「弥助」の版間の差分
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{{告知|ローカルルール|加筆前に必ずノートで議論し、確定した内容のみ記事に反映させること。<br>編集にあたっては、ノートページ上部のローカルルールを必ずお読みください。|date=2024年9月}} |
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{{For|アニメ作品|Yasuke -ヤスケ-}} |
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{{Infobox 人物 |
{{Infobox 人物 |
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| 氏名 = 弥助 |
| 氏名 = 弥助 |
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| ふりがな = やすけ |
| ふりがな = やすけ |
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| 画像説明 = |
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| 時代 = [[戦国時代 (日本)|戦国時代]] - [[安土桃山時代]] |
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| 生年月日 = 不詳<!--1554年頃?--> |
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| 生年月日 = 1550年代?{{efn|『信長公記』の1581年の記述に「年の齢廿六・七と見えたり」とある{{sfnm|岡田|1999|1p=99|藤田|2005|2p=4}}ことによる。[[数え年]]で26なら1556年生まれ、27なら1555年生まれとなる。}} |
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| 生誕地 = [[ポルトガル領東アフリカ]] |
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| 生誕地 = [[モザンビーク]]? |
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| 没年月日 = 不 |
| 没年月日 = 没年不明 |
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| 死没地 = |
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| 職業 = [[織田信長]]の従者{{sfn|岡田|1999|p=420}} |
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'''弥助'''(やすけ、[[生没年不詳]])は、[[安土桃山時代]]の日本に渡来した[[黒人]]男性。[[宣教師]]から[[織田信長]]へと進呈され、信長が死去するまでの約15か月間、彼に仕えた。名は'''弥介'''<ref name="盛本">{{Citation|和書|last=盛本|first=昌広|author-link=盛本昌広|year=2022|origyear=1999|title=家康家臣の戦と日常 松平家忠日記をよむ|publisher=KADOKAWA|series=[[角川ソフィア文庫]]|isbn=978-4-04-400714-0|pages=56–59}}</ref>(彌介{{sfnm|藤田|2005|1pp=1–9|2a1=ソウザ|2a2=岡|2y=2021|2p=215}})とも書かれる。 |
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'''弥助'''{{efn|name="yasu"|弥助、弥介、また旧字での彌助、彌介は、どれも同じ。同音異字の置き換えは江戸時代にはよく見られた。}}(やすけ、[[生没年不詳]])は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の日本に渡来した[[ネグロイド|黒人]]男性。[[宣教師]]の[[奴隷]]として[[戦国大名]]・[[織田信長]]に謁見して気に入られたことで、宣教師から信長に進呈された。信長が死去するまでの15か月間、信長に仕えた。 |
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== 生涯 == |
== 生涯 == |
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[[ファイル:Namban-10.jpg|180px|thumb|『南蛮屏風』([[狩野内膳]]画)。黒人の従者と象使いが描かれている{{sfn|藤田|2005|pp=21–25}}。]] |
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[[file:Namban-10.jpg|180px|thumb|『南蛮屏風』([[狩野内膳]]画)。黒人の従者と象使いが描かれている{{sfn|藤田|2005|pp=21–25}}。]] |
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⚫ | 弥助は[[モザンビーク]]の出身で{{sfn|藤田|2005|pp=56}}、[[イエズス会]]の[[イタリア人]]巡察師{{sfn|松田|1965|pp=23–34}}[[アレッサンドロ・ヴァリニャーノ]]が来日する際に[[インド]]から連れてきたという{{sfn|藤田|2005|pp=56}}<ref>{{Cite book|url=https://books.google.co.jp/books?ei=eJjFUe3tK4SEkgXlxoGICQ&hl=ja&id=pQE_AAAAcAAJ&dq=&jtp=444#v=onepage&q&f=false |title=Histoire Ecclesiastique Des Isles Et Royaumes Du Japon|volume=1 |page=444 |author=François Solier |publisher=Cramoisy |year=1627}}</ref>。 |
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⚫ | 弥助 |
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ヴァリニャーノは[[1574年]]3月に[[ポルトガル王国|ポルトガル]]を出発し、7月にモザンビークへ、その後9月にインドの[[ゴア州|ゴア]]に到着した{{sfn|松田|1965|p=34}}。[[1577年]]9月までインドで巡察を行った後、[[マラッカ]]や[[マカオ]]に滞在し、[[1579年]]7月に日本へと出発する{{sfn|松田|1965|pp=34–40}}。 |
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戦国時代、[[ポルトガル王国|ポルトガル]]や[[スペイン帝国|スペイン]]など[[ヨーロッパ]]人が日本を訪れるようになり、[[アフリカ]]出身の者たちも、従者または[[奴隷]]として連れてこられていた<ref>{{Cite web |title=第2章 日本に渡ったアフリカ人 |url=https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/14/2.html |website=「本の万華鏡」第14回「アフリカの日本、日本のアフリカ」 |access-date=2024-06-09 |language=ja}}</ref>。弥助もそのような一人と見られる。 |
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[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]には、ポルトガルや[[スペイン帝国|スペイン]]など[[ヨーロッパ]]の船が日本を訪れるようになっており、[[アフリカ]]出身の人々も、従者または[[奴隷]]として連れてこられていた<ref>{{Cite web |title=第2章 日本に渡ったアフリカ人 |url=https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/14/2.html |website=本の万華鏡 第14回 アフリカの日本、日本のアフリカ |publisher=[[国立国会図書館]] |access-date=2024-09-16 |language=ja}}</ref>。[[1546年]]に日本に来航したポルトガル人船長[[ジョルジ・アルヴァレス#同姓同名の人物|ジョルジ・アルヴァレス]]は、船員もしくは下僕として黒人を連れていたとみられ、[[1548年]]11月付の[[フランシスコ・ザビエル]]宛ての報告で、日本人は黒人を見ることを喜び、100キロメートル近く離れた場所からも見にくると記している{{sfn|藤田|2005|pp=1–2}}。この後、日本側の記録に黒人が登場するのは、[[1581年]]([[天正]]9年)の『[[信長公記]]』における弥助の記述が最初となる{{sfn|藤田|2005|pp=3–4}}。 |
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ヴァリニャーノは日本に来る前にモザンビークに寄港した{{sfn|クラツセ|1925|pp=427-430}}後インドに長く滞在していた経験があり、弥助が直接ヴァリニャーノによってモザンビークから連れてこられたのか、それとも先行してインドに渡っていたのかはこの文章からは不明である。 |
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===日 |
=== 来日後の弥助 === |
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1579年7月25日(天正7年7月2日)に[[島原半島]]南端の[[口之津港|口ノ津]]に到着したヴァリニャーノは、その後、[[豊後国]]に移り{{sfn|松田|1965|pp=53, 68, 85}}、1581年3月8日(天正9年2月4日)、[[畿内]]に向け出発した{{sfnm|松田|1965|1p=91|藤田|2005|2p=7}}。豊後を出たヴァリニャーノに同行したのは、[[ルイス・フロイス]]やロレンソ・メシア(メシヤ)ら4人の[[司祭]]と3人の[[修道士]]、そして黒人で{{sfnm|松田|1965|1p=91|藤田|2005|2p=7}}、これが弥助とされる{{sfn|藤田|2005|p=7}}。 |
