウィキペディアの議論のページ以外では成されることができません。」
このWikipediaのガイドラインに従い、提案された削除箇所に関して、1週間を経過して異論が出ない場合は承諾されたものとみなし、決定事項により削除が可能となります。どなた様も、予めご了承ください。
※その提案から一週間を経ないで削除に取り掛かりますと、合意形成を無視したフライングになってしまいます。以前の記述者に敬意を払わないカタチとなってしまいますので、先走りによる失礼のないように、くれぐれもご注意ください。
※また、ここのノートで問題箇所の削除に関する提案を行わずに、一方的に大幅な削除を行いますと、どのような理由であれ「荒し行為」とみなされてしまいますので、絶対におやめください。
もし今後、さらに削除した方がいい問題箇所がある場合には、以下のコーナーにまとめて記入していただくと、編集が散漫にならずに進行することができます。
●の後に、その「目次」と「削除箇所」、「削除理由」等を明示して、告知から1週間待って異論がない場合は同じく了承を得たものとなり、決定事項として削除することが可能となります。また、その実行の際には、下部の「編集内容の要約」を必ず記入して、改善ポイントを示すと、後の人が検証しやすくなります。 --DY111(会話) 2020年11月13日 (金) 08:19 (UTC)
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本辞典項目編集のための学術論文データの提供
[編集]ライター、ジャーナリストによる記述を削除したあとの作業となります。
ラジニーシに関して、英語ではかなりの研究蓄積があります。しかし、日本語で出版されているラジニーシに関する学術書がかなり限定され、足沢論文「ラジニーシ教団」に頼らざるをえないのも事実です。自分の論文を素材提供とするのはお恥ずかしい限りですが、一応学会誌に掲載された内容を自分の単著に含めたのが以下の論文になります。
文章中の別の研究者の引用を含め、文章中の表現、評価など、もし使えそうなところがあればご自由にご利用ください。
以下、長文たいへん失礼します。
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伊藤雅之著『現代社会とスピリチュアリティーー現代人の宗教意識の社会学的探究』(渓水社、2003年)所収 pp.63-86
4 章 和尚ラジニーシ・ムーブメントの歴史的展開——制度化と脱制度化を軸として——
本章の目的は、ニューエイジが理想として掲げる世界観や担い手のあり方が実際の場面においてどのような様相を呈しているのか、つまり実践形態の軌跡を究明することにより、ニューエイジが抱えうるジレンマを考察することである。具体的には、和尚ラジニーシ・ムーブメントを事例として取り上げ、その歴史的変遷を論述する。本章のねらいは、この運動の具体的な分析を通じて、ニューエイジの実践の場における制度化への抗(あらが)いがたい動き、ゆるやかなネットワーク作りをめざしながらも組織宗教へと変貌していく傾向、また自立性を重んじながらも他者への排他的なコミットメントに陥りがちな担い手のジレンマなどを描きだして、ニューエイジに対する多元的な理解を試みることである。
1 ニューエイジと反ニューエイジの連続性
- 「ニューエイジ」「精神世界」の語が一般に流布してはや20年近くになる。ニューエイジは先進資本主義諸国を中心に広がる新しい宗教文化の総称として把握できる。1章で概観したように、このニューエイジには、多種多様な(ときには相矛盾する)信念や実践、また大小さまざまな団体、ワークショップが含まれている。なかには、個人の意識変容や自己のスピリチュアリティの重要性を支持しつつ、ニューエイジャーとしての自覚をもたない人々や、そのようなレッテルを貼られることを嫌う人たちもいる。しかし、おおまかな輪郭をもつニューエイジの一般的特徴を指摘することは可能であろう。筆者は、ニューエイジの3つの分析レベル、すなわち、世界観、実践形態、担い手の意識に関する特質に着目し、「ニューエイジとは、ホリスティック(全体論的)な世界観をもち、ゆるやかなネットワークをその実践形態とし、その担い手たちは自立性を重んじながら意識変容をめざす現代的な宗教現象である」と定義した(本書1章参照)。
- この定義は、ニューエイジが掲げる理念を、「宗教」と対置する形で抽出した特徴である。言い換えれば、ニューエイジ側からみた従来の宗教のイメージとは、善悪を対立させる二元論的な世界観をもち、その組織は厳格な規律に基づいてヒエラルキーを構成し、そして担い手は教祖や教義を絶対的な真理として崇拝し、他者への排他的なコミットメントを行う存在として捉えられる。本章では、これらの特徴を「反ニューエイジ的」な属性と呼ぶことにしたい。しかし、ニューエイジ、反ニューエイジ的属性の多くは、実際の場面においては相反するものではなく、連続線上にあるという点には注意をはらう必要がある。ニューエイジの想定する「宗教」に当てはまらない伝統宗教や新宗教が数多く存在するし、また現実社会には純粋なニューエイジ運動はおそらく見いだせないからだ。
- 和尚ラジニーシ・ムーブメント(Osho Rajneesh Movement、以下ORMとする)はニューエイジの特徴と動向のいくつかを捉える格好の素材である。創始者のラジニーシは、組織宗教を痛烈に批判し、人々が「自分自身になる」必要性を説いた。また、その担い手たちは、ORMが「宗教」と捉えられることを嫌い、自分たちが直観に基づくスピリチュアルな意識変容をめざしていると主張する。さらに、「精神世界」の本のコーナーに置かれたラジニーシの本がきっかけとなって、ニューエイジの世界に入っていった人々のケースも報告されている(樫村・福田1999)。
- 本章では、ORMを事例として取り上げ、その歴史的変遷を論述する。そしてニューエイジの1つとして捉えられるORMは、自らが掲げる理念とは矛盾する反ニューエイジ的属性を含むため、それがORMに動性をもたらしていることを指摘したい。以下では、欧米諸国で行われた諸研究と、筆者のインドと日本におけるフィールドワークに基づきながら、1)ラジニーシの世界観、2)ORMで実施されている具体的アプローチ、3)ORMの担い手の社会的特徴を検討していく。以上、ORMの歴史において、ある程度共通してみられる諸特徴を捉えたうえで、4)ORMの実践形態の歴史的変遷——ラジニーシの思想を具体化するために、どのような諸規範が構築されていくのかなど——を考察する。最後に、5)ORMを含むニューエイジ諸運動に内在するジレンマを示唆して本章を締めくくる。
2 ラジニーシの世界観
