「ぐんま車両センター」の版間の差分
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{{Redirect3list|高崎機関庫'''」・「'''高崎機関区 (初代)|高崎市にある東日本旅客鉄道(JR東日本)車両基地| |
{{Redirect3list|高崎機関庫'''」・「'''高崎機関区 (初代)|高崎市にある東日本旅客鉄道(JR東日本)の車両基地|高崎市にある日本貨物鉄道(JR貨物)の車両基地|高崎機関区|前橋市にある東日本旅客鉄道(JR東日本)の車両基地|高崎車両センター}} |
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<!-- 上記のRedirect3listを訂正などする場合は、本文の「本センターとJR貨物高崎機関区と高崎車両センターとの関係」の節を参照してください。 --> |
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|国 = {{JPN}} |
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|旧称 = |
|旧称 = (1987年以降)<br />高崎運転所→高崎車両センター→高崎車両センター高崎支所 |
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|最寄駅 = [[上信電鉄]][[南高崎駅]] |
|最寄駅 = [[上信電鉄]][[南高崎駅]] |
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|開設 = 1884年(明治17年)5月1日 |
|開設 = 1884年(明治17年)5月1日 |
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'''ぐんま車両センター'''(ぐんましゃりょうセンター)は、[[群馬県]][[高崎市]]双葉町に所在する[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)の[[車両基地]]である。同社[[東日本旅客鉄道首都圏本部|首都圏本部]]の管轄。 |
'''ぐんま車両センター'''(ぐんましゃりょうセンター)は、[[群馬県]][[高崎市]]双葉町に所在する[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)の[[車両基地]]である。同社[[東日本旅客鉄道首都圏本部|首都圏本部]]の管轄。旧称に'''高崎機関庫'''、'''高崎機関区'''(初代)、'''高崎第一機関区'''、'''高崎客貨車区'''、'''高崎運転所'''、'''高崎車両センター'''(初代)、'''高崎車両センター高崎支所'''などがある。 |
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== 概要 == |
== 概要 == |
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[[高崎線]][[倉賀野駅]] - [[高崎駅]]間の線路北側に位置する。[[八高線]]([[高麗川駅]]以北)や事業用列車で用いられる気動車や、高崎地区やその他の地区で臨時列車として運用される客車、臨時列車や事業用列車を牽引する蒸気機関車、ディーゼル機関車、電気機関車が配置されている。 |
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本センターは、[[八高線]]([[高麗川駅]] - [[倉賀野駅]]間)と[[高崎線]](倉賀野駅 - [[高崎駅]]間)で定期運用に就く気動車や、高崎地区やその他の地区で臨時列車などで運用されている客車、その臨時客車列車や不定期運用の工臨列車などを牽引する蒸気機関車、ディーゼル機関車、電気機関車と多種多様な車両を受け持ち、国鉄時代には名門と称された「高崎第一機関区」からその伝統と進取の気風を受け継いでいる車両基地<ref name="空撮 JR車両基地 84-85">朝日新聞出版編『空撮 JR車両基地』JR東日本高崎車両センター高崎支所 朝日新聞出版、2015年、pp.84 - 85、ISBN 978-4-02-331378-1</ref>である。[[国鉄分割民営化]]直前に「高崎第一機関区」と「高崎客貨車区」が統合して「高崎運転所」と改称<ref name="PIC1987-5 44">鉄道図書刊行会『鉄道ピクトリアル』1987年5月号「特集:国鉄分割民営化関連特集号」内 編集部著 国鉄分割・民営化関連Q&A <別表>現業機関名所変更(昭62.3.1)p.44</ref><ref name="RJ 248">{{Cite journal|和書 |date=1987-07 |journal=鉄道ジャーナル 1987年7月号 特集●JR・東日本旅客鉄〈第一部〉|title=JR東日本の車両基地 高崎運転所 |volume=21 |issue=8 |pages=84,85 |publisher=鉄道ジャーナル社}}</ref>{{refnest|group="注"|name="旅客・貨物会社別"|この改称は、国鉄時代の現業機関を分割民営化の際に旅客・貨物会社別に明確に区別するための改称であり<ref name="RJ1990-10 48">鉄道ジャーナル社 『鉄道ジャーナル』1990年10月号「特集●JRの車両基地'90」内 小榑宏明(東日本旅客鉄道㈱運輸車両部運用課 課長代理)著 JRの車両基地PART.1 JR東日本 p.48</ref>、基本的に旅客会社は「電車区」・「気動車区」・「客車区」・「運転区」・「運転所」の5種類、貨物会社は「機関区」・「貨車区」の2種類として、それぞれの会社発足時までに改称させた<ref name="RJ1990-10 48" />。}}、民営化後はJR東日本が継承、その後「高崎車両センター」<ref name="railfan200407">{{Cite journal|和書|author= |date=2004-07-01 |title=JR車両ファイル2004 |journal=鉄道ファン |volume=2004年7月号 |publisher=交友社 |page=32}}</ref><ref name="JRR2022_222">{{Cite book|和書 |author=ジェー・アール・アール編 |date=2022-06-16 |title=JR気動車客車編成表 2022 |chapter=JR現業機関一覧表 |publisher=[[交通新聞社]] |page=222 |isbn=978-4-330-03222-1}}</ref>→「高崎車両センター高崎支所」<ref name="JRR2022_222" />と名称が変遷し、2022年([[令和]]4年)3月に現名称の「ぐんま車両センター」<ref name="JRR2022_222" /><ref name="railfan202207">{{Cite journal|和書|author= |date=2022-07-01 |title=JR車両ファイル2022 |journal=鉄道ファン |volume=2022年7月号 |publisher=交友社 |pages=36 - 37}}</ref><ref name="neko2022">{{Cite web|和書|url=https://rail.hobidas.com/news/382531/|title=ひらがな表記に! 「ぐんま車両センター」誕生(旧・高崎車両センター高崎支所名称変更)|website=鉄道ホビダス|publisher=カルチュア・エンタテインメント株式会社 ネコ・パブリッシング カンパニー|date=2022-04-04|accessdate=2022-05-01}}</ref>となった。 |
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1884年に開設された[[日本鉄道]]高崎機関庫を源流とし、高崎第一機関区などを前身に持つ<ref name="Fukuroubook 50" /><ref name="空撮 JR車両基地 83-85" />。[[国鉄分割民営化]]時には高崎運転所としてJR東日本に継承され<ref name="PIC1987-5 44" /><ref name="RJ 248" />、高崎車両センター(初代)<ref name="railfan200407" /><ref name="JRR2022_222" />、高崎車両センター高崎支所を経て<ref name="JRR2022_222" />、2022年にぐんま車両センターとなった<ref name="JRR2022_222" /><ref name="railfan202207" /><ref name="neko2022" />。 |
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== 施設・業務 == |
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本センターへの出入庫は全て高崎駅側のみから行われ<ref name="空撮 JR車両基地 84-85" />、主な業務は、所属車両および高崎地区や他地区で運用されている電車などの留置、所属車両の仕業検査、交番検査などの車両検修や車両清掃などである。 |
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⚫ | 客車庫エリアでは所属客車の留置<ref name="空撮 JR車両基地 84-85" />、車両留置線群・検修庫エリアおよびSL検修庫エリアでは所属車両および他区所所属の電車などの留置、所属車両の仕業検査、交番検査などの車両検修や臨時検修、車体修繕、車両清掃など<ref name="空撮 JR車両基地 84-85" />、電気機関車留置エリアでは所属電気機関車の留置<ref name="空撮 JR車両基地 84-85" />が主な業務となっている。これら業務の一部は協力会社([[JR高崎鉄道サービス]])に委託している<ref name="JR高崎鉄道S">[http://www.tts.jregroup.ne.jp/business/ JR高崎鉄道サービス株式会社事業紹介] 2023年10月27日閲覧</ref>。 |
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=== 本センターの源流と名称の変遷 === |
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本センターの開設時の名称は「高崎機関庫」で、1884年([[明治]]17年)5月に[[日本鉄道]]第一区線(現・高崎線)が[[上野駅]] - 高崎駅間での営業開始<ref name="Fukuroubook 50">{{Cite book |和書 |author=松平乘昌 |title=図説日本鉄道会社の歴史 |series=ふくろうの本 |publisher=河出書房新社 |page=50}}</ref>に伴って設置され<ref name="空撮 JR車両基地 83-85">朝日新聞出版編『空撮 JR車両基地』JR東日本高崎車両センター高崎支所 朝日新聞出版、2015年、pp.83 - 85、ISBN 978-4-02-331378-1</ref>で、当時は、機関車や客車だけでなく貨車も所属{{refnest|group="注"|name="生糸輸送"|貨車は、上毛地方の生糸を鉄道貨物で横浜港までの輸送<ref name="Fukuroubook 52">{{Cite book |和書 |author=松平乘昌 |title=図説日本鉄道会社の歴史 |series=ふくろうの本 |publisher=河出書房新社 |page=52}}</ref>を主な用途として所属した。生糸は当時最大の日本の輸出品であり、当時貨物や旅客輸送の主流であった舟運に対抗するため、日本鉄道は貨物運賃の割引制度を取り、同年8月に[[前橋駅]]まで延伸されると、鉄道貨物の重要性がますます認識されていった<ref name="Fukuroubook 52" />。輸送ルートは、第一区線 - 品川線(現・[[埼京線]][[赤羽駅]] - [[山手線]][[品川駅]]間)経由で品川駅で官設鉄道と接続して横浜方面へ輸送した<ref name="Fukuroubook 52" />。}}しており、高崎地区の運用車両を一手に受け持つ一大車両基地であった。日本鉄道の買収・国有化後、客貨車保修業務を「高崎機関庫」から分離する目的で「高崎検車所」および「高崎列車電灯所」(のち「高崎車電所」)を設置<ref name="RJ1983-10 55">鉄道ジャーナル社 『鉄道ジャーナル』1983年10月号「特集●輸送の中枢-車両基地」内 鳥取彰(富士計測器㈱開発部長/もと国鉄本社運転局計画課)著 国鉄車両基地のあゆみ p.55</ref>{{refnest|group="注"|name="業務分離"|「検車所」は、客貨車の車体部門の検修を担当<ref name="RJ1983-10 55" />、「列車電灯所」は、客貨車の電気装置の検修を担当<ref name="RJ1983-10 55" />する車両基地である。なお、「列車電灯所」は客貨車の電灯だけでなく、電気暖房機、扇風機などの電気機器類や蓄電池、各部門の蓄電池の保守を広範囲に担当するようになり、実態に沿わないようになったため、1928年(昭和3年)に「車電所」と改称された<ref name="RJ1983-10 55" />。}}して、客貨車検修部門は現在の客車庫エリアに移動、機関車検修部門は現地(車両留置線群・検修庫エリアおよびSL検修庫エリア、電気機関車留置エリアと現・高崎機関区の敷地{{refnest|group="注"|name="高崎操車場"|ただし、本センター電気機関車留置エリアと現・高崎機関区の敷地は、1943年(昭和18年)10月1日の高崎操車場開設時<ref name="停車場">{{Cite book|和書|author=石野哲(編)|title=停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ|publisher=[[JTB]]|date=1998-10-01|edition=初版|isbn=978-4-533-02980-6|page=449}}</ref>に「高崎機関区」(初代)および「高崎検車区」・「高崎車電区」の貨物部門が移設したときに設けられた。}})と車両管理の部門が一旦は分離することになった。 |