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[[天正]]9年[[2月23日 (旧暦)|2月23日]]([[1581年]][[3月27日]])に、ヴァリニャーノが[[織田信長]]に謁見した際に奴隷として引き連れていた<ref name="p420421">{{Harvnb|岡田|1999|loc=pp.420-421}}</ref>。『[[信長公記]]』には「切支丹国より、'''黒坊主'''参り候」と記述され、年齢は26歳 - 27歳ほどで、「十人力の剛力」、「牛のように黒き身体」と描写されている<ref>{{Harvnb|近藤瓶城|1926|ref=c19|loc=p.204}}。{{Harvnb|太田|中川|2013|loc=p.259}}</ref>。 |
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ヴァリニャーノたちは1581年3月17日(天正9年2月13日)に[[堺]]に到着し、その2日後に堺を出ようとしたが、その際、非常に背の高いヴァリニャーノと黒人の弥助を見るために、群衆が待ち受けていた<ref name="フロイス0414">1581年4月14日付ルイス・フロイス書簡。</ref>{{sfnm|村上|1943|1p=127|松田|1965|2p=93|藤田|2005|3p=7}}。これにより、ヴァリニャーノたちが狭い場所を通る際、道端の店が荒らされることになったという<ref name="フロイス0414" />{{sfnm|村上|1943|1p=127|松田|1965|2p=93|藤田|2005|3p=7}}。 |
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天正9年[[3月11日 (旧暦)|3月11日]](1581年[[4月14日]])付で[[ルイス・フロイス]]がイエズス会本部に送った年報や、同時期のロレンソ・メシヤの書簡によれば、[[京都]]で黒人がいることが評判になり、見物人が殺到して喧嘩、投石が起き、重傷者が出るほどだった。初めて黒人を見た信長は、肌に墨を塗っているのではないかとなかなか信用せず、着物を脱がせて体を洗わせたところ、彼の肌は白くなるどころかより一層黒く光ったという<ref name="p384"/>{{efn|『イエズス会日本年報』が初出。前述のソリエの『日本教会史』やそれを受けたクラツセの『日本西教史』も年報を出典としている。}}<ref name="p420421" />{{sfn|藤田|2005|pp=4–5}}。 |
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1581年3月26日(天正9年2月22日)、ヴァリニャーノ一行が織田信長との謁見のため[[京都]]に入ると、黒人の噂はたちまち広まって群衆が[[南蛮寺]]へと殺到し、投石のため負傷者が出て、死者も出そうになった<ref name="フロイス0414" />{{sfnm|村上|1943|1pp=131–132|松田|1965|2pp=97–98|藤田|2005|3pp=4–5}}。その噂を聞いた信長の招きを受けて、3月27日(和暦2月23日)、都の[[教区長]]である{{sfn|松田|1965|p=95}}[[オルガンティーノ]]が弥助を連れて、信長の滞在する[[本能寺]]に赴いた<ref name="フロイス0414" />{{sfnm|村上|1943|1pp=131–132|松田|1965|2p=98|藤田|2005|3pp=4–5}}。 |
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イエズス会日本年報には、本当に彼の肌が黒いことに納得した信長はこの黒人に大いに関心を示し、ヴァリニャーノに交渉して譲ってもらった。また、京都の民衆の間では信長は弥助を気に入っていて、ゆくゆくは殿にするつもりなのではないかと噂になっていた<ref name="nempo"/>。また、[[金子拓]]によると、『信長公記』の筆者である[[太田牛一]]末裔の加賀大田家に伝わった自筆本の写しと推測される写本([[尊経閣文庫]]所蔵)には、この黒人・弥助が私宅と鞘巻(腰刀の一種)を与えられ、時には道具持ちをしていたという記述があるという<ref>「織田信長という歴史 『信長記』の彼方へ』、勉誠出版、2009年、311-312頁。</ref>。 |
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その時の様子が『信長公記』巻十四に記されている{{sfnm|太田|1921|1p=204|松田|1965|2p=99|藤田|2005|3p=4}}。そこには「二月廿三日、きりしたん国より'''黒坊主'''参り候。年の齢廿六、七と見えたり。惣の身の黒き事、牛の如し。彼の男、健やかに、器量なり。しかも、強力十の人に勝たり」とある{{sfn|藤田|2005|p=4|ps=. 藤田の引用元は、[[桑田忠親]]校注『改訂信長公記』(新人物往来社、1978年).}}。ルイス・フロイスやロレンソ・メシアの書簡によると、信長はその肌が墨を塗ったものでなく自然のものであると信じずに、帯から上の着物を脱がせたという<ref>1581年4月14日付ルイス・フロイス書簡、1581年10月8日付ロレンソ・メシヤ書簡。</ref>{{sfnm|村上|1943|1pp=132, 185–186|松田|1965|2p=98|岡田|1999|3p=421|藤田|2005|4pp=4–5}}。さらに信長が体を洗わせたところ、白くなるどころか一層黒くなったとされる{{sfnm|松田|1965|1p=98|藤田|2005|2p=5}}。 |
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『[[家忠日記]]』の天正10年4月19日([[1582年]][[5月11日]])付けの記述には「上様{{efn|name="ue"|この文脈では天下様の意味で、ここでは[[天下人]]・織田信長を意味する。松平家忠は「殿様」である徳川家康に仕える陪臣である。}}御ふち候、大うす(デウス)進上申候、'''くろ男'''御つれ候、身ハすみノコトク、タケハ六尺二分、名ハ弥助ト云(信長様が、扶持を与えたという、宣教師から進呈されたという、黒人を連れておられた。身は墨のようで、身長は約1.82メートル、名は弥助と云うそうだ)」とその容貌が記述されている{{sfn|松平|1897|p=54|}}。これは[[甲州征伐]]後の信長の視察に弥助が随行していた際の帰還途上に、信長一行が徳川領を通った時に[[徳川家康|家康]]の家臣である[[松平家忠]]が目撃したものである。 |
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メシアによると、弥助は日本語を多少話すことができた<ref name="メシヤ">1581年10月8日付ロレンソ・メシヤ書簡。</ref>{{sfnm|村上|1943|1pp=185–186|松田|1965|2p=99|岡田|1999|3p=421|藤田|2005|4p=6}}。また、力が強く、少しの芸ができたため、信長は喜んで庇護し、弥助に人を付けて市内を巡らせたという<ref name="メシヤ" />{{sfnm|村上|1943|1pp=185–186|松田|1965|2p=99|岡田|1999|3p=421|藤田|2005|4p=6}}。弥助の姿を見た者の中には、信長は弥助を「殿(Tono)」にするだろうと言う者もいたとされる<ref name="メシヤ" />{{sfnm|村上|1943|1pp=185–186|岡田|1999|2p=421|藤田|2005|3p=6}}。また、『信長公記』尊経閣十五冊本{{efn|[[尊経閣文庫]]に所蔵される写本の一つ{{sfn|金子|2009|p=293}}。[[金子拓]]は、成立時期の遅い伝本で削除された信長の身の回りの細々とした記述が見られることなどから、初期の稿本が元になったとしている{{sfn|金子|2009|pp=313–314, 380}}。なお、弥助に関わることなど、尊経閣十五冊本でのみ見られる記述については、書写過程で加えられた可能性もある{{sfn|金子|2009|pp=295–313}}。}}には、この「黒坊」が「'''弥助'''」と号したことや、扶持や「さや巻之のし付{{efn|『精選版 日本国語大辞典』などで「鞘巻」は腰刀の一種とされる<ref>{{Cite Kotobank|word=鞘巻|access-date=2024-09-16}}</ref>。『信長公記』巻十二に記載される「さやまきののし付」{{sfn|太田|1921|p=159}}は、中川太古による現代語訳では「金銀飾りの鞘巻き」とされている{{sfn|太田|中川|2013|p=339}}。}}」ならびに私宅を与えられ、時には「御道具」などを持たせられたとの記述がある{{sfn|金子|2009|pp=311–312}}。 |
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===本能寺の変=== |
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イエズス会によると、天正10年[[6月2日 (旧暦)|6月2日]](1582年[[6月21日]])の[[本能寺の変]]の際、弥助は[[明智光秀]]の襲撃に遭遇すると、信長の嫡男の[[織田信忠]]の宿舎であった[[妙覚寺 (京都市)|妙覚寺]]にて戦った末に投降して捕縛されたとされる。『イエズス会日本年報』には、「ビジタドール(巡察師)が信長に贈った'''黒奴'''が、信長の死後世子の邸に赴き、相当長い間戦ってゐたところ、明智の家臣が彼に近づいて、恐るることなくその刀を差出せと言ったのでこれを渡した。家臣に弥助をどう処分するかを聞かれた光秀は、『黒奴は[[動物]]で何も知らず、また[[日本人]]でもない故、これを殺さず』として、『インドのパードレ{{efn|「パードレ」は父の意味だが、ここでは伴天連、つまり[[神父]]達をさす。}}の聖堂に置け』と命じた」という記録がある<ref name="p420421" />。このため弥助は[[南蛮寺#都の南蛮寺(1576年)|南蛮寺]]に送られて命拾いした<ref name="p420421" /><ref name="nempo">{{Citation |和書|author1=村上直次郎|author2=柳谷武夫(訳)|year=2002| title =イエズス会日本年報 上|series=新異国叢書| |publisher =雄松堂出版 |ISBN=484191000X}}{{要ページ番号|date=2019-04-23}}</ref>。 |