- ラジニーシによれば、人間の究極的な目的は光明(こうみょう)(enlightenment)を得ることである。それは人々の真の個性が全面的に開花し、自己が宇宙全体から分離していない意識状態である。光明を得るための最大の障害となるのが人間の自我(ego)であり、これが人々を「本来の自分」から分離させてしまう虚偽の実在であるとラジニーシは捉える。自我は、社会的条件づけ(social conditioning)によって増進していく。ラジニーシは、親の教育や学校教育、また道徳的、宗教的な教えなどのすべての社会化を痛烈に非難する。なぜなら、いわゆる教育が特定の信念体系や社会的役割を教え込み、人間を鋳型(いがた)にはめこんでしまうと考えるからである。
- ラジニーシはなかでも、組織宗教やその指導者を痛烈に攻撃した。というのも、第1に、従来の組織宗教の多くが彼岸での目的達成を掲げるため、人々が世俗的生活をトータルに享受し、それをスピリチュアルな成長のための機会とすることを妨げてしまうこと。第2に、伝統的な宗教的指導者が、本来なら自己変容の機会となるべき性的エネルギーを否定し、性にかかわるタブーを生みだしたこと。そして第3には、組織宗教という権威主義的な制度によって、内的体験のうちに見いだされるはずの宗教的エッセンスを見失わせてしまっていることである。つまり、ラジニーシは組織宗教を社会的条件づけの最たるものの1つと捉える。
- 自我を落とすために必要となるのは、いかなる価値判断もせずに自己の信念や思考、感情のパターンを見守り続けることであるという。ラジニーシは、過去や未来に煩(わずら)わされることなく「いま、ここ」で完全に覚醒することを強調した。彼の生に対するアプローチはつぎのように要約できる。
- いかなる行為や態度や感情も究極的に否定されたり、是認されたりするものではない。むしろすべての行為、態度、感情はそれらを表現するのにふさわしい文脈が::あり、すべては神聖である。それゆえ、ふさわしい行為をするということは、瞬間から瞬間へと状況に合うように順応していくことである。(Courtis 1991:63)
- このように、ラジニーシはホリスティックな世界観を掲げ、また他のニューエイジ言説においても少なからず強調されるように、善悪の価値判断を相対化する傾向にある。
- 彼はまた、師弟関係を肯定し、それが光明を得る手助けになると主張する。ラジニーシの「光明を得た」存在が人々の意識変容を促すというのだ。彼の弟子たちはサニヤシン(sannyasin)と呼ばれている。「サニヤシン」という語はもともと、宗教的慣例に従って家庭と物質世界を棄て、僧侶になった者を指したが、ラジニーシは現世肯定的なサニヤシンのあり方を強調した。
- サニヤシンになるということは、何か新たな信念体系を獲得することでもなければ、個人的な所有物を放棄することでも、また特定の人物に追随することでもないという。ラジニーシは師弟関係の意義を話すなかで、「明け渡し/サレンダー(surrender)」の意味をつぎのように語っている。
- おぼえておきなさい。自我を明け渡すことによって、弟子は何か特定のものを明け渡しているわけではない。なぜなら自我は単なる観念にすぎず、それ以外の何物でもないからだ。(中略)マスターが「自我を明け渡しなさい」⋯⋯と言うとき、彼が言っているのは「あなたがもっていると信じているが実際には存在しないものをすべて渡しなさい。あなたの信念を渡しなさい——わたしは受け取る用意がある」ということだ。(Rajneesh 1984:304)
- サニヤシンたちは、理想的にはラジニーシの思想に服従する必要はない。自らが経験したことは自己の現実となるのであり、そこには信じたり従ったりするべきものはないからだ。このような理由からラジニーシの弟子たちは、「信者」と呼ばれることを嫌う傾向にある。
- 以上でラジニーシの世界観を概観したが、そこにはニューエイジ思想の骨子である個人の意識変容の重視や組織宗教批判が含まれていることが分かった。またラジニーシ思想には、ニューエイジの理念から一見はずれるような師弟関係の重視が見いだされた。しかし、ラジニーシはグルへの絶対帰依(きえ)ではなく、「自分自身になる」手段としての師弟関係を強調しており、またニューエイジには制度化される以前の(たとえば仏陀やイエスが生きていた当時の)「本来の宗教」に対する希求がある(小池1999:87)。したがって、ラジニーシの掲げる理念自体はニューエイジの(典型とはいえない側面があるにせよ)枠内で理解できるといえよう。
3 具体的アプローチ——瞑想とグループ・セラピー——
- 意識変容を促進する手段として、ラジニーシはさまざまな瞑想テクニックを開発した。東洋の伝統では、静かに座って思考を観照することが瞑想であったが、ラジニーシは思考や感情をより観察しやすいように体の動きを瞑想のなかに取り入れた。
- 瞑想の実践に加え、ラジニーシは弟子たちに欧米で発達したグループ・セラピーや個人セッションに参加することを薦めた。インド・プーナのアシュラム(ashram、「道場」の意味)や世界各地の瞑想センターでは各種のセラピーが提供されている。これらのセラピーの大半は、欧米で60年代後半から70年代にかけて広がったヒューマン・ポテンシャル運動(Human Potential Movement、以下HPMと記す)に由来するものである(注1)。70年代にHPMにかかわる多くのセラピストたちが、その新しい可能性を求めてラジニーシのもとに集まり、セラピーを行うようになった。アシュラムでは数日から6週間にわたる多様なプログラムが提供されている。
- ORMでのセラピーの目的はおもに2つある。第1は、怒りや恐怖、嫉妬などの抑圧された感情を見つめ、感情のブロックを取り除いてエネルギーが流れるようにすることである。第2は、「ありのままの自分」を受け入れ、気づきを高めていくことである。アシュラムでは、直接肉体にアプローチするセラピーをはじめ、幼少期の自分を再体験するもの、関係性や性のタブーを見つめ直すものなどいろいろある。しかし、グループ・セラピーの主要目的は以上の2つであるといってもよいだろう。
- ORMにおけるセラピーは、その強烈さにおいても、実験的な性格においても、ほかの成長センター(Growth Center)とは大きく異なるものであった。70年代には、アシュラムで行われるほぼすべてのグループ・セラピーで参加者は全裸になるようにいわれた。エンカウンター・グループのなかでは、他の参加者への肉体的暴力が許容されることもあり、しばしば腕や足の怪我や骨折のため病院に連れて行かれた者もいたという。さらに、タントラ・グループにおいては、セラピー内でパートナーを探しセックスすることが求められた。数日間のセラピーにおいて複数の相手とセックスすることは日常的であったという(FitzGerald 1986)(注2)。このような、光明を得る手助けとしての実験的なセラピーの採用は、ORMの特徴として捉えることができるだろう。
4 ORMの担い手の特徴