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蒸気機関車や客車は車齢が60年を超える車両であるため、部品が破損した場合には本センターの旋盤を使用して新たに製作したりすることがあるほか<ref name="空撮 JR車両基地 84-85" />、乗降扉が手動である旧型客車に対して、戸閉装置と走行中の開放を防ぐ電磁石を用いたロック装置を開発し取り付けた実績がある<ref name="空撮 JR車両基地 84-85" />。 |
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機関車検修部門は「高崎機関庫」→「高崎機関区」(初代)<ref name="RJ1983-10 56">鉄道ジャーナル社 『鉄道ジャーナル』1983年10月号「特集●輸送の中枢-車両基地」内 鳥取彰(富士計測器㈱開発部長/もと国鉄本社運転局計画課)著 国鉄車両基地のあゆみ p.56</ref>{{refnest|group="注"|name="呼称統一"|この改称は、現業機関の呼称統一によるもので<ref name="RJ1983-10 56" />、特に、「高崎機関庫」→「高崎機関区」(初代)への改称は、[[#本センターとJR貨物高崎機関区と高崎車両センターとの関係|後述]]の高崎第二機関区→高崎機関区(JR貨物)の改称とは意味合いが違う。}}と改称し、本センターの敷地の一部(車両留置線群・検修庫エリアおよびSL検修庫エリア)が「高崎第一機関区」<ref name="空撮 JR車両基地 84-85" />、本センター電気機関車留置エリアと現・高崎機関区の敷地<ref group="注" name="高崎操車場" />が「高崎第二機関区」<ref name="JRR1986_160">{{Cite book|和書 |date=2017-06-01 |title=復刻版 国鉄電車編成表 86年版 |chapter=国鉄電車関係業務一覧表 |page=160 |publisher=ジェー・アール・アール |ISBN=978-4-330-79517-1}}</ref>として改組・分離した<ref group="注" name="高崎第一・第二機関区">改組・分離直後は「高崎第一機関区」は旅客部門を担当、「高崎第二機関区」は貨物部門を担当した。</ref>(両機関区の関係性などについては[[#本センターと現・高崎機関区と高崎車両センターとの関係|後述]]を参照)。 |
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⚫ | 設備面では、かつて蒸気機関車が全盛であった高崎第一機関区時代は、車両留置線群・検修庫エリアに大規模な給炭設備があり、SL検修庫エリアの転車台には多くの線路が繋がり、扇形機関庫も備えていた<ref name="PIC2010-3 19">電気車研究会・鉄道図書刊行会『鉄道ピクトリアル』2010年3月号「特集:機関区」内 岩成正和(鉄道史学会会員)著 往年の国鉄機関区概観 p.19</ref><ref name="PIC2010-3 25">電気車研究会・鉄道図書刊行会『鉄道ピクトリアル』2010年3月号「特集:機関区」内 解説:伊藤威信 蒸気全盛時代の機関区風景 p.25</ref>。しかし、それらの設備は蒸気機関車廃車とともに廃止・縮小され、現状の車両留置線群・検修庫エリアには事務所庁舎、車両検修庫、車両清掃台、機械洗浄機、車両留置線が<ref name="空撮 JR車両基地 84-85" />、SL検修庫エリアには転車台が残るものの、繋がる線路は縮小され、SL検修庫は扇形から個別型の3棟に変わっている<ref name="空撮 JR車両基地 84-85" />。また、客車および電気機関車留置エリアは留置線のみである<ref name="空撮 JR車両基地 84-85" />。 |
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一方、客貨車検修部門は「高崎検車所」・「高崎車電所」から「高崎検車区」・「高崎車電区」<ref name="RJ1983-10 56" />{{refnest|group="注"|name="呼称統一2"|この改称も、現業機関の呼称統一によるもので<ref name="RJ1983-10 56" />、他に「電車庫」も「電車区」と呼称統一された(ただし、この時点では高崎地区に電車区は存在しない)。}}と改称→高崎検車区と高崎車電区が統合して「高崎客車区」<ref name="RJ1983-10 56" />{{refnest|group="注"|name="高崎客車区"|この改称は、国鉄発足後の現業機関の改正の一環で、従来の「検車区」と「車電区」を廃止して、「客車区」・「貨車区」・「客貨車区」となって客貨車の機械、電気の全装置、蓄電池機器、各種蓄電池の検修業務を引き継いだ<ref name="RJ1983-10 56" />。}}(同時に[[高崎操車場]]に隣接する場所に「高崎貨車区」が発足<ref name="RJ1983-10 56" /><ref name="JRR1983機関車・客車 49">{{Cite journal|和書 |date=2013-12-15 |journal=復刻版国鉄客車ガイド |title=別冊付録 国鉄客車編成表 国鉄機関車・客車配置表 高崎客車区〔高タカ〕|page=49 |publisher=交通新聞社}}</ref>)→高崎客車区、高崎貨車区などが統合して「高崎客貨車区」<ref name="PIC1987-5 44" /><ref name="RJ 248" />と名称が変遷した。 |
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国鉄分割民営化直前に「高崎第一機関区」と「高崎客貨車区」が統合して民営化後はJR東日本に「高崎運転所」<ref name="PIC1987-5 44" /><ref name="RJ 248" /><ref group="注" name="旅客・貨物会社別" />となり、再び機関車検修部門と客貨車検修部門が同一組織に統合された{{refnest|group="注"|name="旅客用車両移管"|同運転所発足時に、「高崎第二機関区」敷地であった本センター電気機関車留置エリアと同機関区所属だった[[国鉄EF55形電気機関車|EF55形]]や[[国鉄EF60形電気機関車|EF60形]]などの電気機関車の一部と「高崎客貨車区」所属の貨車の一部は「高崎運転所」に移管した<ref name="RJ 248" />。なお、「高崎第二機関区」時代からの貨物列車用の[[国鉄EF64形電気機関車|EF64形]]、[[国鉄EF65形電気機関車|EF65形]]は、現・「高崎機関区」の配置となった<ref name="RJ 248" />。}}。 |
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{{Main2|高崎第二機関区|高崎機関区#歴史}} |
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その後は「高崎車両センター」<ref name="railfan200407" /><ref name="JRR2022_222" />から「高崎車両センター高崎支所」<ref name="JRR2022_222" />となり、現行の「ぐんま車両センター」<ref name="JRR2022_222" /><ref name="railfan202207" /><ref name="neko2022" />へと名称は変遷した。 |
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本センターは1884年(明治17年)5月1日に[[日本鉄道]]によって設置された「高崎機関庫」を源流とする<ref name="Fukuroubook 50">{{Cite book|和書 |author=松平乘昌 |title=図説日本鉄道会社の歴史 |series=ふくろうの本 |publisher=河出書房新社 |page=50}}</ref><ref name="空撮 JR車両基地 83-85">朝日新聞出版編『空撮 JR車両基地』JR東日本高崎車両センター高崎支所 朝日新聞出版、2015年、pp.83 - 85、ISBN 978-4-02-331378-1</ref>。これは日本鉄道第一区線(現・高崎線ほか)の高崎延伸にあわせて設けられたもので、機関車、客車、貨車{{refnest|group="注"|name="生糸輸送"|主な貨物は上毛地方産の生糸であり、第一区線 - 品川線([[赤羽駅]] - [[品川駅]]間) - 官設鉄道の経路で横浜港へと輸送され、輸出された<ref name="Fukuroubook 52">{{Cite book |和書 |author=松平乘昌 |title=図説日本鉄道会社の歴史 |series=ふくろうの本 |publisher=河出書房新社 |page=52}}</ref>。日本鉄道は当時交通手段として主流であった舟運に対抗するために貨物運賃の割引制度を設け、同年8月に[[前橋駅]]まで延伸されると、鉄道貨物の重要性がますます認識されていった<ref name="Fukuroubook 52" />。}}が所属した<ref name="Fukuroubook 52" />。 |
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1906年(明治39年)11月1日に日本鉄道が[[鉄道国有法|買収・国有化]]され、[[鉄道省|官営鉄道]]管轄となった後、1922年(大正11年)6月1日に客貨車の検修業務が現在の客車庫エリアに新設された「高崎検車所」(客貨車の車体部門の検修を担当<ref name="RJ1983-10 55" />)および「高崎列車電灯所」(客貨車の電気装置の検修を担当<ref name="RJ1983-10 55" /> 1928年に「高崎車電所」に改称{{refnest|group="注"|name="車電所"|客貨車の電灯だけでなく、電気暖房機、扇風機などの電気機器類や蓄電池、各部門の蓄電池の保守を広範囲に担当するようになり、実態に沿わないようになったため<ref name="RJ1983-10 55" />。}})に移管され、高崎機関庫は機関車のみを担当するようになった<ref name="RJ1983-10 55">鉄道ジャーナル社 『鉄道ジャーナル』1983年10月号「特集●輸送の中枢-車両基地」内 鳥取彰(富士計測器㈱開発部長/もと国鉄本社運転局計画課)著 国鉄車両基地のあゆみ p.55</ref>。1936年(昭和11年)9月には、現業機関の呼称統一のため<ref name="RJ1983-10 56">鉄道ジャーナル社 『鉄道ジャーナル』1983年10月号「特集●輸送の中枢-車両基地」内 鳥取彰(富士計測器㈱開発部長/もと国鉄本社運転局計画課)著 国鉄車両基地のあゆみ p.56</ref>{{refnest|group="注"|name="呼称統一"|この際、「機関庫」、「検車所」、「車電所」のほかに、「電車庫」(高崎地区には当時存在せず)も「電車区」に改称された。}}、機関車部門の高崎機関庫と客貨車部門の高崎検車所・高崎車電所がそれぞれ「高崎機関区」(初代)、「高崎検車区」・「高崎車電区」に改称された。 |
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上記から、本センターは一度機関車検修部門と客貨車検修部門が分かれたため、機関車部門は「高崎機関区」(初代)から「高崎第一機関区」、客貨車検修部門は「高崎検車所」・「高崎列車電灯所」から「高崎客車区」→「高崎客貨車区」が源流とも言える。しかし、それらの大元は同一組織であったため、その設立から現地で約140年間の歴史を刻んだ本センターの源流は「高崎機関庫」であると言える<ref name="空撮 JR車両基地 83-85" />。 |
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1943年(昭和18年)10月1日、[[高崎操車場]]開設<ref name="停車場">{{Cite book|和書|author=石野哲(編)|title=停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ|publisher=[[JTB]]|date=1998-10-01|edition=初版|isbn=978-4-533-02980-6|page=449}}</ref>に伴い、現在本センター電気機関車留置エリアおよびJR貨物高崎機関区となっている敷地に高崎機関区・高崎検車所・高崎車電所の貨物部門が設置された。 |
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== 業務と設備 == |