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1581年5月14日(天正9年4月12日)、ルイス・フロイスが修道士や信者、黒人と共に[[越前国]]の[[北ノ庄|北庄]]に赴いた{{sfn|藤田|2005|pp=7–8}}。藤田みどりは、京都に来た黒人は弥助が初めてだったとの記録があることなどから、この黒人を弥助としている{{sfn|藤田|2005|pp=7–8}}。越前に向かう途中の[[長浜市|長浜]]では、黒人だけでなく白人が来たのも初めてだったため大きな騒ぎとなり、宿舎とされた家にフロイスらが入ると、黒人を見ようとした群衆がその戸を破って入ってくるということが3、4度起きたという<ref>1581年5月19日付ルイス・フロイス書簡。</ref>{{sfnm|村上|1943|1pp=140–141|藤田|2005|2pp=7–8}}。その後、北庄に滞在したフロイスら一行は5月30日(和暦4月28日)に京都に戻った{{sfn|藤田|2005|pp=7–8}}。 |
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尚、本能寺の変を信忠に知らせたのは[[村井貞勝|村井貞勝(春長軒)]]とされており<ref>{{Cite web |title=改訂 信長公記/[太田牛一著] ; 桑田忠親校注/新人物往来社/ |url=https://www.book61.co.jp/book.php/N89766 |website=六一書房 |access-date=2024-06-11 |language=ja}}</ref>、弥助が知らせたという記録はなく、本能寺の変における弥助についての記録は『イエズス会日本年報』以外には記されていない。 |
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次に弥助の記述が現れるのは、[[徳川家康]]の家臣・[[松平家忠|松平主殿助]]の著した『[[家忠日記]]』天正10年4月19日([[1582年]]5月11日)条においてである{{sfn|藤田|2005|pp=6, 8}}。[[甲州征伐]]からの帰途、織田信長が徳川家康の支配地を訪れた時の記録で<ref name="盛本" />{{sfn|藤田|2005|p=6}}、そこには「上様御ふち候大うす進上申候、'''くろ男'''御つれ候、身ハすみノコトク、タケハ六尺二分、名ハ'''弥介'''{{efn|[[1897年]]([[明治]]30年)の覆刻版<ref>{{Citation|和書|last=岩沢|first=愿彦|author-link=岩沢愿彦|year=1967|title=家忠日記の原本について|journal=東京大学史料編纂所報|issue=2|url=https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/syoho/2/}}</ref>では「弥助」と書かれる{{sfn|松平|1897|loc=53丁表}}<ref>{{Citation|和書|editor-last=柴田|editor-first=顕正|editor-link=柴田顕正|year=1934|title=岡崎市史別巻 徳川家康と其周囲 中巻|publisher=[[岡崎市]]役所|id={{全国書誌番号|46079204}}|url={{NDLDC|1170606/243}}|page=440}}</ref>。}}ト云」と記されている<ref name="盛本" />{{sfn|藤田|2005|p=6}}。 |
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又、イエズス会報告書には「世子(信忠)は此報を聞き、まだ床に就いていたが起出で、滞在していた寺院(妙覚寺)は安全でないと考へ、駆け付けた人々と共に附近にあった内裏の御子の居(二条新御所)に赴いた。」と記録されている<ref>{{Cite web |title=国立国会図書館デジタルコレクション |url=https://dl.ndl.go.jp/pid/1041119/1/163 |website=dl.ndl.go.jp |access-date=2024-07-01}}</ref>。 |
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=== |
=== 本能寺の変 === |
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天正10年6月2日(1582年6月21日)、京都本能寺に滞在する織田信長を[[明智光秀]]の軍勢が襲う[[本能寺の変]]が起きた{{sfn|岡田|1999|pp=76, 374–377}}。変の際の弥助について、信長の死後、その嫡男である[[織田信忠|信忠]]のもとへと駆け付け、そこで戦った末、明智方に降伏したとされている{{sfn|藤田|2005|pp=8–9}}。『イエズス会日本年報』には、「ビジタドール(巡察師)が信長に贈った'''黒奴'''が、信長の死後世子の邸{{efn|『イエズス会日本年報』には、変が起きた当初「世子の邸」「寺院」にいた信忠が、付近にあった「内裏の御子の居」に移ったと記されている{{sfn|村上|1943|p=257}}。この時の信忠の動きとしては、宿所としていた[[妙覚寺 (京都市)|妙覚寺]]から隣接する[[二条新御所|二条御所]]に移って明智軍と戦ったことが知られている{{sfn|岡田|1999|pp=374-377}}。}}に赴き、相当長い間戦ってゐたところ、明智の家臣が彼に近づいて、恐るることなくその刀を差出せと言ったのでこれを渡した」とある<ref name="フロイス1105">1582年11月5日付ルイス・フロイス書簡。</ref>{{sfnm|村上|1943|1p=258|岡田|1999|2pp=420–421|藤田|2005|3pp=8–9}}。また、家臣に弥助をどう処分すべきか聞かれた光秀は、「黒奴は動物で何も知らず、また日本人でもない故、これを殺さず」として、「インドのパードレの聖堂に置け」と命じたという<ref name="フロイス1105" />{{sfnm|村上|1943|1p=258|岡田|1999|2pp=420–421|藤田|2005|3pp=8–9}}。 |
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南蛮寺に預けられて以降の弥助の消息については、いずれの史料にも記されておらず、全く分かっていない。 |
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その後の弥助の消息については一切不明である{{sfn|藤田|2005|p=9}}。 |
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なお、その後の他地域の史料の中には、黒人が登場するものがいくつかあり、弥助以外にも黒人が来日していたことが伺える。フロイスの『[[フロイス日本史|日本史]]』では、[[沖田畷の戦い]]にて[[有馬氏|有馬]]方に大砲を扱える黒人がいるとの記述がある。[[慶長]]10年([[1605年]])頃に描かれた『相撲遊楽図屏風』には、肌の黒い男と髷を結った[[力士]]が相撲を取る様子が描かれている。 |
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=== 弥助以後 === |
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その後の文献にも黒人の描写はあり、弥助の記録が途絶えた後にも黒人が来日していた様子がうかがえる。 |
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[[1584年]](天正12年)、[[島原市|島原]]において[[有馬晴信]]と[[龍造寺隆信]]の戦いが起きた([[沖田畷の戦い]]){{sfnm|村上|1943|1p=433|藤田|2005|2pp=10–11}}<!--藤田は1583年とするが、村上等に従い1584年に修正。-->。フロイスの『[[フロイス日本史|日本史]]』や『イエズス会日本年報』所収の報告書によると、その戦いの際、有馬方に大砲があったものの、それを扱える者がいなかった{{sfnm|村上|1943|1p=433|藤田|2005|2pp=10–11}}<ref name="日本史10" />。そのため、その場に居合わせたアフリカ黒人が砲弾を装填し、インドのマラバル人が点火を行い発射したという{{sfnm|村上|1943|1p=433|藤田|2005|2pp=10–11}}<ref name="日本史10">{{Citation|和書|author=ルイス・フロイス|translator=松田毅一・[[川崎桃太]]|year=2000|title=完訳フロイス日本史10 大村純忠・有馬晴信篇II 大村・竜造寺の戦いと有馬晴信の改宗|publisher=中央公論新社|series=[[中公文庫]]|isbn=978-4-12-203589-8|pages=284–285}}</ref>。 |
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[[1593年]]([[文禄]]2年)、肥前[[名護屋城|名護屋]]にて[[豊臣秀吉]]がポルトガル人総司令官([[カピタン・モール]])のガスパル・ピント・ダ・ロシャを引見した{{sfn|藤田|2005|p=11}}。カピタンは「金色の槍を携えたカフル人{{efn|「カフル(cafre)」はアフリカ東海岸、特にモザンビーク周辺を指す言葉{{sfn|ソウザ|岡|2021|p=17}}。文献上、弥助も「カフル人(cafre)」と記されている{{sfn|ソウザ|岡|2021|p=30}}。}}を護衛として」連れており、太鼓と笛を持った赤い衣装の黒人たちは秀吉の望みにより踊りを披露した{{sfn|藤田|2005|p=11}}<ref name="日本史3" />。秀吉は彼ら一人一人に、自らの手で褒美として白い帷子を与えている(『日本史』){{sfn|藤田|2005|p=11}}<ref name="日本史3">{{Citation|和書|author=ルイス・フロイス|translator=松田毅一・川崎桃太|year=2000|title=完訳フロイス日本史3 織田信長篇III 安土城と本能寺の変|publisher=中央公論新社|series=中公文庫|isbn=4-12-203582-1|pages=317–318}}</ref>。 |
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== 登場作品 == |
== 登場作品 == |
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;小説等 |
;小説等 |
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* 『くろ助』([[岩崎書店]]、1968年 |
