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Wikipedia‐ノート:投稿ブロックの方針

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過去ログ

  • 2004年8月 - 暫定方針の記述から、改定議論開始までの議論
  • 2004年12 -改定議論、ブロック依頼の依頼・議案審議の有資格者についての新規定
  • 2005年2月 - "他者の発言の改竄"への例外追加、「対話の場所」の変更、インターネットカフェからの投稿ブロック、Three Revertルールの例外規定、パスワードが設定されていないユーザー
  • 2005年7月 - 被依頼者の賛否とコメント、投稿回数による参加資格、説明文の改定、Blocking of anonymous proxies、中立的な観点、ブロック期間、編集回数の計算日、ブロック依頼の終了判定、スパム、微改定案2題
  • Wikipedia‐ノート:投稿ブロックの方針/ドラフト - ドラフト
  • 2006年5月 - 審議期間の短縮、投票期間中の暫定的即時ブロックの提案
  • 2006年9月 - 自己への投稿ブロック依頼, ブロック期間中の利用者ページと会話ページ、3RR、移動を妨害する行為、「対象行為の例示」への荒らし行為追加、投稿ブロック依頼資格変更の提案、ブロック依頼ノートページにおけるコメント資格について
  • 2006年10月 - IPuserの偽署名、改定案の「試験運用中」について、追放の方針の一部先取り
  • 2007年2月半保護解除に関する議論

再改定草案の正式化の提案(マルチポスト)

Wikipedia:投稿ブロックの方針/再改訂草案が提出されてからだいぶたち、異論も特につかないようですので、本草案の正式化と、それに伴う現Wikipedia:投稿ブロックの方針およびWikipedia:投稿ブロックの方針/改定案の廃止を提案します。異論のあるかたは2週間以内(12月29日00:00 (UTC)まで)にWikipedia‐ノート:投稿ブロックの方針/再改訂草案にご意見をお寄せください。よろしくお願いいたします。--Aotake 2006年12月15日 (金) 07:35 (UTC)[返信]

投稿ブロック関係について投票的確認

以下の文面は、基本的にks aka 98が書いてます。どこに署名するのがいいのかわからんので、ここで宣言してみます。--Ks aka 98 2007年1月8日 (月) 02:57 (UTC)[返信]

前置き

ええと、ちょっと大がかりなものになってしまいっていますが、あまりややこしい論点は、ここには含まれていないはずですし、答えることも難しくないはずなので、少々お付き合い願います。

ここ数ヶ月、投稿ブロックの改定案の暫定運用中に感じた問題点を改良しようとして再改訂草案(及び分岐した投稿ブロック)について議論を進めていました。正式化への意見募集に際して頂いたmiyaさん、hashikureさんの反対意見をみて、旧投稿ブロックの方針と、改定案、および追放の方針の関係をぼくが誤認しているように思いました。miyaさんが示す考えに従うならば、

旧投稿ブロックの方針のうち、

・即時ブロックに関する部分だけが「改定案」へ移行する。
  即時ブロックは、あくまで、あるアカウント、または、ある(範囲の)IPアドレスからのアクセスを禁止する技術的手段で
あり、管理者の裁量で対処される。
・従来のブロック依頼を経由する「通常の」投稿ブロックについては「追放の方針」へ移行する。
  「追放」は、ある「ユーザー」の投稿や編集を禁止するもので、コミュニティの合意に基づき執行される。

という構図になります。

このような制度のおきかたについては、理解できました。「再改訂草案」(または、その元となる私案)は、主に、完全に「改定案」に移行すると、明らかな荒らしではなく、悪意はないがコミュニティを混乱させるような利用者についての対処や、何らかの理由で管理者の対処がなされない事例などを考慮して、従来の「通常の投稿ブロック」を用いて対応が可能なようにしようというのが目的でした。この対処の仕方は、miyaさんが示す方向から捉えると、逆行しているように捉えられるでしょう。

丹念に各所の議論を追うと、そのような認識で書き込んでいることを感じるものもありますし、方針の記述からそのように認識していてもよかったように思います。しかし、この考えが一般に認知されているかどうかについて、疑問が残ります。

少なくとも、ぼくはこのように認識していなかったし、改定案の改良について議論していた方々も同様ではないかと思います。旧方針の「改定案」として即時ブロックの方針に相当するものがサブページに存在し、それはenの翻訳として、また「進行中の荒らし対策」として提出されていました。他方、草案である「追放の方針」は、方針の冒頭で「投稿ブロック」とは違うことが強調され、投稿ブロックの方針から独立して存在し、ノートでも投稿ブロックとの関連については語られていません。「追放の方針」自体、その内容を確認するための議論がノートで行われている段階でもあります。

そこで、まず、大きな枠組みとしては上の認識に従って、今後「改定案=即時ブロックの方針」と「追放の方針」についての議論を進めていくということでよいのかどうかを確認させてください。以下に、いくつかの質問を用意しました。質問以外の文章は、ななめよみしていただいてもよいかと思います。1.の質問に「反対」であれば、どのような意味合いで反対なのか、コメントをいただけると助かります。賛否という表現は、「確認」という意味合いでは適切ではないかもしれませんが、ご容赦下さい。また、追放やブロック関係の議論に継続的に参加されない方、できない方も、この機にコメントや、さらに下の問題点の指摘の所でご意見を頂ければ、以後の参考にさせて頂きます。被ブロック/追放者への配慮と、効果・実効性のバランスをとらなければいけない方針ですので、特に、ブロックを行っている管理者の方々や、荒らしにつきまとわれたりした経験のある方のご意見は参考になります。

現時点で、確認のための賛否を示す上で読む必要はありませんが、おおよそのイメージを掴むため、また将来の叩き台として、文案を用意しました。だいぶラフなので、そのへんはご容赦下さい。文章の多くは、各文書および草案からの流用で、既に指摘されている問題点については対処している部分と、そのままになっている部分があります。(現時点では、各ページは編集しないようお願いします)

利用者:Ks aka 98/ブロックと「追放」利用者:Ks aka 98/即時ブロックの方針利用者:Ks aka 98/追放の方針利用者:Ks aka 98/追放依頼

また、これまでの議論の経緯については、以下をご参照下さい(過去ログを含む)。

再改訂草案の進め方への批判もあるでしょうし、進めていた側としては、もっと早い段階で指摘できなかったのかという思いもありますが、そのへんは、ここで俎上にのせることを避けたいと思います。


期間など

何かを決定するわけではないので、投票資格は特にありません。期間は、参照すべき文書が多いため、1月末日までとしたいと思います。

投票方法についての検討は行われていませんが、明らかな賛成多数でなければ、コメントを元にして議論を再構築することになりますし、賛成多数となったところで継続して議論を進めなければいけないので、投票形式ではありますが、意識調査という意味合いで受け取って頂ければと思います。期間後の意見表明も、議論の中に吸収されるでしょう。

従来の「投稿ブロック」と将来的な「即時ブロック」と「追放」の関係の確認

現在、改定案の暫定運用中でありながら、部分的に旧方針を運用しているという中途半端な状態です。内容についての議論を進め、即時ブロックの方針および追放の方針の正式化は、あまりのんびりと構えるべきではないでしょうし、現在の運用において、暫定的にでもどの方針を参照することが適当かということを知るためにも、将来的な制度デザインについて理解を共有していることが望まれるように思います。

というわけで、

1.従来の「投稿ブロック」と将来的な「即時ブロック」と「追放」については、内容についてはさらなる議論が必要であることを前提とするとしても、上の枠内にあるような関係であると認める、ということについて、賛否をお聞かせ下さい。

なお、「追放」については、無期限の編集禁止という認識が一部にありますが、有期限の追放、またあるテーマに関係する項目からの追放なども、「追放の方針」の草案には記載されていることをご確認下さい。

当面の文書の位置

改定案の非サブページ化

さて、事実上「追放の方針」として運用されている「投稿ブロックの方針」のサブページに「改定案=即時ブロックの方針」が置かれている状態は好ましくないように思います。従来の「投稿ブロック」と将来的な「即時ブロック」と「追放」の関係の理解に混乱を招き、即時ブロックの方針が「投稿ブロックの方針」として正式化が、追放の方針の正式化と同時に行われなければならない位置におかれてしまい、既に試験運用に入っている「改定案」の正式化を阻害してしまいます。

そこで、

2-A. 当面の対処として、現「改定案」を「即時ブロックの方針」へ移動とするという提案をします(これに伴い、従来の投稿ブロックの方針の即時ブロック関連の記述は除去あるいは暫定的に効力を持たないとする注記を加える)。1.に賛意を示された方は、この移動についての賛否をお聞かせ下さい。

従来の「投稿ブロック」と「追放の方針」

追放の方針を巡っては、arbcomの扱いなど、深刻な論点が残されていましたが、従来の投稿ブロックの方針のうちブロック依頼によるものからの移行と考えるならば、多くの点で進展が見込めます。とはいえ、従来の投稿ブロックの方針と追放の方針の文面には、かなりの隔たりがあるようにも思います。また、即時ブロックと追放は異なるものではあるが、たとえば個人攻撃を繰り返し行う利用者について管理者ではないユーザーが対処を求める場合には、どのようにすればいいのかというページが必要ではないかと思います。

そこで、

2-B.「wikipedia:ブロックと追放」というような文書を作り、従来の「投稿ブロックの方針」および「投稿ブロック依頼」については暫定的にこのままにして、「追放」関連文書の正式化と共に歴史文書とすることを提案します。1.に賛意を示された方は、この点についても賛否を示して頂けると助かります。

(質問)歴史文書ってなんでしょうか。--やすとし 2007年1月8日 (月) 00:41 (UTC)[返信]
Template:Historicalのつもりでした--Ks aka 98 2007年1月8日 (月) 17:10 (UTC)[返信]
理解しました。--やすとし 2007年1月9日 (火) 02:18 (UTC)[返信]

意見表明

以下に、次のような書式で、賛否(賛成/反対)をお願いします。特にコメントを残す必要がある場合はコメントの下にお願いします。

*(1.について賛否)・(2-A.について賛否)・(2-B.について賛否)--~~~~


賛否


コメント

  • なによりも各文書の位置づけがはやく明確になることを強く望みますので、その実現のために、Ks aka 98さんのご提案に基本的に賛成します。ですが、(下で示されているような)これまでに提出されている問題点の検討・改善が速やかになされることを2. の賛成の条件といたします。--Aotake 2007年1月8日 (月) 01:41 (UTC)[返信]
  • 2-B.についての条件:利用者:Ks aka 98/ブロックと「追放」を拝見したところ、Ks aka 98さんはブロック権限行使の実際についてあまりご存知ないようでした。ブロック関連文書整備は、実際にブロック権限を何度も行使し、そのシステムと限界を熟知なさった上でお願いします。--miya 2007年1月13日 (土) 16:40 (UTC)[返信]
  • 追放とブロックについて:Ks aka 98さん、論点の整理をありがとうございました。「もっと早い段階で指摘できなかったのか」と思われるのはもっともです。ただ、私には議論を追う余裕も無く、ごく最近まで、みなさんが何を問題となさっておられるか、さっぱり理解できなかったのです。「改定案=即時ブロックのみ」であることが理解されていないとは思いもよりませんでしたが、確かに今読み返せば明示的には書いてありません。日々ブロックを実行するsysopには自明のことですが、これが一般ユーザーに知られていなかったとしたら、それは改定案翻訳に部分的にしろ関わっていた私にも責任があります。この点、深くお詫びいたします。過去を振り返ると、最初、ウィキペディアには投稿ブロックというシステム自体ありませんでした。2004年に実際に行われるようになりましたが、最初は件数もそう多くありませんでした。ウィキペディアの知名度が上がるとともに荒らしも増え、投稿ブロックを必要とするケースも2005年、2006年とあとになるほど増えて、いちいち議論して決めていては追いつかない、という危機的状況に対応すべく導入されたのが、英語版の方針を翻訳した改定案です。--miya 2007年1月13日 (土) 16:40 (UTC)[返信]
  • Wikipedia:ブロックと追放 は即時ブロック(=現状の改定案)と追放(≒現状の再改訂案)の違いについての文書として。Wikipedia:投稿ブロック依頼 は移動して Wikipedia:追放依頼 にしてしまえばよいと思います。--hashikure 2007年1月24日 (水) 05:21 (UTC)[返信]

現在認識されている問題点

さて、1.について合意ができているとするとします。「改定案=即時ブロックの方針」に対しては、既にいくつかの問題点が指摘されています。「追放の方針」についても、英語版と日本語版の食い違いなどから正式化の目処は立っていないように思います。

そこで、以下に、現在既に気付いている問題点を列挙して頂けると助かります。1.で示した路線で進めるならば、いくつかの点については方向性が見えてきていると思います。また、コミュニティの合意によって決定しなければいけない点もいくつかあるように思います。既に指摘されている点やぼくが気付いた部分については、あらかじめ記載しておきます。書き加えたりしていただけますでしょうか。なお、かなり先回りしている話なので、踏み込んだ議論はさておき、思いつきでも。


双方にまたがる問題


即時ブロックの方針

  • コミュニティがブロックを求めたが、管理者が対応しない場合どうするか。→「追放」へ誘導?
  • ユーザーネームや公開アカウントではなく、追放の対象と重なるような行為で、荒らしや個人攻撃だけを行うアカウントやIPではなく有意な編集も行っている場合の対処。ブロックするかどうかが管理者個人の裁量に委ねられることで、権限が濫用気味に運用されたり、誤認によるブロックがされたりする可能性は、コミュニティの合意を経た従来の投稿ブロック=追放よりも高いと思われるため、即時ブロックの対象をより明確に限定する、即時ブロックの期間を制限する、異議申し立てを容易にする(改定案に記載無し)、などで対応するのが望ましいのではないか。
  • 追放の対象と重なるような行為について、無期限、長期のブロックは可能か。原則的には短期として、ある期間を超える場合には追放依頼とするのはどうか。
  • 即時ブロックされた利用者のソックパペットは、即時ブロックの対象はあくまでアカウント/ipであることに照らして考えるならば、ブロックの理由とすべきではない。現在の制度は、ブロック可能、さらにブロックされた利用者の投稿を差し戻しできるが、これは追放された利用者に限るのか。

追加もしくは言い換え

  • 多数のユーザーが伝言版でブロックを求めたが対応する管理者がいない場合、「追放依頼」でコンセンサスを形成する、としてはどうか。
  • 「誤認」や「濫用」の害を防ぐには、(1)第三者が疑問を感じた場合は、本人から異議申し立てがなくても追放依頼に出すことを推奨する。(2)MLで本人から異議申し立てがあれば、ブロックした管理者もしくは第三者が追放依頼に出すことを推奨する、とすれば良いのではないか。--「GFDL」や「著作権」を理解しないユーザーは即時「無期限」もやむをえない--
  • 荒らしはルールの隙をついてくるので、即時ブロックは「無期限」まで可能にする代わりに、異議申し立ての機会は保証する、で良いのではないか。
  • 追放の対象と重なるような行為について、1年を越えるブロックは、原則的としてブロックした管理者もしくは第三者が追放依頼に出すことを推奨する、とすれば良いのではないか。
  • ソックパペットとして対処する場合は、即時ブロックの事後に追放依頼でソックパペットをリストアップして「追放」を検討してはどうか。

追放の方針/追放依頼

  • 「追放」という表現を「編集禁止」などに改める必要はないか。
  • 「追放」に、懲罰的な意味合いはあるのか。
  • arbcomの扱いをどうするか。従来の投稿ブロックからの移行を前提とするなら、「追放依頼」によってコミュニティの合意を経て「追放」ということでよいのか。
  • 救済措置をどうするか。
  • 「追放」には無期限/永久というイメージがあるが、これを改めるために記述を工夫する必要がある。
  • 追放審議中のユーザーがブロックされている場合、発言する機会を保証する必要があるのではないか。

追加もしくは言い換え

  • 「追放」と和訳せず、ブロックと同じく「バンの方針」とカタカナで書いてはどうか。
  • BAN審議中のユーザー(ブロック中)の反論はWikiJA-lで保証されている、として良いのではないか。
  • BANが決定するまでは、BAN審議中のユーザー(ブロック中)は異なるIPでウィキペディアに書き込みをして良いのか?

追放とブロック

Ks aka 98さん、一点確認させてください。メタと英語版ではもともとBanの方針と投稿ブロックの方針がひとつのページにあったということはご存知でしたか? IRCやメーリングリストの話し合いがあって、メタにmeta:Bans_and_blocks/old というページがまとまって、それを英語版に移植して、en:Wikipedia:Bans and Blocksとなり、やがてen:Wikipedia:Banning policyが分離され、Wikipedia:Bans and Blocks は en:Wikipedia:Blocking policyに移動されました。それに関連してen:Wikipedia:Arbitration Committeeen:Wikipedia:Quickpolls policyの整備も行われています。--miya 2007年1月13日 (土) 16:40 (UTC)2007年1月24日 (水) 09:09 (UTC)[返信]

おそくなりました。それは知りませんでした。--Ks aka 98 2007年1月16日 (火) 02:51 (UTC)[返信]
「Wikipedia:ブロックと追放」 は「方針やガイドラインとして正式化」するのではなく、「説明文書」とし、関係する方針やシステムが変わるたびにこまめに訂正するのが良いのではないかと思います。--miya 2007年1月24日 (水) 09:09 (UTC)[返信]

問題点の確認させてください

今まで議論に参加していなかった新参者ですが、参加させて下さい。今までの議論は長期にわたり新たに議論に加わろうとするものにとっては非常に分かりにくくなっていますので、誤解を恐れずに簡単にまとめると以下のような理解ですね。(文言が混乱を招く恐れがありそうなので記号で当て嵌めて考えて見ます)

まず前提としてブロックには2種類あって

  • Aブロック:ブロック可否、ブロック期間ともに管理者の裁量で実施。
  • Bブロック:ブロック可否、ブロック期間ともに一般ユーザ含めた審議で決定。

現在、方針の検討で討議されているのは

  • 案1:「Aブロックは対象期間を0日~1ヶ月未満、Bブロックは対象期間を1ヶ月~永久とする。そのほかに出入り禁止措置があるが、それは別途方針を検討してから」(再改訂案)
  • 案2:「Aブロックは対象期間を0日~永久、Bブロックは出入り禁止措置含めて別途方針を検討してから」
(ブロック期間無期限は事実上追放と同じなので「永久」と捉えました)

で、現状どうなっているかというと案2と一緒だが、但し書きとして「Aブロックでも対象期間が1ヶ月を超える場合は一応参考のため一般ユーザの可否意見を聞く」が付いている、と。 今、言葉として提起されているのはAブロック=「即時ブロック」、Bブロック+出入り禁止措置=「追放(仮)」と置き換えましょう、と。

ここまで考えると問題は単に言葉の問題でなく「Aブロックに対象期間1ヶ月以上~永久を許容するか(一般ユーザの意見を募るとしても)」ということだと思うのですが、その点については取りあえずペンディングにして現状を維持し、まずは言葉の認識の統一を図ろう、ということでしょうか?私の感想としては、まさにその問題点について長期にわたり再改訂案のノートで検討をしておられ、ある程度の合意の形ができつつあったように見受けられるのですが。--Redpepper 2007年1月10日 (水) 11:35 (UTC)[返信]

えーと、再改訂草案は、ぼくの気分としては、これまでA+B(「通常」はA)だった→全部Aになる(それと別に追放ってのもあるよ)→ええ!全部Bはまずいんじゃ?(追放はまだ先が見えてないっぽいし)…て感じでした。

再改訂草案検討時の理解としては案2、再改訂草案はおっしゃるとおり、案1です。で、

今ここ→案3:Aブロックの裁量の期間はまあさておく。Bブロックって追放(出入り禁止措置)と一緒ってことだったってことか!わかってなかったの俺だけ?それでみんなおk? 追放は、従来の通常のブロック依頼とほぼ同じようなもので、救済措置を加える分、厳しくなくなるようなもの、てことでおk? 確かに部分的で有期の追放もあるし…。

流れとしては、AとBがまとまっていた旧方針を、A,Bに分割しようという意図が「改定案」にあったなら、なるほど「再改訂草案」は逆行ではあります。miyaさんの反対意見の主なところは、「逆行」にあるっぽいでしから、分離して、そこは解決しちゃいましょう。 同じ方針内にAとBをまとめて置くことを求めて「再改訂草案」を考えてたわけではないので、全部Aだとまずいと思ってた部分をAとB=「追放」に分離することは可能ですから、そっちで進めるけど、また最後に、今度は違うところから、そんな話聞いてないといわれても困るので、んじゃ確認しておこうと。

つまり、言葉の問題も実は後回しで、

  1. AとBに分離する。
  2. Bは、当面は「旧ブロックの方針の該当部分」、将来的に「追放の方針」で、この二つは、救済措置など大きな差異はあるものの、およそ同じような位置づけにあり、旧ブロックの方針から追放の方針への移管は可能だとしても、同時に存在することはない。

てことを確認したい、というところでしょうか。

Aブロックの裁量の期間については、A,Bに分割することが確認されたら、Aのノートで再開しましょう。

ということで、よろしいですか。--Ks aka 98 2007年1月10日 (水) 13:35 (UTC)[返信]

わかりました。ありがとうございます。とりあえず意図については理解いたしました。--Redpepper 2007年1月10日 (水) 15:12 (UTC)[返信]

井戸端での意見

以下転記します

投稿ブロックの判断基準 違反者に対する「投稿ブロック期間」について、あまりに基準が曖昧なように感じます。第一点として、ブロック期間が明確にされていません。罪状に応じて、短期1~10日間、中期10~60日間、長期60~120日間、無期限ブロック…と設定すべきではないでしょうか?

基本的に、短期 → 中期 → 長期 → 無期限 …と段階的に施行すべきだと思います。120日というのはかなりの長期であり、それ以上になると設定しても、実質「無期限」と変わらないので、この4段階くらいでOKかと思います。長期・無期限というのは「実刑」に等しく、ある種の「執行猶予」システムは必要に思うのです。

第二点として、投稿ブロックの投票についても、疑問を感じるケースが多々あります。問題の当事者である人間が投票を行うのは、避けるべきだと思うのです。投票する人数が少ないのは分かりますが、民主的なルールとは言い難いです。

また、一度こうしたブロック期間の制裁を受けても、一年間まじめにルールを遵守していれば、一段階前のステップになる…と言ったシステムも、必要かと思います。むろん、あまりに悪質なものについては、即時剥奪もやむなしのケースもあるかと思いますが、それもこういったシステムの上でやらないと、不公平感を感じざるをえません。

第三点として、何人かにより「ブロック期間に対する意見」が出そろった際に、なんら意見統一がされる事なく、勝手にブロック期間が決められている事が、多々あるように思います。こうしたケースを避ける意味でも、ある程度のステップを設ける必要性があるように思います。

このシステムが完璧とは思いませんが、現状のシステムには問題が多いと思うのです。古参・常連ユーザーによる「ウィキペディアの独占」…という声も叫ばれる昨今、こうしたルール作りが必要に感じます。--219.105.39.236 2007年1月16日 (火) 22:25 (UTC)

以上、井戸端から転記しました。--Ks aka 98 2007年1月18日 (木) 06:07 (UTC)[返信]

部分的投稿制限の提案

Ks aka 98さん、上記の転記も含めた議論のとりまとめ、お疲れ様です。私は(個人的には一応「ホリデー中」と言うこともあって)、これまでの議論で指摘されてきた問題点(もちろん、ks_aka_98さんはご承知のもの)が少しでも解消される方向で、規約の修正が促進されるのであればOKの立場で、単純な「賛成・反対」の意見表明は差し控えているところです。つまり、「議論を促進」することに賛成、「議論を遅延」させる投稿態度には反対、の立場です。上記の井戸端からのご意見も踏まえて、2つ提案をいたします。--Anonymous000 2007年1月24日 (水) 00:34 (UTC)[返信]

  • 「部分的投稿禁止」規定の先行導入の提案
Wikipedia:追放の方針」の先取りとして、このWikipedia:投稿ブロックの方針に、「部分的編集(投稿)禁止」の規定を先行導入する、ことを提案します。(ks_aka_98さんがとりまとめ中の、投票での意見集約を妨げるものではありません)。具体的な修正案を、差分でお示しします。
特に反対のご意見がなければ、意見集約の終了する1週間後以降、修正案をこの投稿ブロックの方針に先取りして入れてしまうといいのではないか、と私は思っています。
(意見募集の告知はTemplate:意見募集中には追記しました。井戸端等で既にks_aka_98さんからしていただいていますし、先ほど私の方でコメント依頼も更新してきましたので、後は、修正が完了した場合に改めて告知、ということで十分かな、と私は思っています

皆様のご意見をお待ちいたします。--Anonymous000 2007年1月24日 (水) 00:34 (UTC)・全般に少し修正。--2007年1月24日 (水) 00:54 (UTC)・版保護解除に伴い、節の名称等を変更--Anonymous000 2007年2月8日 (木) 14:29 (UTC)[返信]

提案の趣旨

(投稿)--Anonymous000 2007年1月29日 (月) 11:17 (UTC)。この節の修正を歓迎します。[返信]

ウィキペディアのコミュニティには、多数のウィキペディアンが参加しています。例えば、投稿や編集の質が非常に高い方もいれば、余り高くない方もいます。また、投稿や編集の質が余り高くない方に対して、安易に排除を考える方もいれば、比較的寛容に受入れようとする方もいます。それぞれのウィキペディアンは、それぞれの意見を持っており、非常に多様性があります。もちろん、明白な「荒らし」を繰り返す不適切なユーザーは排除する、という点では大きくは違わないでしょう。しかし、余り質が高くない投稿や編集を繰り返しながらも、何らかの貢献をウィキペディアに対してできているユーザーを排除(すなわち投稿ブロック)するか否か、するとしてどの程度の期間の投稿ブロックを適切と考えるかについては、個々のウィキペディアンごとに、さまざまな意見があります。これは、これまでのWikipedia:投稿ブロック依頼の審議の結果をみると、明らかです。過剰な投稿ブロックを行うと、それが過剰であると考えるユーザーに厭な後味や不満を残すこともあるでしょう。

ウィキペディアンの中には、対話や議論を好まない方もいますが、対話を重視することが、強く望まれています。そして、ウィキペディアンの中には、自分とは直接関係のない事項であっても、論争が生じているときに、第三者的な立場から、善意で、仲介に乗り出す方も、少なからずいます。これは、一般には、百科事典としてのウィキペディアの記事の充実など、プロジェクトの利益につながります。さらに、投稿ブロックを受けることになるユーザーに対しては、相当慎重な配慮を行わなければ、「LTA:VIP/LTA」、すなわちソックパペットを用いたブロック逃れによる長期の荒らしになることすらあります。

これまでは、ブロック依頼をされたユーザーに対しては、過去の履歴の中に、いくらかでも貢献している部分があるとしても、ブロックするか、しないか、という2者択一しか選択できませんでした。部分的投稿制限は、投稿や編集の質が余り高くなかったり、問題行動がいくらかみられるとしても、それ以外の部分での貢献が一定程度評価できる場合に、本人にその事実を知らせた上で、評価できる部分での貢献のみを可能とすると共に、問題のある編集を禁止することで、ブロックよりも制限の少ない方法で、問題の軽減を図ることを目的として、設けられる制度です。条件の決定は、任意に仲介に乗り出したいと考える「ボランティア」の協議によって、コメント依頼(等)の場を用いて行われます。この協議で編集禁止の範囲を定める際には、特に、制限を受けることになるユーザーに承諾があることが望まれます。協議が整った場合には、投稿ブロック依頼を準用して、その協議の内容の是非をコミュニティで決定します。

コメント

端くれの錬金術師(hashikure)さんの反対意見

節の分離--Anonymous000 2007年1月31日 (水) 08:22 (UTC)[返信]

コンセプトとしては理解できなくもないのですが、問題が大きいと思われます。実効性を確保するためには、部分的投稿制限の対象者の投稿履歴を常時ウォッチしなければいけませんが、それは誰の役割になるのでしょうか。そもそも投稿可能な範囲に制限をかけてもあまり意味がないと思います。むしろ活動の場を広げてしまう可能性もあります。--hashikure 2007年1月24日 (水) 06:13 (UTC)[返信]