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⚫ | 1945年(昭和20年)2月1日には、高崎機関区が旅客部門(車両留置線群・検修庫エリアおよびSL検修庫エリア)の「高崎第一機関区」<ref name="空撮 JR車両基地 84-85" />と貨物部門(電気機関車留置エリアおよびJR貨物高崎機関区)の「高崎第二機関区」<ref name="JRR1986_160">{{Cite book|和書 |date=2017-06-01 |title=復刻版 国鉄電車編成表 86年版 |chapter=国鉄電車関係業務一覧表 |page=160 |publisher=ジェー・アール・アール |ISBN=978-4-330-79517-1}}</ref>とに改組・分離された。しかし、両区の分担は1947年(昭和22年)10月1日の[[上越線]]全線電化<ref name="PIC2017-8 53">鉄道図書刊行会『鉄道ピクトリアル』2017年8月号「特集:上越線電化70年」内 祖田圭介(元㈶鉄道総合技術研究所)著 上越線の線路をたどる p.53</ref>に伴って変更され、高崎第一機関区が内燃機関車(蒸気機関車、後にディーゼル機関車や気動車も配置<ref name="RJ1983-10 67 高タカ一">鉄道ジャーナル社 『鉄道ジャーナル』1983年10月号「特集●輸送の中枢-車両基地」内 国鉄の車両基地一覧 高崎第一機関区 高タカ一 p.67</ref><ref name="PIC2010-3 20">鉄道図書刊行会『鉄道ピクトリアル』2010年3月号「特集:機関区」内 1963(昭和38)年4月1日 機関車配置区一覧 p.20</ref><ref name="JRR1983機関車・客車 38">{{Cite journal|和書|date=2013-12-15|title=別冊付録 国鉄客車編成表 国鉄機関車・客車配置表 高崎第一〔高一〕|journal=復刻版国鉄客車ガイド|page=38|publisher=交通新聞社|ISBN=978-4-330-42613-6}}</ref>)を、高崎第二機関区が電気機関車<ref name="PIC2010-3 20" /><ref name="RJ1983-10 67 高タカ二">鉄道ジャーナル社 『鉄道ジャーナル』1983年10月号「特集●輸送の中枢-車両基地」内 国鉄の車両基地一覧 高崎第二機関区 高タカ二 p.67</ref><ref name="JRR1983機関車・客車 32">{{Cite journal|和書|date=2013-12-15|title=別冊付録 国鉄客車編成表国鉄機関車・客車配置表 高崎第二〔高二〕|journal=復刻版国鉄客車ガイド|page=32|publisher=交通新聞社|ISBN=978-4-330-42613-6}}</ref>(後に電車も配置<ref name="空撮 JR車両基地">朝日新聞出版編『空撮 JR車両基地』JR東日本高崎車両センター 朝日新聞出版、2015年、p.79、ISBN 978-4-02-331378-1</ref><ref name="DJ2016-5 62-63">交通新聞社『鉄道ダイヤ情報』2016年5月号 解説:結解学 シリーズ車両基地 2016 Vol.30「JR東日本 高崎車両センター」pp.62 - 63</ref><ref name="PIC2001-9 41">鉄道図書刊行会『鉄道ピクトリアル』2001年9月号「特集:JR高崎・宇都宮線」内 武内浩一(東日本旅客鉄道㈱新前橋電車区副区長)著 新前橋電車区の概要 p.41</ref>)を受け持つこととなった。また、1949年(昭和24年)1月1日に高崎第一機関区渋川支区(1967年廃止)が設置されたほか<ref name="PIC2010-3 20" />、時期不詳ながら桐生機関区{{refnest|group="注"|name="桐生機関区"|桐生機関区は、足尾線(現・[[わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線]])用の機関車および気動車の所属基地で、1963年4月1日時点では蒸気機関車(代表形式は[[国鉄C12形蒸気機関車|C12形蒸気機関車]])4両と気動車6両が所属していた<ref name="PIC2010-3 20"/>。}}が高崎第一機関区桐生支所(改称を経て1999年[[わたらせ渓谷鐵道]]へ移管<ref name="RJ1990-10 49,52">鉄道ジャーナル社 『鉄道ジャーナル』1990年10月号「特集●JRの車両基地'90」内 小榑宏明(東日本旅客鉄道㈱運輸車両部運用課 課長代理)著 JRの車両基地PART.1 JR東日本 pp.49,52</ref>)に改編されている<ref name="PIC2010-3 20" />。 |
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⚫ | 設備面では、かつて蒸気機関車が全盛であった |
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1951年(昭和26年)4月1日には客貨車部門の組織改編が行われ{{refnest|group="注"|name="客車区"|この改編は国鉄発足後の現業機関の改正の一環であり、従来の「検車区」と「車電区」が廃止され、「客車区」・「貨車区」・「客貨車区」となって客貨車の機械、電気の全装置、蓄電池機器、各種蓄電池の検修業務を引き継いだ<ref name="RJ1983-10 56" />。}}、高崎検車区と高崎車電区が統合されて「高崎客車区」が発足するとともに、高崎操車場に隣接して「高崎貨車区」が設けられた<ref name="RJ1983-10 56" /><ref name="JRR1983機関車・客車 49" ="">{{Cite journal|和書|date=2013-12-15|title=別冊付録 国鉄客車編成表 国鉄機関車・客車配置表 高崎客車区〔高タカ〕|journal=復刻版国鉄客車ガイド|page=49|publisher=交通新聞社}}</ref>。この時分割された客車部門と貨車部門は、1986年(昭和61年)3月14日の組織改正により「高崎客貨車区」として統合された<ref name="PIC1987-5 44">鉄道図書刊行会『鉄道ピクトリアル』1987年5月号「特集:国鉄分割民営化関連特集号」内 編集部著 国鉄分割・民営化関連Q&A <別表>現業機関名所変更(昭62.3.1)p.44</ref><ref name="RJ 248">{{Cite journal|和書|date=1987-07|title=JR東日本の車両基地 高崎運転所|journal=鉄道ジャーナル 1987年7月号 特集●JR・東日本旅客鉄〈第一部〉|volume=21|issue=8|pages=84,85|publisher=鉄道ジャーナル社}}</ref>。 |
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== 本センターと現・高崎機関区と高崎車両センターとの関係 == |
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{{See also|高崎車両センター#本所と高崎地区の車両基地との関係}} |
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その後「高崎第一機関区」は、国鉄分割民営化直前の1987年(昭和62年)3月1日に「高崎客貨車区」と統合して「高崎運転所」<ref name="PIC1987-5 44" /><ref name="RJ 248" />と改称、2004年(平成16年)4月1日には各線の運用車両を一括管理する「保全一元化施策」に伴って「高崎車両センター」と改称<ref name="railfan200407" /><ref name="JRR2022_222" />したが、翌2005年(平成17年)12月10日の組織変更に伴い、新前橋電車区検修部門が「[[高崎車両センター]]」(本所)に、旧・「高崎車両センター」は本所の下部組織となる「高崎車両センター高崎支所」にそれぞれ改称<ref name="JRR2022_222" />された。また、高崎車両センター(本所)の前身組織は、1956年(昭和31年)11月15日に「高崎第二機関区」に設置された電車検修・運転部門<ref name="空撮 JR車両基地" /><ref name="DJ2016-5 62-63" />で、現・高崎機関区が継承した「高崎第二機関区」とは別部門であるが、高崎車両センター(本所)と現・高崎機関区は、元は同一組織であった。 |
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よって、上記を踏まえると、本センターと現・高崎機関区が「高崎機関区」(初代)時代は同一組織であり、現・高崎機関区と高崎車両センター(本所)は「高崎第二機関区」時代は同一組織であるとともに、全ての源流は日本鉄道時代の「高崎機関庫」あると云える。しかし、時代の変遷とともに、列車の運行は、機関車けん引の客車から電車へと移り変わり、貨物列車も別会社(JR貨物)へ移管、本センターは「高崎第一機関区」時代から気動車や客車、ディーゼル機関車などが配置されている基地であり、2005年(平成17年)12月10日の組織変更時点ですでに高崎支社管内のほとんどが電車による運行であるため、[[新前橋駅]]隣接の電車基地を「高崎車両センター」本所として、高崎地区の運用車両の中心基地として位置付け<ref name="空撮 JR車両基地 80-81">朝日新聞出版編『空撮 JR車両基地』JR東日本高崎車両センター 朝日新聞出版、2015年、pp.80 - 81、{{ISBN2|978-4-02-331378-1}}</ref>、本センターは一時期本所の下部組織の支所として位置づけられ「高崎車両センター高崎支所」となったが、2022年(令和4年)3月12日に「ぐんま車両センター」と改称<ref name="JRR2022_222" /><ref name="railfan202207" /><ref name="neko2022" />し、本センターは高崎地区の内燃動力車基地と位置付けられた。 |
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{{Main2|本センターの前身である高崎機関区(初代)から分離独立した高崎第二機関区を継承したJR貨物の車両基地の歴史|高崎機関区#歴史|本センターの旧称(高崎車両センター)と同名であるJR東日本の車両基地の歴史|高崎車両センター#沿革}} |
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1987年(昭和62年)3月1日、[[国鉄分割民営化]]に備えた現業機関改編の一環として<ref name="RJ1990-10 48">鉄道ジャーナル社 『鉄道ジャーナル』1990年10月号「特集●JRの車両基地'90」内 小榑宏明(東日本旅客鉄道㈱運輸車両部運用課 課長代理)著 JRの車両基地PART.1 JR東日本 p.48</ref>{{refnest|group="注"|name="旅客・貨物会社別"|継承予定会社別に名称が整理され、基本的に旅客会社向けは「電車区」・「気動車区」・「客車区」・「運転区」・「運転所」の5種類、貨物会社向けは「機関区」・「貨車区」の2種類として、民営化時までに改称させた<ref name="RJ1990-10 48" />。}}、高崎第一機関区と高崎客貨車区が統合して「高崎運転所」が発足した<ref name="PIC1987-5 44" /><ref name="RJ 248" />。この際、高崎第一機関区の乗務員が[[高崎電車区]]に移籍し、本センター電気機関車留置エリアと[[国鉄EF55形電気機関車|EF55形]]や[[国鉄EF60形電気機関車|EF60形]]などの一部の電気機関車が高崎第二機関区から高崎機関区に移管されたほか、貨車は一部を除き[[高崎機関区]](2代)<ref group="注" name="2代高崎機関区">高崎第二機関区から同時に改称。民営化時にはJR貨物に継承。</ref>に引き継がれた<ref name="RJ 248" />。同年4月1日の民営化では、高崎運転所はJR東日本に継承された。 |
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本センターの前身は、1884年(明治17年)5月1日に日本鉄道によって設立された「高崎機関庫」<ref name="空撮 JR車両基地 83-85" />で、1906年(明治39年)11月1日に日本鉄道の買収・国有化に伴い、管轄を[[鉄道省|官営鉄道]]に移管された後、1922年([[大正]]11年)6月1日に客貨車保修業務を「高崎機関庫」から分離する目的で「高崎検車所」および「高崎列車電灯所」(のち「高崎車電所」)を設置<ref name="RJ1983-10 55" /><ref group="注" name="業務分離" />して、「高崎機関庫」は機関車部門、「高崎検車所」・「高崎列車電灯所」は客貨車部門と別れた。1936年(昭和11年)9月に現業機関の呼称統一を目的<ref name="RJ1983-10 56" />に機関車部門の「高崎機関庫」と客貨車部門の「高崎検車所」・「高崎車電所」はそれぞれ「高崎機関区」<ref group="注" name="呼称統一" />、「高崎検車区」・「高崎車電区」へ改称<ref group="注" name="呼称統一2" />、1943年(昭和18年)10月1日に高崎操車場開設<ref name="停車場" />に伴い、本センター電気機関車留置エリアと現・高崎機関区の敷地に「高崎機関区」(初代)および「高崎検車区」・「高崎車電区」の貨物部門を設置した。機関車部門は1945年(昭和20年)2月1日に「高崎機関区」が「高崎第一機関区」<ref name="空撮 JR車両基地 84-85" />(車両留置線群・検修庫エリアおよびSL検修庫エリア)と「高崎第二機関区」<ref name="JRR1986_160" />(電気機関車留置エリアとJR貨物高崎機関区の敷地)に改組・分離<ref group="注" name="高崎第一・第二機関区" />され、1947年(昭和22年)10月1日の上越線全線電化<ref name="PIC2017-8 53" />に伴い「高崎第一機関区」は内燃機関車の配置区(蒸気機関車、後にディーゼル機関車や気動車も配置<ref name="PIC2010-3 20" /><ref name="JRR1983機関車・客車 38" />)となった。また、1949年(昭和24年)1月1日には高崎第一機関区渋川支区を設置した<ref name="PIC2010-3 20" />。 |