* 『くろ助』([[岩崎書店]]、1968年)<ref name="100選" />★ - [[来栖良夫]]による[[児童文学]]作品<ref name="100選">{{Cite web|和書|url=http://www.iiclo.or.jp/100books/1946/htm/frame050.htm|title=くろ助|website=日本の子どもの本100選 1946年〜1979年|publisher=財団法人大阪国際児童文学館|access-date=2024-09-07}}</ref>。初出は1961年の『日本児童文学』7巻3号<ref>{{Cite web|和書|url=https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000239775|title=レファレンス事例詳細|website=[[レファレンス協同データベース]]|date=2018-06-05|access-date=2024-09-07}}</ref>。1969年に[[日本児童文学者協会賞]]を受賞した<ref name="100選" />。 |
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* 『黒ん坊』([[毎日新聞社]]、1971年 |
* 『黒ん坊』([[毎日新聞社]]、1971年){{sfn|神谷|2017|p=110|loc=註1}}★ - [[遠藤周作]]による[[娯楽小説]]{{sfn|神谷|2017|p=34}}。初出は『[[サンデー毎日]]』1970年6月21日号から1971年3月28日号{{sfn|神谷|2017|p=110|loc=註1}}。 |
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* 『結城秀康』([[PHP研究所]]、1998年) ‐ [[大島昌宏]]による小説。本能寺の変を生き延び、主人公[[結城秀康]]の側近として仕え、日本語を習得している。 |
* 『結城秀康』([[PHP研究所]]、1998年) ‐ [[大島昌宏]]による小説。本能寺の変を生き延び、主人公[[結城秀康]]の側近として仕え、日本語を習得している。 |
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* 『[[桃山ビート・トライブ]]』([[集英社]]、2008年) ‐ [[天野純希]]による小説。主要人物の一人として描かれている。本能寺の変を生き延び、その後はアフリカ帰郷のための資金稼ぎに港で働いていたが、詐欺同然の低賃金で働かされていたことを知り脱走。主人公らの一座に太鼓叩きとして加わることになる。 |
* 『[[桃山ビート・トライブ]]』([[集英社]]、2008年) ‐ [[天野純希]]による小説。主要人物の一人として描かれている。本能寺の変を生き延び、その後はアフリカ帰郷のための資金稼ぎに港で働いていたが、詐欺同然の低賃金で働かされていたことを知り脱走。主人公らの一座に太鼓叩きとして加わることになる。 |
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* 『王になろうとした男』([[文藝春秋]]、2013年7月) - [[伊東潤]]による表題となった短編小説。 |
* 『王になろうとした男』([[文藝春秋]]、2013年7月) - [[伊東潤]]による表題となった短編小説。 |
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;漫画 |
;漫画 |
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* 『[[へうげもの]]』([[モーニング (漫画雑誌)|モーニング]]、2005年 - 2017年) ‐ [[山田芳裕]]による漫画。信長殺害の真犯人を目撃した者として描かれ、[[豊臣秀吉|羽柴秀吉]]に幽閉される。その後、[[古田重然|古田織部]]の口利きにより許される。2011年放映のアニメ版の声:[[黒田崇矢]]。 |
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* 『[[アフロサムライ]]』(自費出版、1998年)☆ - [[岡崎能士]]による漫画。父親を殺された黒人侍が敵を討つという未来世界の物語。弥助のイメージが投影された主人公だと言われている{{sfn|ロックリー|2017|pp=97-114}}。(2007年放映のアニメ版の声:[[サミュエル・L・ジャクソン]])。アニメ映画は[[エミー賞]]を受賞{{sfn|ロックリー|2017|pp=97-114}}。 |
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* 『[[ |
* 『[[信長協奏曲]]』([[ゲッサン]]、2009年-) ‐ [[石井あゆみ]]による漫画。主人公のサブロー([[織田信長]])と同じく平成の世の[[埼玉県]]から[[タイムトラベル|タイムスリップ]]してきた[[アフリカ系アメリカ人]]の[[プロ野球]]選手のヤング。アニメ版の声:[[山寺宏一]]。 |
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⚫ | * 『[[サイボーグ009]] おわりノブナガ編』(クラブサンデーほか、2010年)★ - [[新井淳也]]による[[サイボーグ009#サイボーグ009まんが賞|サイボーグ009まんが賞]]の漫画部門グランプリ受賞作。[[タイムトラベル|タイムスリップ]]した005ことジェロニモが、信長に引き合わされ弥助として扱われる。なおジェロニモは[[インディアン]]であり、正確には黒人でないが、あえて弥助に当てはめたとのこと<ref>{{Cite web|和書|url=http://tripballade.ninja-web.net/jidai-009.html |title=時代考証009 |publisher=新井淳也 |accessdate=2019-04-23}}</ref>。 |
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* 『[[信長協奏曲]]』([[ゲッサン]]、2009年-) ‐ [[石井あゆみ]]による漫画。主人公のサブロー([[織田信長]])と同じく平成の世の[[埼玉県]]から[[タイムトラベル|タイムスリップ]]してきた[[アフリカ系アメリカ人]]の[[プロ野球]]選手のヤング。(アニメ版の声:[[山寺宏一]])。 |
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⚫ | * 『[[サイボーグ009]] おわりノブナガ編』(クラブサンデーほか、2010年)★ - [[新井淳也]]による[[サイボーグ009#サイボーグ009まんが賞|サイボーグ009まんが賞]]の漫画部門グランプリ受賞作。[[タイムトラベル|タイムスリップ]]した005ことジェロニモが、信長に引き合わされ弥助として扱われる。なおジェロニモは[[インディアン]]であり、正確には黒人でないが、 |
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* 『[[戦国八咫烏]]』([[週刊少年サンデー]]、2010年 - 2012年) - [[小林裕和 (漫画家)|小林裕和]]による漫画。[[佐渡島|佐渡ヶ島]]に攻め入った外国勢力の奴隷兵として最前線に立っていた弥助が、羽柴藤吉の心意気に打たれて投降し、信長の部下となる。 |
* 『[[戦国八咫烏]]』([[週刊少年サンデー]]、2010年 - 2012年) - [[小林裕和 (漫画家)|小林裕和]]による漫画。[[佐渡島|佐渡ヶ島]]に攻め入った外国勢力の奴隷兵として最前線に立っていた弥助が、羽柴藤吉の心意気に打たれて投降し、信長の部下となる。 |
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* 『[[信長のシェフ]]』([[週刊漫画TIMES]]、2011年 - 2024年) - [[西村ミツル]]・[[梶川卓郎]]による漫画。宣教師の戦略を探ろうとする織田信長によって保護され、働き如何での身分や報酬を確約されて部下となる。 |
* 『[[信長のシェフ]]』([[週刊漫画TIMES]]、2011年 - 2024年) - [[西村ミツル]]・[[梶川卓郎]]による漫画。宣教師の戦略を探ろうとする織田信長によって保護され、働き如何での身分や報酬を確約されて部下となる。 |
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* 『[[腕 -駿河城御前試合-]]』 |
* 『[[腕 -駿河城御前試合-]]』([[コミック乱ツインズ 戦国武将列伝]]、2011年 - 2012年) - 小説『[[駿河城御前試合]]』を原作にした[[森秀樹 (漫画家)|森秀樹]]による漫画。この中の第十話に登場する「仏法僧」と呼ばれる剣豪が、明言はされていないが弥助なのではないかと思われる表現がされている。 |
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* 『[[Yasuke -ヤスケ-#漫画|YASUKE]]』 |
* 『[[Yasuke -ヤスケ-#漫画|YASUKE]]』([[月刊!スピリッツ|月刊! スピリッツ]]、2021年 - 2022年)★ - [[奥西敏史]]による漫画。アニメーション『Yasuke -ヤスケ-』のコミカライズ<ref>{{Cite web|和書|title=YASUKE(漫画) |url=https://mangapedia.com/YASUKE-b7sfi59wr |website=マンガペディア |publisher=株式会社DIGITALIO |access-date=2023-09-12 |language=ja}}</ref>。 |
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;アニメ |
;アニメ |
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* 『[[Yasuke -ヤスケ-]]』(2021年 |
