土屋正克
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 寛文2年(1662年) |
死没 | 享保12年7月16日(1727年9月1日) |
別名 | 長十郎、彌佐衛門、長三郎(通称) |
戒名 | 直道 |
幕府 | 江戸幕府 小姓組番士、火事場目付、小十人頭、書院番組頭 |
主君 | 徳川吉宗 |
氏族 | 土屋氏 |
父母 | 父:土屋政重、母:神谷正次娘 |
兄弟 | 土屋政一、土屋正克 |
妻 |
先妻:小川常重娘 後妻:某氏 |
子 | 土屋正勝、土屋正方 |
土屋 正克(つちや まさかつ)は、江戸時代中期の旗本。土屋讃岐守家の第5代当主。
生涯
[編集]土屋政重の三男。元禄4年(1691年)12月2日、兄・政一の跡を継ぐ。元禄10年(1698年)3月18日、江戸幕府5代将軍・徳川綱吉の小姓組の番士として列する。元禄11年(1699年)4月、下総国葛飾郡栗ヶ沢村の知行所に代わり、下総国葛飾郡大谷口村236石と下総国千葉郡中野村86石に移される。9月18日、火事場目付となる。宝永4年(1707年)1月11日、小十人頭となる。
正徳4年(1714年)5月15日、書院番の組頭となる。享保6年(1721年)2月7日、職を辞して寄合となる。享保12年(1727年)7月16日、66歳にて没する。法名は直道。
知行所
[編集]- 相模国愛甲郡猿ヶ島村200石(現神奈川県厚木市)
- 下総国葛飾郡大谷口村236石(現千葉県松戸市)
- 下総国葛飾郡栗ヶ沢村104石(現千葉県松戸市)
- 下総国千葉郡中野村86石(現千葉県千葉市)
- 常陸国鹿島郡武井村200石(現茨城県結城市)
年表
[編集]- 1662年 - 誕生
- 1691年 - 家督を相続
- 1698年 - 小姓組番士
- 1699年 - 火事場目付
- 1707年 - 小十人頭
- 1714年 - 書院番組頭
- 1721年 - 寄合
- 1727年 - 死去
参考文献
[編集]- 松戸市史 史料編(一)〔大熊家文書〕
- 『寛政重修諸家譜』巻第五百五十一
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