- 多くの研究者は、ORMの担い手の国籍、経済的背景、学歴に関して共通の報告をしている。サニヤシンの大半は先進資本主義諸国の20代後半から40代の人々である。彼らは中流の中から上の家庭に育ち、その学歴はきわめて高いという。サニヤシンの総数に関する見解はさまざまだが、サニヤシンは世界中で約3万人、日本で約3000人いると筆者は推定している。ORMの担い手の特徴の1つは、サニヤシンたちがORM以外のニューエイジの諸活動、ネットワークとも密接にかかわっている場合が多い点にある。この傾向が強いのは、ORMに排他的にコミットメントする人たちが少ないこととして理解できる。
サニヤシンの社会意識に関しても興味深い考察がなされている。ウォリスは、1977年当時にラジニーシと面会した39人の訪問者の記録を分析し、その職業的特徴をつぎのように論じている。
- 彼らは圧倒的に中流の特徴をもつのみでなく、その職業は専門職、準専門職や技術職から成り立っている。業種は圧倒的にクリエイティブなものか、ほかの人々へのサービスを主要な役割とする(特に人間性発達にかかわる)ものである。(Wallis 1986:201)
- ウォリスの指摘は日本人サニヤシンにも当てはまる。筆者が1994年以降にインタビューした人たちは、大学生、教師、インテリア・デザイナー、セラピスト、翻訳家、針灸師(しんきゅうし)、画家、ミュージシャンなどであった。つまり彼らは、ウォリスが調査した西洋人サニヤシンと同様、芸術性や他者との応対にかかわる仕事をしていたのである。
- ウォリスはさらに、サニヤシンがORMと出会う以前から「理想的な自己」を実現することを探求していたと論じる。その主要なテーマには、社会的な役割によって課された拘束からの自由や、よりオープンに自発的に自己表現することへの切望が含まれるという。つまり、彼らはラジニーシが提示する世界観やそのアプローチに触発され、サニヤシンになることによって理想的な自己を達成しようとしていたのだ。
- それでは、社会的役割によって課された拘束からの自由をめざして参加したORMにおいて、サニヤシンたちは理想の自己実現をスムーズに成し遂げたのだろうか。次節では、こうした問題も含めてORMの実践形態の歴史的変遷を考察していきたい。
5 ORMの実践形態の歴史的変遷
- ラジニーシとその弟子たちが展開したORMは、変化の激しさと一貫性の欠如をその特徴としている。ムーブメントは世界各地に広がりその流動性が高いので、一概にORMの歴史を論じることは困難である。本節ではおもに社会学的な研究成果に依拠しながら、ORMの理解を試みることとする。以下では、ORMの歴史を本拠地の移転や実践形態の変化などに基づき、1)初期(1973年以前)、2)第1プーナ期(1974—1981)、3)オレゴン期(1982—1985)、4)第2プーナ期(1986—1989)、5)ポスト・ラジニーシ期(1990—現在)の5期に区分して論じていく。
(1)初期(1973年以前)——思想家からグルとしてのラジニーシへ
- ラジニーシは、1931年12月11日に中央インドのマディア・プラデシュ州でジャイナ教の商人の長男として生まれた。彼は、1953年3月21日、ジャバルプール大学で哲学を専攻していた21歳の時、人間の意識の最終的段階に達し光明を得たという。彼自身が主張する悟りの体験の後も、ラジニーシは大学での研究を続け、60年にはジャバルプール大学の哲学教授となっている。
- 60年になると、彼はインド各地で講演するようになり、66年には大学を辞職し、すべての時間をインド各地での講演に注ぐようになる。70年には、ボンベイのアパートにとどまることになり、その後4年間 、公共施設を借りて定期的な瞑想キャンプを開催した。この頃までのORMの組織は未発達であり、ラジニーシは一思想家にとどまり、また彼の講演に訪れるインド人たちも聴衆としての範囲を越えるものではなかった。
- 70年からラジニーシは正式にイニシエーションを授けるようになる。イニシエーションを受けた人たちは、新しいサンスクリット語の名前が授けられ、また弟子の条件として伝統的なオレンジ色のローブ(のちに赤系統の服となる)とマラ(ラジニーシの写真入りのロケットをつるした数珠(じゅず))を絶えず身につけるようになった。71年にはラジニーシは名前を変える。それまで彼は、アチャリヤ・ラジニーシ(ラジニーシ先生)として知られていたが、新しいタイトルとして「祝福された者」あるいは「神」を意味する「バグワン」(Bhagwan)が選ばれた。それから先の89年までの18年間、ラジニーシはバグワン・シュリ・ラジニーシ(shree は「氏」を意味する)として知られるようになる。さらに72年には、彼が21歳の時に体験した自らの最終解脱の様子を初めて弟子に語り、「光明を得た」マスターとなったのである。
- 以上述べたように、70年頃を境として、ラジニーシは思想家からグル(guru、「導師」の意味)へ、聴衆の一部も弟子へと移行していった。しかし、初期の担い手であるインド人が実践した弟子の条件やグルへの帰依は、インドの宗教伝統に根ざしたものであった。「新しい時代」を予感させるニューエイジの文脈でORMを把握できるのは、対抗文化の影響を受けた西洋人がムーブメントの中心的な担い手となる次期以降である。
(2)第1プーナ期(1974—1981)——アシュラムの形成と制度化の進展
- 1974年、ボンベイの南東130キロに位置する高原都市プーナ(Poona)の郊外に2万平方メートルの敷地をもつアシュラムが開かれた。この頃から、サニヤシンのなかで欧米人が圧倒的な割合を占めるようになっていく。当初は、インドを旅していた欧米のヒッピーや精神世界の探求者たちが旅の途上でラジニーシと出会い、惹かれていった。それに続いて、ヒューマン・ポテンシャル運動にかかわっていた相当数のセラピストたちが、スピリチュアリティの新たな発展の可能性を求めてラジニーシのもとに集まりだした。彼のもとを訪れるセラピストの数が増えるにつれて、今度は新しい心理学の流れに興味をもつ人たちがアシュラムを訪れるようになる。プーナ・アシュラムは、対抗文化の影響を受けた欧米人が集まり、各種セラピーを実践する一大実験場となっていった。
- ORMは多くの外国人をひきつけたが、特にアメリカ、イギリス、ドイツ、イタリア、日本から多くの人々が訪れた。76年の時点で、サニヤシンは、3000人から5000人におよぶ長期滞在者と、年間およそ2万5000人から3万5000人の訪問者からなる共同体を確立した(Carter 1990:58)。この第1プーナ期においては、アシュラムは閉鎖的なものではなかった。一部のサニヤシンはアシュラム内に設けられた施設で暮らしたが、大多数の人たちは近くのアパートやホテルに滞在し、ラジニーシの毎日の講話や瞑想やセラピーのプログラムに参加するためにアシュラムを訪れたのである。西洋人や日本人訪問者にとってインドの物価は安く、3ヵ月から6ヵ月間にわたってプーナに滞在することは一般的であり、長期滞在者と訪問者の区分も未分化であった。