  1. 先取りして、改訂作業が大変になるのではないかと少し心配ですが、個人的には反対しません(賛成!と言い切る自信もないのですが)。
  2. Anonymous000さん、投稿制限を行うかどうかはブロック依頼で決め、細かい条件やペナルティはコメント依頼で他の人たちの意見を集約して詰めてはどうでしょうか(というか、以前のケースではそんな感じでした。とりあえずお知らせまで)。
  3. hashikureさん、「実効性」については心配要らないと思います。頼まなくてもウォッチし続けてくれる人がいるでしょうし、また常時ウォッチしていなくても、投稿制限を受けるようなユーザーの行動は目立つので見逃されることはないでしょう。制限を守らないなら、全面BANとなります。つまり、編集制限はある意味で、困った編集と問題ない編集の両方を行うユーザーに対する救済措置なのです。--miya 2007年1月24日 (水) 09:34 (UTC)・コメントの便宜のため、Anonymous000により番号を付記--2007年1月27日 (土) 11:42 (UTC)[返信]
hasikureさん、miyaさん、ご意見ありがとうございます。まず、miyaさんの1番で、基本的な方向として「反対ではない」というご意見をいただきありがとうございます。修正作業については、(この議論に何ヶ月もかけると言うことなく)1週間程度で合意が得られるのであれば、私の方で、合意に沿ってこの方針を直接編集しようと思いますので、履歴統合など管理者でなければできない面倒なご負担をかけなくても、作業は可能だと思います(履歴上若干日付が遅れることになりますが、数週間ならば許容範囲では?と私は考えています)。2番目についても同感です。投稿制限を受けることになるユーザーの同意が基本的には望まれますし(それが被害拡大のためには一番望まれることです)、投稿制限を受けることになるユーザーごとに、個別具体的に、制限の範囲を決めていく必要もあるため、事前のコメント依頼が望まれます。そこで、これを推奨する規定を入れてみました(差分)。--Anonymous000 2007年1月27日 (土) 11:42 (UTC)[返信]
3番目のご意見、つまり、端的に言えば、hashikureさんのご主張には無理があるのではないか、というmiyaさんのご意見に、私も全く同感です。hashikureさんは、故意に「反対のための反対」を行うことによって、議論攪乱を図っているわけではないと善意に取りたいとは思います。しかし、そうだとしても、きつい言い方になりますが、hashikureさんのご主張は、「ボランティア」によって運営されているというウィキペディアの根本についての、誤った理解に基づくように思えます、つまり、そもそもの前提を欠くhasikureさん「独自の見解」と言わざるを得ないのではないでしょうか?。Wikipedia名前空間のノートにおいて、私のようないまだ「初心者」から、「ベテラン」のhashikureさんに対して、このような基本的な説明からしなければならないことを、大変残念に思います。--Anonymous000 2007年1月27日 (土) 11:42 (UTC)[返信]
わかりました。実効性の担保という点では退きましょうか。しかしまあ、ここまで見事に曲解されてしまうと、逆にAnonymous000さんに他意があるのではないかと僕のほうが疑いたくなってしまいますね。そもそもmiyaさんは僕の懸念に対して「心配要らない」と言っているのであって「主張に無理がある」とは一言も言っていませんよ。御自分に都合のいい解釈はやめたほうがよろしいかと。なにはともあれ、実効性云々よりもボランティアで運営しているからこそ、コミュニティの負担を徒に増やすだけであまりメリットをもたらすとは思えないこの提案には賛成できないんですが。というわけで明確に「反対」を表明しておきます。いくら問題ない編集も行なっていようとも、問題ある編集が看過できないレベルにあるのであれば単純にブロックすれば済む話ではないですか。ブロック期間中に頭を冷やして方針文書を読んでもらう、そしてブロックが明けたら執筆者として戻ってきてもらう。これじゃ不足なんでしょうか。過去の類似例としてMh35氏の後見制度、編集制限がありましたが、たった一人について決定、運用するだけでも多大な労力を必要としています。このような例を増やしていくことがコミュニティにとってプラスになるとは思えません。どうしてもというのであれば英語版のようにMediaWikiの設定変えて、ブロックされていても特定のページだけは編集可能にしとけばいいんじゃありませんか?具体的にどれくらい細かい設定ができるのかは知りませんが、こちらであれば反対はしませんよ。もっとも、無期限ブロックされたユーザー達まで戻ってきてしまいますが。--hashikure 2007年1月27日 (土) 17:42 (UTC)[返信]
素早いコメントありがとうございます。「曲解」かどうかはともかく、私の提案の内容を、hashikureさん(先ほどuser:端くれの錬金術師さんに戻られたようですね。)とは共有できていないように、私は思うので、前提として一つ確認させてください。hashikureさんが<デメリット>として上げられている「コミュニティの負担を徒に増やす」こと、というのは、具体的に、どのようなことを、コミュニティのメンバー(の誰か)がすることであると、hashikureさんがお考えか、教えていただけますか?(ちなみに、Mh35さんの件は、私もあらかた存じており、今回の提案にあたって一部参考にもしています。しかし、今回の提案は、あくまでも、Mh35さんの際にとった方法とは別のものです)。(追記)また、メディアウィキの設定をいじるような大がかりなことを提案しているわけではありません。--Anonymous000 2007年1月27日 (土) 23:14 (UTC)「(追記)また、」以下を追記--2007年1月27日 (土) 23:25 (UTC)[返信]
提案の内容は理解しているつもりですよ。理解したうえで「デメリットばかりが思い浮かんでメリットが見えてこない」と思っているわけです。繰り返しになるような気もしますが、僕の考えるデメリット=コミュニティの負担としては次のようなものがあります。
  1. 投稿を制限する範囲の決定 - (a)投稿ブロックするか否かだけを決めるかだけでも大変なのに、(b)投稿履歴を見てどこを制限するのか決めなければいけない。(c)編集に問題があると認定された時点ですぱっとブロックしてしまうほうがよほど楽。
  2. 対象者の追跡・ブロックの実施 - すでに実効性については問題視していませんが実際問題として(d)相当の負担になる。特にブロックを実施する管理者の方が。
  3. 対象者が「投稿制限がかかっていない範囲」で暴れたとき - 対象者が投稿を禁止されていない場で問題を起こしたとき、再度投稿制限orブロックについて審議しなければいけない。1.に戻る。
特に3.については見落としているのではないかと思います。これは上でmiyaさんが述べている「制限を守らないなら、全面BAN」とは逆で、たとえば(e)「記事名前空間の編集禁止」となった利用者がノートや会話ページで暴れ始めた場合、彼/彼女は部分的編集制限に抵触しているわけではないのでブロックは発動できません。止めるためには一から審議をやり直す必要があります。Mh35さんの例を見ても、「ここは制限かかってない」といって問題行動を拡大させる可能性は極めて高いと言わざるを得ません。
最後に、Anonymous000さんが考えるこの制度のメリットは何なのでしょうか。聞こうと思ってすっかり忘れていたのですが、デメリットを甘受するだけのメリットが提示されていない状況で「賛成しろ」といわれても無理があります。--端くれの錬金術師 2007年1月29日 (月) 06:42 (UTC)・コメントの主語等を明確化するために、Anonymous000により、下線部の(a),(b)...を挿入。--2007年1月29日 (月) 11:17 (UTC)[返信]
(インデントを少し戻します)話が食い違うおそれがあるので、主語等を確認させてください。1について。(a)で投稿ブロックをすることを決める、という主語は管理者ですか?投稿ブロック依頼で意見を表明する個々のユーザーですか?(b)は、投稿ブロックの依頼の協議に参加するユーザーということですよね?(c)は、管理者による裁量ブロックの話ですか?それとも、投稿ブロック依頼の話ですか?2について、(d)の主語が、ブロックを実施する管理者であれば、負担になるのであれば監視する必要はありません。ボランティアですから。ユーザーであっても同様です。目に余る(制限事項に違反していることも含めて)と思えば、管理者も含めたユーザーの誰かが再度ブロック依頼するか、負担になると思わない管理者の誰かが、裁量でブロックをするでしょう。3について、「投稿を禁止されていない場」というのは、JAWPのローカルの話ですか?それとも日本語版の姉妹プロジェクトや他言語版の話ですか?以上、教えてください。--Anonymous000 2007年1月29日 (月) 11:17 (UTC)[返信]
なお、hashikureさんが、Mh35さんの編集制限の条件協議に加わったような履歴は私が見た限りではなかったように思います。もし、このような制限を決める協議に加わる方であれば、(e)で例としてあげられているような、「記事名前空間の編集(のみを)禁止」するといった、部分的投稿制限の取り決めをすることがあるのか、とても疑問です。このようなあまり想定しがたい制限事項とすれば、確実に、一から審議をやり直す必要がでるでしょう。しかし、部分的投稿制限の協議に任意かつ善意で加わるユーザーであれば、そのようなことがなるべくないように、知恵を絞りながら、制限の範囲を合理的に決めていくでしょう。端くれの錬金術師さんが、そのような協議に参加するかしないかは、端くれの錬金術師さんのご意向次第です。--Anonymous000 2007年1月29日 (月) 11:17 (UTC)[返信]
「メリット」については、#提案の趣旨にまとめました。--Anonymous000 2007年1月29日 (月) 11:17 (UTC)[返信]
要約欄に記載された「orz」という表現は、この場での議論の要約にふさわしくない表現だと私は思いますので、今後はご考慮ください。--Anonymous000 2007年1月29日 (月) 11:17 (UTC)[返信]
答える気力も失せてきたのですが、質問された以上は答えましょう……。
  • 1.(a) 主語はjawpのコミュニティを構成する個々の利用者です。最終的に決定するのは管理者ですが、それはボタン係としてであり主語とするのは不適当です。
  • 1.(b) ほかに誰がいるんですか?(a)と同義、コミュニティを構成する個々の利用者です。実質的にはそうですが「投稿ブロック依頼で意見を表明する個々のユーザー」と限定するつもりはありません。
  • 1.(c) なんでここでの議論に裁量ブロックの話が出てくるんですか?当然投稿ブロック依頼での話です。依頼提出→審議→ブロックの必要あり→ブロック発動
  • 2.(d) 対象者の履歴をチェックし(どこかに)報告する利用者およびそれを受けてブロックを実施する管理者です。「負担になるのであれば監視する必要はありません」「目に余る(制限事項に違反していることも含めて)と思えば、管理者も含めたユーザーの誰かが再度ブロック依頼するか、負担になると思わない管理者の誰かが、裁量でブロックをする」とのことですが、監視する人・ブロックする人がいなければ編集制限は効果がありません。再度ブロック依頼が必要なのであれば編集制限の枠外です。裁量ブロックも編集制限の枠外です。つまりこの制度はただの張りぼて、竹光、無用の長物という理解でよろしいので?
  • 3. なんで姉妹プロジェクトや他言語版の話が出てくるんですか?jawpローカルでの決定が他プロジェクトにおいて何の効力も持つはずないじゃないですか。全プロジェクトを拘束し得る決定を出したいのであれば……Jimbo Walesにでも頼んでください。
  • 3.(e) 「記事名前空間の編集禁止」はただの例に過ぎません。一例ですが、対象者が「依頼時点で記事名前空間でしか活動していない」のであれば「記事名前空間の編集禁止」以外の制限をかけられないのでは?どう「任意かつ善意で合理的に」考えたとしてもやってもいないことに対して制限をかけるのは無理な話です。「hashikureさんが、Mh35さんの編集制限の条件協議に加わったような履歴は私が見た限りではなかったように思います」はい、僕はMh35さんの件には関与していません。それがどうかしましたか?それは貴方も同じこと。ここでの議論に何の関係があるんでしょうか?
  • orz これも答えなきゃいけないんですか?2007-01-29T06:42:48においてうっかりmiyaさんに敬称付け忘れたから「ごめんなさい」これ以上の説明が必要ですか?
「メリット」も拝見しましたが、そのレベルであれば投稿ブロック依頼ではなくコメント依頼に持っていくべき。そこで改善が見られればめでたしめでたし、見られなければ投稿ブロックへ。現状でもこうですよね?
全部答えましたが、こんな枝葉末節をつっついておもしろいですか?もっと実のある議論しましょうよ。--端くれの錬金術師 2007年1月29日 (月) 13:31 (UTC)[返信]
お答えありがとうございます。端くれの錬金術師さん(以下「あなた」と呼称させてください)のコメントの意味が確認できて良かったです。特に、Wikipedia:管理者の冒頭に示された、管理者は「ボタン押し係」である、つまり、「管理者にも大きな権限を持たせるべきではない」というコミュニティでの現時点での合意事項について、共有できていることを確認できたのは幸いです。
1.(a)では、「jawpのコミュニティを構成する個々の利用者が、投稿ブロックするか否かだけを決めるかだけでも大変」ということですね。hashikureさんのご意見から導けそうなのは、「投稿ブロックを解除するか否かをきめるかだけでも大変」(重複した「だけ」を一つ取りました)ということになりそうです。また、「追放するか否かを決めるだけでも大変」ということになりそうです。そういえば、短い期間の間に、(無期限ブロック中のユーザーについて)2度目のブロック解除依頼で解除しないことをコミュニティが決めた後に、さらに「追放」依頼を出した方がいて、「追放しない」という結論が出たことを思い出しますが、あのようなことを決めることは、大変でしたね。少し、この議論とはずれますので、この点についてのコメントは不要です。
1.(b)は、「(実質的には)コミュニティを構成する個々の利用者が、投稿履歴を見てどこを制限するのか決めなければいけない(のが大変)。」というのが、あなたのご意見ですね。これは、すでに、miyaさんが、「(「実効性」については心配要らない理由として)頼まなくてもウォッチし続けてくれる人がいるでしょう...(後略)」と既にコメントし、あなたが、「実効性の担保という点では退きましょう」とコメントしたあとに出てきているものです。あなたが大変であれば監視する必要はないですし、頼まなくても(自発的に)ウォッチし続けてくれる人がいる、と私も思います。議論が堂々巡りになりそうですね。
1.(c)については、#Aphaiaさんの反対意見で書きます。
2について、「張りぼて」と見るか、「自発的な合意による効力」を期待すると見るかは、見解の相異としてあり得るでしょうね。下も併せてお読みください。
3(e)については、下の#ぶったぎり?で、ks_aka_98さんが、答えを示してくださっていますね。こういう例を思いつくのが、コメント依頼などでの交渉をまとめるのが上手な方なのだろうと思います。あなたが、Mh35さんの編集制限の件以外で、議論をきちんとまとめたことがあるかどうかは存じませんが、同様の経験がなく、使うあてもない方であれば、私から説明しても、それがうまく伝わりにくいでしょうね。
orzという要約については了解です。そう言う意味だとは尋ねてみないと分かりませんでした。「スラング」を要約にかくのが適切かどうかは、もう一度考えてみられることをおすすめします。
あなたが「枝葉末節」と思われることは、私にとっては、「前提の確認」ですので、見解の相違があるようですね。気力がなくなれば、議論から去る自由はあなたにはありますので、念のため、お知らせしておきます。--Anonymous000 2007年1月31日 (水) 08:22 (UTC)[返信]

Aphaiaさんの反対意見

節の分離--Anonymous000 2007年1月31日 (水) 08:22 (UTC)[返信]

端くれさんじゃないですが、「部分的追放」がきちんと行われないで逸脱行動が起きると、その周辺ではいろいろな衝突や消耗が起こります。Mh35氏の例でいえば、他プロジェクトで問題のある行動をしてブロックをしたところ、ウィキペディアでの後見人に訴えかけたり当該プロジェクトにそれまで参加していなかった後見人の方を議論に連れてきたりといろいろ振りまわしてくださいました。またその間「私はウィキペディアでは編集制限を受けていますが、こちらでは規制を受けていません」等々きいてもいないことをいろいろ主張し、そしてウィキペディアでの禁止事項をいろいろとやってくださいました。そして消耗ということで言えば、Mh35さんもさることながら外野のそうした「後見人」の方々が入っていて説明を強いられるということは時間と資源の制約のあるところでやっている側からいえば大変迷惑なことでした。 そういうことで振り回された経験のある人間からすれば、余計な期待や逸脱を引き起こすようなレギュレーションはないほうがよい、と思っています。ですので、部分的編集制限というのは、私の見地からいえば、ないほうがいいです。おしめの取れない方には帰っていただく、百科事典というのはそれでよいのだと思います。--Aphaia 2007年1月29日 (月) 04:56 (UTC)[返信]

過去にそのような問題があったことを踏まえれば、JAWPで編集制限を決める際に、「他のプロジェクト(日本語版の姉妹プロジェクト、及び、他言語版のプロジェクト)での投稿をしない」、という取り決めを、決定事項に含めることが役に立つかも知れません。ただ、そのような取り決めを、ローカルで決めて良いかどうか(つまりローカルでの決定事項の範囲に属するか)どうかは、もしかすると検討する必要があるかも知れません。もっとも、原則論をいえば、他プロジェクトの問題を、JAWPのローカルに持ち込まれても、通常は対応ができません。他プロジェクトの問題は、原則としては、他プロジェクトで処理していただく必要があるでしょう。(もちろん、他プロジェクトから、JAWPで投稿制限中のユーザーに関して、JAWPの管理者をはじめとするウィキペディアンに対して、他プロジェクトでの問題に関して相談を受けたときに、JAWPのウィキペディアンの中に、そのような相談に対して、善意で任意に対応する方がいるのであれば、その方がそのような対応を行うことは、とても尊敬すべき良いことだとは思います。しかし、そのような方がいないときには、「困ります。そちらのプロジェクトの内部で処理してください」と答えるだけでしょう。)なお、今回の提案は、いわゆる「後見人」(法律用語としてみたときには差別的な用語ですが、それはここではおいておきます)をつけるような提案ではありませんので、誤解なきようお願いします。また、「おしめ云々」という点は、言い回しもともかくとして、内容としても、フリーなアクセスが可能なウィキメディア全体の問題のように思います。Aphaiaさんは顔が広いと思いますので、財団レベルの適切な方と適切な場所でお話しになるのが良いように思います。--Anonymous000 2007年1月29日 (月) 11:17 (UTC)・ Aphaiaさんのご指摘?を受け、 お名前のミススペルを修正(Apahia→ Aphaia)。失礼しました。--Anonymous000 2007年1月31日 (水) 08:22 (UTC)[返信]
早々のお返事ありがとうございます。後見人を付けるという話ではないということは了解しました。上で書いておられることと整合しないようにも思いますが、それには立ち入りません。
いただいたご反論は、失礼ですが、こちらの論点をそらしておられるように思います。制限を与えることで(そしてそれはこのプロジェクトの内部だけに有効な制限です)、逆に「制限されていること」=迷惑なこと、は他でならやっていい、というような誤解をする人がいて、本来の意図ではないにしても、結果的に他への迷惑の輸出になる、ということをいっています。いわば何をされると他人は嫌なのか、知恵をつけた状態で追放するというわけですね。そして歴史的経緯としては、他で何かすることについては寛容な態度を取って、自分のところでは課した制限を、そこでは適応されることはないはずだ、というようなことをいって逆にたきつける。ご自身は監視もせず責任をとりようのないところに対してです。そしてコミュニティのありようが当時からそれほど変わったという印象を私はもっておりません。かえって日本語版ウィキペディアの参加者の関心は中へと閉じて落ち込んでいっており、コミュニティの大きさに比べて積極的に自治に参加しようとする人の割合は減って眼の届きにくい状態が生まれやすくなる。ですのでこの状況で、そういう変な入れ知恵につながるおそれのある部分的追放には賛成できない、ということを申し上げています。
なおプロジェクトの自治と財団の関係については、Anonymous001さんは独特な理解をされておられるようですので、それらは私がいったことではなくAnonymous001さんの理解であるということを、私としてはここで確認しておきたく思います。--Aphaia 2007年1月29日 (月) 11:40 (UTC)[返信]
Anonymous000のコメント
  1. はじめに、お名前をミススペルしたことをお詫びします。「後見人」をつけるものではない、という点の、ご了解をいただきありがとうございます。「整合しない」のがどの点か分かりませんでしたが、立ち入らないということですので了解です。
  2. Aphaiaさんが「迷惑の輸出」を心配しているというのは分かりました。この場合の「輸出先」は、(外部サイトではなく)「ウィキメディア財団内の他プロジェクト」、という意味ですよね?(Mh35さんのケースでは、ウィキブックでブロック依頼の協議が行われているようですが、この件についてのコメントでしょうか?)つまり、ご心配されているのは、「未だ他のプロジェクトへの進出がないにも関わらず、そこへ行ってはいけないという制限について話し合うことによって、かえって他のプロジェクトへ行きたくなって、迷惑を広げてしまう場合もあるのではないか?」という意味でしょうか?そうであれば、なるほど、と納得です。つまり、編集制限の範囲を決める際には、「ケースバイケース」で、一律に「他プロジェクトへの進出」について議論しない方がよい場合もある、ということですね。もっとも、「ブロック」するにしても「迷惑を輸出」することはあり得るわけであり、編集制限特有の問題(デメリット)が何なのか、結局のところ、今ひとつよく分かりません。そのような悪質なユーザーに対する対応としては、ISPや警察等への通報のほうが合理的であり、そのための窓口(内部のウィキペディアンが、外部のISPや警察への通報を必要と考えたときに、それを検討・依頼するための「窓口」と、外部に連絡するJAWPの責任主体、つまり「連絡する連絡先・ユーザー」)を明確化すべきという意見を私は持っていますが、それはここでの議論ではないので、立ち入りません。また、望ましい投稿姿勢を「指導」することが、新たな迷惑を起こす「入れ知恵」になるとすれば、一つは指導する相手を間違った(例えば、「愉快犯」のような相手に知恵をつけた)、もう一つは指導の仕方に工夫を要した(例えば、指導と称して、挑発的なコメントで相手の面子をつぶした)など、何か工夫できる点があったのかもしれません。過去のことは分かりませんが。必ずしも、一切「指導」すべきではない、という理由にはならないように思います。
  3. それから、メディアウィキへの実装等によって、物理的に編集制限をするのであれば、日本語版ウィキペディアのプロジェクト内部での制限のみが可能です。しかし、制限を受けることになるユーザーと、協議に加わったユーザー(さらにはコミュニティとの間)での合意(約束)によって、日本語版ウィキペディアの外部での編集することを制限することは、「不可能」ではないように思います(「合意」で決まることであれば、内容は自由に決められます。もっとも、余り複雑にするのは、決めるのが大変なので、かける労力が現実的ではないかも知れませんが。。--Anonymous000 2007年1月31日 (水) 08:22 (UTC)[返信]
  4. hashikureさんが、#端くれの錬金術師(hashikure)さんの反対意見で「編集に問題があると認定された時点ですぱっとブロック」というのと、Aphaiaさんが、「おしめの取れない方」とされている方とは、恐らく、「問題の質や程度」について、類似していますよね。多分、私の提案で想定している(編集制限を行うことになる)ユーザーとは、問題の質や程度を異にするのだろうと思います。hashikureさんの最近の投稿履歴を見る限りだと、「内容的にも誤ったsubstubを大量に作成するような方」との接触が多いですし、Aphaiaさんも、よくブロック依頼などを行われていますので、そのような想定になるのは、無理もないかも知れません。(間違いであればご指摘ください)。
  5. ただ、時代も変わり、2004年当時のように、内容的にも誤ったsubstubを大量に作成するような方に対して、事前に協議を経た上で、ブロックを回避して、「編集制限」によって様子を見ていこう、ということは、余り起こらないのではないか、と私は思っています(もちろん、コミュニティが大きくなっていますので、そういうことを考えるユーザーがいるかもしれません。しかし、少なくとも、私は知らないし、また、私自身がそのような協議に加わろうとは思いません。いずれにせよ、そのような、substub大量作成者のような方をどう扱うかは難しいですが。。。)
  6. 私が想定しているのは、もう少し「まともな履歴」もあるが、「不適切・不相当な履歴」も相当数混在しているユーザーに対して、「不適切な履歴」を生じている部分への投稿を、本人とコミュニティとの間の「公的な約束」によって、制限するような、そのような制度(案)です。(最低限、まともな会話が成立しており、まともな履歴があることは、制度を用いるための大前提だと思います。)そして、そのような「公的な約束を遵守しない場合」に、全面ban(ブロック)に進む、ということになるのだと思います。それから、「コメント依頼」でもそのような約束はできます。約束を遵守できるのであれば、それで十分です。ただ、遵守しない場合、「コメント依頼」による約束だけだと、改めてbanするかどうかを協議する必要が生じます。「公的な約束」である「部分的編集制限の決定」には、そのような二度手間な協議を避けることができるというメリットが考えられます。--Anonymous000 2007年1月31日 (水) 08:22 (UTC)[返信]
  7. (追伸)「かえって日本語版ウィキペディアの参加者の関心は中へと閉じて落ち込んでいっており、コミュニティの大きさに比べて積極的に自治に参加しようとする人の割合は減って」というAphaiaさんのご見解は分かりました。しかし、どの程度割合が減っているのかなど、もう少し具体的に数字等をお示しいただきませんと、コメントのしようがありません。また、日本語版の姉妹プロジェクトが、日本語版ウィキペディア(JAWP)と比べてあまり盛況ではないことは、ある程度私も存じておりますが、それは、JAWPの問題ではないと思いますし、仮にそうだとしても、少なくとも、JAWPの投稿ブロック依頼のノートページで議論すべき事柄ではないでしょう。また、「プロジェクトの自治と財団の関係については、Anonymous001さんは独特な理解」(をしている)というAphaiaさんの「確認」についても、<どのような私(Anonymous000)の理解が、どのように独特か>という点を、具体的に指摘いただけませんと、コメントのしようがありません。いずれにせよ、このページへの投稿をいただく場合には、このページと関係のある範囲の議論に絞って、具体的な根拠をお示しの上で、行っていただくよう、お願いしておきます。--Anonymous000 2007年1月31日 (水) 08:22 (UTC)[返信]

ぶったぎり?

節を分けました--Anonymous000 2007年1月31日 (水) 08:22 (UTC)[返信]

(コメント)ここまでの話をぶったぎりますね。部分banは、技術ではなく人力で対処しなければならず、ブロックに関するさまざまな制度の中で、もっとも導入が難しいものの一つであると考えます。投稿者への制約を必要最小限に抑えるという点では、導入する意義はあると思うのですが、先行させる必要性までは感じられないというのが正直なところでしょうか。また、「部分」について、共通のイメージが形成されているようにも思えないというところもあります。「記事名前空間」のbanという発想はぼくにはなかったです。「死刑問題関係」のbanとかいう感じかなあ、どこまでが「関係」として定義しうるんだろうなあ、とか、文書の整理をしているときには考えてました。--Ks aka 98 2007年1月29日 (月) 14:11 (UTC)[返信]

まあそもそも、「追放の方針」の「部分的な追放」は、ArbComとかコミュニティが決めるいわば「出入り禁止令」で、禁止されている分野とか記事に手を出したらこれこれのペナルティ(一般的には一定期間のブロック)、とか決めるわけですよね(念のため、 en:Wikipedia:Requests for arbitration/Completed requests とかを参照しています)。なので、物理的に投稿をブロックする「投稿ブロックの方針」にそのまま盛り込むには無理があると思います。物理的に部分的ブロックができる機能が開発されれば別でしょうが、そういうものはまだないですよね?そんなわけで、追放の方針と投稿ブロックの方針の棲み分けや性格付けが確定してこないと、結局、部分的追放は議論できないのではないでしょうか。ちなみに、ここで発言されているほとんどの方は私より熟知していらっしゃることと思いますが、これまた念のため、関連して英語版には en:Wikipedia:Probationen:Wikipedia:Mentorship がありますが、忍耐とエネルギーと善意のある管理者や利用者がたくさん必要なシステムだとは思います。--Aotake 2007年1月29日 (月) 18:04 (UTC)[返信]
確かに、議論で想定している方法(機械的・物理的に投稿できなくするのか、約束によって決めるもので、人的に監視するのか)や、対象者(非常に質の低い投稿をするユーザーか、もう少し違う方か)等、提案の内容そのものを共有するために、もう少し色々と検討が必要そうです。「先行させる必要性はない」というks_aka_98さんのご意見には、もっともなところがあります。また、Aotakeさんからお知らせいただいた関連する文書も多岐にわたっていてen:Wikipedia:Harassment等もありますね)、それらも翻訳等をすることになると、さらに労力が必要ですよね。(また、「青写真」のArbComの話にもなりそうですし(^^;;;)プロベーション」は(学問的には)少しだけ知っているつもりですが、enwpでのページは知りませんでした。(形式はともあれ)「投稿制限」を導入する場合には、同様のページを作ると役に立つかもしれませんね。お知らせいただきありがとうございます。--Anonymous000 2007年1月31日 (水) 08:22 (UTC)[返信]

みっちさんによる論点整理と「架空の」具体例の呈示

ご提案の部分的投稿制限については、大きく二つの論点があると考えます。ひとつは、ブロック対象者に対する効果的な制限の設定のあり方です。もうひとつは、システム的に部分ブロックができない以上、対象者が決定に従っているかどうかを履歴から判断する際の難易度についてです。この両者は関連しています。

前者は、まずブロック依頼と審議方法に関わります。Anonymous000さんは、あらかじめコメント依頼で合意を図ることを前提としておられますが、現状で利用者に対するコメント依頼の件数は増えていく一方で、これが有効に機能するかは危ぶんでいます。また、「全面ブロック(部分ブロックとの対比でこう表現します)」依頼から部分ブロックに至る場合や、ブロック解除依頼の結果として部分解除となる場合も考えられます。これらはブロック是非の議論と並行して制限範囲が審議されることになりますが、ブロックの是非および期間のさじ加減は従来どおり管理者が決めるとしても、投稿制限まで加わると話が複雑になります。制限範囲を話し合うとしても、ブロックへの賛否がある程度収束した上のことになるでしょうし、以下のような微妙な判断も含むため、これまで以上に結論が出にくくなる恐れがあります。

後者については、以下のような具体例を想定してみます。なお、問題点を探るためかなり極端な例を考えています。これらを同列に見なして投稿制限せよとかの意を含んだものでは決してありませんので、あらかじめお断りします。

  1. 特定分野やその関連記事において「自分ルール」による偏向した記述を書き込み続ける方に対して、その分野での投稿を禁止する。→記事名前空間の限定
  2. ウィキペディアの方針議論の場で一方的な立場からの主張や個人攻撃を繰り返して「コミュニティを疲弊させた」と判断された方に対して、Wikipedia名前空間への投稿を禁止する。
  3. 方針や依頼ページなどでの議論を専らにして記事を書かない、あるいは議論を引っかき回すだけの方に対して、記事名前空間(ノート利用は禁止)と利用者(会話含む)ページの編集のみ許す。
  4. 定義未満の記事ばかり投稿する方に対して、一定の文章量を基準にして新規投稿を制限する。
  5. 著作権侵害の疑いのある記事を多く作成してブロックとなったが、転載元の確認協力に応じる意思表示がなされたことから、対象者の利用者ページとその会話ページに限定してブロックを解除する。
  6. 利用者ページでユーザーボックス作りばかりしておられる方に対して、ユーザーボックスの編集を禁止する。

上の例だと2番目や3番目、5番目のケースは履歴での判別が比較的容易です。1番目は関連記事とそうでないものの境界があいまいで、実効的に困難があります。4番目は、文章量で判断するので判定は難しくありませんが手間がかかります。6番目は、投稿先だけでは必ずしも編集内容が確認できないため、利用者ページの投稿内容まで追う必要があります。 このようにいろいろな場合が想定できるのですが、フォローの難易度が一様でなく、だれが「監視役」を務めるのかを含めて従来の合議制でうまく合意が図れるのか、心配です。

以上、すでに出されたご意見と重複があることはお許しいただきたく思います。個人的には、こうした柔軟な対応は歓迎するところですが、ブロックの方針にこれを盛り込むには、これらについてより精査された形での提案が必要ではないかと考えます。さらにいえば、やはり専門の委員会を立ち上げる方が円滑に運ぶのではないかという気がします。ケースバイケースでいうなら、かつての「後見人」制度が否定されたとは認識していないので、今後もこうした形での模索はあっていいと思います。なお、この件ではAphaiaさんとは異なる意見を持っていますが、本題から外れますので述べません。--みっち 2007年2月1日 (木) 06:20 (UTC)[返信]

みっちさん、論点整理と、具体的な「架空の」想定例をご提示の上で、「部分的投稿制限」(新制度)導入提案の趣旨に基本的な方向としてご賛同いただき、ありがとうございます。「後見人」は不要とした私の提案が、もしかすると、以前「後見人」として尽力された方々の貢献を否定するような感じを与えたかも知れません。そうだとすれば、失礼をお詫びします。私は、以前「後見人」グループとしてご活動をされたみっちさん、miyaさん、user:Rigelさん、user:Taisyoさんを、とても尊敬しています(Rigelさん、Taisyoさんとは、個人的にお話ししたことはないですが。。)。また、今のJAWPを見ていても、新制度を早めに導入する方向で、議論を進めていきたいと考えています。ただ、細かいところも含めた詰めが必要であることは、みっちさんの論点の整理等でいただいたご意見のとおりです。「専門の委員会」を立ち上げるのも良いと思いますが、まずは、利用者名前空間で、user_talk:Snusmumrik000/部分的投稿制限案(仮称)にでも、新しいページを作って、もう少し詰めの作業をしてみるというのはいかがでしょうか?この際に、このページから必要な部分を移動して、このページでの(部分的投稿制限の議論は)ログ化しようと思います。もし何人かご賛成いただける方がいれば、私の方で作業をしようと思います。--Anonymous000 2007年2月2日 (金) 23:11 (UTC)[返信]

「監視役」って必要ですか?

