コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「土屋政重」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
KitmanZ (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Cewbot: ウィキ文法修正 10: 角括弧の終了違反
34行目: 34行目:
== 知行所 ==
== 知行所 ==
*[[相模国]][[愛甲郡]]200石(現[[神奈川県]][[厚木市]])
*[[相模国]][[愛甲郡]]200石(現[[神奈川県]][[厚木市]])
*[[下総国]][[葛飾郡](現[[千葉県]][[松戸市]])]、[[常陸国]][[鹿島郡 (茨城県)|鹿島郡]](現[[茨城県]][[結城市]])500石
*[[下総国]][[葛飾郡]](現[[千葉県]][[松戸市]])]、[[常陸国]][[鹿島郡 (茨城県)|鹿島郡]](現[[茨城県]][[結城市]])500石


== 年表 ==
== 年表 ==

2024年6月29日 (土) 00:10時点における版

 
土屋政重
時代 安土桃山時代江戸時代初期
生誕 慶長3年(1598年
死没 寛文7年1月1日1667年1月24日
別名 長三郎(通称)、宗悟(法名)
墓所 大養寺
幕府 江戸幕府 小姓組御書院番士、御守衆組
主君 徳川家光徳川家綱
氏族 土屋氏
父母 父:土屋政成、母:天野の局の養女
兄弟 土屋政重土屋政久
神谷正次の娘
土屋政一、長右衛門、土屋正克
テンプレートを表示

土屋 政重(つちや まさしげ)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武士。土屋讃岐守家の第3代当主。

生涯

慶長3年(1598年)に土屋政成の子として誕生。慶長16年(1611年)に14歳で3代将軍徳川家光の小姓となる。その功により下総国葛飾郡常陸国鹿島郡両郡内において500石を賜る。鹿島郡下は幕末まで継続する武井村(200石)、葛飾郡は現松戸市内の千駄堀村と栗ヶ沢村であったと推測される。のちに御書院番士に昇進し、寛永10年(1633年)3月に相模国愛甲郡のうち200石(猿ヶ島村(現・神奈川県厚木市内))を加増され、石高700石となる。寛永20年(1643年)、徳川家綱の御守衆組となり、慶安3年(1650年)に書院番士に戻る。

寛文7年(1667年)、70歳にて没する。

知行所

年表


参考文献

先代
土屋政成
土屋家第3代当主
土屋政成
次代
土屋政一