- しかし、著しいメンバー数の増加の結果として、ラジニーシは少数の弟子たち以外と個人的に接することが困難になっていく。メンバーの急激な増加により、ムーブメントは2つの世界、「すなわち、信者の世界と、創始者とその側近の世界」(Johnson 1992:4)に分断されていくことになる。このような宗教の制度化は、ラジニーシの健康状態の悪化により加速度を増していく。70年代中頃から、ラジニーシはアシュラムの組織運営から徐々に身を引くようになり、数人の中心的な西洋人サニヤシンがアシュラムの運営を担当した。
- 70年代後半になると、数ヵ月から数年間プーナに滞在したサニヤシンが自国に戻り瞑想センターを開きはじめる。80年には世界中で大小さまざまな規模の200の瞑想センターが開設された。また、ラジニーシの講話録が各国で翻訳されはじめた。日本で最初の瞑想センターは75年に東京近郊にオープンし、81年までには全国に11の瞑想センターが開設される。77年になると最初の翻訳が出版され、80年までにはさらに7冊が翻訳される。81年までには『存在の詩(うた)』(めるくまーる社)を含む8冊の合計が8万部以上売れ、本を通じてラジニーシの存在を知る日本人が増加していく。
- この当時の瞑想センターはアシュラムに対する支部のような組織的構造はなかった。センター運営は、アシュラムに登録すれば誰でも行うことができたのである。その代表者もセンター運営以外の職業で生計をたてていることがほとんどで、宗教的職能者ではなかった。また、瞑想センターを訪れるサニヤシンたちも、各センターに所属しているわけでなく、まったくセンターに行かない人たちがむしろ大半だった。
- ラジニーシのラディカルな思想や実験的なアシュラムは、多くの人々、とりわけ先進資本主義諸国からの若者を惹きつけたが、インド社会とORMとの間の摩擦は激化していった。ラジニーシの言動やアシュラムでのラディカルな実験に対する論争の結果、ラジニーシは81年インドを離れアメリカに向かうことを余儀なくされたのである。
- 以上考察してきた第1プーナ期においては、アシュラムや各国の瞑想センターはゆるやかなネットワークによってつながっており、厳格な組織やヒエラルキーを構成していたわけではない。だが、ORMの制度化がある程度進行していったことがうかがえる。サニヤシンの人数が増加しアシュラムが一旦形成されると、そこでは社会化のメカニズムが働く。ラジニーシのビジョンを具体化する過程で、ORMは当時の欧米人たちがもたらしたヒッピー文化を色濃く反映することになったのだ。また、アシュラムでのセラピーは、ORM独自の新しい倫理と関係性のパターンをメンバーに教育する機能を果たしていたといえるだろう。つまり、サニヤシンたちは何の価値観ももたず瞬間瞬間をトータルに生きることや、「自分自身になる」ことを理想として希求する一方、ORM流のライフスタイルを学び、さらにラジニーシと彼の共同体にある程度コミットメントしていくことになったのである。
(3)オレゴン期(1982—1985)——ORMの組織宗教への変貌
- 1981年の春、ラジニーシは長年患った喘息と糖尿病のため、講話を含む公共の場での発言を一切しなくなる。アシュラムのすべての実権は、ラジニーシの個人秘書であったインド人女性マ・アナンド・シーラに委ねられることになった。この時点で、ORMは宗教の制度化の新たな段階を経験することになる。これまでORMは、ラジニーシとその側近からなる世界と、一般信者の世界の2つに分かれていたが、前者はさらに、創始者ラジニーシと、ORMが円滑に機能するために任命された人々とに分化していった。つまり、ラジニーシの意思とは半ば独立した形で組織運営が確立し、ORMの担い手は創始者/運営スタッフ/一般信者に分かれていったのである。
- シーラを中心とする運営スタッフは、中央オレゴンに6万4000エーカー(東京23区の面積に相当)の荒涼とした土地を購入し、81年8月にはラジニーシをそこへ招く。サニヤシンたちは、そのなかにラジニーシプーラム市(Rajneeshpuram、「ラジニーシの表現」を意味する)を建設した。82年の夏からは、ラジニーシプーラムにおいて毎年7月にフェスティバルが開かれるようになり、世界各国から最高1万5000人の人々が参加した。
- これまでゆるやかなネットワークを作っていたORMは、この時期になると確固としたヒエラルキーをもつ組織宗教へと変貌し、各種の制度化が進展していく。83年には『ラジニーシズム——バグワン・シュリ・ラジニーシとその宗教の紹介』と題された小冊子が10数か国語で出版された。そこでは、ORMが「宗教」であると宣言され、ラジニーシの教えが経典化されている。また、ORMにおける聖職者の資格とガイドラインも規定されている。さらに、この小冊子に記されている(ラジニーシとその教えと彼の共同体への帰依を示す)「ガッチャミ」の儀式は、オレゴン共同体と各国の瞑想センターで実践されるようになった。
- オレゴン共同体も次第に全体主義的な特徴をもつようになる。そこでは約2000人のサニヤシンが、近隣の人々と日常的交流のない孤立した生活を送っていたが、彼らは 1)永住者、2)長期滞在者、3)訪問者のカテゴリーに分類された。永住者はすべての個人財産を処分し、コミューンに寄付することが要求された。長期滞在者は、コミューンにお金を支払って、各種の仕事(掃除・洗濯、建設工事、調理など)を崇拝(worship)として行った。この当時、ラジニーシ思想の「明け渡し/サレンダー」が本来の意味合いからずれて、個人財産の放棄や物的・人的資源の提供を正当化する論理として利用されていったのである。
- オレゴン共同体の外部でも、ORMの中央集権化と標準化は進んでいった。オレゴンのスタッフは世界各地の瞑想センターを訪れて、ラジニーシプーラムへの寄付を強く求めた。また、各自が独自に運営していた瞑想センターを1つにまとめ、各国に大きなコミューンをつくることを要求した。その結果、世界10数か国にラジニーシ国際コミューンが結成される。日本のORMも諸外国と類似する状況に直面する。85年には各地の瞑想センターは閉鎖となり、それに代わって東京にコミューンが誕生し、そこで約110名が個人財産を処分して共同生活をはじめたのである。日本を含む各国のコミューンでは、世界中のサニヤシンの意識をそろえるため、ラジニーシプーラムと同じ献立の食事が毎日提供された。もちろん、この時期においても相当数のサニヤシンは瞑想センターに直接かかわることのない社会生活を送っていた。しかし、彼らは「サレンダーが足りない」と批判され、早くコミューンに参加することが求められた。つまり、ORMのヒエラルキーの下位に位置づけられたのだ。このようなORMの組織化に異を唱えるサニヤシンも多く、世界中で半数近くの者はこの時期にムーブメントから離れていったという。
