東美鉄道
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ノート:新可児駅に、このページに関する確認事項があります。 確認事項の要約:広見→新広見の改名および国鉄からの分離の日付 |
この記事では、便宜上東濃鉄道(初代)と東美鉄道をそれぞれの節にて述べる。
東濃鉄道
東濃鉄道(とうのうてつどう)は、岐阜県多治見市の新多治見駅から可児郡広見村(現・可児市)の広見駅を経由して可児郡御嵩町の御嵩駅(現・御嵩口駅)を結んでいた鉄道会社。名前は現在の東濃鉄道(かつて鉄道事業を行っていた現在のバス会社)と同一であるが、資本や履歴のつながりはない。
歴史
※以下において御嵩は現在の御嵩口である(名鉄合併後の1952年改称)。
東濃鉄道は軌間762mmの軽便鉄道で、1918年に新多治見 - 広見間が開通。 広見駅は現在の場所より東にあった。1920年には広見 - 御嵩間が延伸される。
その後、国の多治見と美濃太田間を結ぶ鉄道計画に重なるため、新多治見 - 広見間が1926年に国有化され鉄道省(後の日本国有鉄道。現在の東海旅客鉄道)太多線となった。広見 - 御嵩間は新たに設立された東美鉄道に譲渡され、のちに現在の名鉄広見線の一部となった。
停車場・施設・接続路線(1926年:東濃鉄道時代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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- 1912年(大正元年)12月18日 - 鉄道免許状下付(可児郡豊岡町-同郡中村間)[1]
- 1915年(大正4年)2月 - 東濃鉄道株式会社設立(資本金35万円、本社御嵩町、代表取締役平井信四郎)[2]
- 1918年(大正7年)12月28日 - 新多治見 - 広見間が開業(軌間762mm)。新多治見駅、小泉停留場、姫停留場、広見駅開業[3]
- 1919年(大正8年)
- 1920年(大正9年)
- 1921年(大正10年)12月11日 - 大藪口停留場を駅に格上げ
- 1926年(大正15年)
輸送・収支実績
年度 | 乗客(人) | 貨物量(トン) | 営業収入(円) | 営業費(円) | 益金(円) | その他益金(円) | その他損金(円) | 支払利子(円) | 政府補助金(円) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1918 | 32,120 | 10,255 | 8,873 | 4,929 | 3,944 | 1,012 | |||
1919 | 153,508 | 8,083 | 44,332 | 26,921 | 17,411 | 13 | 650 | 3,314 | |
1920 | 199,919 | 6,602 | 72,579 | 46,562 | 26,017 | 544 | |||
1921 | 249,010 | 12,974 | 103,785 | 44,817 | 58,968 | ||||
1922 | 240,478 | 13,614 | 103,626 | 53,129 | 50,497 | ||||
1923 | 252,984 | 12,882 | 103,069 | 50,784 | 52,285 | 自動車2,837 | 自動車3,283 | ||
1924 | 220,762 | 11,702 | 93,764 | 47,678 | 46,086 | 自動車23 | |||
1925 | 212,784 | 13,306 | 91,226 | 44,559 | 46,667 | 自動車8、準備金繰入1,080 | 償却金600 | ||
1926 | 93,009 | 5,987 | 39,793 | 25,115 | 14,678 | 自動車33 |
- 鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計各年度版
車両
国有化時には、蒸気機関車4両、客車7両、貨車14両が在籍したが、国有化の対象となったのは蒸気機関車2両、客車3両、貨車13両であった。
- 蒸気機関車
- 客車
- 甲形(ハ2 → ハ1) - 1918年、開業時に用意された名古屋電車製作所製のボギー三等車。1919年にハ1に改番。国有化後は、ケホ(ケホハ)360形 で、1928年の改番ではケコハ360形となった。
- 甲形(ハニ1 → ハニ2) - 1918年、開業時に用意された名古屋電車製作所製造のボギー三等荷物車。1919年にハニ2に改番。国有化後はケホ(ケホハニ)830形、1928年の改番ではケコハニ830形となった。
- 甲形(ハニ3) - 1920年、御嵩延伸時に用意された加藤製作所製のボギー三等荷物車。国有化後はケホハニ840形、1928年の改番ではケコハニ840形となった。
- 甲形(ハ4) - 1920年に加藤製作所で製造されたハ1同等のボギー三等車。国有化の対象にはならなかった。
- ハ5 - 1921年、石川鉄道4を譲受。詳細不明。国有化の対象にはならなかった。
- ホハ6 - 1922年竣工認可。詳細不明。国有化の対象にはならなかった。
- ホハニ7 - 1922年竣工認可。詳細不明。国有化の対象にはならなかった。
- 貨車
- 乙形(ワ1, ワ2, ワ13, ワ14) - 1918年および1920年に各2両、計4両が製造された、4トン積み二軸有蓋貨車。国有化後は、ケワ1550形、1928年の改番ではケワ150形となり、旧魚沼鉄道の車両の続番とされた。
- 乙形(ト3 - ト12) - 1918年の開業時に用意された、4トン積み二軸無蓋貨車。魚沼鉄道から譲り受けたもので、元は青梅鉄道が製造したものである。国有化後はケト750形、1928年の改番ではケト200形、旧魚沼鉄道の車両の続番とされた。
東美鉄道
種類 | 株式会社 |
---|---|
本社所在地 |
日本 岐阜県可児郡中村中648-1[9] |
設立 |
1926年(大正15年)9月10日[9] 創業 1915年(大正4年)2月[2] |
業種 | 鉄軌道業 |
事業内容 | 旅客鉄道事業、バス事業、湯屋事業 他[9] |
代表者 | 社長 平井信四郎[9] |
資本金 | 800,000円(払込額)[9] |
特記事項:上記データは1940年(昭和15年)11月1日現在[9]。 |
東美鉄道(とうみてつどう)は、上記東濃鉄道より広見駅 - 御嵩駅間の路線を譲り受け、一部路線を延伸した鉄道会社。のちに名古屋鉄道に合併され、広見線の一部及び八百津線となった。
歴史
停車場・施設・接続路線(1943年:東美鉄道時代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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- 1926年(大正15年)
