「アイントラハト・ブラウンシュヴァイク」の版間の差分
編集の要約なし |
m Bot作業依頼: FCディナモ・キーウ改名に伴うリンク修正依頼 (FCディナモ・キーウ) - log |
||
276行目: | 276行目: | ||
| rowspan="3" align=left | [[ UEFAカップ1977-78 | UEFAカップ ]] |
| rowspan="3" align=left | [[ UEFAカップ1977-78 | UEFAカップ ]] |
||
| 1回戦 |
| 1回戦 |
||
| align=left | {{flagicon|URS}} [[FCディナモ・キ |
| align=left | {{flagicon|URS}} [[FCディナモ・キーウ|ディナモ・キエフ]] |
||
| style="text-align:center; background:#ffd;"| 0-0 |
| style="text-align:center; background:#ffd;"| 0-0 |
||
| style="text-align:center; background:#ffd;"| 1-1 |
| style="text-align:center; background:#ffd;"| 1-1 |
2024年7月11日 (木) 22:50時点における版
アイントラハト・ブラウンシュヴァイク | ||||
---|---|---|---|---|
原語表記 |
Eintracht Braunschweig Turn-und Sportverein Eintracht von 1895 | |||
クラブカラー | 黄と青 | |||
創設年 | 1895年 | |||
所属リーグ | ドイツ・ブンデスリーガ | |||
所属ディビジョン | 2部 | |||
ホームタウン | ブラウンシュヴァイク | |||
ホームスタジアム | アイントラハト・シュタディオン | |||
収容人数 | 23,500 | |||
代表者 | マルク・アルノルト | |||
監督 | マルコ・アントワープ | |||
公式サイト | 公式サイト | |||
| ||||
■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
アイントラハト・ブラウンシュヴァイク(ドイツ語: Eintracht Braunschweig)は、ドイツの北西部、ニーダーザクセン州の都市ブラウンシュヴァイクを本拠地とする総合スポーツクラブである。サッカー部門はかつてブンデスリーガで優勝した経験もある古豪であり、2023-24シーズンは2. ブンデスリーガに所属している。サッカー以外にも、バスケットボール、ハンドボール、水泳、水球など様々なスポーツ部門を抱える。近郊のクラブであるハノーファー96とライバル関係にある。
クラブの歴史
1895年、サッカーとクリケットのスポーツクラブ「FUCCアイントラハト1895」として創設された[1]。1906年に「FCアイントラハト1895」、1920年に「SVアイントラハト・ブラウンシュヴァイク」とクラブ名を改称した[1]。第二次世界大戦後の1945年4月2日にクラブは解散を命じられたが、同年11月2日に「TSVブラウンシュヴァイク」として再編。4年後の1949年4月1日にかつての名称である「SVアイントラハト・ブラウンシュヴァイク」に改称した[1]。
ブラウンシュヴァイクは、1963年のブンデスリーガ発足時の16クラブの一つである[2]。1966-67シーズンには堅固な守備に支えられ、ブンデスリーガ最少失点で(34試合、27失点)リーグ優勝を果たした[2]。当時のキャプテンであったヨアヒム・ベーゼは元々ストライカーとしてプレイしていたがチーム都合でポジションを下げ、フランツ・ベッケンバウアー以前にリベロのスタイルで活躍した[2]。1973年、当時の会長の友人が社長を務めていたイエーガーマイスター社を胸スポンサーに採用した[3]。ユニフォームに広告を掲載することはまだ解禁されていなかったが、クラブのロゴをイエーガーマイスター社のものに変更し胸に付けることにより、ブンデスリーガで初めてユニフォームにスポンサーを付けたクラブとなった[3]。
1985年に2部へ降格すると、長年のスポンサーだったイエーガーマイスター社が離れ、2年後の1987年には3部へ降格してしまう[3]。再び1993年に3部へ降格した際は、選手にプロとしての給料が払えなくなる財政的な危機に陥るが、半数の選手がクラブに残り働きながらプレーを続けた[3]。その後、2部と3部を行き来する暗黒時代が続くが、3部での平均観客が約9000人、2部では2万人弱のサポーターが来場しクラブを支えた[3]。2012-13シーズンには2部で2位となり、28年ぶりに1部昇格を果たした[2]。しかし1部の壁は厚く、2013-14シーズンでは最下位となり1シーズンで2部へ降格することになった。