- ラジニーシの弟子たちがオレゴンに落ち着いた当初から、ORMと近隣住民との摩擦は絶えなかった。衝突の原因には、ラジニーシの急進的な世界観や、意識変容をめざすサニヤシンたちが近隣住民に対して優越的な態度で接したこと、また彼らが地元住民がいたアンテロープの町を実質的に乗っ取りラジニーシプーラム市としたこと、正式な市としての認可を得るため全米からホームレス1500人を招き入れたことなどが挙げられる。85年9月になると、シーラと10数人のスタッフが突然コミューンを去り、FBIが介入した捜査の結果、彼女らが行ってきたコミューン内外での不法行為が明らかになる。そのなかには、ラジニーシとその世話人の部屋の盗聴、ORMの資産55億ドルの横領、ラジニーシの主治医デバラジのヒ素による殺人未遂、近隣レストランでの有害物質サルモネラ菌の混入とそれによる住民約750名の食中毒(うち45名が入院)、公共施設の放火などが含まれていた。シーラとその仲間は逃亡先の旧西ドイツで逮捕され、カリフォルニア州の刑務所に服役した(Carter 1990)。
- シーラとその直属の部下たちがコミューンを去った後、組織運営に関するいくつかの変更がなされた。コミューンの一部の土地がもとの住人に売り戻され、また、これまで行われていたサニヤシンの服装の色の制限もなくなった。さらにラジニーシの教えをまとめた小冊子『ラジニーシズム』は処分された。しかし、こうした脱制度化の動きも長くは続かなかった。シーラたちが去った約1ヵ月後、今度はラジニーシ自身が数人の弟子たちと共にコミューンを去り、国外逃亡を試みた。彼らは、給油先のノースキャロライナ・シャーロット空港で逮捕された。司法取引の結果として、ラジニーシは告訴されていた34の罪状のうち移民管理局への偽証に関する2つの罪を認めることや、今後5年間アメリカに入国しないことなどを条件に釈放され、11月14日アメリカを去った。その2週間後、コミューン運営者はラジニーシプーラムがもはや経済的に機能しないことを宣言し、コミューン閉鎖の意向を表明した。ここに約4年間におよぶアメリカでの実験的な試みが終了したのである(こうした一連の不祥事にもかかわらずORMにとどまった人々の心境については5章で扱う)。
- 以上まとめたように、オレゴン期にはさまざまな面での制度化が進行していった。ラジニーシの「明け渡し/サレンダー」の思想は個人財産の放棄を意味するようになり、また組織内でのヒエラルキーも確立した。サニヤシンたちは、「瞬間、瞬間を新たな状況に対応して、いま、ここに生きる」という理想をもつあまり、ORMの体制を既存の価値観に基づいて批判する態度を失っていったのだ。また「個人の意識変容」の重視も、コミューン内外での社会的問題から目を背ける結果となった。つまり、オレゴン期の制度化は、組織運営スタッフによる統制などの外在的要因に加え、ニューエイジ思想特有の内在的ジレンマも介在していたと考えられる(注3)。
(4)第2プーナ期(1986—1989)——脱制度化とゆるやかなネットワーク
- ラジニーシプーラムの崩壊により、多くのマス・メディアはORMの終焉(しゅうえん)を報道した。しかし、ORMはコミューンの解体後も存続していく。ラジニーシはネパール、ギリシャ、スペイン、ウルグアイなどの数か国を訪問した後、86年7月にはボンベイに、そして87年1月にはプーナに戻る。つぎの3年間、彼はほぼ毎日の講話を行い、年間約1万人の訪問者がアシュラムを訪れた。87年以降、ラジニーシの講話の題材はすべて禅語録から選ばれるようになる。その影響もあるのだろうか、この時期日本人の訪問者が増加した。
- この時期の実践形態は、70年代後半のプーナでの状況に類似する。オレゴン期の中央集権的な体制に代わって、各国、各瞑想センター独自の展開が世界各地でみられるようになった。大規模な国際的コミューンに代わって、サニヤシンのネットワークを重視する小規模なグループが各国に散在するようになる。日本でも東京にあったコミューンは87年に解散となり、各地に再び瞑想センターが誕生しはじめた。89年までには日本各地に大小さまざまな15の瞑想センターがオープンしたが、それらは各センターのコーディネーターによって独自に運営されるようになっていく。オレゴンや各国のコミューンで共同生活を送っていたサニヤシンたちも、世俗の職業につきながらORMとかかわっていくことが主流となり、ORMのセクト的な特徴は徐々に薄れていった。
- この時期、ラジニーシの役割も新しいステージに移行していく。シーラらの組織運営者たちが去った後のオレゴン期から、ラジニーシはサニヤシンたちに、自らが「友人」であり、一宗教のリーダーではないことを繰り返し語った。89年1月には、ラジニーシはバグワン(「祝福された者」「神」)のタイトルを落とし、同年9月には名前のラジニーシも落とし、ただ「オショー(Osho)」と呼ばれるようになる。この言葉は、日本語の「和尚」から取られたわけだが、そこには権威主義的な意味合いや、組織的な上下関係が含まれないような配慮がはたらいていた。当然のことながら、「光明を得た」マスターとサニヤシンの間に、一般的な意味での友人関係が成立したわけではない。サニヤシンたちがラジニーシを覚者として崇敬し、彼にある程度コミットメントしていたことは否定できないであろう。だが、この時期のORMは、サニヤシンのグルへの無条件の服従や全面的にコミットメントする傾向を解消する方向に動いていったのである。
- このように第2プーナ期のORMは、宗教の脱制度化の方向へ転換していった。また、サニヤシンたちはゆるやかなネットワークを重視するようになり、組織的な動きに警戒心をもつようになった。つまり、自らの掲げるニューエイジ的な理念にそれほど矛盾しない形で、ORMは展開していったのである。
(5)ポスト・ラジニーシ期(1990—現在)——クライエント・カルトとしての発展
- 1990年1月19日、ラジニーシは心臓発作のため59歳で死去した。その後、ラジニーシに後継者はおらず、ORMは古参のサニヤシンが中心となって運営されている。一見したところ、ORMはラジニーシの死後も順調に機能しているように見える。新しいメンバーのイニシエーション、各国の瞑想センターの諸活動、ラジニーシの講話録の出版は、彼の死後も国際的な規模で展開しているからだ。
- しかし、カリスマ的な指導者の死後、ORMのあり方が変容したのはいうまでもない。たとえばラジニーシが生きていた当時は、「サニヤス/イニシエーションを受ける」とは「彼の弟子になること」を意味していたが、彼の死後、その意味が変化した。オショー・アカデミー・オブ・イニシエーションが91年以降に発行する、サニヤシンの申込書にはつぎの文章が書かれている。
- 私はサニヤスとは単に瞑想にむかっていくことだと理解します。それは組織でも宗教でもありません。私は自分の人生と行為に対し自由であり、責任があるものと理解します。