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2004年(平成16年)4月1日、高崎運転所は「高崎車両センター」(初代)に改称された<ref name="railfan200407">{{Cite journal|和書|author=|date=2004-07-01|title=JR車両ファイル2004|journal=鉄道ファン|volume=2004年7月号|page=32|publisher=交友社}}</ref><ref name="JRR2022_222">{{Cite book|和書 |author=ジェー・アール・アール編 |date=2022-06-16 |title=JR気動車客車編成表 2022 |chapter=JR現業機関一覧表 |publisher=[[交通新聞社]] |page=222 |isbn=978-4-330-03222-1}}</ref>。2005年(平成17年)12月10日には、新前橋電車区の検修部門が[[高崎車両センター]](2代)に改編され、旧・高崎車両センターは「高崎車両センター高崎支所」となった<ref name="JRR2022_222" />。 |
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一方、客貨車部門は1949年(昭和24年)6月1日の[[日本国有鉄道法]]の発令による[[日本国有鉄道]](国鉄)が発足後の1951年(昭和26年)4月1日に高崎検車区と高崎車電区が統合され「高崎客車区」に改称<ref name="RJ1983-10 56" /><ref name="JRR1983機関車・客車 49" /><ref group="注" name="高崎客車区" />、同時に[[高崎操車場]]に隣接する場所に「高崎貨車区」が発足<ref name="RJ1983-10 56" /><ref name="JRR1983機関車・客車 49" />して、一旦は客車部門と貨車部門が分離したが、1986年(昭和61年)3月14日に高崎客車区、高崎貨車区などが統合して「高崎客貨車区」に改称<ref name="PIC1987-5 44" /><ref name="RJ 248" />して再び客車部門と貨車部門が同一組織内に収まった。 |
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2022年(令和4年)3月12日、高崎車両センター高崎支所は「ぐんま車両センター」として独立した<ref name="JRR2022_222" /><ref name="railfan202207">{{Cite journal|和書|author=|date=2022-07-01|title=JR車両ファイル2022|journal=鉄道ファン|volume=2022年7月号|pages=36 - 37|publisher=交友社}}</ref><ref name="neko2022">{{Cite web|和書 |url=https://rail.hobidas.com/news/382531/ |title=ひらがな表記に! 「ぐんま車両センター」誕生(旧・高崎車両センター高崎支所名称変更) |website=鉄道ホビダス |publisher=カルチュア・エンタテインメント株式会社 ネコ・パブリッシング カンパニー |date=2022-04-04 |accessdate=2022-05-01}}</ref>。 |
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時期不詳であるが、桐生機関区<ref name="PIC2010-3 20" />{{refnest|group="注"|name="桐生機関区"|桐生機関区は、旧・国鉄足尾線(現・[[わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線]])用の機関車および気動車の所属基地で、蒸気機関車(代表形式は[[国鉄C12形蒸気機関車|C12形蒸気機関車]])4両と気動車6両が所属していた<ref name="PIC2010-3 20"/>。}}が、「高崎第一機関区桐生支所」へ改称{{refnest|group="注"|name="桐生支所"|足尾線の貨物列車牽引機関車が[[国鉄DE10形ディーゼル機関車|DE10形ディーゼル機関車]]へ置き換えられた後、同DLを高崎第一機関区〔高一〕所属で桐生支所常駐車として所属させた<ref name="JRR1983機関車・客車 38" />。なお、足尾線用C12形蒸気機関車は、1970年(昭和45年)9月30日に運行が廃止された(同年10月4日さよなら運転実施)<ref name="seiki184">『[[#足尾鉄道の一世紀|足尾鉄道の一世紀]]』184 - 185頁</ref>。}}され、国鉄分割民営化直前の1987年(昭和62年)3月1日に「高崎第一機関区」と「高崎客貨車区」が統合して「高崎運転所」が発足<ref name="PIC1987-5 44" /><ref name="RJ 248" /><ref group="注" name="旅客用車両移管" />、同時に高崎第一機関区桐生支所が「高崎運転所桐生支所」へ改称<ref name="RJ1990-10 49,52">鉄道ジャーナル社 『鉄道ジャーナル』1990年10月号「特集●JRの車両基地'90」内 小榑宏明(東日本旅客鉄道㈱運輸車両部運用課 課長代理)著 JRの車両基地PART.1 JR東日本 pp.49,52</ref>、1989年([[平成]]元年)3月29日にJR足尾線の第3セクター化に伴い、高崎運転所桐生支所が[[わたらせ渓谷鐵道]]へ管轄が移管<ref name="RJ1990-10 49,52" />され、2004年(平成16年)6月に「高崎運転所」を「高崎車両センター」(本所)へ改称<ref name="railfan200407" /><ref name="JRR2022_222" />、2005年(平成17年)12月10日の組織変更に伴い、新前橋電車区の検修部門を高崎車両センターに、旧・高崎車両センターは「高崎車両センター高崎支所」にそれぞれ改称<ref name="JRR2022_222" />、2022年(令和4年)3月12日に高崎車両センター高崎支所が「ぐんま車両センター」として独立した<ref name="JRR2022_222" /><ref name="railfan202207" /><ref name="neko2022" />。 |
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=== 年表 === |
=== 年表 === |
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* [[1884年]]([[明治]]17年)5月1日 - 日本鉄道'''高崎機関庫'''発足<ref name="空撮 JR車両基地 83-85" />。 |
* [[1884年]]([[明治]]17年)5月1日 - [[日本鉄道]]'''高崎機関庫'''発足<ref name="空撮 JR車両基地 83-85" />。 |
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* [[1906年]](明治39年)11月1日 - 日本鉄道の買収・国有化に伴い、 |
* [[1906年]](明治39年)11月1日 - 日本鉄道の[[鉄道国有法|買収・国有化]]に伴い、[[官設鉄道]]に移管。 |
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* [[1922年]]([[大正]]11年)6月1日 - 客貨車 |
* [[1922年]]([[大正]]11年)6月1日 - 客貨車検修業務を高崎機関庫から分離する目的で'''高崎検車所'''および'''高崎列車電灯所'''を設置<ref name="RJ1983-10 55" />。 |
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* [[1928年]]([[昭和]]3年)- 高崎列車電灯所が'''高崎車電所''' |
* [[1928年]]([[昭和]]3年)- 高崎列車電灯所が'''高崎車電所'''に改称<ref group="注" name="車電所" />。 |
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* [[1934年]](昭和11年)9月1日 - 高崎機関庫は'''高崎機関区(初代) |
* [[1934年]](昭和11年)9月1日 - 高崎機関庫は'''高崎機関区'''(初代)に、高崎検車所は'''高崎検車区'''に、高崎車電所は'''高崎車電区'''にそれぞれ改称<ref name="RJ1983-10 56" /><ref group="注" name="呼称統一" />。 |
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* [[1943年]](昭和18年)10月1日 - 高崎操車場開設<ref name="停車場" />に伴い、本センター電気機関車留置エリアと |
* [[1943年]](昭和18年)10月1日 - [[高崎操車場]]開設<ref name="停車場" />に伴い、本センター電気機関車留置エリアとJR貨物高崎機関区の敷地に高崎機関区および高崎検車区・高崎車電区の貨物部門を移設。 |
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* [[1945年]](昭和20年)2月1日 - 高崎機関区(初代)が'''高崎第一機関区'''と'''高崎第二機関区'''に改組・分離<ref name="空撮 JR車両基地 84-85" /><ref group="注" name="高崎第一・第二機関区" |
* [[1945年]](昭和20年)2月1日 - 高崎機関区(初代)が'''高崎第一機関区'''と'''高崎第二機関区'''に改組・分離<ref name="空撮 JR車両基地 84-85" /><ref group="注" name="高崎第一・第二機関区">改組・分離直後は「高崎第一機関区」が旅客部門を、「高崎第二機関区」が貨物部門を担当した。</ref>。 |
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* [[1947年]](昭和22年)10月1日 - 上越線全線電化<ref name="PIC2017-8 53" />に伴 |
* [[1947年]](昭和22年)10月1日 - [[上越線]]全線電化<ref name="PIC2017-8 53" />に伴って高崎第一機関区と高崎第二機関区の分担が変更され、高崎第一機関区は内燃機関車の配置区(蒸気機関車、後にディーゼル機関車や気動車も配置<ref name="PIC2010-3 20" /><ref name="JRR1983機関車・客車 38" />)となる。 |
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* [[1949年]](昭和24年) |
* [[1949年]](昭和24年) |
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** 1月1日 - 高崎第一機関区渋川支区を設置<ref name="PIC2010-3 20" />。 |
** 1月1日 - 高崎第一機関区渋川支区を設置<ref name="PIC2010-3 20" />。 |
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** 6月1日 - 日本国有鉄道 |
** 6月1日 - [[日本国有鉄道]]が発足。 |
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* [[1951年]](昭和26年)4月1日 - 高崎検車区と高崎車電区が統合'''高崎客車区'''が発足<ref name="RJ 248" /><ref name="PIC1987-5 44" />。同時に高崎貨車区が発足<ref name="RJ1983-10 56" /><ref name="JRR1983機関車・客車 49" /><ref group="注" name=" |
* [[1951年]](昭和26年)4月1日 - 高崎検車区と高崎車電区が統合し、'''高崎客車区'''が発足<ref name="RJ 248" /><ref name="PIC1987-5 44" />。同時に高崎貨車区が発足<ref name="RJ1983-10 56" /><ref name="JRR1983機関車・客車 49" /><ref group="注" name="客車区" />。 |
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* [[1967年]](昭和42年)6月1日 - 高崎第一機関区渋川支区を廃止。 |
* [[1967年]](昭和42年)6月1日 - 高崎第一機関区渋川支区を廃止。 |
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* 時期不詳 - 桐生機関区<ref name="PIC2010-3 20" /> |
* 時期不詳 - 桐生機関区<ref name="PIC2010-3 20" />が高崎第一機関区桐生支所に改称<ref group="注" name="桐生機関区" />。 |
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* [[1986年]](昭和61年)3月14日 - 高崎客車区、高崎貨車区などが統合'''高崎客貨車区'''に改称<ref name="PIC1987-5 44" /><ref name="RJ 248" />。 |