へのいちと申します。ログ化とかなんとかの話も持ち上がっているタイミングなのが気がかりですが、えいやっと書いてみます。

制限を守っているかどうか誰が監視するのか? しっかり監視できるのか? という点についての危惧があるわけですが、私はそんな「監視役」は無理に作らなくてもよいだろうと考えています。ほかにいくらでも荒らしや悪戯をするユーザーがいるわけですが、現状では個々のIPユーザーなどに特に専属の監視役は付けていませんよね。それでもいろいろな参加者が日夜投稿を見守っているおかげで、荒らしや悪戯の多くは修正されていくようです。例えば、制限されたユーザーが制限を越えて投稿したとして、それが問題投稿であれば他の多くの荒らしや悪戯と同じように他の参加者の目に留まります。反対に、制限を越えてなされた投稿だったとしても、その投稿自体の内容に問題がなければ見過ごされるかもしれませんが、その投稿自体の内容に問題がないのならば例え制限を逸脱していたのだとしたところでウィキペディアへの被害はないでしょう。見過ごされたとしても誰も困りません。話を戻して、逸脱投稿が問題投稿だった場合ですが、それを見つけた参加者は制限ユーザーの利用者ページなどの情報に当たって「このユーザーはこの範囲への投稿が許されていません」という告知に気付くでしょう。そうして、管理者伝言板にでも「このユーザーは投稿制限から逸脱した投稿を行いました」と報告する、というような感じになると思います(逸脱した場合にどういう手続きをとるかは今のところ未定ですが)。

とどのつまり、そのユーザーが問題投稿をするかどうかが重要なのであって、制限を逸脱するかどうかが重要なのではありません。問題投稿をするかどうかについては、あえて監視役をつけなくとも他のユーザーと同じ程度に衆目にさらされているので十分です。制限を逸脱するかどうかについては監視する必要はないわけです。もちろん、制限を逸脱するかどうかが気になって監視しようという方がいたとしてもそれはそれでかまいません。と、私はこんなふうに考えているので、監視が上手くいくかどうか心配だという方がいるのが解せません。なにか見落としている点があればご指摘いただければ幸いです。--へのいち 2007年2月6日 (火) 09:10 (UTC)[返信]

ご投稿ありがとうございます。「監視役」は無理に作らなくてもよい、というご意見に賛成です。もっとも、「後見人」(en:Wikipedia:Mentorship)に自分からなりたい、という方に対して、(基本的には)反対するわけではありません。いずれにせよ、部分的投稿制限の話が進みそうもない気配なので、このまま棚上げでいいかなぁ。。と思いつつもあります(^_^;;。もう少し見守って、進まないようであれば、このページのサブページにでもログ化しようと思います。--Anonymous000 2007年2月8日 (木) 14:23 (UTC)[返信]
「監視役」のかわりに、利用者ページ最下部に「== 投稿条件 ==」というセクションを設けてそこに「投稿制限条件」記載ページのリンクを置くだけで充分ではないかと思います。某氏に「後見人」が必要だったのは、すでにブロックされていたので後見人がつかないと解除してもらえなかっただろうということもありますが、彼の「投稿制限」が日本語版で初めてのケースだったこととも大きいと思います。
ただ、この制度の正式化を特に急ぐ必要もないでしょう。ブロック依頼を見ていて、投稿制限で救済できそうなユーザーを見かけたら、「こういう条件を自主的に守ってはどうでしょう」と提案していけばいかがですか。ああそうすればいいのかと納得して自主的に守れるユーザーなら、投稿制限制度が正式化していなくてもきっと大丈夫ですし、自主的に守れないユーザーなら、制度が正式化されていてもいなくても、結局、全面ブロックへの道を驀進することになるだろうと思います。--miya 2007年2月27日 (火) 01:39 (UTC)[返信]

ページ間で表記の不整合?

Wikipedia:投稿ブロックの方針#Three Revertでは「3回目にAに戻ったところ以降で3 revert成立とします」とありますが、Wikipedia:Three-revert ruleでは「3度を超えて差し戻してはなりません」とあります。恐らく英語版で方針となっている「3度を超えて (more than three times)」を優先する事になるでしょうし、「成立」を以ってブロック理由とするのか、それ以降に差戻ししたらブロックの理由となるのか曖昧なので、此方の表記を変更した方が良いかと思います。--kahusi (會話) 2007年8月19日 (日) 09:37 (UTC)[返信]

「投稿ブロック後の対話プロセス」について

現在、投稿ブロックとなってしまった利用者の方は、問い合わせや異議申し立てをメーリングリストで行うことになっています。しかし、管理者の方全員がメーリングリストに参加されているわけではなく、現状の対話プロセスでは万全ではないと思います。そこで、私は、ウィキペディア英語版と同じく、投稿ブロックを受けた利用者の方の会話ページを、問い合わせや異議申し立てを行う場所とし、そのページだけをブロックの対象から外す、という対話プロセスを、ぜひ日本語版でも実施していただきたいと思い、このノートに実施提案をさせていただきました。あくまでも私個人の意見ですので、反対の声も含め、ご意見をお願いします。--Kabosudachi 2007年9月13日 (木) 14:04 (UTC)[返信]

「対話が必要なユーザー」に対する投稿ブロックについて

整理依頼は廃止になりましたので、『「対話が必要なユーザー」に対する投稿ブロック』節の文章の修正をよろしくお願いいたします。--ZERO 2007年10月2日 (火) 22:58 (UTC)[返信]

上記の文章が書かれてから4年以上が経過された現在でも,文章の変更は行われておらず,Wikipedia:投稿ブロックの方針#「対話が必要な利用者」に対する投稿ブロックの節にあるWikipedia:整理依頼の対象記事を多く作る利用者#対話が必要な利用者へのリンクは赤リンクのままです。これはこの規定が実効性のない規定であることを示していると思われるので,削除を提案します。アイーダ 2012年1月30日 (月) 06:00 (UTC)[返信]
整理依頼が廃止された以上掲載する必要性はまったくなし。--hyolee2/H.L.LEE 2012年1月30日 (月) 07:27 (UTC)[返信]

8.2項 他者の発言の改竄への追記

荒らしや、その他の禁止あるいは推奨されない行為に対する警告を、自分自身の会話ページから削除することも荒らしとみなされます。Wikipedia:荒らし

よって、他者の会話ページであっても、「理由無く削除された警告」を元に戻す行為も、正当なものとして「他者の発言の改竄」の例外としてください。--迷子の雄猫 2007年10月31日 (水) 13:01 (UTC)[返信]

Three Revertの節にノートへの誘導をつける提案

現状

現在の公式な方針であるWikipedia:投稿ブロックの方針#Three Revertでは、三回以上のリバートが方針違反とされています(少なくとも、文言上そう読めます)。他方で、試験運用中の新方針であるWikipedia:投稿ブロックの方針/改定案#過剰な差し戻しではWikipedia:Three-revert ruleへの参照が指示されて、そこでは四回以上のリバートが方針違反とされています(少なくとも、文言上そう読めます)。

これらのことやWikipedia:投稿ブロックの方針の冒頭メッセージなどから、三回以上のリバートが方針違反というルールが有効なのか、無効なのかにわかには判断しがたく、利用者の理解に混乱をきたす現状があることは否定しがたい事実だろうと考えます。(参照:Wikipedia:井戸端/subj/2RR違反と言うべき3Revertの投稿ブロック依頼先は?)

議論の必要性と見込み

議論としては、今まで三回以上のリバートが方針違反というルールがあったのか、それはそもそもなかったのか、将来に向かって、三回以上のリバートが方針違反というルールを採用するのか、しないのか、いろいろな視点から意見がありうるものと思います。そして、それらはこれからはっきりと議論する必要があるものと思います。

しかし、Wikipedia‐ノート:投稿ブロックの方針の過去ログWikipedia‐ノート:Three-revert rule#回数についてで議論が提起されたまま大きな動きがなかった経緯を考えますと、具体的な議論を今開始してもなかなか容易には合意には至らないだろうと考えます。

提案 

そこでひとまず具体的な議論を提起する前に、利用者の理解に混乱をきたす現状を少しでも解消するために、次の提案を行います;

Wikipedia‐ノート:投稿ブロックの方針で新たに節を起こして問題提起するとともに、Wikipedia:投稿ブロックの方針#Three Revert{{NoticeS|この節について、[[Wikipedia‐ノート:投稿ブロックの方針|ノート]]で議論が提起されています。}}を貼り付ける

意見場集

この提案への賛否とコメントを頂きたいと思います。

なお、これは喫緊の必要のあることであり、ほとんど全ての立場や意見からも中立な提案だと思います。そのため、いちおう1週間の期限でご意見を募集したいと思います(さすがにこれくらいは合意を求めずにやっても良いかもしれないとも思いましたが、それでも公的な方針であることに配慮して、ご意見を募集します)。--Mizusumashi(会話|投稿記録) 2007年11月20日 (火) 02:28 (UTC)(節タイトル変更・下線部追記)--Mizusumashi(会話|投稿記録) 2007年11月20日 (火) 03:39 (UTC)[返信]

実施報告

合意が形成されたと判断し、Wikipedia:投稿ブロックの方針#Three Revertに{{NoticeS|この節について、[[Wikipedia‐ノート:投稿ブロックの方針|ノート]]で議論が提起されています。}}を貼り付け、次節に問題提起いたしました。--Mizusumashi(会話|投稿記録) 2007年11月28日 (水) 04:36 (UTC)[返信]

「Wikipedia:投稿ブロックの方針#Three Revert」の節の現状確認

前節で合意が形成されたと判断し、鷹揚虚空さん及びKs aka 98さんのご意見を勘案した上で、まずは現状確認として、以下のとおり問題提起します。

現状確認

「Wikipedia:投稿ブロックの方針#Three Revert」の節の現状確認を確認したいと思います。次の認識で間違っていないでしょうか。

Wikipedia:投稿ブロックの方針#Three Revertの節に規定されたルールは、日本語版ウィキペディア内の諸文書やノートでの議論、現在の運用状況を踏まえると、また踏まえても、以下の現状である;
  1. Wikipedia:投稿ブロックの方針/改定案#過剰な差し戻しでは、Wikipedia:Three-revert ruleへの参照によって、「原則として四回以上リバートを行うと方針違反」というルールを規定している。
  2. 「原則として四回以上リバートを行うと方針違反」というルールは、現在、有効である。
  3. Wikipedia:投稿ブロックの方針#Three Revertでは、少なくとも文言上、「原則として三回以上リバートを行うと方針違反」というルールを規定している。
  4. Wikipedia:投稿ブロックの方針#Three Revertの規定するルールは、「原則として三回以上リバートを行うと方針違反」というルールと理解され、過去のある期間、有効なものとして運用・適用されていた。
  5. 「原則として三回以上リバートを行うと方針違反」というルールが現在有効であるかは、不明確である。
  6. 「原則として三回以上リバートを行うと方針違反」というルールは、現在にいたるかなりの期間、事実上、運用・適用されていない。
  7. 将来、改正案や関連諸文書が現状のままで、Wikipedia:投稿ブロックの方針/改定案が正式に公的な方針となり、Wikipedia:投稿ブロックの方針が公的な方針から取り除かれると、「原則として三回以上リバートを行うと方針違反」というルールは明確に破棄される。

この現状認識について、皆様のご意見をいただければ幸いです。また、これも重要な事実であるとか、これも確認して合意を形成するべきだとかのご指摘もあれば、お願いします。--Mizusumashi(会話|投稿記録) 2007年11月28日 (水) 04:31 (UTC)[返信]

その認識で問題ないと思います。なお付随しての確認ですが、ブロック方針のThree Revertは四回以上のリバートでブロック対象となることを規定したものであり、保護の方針での編集合戦はWikipedia:編集合戦にあるように三回以上のリバートで成立し保護対象となることを規定したものである、ということで宜しいですよね?どこかで確認されているのであれば不明をお詫びします。ってゆーか、編集合戦に(管理者が)早めに気づいて保護をかければThree Revertルールによるブロックは起こりえないという確認なんですが。--ろう(Law soma) D C 2008年11月27日 (木) 08:12 (UTC)[返信]

英語版翻訳のサブページを設けました

改定への何らかの促進となることを願って、英語版の翻訳ページをWikipedia:投稿ブロックの方針/英語版に別に設けました。方針の正常化をよろしくお願いいたします。--Aotake 2008年1月13日 (日) 09:07 (UTC)[返信]

携帯電話回線経由での閲覧について

議論がこちらに移っているのを知らずに、Wikipedia‐ノート:投稿ブロックの方針/改定案#追加すべき方針 へコメントしたのですが、書き込みをこちらに移した方がよいのでしょうか?--Lemonsquash 2008年1月28日 (月) 13:35 (UTC)[返信]

暫定ブロックについて

変なことをお聞きして申し訳ないのですが、暫定ブロックは必要無いと思います。投稿ブロックの被依頼者を議論に参加できないということにならないでしょうか? あるいは、投稿ブロック依頼のみに書き込めるような投稿ブロックの仕組みを作ることはできませんでしょうか?--やまだくん 2008年9月3日 (水) 12:58 (UTC)[返信]

文章の変更の提案

現在投稿ブロックの方針の8.2項 他者の発言の改竄の禁止事項の例外規定が書かれていますが、この8.2項の6番目では現在「6.Wikipedia:個人攻撃の除去」と書かれていますが、個人攻撃以外に荒らし等の悪戯の事例も以前に何度もありましたので(これに付いては当方含めて対処された方も多いですが)、これを「6.荒らしおよび個人攻撃の除去」に変更しても良いのではないかと思いますが如何でしょうか?上記に付いてご意見等があればお願いします。--目蒲東急之介 2008年10月18日 (土) 15:54 (UTC)[返信]

荒らし的な編集を除去する正当性を明示する必要はあるので、賛成します。ちょうど残り1週間ほどなので、今年のうちに異論がでなければ、来年度に修正してもよいかと思います。--モトカル(会話) 2008年12月23日 (火) 07:31 (UTC)[返信]

「議論の拒否や妨害」は投稿ブロックの対象と明示すべき

Wikipedia‐ノート:投稿ブロックの方針/改定案に2007年7月22日 (日) 10:21 (UTC)に投稿しましたが、議論の場が移ったようなので、こちらに移動させ一部加筆・修正しました。) 改定案(Wikipedia:投稿ブロックの方針/改定案)の公式化には異議がありますので反対を表明しておきます。旧方針であるこちらでは投稿ブロックの対象となる行為として、「対話の姿勢あるいは対話の拒否によって共同作業を旨とするWikipediaの方針にそぐわない行動」(8項として)という規定があり、8.1項 「議論の拒否や妨害」がありましたが、改定案では類するものとして、「コミュニティを消耗させる利用者」という項目があるものの、どういう行為がコミュニティを消耗させるのかについて具体的な内容がまったくありません。これは自身も経験したことですが、編集合戦で、保護の状態になったとき、自分の編集で保護された場合、それを書き変えられたくないばかりに、議論を避けたり、意図的に話題をそらしたりして、徒に保護を長引かせるような利用者というものは多くの利用者の編集機会を奪うことになり、ウィキペディアにとって大変迷惑な存在です。このような悪用を防ぐためにも、改定案でも投稿ブロックの対象となる行為として「議論の拒否や妨害」という項目を明記すべきと思います。ウィキペディアは様々な意見をもった人々が共同で執筆するものですから、きちんと議論をしないことをゆるすことは大変問題だと思います。そもそも、何故この項目がなくなったのかについて改定案/FAQでも理由が一切述べられていません。この件については改訂草案コミュニティを消耗させる利用者についての規定がおおむねよいと思います。--モトカル(会話) 2008年12月23日 (火) 05:19 (UTC)[返信]

  • (賛成)たしかに議論を拒否する方が一番迷惑ですよね。--Uniontour 2009年1月2日 (金) 10:05 (UTC)[返信]
  • (反対)個別具体的に判断すべきなんじゃないでしょーか。相手する価値もないワガママとかってのもあるわけよ、最近もたったひとりでがんばり反対者が疲れ果てて何も言わなくなったところで「反対なし」とかゆーて自分の意見を強行したやつがいたばかりだし(まあ、このケースについては、反対した側が「合意不成立の確認」を提案しちゃえばよかっただけなんだけどね)。また、議論をして負けて逃げた者とかにも機械的に適用される可能性があるような気がする(負けたら負けを認めて明示の方向転換をする方が望ましいことは言を待たないが)。
    確かにまあ「コミュニティを疲弊させる」という表現はかなりあいまいであり、ちょっとどうかという気がする。ただ、具体的に何かを記すのならば、それが例示なのか限定なのかといったことを含めて枠組みを検討し、何を並べるべきなのかについてブレストをやって並べ、それから取捨選択するくらいの手続きが必要なんじゃないかと思います。具体的な明示として「議論の拒否や妨害」を記すには議論が不足していると思う。
    ついでなのだが、「コミュニティの疲弊」の具体例として「議論の妨害」があることにはけっこう注意が必要だと思うなあ。疲弊は今でもときどき使われている言葉ですが、長文耐性がないやつが疲弊したと主張したとしてそれはおまいの自己責任、とか思うこともしばしばあるしなあ。--Nekosuki600 2009年1月2日 (金) 11:24 (UTC)[返信]
  • (コメント) もちろん、最終的にブロックするかどうかはNekosuki600さんの仰るとおり個別に判断するべきですが、問題のある利用者の投稿ブロックを依頼する際に、「投稿ブロックの対象となる行為」の類型に当てはならなければ、依頼自体の正当性が否定されかねません。元々の旧方針に投稿ブロックの対象となる行為として「記事の編集に際し他の執筆者との協調が図れないなど、Wikipediaの目的遂行を妨げる行動」、その中の一つの「ノートページや各種依頼ページにおける議論の拒否や妨害」と明記されていたのに、これが何か問題を生んだということも削除した理由も示されないままなくなっていまっっているということは納得できません。なぜその事例を明記すべきと主張するかというと、私が2007年7月に、投稿ブロック逃れの編集と、自分の編集した版で保護になったため、保護解除の合意を盾に取った利用者の悪用に直面し、大変問題を感じたからです。詳細は保護解除依頼で訴えた右の内容を御覧下さい。→(差分)(差分)。この依頼は”かの”Loniceraさんにより短時間の間に却下されました。この慰安婦の項目は1年半もの間保護されたままです。
合意を基本とし、話し合いで妥協点を模索してゆくウィキペディアにおいて議論を軽んじる姿勢をゆるせば、ごり押ししたり、ごねたりする利用者を利することになり、それはウィキペディアにとっていい結果を生まないと思います。依頼をする利用者が投稿ブロックに値すると強弁、狂信して依頼をすることはあり得るかもしれませんが、依頼を読んだまともな管理者が状況をちゃんと見れば、機械的に投稿ブロックすることはまずないと思います。--モトカル(会話) 2009年1月11日 (日) 07:15 (UTC)[返信]

「可変IPアドレスで投稿するユーザーを投稿ブロックする場合」についての合意に図らない管理者裁量ブロックによる法的リスクについて

各所に分散されているためにあいまいに合意に図らない管理者裁量の無期限ブロックが、 追認も無しで行われている現状があり、Wikipedia:広域ブロック/rangeblocklist 相手組織管理者への適切な連絡が行われていない状況報告が Wikipedia:井戸端/subj/東京工業大学ほかの広域ブロックについて 相手側組織管理者により報告されました。該当組織所属者および管理者はすでに数度のコンタクトをウィキペディア側に行っており、組織管理者である電子署名による証明の上問い合わせが発生しており、財団に対しても責任ある回答を求める検討も行うとの事です。このままでは、Wikipedia:投稿ブロックの方針/改定案#範囲ブロック 使用されるときは、範囲ブロックはできるだけ短期間であるべきです。 や、Wikipedia:投稿ブロックの方針/改定案#期限の選び方 # 荒らし -- 動的なIPアドレスへは(原則として)24時間を限度とすべきです。静的なIPアドレスへは、初回は(原則として)24時間を限度とし、繰り返されるならば最大一ヶ月まで延長されるべきです。繰り返し荒らし行為を行うログイン利用者に対しても同様です。ブロックは単独のインシデント(1回限りの行為)に対し適用されるべきではありません。訳注: 日本語版では現在、IPが異なっても同傾向の荒らしの場合、24時間より長い期間が適用されるケースがあります および、 Wikipedia:投稿ブロックの方針#可変IPアドレスで投稿するユーザーを投稿ブロックする場合 即時投稿ブロック手続き 1週間を超える長期の即時投稿ブロックを実施した管理者は、その月の「投稿ブロック依頼」ページで投稿ブロックの報告を行ってください。他のユーザーは通常ブロックと同様に、1週間の合意期間中に投稿ブロックに賛否を議論することができます。その結果1週間を超える投稿ブロックに合意が得られれば予定通り投稿ブロックは継続されます。 方針はずれのウィキペディア管理業務について、当該組織に対しいわれの無い、管理業務放棄の指摘を長期間に渡ってウィキペディア側が行っていることになり、当該組織においては誹謗中傷による名誉毀損などの法的リスク増大に発展しかねない状況があります。--Justia 2009年2月22日 (日) 04:10 (UTC)[返信]

もっと簡潔、明解、具体的に書いていただけぬものかと思います。
「相手側組織」とか「該当組織」とは何でしょうか。「ウィキペディア側」への「コンタクト」とは、どのようなものですか。「方針はずれ」とはいかなる方針について「はずれ」ているのか。特に、方針文書からの引用が意味不明です。 -- NiKe 2009年2月22日 (日) 04:46 (UTC)[返信]

「ブロック中の自身の会話ページ編集」

Wikipedia:井戸端/subj/「ブロック中の自身の会話ページ編集」を可能にする提案における合意に基づいて、「ブロック中の自身の会話ページ編集」の「許可/不許可」の切り替えが可能になりました。運用案はWikipedia‐ノート:井戸端/subj/「ブロック中の自身の会話ページ編集」を可能にする提案/まとめにありますが、まだ正式化していませんし、設定変更前に検討したものなので、おそらく不十分な点が残っていると考えられます。

このため、暫定的な対処方法として、Wikipedia:井戸端/subj/「ブロック中の自身の会話ページ編集」を可能にする提案におけるKs aka 98さんの提起を元に、こちらの本文、Wikipedia:投稿ブロックの方針#投稿ブロック後の対話プロセスに「ブロック中の自身の会話ページ編集」に関するセクションを設けました。これは「ブロック中の自身の会話ページ編集」の許可不許可も投稿ブロックの機能の一部だからですが、あくまでも応急措置なので、よりよい方法があればご提案ください。

なお、Aotakeさんが解除に向けた対話をサポートするためのCategory:ブロック解除依頼などを用意してくださっています。--miya 2009年5月15日 (金) 05:36 (UTC)[返信]

図書館へのブロック

私は先日、管理者の一人「Faso」氏が施した全面的な(IPでもアカウントでも投稿できず、アカウントも取得できない)投稿ブロックにぶつかり、その原始的不当性をFaso氏の会話ページで指摘して自発的な対応を求めました。しかし対応を拒否されましたので、ここに(管理者以外の意見投稿を排除する趣旨ではありませんが)他の管理者の方々を中心に閲覧・審議して対応を取って頂きたく、ここに投稿致します。もしもどうしてもこの場にふさわしくないということでしたら、単純に削除せず、適切な場所に転載して頂くようお願い申し上げます。なお、これは「ブロック解除の依頼」とは少し異なります。「ブロック解除」は、ブロックが必要な状態が解除後に消滅したために、ブロックを解くよう求めるものです。私は、このブロックは最初から行き過ぎで不当であると申し上げたいのです。

Fasoさんは、千代田区立図書館ほかのIP「202.229.190.168/29」に対して、IPでの投稿・ログインしての投稿・アカウントの新規取得をいずれも不可とする、全面的な投稿ブロックを施しました。荒らしが原因のようです。

しかしながら、図書館という場の性質にかんがみて、このような措置は厳しすぎて妥当ではないと考えます。

ウィキペディアでは一般に、出典資料に基づいて記述することになっています。とすれば、ウィキペディアにとってもっとも歓迎すべき投稿スタイルは、図書館当の出典資料が豊富な場所で、資料を片手に編集することです。このような編集スタイルこそ、最も正確な記述を生み出します。その図書館からの投稿を、問題のブロックは全面的にシャットアウトしてしまっているのです。

過去においてその図書館から荒らしをはたらいたものがいた、というのは分かります。しかし荒らし行為を防ぐためであれば、「ログインしないでの投稿のみブロックする(アカウントの新規取得は認める)」とか、「別の場所で取得されたアカウントでログインしての投稿のみ許す(アカウントの新規取得は認めない)」といった態様でも、十分効果があるのではないでしょうか?

パソコンを所有している人ばかりではありません。パソコンを所有していない人にとっては、図書館は、ウィキペディアを編集する、貴重な場になっています。また、図書館に対してこのような全面的ブロックをかけることで、図書館の豊富な資料が、ウィキペディアに反映されなくなってしまうことは重大な問題だと思います。ネットカフェとは訳が違います。そのネットカフェも、試しに都内で何軒か試しましたが、すべて荒らしを理由とする投稿ブロックにかかって、全く投稿できませんでした。

大凡上記の点を指摘して、Easoさんに自発的な、投稿ブロックの緩和を求めましたが、Fasoさんの会話ページを見れば分かるとおり、拒否されました。Fasoさんの主張はこうです(全文引用します)。 「筋が違います。不特定多数がログインし、その特定が行えない空間であることが問題なのです。図書館が設置しているPCを利用する際に、個人照合を行うようになれば、ブロックは解除されるでしょう。現状では貸出券で利用申請をするだけで、その利用者名を保存していたりはしないようです。」

しかしながら、この主張には大きな問題点が2つあります。

1点目は、不特定多数がログインしてその特定が行えない空間であることが問題であるとしていることです。そもそも、そのような空間であることは、投稿ブロックの方針によれば、投稿ブロックの理由になりません。したがってそのような空間を敵視することは、ウィキペディアの方針には書かれていない、彼の個人的な考えだと言えます。かかる個人的な考えを根拠に、全面的な投稿ブロックを施し、図書館の知がウィキペディアに正確に反映されることを遮断しているのです。さらに言えば、彼が個人的に要求している個人照合を公共の図書館が行うことは、インターネット閲覧等が通信に当たることから、憲法上の人権である通信の秘密を侵すことにつながるということです(通信内容だけでなく、通信の存在秘密も保護される、とされています)。つまり、要求内容自体がそもそも違法の可能性が高いのです。社会通念で考えても、公共施設のインターネット端末はいわば公衆電話です。公衆電話を利用するのに、住所氏名等を記録されるのはおかしいですよね?確かに昔は身代金目的誘拐などが起きますと、犯人はたいてい公衆電話から要求を突きつけたものですが、だからといって公衆電話利用時に身分確認しろなどというばかげた主張は聞いたことがありません。

2点目は、仮に彼の言うとおり図書館側が故人照合して利用者名を保存しておくべきだった押しても、行政側がすぐに動かない以上、ウィキペディア側でブロックを緩めるしかないということです。図書館からの投稿が、ウィキペディアにとって以下に歓迎すべきものであるかは、既に述べました。本来は図書館側が動いてしかるべきなのかもしれませんが、その見通しが全く立たない以上、ウィキペディア側がブロックを緩めるしかありません。

以上のとおりでありますから、この全面的な投稿ブロックの妥当性・緩和の必要性につき、(一般の編集者の方の意見投稿を排除するつもりはありませんが)管理者の方々に審議検討して頂きたく、投稿する次第です。

--180.0.253.111 2010年9月10日 (金) 06:23 (UTC)[返信]

コメント まず、管理者は、何かを審議し検討する立場の者ではありませんので、その点はよくよくご留意ください。その上で、公共施設への範囲ブロックについては、このページをみてもらっても分かる通り、過去に何度も話題が出ていますが、今のところ改訂されてはいません。もしこの状況が非常に不適切であると思われるのでしたら、ご自身で提案&ほかの皆さんと合意形成を行なうのが、最短かつ最も有効性な手法であると思われます。--青子守歌会話/履歴 2010年9月10日 (金) 08:16 (UTC)[返信]

180.0.253.111さんは、ルールの議論をしたいのではなく、現在のルール下における当該投稿ブロックの不当性を訴えて、個別具体的な対応(ブロックの緩和等)を求めているのではありませんか?とすれば、こちらへの強制移転が不適切だと思いますが。また、管理者には、他の管理者の行った不当な投稿ブロックを取消したり緩和したりする権限があるのではありませんか?ある管理者が実施したブロックの取消や緩和は、その管理者本人しかできないというのですか?