- このように、ポスト・ラジニーシ期におけるイニシエーションは、個々人が自分の人生に対する新たな決意をする機会としての意味合いが強くなっている。サニヤシンたちは、ラジニーシの死によって彼への排他的なコミットメントが弱まり、これまで以上に自己責任を重視し、自らの判断によって行動することを求められるようになったのである。
- ポスト・ラジニーシ期のORMは、「クライエント・カルト」(Stark and Bainbridge 1985:26)として理解できるだろう。すなわち、サービスの提供者はある程度の組織性をもつが、その受け手であるクライエント(この場合、サニヤシン)は組織だっておらず、その関与も部分的で、他の宗教運動や組織にコミットメントしている場合もあるということだ。ラジニーシに対する特別な尊敬や愛着をもたず、自己の功利的な目的のためにセラピーや瞑想に参加する訪問者が今後とも増えていくと考えられる。
6 ニューエイジの理想と現実のはざまで
- 本章の分析を通じて明らかになったことは、ORMはその歴史において、自らが掲げるニューエイジ的な理念と矛盾する反ニューエイジ的な傾向を少なからずはらんでいたことである。ラジニーシは首尾一貫して組織宗教を批判し、人間に内在するスピリチュアリティの追求の必要性を説いた。彼はグルと弟子との一対一の関係を強調したが、それはあくまでサニヤシンがより「自分自身になる」道を開くためのはずであった。ところが、その世界観を具体化するためのアシュラムや各種の活動のなかには、ラジニーシの教えと矛盾する内容もしばしばみられた。特にオレゴン期にはヒエラルキーをもつ中央集権的な宗教組織が確立し、その制度化も進行していった。ラジニーシ自身もその流れを容認する形で、ムーブメントは展開していったのである。また、ラジニーシの支持者にも、ともするとラジニーシを教祖として崇拝し、その教えを絶対的なものとして盲信する傾向がみられた。
- 本章で考察したような、世界観や担い手の意識と、それを実現するための実践形態との間に矛盾が生じたり、それらの関係が歴史的に推移していくことは多くの宗教運動で共通してみられる現象であり、特に草創期の宗教ではその傾向が強いことが予想される。特定の宗教運動が、自らの理想を現実社会で具体化していく過程においては、多くの内在的、外在的要因が影響を与えるからだ。ORMの場合には、メンバー数の増加、ラジニーシの健康状態、一部側近の暴走、プーナやオレゴンの近隣住民との関係、担い手の国籍や社会背景などいくつもの要因が関与して、当初の理念とは矛盾する方向に運動が進んでいったと考えられる。しかし、ORMを含むニューエイジにおいてのみ特有の要因も関係しているように思われる。本章を締めくくるにあたって、ニューエイジの多くが抱えている、あるいは抱えることになるかも知れないジレンマを3つ指摘したい。
- 第1のジレンマは、自らの瞬間、瞬間の行為が正しいかどうかを、既存の価値基準を使わずにいかに判断するのかという問題にかかわる。ニューエイジ思想は、「いま、ここ」を重視する態度をとるため、しばしば善悪の判断基準の相対化をもたらすことがある。ラジニーシが掲げる「何の価値観ももたずに、いま、ここで覚醒する」という主張は、特定の規律や倫理的基準を与えず、むしろそれらを否定する傾向にある。ということは、担い手たちがスピリチュアリティを追求する際に、具体的に「何をするのが正しいのか」に関する一定の見解は与えられず、物事に対するさまざまな解釈を容認する結果となってしまう。ORMの諸活動、特にオレゴン期の問題へのサニヤシンの批判力の欠如には、(社会的条件づけの結果である)既存の価値観に基づいて善悪を判断することへの躊躇(ちゅうちょ)が関連していたと思われる。元来は、社会からの拘束や罪悪感から個人を解放するために掲げられた「いま、ここを生きる」という理念も、特定の状況下においては逸脱的な行為を容認してしまう可能性を招くのである。
- 第2のジレンマは、「本当の自分」になることが、結果的には特定集団が求める人間像を体現してしまう可能性のあることにかかわる。ニューエイジでは、「本当の自分」といっても千差万別な個人のありかたを容認しているわけではなく、反合理主義的で感性豊かな人間像を模索している場合が多い。しかし、このような理想の人間像が明確に言語化されていないため、また理性よりも感性を重んじ積極的な議論を肯定しないため、第3者によって行われる「本当の自分」かどうかの判定を、当事者たちが無批判に受け入れてしまう可能性が高い。たとえば、サニヤシンの場合、「本来の自分」になっているかどうかの判定基準を提供するのはほかならぬORM側であること、また場合によっては運営スタッフに操作されていることに気づかず、「自分自身になる」道を自発的に模索していると考えやすいのだ。換言すれば、「ありのままの自分」になる理想のもとに、特定の集団が求める人間像を受動的に受け入れてしまうことが、第2のジレンマである。
- 第3のジレンマは、「個人の意識変容」を最優先させながら、いかに他者とかかわるかについての問題である。ラジニーシをはじめ多くのニューエイジ言説は、自己の聖性を強調し、もっぱら個人の意識変容やスピリチュアリティの開発に主眼をおく。ニューエイジは元来、「自分が変われば、世界が変わる」という自己と社会の同時変革を志向するが、現実的には「社会への無関心」を暗に肯定する思想ともいえる(前川 1998)。確かに、自然や宇宙との相互依存は語られても、家族や地域共同体とのかかわりについて言及されることはほとんどない。結果として、ORMのオレゴン期に見られたように、具体的な実践をする過程で、コミューン内外の問題に無関心だったり、近隣住民から孤立することもあり得るわけである。さらに、「自己の聖性」を掲げても、それが自力では達成できないときには、特定の指導者に自己実現のための指針を委ねることが避けられない場合もあるだろう。つまり、家族や共同体を切り離した個人の意識変容を希求するあまり、社会から孤立したり、社会へ無関心になったり、逆に特定の他者への排他的なコミットメントをすることは、ORMが直面し、ほかのニューエイジが抱える可能性のあるジレンマといえるだろう。
- 以上まとめたORMの事例研究が示唆する3つのジレンマは、どこまでニューエイジ全般に一般化できるのだろうか。多種多様な思想、実践の総体であるニューエイジのなかには、このような思想的ジレンマに直面しないネットワークや、これらのジレンマを巧みに解消するメカニズムを有する団体が数多く存在するかもしれない。また、同じ思想的ジレンマを抱えたとしても、ORMと同様の歴史的変遷をたどるとはかならずしもいえないだろう。しかし、「いま、ここ」や「本当の自分」や「個人の意識変容」の重視が、きわめて多くのニューエイジ運動で強調されていることも事実である。本章で示唆した3つのジレンマの有効性と適応範囲に関しては、今後の諸研究の成果を待つことにしたい。
注