* [[1986年]](昭和61年)3月14日 - 高崎客車区、高崎貨車区などが統合し、'''高崎客貨車区'''に改称<ref name="PIC1987-5 44" /><ref name="RJ 248" />。 |
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* [[1987年]](昭和62年) |
* [[1987年]](昭和62年) |
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** 3月1日 - 高崎第一機関区と高崎客貨車区が統合'''高崎運転所'''が発足<ref name="RJ 248" /><ref name="PIC1987-5 44 |
** 3月1日 - 高崎第一機関区と高崎客貨車区が統合し、'''高崎運転所'''が発足<ref name="RJ 248" /><ref name="PIC1987-5 44" />。高崎第一機関区桐生支所は高崎運転所桐生支所へ改称<ref name="RJ1990-10 49,52" />。高崎第一機関区の乗務員は[[高崎電車区]]に移籍したほか、高崎機関区(2代)<ref group="注" name="2代高崎機関区" />との間で一部の車両および敷地を移管。 |
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** 4月1日 - [[国鉄分割民営化]]により東日本旅客鉄道に継承。 |
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* [[1989年]]([[平成]]元年)3月29日 - |
* [[1989年]]([[平成]]元年)3月29日 - 足尾線の第3セクター化に伴い、高崎運転所桐生支所が[[わたらせ渓谷鐵道]]へ移管<ref name="RJ1990-10 49,52" />。 |
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* [[2004年]](平成16年)4月1日 - 高崎運転所を'''高崎車両センター'''へ改称<ref name="JRR2022_222" />。 |
* [[2004年]](平成16年)4月1日 - 高崎運転所を'''高崎車両センター'''(初代)へ改称<ref name="JRR2022_222" />。 |
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* [[2005年]](平成17年)12月10日 - 組織変更に伴い、新前橋電車区検修部門が高崎車両センター |
* [[2005年]](平成17年)12月10日 - 組織変更に伴い、新前橋電車区検修部門が[[高崎車両センター]](2代)に、旧・高崎車両センターは同所の下部組織となる'''高崎車両センター高崎支所'''にそれぞれ改編<ref name="JRR2022_222" />。 |
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* [[2022年]]([[令和]]4年)3月12日 - 高崎車両センター高崎支所が'''ぐんま車両センター'''として独立<ref name="JRR2022_222" /><ref name="railfan202207" /><ref name="neko2022" />。 |
* [[2022年]]([[令和]]4年)3月12日 - 高崎車両センター高崎支所が'''ぐんま車両センター'''として独立<ref name="JRR2022_222" /><ref name="railfan202207" /><ref name="neko2022" />。 |
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2023年4月1日時点の配置車両は以下の通り<ref name="JRR 2023" /><ref name="railfan202307" />。 |
2023年4月1日時点の配置車両は以下の通り<ref name="JRR 2023" /><ref name="railfan202307" />。 |
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配置車両は、定期運用に就く[[八高線]]の[[JR東日本キハ100系気動車|キハ110系]]気動車および事業用の[[JR東日本GV-E197系気動車|GV-E197系]]気動車、高崎地区 |
配置車両には、定期運用に就く[[八高線]]の[[JR東日本キハ100系気動車|キハ110系]]気動車および事業用の[[JR東日本GV-E197系気動車|GV-E197系]]気動車、高崎地区やその他の地区で臨時列車などとして運用されている[[国鉄12系客車|12系]]客車および[[国鉄スハ43系客車|スハ43系]]などの旧型客車、[[動態保存]]されている[[蒸気機関車]]、臨時客車列車や事業用列車などを牽引する[[ディーゼル機関車]]および[[電気機関車]]がある。 |
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{|class="wikitable" rules="all" style="text-align:center" |
{|class="wikitable" rules="all" style="text-align:center" |
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'''[[JR東日本GV-E197系気動車|GV-E197系]]'''(6両) |
'''[[JR東日本GV-E197系気動車|GV-E197系]]'''(6両) |
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* GV-E197形2両編成1本(2両)、GV-E196形4両が配置されている。 |
* GV-E197形2両編成1本(2両)、GV-E196形4両が配置されている。 |
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* ディーゼル機関車とホキ800形 |
* [[バラスト軌道|砕石]]輸送用の事業用車両であり、ディーゼル機関車と[[国鉄ホキ800形貨車|ホキ800形]]を置き換えた。 |
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ファイル:Haciko-Line Kiha110-110-210.jpg|キハ110系 |
ファイル:Haciko-Line Kiha110-110-210.jpg|キハ110系 |
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'''[[国鉄C58形蒸気機関車|C58形]]'''(1両){{Main|国鉄C58形蒸気機関車#C58 363|秩父鉄道|SLパレオエクスプレス}} |
'''[[国鉄C58形蒸気機関車|C58形]]'''(1両){{Main|国鉄C58形蒸気機関車#C58 363|秩父鉄道|SLパレオエクスプレス}} |
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* [[秩父鉄道]]所有の363号機が在籍する。ぐんま車両センター発足後も引き続き同所に管理 |
* [[秩父鉄道]]所有の363号機が在籍する。ぐんま車両センター発足後も引き続き同所に管理が委託されているが、区名札の標記は「群」ではなく「秩」となっている。 |
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ファイル:SL_Gunma_Minakami.jpg|D51 498 |
ファイル:SL_Gunma_Minakami.jpg|D51 498 |
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'''[[国鉄EF64形電気機関車|EF64形]]'''(2両) |
'''[[国鉄EF64形電気機関車|EF64形]]'''(2両) |
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* 1000番台2両 (1001, 1053) が在籍(1001号機はMG搭載、1053はMG未搭載)。 |
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* 1001号機は茶色([[ぶどう色1号]]) |
* 1001号機はMG搭載、1053号機はMG未搭載。 |
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* 1001号機は茶色([[ぶどう色1号]])地に白帯を一本巻いた塗色であったが、2017年10月の全般検査の際に国鉄新性能直流電気標準色で出場している。 |
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* この他37号機、1052号機も在籍していたが、両機は2021年11月8日に秋田総合車両センターへ回送<ref>[https://railf.jp/news/2021/11/09/150000.html EF64 37とEF64 1052が配給輸送される](交友社 鉄道ファン railf.jp-2021年11月9日)</ref>され、10日付で廃車となった<ref>『鉄道ファン』No.731、交友社、2022年、p.164</ref>。 |
* この他37号機、1052号機も在籍していたが、両機は2021年11月8日に秋田総合車両センターへ回送<ref>[https://railf.jp/news/2021/11/09/150000.html EF64 37とEF64 1052が配給輸送される](交友社 鉄道ファン railf.jp-2021年11月9日)</ref>され、10日付で廃車となった<ref>『鉄道ファン』No.731、交友社、2022年、p.164</ref>。 |
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* 37号機 |
* 37号機は主に高崎地区および甲信方面への[[特殊列車#工事列車|工事臨時列車]]や[[特殊列車#配給列車|配給列車]]で用いられ、イベント列車への充当頻度は低かった。2003年4月から2019年2月まで茶色([[ぶどう色2号]])一色塗装であった。 |
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* 1052号機は2019年3月に施工された全般検査において |
* 1052号機は2019年3月に施工された全般検査において茶色地に白帯の塗装となり<ref>[https://railf.jp/news/2018/04/09/203000.html EF64 1052号機が新塗色に](交友社 鉄道ファン railf.jp-2018年4月9日)</ref>、その後は1001号機や1053号機と共通で運用されていた。 |
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'''[[国鉄EF65形電気機関車|EF65形]]'''(1両) |
'''[[国鉄EF65形電気機関車|EF65形]]'''(1両) |
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'''[[国鉄DD51形ディーゼル機関車|DD51形]]'''(2両) |
'''[[国鉄DD51形ディーゼル機関車|DD51形]]'''(2両) |
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* 2両 |
* 2両(842, 895)が在籍。<!-- 2019年に888(2019年10月)、897(2019年5月)が廃車のため秋田総合車両センターに配給回送との情報があるが廃車年月日の文献がないためコメント化 --> |
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* 両機とも[[お召し列車]]牽引に対応。[[JR東日本E655系電車|E655系]]「和(なごみ)」が特別車両E655-1を連結し[[お召し列車]]として非電化区間で運行される際の牽引機としての役割も担っている。 |
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* 清水トンネルにおける停電時における非常用救援機としての役割も担っている。 |
* 清水トンネルにおける停電時における非常用救援機としての役割も担っている。 |
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'''[[国鉄DE10形ディーゼル機関車|DE10形]]'''(9両) |
'''[[国鉄DE10形ディーゼル機関車|DE10形]]'''(9両) |
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* 1500番台9両(1571,1603,1604,1654,1685,1697,1704,1705, |
* 1500番台9両(1571, 1603, 1604, 1654, 1685, 1697, 1704, 1705, 1752)が在籍。 |
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* |
* 本センターでの車両入換、関東地区の事業用列車(客車入換)、臨時列車を担当する。また、[[尾久車両センター]]での入換業務を担当するため[[田端運転所]]に常駐する。 |
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* 1705号機は |
* 1705号機は茶色(ぶどう色1号)に白帯を配した塗色。 |