--本郷憲正 2010年9月10日 (金) 15:18 (UTC)[返信]

コメント まず最初に。先にも申し上げましたが、管理者は、特に投稿ブロックや保護などに関して何かを審議し検討する立場にはありません。もちろん、緊急的あるいは個別の合意が不要だと思われるような一部の例外的案件は存在しますが、原則として管理者は、コミュニティの合意による意思を代行するボタン押しにしかすぎませんので、管理者自身へ直接依頼されてもどうすることもできません。ご注意ください。
さて、その上で、本当に「個別対応」を求められているのでしたら、それはブロック依頼で解除(あるいは緩和)をコミュニティが審議すべき話題です。少なくとも、Wikipedia:管理者伝言板/その他の伝言で報告し、管理者が独自の判断でどうこうする案件ではありません。図書館(あるいは公共機関)への投稿ブロックのあり方について問題だと思われるのでしたら、先に述べました通り方針としての規則に関して提案および議論されるべきものです。--青子守歌会話/履歴 2010年9月10日 (金) 16:34 (UTC)[返信]

IPユーザーが解除依頼を出せるのか疑問がありましたので、私が解除依頼を先ほど出しました。管理者の権限行使が適切かを、他の管理者がチェックしないという姿勢には、疑問を感じます。単独で権限行使できる以上、相互チェックが不可欠でしょう。

>>コミュニティの合意による意思

聞こえはいいですが、その合意の手続も不明確(例:何日以上コメントを募集して、どの程度の賛成があれば合意があると認められるかの明確な定めがない)な状態でそれを言われても…と思います。

--本郷憲正 2010年9月10日 (金) 17:16 (UTC)[返信]

コメント 解除依頼おつかれさまです。これ以上コメントするつもりはなかったのですが、一応。当然ですが、管理者同士は、権限行使を互いに監視していますし、疑問に思ったことがあれば、日頃から連絡し確認しています。誤解を与えてしまったようなので説明させていただきます。また、合意形成というものはそもそもが基準がはっきりしているもの(=機械が判断できるようなもの)ではありません。詳しくはWikipedia:合意形成をご覧ください。--青子守歌会話/履歴 2010年9月10日 (金) 17:33 (UTC)[返信]

ソックパペットと管理者伝言板からのブロック

昨日深夜メーリングリストに、利用者名なのかは知りませんが、武田何とかと名乗る方から、「自分がブロックされているある人のソックパペットトして管理者伝言板に載せられていた事に気づいたが、同一人物ではない。どのような方法で主張したらよいか」といった趣旨の投稿がありました。

投稿ブロックされている人のソックパペットについては、管理者伝言板で報告がされると、報告された人には通知すら行かず、何の弁明手続きもないまま、管理者は独断でブロックしてよいことになっています。/しかしあからさまな荒らしと異なり、ソックパペットはそんなに外形的に明確に分かるものでしょうか?というか、ソックパペットトしてブロックして、本当に間違えはないでしょうか?どのような基準でソックパペットとしているのでしょうか?基準を明かすとソックパペットを助長するから明かさない、という論理は通用しません。殺人を助長するからという理由で、殺人の基準を明らかにしないでよいことはないのです。/投稿ブロックされている人がブロック破りとしてソックパペットを用いることは重罪であり、発覚すれば無期のブロックを中心とする重い措置がとられます。実社会で言えば、殺人にも比肩すべき重罪です。万が一にも冤罪があってはいけません。/私はMLの投稿を見て、そのような重罪の認定を、嫌疑をかけられた者に何の手続保障も与えず、一人の管理者の独断でブロックがかけられているという現実に、恐怖を感じました。MLに投稿された方も、相違点などを積極的にアピールする場が欲しいに違いありません。このまま十分な手段が誰かから助言されなければ、その人は多分自分で管理者伝言板に反論を書き付けてくるかもしれません。しかしそれはルール違反ですよね?

管理者伝言板経由のブロックは、実は「疑わしきは罰せず」ならぬ「疑わしきは罰する」です。というのは50人以上いる管理者がかわるがわる見て、その中で一人でも「これはクロだ」と確信した人が出たら、その時点でブロックされてしまうからです。もちろん管理者の一人が「これは明らかにシロだ」と思ったら却下・消去されるのでしょうが、それまでの間管理者伝言板に残り、他の管理者が見るのです。さらに言えば、一度却下されてもまた同じ理由で載せることができます。審議を経ていないので、却下前に見ていなかった別の管理者が見て、ブロックする可能性があります。これらはとんでもないことだと思います。せめて見る担当者を5人なら5人と決めて、過半数の賛成がないとブロックできないようにする必要があるでしょう。あとは、一事不再理的なルールですね。現状は、管理者内のものすごい少数意見でブロックされることがありうるんです。それも当事者に事前連絡なしで、無期限ブロックもありですよ。

現実社会の常識で言いますと、重大な措置をとる場合ほど、慎重な手続が必要です。IPアドレスが一致するなど客観的な証拠がある場合はともかく(それでもIPアドレスは一般に複数世帯で共有されているので同一人物だとは必ずしも言えない)、そうでない場合にまで、管理者伝言板によって、管理者一人の独断で無期限ブロックが施せるというのは、問題ではないでしょうか?--124.85.143.100 2010年10月5日 (火) 03:46 (UTC)[返信]

投稿ブロックの期間について

以前から気になっていたのですが投稿ブロックの期間についてよく分からないところがあるので質問させてください。

Wikipedia:投稿ブロックの方針#即時投稿ブロック手続きには「1週間を超える長期の即時投稿ブロックを実施した管理者は、その月の「投稿ブロック依頼」ページで投稿ブロックの報告を行ってください。」と説明されており、これに従えば期間が1週間を超えるブロックには投稿ブロック依頼での合意が必要になると思われます。一方、Wikipedia:投稿ブロック依頼の冒頭には「ここは、ブロック期間が1ヶ月を超える合意の必要な投稿ブロックの依頼とその審議を行うページです。」と説明されています。こちらに従えば、期間が1ヵ月以下のブロックには投稿ブロック依頼での合意が不要とも解釈できてしまいます。

現状では期間が1週間超から1ヵ月以下のブロックの手続きが曖昧になっており、この点をはっきりさせておいたほうが良いのではないかと思います。ご意見を頂けたらと思います。--まさふゆ 2011年2月5日 (土) 14:30 (UTC)[返信]

(コメント)ブロック依頼冒頭にある赤枠の次の文章はお読みでしょうか。そこには、
このページで投稿ブロックの解除・短縮・延長依頼も可能です。「ブロック」を「ブロック解除」「ブロック短縮」「ブロック延長」に読み替え、解除・短縮・延長すべき理由を示して、以下の方法で依頼してください。
また、行われた投稿ブロックが適切であったかどうかをコミュニティに追認してもらう必要があると判断した場合は、追認依頼も可能です。この場合も追認すべき理由を示して依頼を行ってください。
とあります。つまり、追認が必要なブロックはブロック依頼することが予定されているので、現状でも問題ないと思われます。もし変更するのであれば、赤枠の上に前掲の文章を移動させるとか、冒頭の「1ヶ月を超える合意の必要な」を削るとかでしょうか。--Kodai99 2011年2月6日 (日) 00:35 (UTC)[返信]
説明不足で申し訳ございません。赤枠の次の文章はもちろん読んでおります。管理者が裁量で許されているのは(誰が見ても明らかな荒らしアカウント等を除けば)1週間以下のブロックで、1週間を超えるブロックを実施した場合には原則としてブロック依頼での追認が必要があると認識しております。
「1ヶ月を超える合意の必要な」を「1週間を超える合意の必要な」に、「1ヶ月以下の投稿ブロック処置になる場合もあります」を「1週間以下の投稿ブロック処置になる場合もあります」に変更すれば明確になるのではないでしょうか。--まさふゆ 2011年2月6日 (日) 16:56 (UTC)[返信]
(お返事)間が空いてしまい大変申し訳ありません。「1ヶ月を1週間に変更する」と言う提案でしたらば、基本的には問題がないと思います。しかし、現状においては、投稿ブロックの方針にある「1週間を超える長期の即時投稿ブロックを実施した(以下略)」とあっても、対象者がソックパペットやLTAの場合には追認依頼が出されていないことのほうが多いのではないでしょうか(調べたわけではありませんし、そのことについて問題があると思っているわけでもありません)。現状を追認する(つまり変更しない)のか、ブロックの方針(ルール)に現状をあわせていく(文言を編集し、管理者にルールの遵守を求めていく)のかどちらが良いのかは実際に対処されている管理者の方の意見を聞いてからの方が良いのではないかと思います。--Kodai99 2011年2月19日 (土) 09:57 (UTC)[返信]
確かにソックパペットやLTAの場合は追認依頼が出されないことが多いように思います。特にCU係が裁量でソックパペットを無期限ブロックしたようなケースでは、追認依頼でブロックの根拠の詳細を書くとプライバシー・ポリシーに抵触してしまうことも考えられますので、いかなる場合でも追認依頼を出すべきだとは言いづらいです。「1ヶ月を1週間に変更する」としても、このルールを金科玉条にして管理者に強制するのはあまりにも非現実的であり、何らかの例外規定を設けたほうが良いと思います。この件に関して広く意見をいただくために先ほどコメント依頼を出しました。--まさふゆ 2011年2月20日 (日) 13:09 (UTC)[返信]

匿名利用者のコメントについて

現在の方針では、匿名利用者および「編集回数50回以上、かつログインしてからの活動期間1ヶ月以上のログイン利用者」に該当しないログイン利用者についてはコメント「不可」とされています。私はこの規定を「IPユーザはコメントを書き込む資格がない」と判断しておりましたが、こちらで複数の方から「荒らし以外であればコメント可」あるいは「コメントが無効であるだけである」との指摘を受けました。であるならば、私のように間違った解釈をしてしまう者が現れないように、匿名利用者および「編集回数50回以上、かつログインしてからの活動期間1ヶ月以上のログイン利用者」に該当しないログイン利用者についてはコメント「可(ただし荒らしユーザは不可)」あるいは「コメントはしても良いが無効」と明記しておいたほうが良いと考えますので、本方針のコメント資格の改訂を提案いたします。--あるふぁるふぁ 2011年10月14日 (金) 15:03 (UTC)下のHmanさんの案に賛同いたしますので、元のこちらの提案は撤回いたします。--あるふぁるふぁ 2011年11月9日 (水) 15:36 (UTC)[返信]

反対 リンク先の会話ページ、及びこちらをご覧頂ければお分かりのとおり、方針の改定を必要だと考えている方は現状あるふぁるふぁさんだけのようです。私としては現状の方針で特段問題のない運用が出来ているのであれば改訂の必要性を認めてはおりませんので、案次第ではありますが、現段階では反対としておきます。--ろう(Law soma) D C 2011年10月16日 (日) 23:34 (UTC)[返信]
こちらでのLaw somaさんのコメントのようにWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは規則主義ではありませんを持ち出さなければならないような運用は「特段問題のない運用」とは言えないのではないでしょうか。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは規則主義ではありませんWikipedia:ルール全てを無視しなさいを持ち出さなければならないということは、ルールの文言に不備があることを示していると考えます。ルールの文言と運用が異なるならば文言を改めるか運用を改める必要性があり、方針の原理原則にルールの文言が合っていないのなら文言を改めるべきです。文言より不文律を優先して運用を続けた場合に、私のように解釈してしまう者がこの先も現れることがないとどうして言えましょうか。--あるふぁるふぁ 2011年10月17日 (月) 04:35 (UTC)[返信]
すみませんが、あるふぁるふぁさんの理屈で言えば、ルールの文言に不備がない状態では「WP:NOTLAW」は持ち出されることがあり得ないことになりませんか? それは、同項に書かれている「ウィキペディアにおける行動規範は、方針やガイドラインの文言によって創設されるわけではありません。(中略)方針の字面の解釈に固執するあまり、方針の原理原則を損なうことをしないでください。」を死文化させる行為であり、方針の原理原則を損なう行為と私は考えます。そのような行為は「しないでください」と書かれています。それとも、その点についてだけ「規則主義でない」を持ち出されるおつもりですか? --ろう(Law soma) D C 2011年10月17日 (月) 10:13 (UTC)[返信]
申し訳ありませんが、何を仰っているのかわかりません。「方針の精神と文言に齟齬がある時は文言に固執せず方針の精神を優先してください」という趣旨の文書であると私は理解しています。その時はWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは規則主義ではありませんに遵って方針の精神を優先すべきことに異議はありませんが、しかしながら方針の精神と文言に齟齬があること(そのことを、方針の文言が方針の精神を正しく表現していないという点で「不備」と申し上げました)が分かった以上は事後に文言を修正して齟齬を解消すべきであると考えております。この考えはWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは規則主義ではありませんを死文化させる考えで、方針の精神と文言に齟齬がある状態を放置することがWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは規則主義ではありませんに則った対処なのでしょうか?--あるふぁるふぁ 2011年10月17日 (月) 10:38 (UTC)[返信]
方針の精神を正しく文書化、文章化するというのは、それほど簡単なものではなく、だからこそ、方針全体についてのNOTLAWがあるわけです。ここでの議論は、あるふぁるふぁさんの提案が「文言を修正して齟齬を解消すべき」類のものか、方針全体についてのNOTLAWで対応する類のものか、という話になると思います。ルールの文言と運用が異なるならば文言を改めるか運用を改めるか、あるいは、ルールではなく方針なのであり(こまかい決め事をするのではなく、方向を示すもの)、その方針全体に対してNOTLAWがあるのだからそういうものとして理解するか、という選択肢があります。——以上の署名の無いコメントは、Law somaノート履歴)さんが 2011年10月17日 (月) 12:30 (UTC) に投稿したものです(あるふぁるふぁによる付記)。/署名忘れすみません。以上の投稿はLaw somaさんではなく、Ks aka 98のものです[1]追記Ks aka 98 2011年10月18日 (火) 02:51 (UTC)[返信]
私が直近でお聞きしているのは、私が行ったとLaw somaさんが仰っている「WP:NOTLAWを死文化させる行為」というのがどの行為かということです。差分でお示しください。よろしくお願いいたします。--あるふぁるふぁ 2011年10月17日 (月) 16:32 (UTC)[返信]
すみません、私の勘違いでした。上の私のコメントは、Law somaさんのコメントだと勘違いしてLaw somaさんあてのつもりで書いたコメントでしたので、取り消し線を入れました。Law somaさんからはまだお返事をいただいていないのですね。
署名のないKs aka 98さんのコメントについてですが、いろいろな選択肢があるということは了解しました。そのうちどれにするべきかという議論をすれば良いということですね。アドバイスありがとうございます。--あるふぁるふぁ 2011年10月19日 (水) 13:25 (UTC)[返信]
返事するまでもなく分かるかと思っておりましたが私の言葉がまたも足りなかったようですので補足しますと、2011年10月17日 (月) 10:13 (UTC)の私の投稿中、第2文目の主語である「それ」は、第1文目の「ルールの文言に不備がない状態では「WP:NOTLAW」は持ち出されることがあり得ない」を指します。あるふぁるふぁさんが「選択肢がある」ことを了解して頂いたのであれば、これ以上申し上げることはありません。--ろう(Law soma) D C 2011年10月19日 (水) 23:57 (UTC)[返信]
それでは「文言を改める」か「運用を改める」かの他に「NOTLAWがあるのだからそういうものとして理解する」も選択肢の一つとしてはありうるとして議論を進めましょう。--あるふぁるふぁ 2011年10月20日 (木) 05:44 (UTC)[返信]
コメントじゃあ原則として不可とでもしましょうか。--Ks aka 98 2011年10月17日 (月) 07:21 (UTC)[返信]
具体的なご提案をいただき心から感謝申し上げます。「原則として不可」というKs aka 98様のご提案で議論を進めるとして一点確認しておきたいのですが、「例外的に可」とするのはどういうケースで誰が判断すると想定されておられますか?--あるふぁるふぁ 2011年10月17日 (月) 08:47 (UTC)[返信]
あったほうがいいと思われる意見、情報で、判断はコミュニティが行なうのでしょうね。つまり、このコメントを残しておいたほうがよいだろうと考える人が出てきたところで、残すべきか、除去するべきかを「原則」から離れて、それぞれが考え、意見を調整するということです。
実態としては、方針で不可としておいて、規則主義ではないために、残しておいたほうがよいものは残すというのと同じ運用です。ウィキペディアの「方針」や「ガイドライン」というのはガチガチの規則ではないのであって、参加者が徐々にでも理解していくためには方針を変えるのが必ずしもよいとも思いません。ブロック対象なんかだと文言を改める必要もあるでしょうけれど、これは、ウィキペディアでは方針というものをどう捉えるかという全体的な事柄ですし。どうしても杓子定規に運用したい、規則を厳密に作り上げたいという方が多くいらっしゃるのであれば、方針のなかで「原則」と、それを外れる対応というものを盛り込むというのも現実解としてはアリだと思います。でもまあ、あるふぁるふぁさんが、ウィキペディアは規則主義ではないということを受け止め、今後似たような解釈をする人が出てきたら、自分もそう解釈してたこともあるけど、ウィキペディアではこうなんだよ、と説明してあげる人になるのがいちばんいいと思います。--Ks aka 98 2011年10月17日 (月) 10:07 (UTC)[返信]
Ks aka 98さんの仰るように方針で「不可」とされていても残しておいたほうがよいだろうと考える人がコミュニティの合意を取り付けて例外的に残すという対応はありだと思いますし、そのような対応がなされていればこのような提案をすることにも至らなかったと思います。しかしながら現実には手を変え品を変え一部利用者の独断で「例外」が強行され、自らはコミュニティに判断を求めることもせず議論提起は一方的に「原則」通りの対応を求める側に要求されています。実態としては「方針で不可としておいて、規則主義ではないために、残しておいたほうがよいものは残す」は、「コミュニティの合意を得た例外」としてではなく「規則主義ではないために、方針が何であれ俺達が残しておいたほうがよいと思うものは残す」という解釈で運用されています。Ks aka 98さんが「書くまでもない」と仰ることも分かりますし、そうあってほしいとも思いますが、残念ながらこのような実態を鑑みると、はっきり「コメント権のないユーザのコメントであってもコミュニティの合意があれば残すことができます。」とでも書いておく必要があると感じます。--あるふぁるふぁ 2011年10月17日 (月) 11:32 (UTC)[返信]
申し訳ありませんがおっしゃいます上記の具体的差分をお示し頂けますか? その上で「独断」だったり「強行」したり「一方的」だったりした利用者に対するコメント依頼でも出されては如何でしょうか? そうすればコミュニティの意見として「独断」「強行」「一方的」というご意見が、広く一般的に誰が見てもそのように受け取られるものなのか、それとも受け手がコミュニティと異なる特殊な考えを持っているのかが明確になると思いますよ。そうすることによって自ずとWP:NOTLAWの精神がコミュニティにどのように受け取られているのかも明らかになると思います。--ろう(Law soma) D C 2011年10月17日 (月) 12:30 (UTC)[返信]
手を変え品を変え一部利用者の独断で「例外」が強行され、自らはコミュニティに判断を求めることもせず議論提起は一方的に「原則」通りの対応を求める側に要求しているという「現実」がどこにあるか示していただけますでしょうか。今回は、そのケースには当てはまらないと思いますけれども。
コミュニティの合意というのは、「大胆な編集、リバート、議論の三つの繰り返し」であり、常に「理由」を示して「相手を説得する」努力をするということですから、大事なことは、方針はともかく、この場では残すのと残さないのとどっちがいいのか考えて、それぞれに理由を述べろ、ということですから、どうせなら、「コメント権のないユーザのコメントであっても、そのコメントが有意義であり残すことが好ましいと考える人があり、方針の文言の適用ということ以外に除去するのが好ましいと考える人がいなければ残すことができます。意見が対立したなら、合意を得て対応してください」でしょうか。--Ks aka 98 2011年10月17日 (月) 13:19 (UTC)[返信]
では順番に…
「手を変え品を変え」はこれ(1)とこれ(2)とこれ(3)とこれ(4)です。(1)はCproさんがIPユーザの方に対してコメントをノートページに書くよう唆すコメント、(2)は(1)のCproさんの言に従ってIPユーザの方がノートページにコメントを移した後にその方のコメントを読むように他の閲覧者に勧めるCproさんのコメント、(3)はノートページから私が除去したこと[2]を受けてもなおIPユーザのコメントを閲覧者に供するためにCproさんによってなされた差分の提示、(4)はさらにコメントを目に付きやすくするためになされた取り消し線をつけてのLaw somaさんのコメントの復帰です。すなわち表ではコメントはダメだからノートにしよう(これは後にCproさん自身が「ノートも禁止だと言うことを失念していた」とコメントされています[3])、表でもノートにコメントがあることを明示しよう、ノートも消されたから差分で明示しよう、もっと目に付くように取り消し線をつけて復帰しよう…という一連の行動を「手を変え品を変え」と表現しました。
「一部の利用者の独断」については、コミュニティの同意を得ていないから「独断」と申し上げているのであって、「ない」ことの差分はありません。「コミュニティに判断を求めることもせず」についても同様です。逆に独断ではない(コミュニティの同意を得ている)と仰るのであれば、その差分をご提示ください。
「強行」については、表でIPユーザの方によって[4]、ノートでは私によって[5]IPユーザのコメントが2度除去されているにもかかわらず、「残すに値する」との合意形成を図ろうともせずに実質的にコメントを復帰させようとする(2)(3)(4)の行為を指しています。
「議論提起は一方的に「原則」通りの対応を求める側に要求している」についてはここここにあります。また、発端の利用者‐会話:Cpro#某依頼ページ等での言動についてで呼びかけたのも「例外」を主張する側ではなく私です[6]。さらに、直近のコメントでも私の方にコメント依頼を出せと要求しているのも「例外」を主張する側です[7]。「例外」を主張する側からはだたの一度も議論提起がなされたことはありません。「ある」と仰るのでしたら差分をご提示ください。
なお、私としてはこれ以上議論の場を拡散させることを望みません。いつでもどんなことでも言う通りに従う利用者ばかりではございません。「コメント依頼にかけるべき」[8]とお考えの利用者がいるのであればどうぞご自身の手でコメント依頼をご提出ください。--あるふぁるふぁ 2011年10月17日 (月) 16:06 (UTC)差分追加、一部修正。--あるふぁるふぁ 2011年10月20日 (木) 05:44 (UTC)[返信]
「独断でない(コミュニティの同意を得ている)ことの差分」「例外を主張する側からの議論提起がなされたことがあることの差分」をお願いしてから一週間近く経ちましたがいかがお過ごしでしょうか?これもまた「相手には要求するが自らは何もしない」ということでしょうか?--あるふぁるふぁ 2011年10月24日 (月) 07:22 (UTC)[返信]
IPさんはそのコメントを審議参加者に伝えたいと考えて書いた。別のIPさんが、IPにコメント権はないという理由で除去した。コメントは最初のIPさんによってノートに再投稿されます。Cproさんは、この記述は依頼の審議参加者が見たほうがいいコメントだと考え、「追認の是非のみを淡々と述べるのみにとどめ、被依頼者を無為に刺激することはご遠慮いただけるようお願いできますでしょうか」とのことで、私も同感です。この審議に参加される方は、事前にノートに目を通して」ほしいと書いた。。あるふぁるふぁさんが除去した。ろうさんが見え消しにした。Cproさんは「すみません、IPユーザーのコメント禁止規定はノートページにも及んでいるということで除去されていました。見ていただきたかったコメントの差分へのリンクを表示しておきます。」と、差分を示した。
こうしたやりとりは、「手を変え品を変え」と呼ぶべきではなく、あるふぁるふぁさんの意見やIPさんのノートへの転記、方針がノートでのコメントも禁止している事を思い出したことなど、「他の編集者の意図を統合できるような合理的な変更を考えて編集」(Wikipedia:合意形成#編集作業の結果としての合意)だと考えます。
今回の件で、依頼ページとノートに、有効な形でIPさんのコメントを残そうとしていた人はいません。本来発言することができない利用者の意見をそのまま残し、ブロックの方針に反する状態を作ろうとしているのではなく、そのコメントに意義を感じたCproさんは、Cproさんの意見として、参照を求めているのですから、Cproさんがノートのコメントも禁止されていると気付いた後の編集は、ブロックの方針には違反していません。荒らしのコメントについても、同様に扱うことができるでしょうけれど、いずれの場合も、そのコメントの内容に同意し、自分のコメントに含めてコメントを残していることについての評価はされます。内容によっては、そのコメントを審議の場に持ち出すことで「荒らし」と扱われることもあるでしょう。コメントが禁止されているというのは、禁止されている利用者の意見を取り入れてはならないという意味ではないはずです。そのような今回の経緯を振り返れば、ご提案のような「コメント可」というかたちへ現在の方針を変える必要はないと思います。
最終的には、差分を示すこと、または見え消しの状態を保つことで安定しました。「編集が行われた際には他の編集者はその編集を承認するか、変更するか、あるいはリバートするかの選択肢を持っています」(Wikipedia:合意形成#編集作業の結果としての合意キャプション)が、差分を除去したり、差分を含むCproさんのコメントを除去する人はいませんでしたし、ろうさんによる見え消しを除去する人もいませんでした。これは独断ではなく、また「強行」ではなく、「編集作業の結果としての合意」です。
「議論提起は一方的に「原則」通りの対応を求める側に要求している」と、その後の差分については、よくわかりませんでした。削除依頼でのやりとりと、示された差分の間には、ろうさんやHideokunさんやぼくとあるふぁるふぁさんとのやりとりもありました。議論提起というのは、Cproさんの行為についてか、方針の改変についてかだと想像しますが、ぼくは議論を提起するようなものだと考えていませんし、おそらくCproさんやろうさんもそうなのでしょう。議論提起は、立場に拠らず議論提起が必要だと考える人が行なうのであって、問題がないと思っている人は行ないようがありません。--Ks aka 98 2011年10月24日 (月) 08:13 (UTC)[返信]
ここでは「IPユーザのコメントであっても残す価値があれば残すべきか」から始まっています。「追認の是非のみを淡々と述べましょう」という投稿ブロック依頼の議論に参加するにあたってごくごく当たり前の「投票は一人一票にしましょう」というのと何ら変わらない当該コメントに残す価値があったかどうかは、必要ならその後に議論すべきことで、今ここで持ち出すべきことだと思いません。
「最終的には、差分を示すこと、または見え消しの状態を保つことで安定しました」との見解は失当でしょう。私が差し戻しを避けてCproさんの会話ページで議論を提起したからそうなっただけで、その状態を追認した訳ではありません。Cproさん自身によって取り消されることを期待していましたが、当該依頼がクローズされて編集不可となるまでお返事をいただけませんでした。「編集が行われた際には他の編集者はその編集を承認するか、変更するか、あるいはリバートするかの選択肢を持っています」ということは、その時点で議論を避けてリバートすべきだったということでしょうか?一定期間安定した状態であれば合意とみなすとしても(問題のある記事や記述が一定期間見逃されれば存在を許されるということになり私は同意しませんが)、それでも結果としての合意であり、行為時点で合意がなく独断での行為であったことに変わりはないでしょう。事前の合意があったと仰るのであれば差分でお示しください。
「議論提起は、立場に拠らず議論提起が必要だと考える人が行なうのであって、問題がないと思っている人は行ないようがありません」については全く不同意です。意見対立があったときに自らの意見が正しいかどうか井戸端なり方針のノートで意見を求めることは立場に拠らず可能なはずです。どこかで禁止されているのでしょうか?
ところで、誰か削除依頼の話をしているのでしょうか?お手数をおかけして大変申し訳ありませんがKs aka 98さんが仰る「削除依頼でのやりとり」というものについて差分をお示しください。何卒よろしくお願いいたします。--あるふぁるふぁ 2011年10月24日 (月) 13:24 (UTC)[返信]
各所でご活躍のご様子ですが、「事前合意の差分」「『自らの意見で問題ないと思うがどうか』と意見を求めることを禁止する方針文書等」「『削除依頼でのやりとり』なるものの差分」をお願いしてからまた一週間近く経ちました。ご提示いただくのにあとどれくらい時間が必要かだけでもお教えいただければ幸いです。よろしくお願いいたします。--あるふぁるふぁ 2011年10月31日 (月) 04:55 (UTC)[返信]
さらに一週間経ちました。議論を放棄された状態ですので「原則として不可」にするというご提案は取り下げたものと看做してよろしいでしょうか?--あるふぁるふぁ 2011年11月7日 (月) 11:56 (UTC)[返信]
まず、「原則として不可」という文言であれば私は文言改正に反対しないことを表明します。私は依然、現状の方針で特段問題のない運用が出来ているのであれば改訂の必要性を認めてはおりませんが、より文言を明確にするという観点からのKs aka 98さんの提案に反対するものではありません。ですので取り下げとみなすのは、少々お待ち頂けますか。
なお、これまで賛否を表明しなかったのは、2011年10月19日 (水) 23:57 (UTC)に「申し上げることはありません」と書いた結果を待っていたことがあります。私が「申し上げることはありません」と書いたのは、あるふぁるふぁさんがそれまでは「選択肢」を認めておられないような書きぶり[9][10]であったのが、2011年10月19日 (水) 13:25 (UTC)に「いろいろな選択肢があるということは了解しました」と書かれているように「選択肢」の存在をお認めになられたため、「公式の方針を空文化させるかのような行為」との決めつけを撤回されるだろうと期待したからです。そもそも、あるふぁるふぁさんがCproさんにご自身の価値観に基づく方針解釈を絶対とするような詰問をされたことを止めるために私は介入したのであって、積極的に方針の文言を改正したいと願ってきたものではありませんから。--ろう(Law soma) D C 2011年11月8日 (火) 00:16 (UTC)[返信]
この間Ks aka 98さんは他所では活動されているようなのですが、Law somaさんがそうおっしゃるのであれば今しばらくお待ちしましょう。
この節で議論をしているのは、匿名利用者および「編集回数50回以上、かつログインしてからの活動期間1ヶ月以上のログイン利用者」に該当しないログイン利用者についてのコメントについて「可(ただし荒らしユーザは不可)とする」(私の提案)か「原則として不可とする」(Ks aka 98さんの提案)か「WP:RfAに倣うかノートは可とする」(Hmanさんの提案)の他に、Law somaさんの「変更しない(NOTLAWがあるのだからそういうものとして理解する)」も選択肢とすることに同意しました(ただしこれまでの議論をご覧頂ければお分かりのとおり、方針の改定を不必要だと考えている方は現状Law somaさんだけのようです)。あくまで選択肢とすることに同意したのであってLaw somaさんの提案に賛成しているわけではありません。そのことがなぜCproさんの会話ページでの発言の撤回が必要という話になるのかわかりません。私にもわかるようにご説明願います。--あるふぁるふぁ 2011年11月8日 (火) 03:36 (UTC)[返信]
私は「必要」とは申し上げておりませんが。私が勝手に期待していたというだけなのでしょう。私は初めの頃から互いの解釈に違いこそあれ、あるふぁるふぁさんの解釈が間違っている訳ではない、「公式の方針を空文化させるかのような行為」に当たるかどうかは個々人の解釈で異なるのではないかと述べています。これに応えることなく私たちの対応をルールの悪用に近いとまでおっしゃったのはあるふぁるふぁさんです。私の意見も選択肢として同一の土俵上で議論できるなら、それは解釈の違いであり、一方的にどちらが悪いとするものではないのではありませんか。そう思って勝手に期待していた私に、なぜそのように「必要」という言葉を補ってまで反発されるのか、それこそ私には理解しかねます。--ろう(Law soma) D C 2011年11月8日 (火) 05:04 (UTC)[返信]
さようでございますか。説明を求めただけで反発したつもりはありませんが、Law somaさんが勝手な期待を独白されただけということであれば私からはこれ以上申し上げることはございません。--あるふぁるふぁ 2011年11月8日 (火) 10:11 (UTC)[返信]
反発ではないのでしたら何よりです。私の誤解なのでしょう。
これまで賛否を表明しなかった理由を述べただけなのに、理由の中の一部を取り上げ、更に書いてもいない言葉に説明を求められた挙句に「次回からはご自身の勝手な期待はご自身の中だけに留めておいてください」などとおっしゃる方だということが分かっただけでも対話した意味があったと思います。
あるふぁるふぁさんは書かれてもいない文字を読まれた上で、わからないからと説明を求められるユニークな方だということがよく分かりましたので、私もこれ以上書いてもいないことに説明を求められる前に引きたいと思います。それでは取り下げとみなすのはお待ち頂けるということですので、よろしくお願いします。--ろう(Law soma) D C 2011年11月8日 (火) 14:15 (UTC)[返信]
Ks aka 98さんに提案趣旨の説明を求めているだけなのに、Law soma様は突然現れて聞かれてもいない「賛否を表明しなかった理由」を述べられた挙句に「勝手な期待」などを示される方だということが分かっただけでも対話した意味があったと思います。
私は人は誰しもユニークな存在であると考えておりますが、Law soma様は均質な「普通の人」によるコミュニティを求められておられる方だということがよく分かりましたので、私もこれ以上Law soma様の価値観に立ち入ることはせず引きたいと思います。
Law soma様のお言葉ですので取り下げとみなすことはしばらくお待ち申し上げますが、すでに2週間以上お返事をいただけていない状態ですので、Law soma様ほど人間ができていない私としましては「もう10日ほど」お待ち申し上げるほど気が長くはないと申し上げておきます。--あるふぁるふぁ 2011年11月8日 (火) 15:35 (UTC)[返信]
提案趣旨の説明を求めているだけなのに:「取り下げたものと看做してよろしいでしょうか」が説明を求めているだけの言葉と認識されておられるようで驚きました。私のあるふぁるふぁさんに対する理解が及ばず申し訳ありませんでした。
均質な「普通の人」によるコミュニティを求められておられる:書かれていない言葉を補われていますが、私の言葉が足りなかったことを重ねて申し訳なく思います。「書かれてもいない文字を読まれた上で、わからないからと説明を求められるほどユニークな方」と言い直します。
気が長くはない:ここのご発言から気長な方と思っておりました。誤解して申し訳ありません。
では失礼しました。--ろう(Law soma) D C 2011年11月9日 (水) 02:05 (UTC)[返信]
(インデント戻します)お察しいただいている通り、忙しい状態ですので、返信が遅れました。
取り下げ、は、別に構いません。もとより、ノートへの転記は適切ではなかったとしても、一連の編集は今のブロックの方針のままでも大きな問題とはならないし、NOTLAWを知る程度に慣れた利用者、その場ででもNOTLAWを知った利用者であれば問題としないことは理解できると考えていますから、ここで方針を改訂する必要はそれほど感じていません。取り下げるならば、ご提案に反対ということにすることになります。あるふぁるふぁさんが、問題提起されたため、わかりにくいのなら、また、ろうそまさんが明確に反対の表明をされていたための折衷的なところで、ということでの提案です。
問われていることについては(冒頭の斜体は対応する部分を示すための引用)
今ここで持ち出すべきことだと思いません。:実際に価値があったかどうかをここで持ち出すべきではありませんし、持ち出すつもりもありませんし、これまでにも持ち出していないと思います。ぼくがあるふぁるふぁさんに理解して欲しいのは、「「投票は一人一票にしましょう」というのと何ら変わらない」というのは自明ではなく、IPさんは、これまでの対話の経緯を知るものとして、特に誠実な投票を求め、Cproさんはそれに同意して参照させるだけの価値があると認めた、少なくとも、ぼくにはそう見えた、ということです。そして、価値がないからという理由で除去し、その場で、残す価値について議論が行なわれていればよかったのだけど、それを「投稿ブロックの方針」のみに反することを理由に「公式の方針を空文化させるかのような行為」ということで会話ページに持ち込んだから、ろうさんやぼくはNOTLAWの説明をした。
あるふぁるふぁさんは、手を変え品を変え一部利用者の独断で「例外」が強行され、自らはコミュニティに判断を求めることもせず議論提起は一方的に「原則」通りの対応を求める側に要求されているという「現実」があり、「方針で不可としておいて、規則主義ではないために、残しておいたほうがよいものは残す」は、「コミュニティの合意を得た例外」としてではなく「規則主義ではないために、方針が何であれ俺達が残しておいたほうがよいと思うものは残す」という解釈で運用されているという「実態」があると考えているのですよね。ぼくは、そう考えていないので、そういう実体ではない、と書いた。改訂の根拠となる事実認識に齟齬があると話が進まなくなることも多いですから。
「IPユーザのコメントであっても残す価値があれば残すべきか」の答えは、残す価値があるのなら残すべき、以外にないのではないでしょうか。つまり「規則主義ではない」もIARも無視して、「IPユーザーのコメントは一切残してはならない」と確定させることは、ウィキメディアのプロジェクトの中では難しいでしょう。
個別のコメントを、残すべきか除去すべきか、あるいはどのような形で参照することなら許容するか、という点については、その場の状況に応じて対話で決まればよく、それぞれの立場からその理由を述べれば合意に向かうことが予想されます。理由とともに残す価値があるという意思が表明されたならば、方針に書いてあるからという以上に除去すべき理由を示して、編集をするか、対話をはじめるか、でしょう。既に方針となっているのですから、方針化の際に論点となったものについて、あらためてそれを理由として述べることもできます。どうするのがよいかという点については、あらかじめ、合意を得ながら方針の中で細則を定めることはできるかもしれません。それでも、定められた範囲については判断が容易になるとしても、検討されなかったものや再検討の価値があると判断されるものならば、改めて対話を始める必要がある。
との見解は失当でしょう。:では、あるふぁるふぁさんを除いては「安定」した最終的な記述のありようを問題視する利用者は現れていない、と言い換えましょう。あるふぁるふぁさんが追認したとも思っていません。そうではなく、安定した状態を知る人は少なからずいるにもかかわらず、会話ページでの議論提起はともかく放置すべきではないと考えた人はおらず、会話ページでの議論提起であるふぁるふぁさんに同意を示そうとした人はいない、ということを申し上げています。
Cproさん自身によって取り消されることを期待していましたが、当該依頼がクローズされて編集不可となるまでお返事をいただけませんでした。:取り消す必要はなく、Cproさんに代わってその理由は述べられており、それに加えてCproさんが返事をしなければならない理由はない、と思いますけれども。
リバートすべきだったということでしょうか?:いいえ、あるふぁるふぁさんがリバートしようが議論提起しようがそれはそれで構いませんが、他にリバートしようとした人はいなかったし、さらに変更しようとした人はいなかったために、あるふぁるふぁさん以外には、その編集は消極的にでも承認されたと考えられるということです。
事前の合意があったと仰るのであれば差分で:結果としての合意で十分であり、事前の合意でなければならないとおっしゃるのであれば、方針をお示しください。
どこかで禁止されているのでしょうか?:いいえ。立場に拠らず可能です。「行ないようがありません」、は認識していないような事例を想定していましたが、極端な表現だったかもしれません。問題がないと思っている人は、その問題を問題として認識しないこともありますし、ことさら問題とすることに利益はないケースが多いです。問題を認識し、意見を求めることは「可能」であり、「禁止」されていません。しかし、多くの場合、問題と認識した人が提起するのだと思いますけれど。
削除依頼の話をしているのでしょうか?:削除依頼ではなくブロック依頼でしたね。失礼しました。念のためですが、ここでの議論で、混同しそうな削除依頼での議論はありましたでしょうか。
改訂について、Hmanさんの提案はいかがですか? --Ks aka 98 2011年11月8日 (火) 16:23 (UTC)[返信]
取り下げで構わないとのことですので、Ks aka 98さんのご提案についての議論をこれ以上進める意味もないでしょう。Hmanさんの提案についての議論に移りたいと思います。--あるふぁるふぁ 2011年11月9日 (水) 03:53 (UTC)[返信]
コメント 本題であるブロック審議以外の所で毎回議論するのも大変でしょうから、WP:RfAに倣い、「審議妨害を防止するため、IP利用者にはコメント権はなく、原則的にコメントは許可されていません。有権者であればそれを発見した時、誰でも除去できます。ただし審議に有意義な内容であれば、他の有権者はそれをノートページに転記することができます。」というのも一つのアイディアでしょう。また、あくまで荒らし対策でしかないのであれば、ノートはフリーにすると言う手もあります。審議の場への悪影響はそれほどないでしょう。しかし今回の場合は、IP利用者氏は最初から単に、被依頼者の会話ページにコメントを入れれば良かったのではないのでしょうか。投票者は全員、被依頼者の会話ページは査読するはずなのですから。また、それをCpro氏やLaw氏が審議の場で念のため「報告」したとて、方針上、特に咎められることはないでしょう。-Hman 2011年10月17日 (月) 16:40 (UTC)[返信]
続きとしてこちらに。
被依頼者の会話ページは必ず見るものではないので、そこで代用はできないと思う。
「ノートはフリーにする」としたときに、荒らしも明らかになるまでは放置するってことならそれはそれでよいと思います。荒らしは除去ということにすると、今度は「荒らしかどうか」で混乱しそう。ノートは一見ぐだぐだしているけど、それは審議ページじゃないから、そういうものとして、明らかな荒らしや、ソックパペットとしてブロックされたブロック逃れは除去できるけど、議論を撹乱していると思われるというだけの書き込みは残る。
原則禁止にして、除去時に除去した旨を書き残す。有用なものだと考える人は、差分を使うなり見え消しを使うなりして参照させるという形だと、もう少し整理された形になります。書き込む段階で、IPではあるが妥当と認識されるであろうという判断があり、かつ、それが有益だと認められた場合を除いて、除去される。誰かが有用と思って、自分の発言の中で参照させたり引用したりするのは自由。ただし、その責任は参照させたり引用したりした利用者が負うのであって、場合によっては荒らしの模倣とかブロック逃れの代理投稿などとしてブロックされる可能性はある。コメント権のある利用者の意見なのだから、それを他の利用者が除去することは認められない(先述のような代理投稿などの理由があれば別)。つまりIPからは、独立した意見として書き込まれたものだとしても、独立した意見(「無期限。ほげほげのため--xxx.xxx.xxx.xxx」)としては存在できず、コメント権のある誰かが共感した意見(「無期限。ほげほげであることは看過できない(xxx.xxx.xxx.xxxさんの指摘による。元の書き込みはノート参照)。--Ks aka 98」)としてのみ存在する。これによって「誰かが有用と思う」と「誰もが有用と思わなかったもの」という形で容易に区別できるんじゃないかな。文案としては
「審議妨害を防止するため、IP利用者にはコメント権はなく、原則的にコメントは許可されていません。有権者であればそれを発見した時、誰でも除去できます。ただし審議に有意義な内容と考える有権者は、それを自身のコメントのなかで引用したり、参照させたりすることができます。この場合、ノートに除去されたコメントを復帰させることも認められます」
とか。--Ks aka 98 2011年11月8日 (火) 16:23 (UTC)[返信]
私としては、できるだけ基準を明確にして明文化すべきと考えていますのでHmanさんのご提案を歓迎いたします。
一点だけ確認させてください。Wikipedia:管理者への立候補では「不適切なコメント等があった場合には、匿名ユーザを含む誰もが対処することができます。」とされています。今回のご提案で「有権者であればそれを発見した時、誰でも除去できます。」とされているのは何か意図があってのことでしょうか?--あるふぁるふぁ 2011年11月9日 (水) 03:53 (UTC)[返信]
IP利用者のコメントの掲載可否についてIP利用者が判断して除去、という操作は、大混乱を招く虞があります。よって、有権者、アカウント利用者に操作を限定するのが得策と思います。まあ、RfAがそれほど混乱を来している訳ではないので、考えすぎかもしれませんが。この制限に関しては、問題が発生すれば再度協議すると言った形でもよいでしょうね。私ももちろん臨機応変を否定はしませんが、割と文面派ではあります(でないと常にどこかで議論していることになり、執筆している時間がありません。方針を遵守して大きな問題が無いのであれば、できるだけ遵守したいものです)。私の案はあくまで草案と申しますか、アイディアです。せっかくあるふぁるふぁさん、ろうさん、くさかさんと言う私などより遙かに経験豊富な皆さんが揃っているノートですから、今回の様な混乱が再び発生しない様、詰めていって頂ければよいのではないかな、と考えています。もちろんある程度の手応えが出てきましたら、お知らせに掲載して、より広く意見を募ってみることになると思います。--Hman 2011年11月9日 (水) 12:43 (UTC)[返信]
Hmanさんのお考えは理解いたしました。どちらにせよ明記されるのであれば私としては異論ありません。あっさり「ノートは可」とするのもシンプルで良いと思います。細部の表現は今後の議論で詰めるとして、私の元の提案は撤回し、現段階でHmanさんの案に賛同することを明記しておきます。
私は、方針文書を熟読しただけでは理解できない不文律や暗黙の了解で運営される状態があるのであれば、それは解消したほうが良いと考えています。立場上意図的に法の成文化を回避したがる方々がいるのかもしれませんが、そうであればそれは望ましい状態ではないと思っています。--あるふぁるふぁ 2011年11月9日 (水) 15:36 (UTC)[返信]
まあ、「IPコメントは審議場は不可、ノートは可」でしたら実に単純明快で、これでよいならこれがよいのかもしれません(他に削除依頼などでも本論と関係の無い議論がノートに転記されている例はよく見かけますが、転記さえしてしまえば、審議の場は平和になります)。その場合は、もちろん見るべきご意見が寄せられた際には、有権者が編集差分をリンクするなり、一部引用するなり、それは個々人の判断で自由に行なえばよいでしょう。--Hman 2011年11月10日 (木) 01:07 (UTC)[返信]
現状の方針で通常は特段問題のない運用が出来ていると認識しておりますので改訂の必要性を認めてはおりませんが、WP:RfAに倣うという明確な基準に基づくHmanさんの「一つのアイディア」に反対はしません。--ろう(Law soma) D C 2011年11月10日 (木) 00:44 (UTC)[返信]
コメント 私としては、いやしくも「コメント不可」とする以上、「規則主義ではないために、残しておいたほうがよいものは残す」のようなことを安易に言うべきではないと思います。発言権のない人のコメントが重要だと思うなら、同じ内容のコメントを自分の意見として表明すればよいだけの話で、何も元のコメントを残す必要はありません。あるふぁるふぁさんが問題にしたCproさんの発言も、「○○さんの発言はコメント権がないということで除去されてしまいましたが、○○という指摘には傾聴すべき点があると思います…」だけにして、元の発言へのリンクにこだわらなければ、印象がずいぶん違ったのではないでしょうか?
とはいえ、「残す」とか「消す」とか言う場合、「どこに残すのか」「どこから消すのか」の基準の取り方次第で、結論が180度違うものになりえます。例えば、RfAでは投票権のない人の投票を本来の投票場所から「無効票」の節に退避する運用になっているようです[11]。「本来の場所から消す=別の場所に残す」という運用もあり得るわけで、そのような運用でコンセンサスが取れるなら、特に反対はしません。--Dwy 2011年11月19日 (土) 23:57 (UTC)[返信]
  • コメント 「匿名利用者および編集回数50回以上、かつログインしてからの活動期間1ヶ月以上のログイン利用者」に該当しないログイン利用者に対してコメントを可とする」というあるふぁるふぁさんの案にも賛成できますが、どちらも不可でノートなら可能という案でも良いと思います。問題点は、IP利用者のコメントの可否について明示されていない点だと思います。これは規則に縛られずとも、明示したほうが良い事案だと思います。--馬屋橋 2011年12月29日 (木) 16:29 (UTC)[返信]

