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練馬大根

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練馬大根を栽培する農家(昭和11年冬)

練馬大根(ねりまだいこん)は、東京練馬地方で作り始めた大根をいい、練馬区の特産品にもなっている。この地域の土壌が関東ローム層であり、栽培に適していた。

特徴

  • 白首大根系の品種。重さは通常で1~2kg前後、長さは約70-100cmほどにもなる。
  • 首と下部が細く、中央部は太い。
  • 辛味が強い。
  • 沢庵漬けに適している「尻細大根」と、その改良型で煮て食べたり、浅漬に用いられた「秋詰まり大根」の2種類がある[1]

利用法

  • 漬物、特にたくあん用として重宝される。
  • 辛味が強いことから、大根おろしに利用。
  • 煮物、干しダイコンなど。

歴史

愛染院境内に建つ『練馬大根の碑』(1940年(昭和15年)建立)。題字は当時の東京府知事川西實三による揮毫[2]
  • 文献上の初見は、1683年天和3年)の地誌紫の一本」(戸田茂睡編)に「ねりま大根・岩附牛旁・笠井菜・千住葱」とある。
  • 諸説あるが、江戸時代元禄年間の頃、武蔵国北豊島郡上練馬村下練馬村(現:練馬区)で栽培が始まり、享保年間に定着したといわれている。
  • 江戸時代末期には、盛岡藩の文献にもその名が出ており、全国的に名が知れていた。
  • 明治10年(1877年)に明治政府が殖産興業政策の一環として開いた第1回内国勧業博覧会で上練馬村の農家が沢庵漬けを出品し「有名ノ産ヲ以テ製スルカ故ニ、風味美ニシテ日常ノ食前(膳)ニ宜シ」という評で褒賞された。
  • 明治時代中期~昭和時代初期には生産が最盛期を迎える。
  • 1933年(昭和8年)の旱魃や、幾度かの病気の発生があり、次第に減少していく。
  • 1945年(昭和20年)の敗戦により、たくあんの大口納入先であった軍が解体される。
  • 昭和30年代、練馬区の都市化、及び収穫時の重労働のため、農家はキャベツ等に生産の主体を変更し始める。
  • 現在、練馬区ではほとんど生産されていない。10軒程の契約農家によって小規模な生産は続けられている。現在の主な生産地は、神奈川県群馬県千葉県などの関東地方であるが、青首大根に押されている。
  • 2010年代後半から、練馬大根の価値が評価され本家である練馬においても生産量が微増している。

その他

  • 現在生産量が少ない理由として、収穫時の重労働がある。練馬大根の特徴が、首と下部は細く、中央が太いということがあり、収穫で練馬大根を引き抜く際、非常に力が必要である[3]。ある調査によれば、練馬大根を引き抜くには、青首大根の数倍の力が必要であるという。その為、高齢の農家への負担が大きいという。
  • 神奈川県特産の三浦大根は、三浦半島の地元の大根と練馬大根の交雑種である。
  • 練馬区にある自転車フレームメーカー、タカムラ製作所のブランド名「ラバネロ」(Ravanello、イタリア語で「大根」の意)はこれに因む。

脚注

  1. ^ 『練馬の伝統野菜練馬大根』練馬区、2012年3月、11頁。 
  2. ^ 愛染院にある練馬大根碑と鐘楼 - 東京中央漬物、2020年8月29日閲覧。
  3. ^ 練馬区『まるごと練馬大根』練馬区産業経済部都市農業課、2016年2月、4頁。 

関連項目

外部リンク