* 『[[Yasuke -ヤスケ-]]』(2021年)★ - [[日本]]の[[MAPPA]]が制作し、[[Netflix]]で配信されるアニメシリーズ<ref>{{cite web|url=https://deadline.com/2018/11/netflix-anime-pacific-rim-altered-carbon-cagaster-of-an-insect-cage-yasuke-trese-1202498191/|accessdate=2018-11-08|website=Deadline Hollywood|title=Netflix Unveils ‘Pacific Rim’, ‘Altered Carbon’ & More In New Lineup Of Anime Originals}}</ref>。弥助をモデルとしたヤスケが主人公の、ロボットやビーム、異能力が乱れ飛ぶ[[サイエンス・フィクション|SF]][[ファンタジー]][[時代劇]]<ref name="mikiki28621">{{Cite web|和書|url=https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/28621 |title=TAKU INOUEが「YASUKE -ヤスケ-」に見たフライング・ロータス(Flying Lotus)のおたくな仕事人っぷり フライング・ロータス『YASUKE』 |author=imdkm |date=2021-06-17 |accessdate=2023-02-15 |website=Mikiki |publisher=[[タワーレコード|TOWER RECORDS ONLINE]]}}</ref><ref name="mainichi20220512">{{cite news |url=https://mainichi.jp/articles/20220512/k00/00m/040/250000c |author=後藤豪 |title=信長に仕えた黒人侍Yasuke 昨春アニメ化 世界が注目する魅力 |date=2022-05-13 |accessdate=2023-02-15 |website= |publisher=[[毎日新聞]]}}</ref>。声:[[ラキース・スタンフィールド]]。[[日本語]][[吹き替え]]:[[副島淳]]。 |
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;ドラマ |
;ドラマ |
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* 『[[信長 KING OF ZIPANGU]]』(1992年、[[日本放送協会|NHK]]) - [[田向正健]]脚本による[[大河ドラマ]]。「ソテロ」の名で登場。二条城の[[織田信忠|信忠]]に変の報告をするために寺を抜け出し、完全武装の鎧武者を素手で撲殺する。その後の消息は不明。演:リード・ジャクソン。 |
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* 『[[江戸プロフェッショナル・必殺商売人]]』(1978年2月17日、[[朝日放送テレビ|ABCテレビ]]・[[松竹]]) - 第1話『女房妊娠 主水慌てる』のゲストキャラクターとして「金太」がおり、[[オールニッポン・ニュースネットワーク|テレビ朝日系列]]で大人気を博した[[海外ドラマ]]『[[ルーツ (テレビドラマ)|ルーツ]]』の主人公「クンタ・キンテ」と弥助の生涯が合わさっている。悪徳商人から[[見世物小屋]]に[[人身売買]]で買い取った後に自由を手にした点が共通した。(演:ジョン・パーム) |
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* 『[[ |
* 『[[秀吉 (NHK大河ドラマ)|秀吉]]』(1996年、NHK) - [[堺屋太一]]原作、[[竹山洋]]脚本による大河ドラマ。ヤスケは信長とともに戦い、信長に先んじて明智軍の槍ぶすまで突き殺されている。演:[[サミ・ポップ|サムエル・ポップ]]。 |
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* 『[[ |
* 『[[軍師官兵衛]]』(2014年、NHK) - [[前川洋一]]脚本による大河ドラマ。史料にある、信長に謁見して召し抱えられる状況が再現されている。演:[[ベルナール・アッカ]]。 |
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* 『[[軍師官兵衛]]』(2014年、NHK) - [[前川洋一]]脚本による大河ドラマ。史料にある、信長に謁見して召し抱えられる状況が再現されている。(演:[[ベルナール・アッカ]])。 |
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;ドキュメンタリー |
;ドキュメンタリー |
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* 「Black Samurai 〜信長に仕えたアフリカン侍・弥助〜」(2021年5月15日、[[NHK BSプレミアム|NHK BSP]])<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2021114005SA000/?spg=P202100247100000 |title=Black Samurai 〜信長に仕えたアフリカン侍・弥助〜 |date=2021-05-15 |publisher=NHK |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210520132912/https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2021114005SA000/?spg=P202100247100000 |archivedate=2021-05-20 |accessdate=2021-05-20}}</ref> |
* 「Black Samurai 〜信長に仕えたアフリカン侍・弥助〜」(2021年5月15日、[[NHK BSプレミアム|NHK BSP]])<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2021114005SA000/?spg=P202100247100000 |title=Black Samurai 〜信長に仕えたアフリカン侍・弥助〜 |date=2021-05-15 |publisher=NHK |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210520132912/https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2021114005SA000/?spg=P202100247100000 |archivedate=2021-05-20 |accessdate=2021-05-20}}</ref> |
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;映画 |
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* 『[[大帝の剣]]』(2007年、[[東映]])‐ [[夢枕獏]]原作、[[天沢彰]]脚本による映画。主人公の万源九郎はヤスケの孫という設定である。 |
* 『[[大帝の剣]]』(2007年、[[東映]])‐ [[夢枕獏]]原作、[[天沢彰]]脚本による映画。主人公の万源九郎はヤスケの孫という設定である。 |
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* 『[[首 (北野武)|首]]』(2023年、[[北野武]]監督作品、[[KADOKAWA]]) - 演 |
* 『[[首 (北野武)|首]]』(2023年、[[北野武]]監督作品、[[KADOKAWA]]) - 演:[[副島淳]]。 |
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*『Yasuke』<ref name="ps" />(公開未定、[[ライオンズゲート]]→Picturestart)★ - 2017年3月、実話を元に弥助を描く映画『Black Samurai』の脚本家として、ライオンズゲートが{{仮リンク|グレゴリー・ワイデン|en|Gregory Widen}}を起用したことが報じられた<ref name="hr">{{Cite web|url=https://www.hollywoodreporter.com/movies/movie-news/black-samurai-highlander-creator-gregory-widen-pen-lionsgate-action-drama-988268/|title=‘Highlander’ Creator Gregory Widen to Pen Lionsgate’s ‘Black Samurai’|website=[[ハリウッド・リポーター|The Hollywood Reporter]]|publisher=[[:en:Penske Media Corporation|Penske Media Corporation]]|author=Ashley Lee|date=2017-03-23|access-date=2024-09-28}}</ref><ref name="dh2017">{{Cite web|url=https://deadline.com/2017/03/lionsgate-taps-highlander-creator-gregory-widen-to-script-film-on-first-black-samurai-1202049635/|title=Lionsgate Taps ‘Highlander’ Creator Gregory Widen To Script Film On First Black Samurai|website=[[:en:Deadline Hollywood|Deadline Hollywood]]|publisher=Penske Media Corporation|author=Mike Fleming Jr|date=2017-03-23|access-date=2024-09-28}}</ref>。その後、製作を指揮していた{{仮リンク|エリック・フェイグ|en|Erik Feig}}がライオンズゲートから離脱<ref name="dh2019-05">{{Cite web|url=https://deadline.com/2019/05/chadwick-boseman-yasuke-african-samurai-black-panther-1202608769/|title=Chadwick Boseman To Play African Samurai ‘Yasuke’ In Deal With Picturestart, De Luca Productions, Solipsist & X●ception Content|website=Deadline Hollywood|publisher=Penske Media Corporation|author=Mike Fleming Jr|date=2019-05-07|access-date=2024-09-28}}</ref>。