Template:Range block login 作成提案

アカウント作成可とする広域ブロックの場合に、IP利用者にログインを促すための要約欄用のメッセージを新たに追加することを提案いたします(サンプル)。メッセージ内容、方針等に関するご意見ありましたら受け賜ります。--Triglav 2012年2月16日 (木) 10:21 (UTC)[返信]

Template:Range block loginを作成しました。--Triglav 2012年2月21日 (火) 08:30 (UTC)[返信]

8.2項 他者の発言の改竄 但書 1.自己の会話ページの削除(定期的に白紙化を行なう事など) に関する提案

提案 8.2項 他者の発言の改竄 但書の第1項に「自己の会話ページの削除(定期的に白紙化を行なう事など)」がありますが、現在、運用上は好ましくない行為とされ、これを行う者に、他の編集者が警告を発することが少なくありません。かつ、GFDL等に照らし合わせても削除の正当性を見出しかねます。加えて、会話ページの定期的な白紙化の意図するところは、大方、過去ログ化にて達成可能です。本条項の廃止又は投稿ブロックの事由にはしないが過去ログ化等にて対応すべき行為であることを明記することを提案します。--ジャコウネズミ会話) 2012年5月8日 (火) 05:23 (UTC)(修正)打消し線--ジャコウネズミ会話2012年5月8日 (火) 07:04 (UTC)[返信]

  • (賛成)(定期的に白紙化を行なう事など)を悪用する利用者がいる(特に他言語版からの利用者。現に罵詈雑言を吐いた利用者もいる。)以上、過去ログによって対応すべき行為を明記すべき。もちろん、過去ログのやり方に対するフォローもお忘れなく。--hyolee2/H.L.LEE 2012年5月8日 (火) 05:39 (UTC)2012年5月8日 (火) 06:30 (UTC)(追加。フォロー関連)[返信]
  • コメント 過去ログ化は相当に難しく煩雑な作業であると言うことを、思い出して頂きたいです。利用者は誰しも自身の会話ページに対する不愉快な書き込みを不可視にする程度の裁量は認められるべきであり、スキルの低い方がそれを望んだ時のフォローを検討する必要が有るでしょう(過去ログ化依頼ページやテンプレートなど?)。--Hman会話2012年5月8日 (火) 06:21 (UTC)[返信]
  • コメント提案者自身、過去に一度、この条項を読んで会話ページを白紙化して警告を受け(同時に過去ログ化ならOKと言われ)、必死になって過去ログ化の方法を読み込んだことのある者です。過去ログ化の案内の必要性は認識しております。本提案の主旨は、本条項の行為が無条件に許されるような誤解を生じさせない表現の必要性を訴えるものです。なお、現在、お二方の意見を伺っただけですが、この時点において、提案者は提案のうち、本条項の廃止について取り下げいたします。--ジャコウネズミ会話2012年5月8日 (火) 07:04 (UTC)[返信]
  • コメント んー、過去ログ化の案内に関しては既に但書の第2項でリンクを貼っており、リンク先のHelpに加筆する程度でよいかと。で、過去ログ化で対応すべき旨の明記に関しては、次のように考えました。まず、ジャコウネズミさんの危惧される「GFDL」に関しては除去も改変のうちなのではないかと思います。履歴を消さない限り除去は可能かと。但し8.1項に該当する虞がある場合はブロック対象になり得ます。Hmanさんの危惧される「不愉快な書き込み」に関しては大きく2つに分けられます。その書き込みが個人攻撃であるならば、但書の第6項で除去できます。個人攻撃に当たらないならば、現状では第1項を適用して除去できます。但しこの場合、第11項と抵触し編集合戦を引き起こす危険性があります。以上を考え合わせると、但書の第1項は「議論の拒否や妨害」にならない限り白紙化できると、但書の第2項は「議論の拒否や妨害」と受け止められないようにリンクを貼る等の配慮をすると、この2点を加える方がよいように思います。--ろう(Law soma) D C 2012年5月8日 (火) 08:05 (UTC)[返信]
  • コメント 「議論の拒否や妨害」にならない限り白紙化できる、と許容する風土が、現在の日本語版Wikipedia内にあるのかどうか、広くご意見を聞いてみたいですね。自分の経験では「議論の拒否や妨害」など毛頭もない所で本条項に則って白紙化したら、即リバートされてお説教。あまりの剣幕に本条項を以って反論することなく、かといって規則上不備も無かったので陳謝せずに、OKと言われた過去ログ化(の仕方でまた非難されては堪らないと思い)の説明を別窓で開きつつ慎重に作業した記憶があるものですから。わたしは個人的には他人の会話ページで自分や他人のコメントが白紙化されても、咎めもしなければ、書いた内容について権利を主張したりもしません。Wikipediaの本分である百科事典の推敲に関する議論は記事、カテゴリ、プロジェクト等のノートで行うのが当然ですし、自分が他人の会話ページに書くことといえば、日本語版Wikipediaの文章、出典表記及び編集についてのルール、ガイドライン及び慣行の説明、ログインの推奨、あとは謝辞や相談、砕けた話といったところです。知らなかったが故の過ちやいわゆる「黒歴史」を消し去りたい気持ちは多くのユーザーにあるものでしょう。「議論の拒否や妨害」でないと自己判断の上白紙化してとやかく言われずに済むのなら、この提案は疾々と引っ込めるまでの事です。条項があるにもかかわらず自分の会話ページを白紙化することを一律に非難する風潮に断を下せるならそれも議論による十分な収穫でしょう。--ジャコウネズミ会話2012年5月8日 (火) 09:17 (UTC)[返信]
  • コメント 日本語版Wikipediaがログインを推奨している以上、IPユーザの会話ページに対して公式な方針は出ないかもしれません。また、古い批判は除去するか要約してくださいはあくまでエチケットなのでこれを行わなかった人の責任を追及するのは酷かと思います。個人的には固定IPの方の会話ページには、ログインユーザのそれと同様な書きこみをいたしますし、ここである結論に達すれば、IPユーザの会話ページも平等に扱われてしかるべきと考えます。可変IPの方の会話ページは先方に読んでいただける確証がないので、仕方なく記事のノート等の中に、通常なら会話ページで行う上記のような内容を書き込まなければならないこともあります。記事のノートを汚す結果となるのでわたしは快く思っていないのですが。--ジャコウネズミ会話2012年5月8日 (火) 12:22 (UTC)[返信]

まず、以上にコメントを寄せてくださった皆様に感謝申し上げます。ご意見の全体像を捉えるに8.2項 他者の発言の改竄の例外規定第1項は存続したうえで、議論の拒否など、他の条項に抵触するような会話ページの白紙化まで容認するものではないことを明記するのが良いかと考えました。

【案募集】8.2項 他者の発言の改竄 例外規定第1項 「自己の会話ページの削除(定期的に白紙化を行なう事など)」に付記するに相応しい文言についてご提案頂ければ幸いです。--ジャコウネズミ会話2012年5月11日 (金) 10:15 (UTC)[返信]

IPで失礼します。今、逃走中ではなく闘争中のところなので、個人的には、ひょりさんや森さんや愛さんの意見を伺いたいところです。--182.171.151.238 2012年5月11日 (金) 12:34 (UTC)[返信]

コメントまず、結論から言うと今の条項を特にいじる必要は感じられないです。白紙化を含めて他人のコメントを除去したことのある編集者は何人か知ってますが、おおむね問題にはなっていないです。自身の会話ページの白紙化が一律問題視されているというようなことはないと思います。ジャコウネズミさんの行為を咎めてリバートした編集者はちょっとやりすぎでしょう。GDFLとの兼ね合いで問題があるというのもちょっと意味がわからないです。履歴は残っているので、誰かの会話ページにコメントしたことを証明したい編集者は差分として示すことができますし、それで十分だと思います。議論のやり取りを残したいシリアスな問題の場合は、自由に編集のできない会話ページ以外の場所を利用するべき、ということなんだと思います。

この問題に関しては、自身の会話ページからのコメントの除去に関する英語版の方針が参考になるかと。英語版の習慣とか取り除いてはいけないメッセージの類が説明されています。--Bugandhoney会話2012年5月11日 (金) 19:09 (UTC)[返信]

IPで失礼します。182.171.151.238は私です。条項をいじる必要は感じられない、問題にはなっていない、ですか… アナウンスだけでなく、復帰させて警告まで発する利用者などがいることはどう感じますか? あくまで「過去ログ化」は推奨であって「自分のノートは自分の気分で白紙化できる(履歴はちゃんと残るし)」は確約されていますよね。 --182.171.114.26 2012年5月12日 (土) 00:37 (UTC)[返信]
それは単純に警告する利用者に問題が有るのであって、そう言った行為を発見なされたのであればこの文書を案内するなどして、個別に対応してください。ただし、対話拒否まがいの白紙化が少なからず見られることも事実ですから、それについてもやはり個別に対応してください。そう言ったケースであれば復帰および警告、と言った手段もあり得るでしょう。この問題につきましてはより多くの人がご覧に成られているであろうWikipedia:井戸端に持っていってみてもよいかもしれませんね。--Hman会話2012年5月12日 (土) 03:18 (UTC)[返信]
Bugandhoney様。ご意見ありがとうございます。ろう(Law soma) D C様からも「削除もGDFLで自由とした改変の一部ではないか」とのご指摘をいただきました。英語版の方針にも目を通しました。わたしも、これと同様の記述であれば、あえて条項に追記する必要はないと感じました。
IP(116.67.216.166182.171.114.26)ユーザ様。「単純に警告する利用者に問題が有る」との見解が得られたことで、これを本項目に追加しなくとも、このノートを示せば、その目的は達せられるかもしれません。
Hman様。この議論は2012年5月7日に始まった「Wikipedia:井戸端/subj/会話ページの白紙化について」に端を発したものです。Wikipedia:井戸端での議論は現在、ほぼ収束していますが、話をWikipedia:井戸端に戻すのも悪くはありません。

提案者は、本節冒頭の当初提案及び付記文章の策定に係る提案を撤回いたします。--ジャコウネズミ会話2012年5月12日 (土) 03:54 (UTC)[返信]

(IPユーザーの方へ)会話ページでのやり取りを白紙化する、というのは、たいていの場合はその利用者がそのやり取りを恥じているということであって、どういう行為が問題なのかについて理解して反省した、ということであって、メッセージを残した編集者の意図は達せられているのではないでしょうか。白紙化をリバートするのは、「善意にとる」とかエチケットにかなった行為だとは思えないです。会話ページを見せしめみたいに使うのは個人的にはやりすぎだと思いますね。問題が頻発する利用者に関しては、会話ページではなくて利用者に対するコメント依頼を使うのがいいんじゃないかな。
過去ログ化は推奨されてしかるべきだとは思いますが、自分でやってみた経験からいうと、すべての利用者にこのレベルのスキルを要求するのは酷だと思います。--Bugandhoney会話2012年5月12日 (土) 05:29 (UTC)[返信]
ども、コメントありがとうございます。IPにもまあいろいろありまして、また共有IPなんてのも難しい取り扱いでして… このくらいまでは方針違反ではないと思って行動しても、見方によっては他者を不快にさせる場合もあることはわかります。が、ローカルなルールを社会的秩序だと思ってなのかプロバイダを通り越して勤務先に連絡をされる方もいまして… 想定通りの結果オーライですがね。くふ。--182.171.139.108 2012年5月13日 (日) 06:55 (UTC)[返信]

8.2項但し書き改定提案

上の節では改定しないことに決まったようですが、やはり類似の問題は散見されるように思いますので、若干の変更を提案します。

現在の文
自己の会話ページの削除(定期的に白紙化を行なう事など)
改定案
自己の会話ページにおける除去(すでに解決済みの古い話題などの整理)

このほうが実情を正確に表現できるのではないかと思います。また、「削除」では管理者機能による削除と紛らわしいので「除去」のほうがよいと思います。いかがでしょうか。--Calvero会話2012年7月14日 (土) 04:28 (UTC)[返信]

IPに対する投稿ブロック依頼の運用について

どうも、Hmanです。Wikipedia:井戸端/subj/IPに対する投稿ブロック依頼の運用についてからの続きとなります。具体的にはTemplate:投稿ブロック依頼の改訂となるのかもしれませんが、全般的な運用のお話になりますため、こちらに書かせて頂くことに致しました。

現在、ウィキペディアにおいては、原則としてIPに対する投稿ブロック依頼を受け付けておらず(Template:投稿ブロック依頼)、全て管理者の裁量に任されていると言って良いのが現状です。ですが管理者個々人の調査力には限界もありますし、審議が必要な、どちらとも取れる案件には手をつけられないのが実情となっております。現行では「管理者個人で確実に判断できる性質のものではありませんので、審議にかけてみてください」とさえも言い難い。この状況は少々まずいものであると、私は考えています。これの改善のためには、原則としてはこれまでどおり管理者伝言板にご報告頂くかたちをとりながらも、微妙な案件および管理者または他の利用者にそれを促された時・・・すなわち必要な時には通常の投稿ブロック依頼で審議できる、と言った運用へのシフトが効果的であると考えます。もし具体的に変更を行うのであれば、Template:投稿ブロック依頼の内、

を、

  • IPユーザに対するブロック -> Wikipedia:管理者伝言板のうち、適切な節
    • (ただし、Wikipedia:管理者伝言板で管理者に投稿ブロック依頼の提出を促されるなど審議と合意が必要と見込まれる場合はこの限りではありません)
    • (また、IPユーザーに対しての依頼であっても広域ブロックについてはこのページで取り扱っております)

・・・とする感じとなりますでしょうか。引き続き皆様のご意見をお聞かせ頂きたく存じます。--Hman会話2012年10月2日 (火) 07:36 (UTC)[返信]

アカウントを取得しないで、継続して類似した傾向の不適切な書き込みを行なう利用者も、ブロック依頼を行なうことができます。IPが固定または変動の頻度が低い場合の長期ブロックや、一定の傾向から同一人物と思われる可変IPで、個々の編集が明らかな荒らしとは言えないが、方針の無理解や対話拒否などを理由に一律にブロックで対処することが好ましい場合が該当します。
とかでどうだろう?--Ks aka 98会話2012年10月2日 (火) 09:45 (UTC)[返信]
上記Ks aka 98さんのご提案は、おおよそ、私の提案した「ただし、Wikipedia:管理者伝言板で管理者に投稿ブロック依頼の提出を促されるなど審議と合意が必要と見込まれる場合はこの限りではありません」を置き換えるもの、と言う感じの認識でよろしいでしょうか。--Hman会話2012年10月9日 (火) 14:17 (UTC)[返信]
「Wikipedia:管理者伝言板で管理者に投稿ブロック依頼の提出を促されるなど審議と合意が必要と見込まれる場合はこの限りではありません」に対応させたつもりですが、「管理者に投稿ブロック依頼の提出を促されるなど」という例示(だけ)だと、管理者が判断するもの、手続きとして掲示板で判断を仰がなければならないものと理解されそうで、それは嫌かなと。伝言板を経由せずに、個々が正しく判断して依頼に進むほうが、本来好ましい、あるべき姿だと思うんです。なので、「原則としてはこれまでどおり管理者伝言板にご報告頂くかたち」にはせず、判断できるようにするために「管理者個人で確実に判断できる性質」ではないもの、「審議と合意が必要と見込まれる場合」を例示する文面にしました。。--Ks aka 98会話2012年10月10日 (水) 02:35 (UTC)[返信]
なるほど、了解致しました。しかし、「伝言板で管理者が裁量で対処できないと見込まれるケース」という話を具体的に入れた方が好ましいのか、入れない方がいいのかは、難しい所ですね。分かりやすいのは分かりやすくなりますが、Ks aka 98さんの懸念もごもっともですし。--Hman会話2012年10月11日 (木) 06:14 (UTC)[返信]

モバイル回線からの投稿は禁止?

