「インテルナツィオナーレ・ミラノ 2009-10シーズン」の版間の差分
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2024年7月11日 (木) 23:23時点における版
2009-10 シーズン | |||
代表者 | マッシモ・モラッティ | ||
---|---|---|---|
監督 | ジョゼ・モウリーニョ | ||
スタジアム | スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ | ||
セリエA | 1位 (優勝) | ||
コッパ・イタリア | 優勝 | ||
スーペルコッパ・イタリアーナ | 準優勝 | ||
UEFAチャンピオンズリーグ | 優勝 | ||
最多得点者 |
リーグ: ディエゴ・ミリート 22得点 全大会: ディエゴ・ミリート 30得点 | ||
最多観客動員 |
80,018人 対ミラン (2010年1月24日) | ||
最少観客動員 |
8,316人 対リヴォルノ (2009年12月16日) | ||
平均観客動員 | 53,493人 | ||
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インテルナツィオナーレ・ミラノ 2009-10シーズンは、インテルナツィオナーレ・ミラノが主要タイトル三冠を達成したクラブ創設101年目となる2009-10シーズンの成績と所属選手を詳述する。
このシーズンではジョゼ・モウリーニョ監督の元、UEFAチャンピオンズリーグ、セリエA、コッパ・イタリアを制し、3冠(トレブル)を達成[1]。イタリアのサッカーチームとして史上初であり唯一(2024年現在)の達成となっている[2]。
シーズン詳細
このシーズンは、ジョゼ・モウリーニョ監督2年目であり、前シーズンはセリエA4連覇を達成した。
夏の移籍市場では、チームのエースストライカーであったズラタン・イブラヒモヴィッチをFCバルセロナのサミュエル・エトー+移籍金とトレードし[3]、ジェノアCFCからディエゴ・ミリートとティアゴ・モッタ[4][5]、FCバイエルン・ミュンヘンからルシオ[6]、レアル・マドリードからヴェスレイ・スナイデルを獲得した[7]。
2009年8月8日、中国・北京で行われたスーペルコッパ・イタリアーナでSSラツィオ相手に1-2で敗戦[8]。8月23日のセリエA第1節SSCバーリ戦も1-1と引き分けたが[9]、第2節ACミラン戦では4-0と快勝し[10]、第5節までの4連勝を記録した[11]。第6節で敗北したものの、その後も引き分け挟み7連勝を記録[11]。UEFAチャンピオンズリーググループステージでは、2勝3分1敗でなんとか2位通過を決めた。リーグ戦第15節ユヴェントスFC戦に1-2で敗北するも[12]、第27節まで6分を挟んだ6連勝を記録[11]。コッパ・イタリア準々決勝ではユヴェントス2-1で勝利しリベンジを果たした[13]。
冬の移籍市場では、北マケドニア代表のゴラン・パンデフを獲得[14]。
チャンピオンズリーグラウンド16では、チェルシーFCと対戦し2戦合計3-1で突破を決めた。準々決勝ではCSKAモスクワと対戦し2戦合計2-0でベスト4を決めた。準決勝では、前年度王者かつグループステージで1分1敗と負け越していたFCバルセロナと対戦した。第1戦は前半19分に先制されるも、スナイデル、マイコン、ミリートのゴールで逆転勝利を収めた[15]。第2戦では、前半28分にモッタがセルヒオ・ブスケツの顔面をはたいたと判定され退場になり、残り時間を10人で守り切らなければならない状況になってしまった。バルセロナの猛攻を受け、83分にはジェラール・ピケに1点を返されたものの全員で守り切り、2戦合計3-2で決勝進出を果たした[16]。この試合終了後、モウリーニョ監督はピッチを駆け回り、取材では「生涯で最も美しい敗戦。(FCポルト監督時代の)CL優勝の経験より上」と語った[17][18]。
5月5日に行われたコッパ・イタリア決勝ASローマ戦では1-0で勝利し、1つ目のタイトルを獲得[19]。リーグ戦では第28節から7勝2分2敗の成績で、5月16日の最終節に勝利し5年連続18回目のセリエA優勝を決めた[20]。5月22日にエスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウで行われたチャンピオンズリーグ決勝ではFCバイエルン・ミュンヘンと対戦し、ミリートの2ゴールで45年ぶり3度目となる優勝を果たした[21]。
この試合によって、国内リーグ戦(セリエA)、国内カップ戦(コッパ・イタリア)、大陸選手権大会(UEFAチャンピオンズリーグ)を制覇しイタリアのクラブでは史上初となる三冠を達成した。シーズン成績はリーグ戦が38戦24勝10分4敗の勝ち点82の得失点差+41、全公式戦では、57戦37勝13分7敗で得失点差+53であった[11]。全公式戦での個人成績は、ディエゴ・ミリートが30ゴール、サミュエル・エトーが16ゴール、アシストではヴェスレイ・スナイデルが15アシスト、マイコンが12アシストを記録[22]。キャプテンであるハビエルサネッティが55試合で4950分をプレーした[22]。