タイトル
国内タイトル
- ブンデスリーガ :1回
- 1966-67
- 北ドイツ選手権 :2回
- 1908, 1913
- ガウリーガ・ハノーファー南部=ブラウンシュヴァイク :2回
- 1943, 1944
- オーバーリーガ・ニーダーザクセン南部 :2回
- 1946, 1947
- オーバーリーガ・ハノーファー南部/ブラウンシュヴァイク :2回
- 1924, 1925
- ブラウンシュヴァイク地区リーグ :13回
- 1905, 1906, 1907, 1908, 1909, 1910, 1911, 1912, 1913, 1916, 1917, 1918, 1920
- レギオナルリーガ北部(2部リーグに相当): 1回
- 1973-74
- アマチュア=オーバーリーガ・ニーダーザクセン東部: 1回
- 1953
- 3. リーガ: 1回
- 2010-11
- レギオナルリーガ北部: 1回
- 1974
- レギオナルリーガ北部(3部リーグに相当): 1回
- 2004-05
- アマチュア=オーバーリーガ・北部: 1回
- 1988
- ニーダーザクセン・ポカール :2回
- 2004, 2011
国際タイトル
- UEFAインタートトカップ グループ優勝 :7回
- 1968, 1970, 1971, 1972, 1975, 1978, 1979
過去の成績
シーズン | ディビジョン | DFBポカール | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
リーグ | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 点 | 順位 | ||
2008-09 | ブンデスリーガ3部 | 38 | 12 | 9 | 17 | 46 | 51 | 45 | 13位 | |
2009-10 | ブンデスリーガ3部 | 38 | 17 | 11 | 10 | 55 | 37 | 62 | 4位 | 1回戦敗退 |
2010-11 | ブンデスリーガ3部 | 38 | 26 | 7 | 5 | 81 | 22 | 85 | 1位 | 1回戦敗退 |
2011-12 | ブンデスリーガ2部 | 34 | 10 | 15 | 9 | 37 | 34 | 45 | 8位 | 1回戦敗退 |
2012-13 | ブンデスリーガ2部 | 34 | 19 | 10 | 5 | 52 | 34 | 67 | 2位 | 2回戦敗退 |
2013-14 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 6 | 7 | 21 | 29 | 60 | 25 | 18位 | 1回戦敗退 |
2014-15 | ブンデスリーガ2部 | 34 | 15 | 5 | 14 | 44 | 41 | 50 | 6位 | ベスト16 |
2015-16 | ブンデスリーガ2部 | 34 | 12 | 10 | 12 | 44 | 38 | 46 | 8位 | ベスト16 |
2016-17 | ブンデスリーガ2部 | 34 | 19 | 9 | 6 | 50 | 36 | 66 | 3位 | 1回戦敗退 |
2017-18 | ブンデスリーガ2部 | 34 | 8 | 15 | 11 | 37 | 43 | 39 | 17位 | 1回戦敗退 |
2018-19 | ブンデスリーガ3部 | 38 | 10 | 15 | 13 | 48 | 54 | 45 | 16位 | 1回戦敗退 |
2019-20 | ブンデスリーガ3部 | 38 | 18 | 10 | 10 | 64 | 53 | 64 | 3位 | |
2020-21 | ブンデスリーガ2部 | 34 | 7 | 10 | 17 | 30 | 59 | 31 | 17位 | 2回戦敗退 |
2021-22 | ブンデスリーガ3部 | 36 | 18 | 10 | 8 | 61 | 36 | 64 | 2位 | 1回戦敗退 |
2022-23 | ブンデスリーガ2部 | 34 | 9 | 9 | 16 | 42 | 59 | 36 | 15位 | 2回戦敗退 |
2023-24 | ブンデスリーガ2部 | 34 | 位 | 1回戦敗退 |
- 出典[4]
|
|
欧州の成績