Wikipedia:投稿ブロックの方針/改定案#携帯電話ブラウザについて、現状にそぐわないと思います。

PCを利用しているウィキペディア利用者のうち、比較的多くの方がiPhone、Androidなどのスマートフォンをお持ちかと思います。ドコモのspモードでは新規にアカウントも作成できない状態ですが、mopera U ではログインせずとも書き込めます。他、auとSoftBankのiPhoneもログインせずに書き込めるそうです。

ちょっと調べてみましたが、

という議論があるようです。

2004年当時にはスマートフォンは普及しておらず、携帯電話ブラウザでは不具合があるのは当たり前のことでした。その9年後の2013年、時代が変わりLTEWiMAXモバイルWi-Fiルーター公衆無線LANなどが普及しております。調べものに最適な公共図書館においても、パソコン使用可能エリアなどがあり、公衆無線LANの電波が飛んでいます。時代の変化に合わせ、この規定を削除すべきかと思います。--たていすか会話2013年1月19日 (土) 13:58 (UTC)[返信]

携帯電話ブラウザは未だにある以上無理です。スマートフォンは対象に含めない措置をとったほうが良いかもしれません。なお、Wikipedia:投稿ブロック依頼/spmode.ne.jp 追認はいたずら編集が続いたことによるものです。--hyolee2/H.L.LEE 2013年2月2日 (土) 13:59 (UTC)[返信]
報告これに関連して、Wikipedia:投稿ブロック依頼/spmode.ne.jp 広域 変更が提案者によって提出されているみたいです。私には投票権はありませんが、一応紹介しておきます。--222.151.138.112 2013年2月11日 (月) 22:13 (UTC)[返信]
賛成 7月にWikipedia:井戸端/subj/モバイル編集でも話題が出ていたようですが、現在のウィキペディアモバイル版においては、ログインユーザーであれば編集ボタンから記事を編集することが可能となっています。しかし「特別:タグ一覧」にありますように、スマートフォン等から携帯機器版サイトでの編集を行うと、履歴に「mobile edit(携帯機器での編集)」のタグが追加されて「特別:最近の更新」の一覧にリストアップされ、この方針によって一網打尽にすることができるという、まさに罠のような状態になっています。既に現時点で2,000件近い投稿がなされていますが、投稿できる環境を用意しつつ編集を禁止するという奇妙なねじれ状態は、すぐにでも解消すべきであると考えます。
個人的には、スペックを理由にスマートフォンを閉め出すのはナンセンスであると考えています。私が去年まで編集に使っていた古いパソコン最近のスマートフォンを比較すると、CPUのクロック数は3倍、コア数は4倍、RAM容量は31倍、内蔵ストレージ(HDD/SSD)の容量ですら2倍(SDカード含まず)……と、圧倒的なスペックの差があります。もちろん差を付けられて負けているのは私が使っていた古いパソコンの方であって、スマートフォンの方ではありません。まあこのパソコン、初代iPhoneと比較しても、内蔵ストレージ容量以外で勝っているところが無いんですけれどね。ともかく、こんなに低いスペックのパソコンでも編集は可能なのですから、それよりスペックが高いスマートフォンで編集ができないというのは筋が通りません。一部のブラウザにおいては投稿時に問題が起こることは把握していますが、それならばそれで、ハードウェアやOSではなくブラウザによって制限をかけるべきです。
現在の日本において、スマートフォンの普及率は2割とも4割とも言われていますが、いずれにせよスマホやタブレットの普及に伴うパソコン離れが言われている中にあって、スマートフォンユーザーの存在は既に無視できる段階ではなくなったと考えます。そろそろこの方針を時代に合わせて改定するか、さもなければウィキメディア財団がMicrosoftの傘下に入って非営利団体であることをやめ、Windowsでしか編集できないことを宣言してiOSとAndroidを閉め出すべきかどうかを選択する時に来ているのではないでしょうか。--Kanohara会話2013年8月11日 (日) 13:55 (UTC)[返信]
情報 なおiOSやAndroidで動作するブラウザには、「PC版サイトをリクエスト」「PCサイトモード」「PC版サイトを表示」などといった名称で、ブラウザのユーザーエージェントを偽装する機能が標準で搭載されており、iPhoneのブラウザはMacintoshを詐称し、Androidのブラウザ(手元のAndroid標準ブラウザ、Android版Google Chrome、Android版Firefox)はAndroidであることを伏せてLinuxを名乗ります。このモードでウィキペディアを閲覧するとモバイル版ではなくPC版のサイトが表示され、編集もできてしまいますので、前述のように本気でスマートフォンからの投稿を禁止したいのであればWindowsからの投稿のみを許可し、他を禁止する必要があります。Windows Phoneのユーザーは無視できる程度には少なく、また巻き添えで規制されてしまうMacやLinuxのユーザーは、現在すでに規制の対象となっているスマートフォンユーザーと比べても少数であり、規制が実行されても多勢には影響がないと思われます。--Kanohara会話2013年8月11日 (日) 16:03 (UTC)[返信]
コメント まず本方針と現在行われているdocomoの広域ブロックについては区別して論じる必要があります。hyolee2さんが指摘されているように、spmodeは問題投稿を行う利用者がいたため無期限広域ブロックとなっています(Wikipedia:投稿ブロック依頼/spmode.ne.jp 追認)。またモバイル・ビューとデスクトップ・ビューも区別して議論する必要があります。ちなみにモバイル・ビューはPCからでも利用可能です。次にハードウェアのスペックについて言及されていますが、「I) ブラウザ側の問題により、しばしば壊れた編集を行い」のことを指しているであればハードウェアのスペックはその一因ではあるのでしょうが、携帯のスペックが低いから禁止→スペックが向上したので解禁、という単純な話ではありません。「壊れた編集」が「しばしば」行われるかどうかがポイントじゃないでようか。状況が変化したのなら改定の余地はあると思います。ただ従来型の携帯電話を使っている利用者もまだ多いです(かくいう私もいまだにガラケーです)。また当該条項の理由としては他に2つ(IIとIII)あるので、方針を変更するのであれば、これらについてもあわせて検討する必要があると思います。そもそも本方針の当該条項は「(日本の)携携帯電話ブラウザ」からの投稿に関するものです。昨今のスマートフォンやタブレット端末に搭載されているブラウザがこれに該当するか否か、を先ず議論したほうが良いのではないでしょうか。「ウィキメディア財団がMicrosoftの傘下に入って…」については真面目なお話ですか?非営利団体をやめてMicrosoftの傘下に入ったらなど、見当違いのご意見としか思えません。--Penn Station (talk) 2013年8月11日 (日) 17:02 (UTC)[返信]
コメント ソニーやシャープや富士通などから販売されているスマートフォンは、疑いようがなく「日本の携帯電話」であって、議論やルール解釈の余地などないでしょう。iPhoneにせよ、auやソフトバンクによって発売されたものは日本仕様であると言えます。そもそもWikipedia‐ノート:投稿ブロックの方針/改定案#追加すべき方針でも提案されたように、規制の対象は「フルブラウザが内蔵された携帯電話」であって、規制の趣旨(ルールの精神)から言うのであれば、日本製であろうが韓国製であろうがアメリカ製であろうが変わりが無いはずです。
インターネットを取り巻く環境が大きく変わっている今、Windowsだけを優遇するのは奇妙な話に思えますし、私自身は「携帯禁止」は時代遅れのナンセンスなルールだと思っているのですが、前述のように本気でスマートフォンを閉め出したいのであれば、Windows以外の投稿をシャットアウトするのが最も楽で手っ取り早い手段です。そのことで中立性についてあらぬ疑いをかけられるくらいなら、いっそ開き直って「親Microsoft」の旗色を鮮明にするのも思い切りがよいのではないかと考えました。そうでもしなければ筋も通らないし公平ではないですし、かといって現在使用可能な全ての携帯端末で「壊れた編集」が発生するか否かを検証するのは、現実問題からすると労力がかかりすぎるという問題点も実際あります。日和見を続けていれば状況は変化していく一方です。--Kanohara会話2013年8月11日 (日) 18:11 (UTC)[返信]
コメント 私としては、「日本の携帯電話」というのをiモードEZWebのように、「日本独自の機能で構成された携帯電話」というように読んでいたので、こんな解釈をする人が現れること自体全くの想定外でした。とりあえず、Mac OSやLinuxまで規制するのは、控えめに言っても目的と手段を取り違えた過剰規制以外の何物でもないでしょう。
原則論を言えば、ある端末から投稿して「壊れた編集」が発生するのであれば、それはその端末を使った人の自己責任に帰すべき問題でしょう。モバイル版から編集しようとする場合は(たしか)ログインが必須だったので、対話やブロックなどの対応も可能ではあります。--Jkr2255 2013年8月11日 (日) 22:19 (UTC)[返信]
コメント ああ、私はそういえばFreeBSDでしたね。Windows以外というと大抵*BSDは例示されないという。Windows以外禁止とでもなればUser-Agent変える程度はわけもないですが。
≪「壊れた編集」が「しばしば」行われるかどうかがポイント≫≪状況が変化したのなら改定の余地はある≫≪Mac OSやLinuxまで規制するのは、控えめに言っても目的と手段を取り違えた過剰規制以外の何物でもない≫というPenn StationさんやJkr2255さんの意見に同意です。今の「日本の携帯電話ブラウザ」というものが何を指しているかはともかく、本来何を規制すべきかを再考の上で、「日本の携帯電話ブラウザ」という表記で思い描くものが利用者間で食い違っているなら、食い違いのないように表現を変えればいいのではないかと思います。--NISYAN会話) 2013年8月11日 (日) 23:48 (UTC) 発言者訂正 --NISYAN会話2013年8月11日 (日) 23:50 (UTC)[返信]
うーん。Wikipedia:井戸端/subj/モバイル編集の私の意見を真面目に読んでいたら、出てくるはずはない意見なのですが。正常な編集が出来る端末であれば、OSやブラウザを元から規制などしてないはずなのです。ウィキペディア公認モバイル編集機能も、これまでのルールの経緯を考えればブロックされてはいけない物です(元々のルールがブラウザにより編集破壊が起きるからで、公認機能がそのような編集破壊防止策を十分に取っているはずです)。先にも話したように、これまでの区分では考えられないような端末も多く出ています(極端な例で言えば、このような端末もあります)。長期的には、ルール名を含めた文章の見直しを。短期的には、管理者間でのルール運用を見直すなど(特定の案件についてはブロックしないように申し送りをする)などで、十分解決する問題のはずです。--Taisyo会話) 2013年8月12日 (月) 00:26 (UTC) , 例追加--Taisyo会話2013年8月12日 (月) 00:30 (UTC)[返信]
コメント ガラケーでなければ基本的には壊れた編集になることはないかと考えますので、技術的な面からはガラケー割り当て帯域は解除できなくても、その他の帯域ではブロックは必要がないとも言えます。モバイル編集機能を用いた編集であればログインが必須だとのことなので会話ができないための問題も発生しにくいとのことは理解できます。しかるに、モバイル端末ではモバイル編集機能しか使えないわけでもないという問題点も存在します。モバイル端末でブラウザを開き、Wikipediaを通常に編集することも可能です。こうした場合にIPユーザーの書き込みが行われた場合、改定案のII)に該当する部分についての問題は残ることになります。さらに、過去の経験上iphone、アンドロイド携帯、スマートフォンといった携帯端末を用い、モバイル回線を用いた荒らし行為(不適切な利用者名アカウントの作成などを含む)などを行う利用者が多いことも知っています。こういったことを鑑みるに、『ガラケー帯域は、現状通りアカウントユーザーを含めてブロック。iphone、アンドロイド携帯、スマートフォンといったモバイル回線系は匿名のみ、アカウント作成のブロック(ただし、アカウントユーザーの荒らし行為が継続した場合はその帯域の一部について個別にアカウントユーザの投稿禁止を設定する)。』といったあたりが妥協点だと思います。なお、ガラケーでモバイル編集を行った場合にどうなるかは念のため検証したほうがいいかと思います。--Vigorous actionTalk/History2013年8月12日 (月) 12:38 (UTC)[返信]
コメント Kanoharaさんへ:「規制の趣旨(ルールの精神)」と仰られていますが、当該条項の趣旨は、「フルブラウザが内蔵された携帯電話を規制すること」でも「スマートフォンを締め出すこと」でも、ましてや「Windowsだけを優遇すること」でもなく、「(壊れた編集がしばしば行われるといった)携帯電話ブラウザからの投稿によって生じる問題を回避すること」だと認識しています。当該条項が追加されたのは 2006年6月 [12] ですが、わざわざ「(日本の)携帯電話」と断っているのは、当時問題となっていたのが(当時の)日本の携帯電話だったからでしょう。ちなみに初代iPhoneの発表は2007年1月で当時は存在していません。新しいデバイスやソフトウェアが登場し、当時問題となった事象が発生しないあるいは無視できるのであれば規制する必要はないわけで、それらが当初想定したもの(当該条項でいうところの「(日本の)携帯電話」)に該当するかどうか再検討してみる価値はあるということです。その表現が実態に合わず適切でないなら変更すればよいでしょう。現在docomoから販売されているスマートフォンやauやソフトバンクから販売されているiPhoneが「日本の携帯電話」かどうかといったようなことを話しているのではありません。--Penn Station (talk) 2013年8月19日 (月) 13:31 (UTC)[返信]

コメントまずは、sp-modeなどのプロバイダーの対応が不誠実などの件。「荒らし対応に不誠実なプロバイダーに対する広域ブロック(仮)」など、このルールの枠組みから独立させて、いわゆる固定回線にも対応できるようにしてはどうでしょうか。その方が汎用性は向上しますし、このルールの元々の骨子とは別の次元の考えだと思います(独立させることで、本来のルールが分かりやすくなるメリットも狙っています)。

携帯電話ブラウザーの規制も携帯電話に限定しないで、「適切な編集が出来ないブラウザーによる編集の制限(仮)」など作り、その中の規制にフィーチャー・フォン(いわゆるガラケー)のブラウザーや、以前話題になったPSPのブラウザーなどを入れてはと思います。最近はゲーム機でも、ブラウザーは多く搭載されています。固定機でも同様です。iPadiPhoneiPod touchなど、同じテクノロジーで作られ、形状のみでは判断できない場合もあります。実際に編集テストなどしてみて、問題なく編集できれば規制せず、問題有りそうであれば規制する方が、元々のルールの骨子に乗っ取っていると思います。その上で、ウィキメディア財団など公式が提供する編集機能に関しては、規制外にするなどしてはと思います。--Taisyo会話2013年8月13日 (火) 15:06 (UTC)[返信]

  • コメント うーんと、荒らし対策に不誠実なプロバイダーと、ブラウザの問題以外の案件はどうします?先にも書きましたが、モバイル回線(ガラケー以外の機種が使用する回線)であっても、公式のモバイル編集しか出来ないわけではない。といった問題点があります。携帯電話の条項は残しておいて(ただし、ガラケー以外の帯域はハードブロックではなくソフトブロック&アカウント作成の禁止のみ)といった規制(基本。ただし、状況によってハードブロック可)にしておくことで、公式モバイル編集は使用するIP帯域がハードブロックされない限り編集できます。技術面から言わせていただきますと、mediawikiではブラウザでの投稿制限は廃止される機能であり、基本的には使用できないと考えてください(いつ使えなくなるかわからない公式には終わった機能です)。そうした場合にCUでしか確認できない(しかも偽装することも可能な)ブラウザ種類を元に投稿規制を行うのできません。もう少し技術面なども確認した上で提案をしていただけませんか?--Vigorous actionTalk/History2013年8月13日 (火) 16:34 (UTC)[返信]
技術的に、ブラウザ制限は出来なくなる件は了解しました。本来のルールに乗っ取った形で今風に改めようかと思ったのですが、難しい点もあることは認識しました。これまで見ていて、「携帯電話会社の回線だからブロック」で、本来制限されてはいけないはずの、パソコンなどでのデータ通信の帯域もブロックされていた例を見ております。より一層、フィーチャー・フォン(いわゆるガラケー)のブラウザーでの帯域に限定してのブロックおよび、それ以外のスマートフォンやデータ通信の帯域はブロックしない様にしていくこと。ウィキペディアなどが公式で提供する機能を使用して編集したときは、そのルールの除外対象にすると明記すること(今回の問題の一つが「ウィキペディア公式モバイル編集機能を使い編集したときに、モバイル規制でブロックされる不安がある」ので、それを解消するのは必要だと思います)。技術仕様とのすりあわせは必要に思います。ただ、以前あった、PSPなどの不適格ブラウザーの規制をこのルールに基づいて行っているのですが、それに対応できるようにルールを付記するか、別の枠組みで行うべきか。決めないといけないと思います。携帯電話規制をの残すとして、必要な部分を「フィーチャー・フォン(ガラケー)ブラウザーによる編集制限(仮)」などの名称で、これまでの、会社による誤解、スマートフォンも対象に含まれると誤解されないような形で、必要な範囲で、機能するルールにした方が良いのではと思います。現実に、誤解が発生していますので。--Taisyo会話) 2013年8月14日 (水) 02:29 (UTC) , 追加--Taisyo会話2013年8月14日 (水) 02:45 (UTC)[返信]
コメント 誤解を生じてるというのはごく一部の人ではないでしょうか?現状でも公式のモバイル編集をおこなた場合、RCには携帯機器での編集とタグが出てますが、未だかって管理者伝言板に報告はなかったかと存じます。そういった極まれな事象に対してまで方針で別節を設けてまで説明する必要はないかと考えます。なお過去の経験を踏まえて(個別事例は申し上げれませんが)公式モバイル編集ではない方法でフィーチャー・フォン(ガラケー)ブラウザーを使用している利用者も存在が確認されていますが、それらを利用していたことを理由とした投稿ブロックも私が知り得る限りありません。--Vigorous actionTalk/History2013年8月19日 (月) 13:48 (UTC)[返信]

投稿ブロック依頼における、被依頼者が関係する論争に参加している者の投票の可否

上の#井戸端での意見でも少し触れられているのですが、投稿ブロック依頼において、被依頼者が関わる論争に参加中の者が投票することの問題点について議論を提起したいと思います。

話を簡略化して説明いたしますと、最近ある論争(Wikipedia:削除依頼/生野区連続通り魔事件 20130618)で反対を表明している者の中から被ブロック者が複数名出ました。しかし、そのブロックは論争当事者であり論争で賛成を表明(のちに撤回)していた管理者が行ったものであったため、ブロック追認依頼が出されました。ブロックの理由は、カンバス行為、すなわち自分と同意見を持つとみられる他利用者を議論に誘ったというものですが、一方で、論争の賛成表明者の中にも同様の行為を行った者がおり、こちらはブロックはなく注意のみで済んでおります。にもかかわらず、先の複数名のブロック追認依頼において、論争賛成者の中から多くのブロック追認票が投じられております。

これは、自分と同陣営の者を有利にし、他陣営の者を排斥するために行われたとみなされてもしかたのない行為であり、これが公正公平な議論になっているかと言えば、少なくとも私の目にはかなり疑問な状況に写ります。

また、可能性としては、これとは逆の状況、すなわち、明らかにブロックに相当する行為を行った者がいてブロック依頼にかけられたのに、その人物と何らかの論争で同意見を持つ者が、ブロック依頼において反対票を相次いで投じるような事態も想定されることでしょう。

もちろん人間ですから自分と同意見の者を擁護したいのは人情であり、個人の内面まで規制することはできませんが、コメントならまだしも、ブロックの最終判断に重要な影響を与えうる投票を論争当事者に認めてしまえば、場合によってはブロック依頼の審議が非常に偏ったものになりかねないと危惧いたします。

そこで、局外中立の者が中心となってブロック審議を行うことにより議論の公正性を確保するため、ブロック被依頼者が関わっている論争に現在参加している利用者には、投票権限を認めないことにしてはいかがでしょうか。この案について皆様からのご意見を求めます。--Ryota7906会話2013年6月25日 (火) 13:42 (UTC)[返信]