- 1928年(昭和3年)
- 1929年(昭和4年)
- 1930年(昭和5年)
- 1943年(昭和18年)3月1日 - 名古屋鉄道に合併され、東美線となる
- 1948年(昭和23年)5月16日 - 名古屋鉄道 東美線の新広見 - 御嵩間を広見線に編入。伏見口 - 八百津間は八百津線となる
輸送・収支実績
年度 | 乗客(人) | 貨物量(トン) | 営業収入(円) | 営業費(円) | 益金(円) | その他益金(円) | その他損金(円) | 支払利子(円) | 政府補助金(円) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1926 | 63,511 | 3,818 | 24,635 | 15,888 | 8,747 | 自動車435 | |||
1927 | 129,640 | 9,652 | 49,795 | 30,904 | 18,891 | 自動車236 | |||
1928 | 177,440 | 6,875 | 45,096 | 25,754 | 19,342 | 雑損700、自動車693 | |||
1929 | 215,665 | 9,620 | 37,424 | 25,405 | 12,019 | 雑損500、自動車1,570 | 351 | 18,083 | |
1930 | 266,478 | 7,813 | 47,946 | 31,904 | 16,042 | 雑損1,292、自動車1,514 | 10,062 | 7,834 | |
1931 | 277,043 | 6,939 | 53,996 | 30,409 | 23,587 | 自動車温泉704 | 雑損2,648、償却金1,834 | 17,391 | |
1932 | 249,371 | 7,154 | 52,185 | 30,449 | 21,736 | 雑損28,189、自動車3,100 | 15,573 | 25,168 | |
1933 | 259,800 | 8,042 | 52,586 | 29,862 | 22,724 | 雑損償却金32,710、自動車1,246 | 13,285 | 24,208 | |
1934 | 256,927 | 6,444 | 51,548 | 28,949 | 22,599 | 雑損償却金36,526、自動車518 | 10,144 | 24,203 | |
1935 | 282,897 | 5,691 | 53,372 | 28,655 | 24,717 | 自動車その他953 | 償却金41,150 | 8,214 | 23,623 |
1936 | 296,660 | 5,814 | 58,693 | 28,773 | 29,920 | 雑損償却金39,631、自動車6,466 | 5,555 | 21,844 | |
1937 | 305,483 | 5,290 | 61,629 | 29,074 | 32,555 | 雑損償却金33,565、自動車5,670 | 3,315 | 10,001 | |
1939 | 428,165 | 22,276 | 101,223 | 53,894 | 47,329 | 自動車温泉4,272 | 雑損償却金23,476 | 165 | 17,612 |
- 鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計各年度版
車両
改軌電化後の車両のみを扱う。軽便鉄道時代については#車両を参照。
バス事業
1934年時点で13路線、使用車両(常用5予備2)[18]
脚注
- ^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1912年12月23日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b 『日本全国諸会社役員録. 第24回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1919年1月10日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「地方鉄道停留場設置」『官報』1919年10月23日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「地方鉄道停車場設置」『官報』1920年2月25日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1920年8月27日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b 9月7日許可 「鉄道譲渡」『官報』1926年9月9日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道省告示第176号」『官報』1926年9月22日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b c d e f 『地方鉄道及軌道一覧. 昭和15年11月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1926年7月29日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b 『地方鉄道及軌道一覧 : 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『日本全国諸会社役員録. 第35回』(昭和2)(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『名古屋鉄道百年史』744頁
- ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1929年11月7日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1930年5月9日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1930年10月13日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 名鉄資料館「郊外線草創期の車両デシ500形とその仲間たち」『鉄道ピクトリアル』No.791
- ^ 『全国乗合自動車総覧』1934
参考文献
- 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 7 東海、新潮社、2008年。ISBN 978-4-10-790025-8。
- 『岐阜県管内里程表』 p.26(国立国会図書館デジタルコレクション)
- 『鉄道停車場一覧(昭和12年)』 p.339(国立国会図書館デジタルコレクション)