教祖
教祖(きょうそ)とは、宗教や宗派の創始者もしくは(必ずしも歴史的には裏付けられなくても)創始者として崇められている人のことである。
概要
一般的には、存命中の新興宗教開祖者に対して使われる。また、創始者に限らず宗教団体の代表者を教祖と呼ぶことがある。教祖のなかには、ワールドメイトの深見東州のように、会社経営、執筆業、歌手活動などをおこなう者もいる[1]。日本において女性が新宗教の教祖を占める割合は高く、璽宇の璽光尊や天照皇大神宮教の北村サヨらは、男性中心主義の社会に対して異議を唱えていた[2]。
また、ある流行を作り出した人物に対して、それを慕う人々が教祖と呼ぶことがある(例・「ギャルの教祖」浜崎あゆみ[3]、「10代の教祖」尾崎豊[4]、「恋愛の教祖」古内東子[5])。
教祖と呼ばれている当事者が、その自らの活動による社会への影響力について、宗教としての指導性を認識しない、あるいは主張しない、つまりは宗教的信仰対象として自負を表明しないのに、この教祖という言葉を当てはめて使用するのは、むしろその「それを慕う人々」が自主的に使用するのでは無く、ある流行の中心となっている人物に対する、その熱烈な支持者群を揶揄して例える用法として比較的容易に使われる(例・「あいつは熱烈な(個人名)信者だから。なにせ(個人名)は、(個人名)教の教祖だしね」)。
ロバート・ニーリー・ベラーの「宗教進化論」や森岡清美の「民衆宗教教祖論」において、教祖は「伝統的な儀礼主義や偶像崇拝を排除して超越的な聖性をうちたてた」存在だとされている[6]。近年の研究において、新宗教の教祖は主にシャーマンとして位置づけられており、天理教の中山みき、立正佼成会の長沼妙佼らは元来「シャーマン的職能者」だったといわれている[7]。 また、対馬路人・西山茂・島薗進・白水寛子は論文「新宗教における生命主義的救済観」のなかで、新宗教の教祖が「生き神」として機能していることは農耕社会に由来するものだ、と論じている[8]。一方、鎌田東二は、出口王仁三郎ら新宗教の教祖にトリックスターの側面を見いだしている[9]。
日本語の語彙としての教祖の使われ方
一般に、宗教上の指導者を示す言葉として、彼および彼ら団体自らが、指導者自身、若しくは自らの集団の最高指導者(若しくはその宗派の開祖とされる人物)をして、教祖と称することは稀である[注 1]。
キリスト教徒がイエス・キリストを、(キリスト教について全く知識の無い他者に紹介する場合は別として)「我等の教祖」とは、絶対に口にはしない。少なくとも日本語の語彙として、教祖という言葉は、ある宗教の指導者や、その創始者を第三者が理解する、若しくはさせうる上で、便宜上使われる言葉として理解するのが正しい。
脚注
注釈
出典
- ^ 吉田豪 (2012年7月3日). “吉田豪のギリギリレビュー!! Vol.7 深見東州『アメリカンポップス&J-POPS・ライブ名曲集』”. ORICON STYLE. 2014年7月5日閲覧。
- ^ 井上順孝『宗教社会学がよ~くわかる本 現代を知るためのビジュアル入門書』秀和システム、2007年、168頁。
- ^ “宇多田ヒカルが”ブーム”を終わらせた!? ディーヴァの進化と退化の20年史”. サイゾーpremium (2013年7月21日). 2014年7月5日閲覧。
- ^ “"反抗の教祖"は尾崎豊の一面にすぎないーー今こそ音楽家としての功績を振り返る”. Real Sound (2013年11月24日). 2014年7月5日閲覧。
- ^ “Ms.OOJA、1年振りのニューシングルは“恋愛の教祖”古内東子が手がけた「大人の片想い」ソング”. モデルプレス (2014年4月1日). 2014年7月5日閲覧。
- ^ 宗教社会学研究会 編『教祖とその周辺』雄山閣、1987年、24頁。
- ^ 津城寬文『日本の深層文化序説 三つの深層と宗教』玉川大学出版部、1995年、270-273頁。
- ^ 対馬路人・西山茂・島薗進・白水寛子「新宗教における生命主義的救済観」『思想』第665巻、岩波書店、1979年、92-100頁。
- ^ 鎌田東二『神界のフィールドワーク 霊学と民俗学の生成』創林社、1985年、66, 71-73, 96-99頁。
- ^ “歴代教祖”. PL教団. 2014年7月5日閲覧。
- ^ “信仰となりたち”. 天理教. 2014年7月5日閲覧。
参考文献
- 上之郷利昭 『教祖誕生』 ISBN 4103670010 ISBN 4061857398
- 早川和廣 『新興宗教教祖のウラの裏がわかる本』 ISBN 4893740210
- 秋山真人 『大教祖様養成講座』 ISBN 4900779016
- 米本和広 『教祖逮捕―「カルト」は人を救うか』 ISBN 4796617191