コメント - コメント依頼から来ました。生野の削除依頼やそれに伴うブロック依頼はナナメ読み程度はしているものの、Ryota7906さんがこれを提議した直接の経緯については確認していません(第三者のつもりで臨みます)。
第三者の意見を取り入れる事それ自体は公平さを保つためにも重要なことだと思いますが、それを重視するために「被依頼者が関係する論争に参加している者(以下「当事者」とする)」を排除するのは違うと思います。理由は以下3点。
  • 1. (賛否問わず)ブロック依頼に至る経緯を、当然第三者より当事者は理解していること。
    • ブロック依頼に至る前の対応(ノートで議論、会話ページで対話、コメント依頼など)において、問題点の指摘や批判、もしくは説得や改善への手助けなど、被依頼者を悪く判断するにしろ良く判断(して改善を模索)するにしろ、被依頼者に何らかの手を差し伸べたのが「当事者」であり、その結果を依頼に反映させることが悪いこととは一律には言えない。そして、それを排除することが当節で問題視する点を解決する手段になるとは思えない。
  • 2. (1.に関連し)第三者のみで判断するのは荷が重い。
    • 依頼で問題視された点について「局外中立の者」に意見を求めるということは、要するに依頼の時点で始めてその問題に目を向けた者に賛否判断を委ねるということであり、被依頼者の問題点が複雑であればあるほど(確認すべき情報が増え)、第三者はその判断に(当事者以上に)苦労することになる。そして、確認の過程で当事者と被依頼者との論争を見ることになるが、第三者と当事者に接点があったりすれば第三者にも感情的なバイアスがかかる可能性がある。それに、第三者とて議論を読めば(当時参加していなかっただけで)自分なりの意見が形成されるのは当然だし、それが当事者側か被依頼者側と意見が合うようなものであれば、結局は第三者でも思想の偏りによる不公平な票になる場合がある(≒第三者の意味が薄れる)。
  • 3. 第三者にしろ当事者にしろ、もしその依頼に当節で問題視するような意見の偏りを感じることがあるのなら、その場で直接それを指摘すべき。
    • 必要なのは「偏った依頼」を修正することであり、それは「偏った意見を持っているかもしれない」人をあらかじめ排除することで解決するものではない(2.)。管理者の最終判断は票決ではなく意見内容で決まるのであり、偏っていることを指摘すればそれが(管理者の)判断材料に加わるので問題ない。そもそも「意見の偏りを感じること」自体、指摘して(自分以外の)意見を確認しない限りはまだ個人的な主観によるものにすぎないため、議論の場にそれを持ち込んで検討させることは意味のあることである。
正直なところ、Ryota7906さんが提示したブロック依頼(や根源の諸々の議論)はかなり極端なケース(あんな騒動が常態化するかと言われれば違うと思う)であり、それをきっかけに他の依頼まで同様のことを危惧するのは杞憂かと思います。--ButuCC+Mtp 2013年6月26日 (水) 11:10 (UTC)[返信]
まず私の提案では、当事者に認めないのは投票のみで、コメントは認められることにご留意ください。
  • 1.(経緯を第三者よりも理解していること) 事情としてはおおむねおっしゃるとおりでしょうが、コメントによって当事者が理解している経緯を十分反映させることができるものと思います。
  • 2.(第三者のみで判断するのは荷が重い) 現在のブロック依頼でも最終判断は第三者である管理者が行いますので、判断に荷が重いのは同じことです。別の第三者が参加し何らかの分析・検討を加えることで、最終判断にあたる管理者の負担を軽くできる可能性もあるでしょう。
後半の「第三者でもバイアスがかかって不公平な票になりうる」については、これは現行の制度も含め、どのような制度設計をしたとしても起こりうる問題であり、提案に反対する積極的な理由にはならないものと思います。
  • 3.(意見の偏りはその場で指摘すべき) これも同じで、意見の偏りを指摘し、議論の場で検討することはどの制度においても重要です。提案に反対する特異的な理由にはならないでしょう。当事者もコメントはできますので当事者を排除していることにはなりませんし、「管理者の最終判断は票決ではなく意見内容で決まる」が文字通りの事実であれば、当事者の投票はなくても影響ないことになります。 いや、事実においては票決が与える影響も大きい、と言うのなら、偏っている可能性が第三者より高いと思われる票は除外しておくほうがより公正な審議に近づくでしょう。
末文ですが、今回のケースが極端なものであったとしても、すでに2007年に同じことを指摘している方がおられることから見れば、これまでにも同様のことが起きており、また今後も起きうる可能性は小さくないものと考えられます。この機会に何らかの対処を検討し、可能であればそれを制度に反映させておくことは有意義であるように思います。--Ryota7906会話2013年6月26日 (水) 14:30 (UTC)[返信]
コメント私が総じて言いたいのは目的と方法とが異なる方向を向いている、ということです。たとえ極端な例でも教訓になりうるなら反映させる必要はあるでしょう。しかし、今回の件で得た教訓は『当事者を排除すること』ではなく、それはこの問題の解決に繋がらない手法だと考えているのです。
  • 投票とコメントの差って内容次第だと思うのですよ。賛否以外の中立的、または補足的意見を述べた コメントならともかくとして、実際は多少なり賛成より、反対よりのニュアンスを含む意見の場合がほとんどであり、票カウントする/しないの違いしかないです。票決じゃない以上、その違いはたいした意味を持ちません。そして、「当事者が理解している経緯を反映させる」行為こそ、依頼に当事者のバイアスを反映させることそのものだと思います。「当事者が理解している経緯」を「当事者サイドの考え方」と置き換えることができると思います。
  • 2.について、最終的なブロックの判断をすることの「荷」ではなく、第三者が公平さを保ちつつ賛否票を付けることの困難さを指しています。(困難な理由は後半部の説明の通りですが)仮にこの提案が通った場合に求められる第三者の判断能力はかなり高等なものになり、それに伴うプレッシャーは相当なものです。そして、その人自身は公平に意見したつもりでいても、他の第三者による(別の人の判断では「公平な」意見による)反論で第三者同士の論争が発生する可能性も否定できませんし、コメントが許される当事者のバイアスが介入することも考えられます。つまり、当事者の賛否のみを排除したところで状況が変化するかというと極めて疑わしいのです。むしろ、第三者が意見表明するハードルを高くするだけだと思います。
  • 2の後半部、および3.における点が「どのような制度でも同じ」だというなら、現行制度を新制度に切り替えてもその点について効果がないということであり、新制度を否定する理由にならないのと同時に現行制度を否定する理由にもなりません。そして、その点が変化しないということこそ、この問題を解決する手法として『当事者の賛否排除』が効果的でない証左だと思います。その点を変更しても現行制度から何も改善しない、ということですから。
(もうこれが結論みたいなものですが)私は「バイアスを完全排除することは不可能」だと私は考えています。発言者が「公平」なつもりで話しても、それを評価する側が恣意的だと断じてきた時点で有耶無耶になってしまうからです。どこまでを中立的な意見とし、どこからは恣意的な意見とするかの線引きは(当事者・第三者関係なく)人によって異なるのが当然であり、発言者の評価と閲覧者の評価が噛みあわない以上、公平不平を過度に追求しても不毛な結果しか待っていないです。主観で始まって主観で終わる話です。
補足:2007年から6年後の現在に再発、というのは頻度で考えるとケースバイケースで済ませられるレベルだと思います。それに、今回の件と2007年の件では原因となった背景が別物ではないでしょうか(というより、2007年の件は具体例があったのか分からない)。--ButuCC+Mtp 2013年6月26日 (水) 16:20 (UTC)[返信]
  • まず最初。『「当事者が理解している経緯を反映させる」行為こそ、依頼に当事者のバイアスを反映させることそのものだ』『「当事者が理解している経緯」を「当事者サイドの考え方」と置き換えることができる』という点は基本的に同意です。一般的に言って、当事者の意見には当然当事者なりの強いバイアスがかかっていると見るべきでしょう。だからこそ、その強いバイアスを投票行動にまで反映させるべきではありません。
  • その次についてはよく分からないところがあります。すぐ上で、『票カウントする/しないの違いしかないです。票決じゃない以上、その違いはたいした意味を持ちません。』と言ったそばで、当事者の投票がなくなれば、『求められる第三者の判断能力はかなり高等なものになり、それに伴うプレッシャーは相当なものです。』『むしろ、第三者が意見表明するハードルを高くするだけだと思います。』とおっしゃっています。投票に大した意味がないのなら、より高度な判断能力が求められたりプレッシャーがかかったりなどということは考えられないはずですが。
しかしまあ、当事者の投票がなくなると高度な判断能力が求められる云々という御説が正しいことにしましょう。すると、当事者の投票があれば、プレッシャーもかからず意見表明するハードルも高くないことになる。これは要するに、当事者の投票を参考にして、より優勢な方に加勢するようコメントなり投票なりすれば第三者も楽だと事実上言っているようなものです。そんなことでは、はじめからより強いバイアスのかかっているであろう当事者の多数意見を増幅するだけのことで、第三者のコメント・投票などあってもなくても同じことでしょう。たとえ高度な判断能力とプレッシャーに負けない忍耐力を要してでも、当事者の投票のない状態でできうる限り公平な判断を模索していただいたほうがよほど有益です。
  • あとは、考え方としては共通するのでまとめて言いますが、私も「バイアスを完全排除することは不可能」だと考えています。しかし、だから何をやっても効果はない、何もしなくても同じことだとは考えません。むしろ、だからこそ、すべてのバイアスを矯正できないにしても、少なくとも強いバイアスがかかる可能性の高い部分は制度設計によって少しでも排除しておくべきだと考えます。
例えば、Wikipedia:投稿ブロックの方針/改定案#投稿ブロックを使うべきでない場合には
絶対に、内容の論争を自分にとって有利に進めるためや、その相手方への報復のために投稿ブロックを用いてはなりません。これはすなわち、管理者は、自分が現在進行形で関わっている論争に関連する投稿者をブロックしてはならないということです。
とありますが、あなたのような考え方を悪用すれば、議論当事者である管理者にもバイアスはかかっているが、第三者である管理者にだってバイアスはかかっている、第三者によるブロックも当事者によるブロックも同じこと、だから上で挙げた規定は無意味だ、などという言説がまかり通ることにもなりえます。今でさえこの規定を守ろうとしない管理者もいるというのに、この規定が空文化すれば、当事者の恣意的判断がますます横行することになるでしょう。
最初の提案理由の中で述べましたが、同じ行為を行ったのに、一方は注意のみ、もう一方はブロックされ、ブロック追認依頼でも議論当事者から多数の追認票が入るというのは、一方が論争における同陣営にいたこと、他方がそうでなかったことを如実に反映していると言われてもしかたのない状況です。これほど明白な恣意性の発露を招きうる論争当事者の投票には、当然一定の歯止めをかけておくべきであると考えます。
2007年の意見には具体例が挙がっていませんが、「疑問を感じるケースが多々あります。」とあるのですから1件や2件ではなかったのでしょう。「問題の当事者である人間が投票を行うのは、避けるべきだと思うのです。」とありますが、投票には大きく分けて賛成と反対しかありませんので、前提となる議論の賛否とブロック投票の賛否がほぼ重ね合わせになっているという、今回取り上げたのと類似する状況であったであろうことは想像に難くありません。--Ryota7906会話2013年6月26日 (水) 22:06 (UTC)[返信]
  • よく分からないところ) - 段落を分けているのだから、それは論点自体がそれぞれ独立していると考えてください(一緒くたにしないでください)。
『票カウントする/しないの違いしかない』とは、当事者の賛否を封じたところでコメントでバイアスのかかる意見を書き込むことが可能なら何も変わってないってことです。
『票決じゃない以上、その違いはたいした意味を持ちません。』とは、コメント票でも賛否票でも依頼にバイアスを持ちこめる以上、形式的に賛否票をやめさせてコメント票に弱めても意味がないってことです。
  • よく分からないところII) - 『求められる第三者の判断能力』とは賛成、反対の票を決断することを指すのではなく、その意見内容が公平かどうかを考える能力を指します。意見内容全般ことを言っているのであって、賛否票を判断することだけを指しているのではありません(票決の意味のなさとは関係ないです)。
Ryota7906さんの提案は「第三者ならすべからく公平だ」と決めつけている(当事者はバイアスがかかるから駄目→第三者なら大丈夫、という発想ですよね?)ようなものです。また、当提案が通れば賛否投票者は第三者で構成されることになります(→賛否票を投じれば第三者と見做される→「第三者ならすべからく公平だ」から、内容を必要以上に注視される)。
しかし、先述したように「第三者もバイアスがかかる可能性」はあります。そして、これも先述しましたがその公平不平の判断は各人の主観に基づくもので評価に差が出ます。そんな状況下なのに「第三者なら公平」と決めつけられ、それでもなお投票しようと考えますか?
  • 当事者の投票がなくなると高度な判断能力が求められる) - 違います。上記2点のまとめですが、『当事者の投票をなくしてもバイアスのあるコメントが残る以上、状況はたいして変っていない(コメント票と賛否票の差異はほとんどない)にもかかわらず、「第三者なら公平」という趣旨の要素が加わることで、第三者に余計なプレッシャーを与えている』ということです。
  • だから何をやっても効果はない) - この提案では効果がありません、と私は主張しています。他の方法を模索することまで妨げてはいません。
  • あなたのような考え方を悪用) - そういう人が現れるなら、前回コメントの「結論みたいなもの」を同じように指摘することになるでしょう。
だって、「第三者である管理者にだってバイアスはかかっている」という意見にもバイアスがかかっているかもしれませんよ?そして、その指摘にもバイアスが…
…と、主観を主観で批判するという不毛な事態になることが目に見えています(だから「主観で始まって主観で終わる話」だと評しました)。
  • 第三者である管理者にだってバイアスはかかっている) - 建前と実態を分けて考えるべきです。
  • 実態は「バイアスを完全排除することは不可能」だから、第三者の管理者の判断が公平だということは保証できない。もちろん、第三者の賛否票だって同様です。というより、全員そうです。では、どんな立場でも「バイアスを完全排除することは不可能」だというなら、バイアスがあるかないかで賛否資格を分けることに意味はありますか?
無意味でしょう。偏見は多くても少なくても危険性は同じです。ほんの少しでも意見に影響を与えるきっかけさえあれば、依頼が悪い方向へと向く可能性はあるのです。
なら、第三者とて「バイアスを完全排除することは不可能」なのに賛否は認められて、当事者であるということだけで排除されるというのは、効果のある提案でしょうか。
  • 建前では履歴から関与していないことが認められれば「第三者」と見做せます。これは履歴という客観的なデータ(だけ。内心は無視)に基づくものです。
もしかしたら各ページを読んでいるかもしないし、内心ではなにか意見があるかもしれないけれども、それを表明していない限りは論争と無関係な者という立場になるでしょう。
同じ第三者でも「ブロック依頼に参加した管理者」と上述した「無関係な管理者」では立場が違います。「ブロックに参加した管理者」は意見表明しましたが、「無関係な管理者」は意見表明していません。
「第三者もバイアスがかかる可能性」があるので、「ブロック依頼に参加した管理者=意見表明した管理者」が決定を下すのはよくないでしょう。しかし、「無関係な管理者=意見表明していない管理者」が決定を下すのはどうでしょうか。少なくとも履歴から意見が探れない以上、その管理者の意思を他者が推測するのは適当ではないと思います。
「バイアスを完全排除することは不可能」は内面的な部分をも含むことなので、もしかしたら「無関係な者」も何かしらの偏見があるかもしれない(=実態)。しかし、それを表明していないなら、建前上は決定を下す妥当性を確保できるのです(内心まで疑い始めれば終わりのない主観同士の対立が始まるだけで、不毛です)
  • 言われてもしかたのない状況) - 私も最初に言いましたが、それを依頼の場で直接言えばいいのです。ケースバイケースで、そう言うことが起きそうな依頼は直せばいいのであって、なぜその状況がどの依頼でも同じことが起きていると決めつけるのでしょうか。繰り返しますが、ここまでヒートアップするような事態は稀であり、こんなことが常時起きるものではありません。
  • これほど明白な恣意性の発露を招きうる論争当事者の投票) - 上記でも言いましたが、その論理は『「第三者ならすべからく公平だ」、「当事者は偏見を持っている」』というレッテルを貼っているに過ぎません。第三者・当事者という立場で区切ることはバイアスを排除する方法としては効果がないということは何度も述べました。
  • 2007年の意見) - 発言者がIPで履歴を見ても経緯を追えないので何とも言えないでしょう。議論などなくいきなりブロック依頼だったのかもしれないし、『古参・常連ユーザーによる「ウィキペディアの独占」…という声も叫ばれる昨今』などと言及しているため、このIP自体にバイアスがかかっているかもしれない(ブロックユーザーの報復かもしれない)。…とこのように、具体的な情報なしで推測だけで物を言ってはキリがありません。詳細が明らかにならない限り、2007年の件は当節の議論で取り上げる価値はないでしょう。
※コメント依頼に出している以上、他の方の意見も聞きたいでしょうし、私もそうなので、とりあえず状況が変わらない限りはこれでコメントを終えます(同意しろとは言いませんが、私の方も現時点ではRyota7906さんの意見を全面的に同意することはできません。私の意見はあくまで一意見として受け取ってくれればそれでいいです)。--ButuCC+Mtp 2013年6月27日 (木) 12:45 (UTC)[返信]
まんなかの
  • 第三者である管理者にだってバイアスはかかっている) - 建前と実態を分けて考えるべきです。
ここから行きましょう。
上が実態、下が建前からの議論となっています。そして「実態」論により私の提案を否定的に捉え、「建前」論によりWikipedia:投稿ブロックの方針/改定案#投稿ブロックを使うべきでない場合を肯定的に捉えているわけですが、これ、少し言葉を入れ替えてみたらどうでしょうか。
  • 実態は「バイアスを完全排除することは不可能」だから、第三者の管理者の判断が公平だということは保証できない。もちろん、第三者のブロックだって同様です。というより、全員そうです。では、どんな立場でも「バイアスを完全排除することは不可能」だというなら、バイアスがあるかないかでブロック資格を分けることに意味はありますか?
無意味でしょう。偏見は多くても少なくても危険性は同じです。ほんの少しでも意見に影響を与えるきっかけさえあれば、依頼が悪い方向へと向く可能性はあるのです。
なら、第三者とて「バイアスを完全排除することは不可能」なのにブロックは認められて、当事者であるということだけで排除されるというのは、効果のある方針でしょうか。
はい、論争当事者である管理者にはブロックを認めない方針が否定されました。
  • 建前では履歴から関与していないことが認められれば「第三者」と見做せます。これは履歴という客観的なデータ(だけ。内心は無視)に基づくものです。
もしかしたら各ページを読んでいるかもしれないし、内心ではなにか意見があるかもしれないけれども、それを表明していない限りは論争と無関係な者という立場になるでしょう。
同じ利用者でも「論争に参加した利用者」と上述した「無関係な利用者」では立場が違います。「論争に参加した利用者」は意見表明しましたが、「無関係な利用者」は意見表明していません。
「利用者もバイアスがかかる可能性」があるので、「論争に参加した利用者=意見表明した利用者」が投票するのはよくないでしょう。しかし、「無関係な利用者=意見表明していない利用者」が投票するのはどうでしょうか。少なくとも履歴から意見が探れない以上、その利用者の意思を他者が推測するのは適当ではないと思います。
「バイアスを完全排除することは不可能」は内面的な部分をも含むことなので、もしかしたら「無関係な者」も何かしらの偏見があるかもしれない(=実態)。しかし、それを表明していないなら、建前上は投票する妥当性を確保できるのです(内心まで疑い始めれば終わりのない主観同士の対立が始まるだけで、不毛です)。
はい、第三者(論争に無関係な利用者)のみがブロック投票すべきという私の提案が肯定されました。
結局、「実態」と「建前」というこの2つの論法を使えば、何でも否定できるし、何でも肯定できるわけです。このような議論のしかたは建設的でも生産的でもなく、哲学や論理学の特殊な分野ならともかく、ルール策定の検討において用いるべきものでないことはすぐにお分かりになることと思います。
実はほかの箇所でもこの「実態」と「建前」の恣意的な混用がみられます。たとえば「第三者ならすべからく公平だ」と決めつけている、「当事者は偏見を持っている」というレッテルを貼っている、というのは、実態がそうでないのにそうであるかのように決めつけている、と読めますが、「第三者は公平」「当事者は偏見を持っている」はルール上の建前に過ぎない、と考えればどうでしょうか。ButuCCさんにも受け入れられる見解になりはしませんか。
「第三者である管理者にだってバイアスはかかっている」「主観で始まって主観で終わる話」これは実態に即したものだと思いますが、これを建前上、「第三者である管理者はバイアスはかかっていない、少なくともブロックに必要なだけの中立性を確保できている」とみなすことにすれば、建前上の問題はなくなり、先に挙げたブロック方針をそのまま適用してよいことになるでしょう。そして、建前上は、主観から脱するポイントが見つかることにもなります。
ルールというものは、そもそもが、「実態」に対して大づかみに網をかけた「建前」の世界です。大づかみに網をかけるのは、実態をあらゆる細部まで把握し規制することは現実的でないからです(そしてこの非現実性を利用したのが、ButuCCさんの持ち出した「実態」論法によるあらゆる「現実的」ルールの否定です)が、しかし「実態」に対する網のかけ方を少し細かくすることは場合によっては有意義ですし非現実的でもありません。私が提案している「論争当事者と第三者を分け、建前上、当事者には投票に必要な中立性を欠くが、第三者には中立性が確保されているとみなし(つまり建前上の解釈を一部変更し)、その上で第三者にのみブロック投票権を与える」というのは、そのような形で、建前の世界をほんの一歩でも実態に近づけてみませんか、ということです。お分かりいただけますでしょうか。--Ryota7906会話2013年6月27日 (木) 21:25 (UTC)[返信]
コメントやめると言いましたが、前回のコメントについて私の主張とRyota7906さんの解釈とにズレが生じているので、修正を兼ねて応答いたします。
Ryota7906さんのその言葉の入れ替えは強引過ぎて意味が分かりかねます。横着せずにオリジナルの文で返答されたほうがまだ良かったかと思います。Ryota7906さんは入れ替えによる「論法」なら何でも対応可能だと仰いましたが、私から見れば主張内容が全然別物になっているようにしか見えないです。
なお、建前と実態の話が紛らわしい、非生産的だというなら撤回するのも吝かではありません。こちらとしても、そんなつもりもないのに「ほかの箇所でもこの「実態」と「建前」の恣意的な混用がみられます」などと邪推されるのは困るのです。もう一度言いますが、「一緒くたにしないでください」。
  • はい、論争当事者である管理者にはブロックを認めない方針が否定されました) - 「第三者のブロック資格」って何ですか?第三者の管理者がブロックを処断する資格ってことですか?
そういう意味でしたら問題ありません。Ryota7906さんは私の文章から「賛否」を「ブロック」に置き換えていますが、これはつまり「賛否」のうちの片方、「ブロック賛成」に変えただけということになりますので、私の主張からなにも変わっていません。
  • はい、第三者(論争に無関係な利用者)のみがブロック投票すべきという私の提案が肯定されました) - 『「無関係な利用者=意見表明していない利用者」が投票する』というのが矛盾しています。投票した時点で、「ブロック依頼に参加した利用者=意見表明した利用者」です。説明不足で申し訳ありませんが、上述の「ブロック依頼に参加した~、意見表明した~」と「無関係な~、意見表明していない~」とは第三者のをさらに投票をした/していないで区分したものです。Ryota7906さんは私の文章から「ブロック依頼」を「論争」に置き換えていますが、「論争」に参加したのは当事者であり、第三者である「ブロック依頼に参加した利用者(初めて関与した、とした方が適当だったかも)」でも「無関係な利用者」でもありません。
そして、なぜか「管理者」を「利用者」、「決定を下す」を「投票」に置き換えていますが、これも不適当です。Ryota7906さんの挙げたWikipedia:投稿ブロックの方針/改定案#投稿ブロックを使うべきでない場合で具体的に明記されているのは管理者の最終的な決定だけです。現行では投票行為までは否定していません。ゆえに、ルールのために必要な「建前」は管理者による最終判断という狭い範囲だけであり、私はそこの説明をしただけです。
  • 「第三者は公平」「当事者は偏見を持っている」はルール上の建前に過ぎない) - それは悪手です。(ルールのための)「建前」とは、「実態」では「かもしれない」という主観により判断できないようなものを表面上のデータなどから決めるために必要となるものです。しかし、「第三者は公平」「当事者は偏見を持っている」というのは意見表明をする前からあらかじめ「そうだろう」と決めつける主観(しかも悪意的にとっている)であり、建前として使うべき基準ではありません。
本人が喋る前から「お前は偏見をもってるからダメだ」と締め出すようなものであり、それはただの差別です。その点、本人が喋った後で「こいつは偏見があるからダメだ」と指摘するのは発言内容というデータがありますし、他者もどうなのか検討できるので有効です。だからバイアスは表面に出てから対応すればいい(依頼で指摘すればいい)と言っているのです。
後手だと思われるかもしれませんが、Wikipedia:善意にとるに則ればそれで問題ありません。当事者に対してさえ、実際に発言するまではブロック依頼という場を考え、公平に努めるだろうという、「善意による想定」をルールとすべきです。そして、それが意見表明等により「明確な悪意」が発現されてしまった場合においてで初めて「バイアスの排除」に向けたアクションを起こすべきです(個人的には、今回の問題についてアクションを起こすべきは依頼方針などのシステム面ではなく、偏見を持ちこんだ(と依頼者が評している)利用者側だと考えています。で、当件を教訓に直すべきはシステムじゃないと思うんですよね。Wikipedia:コメント依頼#利用者の行為についてのコメント依頼あたりで一度その行為が問題だったというコミュニティのコンセンサスをとり、それを判例として方針に反映させる(物理的に資格を取り上げるのではなく、悪例としてとり上げる)…てのが適当だと考えます。繰り返しますが、一握りの異常依頼を根拠に正常な依頼にまで影響を及ぼす変更を加えるのは違和感があります)
  • 「第三者である管理者は…ブロック方針をそのまま適用してよいことになる) - バイアスが“ない”ことは履歴に“ない”ことで証明できるという建前、および「バイアスは無いだろう」という善意に基づくものだから、ルール上の建前として適当だということです。
  • しかし「実態」に対する網のかけ方を少し細かくすること) -
  • 建前の世界をほんの一歩でも実態に近づけてみませんか) -
この提案では効果がありません、と私は主張しています。他の方法を模索することまで妨げてはいません(再掲)。この点はもう毎回言っているのでどう表現すれば理解していただけるのか困っているのですが、私は別に現行方針が最善だから提案に反対しているのではありません。あなたの提案では改悪だから反対しているのです。--ButuCC+Mtp 2013年6月28日 (金) 09:20 (UTC)[返信]
「実態」論法と「建前」論法とについてご理解いただけていないようですので、同じことの繰り返しになりますがもう一度ご説明いたします。
Wikipedia:投稿ブロックの方針/改定案#投稿ブロックを使うべきでない場合、および私の案に、それぞれ「建前」論法を用いますとこうなるでしょう。
論争当事者である管理者は一般にバイアスがかかっており、ブロックについて正常な判断ができない状態にあると見なされる。一方、第三者である管理者はバイアスがかかっていないものと見なせる(これは必ずしも実態を反映したものではないかもしれませんが、一般的に言ってそうである蓋然性が高いと思われるため、ルールの建前上一律にそのように見なすということです)。よって当事者である管理者にはブロック権限を認めず、第三者である管理者がブロックの判断を行う、というのは妥当な判断である。
論争当事者は一般にバイアスがかかっており、ブロックについて正常な判断ができない状態にあると見なされる。一方、第三者はバイアスがかかっていないものと見なせる(これは必ずしも実態を反映したものではないかもしれませんが、一般的に言ってそうである蓋然性が高いと思われるため、ルールの建前上一律にそのように見なすということです)。よって当事者にはブロック投票権を認めず、第三者のみがブロック投票を行う、というのは妥当な判断である。
これは規定とその背景にある精神を基本的にそのままなぞったものですので、肯定的な論調になるのはある意味当たり前のことです。
ここに「実態」論法を適用するとこうなるでしょう。
論争当事者である管理者だからといってバイアスがかかっているとは断言できず、冷静かつ客観的に判断できる者もいるはずである。逆に第三者である管理者も、当該議論の記録を読んでいるうちに偏向した意見を持つかもしれないし、被ブロック依頼者についてすでに過去の記事編集ないしは別の議論でその行動や意見を知っており、好意的もしくは否定的なバイアスを持っているかもしれない。よって当事者だからブロック権限がなく、第三者のみがブロック権限を行使してよいというのは不当である。
論争当事者だからといってバイアスがかかっているとは断言できず、冷静かつ客観的に判断できる者もいるはずである。逆に第三者も、当該議論の記録を読んでいるうちに偏向した意見を持つかもしれないし、被ブロック依頼者についてすでに過去の記事編集ないしは別の議論でその行動や意見を知っており、好意的もしくは否定的なバイアスを持っているかもしれない。よって当事者だからブロック投票権限がなく、第三者のみがブロック投票権を行使してよいというのは不当である。
「実態」はいくらでも細かく設定できますので、規定中で「建前」上一律に措定している部分に、より詳細な「実態」を仮設し、ルール上の建前は実態に沿っていないと主張することで、規定に否定的な見解を述べるのは、このように非常に簡単です。
上で説明したように、あらゆる規定を肯定できる、あるいはあらゆる規定を否定できる論法は不毛であり、どちらも何の意味ももたらしません。6月27日のButuCさんのコメントは、方針「投稿ブロックを使うべきでない場合」に「建前」論法を、私の案に「実態」論法を適用しただけのことです。根本的に有効な議論になっていません。
さて、どこから手をつけたものかと思いますが、とりあえず前回のButuCさんのコメントから最後のほうを引きますと、
「第三者は公平」「当事者は偏見を持っている」はルール上の建前に過ぎない) - それは悪手です。(ルールのための)「建前」とは、「実態」では「かもしれない」という主観により判断できないようなものを表面上のデータなどから決めるために必要となるものです。しかし、「第三者は公平」「当事者は偏見を持っている」というのは意見表明をする前からあらかじめ「そうだろう」と決めつける主観(しかも悪意的にとっている)であり、建前として使うべき基準ではありません。
このへんもあまり分かっておられないのが大変残念ですが、「実態」から言えば、第三者が公平で当事者が偏見を持っているかどうかは一概には言えません。ケースバイケースであり、個別に事情を検討せねば明確なことは言えないでしょう。それは一般利用者であっても管理者であっても事情は同じことです。しかし、第三者は当事者に比べれば一般に公平であり、当事者は第三者に比べれば偏見を持っている蓋然性が高いため、ルール上の建前的措定として、「第三者は公平」「当事者は偏見を持っている」と一律に見なすのです。このことは管理者によるブロック方針「投稿ブロックを使うべきでない場合」においても、私の案においても同じです(厳密には完全に同じではなく、管理者はすべてコミュニティからの信任を受けており、一般利用者はそうでないという違いがありますが、この「一般利用者が何らの信任も受けていない」ことは、一般利用者について、論争当事者が第三者よりも偏見を持っている蓋然性が高いことをさらに補強すると言ってよいものです)。
Wikipedia:善意にとるの用い方も明白におかしいです。なぜ一般利用者については当事者も第三者も一律に「善意にとる」を適用するのに対し、管理者については第三者のみ「善意に」とり、当事者は「善意に」とってあげないのでしょうか。管理者はコミュニティから信任を得ていますので、これが逆ならまだ分からないでもないですが。
今回発生したケースを悪例として方針に反映させるというのも有効だと思うのならおやりになればよいと思いますが、行動に外形的な縛りをかける制度変更も有効だと思いますのでこの際だからやっておいたほうがいいと思いますね。もしブロック審議が第三者的に見て正常に行われ、当事者の判断が第三者並みに中立的だったとして、そこから当事者投票分が除外されたとしても第三者の票で判断すれば最終決定に影響は与えないでしょうし、一方もし当事者が偏った判断をしている場合は当然悪い影響が出ないよう投票に歯止めをかけておいたほうがよく、いずれにしてもメリットはあっても特別なデメリットはないものと考えられます。
何らかの案に対する検討は、その案における規定と現行規定とを比較し、どちらにどれだけのメリット・デメリットがあるかを考量する必要があります。ButuCCさんのご意見中でそれができておられるのは、私の案では第三者により高等な判断能力が求められプレッシャーがかかることになる、と主張した箇所ぐらいでしょうか(これについてもご要望があれば反論を試みてもいいですが、議論が拡散してしまう恐れがありますので今回は控えます)。あとのご意見の大半は、私の案でも現行制度でも想定されていないより詳細な「実態」を設定して、私の案ではその「実態」がカバーされていない、だから無効だ、と言っているだけのことで、同じ議論により、私の案のみならず現行制度だって否定することができる類のものです。この論法が不毛であることがお分かりいただけませんでしょうか。--Ryota7906会話2013年6月28日 (金) 22:40 (UTC)[返信]