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* 2017年3月4日付で9両(1571, 1603, 1604, 1654, 1685, 1697, 1704, 1751, 1752)が[[宇都宮運転所]]から転入<ref name="railfan201707" />。 |
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* 1698号機 |
* かつては1698号機([[2013年]]2月4日に発生した車両火災により廃車)および1751号機(2022年2月1日付で廃車)も所属した。 |
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* 1751号機は2022年2月1日付で廃車。 |
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'''[[国鉄DE11形ディーゼル機関車|DE11形]]'''(1両) |
'''[[国鉄DE11形ディーゼル機関車|DE11形]]'''(1両) |
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* '''[[国鉄スハ43系客車|スハフ42形]]'''(2両) |
* '''[[国鉄スハ43系客車|スハフ42形]]'''(2両) |
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** 2両(2173, 2234)が在籍。 |
** 2両(2173, 2234)が在籍。 |
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** 2020年のリニューアル工事に際して、2173はラウンジカーに改造、2234は本センター所属客車で唯一となる[[青15号]]塗装に変更された。 |
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** 2234は同センター所属客車で唯一塗色が[[青15号]]である。 |
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** 2071は[[北海道旅客鉄道|北海道旅客鉄道(JR北海道)]][[旭川運転所]]に転属。2023年3月31日付で廃車。 |
** 2071は[[北海道旅客鉄道|北海道旅客鉄道(JR北海道)]][[旭川運転所]]に転属。2023年3月31日付で廃車。 |
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* '''[[国鉄60系客車|オハニ36形]]'''(1両) |
* '''[[国鉄60系客車|オハニ36形]]'''(1両) |
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* 乗降ドアの集中鎖錠装置設置による半自動化(すべてのドアを閉めた状態でスイッチ操作によりロックを掛けられるもの){{refnest|group="注"|開閉そのものについては開扉は従来どおり手動で、閉扉のみ[[ドアクローザ]]を利用して遠隔操作可能とした。}} |
* 乗降ドアの集中鎖錠装置設置による半自動化(すべてのドアを閉めた状態でスイッチ操作によりロックを掛けられるもの){{refnest|group="注"|開閉そのものについては開扉は従来どおり手動で、閉扉のみ[[ドアクローザ]]を利用して遠隔操作可能とした。}} |
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* 汚水処理タンク搭載によるトイレの水洗化および便洗面所自体のリニューアル工事 |
* 汚水処理タンク搭載によるトイレの水洗化および便洗面所自体のリニューアル工事(オハ47形全車) |
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* 機関車の[[軸受|平軸受]]温度監視システムを客車側でモニターするための[[ジャンパ連結器]] (KE100) |
* 機関車の[[軸受|平軸受]]温度監視システムを客車側でモニターするための[[ジャンパ連結器]] (KE100) の設置(左右両栓構造) |
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* 蒸気機関車牽引時に蒸気暖房を使用できるようにするための引き通し管の再整備 |
* 蒸気機関車牽引時に蒸気暖房を使用できるようにするための引き通し管の再整備 |
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* スハフ32形、スハフ42形、オハニ36形の尾灯 |
* スハフ32形、スハフ42形、オハニ36形の尾灯を[[発光ダイオード|LED]]方式に変更し、[[二次電池|バッテリー]]の耐久性を増強する機械を各車トイレ室に設置(そのためトイレ室の利用は不可) |
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* バッテリーへの負荷を最小限に抑えるため、客室の室内灯を従来の[[蛍光灯|蛍光管]]から[[白熱電球|白熱灯]]をイメージした電球色LEDに交換{{refnest|group="注"|特にオハニ36については、元々客室照明が製造当初の白熱灯のままであったため、ガラスグローブを流用し中身のみLED照明に交換した。}}<ref>鉄道ピクトリアル2014年4月号</ref>。なお、交換作業は2012年秋から2013年春までの間に実施された。 |
* バッテリーへの負荷を最小限に抑えるため、客室の室内灯を従来の[[蛍光灯|蛍光管]]から[[白熱電球|白熱灯]]をイメージした電球色LEDに交換{{refnest|group="注"|特にオハニ36については、元々客室照明が製造当初の白熱灯のままであったため、ガラスグローブを流用し中身のみLED照明に交換した。}}<ref>鉄道ピクトリアル2014年4月号</ref>。なお、交換作業は2012年秋から2013年春までの間に実施された。 |
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'''[[国鉄キハ38形気動車|キハ38形気動車]]''' |
'''[[国鉄キハ38形気動車|キハ38形気動車]]''' |
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* [[1986年]]にキハ35形の車体を載せ換えた、車 |
* [[1986年]]にキハ35形の車体を載せ換えて製造された、車体更新車である。 |
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* 1996年の八高線八王子 - 高麗川間の電化まで、八高線全線と高崎線(倉賀野 - 高崎間)で運用されていた。キハ30・35形と同時に八高線の運用を終了した。 |
* 1996年の八高線八王子 - 高麗川間の電化まで、八高線全線と高崎線(倉賀野 - 高崎間)で運用されていた。キハ30・35形と同時に八高線の運用を終了した。 |
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* 運用終了後は全車が[[幕張車両センター木更津派出]]に転出し、[[久留里線]]で運用された。 |
* 運用終了後は全車が[[幕張車両センター木更津派出]]に転出し、[[久留里線]]で運用された。 |
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'''[[国鉄EF55形電気機関車|EF55形]]''' |
'''[[国鉄EF55形電気機関車|EF55形]]''' |
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* 1号機が配置されていた。 |
* 1号機が配置されていた。 |
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* 国鉄時代の1986年から2009年まで高崎 |
* 国鉄時代の1986年から2009年まで高崎支社管内の客車列車(観光列車)などの牽引に使用されていた。2015年4月12日に廃車され[[鉄道博物館 (さいたま市)|鉄道博物館]]で常設展示されている。[[準鉄道記念物]]。 |
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'''[[国鉄EF60形電気機関車|EF60形]]''' |
'''[[国鉄EF60形電気機関車|EF60形]]''' |
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* 19号機が配置されていた。 |
* 19号機が配置されていた。 |
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* 高崎支社管内の[[特殊列車#工事列車|工事用臨時列車]]を中心 |
* 高崎支社管内の[[特殊列車#工事列車|工事用臨時列車]]を中心に運用され、イベント列車への充当頻度も高かった。 |
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* 2007年にかつて配置されていた12系和式客車「やすらぎ」に準じた塗装から国鉄標準色に変更された。 |
* 2007年にかつて配置されていた12系和式客車「やすらぎ」に準じた塗装から国鉄標準色に変更された。 |
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* 2010年に2エンド側の[[前照灯|前灯]] |
* 2010年に2エンド側の[[前照灯|前灯]]が[[シールドビーム]]2灯から原型の[[白熱電球]]1灯に復元され、のちに1エンド側も1灯に復元された。 |
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* 2019年7月1日に[[秋田総合車両センター]]へ回送<ref>{{Cite web|和書|date=2019-07-02 |url=https://railf.jp/news/2019/07/02/190000.html |title=EF60 19が秋田総合車両センターへ |website=[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]] |publisher=交友社 |accessdate=2019-09-25}}</ref>、3日付で廃車された<ref>『鉄道ファン』No.703、交友社、2019年、p.156</ref>。 |
* 2019年7月1日に[[秋田総合車両センター]]へ回送<ref>{{Cite web|和書|date=2019-07-02 |url=https://railf.jp/news/2019/07/02/190000.html |title=EF60 19が秋田総合車両センターへ |website=[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]] |publisher=交友社 |accessdate=2019-09-25}}</ref>、3日付で廃車された<ref>『鉄道ファン』No.703、交友社、2019年、p.156</ref>。 |
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=== 客車 === |
=== 客車 === |
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'''[[国鉄12系客車|12系客車]]''' |
'''[[国鉄12系客車|12系客車]]''' |
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* 波動用の座席車が現在よりも多く配置されていたほか、お座敷列車の[[ジョイフルトレイン]]「[[やすらぎ (鉄道車両)|やすらぎ]]」・「[[くつろぎ (高崎鉄道管理局)|くつろぎ]]」も配置されていた。 |
* 波動用の座席車が現在よりも多く配置されていたほか、お座敷列車の[[ジョイフルトレイン]]「[[やすらぎ (鉄道車両)|やすらぎ]]」・「[[くつろぎ (高崎鉄道管理局)|くつろぎ]]」も配置されていた。 |
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* 座席車のうち6両は、1996年5月に[[西武鉄道]][[西武E851形電気機関車|E851形電気機関車]]の[[さよなら運転]]実施に伴い、同社に貸し出され、一時的に西武の車籍が入れられた<ref name="Akai-denki_Z">『西武の赤い電機』 p.140</ref>。 |
* 座席車のうち6両は、1996年5月に[[西武鉄道]][[西武E851形電気機関車|E851形電気機関車]]の[[さよなら運転]]実施に伴い、同社に貸し出され、一時的に西武の車籍が入れられた<ref name="Akai-denki_Z">『西武の赤い電機』 p.140</ref>。 |
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* お座敷列車は、車両の老朽化が進み、客車 |
* お座敷列車は、車両の老朽化が進み、客車のため機回しが必要であることが運用面で煩雑とされ、485系の「やまなみ」「せせらぎ」(2本とも後に「[[リゾートやまどり]]」に改造)に置き換えられた。 |
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* 運用終了後は「くつろぎ」の一部が[[碓氷峠鉄道文化むら]]に保存され、「やすらぎ」の一部がわたらせ渓谷鐵道に譲渡された。 |
* 運用終了後は「くつろぎ」の一部が[[碓氷峠鉄道文化むら]]に保存され、「やすらぎ」の一部がわたらせ渓谷鐵道に譲渡された。 |
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'''[[国鉄チキ6000形貨車|チキ6000形]]''' |