『Black Samurai』のプロデューサーだった<ref name="hr" /><ref name="dh2017" />[[マイケル・デ・ルカ]]やスティーヴン・ルルーらと共に、自身のPicturestartで弥助を描く映画の製作を開始した<ref name="dh2019-05" />。脚本は[[ダグ・ミロ]]<ref name="dh2019-05" />。2019年5月、[[チャドウィック・ボーズマン]]が弥助を演じることが発表されたが<ref name="dh2019-05" />、2020年8月にボーズマンは死去した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.bbc.com/japanese/53956216|title=米俳優チャドウィック・ボーズマンさん、がんで死去 映画「ブラックパンサー」主演の43歳|website=[[BBCニュース|BBC NEWS JAPAN]]|publisher=BBCグローバルニュースジャパン株式会社|date=2020-08-29|accessdate=2024-09-28}}</ref>。Picturestart公式サイトでは「開発中(In Development)」となっており、監督および主演は「未定(TBD)」となっている(2024年時点)<ref name="ps">{{Cite web|url=https://www.picturestart.com/projects/yasuke/|title=Not just an action movie, a cultural event.|website=PICTURESTART|access-date=2024-09-28}}</ref>。 |
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* 『Yasuke』(公開未定、[[メトロ・ゴールドウィン・メイヤー|MGM]]<ref name="dh2019-04" />)★ - 2019年4月に製作が報じられた<ref name="dh2019-04" />。脚本はスチュアート・C・ポール<ref name="dh2019-04" />。製作は[[:en:Whalerock Industries|Whalerock Industries]]の{{仮リンク|ロイド・ブローン|en|Lloyd Braun}}とアンドリュー・ミットマン<ref name="dh2019-04">{{Cite web|url=https://deadline.com/2019/04/yasuke-mgm-african-samurai-film-1201904332/|title=MGM Sets Film On ‘Yasuke’, History’s Sole African Samurai|website=Deadline Hollywood|publisher=Penske Media Corporation|author=Mike Fleming Jr|date=2019-04-18|access-date=2024-09-28}}</ref>。 |
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;ゲーム |
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* 『[[婆裟羅2]]』(2001年、[[ビスコ (ゲーム会社)|ビスコ]]) - [[織田信忠]]陣営の中ボスに「YASUKE」という名前で登場。台詞は英語である。 |
* 『[[婆裟羅2]]』(2001年、[[ビスコ (ゲーム会社)|ビスコ]]) - [[織田信忠]]陣営の中ボスに「YASUKE」という名前で登場。台詞は英語である。 |
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* 『[[信長の野望・創造]]』(2013年、[[コーエーテクモゲームス]]) - |
* 『[[信長の野望・創造]]』(2013年、[[コーエーテクモゲームス]]) - [[ダウンロードコンテンツ]]として配信された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.gamecity.ne.jp/souzou/dlc.html|title=ダウンロードコンテンツ|website=信長の野望・創造|publisher=コーエーテクモゲームス|access-date=2024-09-07}}</ref>。 |
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* 『[[仁王 (ゲーム)|仁王]]』(2017年、コーエーテクモゲームス) ‐ メインミッション「佐和山のサムライ」ボスとして登場。[[織田信長]]を蘇らせようと[[エドワード・ケリー]]に協力する。 |
* 『[[仁王 (ゲーム)|仁王]]』(2017年、コーエーテクモゲームス) ‐ メインミッション「佐和山のサムライ」ボスとして登場。[[織田信長]]を蘇らせようと[[エドワード・ケリー]]に協力する。 |
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* 『[[戦国無双シリーズ#『戦国無双5』追加PC|戦国無双5]]』(2021年、コーエーテクモゲームス) ‐ 『5』から登場する新規プレイアブルキャラクターの一人。実直で忠誠心篤き青年として描かれている。 |
* 『[[戦国無双シリーズ#『戦国無双5』追加PC|戦国無双5]]』(2021年、コーエーテクモゲームス) ‐ 『5』から登場する新規プレイアブルキャラクターの一人。実直で忠誠心篤き青年として描かれている。声:[[パディ・ライアン]]。 |
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* 『[[アサシン クリード シャドウズ]]』 |
* 『[[アサシン クリード シャドウズ]]』(2025年、[[ユービーアイソフト]])★ - 主人公の一人。 |
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;舞台 |
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* 舞台『[[刀剣乱舞]]』 |
* 舞台『[[刀剣乱舞]]』 |
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=== 注釈 === |
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=== 出典 === |
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== 参考文献 == |
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* {{Citation |
* {{Citation|和書|last=岡田|first=正人|year=1999|title=織田信長総合事典|publisher=[[雄山閣|雄山閣出版]]|isbn=4-639-01632-8}} |
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* {{Citation |
* {{Citation|和書|last=金子|first=拓|author-link=金子拓|year=2009|title=織田信長という歴史―『信長記』の彼方へ|publisher=[[勉誠出版]]|isbn=978-4-585-05420-7}} |
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* {{Cite thesis|和書|author=神谷光信|author-link=神谷光信|year=2017|title=ポストコロニアル的視座より見た遠藤周作文学の研究:村松剛・辻邦生との比較において明らかにされた、異文化受容と対決の諸相|degree=博士(学術)|major=文化科学|publisher=[[放送大学]]|id=学位授与番号: 甲第4号|url=https://ouj.repo.nii.ac.jp/records/8485|ref={{SfnRef|神谷|2017}}}} |
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* {{Citation |和書|last =松平|first=家忠|author-link=松平家忠|year=1897|series=文科大学史誌叢書|volume=第2|title =家忠日記|publisher =吉川半七|url={{NDLDC|772514/54}} 国立国会図書館デジタルコレクション|}} |
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** {{Citation |和書|last =松平|first=家忠|author-link=松平家忠|year=1582|volume=3|title =家忠日記|url=http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/collections/41447/#?c=0&m=0&s=0&cv=13&r=0&xywh=974%2C567%2C1705%2C1047 駒澤大学 電子貴重書庫|}} |
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* {{Citation |和書 |last =クラツセ|first =ジアン|author-link=|year=1925| volume=上|title =日本西教史|publisher =太陽堂書店|url={{NDLDC|971162/207}} 国立国会図書館デジタルコレクション|pages=384-385}} |
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* {{Citation |和書|last =岡田|first=正人|year=1999|title=織田信長総合事典|publisher=雄山閣出版|pages=420-421|isbn=4639016328}} |
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* {{Citation|和書|last=藤田|first=みどり|year=2005|title=アフリカ「発見」 日本におけるアフリカ像の変遷|publisher=[[岩波書店]]|series=世界歴史選書|isbn=4-00-026853-8}} |
* {{Citation|和書|last=藤田|first=みどり|year=2005|title=アフリカ「発見」 日本におけるアフリカ像の変遷|publisher=[[岩波書店]]|series=世界歴史選書|isbn=4-00-026853-8}} |
