クリスティアン・キヴ
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インテルでのキヴ (2011年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
クリスティアン・エウジェン・キヴ Cristian Eugen Chivu | |||||
ラテン文字 | Cristian CHIVU | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ルーマニア | |||||
生年月日 | 1980年10月26日(44歳) | |||||
出身地 | レシツァ | |||||
身長 | 184cm | |||||
体重 | 81kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF (CB, LSB) / MF (DH) | |||||
利き足 | 左足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1996-1998 | レシツァ | 23 | (2) | |||
1998-2000 | ウニヴェルシタテア | 32 | (3) | |||
2000-2003 | アヤックス | 107 | (13) | |||
2003-2007 | ローマ | 85 | (6) | |||
2007-2014 | インテル | 115 | (3) | |||
代表歴 | ||||||
1999-2011 | ルーマニア [1] | 75 | (3) | |||
監督歴 | ||||||
2018-2024 | インテルユース | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
クリスティアン・エウジェン・キヴ(Cristian Eugen Chivu、1980年10月26日 - )は、ルーマニア・レシツァ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはDF、MF。元ルーマニア代表。
経歴
[編集]選手時代
[編集]ルーマニアの南西部に位置するレシツァに生まれる。父親は地元のCSMレシツァでコーチを務めていた人でもあり、キヴ自身もCSMレシツァで競技生活をスタートさせる。自然が広がるレシツァで子供の頃はノルディックスキーも好んで親しんでいた[2]。
16歳で地元のクラブCSMレシツァでデビューした。ルーマニアのビッグクラブであるウニヴェルシタテア・クライオヴァを経て18歳6ヶ月でアヤックスへ移籍した。アヤックスでは後にインテルでチームメイトとなるズラタン・イブラヒモビッチやマクスウェル、ヴェスレイ・スナイデルといった選手達と共にプレーする。その後2003年に移籍金1800万ユーロでイタリアのASローマへ移籍。[3]入団直後からフリーキックなどで得点を重ね、目覚しい活躍を見せるもその後スランプが続いた。代表ではEURO2000での活躍が評価され「マルディーニの再来」との評価を得た。
2007年、インテル・ミラノをはじめレアル・マドリードやFCバルセロナなど複数のクラブが獲得に興味を示したが、7月1日にインテルへの移籍が決定した。インテルはキヴの獲得のために1300万ユーロの移籍金とマルコ・アンドレオッリの共同保有権をローマに譲渡した。[4]
インテルでは得意とするフリーキックは同じく名手のヴェスレイ・スナイデルに譲ったため得点は少ないが、センターバックや左サイドバック・センターハーフをこなし、多くの試合に出場した。
2010年1月6日のACキエーヴォ・ヴェローナ戦でキエーヴォのキャプテンセルジオ・ペリッシエと接触し、頭蓋骨を負傷。ヴェローナ市内で緊急手術を行った[3]。復帰後はヘッドギアを着用している。2011年にはASバーリ戦でマルコ・ロッシを殴ったとして4試合の出場停止を科された[5]。
2011年5月21日、インテルの公式サイトを通じてルーマニア代表からの引退を表明している[6]。
2014年3月31日、インテルと契約解除し現役を引退した[7]。
引退後
[編集]2018年、インテルのU-14チーム監督に就任した。
2019年からはU-17、2020年からはU-18を指揮し、2021年からはプリマヴェーラの監督に就任した。指揮官に就任して1年目となる2021-22シーズンにはチームにスクデットをもたらした[8]。
2024年6月7日、プリマヴェーラの監督から退任することをインテルが発表した[8]。
エピソード
[編集]- 少年時代の憧れの選手はパウロ・ソウザ、模範にしている選手はパオロ・マルディーニであると語っている[10]。
- 父親のことを今でも慕い尊敬しているが、キヴが18歳のときに病に冒され死去[2]。
- インテル時代には左サイドバックで起用されることが多く、3冠を達成した2009-10シーズンも左サイドバックとして起用されていたが、本人はセンターバックが本職であると考えている[11]。
- 「古典的なDFが淘汰されたのは古典的なFWが淘汰されたから」という持論を語っており、現代の守備に最も必要なのは先手をいかに多く打てるか、敵の攻め上がりに対していかに予測し即座に対処できるか、という考え方の必要性を説いている[10]。また現代のFWの代表格にして(キヴの現代FWの定義:敏捷でオフ・ザ・ボールの動きを多用する)自身が最も苦手とした選手にアンドリー・シェフチェンコの名を挙げている[10]。
所属クラブ
[編集]- 1996-1998 CSMレシツァ
- 1998-2000 ウニヴェルシタテア・クライオヴァ
- 2000-2003 アヤックス・アムステルダム
- 2003-2007 ASローマ
- 2007-2014 インテルナツィオナーレ・ミラノ
獲得タイトル
[編集]クラブ
[編集]- アヤックス
- エールディヴィジ : 2001-02
- KNVBカップ : 2001-02
- ヨハン・クライフ・シャール : 2002
- ローマ
- コッパ・イタリア : 2006-07
- インテル
- セリエA : 2007-08, 2008-09, 2009-10
- イタリアスーパーカップ : 2008, 2010
- コッパ・イタリア : 2009-10
- UEFAチャンピオンズリーグ : 2009-10
個人
[編集]- マルコ・ファン・バステン賞 : 1999-2000
- エールディヴィジ年間最優秀選手 : 2002
- ルーマニア年間最優秀選手 : 2000, 2002
- UEFAベストイレブン : 2002
脚注
[編集]- ^ “Cristian Chivu - International Appearances” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation
- ^ a b クリスティアン・キヴ「クリスティアン・キヴの「C'S DIARY」」 『WORLD SOCCER DIGEST No.279』 第14巻第22号、日本スポーツ企画出版社、2008年、76-77頁。雑誌 29893-11/20
- ^ a b “キブが骨折、戦線離脱”. uefa.com (2004年7月30日). 2009年2月1日閲覧。
- ^ “UPDATE 1-Soccer-Chivu joins Inter Milan after protracted talks” (英語). REUTERS UK (2007年7月27日). 2009年2月1日閲覧。
- ^ “サッカー=インテルのキブ、暴力行為で4試合の出場停止”. ロイター. (2011年2月5日) 2011年5月22日閲覧。
- ^ “キヴが代表引退を発表”. goal.com. (2011年5月22日) 2011年5月22日閲覧。
- ^ “インテル、キヴとの契約解消を発表”. Goal. (2014年4月1日) 2014年4月1日閲覧。
- ^ a b “Inter thanks Cristian Chivu | Inter.it” (英語). www.inter.it. 2024年6月9日閲覧。
- ^ “Chivu's Roma pride” (英語). uefa.com (2006年11月3日). 2009年2月1日閲覧。
- ^ a b c クリスティアン・キヴ「クリスティアン・キヴの「C'S DIARY」」 『WORLD SOCCER DIGEST No.282』 第15巻第1号、日本スポーツ企画出版社、2009年、74-75頁。雑誌 29891-1/1
- ^ キヴ:「僕はサイドバックじゃない」 - Goal.com 2011年10月14日
外部リンク
[編集]- Official website
- Profile of Cristian Chivu
- Player details at Sky Sports
- UEFA Profile
- Cristian Chivu – FIFA主催大会成績