建前と実態の件はこの際置いておくことにします。Ryota7906さんも不毛だと仰っていますし、私としても議論の本筋はそれじゃないと思いますので。
ということで、あなたの案で想定されている点に絞ってコメントさせていただきますが、
  • 第三者は当事者に比べれば一般に公平であり、当事者は第三者に比べれば偏見を持っている蓋然性が高いため、
まずこの点が納得できないです(心情的には同意できるけど)。なんでそれをルールの時点で決めつけようとするのでしょうか。(発言後ではなく)発言前の段階で排除する理由が分からないです。
  • 管理者については第三者のみ「善意に」とり、当事者は「善意に」とってあげないのでしょうか。
回答する前に断っておきたいのですが、投票をする場合と最終決定をする場合を混同しないでください。管理者はただのボタン押し係です。ボタンを押す時以外は一般利用者と同じです。
その上での回答ですが、当事者を「善意に」とってあげないのは「ボタン押し係」だからです。なぜかというと、投票と違って「ボタン押し係」のすることは依頼に決定を下しクローズする事であり、決定後の指摘が物理的に不可能だからです(少なくともクローズされた依頼ページの場では対応できません)。
私の主張は「発言前」までは善意(偏見などないだろう)ととるべきだし、「発言後」それが明らかに偏見によるものであるなら、そこで非難すべきだということです。しかし、この手法は最後の仕事を担当する「ボタン押し係」には通用しません。ゆえに、現行ルールでは最終的な決断を下す管理者にのみ、禁止事項が設けられていると考えています。
このように、管理者の処断については明確な理由があるため、ルールで縛る必要が生じています。しかし、それ以外にまで縛る範囲を広げる明確な理由がないです。
  • 第三者の票で判断すれば最終決定に影響は与えないでしょう
あなたは依頼が多数決で決まると考えている節がありますね。随分前に「票決じゃない以上、その違いはたいした意味を持ちません。」といった時点で言うべきでしたが、賛成、反対というのはコメントの冒頭に(私の意見はこの提案に賛成/反対するものです)という意思を示すためだけに存在するのでありWP:NOTDEMOCRACY。ブロック依頼に関わらず、明確に投票を是としているモノ以外の賛否票は全部そうです)、これの数がどうだからというのは結論にほとんど寄与しません。要するに賛否票も所詮はただのコメントです。
つまり、自分の意見を(賛成)とするか(コメント)とするか、あるいはその中間の(賛成よりコメント)とするか、というのはあくまで発言者側の意見の強弱を示している程度のものです。そして、それはあくまで発言者が「その程度の意見ですよ」と考えているに過ぎず、それを最終的にどの程度の意見か評価するのは受け取る側の閲覧者です。
上記のことを踏まえたうえでお聞きしますが、「賛成、賛成よりコメント、コメント」の三段階が使える現状から「賛成」だけ禁止しようという提案に、意味はありますか。私は仮に貴方の「事者は第三者に比べれば偏見を持っている蓋然性が高い」という意見が正論だったとしても、今回の提案は効果のないものだと思うので、反対だと主張しています。
Ryota7906さんはこの提案で歯止めがかかると思っているのかもしれませんが、私は賛否権だけ制限したところで(偏見ある者は)コメント権を駆使して同じことを繰り返すのが目に見えているので、歯止めなどまったくかかっていないと思います。メリットなどありません。そして、歯止めがかかっていないのに改定ルールをみて「歯止めがかかっている」と誤解されることこそが、この提案におけるデメリットであり、改悪だと評した理由です。--ButuCC+Mtp 2013年6月29日 (土) 02:30 (UTC)[返信]
  • 第三者は当事者に比べれば一般に公平であり、当事者は第三者に比べれば偏見を持っている蓋然性が高いため、
「まずこの点が納得できない」とおっしゃっていますが、Wikipedia:投稿ブロックの方針/改定案#投稿ブロックを使うべきでない場合において、論争当事者である管理者にブロック権限がないのはなぜでしょうか。それはまさに「第三者は当事者に比べれば一般に公平であり、当事者は第三者に比べれば偏見を持っている蓋然性が高いため」でしょう。ですから当事者によるブロックは問題が大きいと見て、一律にブロック権限を認めないのです。コミュニティから信任された管理者でさえそうなのですから、信任を受けていない一般利用者なら、なおさら当事者が第三者よりも偏見を持つ蓋然性が高いと見なすのはまったく自然な判断です。
  • 管理者については第三者のみ「善意に」とり、当事者は「善意に」とってあげないのでしょうか。
  • 第三者の票で判断すれば最終決定に影響は与えないでしょう
管理者による裁量ブロックとブロック依頼の投票とは違うというご意見ですね。そのこと自体は間違いではないでしょう。しかし「管理者の最終判断は票決ではなく意見内容で決まる」という、一般の合意形成において適用されるルールは、ブロック依頼においては必ずしも正しくありません。Wikipedia:投稿ブロックの方針#通常の投稿ブロック依頼手続きによれば、「賛否が割れた場合は議論を尽くして合意に努めた後、原則として多数意見を尊重するものとします。」とあります。つまり早く言えば、ブロック依頼の最終決定はほぼ票決で決まるということです(このことは、実は私も最近気が付きました。管理者がブロック依頼の最終決定において、なぜそろいもそろって多数派に与するのだろうと思っていたら、この規定に従っていたということだったわけです)。ですので、ブロック依頼での投票は、裁量ブロックにおける管理者判断に近いほどの重大な意味を持っています。よって、やはり管理者と同様に、一般利用者においても、当事者と第三者の偏向のかかり方の違いを踏まえておく必要があることになるでしょう。管理者でさえ当事者にはブロック権限がないのですから、論争当事者である一般利用者がブロックに直接つながりうる投票を行えないようにすることは、以上の理由で相応の合理性があります。
  • 「賛成、賛成よりコメント、コメント」の三段階が使える現状から「賛成」だけ禁止しようという提案に、意味はありますか。
「賛成よりコメント」(および「反対よりコメント」)も禁止すべきです。票に準じるものとみなされる恐れがあります。禁止しない場合でも、少なくとも得票に数えるべきではありません。
  • この提案で歯止めがかかると思っているのかもしれませんが、私は賛否権だけ制限したところで(偏見ある者は)コメント権を駆使して同じことを繰り返すのが目に見えているので、歯止めなどまったくかかっていないと思います。
さきほどは「善意にとる」と言っていたのに、ここでは善意にとらないのですね。まあいいでしょう。すでに触れましたが、ブロック依頼の最終決定は実際にほぼ票決で決まっており、これは方針の規定にも沿ったものです。ブロック依頼における論争当事者の行動をコメントのみに制限することは、バイアスのかかっている可能性のある意見をブロックの最終決定に反映させないようにするという点において、かなり有効なものとなると考えられますし、これにより一定のメリットが認められると言えるでしょう。
  • 歯止めがかかっていないのに改定ルールをみて「歯止めがかかっている」と誤解されることこそが、
前にも言いましたが、ルールによってありとあらゆる実態に網をかけることはできませんし、そのような試みは非現実的です。ルール改定によってもたらされるのはせいぜい一歩、二歩程度の前進にすぎません。利用者の恣意的な行動のすべてに歯止めをかけるなどと私がいつ言いましたでしょうか。私の主張は、今回のケースで見えてきた問題点に対し、一定の歯止めをかけておくべきだと述べているだけです。--Ryota7906会話2013年6月29日 (土) 22:04 (UTC)[返信]
  • 論争当事者である管理者にブロック権限がないのはなぜ→当事者を「善意に」とってあげないのは「ボタン押し係」だからです
前のコメントで説明済みのことを繰り返したくありません。あなたの言う「第三者は当事者に比べれば一般に公平であり、当事者は第三者に比べれば偏見を持っている蓋然性が高いため」とは拡大解釈です。正直、この「偏見を持っている蓋然性が高い」という類の意見はあなたの主観以上のコメントが来る気配がしないので、今後も同じ方向性の意見を繰り返されても同意できません。もっと違う観点から反論があるなら検討します。
あと、もうひとつ言っておきたいのですが、ここでの提案は当事者の投票権について変えよう、という話ですよね?だとしたら管理者の最終決定権についての議論は別の場所でやりませんか?正直、この場で議論のネタに出されても「それ(管理者の決定)とこれ(投票)とは別」だと考えているし、この点についてRyota7906さんが私の意見を論破したところで、下記の通り他の点で不備があるので、この提案に反対すること自体は変わらないと思います。
  • 「原則として多数意見を尊重するもの」
私はそれをRyota7906さんとは違う解釈をしています。『議論を尽くして合意に努めた後』という断り書きから基本は合意形成と同じで、また『原則として多数意見を尊重』という、「多数決で決定」とか「多数票を重視するもの」ではなく「多数意見を尊重するもの」としていることから、この文は多数決を推奨しているのではなく、普段の合意形成でも起るいつまでも「納得」しないなどの行為が発生した場合は、普段の合意形成と同じように「多数意見を尊重」すればいいという、ありふれたことを言っているだけです(前コメントで言及した明確に投票を是としているモノとは得票数とか得票率とかが明確に規定されているものを指します)。私の解釈から言えば、「ブロック依頼の最終決定はほぼ票決で決まる」のではなく、「ブロック依頼の最終決定はほぼ裁量で決まる」ということです。大事なのは最終的に何票集まったかではなく、何という意見が管理者判断に影響を与えたかです。そして、影響を与える方法としては賛否でもコメントでも大同小異で根本的には変わらない、というのは既に前コメントで述べましたので読み返してください。
  • 「賛成よりコメント」(および「反対よりコメント」)も禁止すべきです
(賛成よりコメント)は禁止できませんよ。コメントの一部ですから。それこそ露骨に(賛成より)などと書かれているのはまだ親切な方で、ただ(コメント)とされてても相当賛成よりだったり、反対側を批判する形で賛成の妥当性を論じるコメントもありますから。これらは形式上はコメント票なのでコメント権を残すなら排除できません。で、得票云々という発想がナンセンスだというのは既に述べました。
  • さきほどは「善意にとる」と言っていたのに、ここでは善意にとらないのですね。
意味不明です。偏見ある者は悪例であって悪例なら悪意を持ってて当然です。で、悪意ある者には通用しない。つまり、対悪意用フィルターとしては機能しない。ここまでが前コメントで述べたことです。じゃあ善意にとって考えたらどうなのか。
善意ある者なら公平な意見を述べるのでそもそも賛否票を制限する必要がない(結論)。
こういうことです。
前回のその「歯止め」コメントはそもそも当事者の善意悪意の話をしているのではないです(善意にとったらそもそもこのルール要らないし)。私からすれば不適切とも思えるルールを採用しても、結局は誤解しか生まないという新ルールの問題点を述べているだけです。
  • せいぜい一歩、二歩程度の前進にすぎません/一定の歯止めをかけておくべき
まだ言いますか。貴方の提案が前進ではなく後退であり、歯止めになる提案になっていないと言っているでしょう。この手の主張ももう要らないです。私はルール改定自体を否定しているわけではなく、貴方の提案の問題点を述べているにすぎないのですから。
(Ryota7906さんのやり方について)
  • 管理者がブロック依頼の最終決定において、なぜそろいもそろって多数派に与するのだろうと思っていたら)
あなたの行動原理は結局それですよね。あなたがそう思うならコメント依頼等でその管理者やその多数派らを好きに糾弾すればいいでしょう(そもそもバイアス云々はこうやって個人の行動が発端となる問題なんだから、そっちに向かって動けばいい、と既に申しました)。本当にバイアスがあったかどうか、本人からまず聞くべきです。もしその説明でRyota7906さんが納得するならそれでいいでしょう。しかし、もしその説明で理由として示された(方針などの)基準があり、それが人それぞれによって異なる(ために感情的な差異が生まれる)ことが判明すれば、そこで初めて方針類の修正ということになります。逆に、もしそれが本当に個人的な理由によるバイアスであれば、その個人を弾劾すればよくて、(その個人と同じ発想だという前提で)他者をも巻き込む方針類への修正へは進むべきではないです。
Ryota7906さんはそういう対応をせず、いきなり方針改定のステップへと進み、いきなり「当事者は偏見的だ」という提案をしたのです。これではあなたにも、管理者や多数派に対する偏見を持っていると思わざるをえません。バイアスを持ったあなたが同じ姿勢のまま、それらを相手にせず方針から変えようとしていることに不信感を抱きます。バイアスを無くそうと思っている人にバイアスがかかっているのでは話になりません。--ButuCC+Mtp 2013年6月30日 (日) 10:28 (UTC)[返信]
  • まず、Wikipedia:投稿ブロックの方針#通常の投稿ブロック依頼手続きの、「賛否が割れた場合は議論を尽くして合意に努めた後、原則として多数意見を尊重するものとします。」について、方針に「原則として多数意見を尊重する」と書いてあったら、事実においては、よほどの特別な理由のないかぎり多数意見に従って決定することになるではないですか。そうでない事例があったら逆に挙げてみてほしいものです。特別な理由もなく「多数意見は尊重する、しかし決定は少数意見に従う」、そんな支離滅裂なことを管理者が言えば非難轟々でしょう。
また、もしButuCCさんがおっしゃるように「ブロック依頼の最終決定はほぼ裁量で決まる」のなら、なぜ上のような規定をわざわざ方針に書き加えてあるのですか。通常の合意形成と同じなら、多数意見を尊重する規定など不要のはずです。ちなみに通常の合意形成は多数決ではありませんので、Wikipedia:合意形成にもWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないにも「多数意見を尊重する」などとはどこにも書いてありません。「原則として多数意見を尊重する」は投稿ブロック依頼に特有の方針です。
さらに言えば、ButuCCさんが解釈しておられるように「ブロック依頼の最終決定はほぼ裁量で決まる」のなら、あるいは「大事なのは最終的に何票集まったかではなく、何という意見が管理者判断に影響を与えたか」なのなら、あるいはまた「影響を与える方法としては賛否でもコメントでも大同小異で根本的には変わらない」のなら、そもそも投票などはじめからいらないことになるでしょう。ButuCCさんは私の案に反対するための理由、つまり当事者の投票を残すべき理由を挙げていたはずだと思っていましたが、実のところ、これでは投票などそもそもいらないと言っているだけで、反対理由どころか現行投票システムの否定です。
順番が前後しますが、
  • 論争当事者である管理者にブロック権限がないのはなぜ→当事者を「善意に」とってあげないのは「ボタン押し係」だからです
ボタン押し係である管理者には論争当事者にブロック権限を認めないんですよね。管理者と違い一般利用者はコミュニティからの信任を受けていません。上で説明したように、投稿ブロック依頼には一般の合意形成と違って「原則として多数意見を尊重する」規定があり、投票はブロック決定に重大な影響を与えます。その重大さは、裁量ブロックにおける管理者判断に非常に近接したものです。ですから、信任を得ている管理者であっても論争当事者へのブロック権限を認めないように、信任を得ていない一般利用者にはなおさら論争当事者へのブロック投票権を認めるべきでないと申し上げているのです。
  • (賛成よりコメント)は禁止できませんよ。コメントの一部ですから。
つまらない揚げ足取りでしたね。まあ禁止しても残してもかまいませんが、得票に数えるべきでないことは申し上げたとおりです。
  • 悪意ある者には通用しない。つまり、対悪意用フィルターとしては機能しない。
  • 善意ある者なら公平な意見を述べるのでそもそも賛否票を制限する必要がない(結論)。
ここも何を言っておられるのやら。「悪意ある者には通用しない。つまり、対悪意用フィルターとしては機能しない。」つまり投票どころかコメントすら有害だと言っているわけです。これはコメントを中心とする現行合意形成システムの否定です。私の案どころかもっともっと大きなものまで否定してしまっています。
善意ある者なら公平な意見を述べるのでそもそも賛否票を制限してもしなくても同じです。制限しなくてもかまわないし制限してもかまわないわけです。どちらにも特別なメリット・デメリットはありません。悪意ある者なら私の案では投票結果に悪意が反映されないといういくぶんかのメリットが得られます。現行ルールでは悪意ある者の悪意が投票にまで反映されてしまい、これはデメリットとなります。上でも、また前回も申し上げましたが、「原則多数意見尊重」と書いてあったら、実質的には多数決です。どの管理者もブロック依頼ではほぼそのように処理しています。よって当事者による投票を制限すれば、悪意がブロック判断に反映されてしまうことに対する一定の歯止めの役割が期待されることになります。これはメリットです。制限しなければ今回発生したようなバランスを欠いた決定が再び繰り返されかねません。これはデメリットです。
  • 管理者がブロック依頼の最終決定において、なぜそろいもそろって多数派に与するのだろうと思っていたら
すでに何度も申し上げたとおり、これは各管理者がWikipedia:投稿ブロックの方針#通常の投稿ブロック依頼手続きの「原則として多数意見を尊重する」という規定に従ったものです。規定に沿って行動している管理者を責める理由はありません。しかしながら現実には提案理由で述べた問題が発生してしまいました。この問題に対処するのに、制度を変更しないでどこを変えるのですか。
なお、論争における対立構造がブロック依頼に持ち込まれてしまっていることはWikipedia‐ノート:投稿ブロック依頼/Chichiii 追認において指摘しております。が、ブロック判断においてはおそらく何の顧慮もされておりません。それも、当事者による投票が認められるルールの下で、「原則として多数意見を尊重する」という規定が設けられているのなら、ある意味無理もないことだったわけです。
  • いきなり「当事者は偏見的だ」
当事者である管理者についてはあなたも善意に取らないんでしょ。何度も言いますが、ブロック依頼においては一般の合意形成と違って投票は重要な意味を持ちます。ブロック投票において論争当事者に投票権を与えないのは、論争当事者である管理者にブロック権限を認めないのと基本的に同じことです。それ以上の特別なバイアスなど何もかかっておりません。いったい何を勘違いしておられるのでしょうか。--Ryota7906会話2013年6月30日 (日) 20:32 (UTC)[返信]
んー。もうこれは何度話しても平行線っぽいですね。貴方の主張は基本的に私の反論に対する自説のごり押しですよね(私のコメントも似たり寄ったりなので同じ穴の狢ですが)。だから私は貴方の主張に納得できないし、逆に貴方も私の主張に納得できないのでしょう。私の意見に反論するのがこの議論に有益ならかまいませんけど、それでお互いの主張が変わるわけでもなさそうだから、とりあえず他の方の意見が来るのを待ってみましょうか。提案を通したいならその方がいいでしょうし。
Ryota7096さんの今回のコメントにも反論したい点は何点かありますが(繰り返しの部分もありますが)、とりあえず意見を募るということで静観しようと思います。なにか動きがあれば、そのとき(必要なら)一緒にコメントします。--ButuCC+Mtp 2013年7月1日 (月) 12:18 (UTC)[返信]
PS:一つだけコメントしておきます。「私の案どころかもっともっと大きなものまで否定してしまっています」ですが、その通りですよ。貴方の思想に則って提案するならそれくらいやらないと意味がないのです。貴方の思想に賛成反対抜きでこの提案を反対するというのはそういう意味です(もちろん、あくまでそれは「貴方の思想に則って提案するなら」という仮定であるため、その思想に反対する私は結局反対しますけどね)。--ButuCC+Mtp 2013年7月1日 (月) 12:34 (UTC)[返信]
議論の前提として、改定案の検討の際は、現行規定と改定案を比較し、改定案にどれだけのメリット・デメリットがあるのかに焦点を当てて論じて下さいますようお願いいたします。
「改定案にはこうこうこういう点が想定されていない。だから反対」と言って、現行規定でも想定していない点を挙げたり、現行規定でも改定案でも変わらない点ばかり指摘したりしないようにお願いいたします。そういう議論は例えて言えば、交通事故抑止のために速度制限を設けようという提案に対し、「制限速度以下でも事故は起こる。だから速度制限には反対」とナンセンスな主張をするようなものです。制限速度を設定し、それが厳守されたとすれば、少なくとも制限速度を超えた運転状況での交通事故を防ぐことはできます。制限速度以下で発生する事故には対応できませんが、対応できないのは制限速度を設定しない場合でも同じです。少なくとも速度制限がないよりはある方が一定の効果が得られることはほとんど自明なことです。こういったナンセンスな論法で難癖をつけることの無意味さぐらいは最低限分かっておいていただきたく思います。
それから、こんなことは本来言うまでもなく当たり前のことですが、(通常の合意形成においても多数意見を尊重するルールがある、などのように)事実でないことを主張するのもおやめいただきますようお願いいたします。--Ryota7906会話2013年7月1日 (月) 18:17 (UTC)[返信]
コメント 「最近ある論争」として示された案件は把握しておりませんので、あくまでも「ブロック被依頼者が関わっている論争に現在参加している利用者には、投票権限を認めない」というご提案に関する一般論としてコメントさせて頂きます。2点疑問があります。先ず、条件節における「ブロック被依頼者が関わっている論争」と「現在参加している利用者」の範囲は明確にあるいは適切に定義できるのでしょうか。何をもって「論争」とするかが先ず難しいと思いますが、ある論争があるとして、派生の論争や揉め事が別の場所で別の利用者と発生している可能性もあります。複数の論争が同時並行して存在する場合、それらの内容や性質が類似しているとは限りませんし、参加者が重なる場合もあればそうでない場合もあります。また、論争は短期間であるとも限らず、長期間・断続的であるかもしれません。誰が対象となり誰が対象とならないのか、明確に線引きすることは運用上難しいのではないでしょうか。次に、ブロック依頼に参加するために敢えて議論への参加を控える利用者が出てくるおそれはないのでしょうか。もしそうなれば本末転倒のように思えます。以上です。--Penn Station (talk) 2013年7月2日 (火) 15:17 (UTC)[返信]
コメント すごく変則的な事例をベースに議論されているので、話が噛み合わないのだと思います。「カンバス行為」に対処するための比較的短期のブロックであれば、そもそもコミュニティーの合意形成は不要で、論争に関与していない管理者が裁量でブロックを実施すればよかったわけです。たまたま本来はブロックすべきでない管理者がブロックしてしまったので追認依頼になりましたが、もともと局外中立の管理者の裁量でブロックしてよい事例ですから、締めを行う管理者がちゃんと判断しているなら、コミュニティーの合意はちゃんと成立していなくてもよいわけです。
とはいえ、それはあくまで「あの事例では」ということで、本来コミュニティーの合意形成が必要な場合は、論争に関与していた人たちを除いた、中立のフォーラムで合意形成を図るべきだという考え方は充分ありえます。例えば、現在提案されているWikipedia:追放の方針#コミュニティによる追放にも「関連する論争に関わっていない利用者の間で合意が形成されれば、当該利用者の分野からの追放を行うことができます」のように言っている箇所があります。
いずれにしろ、コミュニティーの合意による「追放」についてはすでに新しい方針案が提案されていますから、そちらでまとめて議論する方が話が早いように思います。--Dwy会話2013年7月2日 (火) 16:50 (UTC)[返信]
ようやく真の意味で有意義なご意見をいただきました。お二方ともどうもありがとうございます。
Dwyさんにご指摘いただいたWikipedia:追放の方針#コミュニティによる追放における「関連する論争に関わっていない利用者の間で合意が形成されれば、当該利用者の分野からの追放を行うことができます」の規定について、追放とブロックの違いはありますが、これはまさに今回提案の内容をそのまま明文化したものと言えますね。Penn Stationさんのご意見は、この追放の方針の規定とまったく共通する問題ですので、Dwyさんがおっしゃるようにまとめて議論するのが好都合でしょう。追放の方針にはすでに明文規定がありますので、勝手なようで申し訳ありませんがPenn Stationさんのご意見をそのまま転記させていただいて、この問題についてはWikipedia‐ノート:追放の方針#「コミュニティによる追放」の問題点へ議論を集約し、そちらで合意が得られましたら、その合意内容をこちらにも準用するというかたちで進めていきたいと思います。
なお、Penn Stationさんの挙げられた第2点ですが、私見では、「投稿ブロックの実施にあたっては慎重な対応が求められる」という規定上、これはやむを得ないのではないかと考えます。ブロック依頼での投票に参加したい方は、より慎重かつ中立的な判断が求められる以上、通常の議論への参加は控えていただくよりしかたがないのではないでしょうか。
この問題は裁量ブロックにおける管理者の行動とも共通する問題であり、裁量ブロックにおいては論争当事者をブロックすることは認められていませんので、管理者のうちには、あえて議論に参加しない者が最低一人はいなくてはなりません。裁量ブロックは管理者の仕事の一つですので、一部管理者が通常の議論参加を犠牲にすることはその立場上やむを得ませんが、ブロック依頼においても「原則として多数意見を尊重する」という投票重視の規定があることから、投票参加を望む利用者には、管理者と同じだけの制約が発生することを納得・了承していただくべきではないだろうかと考えます。--Ryota7906会話2013年7月2日 (火) 20:35 (UTC)[返信]
Wikipedia:追放の方針は文書が草稿(提案中)であるばかりでなく、実態として全く運用されておりません。それに対しこのWikipedia:投稿ブロックの方針は、(試験運用中の改定案を含めて)現在運用中の方針です。運用前しかも長年放置されている草稿段階の文書をベースにそのノートで議論するより、先ず本ノートで議論し、その後必要があれば追放の方針の草稿にフィードバックする方が建設的だと思います。ちなみに現在Wikipedia:投稿ブロックの方針をウォッチされている利用者数は365人、Wikipedia:追放の方針は151人です。
2点目に関しては、管理者は元々特定の論争とは無関係に選出されており、その上で問題発生に備えて議論に参加しない者が「最低一人」求められるだけです。論争に関わっているあるいは関心を持って議論を見ている利用者「全員」に影響を与えるRyota7906さんのご提案の制限は「管理者と同じだけの制約」とは見做せず、同列には論じられないと思うのですが、いかがでしょうか。Wikipedia:投稿ブロック依頼の冒頭にもありますように、ブロック依頼の前に先ず対話と合意での解決を目指すことが推奨されています。--Penn Station (talk) 2013年7月3日 (水) 13:38 (UTC)[返信]
コメント 「一律禁止」としてしまうと、問題の生じる事例もあるのかなと考えました。ウィキペディアには多様な分野の記事がありますが、その中には参加者が極端に少ないものも見受けられます。そして、そうした分野でトラブルが発生した場合に、その分野のバックグラウンドを持つ利用者がすでに議論に参加している人ばかりで誰も投票できず、そして第三者は事情を把握できないまま、適切なブロックがなされないという事態が危惧されます。
上に出たPenn Stationさんの話とも共通しますが、ブロック依頼がなされているということは多かれ少なかれトラブルとなっているわけで、例外を定めるにしても機械的に判定できる基準でなければ、例外に当てはまるかどうかの議論となるという不毛な事態が容易に想像出来ます。--Jkr2255 2013年7月2日 (火) 23:20 (UTC)[返信]
  • Penn Stationさん前半部
大変失礼いたしました。Wikipedia‐ノート:追放の方針でも書きましたが、 明文化されている点にばかり気を取られ、運用状況についての注意が足りませんでした。Wikipedia:投稿ブロックの方針に関する問題はやはりこちらで討議することにいたします。当方の判断が短期間にくるくる変わったことで皆様にご迷惑をおかけすることになってしまい大変申し訳ございません。
  • Penn Stationさん7月2日第1点
何をもって該当の「論争」とするかについてですが、普通に想定すれば、ブロック依頼の依頼文において、ブロックの被依頼者が問題を起こしていると指摘されているノートページや各種依頼ページ等を該当の論争とみなすことになるでしょう。つまり、該当する論争は、事実上、ブロック依頼者が定義する、ということになります。
そうすると例えば、投票権者を少しでも多く確保するために、複数の議論ページで問題を起こしているとされる被依頼者についても、依頼文に掲示するページを少なくする、といったある種戦略的な動きが出てくる可能性もあるかもしれませんが、その分、ブロック依頼で検討される問題行動の範囲が狭くなるという、ブロック依頼者側にとっての一種のデメリット的要素も発生しますので、そのあたりは依頼者の考量に任せればよいのではないかと思いますね。
「論争参加者」つまりブロック依頼における投票権喪失者の定義ですが、これは上述のようにして定義された該当論争の参加者全員ということでよくないでしょうか。
  • Penn Stationさん後半部(7月2日第2点)
少し頭の体操めきますが、Wikipedia:投稿ブロックの方針/改定案#投稿ブロックを使うべきでない場合の、裁量ブロックにおける管理者に対する規定について考えてみますと、これは、論争に関わっているあるいは論争に関心を持っている管理者全員に影響を与える規定になっていますので、これと比較すれば、今回改定案が一般利用者に与える影響もほぼ同じことになるのではないでしょうか。あるいはまた、スコープを論争当事者ないしは関心保持者以外の一般利用者にまで広げて眺めれば、利用者の大半はもともと特定の論争とは無関係にアカウントをとっており(論争を見てアカウントを取った方がいたとしても、新規アカウント取得者にはそもそも投票権がありません。もっともこのあたりの想定はちょっと甘いかもしれませんが)、また「管理者約50-60名に対し求められる議論不参加者1名以上」という規定と、「利用者数百〜数千名に対し、求められる議論不参加者複数名、あるいはそれ以上」という規定は、構図としてはほぼ相似的なのではないかと思われるのですが、こういった考え方に関連して何か具体的な問題発生の可能性はありますでしょうか。
  • Jkr2255さん
一般的に言って、参加者が少ない分野ほど、第三者による何らかのフィードバックを受けたり、問題を第三者に預けるといった対応があったほうがよいと思いますね。参加者が少ないと、そのうちの誰かが恣意的な判断を行ったり、行おうとしたりした場合に、与える影響がより甚大になりかねませんので。
明らかに問題な行為は管理者伝言板を使えば対処されるでしょうし、ブロック依頼に至るということは、議論当事者間では問題が解決できなかったことを意味しますので、問題解決を外部の第三者に委ねるといった意識でブロック依頼をとらえていただくことにすればよいのではないでしょうか。その場合、論争当事者からの第三者に向けた事情説明が非常に骨折りなものになることも予想されますが、ここは頑張って説明していただくしかないのではないかと思います。--Ryota7906会話2013年7月3日 (水) 21:12 (UTC)[返信]
何をもって「該当の論争」とするかにつきまして、先に、「ブロック依頼の依頼文で、被依頼者が問題を起こしていると指摘されているノートページや各種依頼ページ等を該当の論争とみなす」と定義してはどうか、と述べましたが、これは「Wikipedia:投稿ブロックの方針/改定案#投稿ブロックを使うべきでない場合」と比較して、狭すぎる定義になっていると思うに至りましたので、大変申し訳ありませんが、前回コメントの一部を撤回させていただくことにいたします。
Wikipedia:投稿ブロックの方針/改定案#投稿ブロックを使うべきでない場合では
絶対に、内容の論争を自分にとって有利に進めるためや、その相手方への報復のために投稿ブロックを用いてはなりません。これはすなわち、管理者は、自分が現在進行形で関わっている論争に関連する投稿者をブロックしてはならないということです。
とあり、自分が関わっているあらゆる論争について、論争当事者のブロックを禁じています。投稿ブロック依頼における投票もこれと同様に、「自分が関わっているあらゆる論争について、論争当事者に対する投票を禁じる」ということにしないと整合性が取れないのではないかと考えます。もし先回コメントのとおり、該当の論争を「ブロック依頼文で指摘されたページの論争」ということにしますと、例えば、たまたま自分が関わっている論争相手が、それとは別の論争に関連してブロック相当とみなされうる行為をしたと指摘され、ブロック依頼にかけられた場合、その相手のブロックに関して投票することは、結果として「内容の論争(=自分が関わっている、ブロック依頼とは無関係な論争)を自分にとって有利に進め」たり、「相手方への報復」につながったりする可能性がないとは言えず、中立性・公平性を欠く恐れが生じると思われるからです。
よって、今回提案でいう「該当の論争」も、「Wikipedia:投稿ブロックの方針/改定案#投稿ブロックを使うべきでない場合」に準じて、「ブロック被依頼者が現在進行形で関わっているあらゆる論争」と定義することにしてはいかがでしょうか。
またこれに伴い、7月2日のPenn Stationさんのご指摘のうち第1点については、
  • ブロック被依頼者が参加中の複数の論争が同時並行して存在する場合は、内容・性質・参加者が異なるいずれの論争も「該当の論争」とする
  • 論争の期間については、常識的に考えて、概ね1カ月以上議論が中断・停止しているものは、「現在進行形で関わっている論争」でないとみなす
このような回答に変更することにいたします。--Ryota7906会話2013年7月16日 (火) 19:09 (UTC)[返信]