なお、決勝戦終了後には選手や会長らと抱擁を交わし、涙を流しながら喜んでいたモウリーニョ監督が辞任を表明。後日、レアル・マドリードが違約金を払い、監督に就任した[23]。
所属選手
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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リーグ順位表
順 | チーム | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 差 | 点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | インテル (C) | 38 | 24 | 10 | 4 | 75 | 34 | +41 | 82 |
2 | ASローマ | 38 | 24 | 8 | 6 | 68 | 41 | +27 | 80 |
3 | ACミラン | 38 | 20 | 10 | 8 | 60 | 39 | +21 | 70 |
4 | サンプドリア | 38 | 19 | 10 | 9 | 49 | 41 | +8 | 67 |
UEFAチャンピオンズリーグ
グループステージ
チーム | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 負 | 得 | 失 | 差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
バルセロナ | 11 | 6 | 3 | 2 | 1 | 7 | 3 | +4 |
インテル | 9 | 6 | 2 | 3 | 1 | 7 | 6 | +1 |
ルビン | 6 | 6 | 1 | 3 | 2 | 4 | 7 | -3 |
ディナモ・キエフ | 5 | 6 | 1 | 2 | 3 | 7 | 9 | -2 |
2009年9月16日 20:45 UTC+2 1 | インテル | 0 - 0 | バルセロナ | ミラノ、 スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ |
レポート | 観客数: 77,321 主審: ヴォルフガング・シュタルク (ドイツ) |
2009年9月29日 20:30 UTC+4 2 | ルビン | 1 - 1 | インテル | カザン、チェントラルニ・スタディオン |
ドミンゲス 11分 | レポート | スタンコビッチ 27分 | 観客数: 23,670 主審: テリエ・ハウゲ (ノルウェー) |
2009年10月20日 20:45 UTC+2 3 | インテル | 2 - 2 | ディナモ・キエフ | ミラノ、スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ |
スタンコビッチ 35分 サムエル 47分 |
レポート | ミハリク 5分 ルシオ 40分 (o.g.) |
観客数: 34,721 主審: マーティン・アトキンソン (イングランド) |
2009年11月4日 20:45 UTC+1 4 | ディナモ・キエフ | 1 - 2 | インテル | キエフ、ワレリー・ロバノフスキー |
シェフチェンコ 21分 | レポート | ミリート 86分 スナイデル 89分 |
観客数: 15,900 主審: ベルトラン・ライエク (フランス) |
2009年11月24日 20:45 UTC+1 5 | バルセロナ | 2 - 0 | インテル | バルセロナ、カンプ・ノウ |
ピケ 10分 ペドロ 26分 |
レポート | 観客数: 93,524 主審: マッシモ・ブサッカ (スイス) |
2009年12月9日 20:45 UTC+1 6 | インテル | 2 - 0 | ルビン | ミラノ、スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ |
エトー 31分 バロテッリ 64分 |
レポート | 観客数: 49,539 主審: ピーター・フィンク (オランダ) |
ラウンド16
2010年2月24日 第1戦 | インテル | 2–1 | チェルシー | ミラノ |
ディエゴ・ミリート 3分 エステバン・カンビアッソ 55分 |
サロモン・カルー 51分 | 競技場: スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ 観客数: 78,971 |
準々決勝
2010年4月6日 第2戦 | CSKAモスクワ | 0–1 (0–2 agg.) | インテル | モスクワ |
ヴェスレイ・スナイデル 6分 | 観客数: 54,400 |
準決勝
2010年4月20日 第1戦 | インテル | 3–1 | バルセロナ | ミラノ |
ヴェスレイ・スナイデル 30分 マイコン 48分 ディエゴ・ミリート 61分 |
ペドロ 19分 | 競技場: スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ 観客数: 79,609 |
決勝