(1)ヒューマン・ポテンシャル運動は、人間性心理学の代表者であるカール・ロジャース、アブラハム・マズロー、フリップ・パールズらのアプローチや実存主義哲学、禅の影響を受けている(Stone 1976; Wallis 1985)。 (2)グループ・セラピー内での、ヌード、セックス、暴力はORMに対する評判を悪くしたため、80年代からは禁止されるようになった。 (3)オレゴン期における、コミューン内外での葛藤に対する社会心理学的分析として、Latkin(1992)が挙げられる。
- Carter, Lewis. 1990. Charisma and Control in Rajneeshpuram: The Role of Shared Values in the Creation of a Community. Cambridge, UK: Cambridge University Press.
- Courtis, Mary. 1991. “Self Transformation and Gendered Experience Among Rajneesh Sannyasins and Ananda Margiis.” Doctoral dissertation, University of Oregon.
- FitzGerald, Frances. 1986. Cities on a Hill: A Journey Through Contemporary American Cultures. New York: Simon and Schuster.
- Gordon, James. 1987. The Golden Guru: The Strange Journey of Bhagwan Shree Rajneesh. New York: Stephen Greene Press.
- Johnson, Benton. 1992. “On Founders and Followers: Some Factors in Development of New Religious Movements.” Sociological Analysis, 53(S): 1-13.
- Joshi, Vasant. 1982. The Awakened One: The Life and Work of Bhagwan Shree Rajneesh. New York: Harper & Row. =1984 スワミ・プレム・プレブッダ訳『反逆のブッダ——バグワン・シュリ・ラジニーシの軌跡』めるくまーる社
- 小池靖 1999 「カルト・個人主義・現代の呪術」庄司興吉編著『共生社会の文化戦略』梓出版
- Latkin, Carl. 1992. “Seeing Red: A Social-Psychological Analysis of the Rajneeshpuram Conflict.” Sociological Analysis, 53(3): 257-71.
- Latkin, Carl, Norman Sundberg, Richard Littman, Melissa Katsikis, and Richard Hagan. 1994. “Feeling After the Fall: Former Rajneeshpuram Commune Members’ Perceptions of and Affiliation with the Rajneeshee Movement.” Sociology of Religion, 55(1): 65-73.
- Melton, Gordon. 1985. “Spiritualization and Reaffirmation: What Really Happens When Prophecy Fails,” American Studies, 26(2): 17-29.
- Rajneesh, Bhagwan Shree. 1975. Tantra: The Supreme Understanding Poona, India: Rajneesh Foundation. =1977 スワミ・プレム・プラブッダ訳『存在の詩』めるくまーる社
- Rajneesh, Bhagwan Shree. 1983. Tao: The Three Treasures (Volume One). Oregon: Rajneesh Foundation International. =1995 スワミ・プレム・プラブッダ訳『TAO 老子の道(上)』めるくまーる社
- Rajneesh, Bhagwan Shree. 1984. The Book: An Introduction to the Teachings of Bhagwan Shree Rajneesh (Series Ⅲ). Oregon: Rajneesh Foundation International.
- Stone, Donald. 1976. “The Human Potential Movement.” Pp. 93-115 in C. Glock and R. Bellah (eds.), The New Religious Consciousness. Berkeley, CA: University of California Press.
- Wallis, Roy. 1985. “The Dynamics of Change in the Human Potential Movement.” Pp. 129-56 in
- Wallis, Roy. 1986. “Religion as Fun? The Rajneesh Movement.” Pp. 191-224 in Sociological Theory, Religion and Collective Action. Belfast: Queen’s University Press.
--Itou masayuki(会話) 2020年11月13日 (金) 12:45 (UTC)
虚偽の引用を発見しました、許されません
[編集]「思想と活動」という大項目の下に「セックスとタントラ」という小項目があり、次のような記述があります。
弟子たちの自己啓発の探求には、多くの異なる相手とたくさんのセックスをすることが含まれていた[44]。
(原文) In its heyday, Sydney and Western Australia had sizeable Rajneesh communities.
(ココカラ→)Its members' quest for enlightenment also involved having lots of sex with many different partners. (←ココマデ) Or so the story goes.