'''[[国鉄チキ6000形貨車|チキ6000形]]''' |
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* [[軌条|レール]]輸送用[[長物車]]。 |
* [[軌条|レール]]輸送用[[長物車]]。 |
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* 2020年9月30日付で1両(6016)が廃車、2021年9月9日付で2両(6052・ |
* 2020年9月30日付で1両(6016)が廃車、2021年9月9日付で2両(6052・6155)が廃車され、配置がなくなった。 |
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'''[[国鉄ホキ800形貨車|ホキ800形]]''' |
'''[[国鉄ホキ800形貨車|ホキ800形]]''' |
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* 7両が配置されていたが、2022年7月1日付けで廃車され<ref name="railfan202307" />、配置がなくなった。 |
* [[砕石|バラスト]]輸送・散布用[[ホッパ車]]。7両が配置されていたが、2022年7月1日付けで廃車され<ref name="railfan202307" />、配置がなくなった。 |
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* 高崎支社管内の[[在来線]]で使う砕石が[[吾妻線]][[小野上駅]]から搬出される関係で、小野上駅常備となっていた。 |
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[[国鉄トラ90000形貨車#改造|'''トラ90000形''']] |
[[国鉄トラ90000形貨車#改造|'''トラ90000形''']] |
2024年8月18日 (日) 08:27時点における版
ぐんま車両センター | |
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入換作業中のDE10 1654 (2020年9月6日) | |
基本情報 | |
国 | 日本 |
鉄道事業者 | 東日本旅客鉄道 |
帰属組織 | 首都圏本部 |
所属略号 | 都クン、群 |
最寄駅 | 上信電鉄南高崎駅 |
旧称 |
(1987年以降) 高崎運転所→高崎車両センター→高崎車両センター高崎支所 |
開設 | 1884年(明治17年)5月1日 |
車両基地概要 | |
敷地面積 | 36,298 m2 |
配置両数 | |
蒸気機関車 | 2両 |
電気機関車 | 3両 |
内燃機関車 | 12両 |
気動車 | 27両 |
客車 | 13両 |
合計 | 57両 |
備考 |
2023年4月1日現在のデータ[1][2] 敷地面積は有価証券報告書の値[3] |
ぐんま車両センター(ぐんましゃりょうセンター)は、群馬県高崎市双葉町に所在する東日本旅客鉄道(JR東日本)の車両基地である。同社首都圏本部の管轄。旧称に高崎機関庫、高崎機関区(初代)、高崎第一機関区、高崎客貨車区、高崎運転所、高崎車両センター(初代)、高崎車両センター高崎支所などがある。
概要
高崎線倉賀野駅 - 高崎駅間の線路北側に位置する。八高線(高麗川駅以北)や事業用列車で用いられる気動車や、高崎地区やその他の地区で臨時列車として運用される客車、臨時列車や事業用列車を牽引する蒸気機関車、ディーゼル機関車、電気機関車が配置されている。
1884年に開設された日本鉄道高崎機関庫を源流とし、高崎第一機関区などを前身に持つ[4][5]。国鉄分割民営化時には高崎運転所としてJR東日本に継承され[6][7]、高崎車両センター(初代)[8][9]、高崎車両センター高崎支所を経て[9]、2022年にぐんま車両センターとなった[9][10][11]。
施設・業務
敷地は高崎駅に隣接する客車庫エリア、高崎駅南東の車両留置線群・検修庫エリアおよびSL検修庫エリア、本センター南の日本貨物鉄道(JR貨物)高崎機関区に隣接する電気機関車留置エリアと大きく3つに分かれている[12]。出入庫は全て高崎駅側のみから行われる[12]。
客車庫エリアでは所属客車の留置[12]、車両留置線群・検修庫エリアおよびSL検修庫エリアでは所属車両および他区所所属の電車などの留置、所属車両の仕業検査、交番検査などの車両検修や臨時検修、車体修繕、車両清掃など[12]、電気機関車留置エリアでは所属電気機関車の留置[12]が主な業務となっている。これら業務の一部は協力会社(JR高崎鉄道サービス)に委託している[13]。
蒸気機関車や客車は車齢が60年を超える車両であるため、部品が破損した場合には本センターの旋盤を使用して新たに製作したりすることがあるほか[12]、乗降扉が手動である旧型客車に対して、戸閉装置と走行中の開放を防ぐ電磁石を用いたロック装置を開発し取り付けた実績がある[12]。
設備面では、かつて蒸気機関車が全盛であった高崎第一機関区時代は、車両留置線群・検修庫エリアに大規模な給炭設備があり、SL検修庫エリアの転車台には多くの線路が繋がり、扇形機関庫も備えていた[14][15]。しかし、それらの設備は蒸気機関車廃車とともに廃止・縮小され、現状の車両留置線群・検修庫エリアには事務所庁舎、車両検修庫、車両清掃台、機械洗浄機、車両留置線が[12]、SL検修庫エリアには転車台が残るものの、繋がる線路は縮小され、SL検修庫は扇形から個別型の3棟に変わっている[12]。また、客車および電気機関車留置エリアは留置線のみである[12]。
歴史
本センターは1884年(明治17年)5月1日に日本鉄道によって設置された「高崎機関庫」を源流とする[4][5]。これは日本鉄道第一区線(現・高崎線ほか)の高崎延伸にあわせて設けられたもので、機関車、客車、貨車[注 1]が所属した[16]。
1906年(明治39年)11月1日に日本鉄道が買収・国有化され、官営鉄道管轄となった後、1922年(大正11年)6月1日に客貨車の検修業務が現在の客車庫エリアに新設された「高崎検車所」(客貨車の車体部門の検修を担当[17])および「高崎列車電灯所」(客貨車の電気装置の検修を担当[17] 1928年に「高崎車電所」に改称[注 2])に移管され、高崎機関庫は機関車のみを担当するようになった[17]。1936年(昭和11年)9月には、現業機関の呼称統一のため[18][注 3]、機関車部門の高崎機関庫と客貨車部門の高崎検車所・高崎車電所がそれぞれ「高崎機関区」(初代)、「高崎検車区」・「高崎車電区」に改称された。
1943年(昭和18年)10月1日、高崎操車場開設[19]に伴い、現在本センター電気機関車留置エリアおよびJR貨物高崎機関区となっている敷地に高崎機関区・高崎検車所・高崎車電所の貨物部門が設置された。
1945年(昭和20年)2月1日には、高崎機関区が旅客部門(車両留置線群・検修庫エリアおよびSL検修庫エリア)の「高崎第一機関区」[12]と貨物部門(電気機関車留置エリアおよびJR貨物高崎機関区)の「高崎第二機関区」[20]とに改組・分離された。しかし、両区の分担は1947年(昭和22年)10月1日の上越線全線電化[21]に伴って変更され、高崎第一機関区が内燃機関車(蒸気機関車、後にディーゼル機関車や気動車も配置[22][23][24])を、高崎第二機関区が電気機関車[23][25][26](後に電車も配置[27][28][29])を受け持つこととなった。また、1949年(昭和24年)1月1日に高崎第一機関区渋川支区(1967年廃止)が設置されたほか[23]、時期不詳ながら桐生機関区[注 4]が高崎第一機関区桐生支所(改称を経て1999年わたらせ渓谷鐵道へ移管[30])に改編されている[23]。
1951年(昭和26年)4月1日には客貨車部門の組織改編が行われ[注 5]、高崎検車区と高崎車電区が統合されて「高崎客車区」が発足するとともに、高崎操車場に隣接して「高崎貨車区」が設けられた[18][31]。この時分割された客車部門と貨車部門は、1986年(昭和61年)3月14日の組織改正により「高崎客貨車区」として統合された[6][7]。
1987年(昭和62年)3月1日、国鉄分割民営化に備えた現業機関改編の一環として[32][注 6]、高崎第一機関区と高崎客貨車区が統合して「高崎運転所」が発足した[6][7]。この際、高崎第一機関区の乗務員が高崎電車区に移籍し、本センター電気機関車留置エリアとEF55形やEF60形などの一部の電気機関車が高崎第二機関区から高崎機関区に移管されたほか、貨車は一部を除き高崎機関区(2代)[注 7]に引き継がれた[7]。同年4月1日の民営化では、高崎運転所はJR東日本に継承された。
2004年(平成16年)4月1日、高崎運転所は「高崎車両センター」(初代)に改称された[8][9]。2005年(平成17年)12月10日には、新前橋電車区の検修部門が高崎車両センター(2代)に改編され、旧・高崎車両センターは「高崎車両センター高崎支所」となった[9]。
2022年(令和4年)3月12日、高崎車両センター高崎支所は「ぐんま車両センター」として独立した[9][10][11]。
年表
- 1884年(明治17年)5月1日 - 日本鉄道高崎機関庫発足[5]。
- 1906年(明治39年)11月1日 - 日本鉄道の買収・国有化に伴い、官設鉄道に移管。
- 1922年(大正11年)6月1日 - 客貨車検修業務を高崎機関庫から分離する目的で高崎検車所および高崎列車電灯所を設置[17]。
- 1928年(昭和3年)- 高崎列車電灯所が高崎車電所に改称[注 2]。
- 1934年(昭和11年)9月1日 - 高崎機関庫は高崎機関区(初代)に、高崎検車所は高崎検車区に、高崎車電所は高崎車電区にそれぞれ改称[18][注 3]。
- 1943年(昭和18年)10月1日 - 高崎操車場開設[19]に伴い、本センター電気機関車留置エリアとJR貨物高崎機関区の敷地に高崎機関区および高崎検車区・高崎車電区の貨物部門を移設。
- 1945年(昭和20年)2月1日 - 高崎機関区(初代)が高崎第一機関区と高崎第二機関区に改組・分離[12][注 8]。
- 1947年(昭和22年)10月1日 - 上越線全線電化[21]に伴って高崎第一機関区と高崎第二機関区の分担が変更され、高崎第一機関区は内燃機関車の配置区(蒸気機関車、後にディーゼル機関車や気動車も配置[23][24])となる。
- 1949年(昭和24年)
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 高崎検車区と高崎車電区が統合し、高崎客車区が発足[7][6]。同時に高崎貨車区が発足[18][31][注 5]。
- 1967年(昭和42年)6月1日 - 高崎第一機関区渋川支区を廃止。
- 時期不詳 - 桐生機関区[23]が高崎第一機関区桐生支所に改称[注 4]。
- 1986年(昭和61年)3月14日 - 高崎客車区、高崎貨車区などが統合し、高崎客貨車区に改称[6][7]。
- 1987年(昭和62年)
- 1989年(平成元年)3月29日 - 足尾線の第3セクター化に伴い、高崎運転所桐生支所がわたらせ渓谷鐵道へ移管[30]。
- 2004年(平成16年)4月1日 - 高崎運転所を高崎車両センター(初代)へ改称[9]。
- 2005年(平成17年)12月10日 - 組織変更に伴い、新前橋電車区検修部門が高崎車両センター(2代)に、旧・高崎車両センターは同所の下部組織となる高崎車両センター高崎支所にそれぞれ改編[9]。
- 2022年(令和4年)3月12日 - 高崎車両センター高崎支所がぐんま車両センターとして独立[9][10][11]。
配置車両に記される略号
- 旅客車 - 「髙クン」…高崎支社を意味する「髙(高)」と、ぐんま(群馬)を意味する「クン」から構成される。ぐんま車両センター発足時に「髙タカ」から変更された。
- 機関車 - 「群」…ぐんま車両センターを意味する「群」を標記。旧高崎支所を意味する「高」から変更された。同所に所属する秩父鉄道の蒸気機関車C58 363も他の機関車と同じく「高」と標記していたが、こちらは同所発足時に「秩」へ変更された。
配置車両
配置車両には、定期運用に就く八高線のキハ110系気動車および事業用のGV-E197系気動車、高崎地区やその他の地区で臨時列車などとして運用されている12系客車およびスハ43系などの旧型客車、動態保存されている蒸気機関車、臨時客車列車や事業用列車などを牽引するディーゼル機関車および電気機関車がある。
電車 | 気動車 | 機関車 | 客車 | 合計 |
---|---|---|---|---|
0両 | 27両 | 17両 | 13両 | 57両 |
気動車
キハ110系(21両)
- キハ110形200番台9両、キハ111形・キハ112形200番台2両編成6本(12両)が配置されている。
- 八高線(高麗川 - 倉賀野間)と高崎線(倉賀野 - 高崎間)で運用されている。
- 全車、側面の行先表示器が字幕式から3色LED式に変更された。
GV-E197系(6両)
-
キハ110系
-
GV-E197系
蒸気機関車
D51形(1両)
- 498号機が在籍する。1988年11月より配置。快速「SLぐんま みなかみ」「SLぐんま よこかわ」を中心に運用。
C61形(1両)
- 20号機が在籍する。2011年3月30日より配置。快速「SLぐんま みなかみ」「SLぐんま よこかわ」を中心に運用。
C58形(1両)
- 秩父鉄道所有の363号機が在籍する。ぐんま車両センター発足後も引き続き同所に管理が委託されているが、区名札の標記は「群」ではなく「秩」となっている。
-
D51 498
-
C61 20
-
C58 363
電気機関車
在籍する3機のうちEF64 1001号機は旧型客車電気暖房用のMG[注 9]を搭載している。
EF64形(2両)
- 1000番台2両(1001, 1053)が在籍し、主にELぐんまよこかわ号などの臨時列車を中心として運用される。
- 1001号機はMG搭載、1053号機はMG未搭載。
- 1001号機は茶色(ぶどう色1号)地に白帯を一本巻いた塗色であったが、2017年10月の全般検査の際に国鉄新性能直流電気標準色で出場している。