||
* <span id="CITEREF松田1965">[[松田毅一]]「日本巡察師ヴァリニャーノの生涯―「日本要録」の背景―」、{{Citation|和書|author=[[アレッサンドロ・ヴァリニャーノ|ヴァリニャーノ]] 著、松田毅一; [[佐久間正 (スペイン語学者)|佐久間正]] 編訳|year=1965|title=日本巡察記|publisher=[[桃源社]]|series=東西交渉旅行記全集|id={{全国書誌番号|49003257}}}}</span> |
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* {{Citation|和書|author=ロックリー・トーマス|author-link=トーマス・ロックリー|translator=不二淑子|year=2017|title=信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍|publisher=[[太田出版]]|isbn=978-4-7783-1556-6|ref={{SfnRef|ロックリー|2017}}}} |
|||
* {{Citation|和書|author1=ルシオ・デ・ソウザ|last2=岡|first2=美穂子|author2-link=岡美穂子|year=2021|title=大航海時代の日本人奴隷―アジア・新大陸・ヨーロッパ|edition=増補新版|publisher=[[中央公論新社]]|series=[[中公選書]]|isbn=978-4-12-110116-7|ref={{SfnRef|ソウザ|岡|2021}}}}<!--本書参考文献一覧に「SOUSA, Lúdio de,」とあるのに従い、ここでは姓から「デ」を省く。--> |
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=== 史料 === |
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* {{Citation|和書|last=太田|first=牛一|author-link=太田牛一|year=1921|chapter=信長公記|editor-last=近藤|editor-first=瓶城|editor-link=近藤瓶城|title=改訂 [[史籍集覧]] 第十九冊|publisher=近藤出版部|id={{全国書誌番号|50001537}}|url={{NDLDC|1920322/162}}}} |
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* {{Citation|和書|last=松平|first=家忠|author-link=松平家忠|year=1897|title=家忠日記 第二|others=[[坪井九馬三]]; 日下寛 校|publisher=吉川半七|series=文科大学史誌叢書|id={{全国書誌番号|40013381}}|url={{NDLDC|772514/54}}}} |
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** [[駒澤大学]]電子貴重書庫『[http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/collections/41447/#?c=0&m=0&s=0&cv=13 家忠日記]』第3冊、14コマ([[駒澤大学図書館]]所蔵)。 |
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== 関連文献 == |
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* {{Cite thesis|和書|degree=博士(学術)|title=日本におけるアフリカ像の変遷|author=藤田緑|year=1997|major= |publisher=東京大学|doi=10.11501/3158419|id=学位授与番号: 乙第13482号|pages=10–20}} |
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== 外部リンク == |
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やすけ 弥助 | |
---|---|
生誕 |
1550年代?[注釈 1] モザンビーク? |
死没 | 没年不明 |
別名 | 彌助、弥介、彌介 |
職業 | 織田信長の従者[2] |
時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
弥助(やすけ、生没年不詳)は、安土桃山時代の日本に渡来した黒人男性。宣教師から織田信長へと進呈され、信長が死去するまでの約15か月間、彼に仕えた。名は弥介[3](彌介[4])とも書かれる。
生涯
生い立ち
弥助はモザンビークの出身で[6]、イエズス会のイタリア人巡察師[7]アレッサンドロ・ヴァリニャーノが来日する際にインドから連れてきたという[6][8]。
ヴァリニャーノは1574年3月にポルトガルを出発し、7月にモザンビークへ、その後9月にインドのゴアに到着した[9]。1577年9月までインドで巡察を行った後、マラッカやマカオに滞在し、1579年7月に日本へと出発する[10]。
戦国時代には、ポルトガルやスペインなどヨーロッパの船が日本を訪れるようになっており、アフリカ出身の人々も、従者または奴隷として連れてこられていた[11]。1546年に日本に来航したポルトガル人船長ジョルジ・アルヴァレスは、船員もしくは下僕として黒人を連れていたとみられ、1548年11月付のフランシスコ・ザビエル宛ての報告で、日本人は黒人を見ることを喜び、100キロメートル近く離れた場所からも見にくると記している[12]。この後、日本側の記録に黒人が登場するのは、1581年(天正9年)の『信長公記』における弥助の記述が最初となる[13]。
来日後の弥助
1579年7月25日(天正7年7月2日)に島原半島南端の口ノ津に到着したヴァリニャーノは、その後、豊後国に移り[14]、1581年3月8日(天正9年2月4日)、畿内に向け出発した[15]。豊後を出たヴァリニャーノに同行したのは、ルイス・フロイスやロレンソ・メシア(メシヤ)ら4人の司祭と3人の修道士、そして黒人で[15]、これが弥助とされる[16]。
ヴァリニャーノたちは1581年3月17日(天正9年2月13日)に堺に到着し、その2日後に堺を出ようとしたが、その際、非常に背の高いヴァリニャーノと黒人の弥助を見るために、群衆が待ち受けていた[17][18]。これにより、ヴァリニャーノたちが狭い場所を通る際、道端の店が荒らされることになったという[17][18]。
1581年3月26日(天正9年2月22日)、ヴァリニャーノ一行が織田信長との謁見のため京都に入ると、黒人の噂はたちまち広まって群衆が南蛮寺へと殺到し、投石のため負傷者が出て、死者も出そうになった[17][19]。その噂を聞いた信長の招きを受けて、3月27日(和暦2月23日)、都の教区長である[20]オルガンティーノが弥助を連れて、信長の滞在する本能寺に赴いた[17][21]。
その時の様子が『信長公記』巻十四に記されている[22]。そこには「二月廿三日、きりしたん国より黒坊主参り候。年の齢廿六、七と見えたり。惣の身の黒き事、牛の如し。彼の男、健やかに、器量なり。しかも、強力十の人に勝たり」とある[23]。ルイス・フロイスやロレンソ・メシアの書簡によると、信長はその肌が墨を塗ったものでなく自然のものであると信じずに、帯から上の着物を脱がせたという[24][25]。さらに信長が体を洗わせたところ、白くなるどころか一層黒くなったとされる[26]。
メシアによると、弥助は日本語を多少話すことができた[27][28]。また、力が強く、少しの芸ができたため、信長は喜んで庇護し、弥助に人を付けて市内を巡らせたという[27][28]。弥助の姿を見た者の中には、信長は弥助を「殿(Tono)」にするだろうと言う者もいたとされる[27][29]。また、『信長公記』尊経閣十五冊本[注釈 2]には、この「黒坊」が「弥助」と号したことや、扶持や「さや巻之のし付[注釈 3]」ならびに私宅を与えられ、時には「御道具」などを持たせられたとの記述がある[36]。
1581年5月14日(天正9年4月12日)、ルイス・フロイスが修道士や信者、黒人と共に越前国の北庄に赴いた[37]。藤田みどりは、京都に来た黒人は弥助が初めてだったとの記録があることなどから、この黒人を弥助としている[37]。越前に向かう途中の長浜では、黒人だけでなく白人が来たのも初めてだったため大きな騒ぎとなり、宿舎とされた家にフロイスらが入ると、黒人を見ようとした群衆がその戸を破って入ってくるということが3、4度起きたという[38][39]。その後、北庄に滞在したフロイスら一行は5月30日(和暦4月28日)に京都に戻った[37]。
次に弥助の記述が現れるのは、徳川家康の家臣・松平主殿助の著した『家忠日記』天正10年4月19日(1582年5月11日)条においてである[40]。甲州征伐からの帰途、織田信長が徳川家康の支配地を訪れた時の記録で[3][41]、そこには「上様御ふち候大うす進上申候、くろ男御つれ候、身ハすみノコトク、タケハ六尺二分、名ハ弥介[注釈 4]ト云」と記されている[3][41]。
本能寺の変
天正10年6月2日(1582年6月21日)、京都本能寺に滞在する織田信長を明智光秀の軍勢が襲う本能寺の変が起きた[45]。変の際の弥助について、信長の死後、その嫡男である信忠のもとへと駆け付け、そこで戦った末、明智方に降伏したとされている[46]。『イエズス会日本年報』には、「ビジタドール(巡察師)が信長に贈った黒奴が、信長の死後世子の邸[注釈 5]に赴き、相当長い間戦ってゐたところ、明智の家臣が彼に近づいて、恐るることなくその刀を差出せと言ったのでこれを渡した」とある[49][50]。また、家臣に弥助をどう処分すべきか聞かれた光秀は、「黒奴は動物で何も知らず、また日本人でもない故、これを殺さず」として、「インドのパードレの聖堂に置け」と命じたという[49][50]。
その後の弥助の消息については一切不明である[51]。
弥助以後
その後の文献にも黒人の描写はあり、弥助の記録が途絶えた後にも黒人が来日していた様子がうかがえる。
1584年(天正12年)、島原において有馬晴信と龍造寺隆信の戦いが起きた(沖田畷の戦い)[52]。フロイスの『日本史』や『イエズス会日本年報』所収の報告書によると、その戦いの際、有馬方に大砲があったものの、それを扱える者がいなかった[52][53]。そのため、その場に居合わせたアフリカ黒人が砲弾を装填し、インドのマラバル人が点火を行い発射したという[52][53]。