"As far as I know, there were no great orgies or anything but if there were I missed out," joked Azti,
この一節を引用した編集者は以下の一文を落としています。うっかりなどとは言えません。検索すれば一発で出ます。意図的としか思えません。
Or so the story goes. 噂ではそういう話だ。 ↑これを訳していません。
次の段落もこの編集者は訳していません。拙訳ではこうなります。
「僕の知るかぎり、乱交のようなものはなかったですが、もしかしたら見逃したのかもしれません」とアズティ(弟子)は笑いながら言った。
「なかった」ことを、あったこととして引用しています。根本的な悪意を感じます。「噂ではそういう話だ」をわざと外しているのですから。
さらに付け加えると、上記の英文の第一段落では、当時、シドニーと西オーストラリアにはかなり大きなラジニーシのコミュニティがあったと言っています。つまり、「弟子たち」ではなく「そのメンバーたち」です。オーストラリアのコミュニティのメンバーのあいだにそういう噂があった、ということです。この引用のしかただと、オレゴンやプーナのことになってしまいます。このへんはこの編集者の読み間違いでしょうね。
いずれにせよ、このような重大な虚偽記載は許されるものではありません。
https://www.smh.com.au/national/wild-wild-country-australian-tells-of-life-on-rajneesh-sex-cult-commune-20180519-p4zgal.html Drachma12(会話) 2020年11月15日 (日) 15:45 (UTC)
***
ライター、ジャーナリストによる一般雑誌からの引用はすべて削除ということで合意ができつつあります。そうなれば、ご指摘の箇所は、その内容が正確かどうかにかかわらず、信頼性の乏しい根拠資料からの採用ということですべて削除になります。 --Itou masayuki(会話) 2020年11月16日 (月) 00:04 (UTC)
Itou様、ありがとうございます。慌てず騒がず、ゆっくりと対応していきます。 Drachma12(会話) 2020年11月16日 (月) 02:37 (UTC)
最悪を想定して、最善を望む
[編集]ちょっと個人的な経験ですが・・・私は以前にこのページを拝見して愕然となり、Wikipedのルールもよく知らないまま、ノートの意見交換の存在意義もよく理解しないままに、大幅な削除とリライトを来歴まで行いました。その後、ある方から版を一気に戻され、半保護の指定を受けてしまいました。それに関してはルール違反を行った私に非があるので、反省しています。
さて、その時にリライトまで行ったので、上の段の議題テーマで記載されているDrachma12さんの指摘がよくわかります。それは氷山の一角です。
信憑性の乏しい出典の中からもっとも酷い箇所だけを抽出して、つなぎ合わせて文章の流れを捏造している。偏向記事の際たるパターン。このようにして、当人とはかけ離れた人物像を描き出して、貶めています。辞典にあってはならない編集。
現在はこのノートで合意形成を図りながら、ルールに則って改編作業に入っているところです。これから削除を一気に行いますと、編集フィルターに引っ掛かってしまいます。実際には必要な編集作業であっても、そのような人が何人か出てきますと、時を見計らって、また一気に版を戻された上で、保護申請による今度は3ヶ月編集禁止に持ち込まれてしまいかねません。
合意形成の手順を踏んでいる妥当な編集であっても、荒らし行為が行われていると張本人は主張することでしょう。
そのように版を戻すことを行う人は、より良い編集を目指しているのではなく、Wikipediaのこのテーマを「劣悪な偏向記事で固定したい」と目論んでいるわけです。辞典にはあってはならない悪質な所業。そのようなことが起こせないように、事前にここに、白昼のもとにさらしておきます。
■編集に参加されている皆様へ。
もっとも賢い手順は、客観性の高い出典付きの文章を加筆していくことを先に行う手順です。それであれば、誰も元へは戻せません。その後に、削除に取り掛かる方が賢明といえましょう。この場合、文章の流れや整合性がとれにくい部分も発生しますが、時間をかけてリライトすれば問題ないと思います。
通常の本来の改編の流れから入る場合は、削除から着手することになりますが、編集フィルターに引っ掛からない範囲で行うのが賢明かと思われます。よろしくお願いいたします。
■監視されている管理人の方へ。
基本的にはWikipediaのルールに則しているか、法律上で問題ないか、というところのご判断だと思います。テーマの内容まで踏み込むことはないかと思われますが、Wikipediaの精神には“より良い編集のためには大胆に”という基本理念がございますので、「木を見て、森を見ず」とならないように、何卒ご理解の程、よろしくお願い申し上げます。
■興味で観ている第三者の皆様へ。
ノートの討論などが多いので、興味をもって観察に来ている方も結構いらっしゃるかと思います。通常、そのテーマに関して、専門家の方が登場されることは稀と思いますので、辞典の執筆の場合、何か重要で、何が編集方針となり、どのような手法で記述されるのかをここから吸収されて、関わっているテーマに応用されますと、Wikipediaへのさらなる貢献ができることと思います。
老婆心から口幅ったいことを申し上げましたこと、どうぞお許しください。 --DY111(会話) 2020年11月17日 (火) 06:31 (UTC)
- DY111様、私はひとつ上の節で、一編集者の偏向した引用について、ただひとつの事例をあげて指摘しましたが、同じ編集者が他の多くの箇所で目に余る偏向した編集をしていることはよく認識しています。
- Wikipediaは本来、主にアマチュアが参加し、共同作業によって、少しでも創造的な方向へ向かおうとする、いわば Linux の方法論を人文分野に応用したものだと思っています。
- しかし、それはあくまでも創造的な方向性を目指すべきものであって、個人のうっぷん晴らしやゲーム感覚で行われるべきものではないと考えます。個人の利益よりも公共の利益が優先されるべきものと。それがボランティアワークの本来の意味なのではないでしょうか。口幅ったいことを申し上げました。 Drachma12(会話) 2020年11月17日 (火) 07:28 (UTC)
- Drachma12様、まったくもって同感です。オープンソースのコピーレフトにより、良心をもとに協働で編集していけるクリエイティブな世界が本来のWikipediaの世界であり、精神であると思われます。それが極端な偏向記事で内容を固め、新しい改善の提案を頑なに拒んで固定化を図ろうとしてきた流れが直近までありました。現在は静かに同意されているカタチになっていますが、以前の偏向内容に戻される危惧がまったく消えたわけではありません。Wikipediaの細かなルールを悪用して、固守のために手段を択ばない、ということもあり得ます。
- ですから、油断しないで慎重に編集を進めるとともに、このテーマをより大局的に、俯瞰的に見て、公の百科事典としてのWikipediaの役割にふさわしい客観性の高い内容に改編していかないといけないと捉えています。その共通認識と、見守る多くの眼が増えるほどに間違いは起きなくなると思います。 --DY111(会話) 2020年11月17日 (火) 09:48 (UTC)
- Drachma12様、まったくもって同感です。オープンソースのコピーレフトにより、良心をもとに協働で編集していけるクリエイティブな世界が本来のWikipediaの世界であり、精神であると思われます。それが極端な偏向記事で内容を固め、新しい改善の提案を頑なに拒んで固定化を図ろうとしてきた流れが直近までありました。現在は静かに同意されているカタチになっていますが、以前の偏向内容に戻される危惧がまったく消えたわけではありません。Wikipediaの細かなルールを悪用して、固守のために手段を択ばない、ということもあり得ます。