- この他37号機、1052号機も在籍していたが、両機は2021年11月8日に秋田総合車両センターへ回送[33]され、10日付で廃車となった[34]。
- 37号機は主に高崎地区および甲信方面への工事臨時列車や配給列車で用いられ、イベント列車への充当頻度は低かった。2003年4月から2019年2月まで茶色(ぶどう色2号)一色塗装であった。
- 1052号機は2019年3月に施工された全般検査において茶色地に白帯の塗装となり[35]、その後は1001号機や1053号機と共通で運用されていた。
EF65形(1両)
- P形の501号機が在籍。
- 主にELぐんまよこかわ号などの臨時列車を中心とする運用。
-
EF64 37 (2021年11月10日除籍)
-
EF64 1001
-
EF64 1052 (2021年11月10日除籍)
-
EF65 501
ディーゼル機関車
すべてSG未搭載機である。
DD51形(2両)
- 2両(842, 895)が在籍。
- 両機ともお召し列車牽引に対応。E655系「和(なごみ)」が特別車両E655-1を連結しお召し列車として非電化区間で運行される際の牽引機としての役割も担っている。
- 清水トンネルにおける停電時における非常用救援機としての役割も担っている。
DE10形(9両)
- 1500番台9両(1571, 1603, 1604, 1654, 1685, 1697, 1704, 1705, 1752)が在籍。
- 本センターでの車両入換、関東地区の事業用列車(客車入換)、臨時列車を担当する。また、尾久車両センターでの入換業務を担当するため田端運転所に常駐する。
- 1705号機は茶色(ぶどう色1号)に白帯を配した塗色。
- 2017年3月4日付で9両(1571, 1603, 1604, 1654, 1685, 1697, 1704, 1751, 1752)が宇都宮運転所から転入[36]。
- かつては1698号機(2013年2月4日に発生した車両火災により廃車)および1751号機(2022年2月1日付で廃車)も所属した。
DE11形(1両)
- 1041号機が在籍。2016年12月21日付で宇都宮運転所から転入した[36]。
-
DD51 842
-
DE10 1697
-
DE10 1705
客車
12系客車(6両)
- 波動用の座席車5両(スハフ12 161, 162、オハ12 366, 367, 369)と蒸気機関車伴走用の控車(オヤ12 1)が配置されている。
- オハ12 368は2023年3月30日付で廃車された[2]。
旧型客車(7両)
- オハ47形(3両)
- 3両(2246, 2261, 2266)が在籍。
- 2239は2000年4月18日に除籍された。
- スハフ32形(1両)
- 1両(2357 JR東日本最古の本線運転可能な客車)が在籍。
- スハフ42形(2両)
- 2両(2173, 2234)が在籍。
- 2020年のリニューアル工事に際して、2173はラウンジカーに改造、2234は本センター所属客車で唯一となる青15号塗装に変更された。
- 2071は北海道旅客鉄道(JR北海道)旭川運転所に転属。2023年3月31日付で廃車。
- オハニ36形(1両)
- 1両(11)が在籍。
上記の7両は蒸気機関車牽引列車(SL列車)およびイベント列車用で、いわゆる旧型客車である。これらの「旧型客車」は、2011年に下記の整備が行われた[37]。
- 乗降ドアの集中鎖錠装置設置による半自動化(すべてのドアを閉めた状態でスイッチ操作によりロックを掛けられるもの)[注 10]
- 汚水処理タンク搭載によるトイレの水洗化および便洗面所自体のリニューアル工事(オハ47形全車)
- 機関車の平軸受温度監視システムを客車側でモニターするためのジャンパ連結器 (KE100) の設置(左右両栓構造)
- 蒸気機関車牽引時に蒸気暖房を使用できるようにするための引き通し管の再整備
- スハフ32形、スハフ42形、オハニ36形の尾灯をLED方式に変更し、バッテリーの耐久性を増強する機械を各車トイレ室に設置(そのためトイレ室の利用は不可)
- バッテリーへの負荷を最小限に抑えるため、客室の室内灯を従来の蛍光管から白熱灯をイメージした電球色LEDに交換[注 11][38]。なお、交換作業は2012年秋から2013年春までの間に実施された。
これらの旧型客車は2019年(令和元年)10月28日を最後に一旦営業運転から離れ[39]、翌2020年(令和2年)4月 - 6月にかけて行われる予定だった群馬デスティネーションキャンペーンに向け、大規模なリニューアル工事が施工された[40]。
-
12系高崎所属車
-
スハフ42 2234
-
スハフ42 2173
-
オハ47 2246
-
スハフ32 2357
-
オハニ36 11
過去の配置車両
この一覧は完全なものではありません。 |
気動車
- 1996年の八高線八王子 - 高麗川間の電化まで、八高線全線と高崎線(倉賀野 - 高崎間)で運用されていた。
- 上記の電化と高麗川 - 高崎間のキハ110系気動車への置き換えにともない、運用を終了した。
- 1989年に足尾線(現・わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線)がわたらせ渓谷鐵道に移管されるまでは同線で、1985年に川越線が電化されるまでは同線でも運用されていた。
- 1986年にキハ35形の車体を載せ換えて製造された、車体更新車である。
- 1996年の八高線八王子 - 高麗川間の電化まで、八高線全線と高崎線(倉賀野 - 高崎間)で運用されていた。キハ30・35形と同時に八高線の運用を終了した。
- 運用終了後は全車が幕張車両センター木更津派出に転出し、久留里線で運用された。
- キハ40形のみが所属しており、1989年まで足尾線(現・わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線)で運用されていた。
- 運用終了後は東北地区のキハ40系運用路線に転出した。
- キハ20形のみが所属しており、1989年まで足尾線(現・わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線)で運用されていた。
- 運用終了後は廃車された。
機関車
- 1997年の横川運転区廃止から翌年にかけての除籍までの間、21両(2 - 4, 6 - 8, 10 - 13, 15 - 25)が配置されていた。
- 在籍中は運用されず、運転自体も大宮への展示回送など僅かであった。
- 1998年9月10日に22号機が除籍されたことにより配置が消滅した。
- 1号機が配置されていた。
- 国鉄時代の1986年から2009年まで高崎支社管内の客車列車(観光列車)などの牽引に使用されていた。2015年4月12日に廃車され鉄道博物館で常設展示されている。準鉄道記念物。
- 19号機が配置されていた。
- 高崎支社管内の工事用臨時列車を中心に運用され、イベント列車への充当頻度も高かった。
- 2007年にかつて配置されていた12系和式客車「やすらぎ」に準じた塗装から国鉄標準色に変更された。
- 2010年に2エンド側の前灯がシールドビーム2灯から原型の白熱電球1灯に復元され、のちに1エンド側も1灯に復元された。
- 2019年7月1日に秋田総合車両センターへ回送[41]、3日付で廃車された[42]。
-
EF63 24
-
EF55 1
-
EF60 19
客車
- 波動用の座席車が現在よりも多く配置されていたほか、お座敷列車のジョイフルトレイン「やすらぎ」・「くつろぎ」も配置されていた。
- 座席車のうち6両は、1996年5月に西武鉄道E851形電気機関車のさよなら運転実施に伴い、同社に貸し出され、一時的に西武の車籍が入れられた[43]。
- お座敷列車は、車両の老朽化が進み、客車のため機回しが必要であることが運用面で煩雑とされ、485系の「やまなみ」「せせらぎ」(2本とも後に「リゾートやまどり」に改造)に置き換えられた。
- 運用終了後は「くつろぎ」の一部が碓氷峠鉄道文化むらに保存され、「やすらぎ」の一部がわたらせ渓谷鐵道に譲渡された。
- 1両(15)が在籍していた。
- 戦災復旧車であるマユニ78 21からの改造車。救援車で3軸ボギー台車を装着した最後の営業用車両であったが、2007年2月28日に除籍され、その後解体された。
- 1両(2185)が在籍したが、2019年6月7日付で除籍された。
- 2両(2501, 2502)が在籍していたが、2001年6月10日に除籍された。
-
12系「やすらぎ」
-
12系「くつろぎ」
-
スエ78 15
-
オハフ50 2500番台
貨車
- バラスト輸送・散布用ホッパ車。7両が配置されていたが、2022年7月1日付けで廃車され[2]、配置がなくなった。
- 高崎支社管内の在来線で使う砕石が吾妻線小野上駅から搬出される関係で、小野上駅常備となっていた。
- トロッコ列車用に4両(90647, 90856, 91318, 91339)が在籍していた。
- 上記順各車に「浅間」「妙義」「赤城」「榛名」の愛称が与えられていた。
- 前述のオハフ50形の登場により、1997年10月に除籍された。
-
トラ90000形
脚注
注釈
- ^ 主な貨物は上毛地方産の生糸であり、第一区線 - 品川線(赤羽駅 - 品川駅間) - 官設鉄道の経路で横浜港へと輸送され、輸出された[16]。日本鉄道は当時交通手段として主流であった舟運に対抗するために貨物運賃の割引制度を設け、同年8月に前橋駅まで延伸されると、鉄道貨物の重要性がますます認識されていった[16]。
- ^ a b 客貨車の電灯だけでなく、電気暖房機、扇風機などの電気機器類や蓄電池、各部門の蓄電池の保守を広範囲に担当するようになり、実態に沿わないようになったため[17]。
- ^ a b この際、「機関庫」、「検車所」、「車電所」のほかに、「電車庫」(高崎地区には当時存在せず)も「電車区」に改称された。
- ^ a b 桐生機関区は、足尾線(現・わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線)用の機関車および気動車の所属基地で、1963年4月1日時点では蒸気機関車(代表形式はC12形蒸気機関車)4両と気動車6両が所属していた[23]。
- ^ a b この改編は国鉄発足後の現業機関の改正の一環であり、従来の「検車区」と「車電区」が廃止され、「客車区」・「貨車区」・「客貨車区」となって客貨車の機械、電気の全装置、蓄電池機器、各種蓄電池の検修業務を引き継いだ[18]。
- ^ 継承予定会社別に名称が整理され、基本的に旅客会社向けは「電車区」・「気動車区」・「客車区」・「運転区」・「運転所」の5種類、貨物会社向けは「機関区」・「貨車区」の2種類として、民営化時までに改称させた[32]。
- ^ a b 高崎第二機関区から同時に改称。民営化時にはJR貨物に継承。
- ^ 改組・分離直後は「高崎第一機関区」が旅客部門を、「高崎第二機関区」が貨物部門を担当した。
- ^ EGともいう。車体側面の助士席側にEG灯と呼ばれる黄色い灯火を装備していることが搭載車の特徴である。
- ^ 開閉そのものについては開扉は従来どおり手動で、閉扉のみドアクローザを利用して遠隔操作可能とした。
- ^ 特にオハニ36については、元々客室照明が製造当初の白熱灯のままであったため、ガラスグローブを流用し中身のみLED照明に交換した。
出典
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- ^ 『鉄道ファン』No.703、交友社、2019年、p.156
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参考文献
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- ジェー・アール・アール編「JR現業機関一覧表」『JR気動車客車編成表』 各年号、交通新聞社、東日本旅客鉄道の頁。
- 「別冊付録 国鉄客車編成表国鉄機関車・客車配置表 高崎第一〔高一〕・高崎第二〔高二〕」『復刻版国鉄客車ガイド』、交通新聞社、2013年12月15日、32,38頁、ISBN 978-4-330-42613-6。
- 「国鉄電車関係業務一覧表」『復刻版 国鉄電車編成表 86年版』ジェー・アール・アール、2017年6月1日、160頁。ISBN 978-4-330-79517-1。
- 交通新聞社『鉄道ダイヤ情報』2016年5月号 解説:結解学 シリーズ車両基地 2016 Vol.30「JR東日本 高崎車両センター」p.62
- 『鉄道ファン』 各年 JR旅客会社の車両配置表(別冊付録も含む)、交友社〈特集:JR車両ファイル〉、「東日本旅客鉄道 機関車 気動車 客車 貨車 高崎運転所→高崎車両センター→高崎車両センター高崎支所→ぐんま車両センター」の頁。
- 電気車研究会・鉄道図書刊行会『鉄道ピクトリアル』2001年9月号「特集:JR高崎・宇都宮線」武内浩一(東日本旅客鉄道㈱新前橋電車区副区長)著 新前橋電車区の概要 p.41
- 電気車研究会・鉄道図書刊行会『鉄道ピクトリアル』2017年8月号「特集:上越線電化70年」
- 伊藤威信著 一九五〇〜六〇年の代 上越線を往来した列車の思い出 p.30
- 祖田圭介(元㈶鉄道総合技術研究所)著 上越線の線路をたどる p.53
- 鉄道ジャーナル社 『鉄道ジャーナル』1983年10月号「特集●輸送の中枢-車両基地」
- 鳥取彰(富士計測器㈱開発部長/もと国鉄本社運転局計画課)著 国鉄車両基地のあゆみ pp.54 - 56
- 国鉄の車両基地一覧 高崎第一機関区 高タカ一 、高崎第二機関区 高タカニ、高崎客車区 高タカ p.67
- 鉄道ジャーナル社 『鉄道ジャーナル』1987年7月号「特集●JR・東日本旅客鉄〈第一部〉」JR東日本の車両基地 高崎運転所 pp.84,85
- 鉄道ジャーナル社 『鉄道ジャーナル』1990年10月号「特集●JRの車両基地'90」小榑宏明(東日本旅客鉄道㈱運輸車両部運用課 課長代理)著 JRの車両基地PART.1 JR東日本 pp.48,49,52
- 朝日新聞出版編『空撮 JR車両基地』JR東日本高崎車両センター高崎支所 朝日新聞出版、2015年、pp.82 - 85 ISBN 978-4-02-331378-1