2010年5月22日 決勝 | FCバイエルン・ミュンヘン | 0–2 | インテル | マドリード |
ディエゴ・ミリート 35分, 70分 | 競技場: エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ 観客数: 80,354 |
コッパ・イタリア
脚注
- ^ “Mourinho, tears and defiance: the story of Inter's 2009-10 season”. The Guardian (2020年4月20日). 2023年10月23日閲覧。
- ^ “イタリア史上初の3冠から10年…2009-10シーズンのインテルメンバーの現在地”. サッカーキング (2020年5月22日). 2023年10月23日閲覧。
- ^ “「簡単な方法で…」エトー氏を口説きインテルに導いた、モウリーニョ監督の“ある一言”とは?”. サッカーキング (2020年5月17日). 2024年7月11日閲覧。
- ^ “インテル、アルゼンチン代表ミリートを獲得”. ゲキサカ (2009年7月1日). 2024年7月11日閲覧。
- ^ “asahi.com(朝日新聞社):インテル、チアゴ・モッタ獲得を正式発表 - イタリア・セリエA - 海外サッカー - サッカー - スポーツ”. www.asahi.com. 2024年7月11日閲覧。
- ^ “インテル、ブラジル主将ルシオを獲得”. ゲキサカ (2009年7月17日). 2024年7月11日閲覧。
- ^ “レアル・マドリード スナイデルのインテル移籍を発表”. www.afpbb.com (2009年8月29日). 2024年7月11日閲覧。
- ^ “インテルナツィオナーレ・ミラノ - SSラツィオ, 2009/08/08 - スーペルコッパ・イタリアーナ - マッチシート”. www.transfermarkt.jp. 2024年7月11日閲覧。
- ^ “インテルナツィオナーレ・ミラノ - AS Bari, 2009/08/23 - セリエA - マッチシート”. www.transfermarkt.jp. 2024年7月11日閲覧。
- ^ “ACミラン - インテルナツィオナーレ・ミラノ, 2009/08/29 - セリエA - マッチシート”. www.transfermarkt.jp. 2024年7月11日閲覧。
- ^ a b c d “インテルナツィオナーレ・ミラノ - 日程”. www.transfermarkt.jp. 2024年7月11日閲覧。
- ^ “ユヴェントスFC - インテルナツィオナーレ・ミラノ, 2009/12/05 - セリエA - マッチシート”. www.transfermarkt.jp. 2024年7月11日閲覧。
- ^ “インテルナツィオナーレ・ミラノ - ユヴェントスFC, 2010/01/28 - コッパ・イタリア - マッチシート”. www.transfermarkt.jp. 2024年7月11日閲覧。
- ^ “インテル、マケドニア代表のエース獲得”. ゲキサカ (2010年1月7日). 2024年7月11日閲覧。
- ^ “インテルナツィオナーレ・ミラノ - FCバルセロナ, 2010/04/20 - UEFAチャンピオンズリーグ - マッチシート”. www.transfermarkt.jp. 2024年7月11日閲覧。
- ^ “FCバルセロナ - インテルナツィオナーレ・ミラノ, 2010/04/28 - UEFAチャンピオンズリーグ - マッチシート”. www.transfermarkt.jp. 2024年7月11日閲覧。
- ^ “「生涯で最も美しい敗戦」モウリーニョ絶妙采配 - スポニチ Sponichi Annex サッカー”. スポニチ Sponichi Annex. 2024年7月11日閲覧。
- ^ “「モッタが退場した時、バルサは…」10年前のCL準決勝で、モウリーニョは敵将ペップに何を"耳打ち"したのか? | サッカーダイジェストWeb”. www.soccerdigestweb.com. 2024年7月11日閲覧。
- ^ “インテルナツィオナーレ・ミラノ - ASローマ, 2010/05/05 - コッパ・イタリア - マッチシート”. www.transfermarkt.jp. 2024年7月11日閲覧。
- ^ “セリエA速報、インテルが5連覇”. ゲキサカ (2010年5月17日). 2024年7月11日閲覧。
- ^ “インテルナツィオナーレ・ミラノ - バイエルン・ミュンヘン, 2010/05/22 - UEFAチャンピオンズリーグ - マッチシート”. www.transfermarkt.jp. 2024年7月11日閲覧。
- ^ a b “インテルナツィオナーレ・ミラノ - チームスタッツ (詳細画面)”. www.transfermarkt.jp. 2024年7月11日閲覧。
- ^ “モウリーニョ就任はインテル指揮中に決定済だった? レアルがスペイン紙報道を否定”. サッカーキング (2017年6月23日). 2024年7月11日閲覧。
- ^ “Inter 2009/10”. Transfermarkt. 2023年10月23日閲覧。