シーズン | 大会 | ラウンド | 対戦相手 | ホーム | アウェー | プレーオフ | 合計 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1967-68 | UEFAチャンピオンズカップ | 1回戦 | ディナモ・ティラナ | — | — | (w/o) | ||
2回戦 | ラピード・ウィーン | 2-0 | 0-1 | 2-1 | ||||
準々決勝 | ユヴェントス | 3-2 | 0-1 | 0-1 | 3-4 | |||
1971-72 | UEFAカップ | 1回戦 | グレントラン | 6-1 | 1-0 | — | 7-1 | |
2回戦 | アスレティック・ビルバオ | 2-1 | 2-2 | 4-3 | ||||
3回戦 | フェレンツヴァーロシュ | 1-1 | 2-5 | 3-6 | ||||
1976-77 | UEFAカップ | 1回戦 | ホルベック | 7-0 | 0-1 | 7-1 | ||
2回戦 | エスパニョール | 2-1 | 0-2 | 2-3 | ||||
1977-78 | UEFAカップ | 1回戦 | ディナモ・キエフ | 0-0 | 1-1 | 1-1 (a) | ||
2回戦 | IKスタルト | 4-0 | 0-1 | 4-1 | ||||
3回戦 | PSV | 1-2 | 0-2 | 1-4 |
現所属メンバー
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
|
|
※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。
ローン移籍
- in
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
|
|
- out
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
|
歴代監督
- エトムント・コーネン 1952−1956
- ヨアヒム・シュトライヒ 1990-1991
- ベーノ・メールマン 2007-2008
- トルステン・リーバークネヒト 2008-2018
- ヘンリク・ペデルセン 2018
- アンドレ・シューベルト 2018-2019
- マルコ・アントワープ 2019-
歴代所属選手
- ヴォルフガング・ドレムラー 1973-79
- トビアス・ラウ 1999-2001
- パウル・ブライトナー 1977-1978
- 風間八宏 1988-1989
- イーゴリ・ベラノフ 1991-1995
その他のスポーツ
クラブはサッカー以外にもバスケットボール、ハンドボール、ホッケー、水泳、水球、テニス、体操、ウィンタースポーツなどのスポーツ部門を保有する[6]。
ホッケー
ホッケー部門は1924年に創設された。クラブの女子ホッケー部門は1960年代から1970年代にかけて、ドイツ選手権で6回 (1965, 1969, 1974, 1975, 1976, 1978) 、ドイツ室内選手権で3回 (1973, 1974, 1975) 優勝するなどドイツのホッケー界を牽引した[7]。
バスケットボール
バスケットボール部門は1956年に創設された。クラブの女子部門は2013-14シーズンから2. 女子バスケットボール・ブンデスリーガに所属している[8]。
参考文献
- カイ・サワベ 「ブラウンシュバイク オレ達にはオレ達の楽しみ方がある」『Sports Graphic Number』 835号 文藝春秋、2013年9月5日発行、60 - 63頁。
脚注
- ^ a b c “chronik”. Eintracht Braunschweig. 2014年8月14日閲覧。
- ^ a b c d サワベ 2013, p. 62.
- ^ a b c d e サワベ 2013, p. 63.
- ^ “Eintracht Braunschweig”. Fussballdaten. 2014年9月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月30日閲覧。
- ^ “Kader”. Eintracht Braunschweig. 2023年12月8日閲覧。
- ^ “優勝経験ある古参、再建目指す”. ブンデスリーガ公式ウェブサイト. 2014年8月14日閲覧。
- ^ “SPORTANGEBOTE // Hockey // Geschichte”. Eintracht Braunschweig. 2014年8月14日閲覧。
- ^ “SPORTANGEBOTE // Basketball”. Eintracht Braunschweig. 2014年8月14日閲覧。