1593年(文禄2年)、肥前名護屋にて豊臣秀吉がポルトガル人総司令官(カピタン・モール)のガスパル・ピント・ダ・ロシャを引見した[54]。カピタンは「金色の槍を携えたカフル人[注釈 6]を護衛として」連れており、太鼓と笛を持った赤い衣装の黒人たちは秀吉の望みにより踊りを披露した[54][57]。秀吉は彼ら一人一人に、自らの手で褒美として白い帷子を与えている(『日本史』)[54][57]。
登場作品
弥助が主人公として描かれている作品は★印。弥助をオマージュした主人公は☆印。
- 小説等
- 『くろ助』(岩崎書店、1968年)[58]★ - 来栖良夫による児童文学作品[58]。初出は1961年の『日本児童文学』7巻3号[59]。1969年に日本児童文学者協会賞を受賞した[58]。
- 『黒ん坊』(毎日新聞社、1971年)[60]★ - 遠藤周作による娯楽小説[61]。初出は『サンデー毎日』1970年6月21日号から1971年3月28日号[60]。
- 『結城秀康』(PHP研究所、1998年) ‐ 大島昌宏による小説。本能寺の変を生き延び、主人公結城秀康の側近として仕え、日本語を習得している。
- 『桃山ビート・トライブ』(集英社、2008年) ‐ 天野純希による小説。主要人物の一人として描かれている。本能寺の変を生き延び、その後はアフリカ帰郷のための資金稼ぎに港で働いていたが、詐欺同然の低賃金で働かされていたことを知り脱走。主人公らの一座に太鼓叩きとして加わることになる。
- 『王になろうとした男』(文藝春秋、2013年7月) - 伊東潤による表題となった短編小説。
- 漫画
- 『へうげもの』(モーニング、2005年 - 2017年) ‐ 山田芳裕による漫画。信長殺害の真犯人を目撃した者として描かれ、羽柴秀吉に幽閉される。その後、古田織部の口利きにより許される。2011年放映のアニメ版の声:黒田崇矢。
- 『信長協奏曲』(ゲッサン、2009年-) ‐ 石井あゆみによる漫画。主人公のサブロー(織田信長)と同じく平成の世の埼玉県からタイムスリップしてきたアフリカ系アメリカ人のプロ野球選手のヤング。アニメ版の声:山寺宏一。
- 『サイボーグ009 おわりノブナガ編』(クラブサンデーほか、2010年)★ - 新井淳也によるサイボーグ009まんが賞の漫画部門グランプリ受賞作。タイムスリップした005ことジェロニモが、信長に引き合わされ弥助として扱われる。なおジェロニモはインディアンであり、正確には黒人でないが、あえて弥助に当てはめたとのこと[62]。
- 『戦国八咫烏』(週刊少年サンデー、2010年 - 2012年) - 小林裕和による漫画。佐渡ヶ島に攻め入った外国勢力の奴隷兵として最前線に立っていた弥助が、羽柴藤吉の心意気に打たれて投降し、信長の部下となる。
- 『信長のシェフ』(週刊漫画TIMES、2011年 - 2024年) - 西村ミツル・梶川卓郎による漫画。宣教師の戦略を探ろうとする織田信長によって保護され、働き如何での身分や報酬を確約されて部下となる。
- 『腕 -駿河城御前試合-』(コミック乱ツインズ 戦国武将列伝、2011年 - 2012年) - 小説『駿河城御前試合』を原作にした森秀樹による漫画。この中の第十話に登場する「仏法僧」と呼ばれる剣豪が、明言はされていないが弥助なのではないかと思われる表現がされている。
- 『YASUKE』(月刊! スピリッツ、2021年 - 2022年)★ - 奥西敏史による漫画。アニメーション『Yasuke -ヤスケ-』のコミカライズ[63]。
- アニメ
- 『Yasuke -ヤスケ-』(2021年)★ - 日本のMAPPAが制作し、Netflixで配信されるアニメシリーズ[64]。弥助をモデルとしたヤスケが主人公の、ロボットやビーム、異能力が乱れ飛ぶSFファンタジー時代劇[65][66]。声:ラキース・スタンフィールド。日本語吹き替え:副島淳。
- ドラマ
- 『信長 KING OF ZIPANGU』(1992年、NHK) - 田向正健脚本による大河ドラマ。「ソテロ」の名で登場。二条城の信忠に変の報告をするために寺を抜け出し、完全武装の鎧武者を素手で撲殺する。その後の消息は不明。演:リード・ジャクソン。
- 『秀吉』(1996年、NHK) - 堺屋太一原作、竹山洋脚本による大河ドラマ。ヤスケは信長とともに戦い、信長に先んじて明智軍の槍ぶすまで突き殺されている。演:サムエル・ポップ。
- 『軍師官兵衛』(2014年、NHK) - 前川洋一脚本による大河ドラマ。史料にある、信長に謁見して召し抱えられる状況が再現されている。演:ベルナール・アッカ。
- ドキュメンタリー
- 映画
- 『大帝の剣』(2007年、東映)‐ 夢枕獏原作、天沢彰脚本による映画。主人公の万源九郎はヤスケの孫という設定である。
- 『首』(2023年、北野武監督作品、KADOKAWA) - 演:副島淳。
- 『Yasuke』[68](公開未定、ライオンズゲート→Picturestart)★ - 2017年3月、実話を元に弥助を描く映画『Black Samurai』の脚本家として、ライオンズゲートがグレゴリー・ワイデンを起用したことが報じられた[69][70]。その後、製作を指揮していたエリック・フェイグがライオンズゲートから離脱[71]。『Black Samurai』のプロデューサーだった[69][70]マイケル・デ・ルカやスティーヴン・ルルーらと共に、自身のPicturestartで弥助を描く映画の製作を開始した[71]。脚本はダグ・ミロ[71]。2019年5月、チャドウィック・ボーズマンが弥助を演じることが発表されたが[71]、2020年8月にボーズマンは死去した[72]。Picturestart公式サイトでは「開発中(In Development)」となっており、監督および主演は「未定(TBD)」となっている(2024年時点)[68]。
- 『Yasuke』(公開未定、MGM[73])★ - 2019年4月に製作が報じられた[73]。脚本はスチュアート・C・ポール[73]。製作はWhalerock Industriesのロイド・ブローンとアンドリュー・ミットマン[73]。
- ゲーム
- 『婆裟羅2』(2001年、ビスコ) - 織田信忠陣営の中ボスに「YASUKE」という名前で登場。台詞は英語である。
- 『信長の野望・創造』(2013年、コーエーテクモゲームス) - ダウンロードコンテンツとして配信された[74]。
- 『仁王』(2017年、コーエーテクモゲームス) ‐ メインミッション「佐和山のサムライ」ボスとして登場。織田信長を蘇らせようとエドワード・ケリーに協力する。
- 『戦国無双5』(2021年、コーエーテクモゲームス) ‐ 『5』から登場する新規プレイアブルキャラクターの一人。実直で忠誠心篤き青年として描かれている。声:パディ・ライアン。
- 『アサシン クリード シャドウズ』(2025年、ユービーアイソフト)★ - 主人公の一人。
- 舞台
- 舞台『刀剣乱舞』
脚注
注釈
- ^ 『信長公記』の1581年の記述に「年の齢廿六・七と見えたり」とある[1]ことによる。数え年で26なら1556年生まれ、27なら1555年生まれとなる。
- ^ 尊経閣文庫に所蔵される写本の一つ[30]。金子拓は、成立時期の遅い伝本で削除された信長の身の回りの細々とした記述が見られることなどから、初期の稿本が元になったとしている[31]。なお、弥助に関わることなど、尊経閣十五冊本でのみ見られる記述については、書写過程で加えられた可能性もある[32]。
- ^ 『精選版 日本国語大辞典』などで「鞘巻」は腰刀の一種とされる[33]。『信長公記』巻十二に記載される「さやまきののし付」[34]は、中川太古による現代語訳では「金銀飾りの鞘巻き」とされている[35]。
- ^ 1897年(明治30年)の覆刻版[42]では「弥助」と書かれる[43][44]。
- ^ 『イエズス会日本年報』には、変が起きた当初「世子の邸」「寺院」にいた信忠が、付近にあった「内裏の御子の居」に移ったと記されている[47]。この時の信忠の動きとしては、宿所としていた妙覚寺から隣接する二条御所に移って明智軍と戦ったことが知られている[48]。
- ^ 「カフル(cafre)」はアフリカ東海岸、特にモザンビーク周辺を指す言葉[55]。文献上、弥助も「カフル人(cafre)」と記されている[56]。
出典
- ^ 岡田 1999, p. 99; 藤田 2005, p. 4.
- ^ 岡田 1999, p. 420.
- ^ a b c 盛本昌広『家康家臣の戦と日常 松平家忠日記をよむ』KADOKAWA〈角川ソフィア文庫〉、2022年(原著1999年)、56–59頁。ISBN 978-4-04-400714-0。
- ^ 藤田 2005, pp. 1–9; ソウザ & 岡 2021, p. 215.
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- ^ 太田 1921, p. 204; 松田 1965, p. 99; 藤田 2005, p. 4.
- ^ 藤田 2005, p. 4. 藤田の引用元は、桑田忠親校注『改訂信長公記』(新人物往来社、1978年).
- ^ 1581年4月14日付ルイス・フロイス書簡、1581年10月8日付ロレンソ・メシヤ書簡。
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参考文献
- 岡田正人『織田信長総合事典』雄山閣出版、1999年。ISBN 4-639-01632-8。
- 金子拓『織田信長という歴史―『信長記』の彼方へ』勉誠出版、2009年。ISBN 978-4-585-05420-7。
- 神谷光信『ポストコロニアル的視座より見た遠藤周作文学の研究:村松剛・辻邦生との比較において明らかにされた、異文化受容と対決の諸相』(博士(学術)論文・文化科学専攻)放送大学、2017年。学位授与番号: 甲第4号 。
- 藤田みどり『アフリカ「発見」 日本におけるアフリカ像の変遷』岩波書店〈世界歴史選書〉、2005年。ISBN 4-00-026853-8。
- 松田毅一「日本巡察師ヴァリニャーノの生涯―「日本要録」の背景―」、ヴァリニャーノ 著、松田毅一; 佐久間正 編訳『日本巡察記』桃源社〈東西交渉旅行記全集〉、1965年。全国書誌番号:49003257。
- ルシオ・デ・ソウザ; 岡美穂子『大航海時代の日本人奴隷―アジア・新大陸・ヨーロッパ』(増補新版)中央公論新社〈中公選書〉、2021年。ISBN 978-4-12-110116-7。
史料
- 太田牛一 著「信長公記」、近藤瓶城 編『改訂 史籍集覧 第十九冊』近藤出版部、1921年。全国書誌番号:50001537 。
- 太田牛一 著、中川太古 訳『現代語訳 信長公記』KADOKAWA〈新人物文庫〉、2013年。ISBN 978-4-04-600001-9。
- 松平家忠『家忠日記 第二』坪井九馬三; 日下寛 校、吉川半七〈文科大学史誌叢書〉、1897年。全国書誌番号:40013381 。
- 村上直次郎 訳註『耶蘇会の日本年報 第一輯』拓文堂、1943年。全国書誌番号:46003962 。
関連文献
- 藤田緑『日本におけるアフリカ像の変遷』(博士(学術)論文)東京大学、1997年、10–20頁。doi:10.11501/3158419。学位授与番号: 乙第13482号。