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ノート:もつ煮

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「概要」節は独自の研究では?

先ほど、「概要」節に{{独自の研究}}を付与しました。日本でのもつ煮の位置づけを的確に表しているとは思うのですが、Googleの検索結果という情報から、ウィキペディア利用者が分析を行うことは独自の研究に該当すると考えています。--iwaim 2008年9月15日 (月) 06:11 (UTC)[返信]

図書館で料理事典を漁ってきます。がんばります。いろいろな方がこうしてご意見をくださったり、よりよくしようと思っていただいているようで、本当にうれしいです。ウィキペディアの醍醐味ですよね。--海獺(らっこ) 2008年9月15日 (月) 13:39 (UTC)[返信]
折角ですが、テンプレートのほうは外させていただきました。私としては、いくらWikipedia:独自研究は載せないWikipedia:検証可能性があるからと言っても、関連するテンプレートの無闇な貼り付けには疑問があります(あの手のテンプレートには注意を促す効果もありますが、同時に記事を汚くし、読みづらくする副作用もあります)。ノートで疑問を投げかけたり、提案したりするのは大いに結構なことであると思います。欲を言えば、Wikipediaを閲覧だけしているのではなく、編集に参加している以上、自らも百科事典の編集者なのですから、ただこういったテンプレートをあちこちの記事に貼り付けて回ったり、「独自出典だ!」「要出典だ!」と騒ぐだけでなく、自分でも調べるという姿勢が欲しいものですね(勿論、iwaim様お1人のみに申し上げているわけではありません。念の為)。Yassie 2008年9月15日 (月) 13:57 (UTC)[返信]
テンプレートの効果というか影響についてはYassieさんの仰る通りではあるとは思います。ただ、閲覧者に対しての告知という側面があるということは理解してもらいたいです。閲覧者に対して、どこが独自研究の可能性があるのかを伝えるということは必要なことである、と私は考えています。また、完成度の高い記事であるが故に、他の記事の手本となる可能性もありますので、あからさまな独自研究を残しておくこともあまり望ましくないと考えています。《ただこういったテンプレートをあちこちの記事に貼り付けて回ったり、「独自出典だ!」「要出典だ!」と騒ぐだけでなく、自分でも調べるという姿勢が欲しいものですね》に関しては賛同できますが、それを言ったら剥がす方も……とは思います。まあ、先に貼り付けるから剥がす必要がでてくるんだ、という意見はあるかとは思いますが。
個人的には、あまり出典のない編集は好んでいないのですが、上で海獺(らっこ)さんが調査しようと述べて下さっていることもあり、まずはあからさまな独自研究である状況は修正しておきました。これをみて「Googleの検索結果を基にして分析することは問題が無い」と理解してしまう人がいれば問題ですから。編集合戦のようなことになるのは本意ではないのでテンプレートは貼りません。--iwaim 2008年9月15日 (月) 16:43 (UTC)[返信]

少し時間が経過してしまいましたが、基本的なレシピの部分に出典をつけてみました[1]。私の調査が悪いのか、はたまたこの料理の出自の問題なのか、見るからに権威のありそうな料理事典に掲載されているものが見つからず、今回はさしあたってすぐに参照できるような大手の検索サイトのグルメ情報と、2008年10月現在で27万部以上売れていると紹介されている本のふたつを記載しました。--海獺(らっこ) 2008年10月15日 (水) 04:48 (UTC)[返信]

肉食の歴史

とても興味深く、面白い記事だと思います。 ただ、「歴史」の項は日本人の固定観念を覆すためにも別項を立てる価値があると思うのですが、いかがでしょうか。--222.228.157.94 2008年9月15日 (月) 01:34 (UTC)[返信]

もつ煮の中でざっと駆け足で触れている感じなので、「日本の肉食の歴史」という項目があって良いかもしれません。ただ、初版作成者の意図としては、別項で知ることができる知識ということよりも、ひとつの項目の中で成り立ちが把握できるほうがよいと思い記述をしました。将来的に「日本の肉食の歴史」が作られ、充実しても、この記事からの分割ということではなくて、より深い内容が求められるのではないかと思います。--海獺(らっこ) 2008年9月15日 (月) 02:26 (UTC)[返信]

日本の肉食を立てます。理由としては、もつ煮という一料理に肉食というさらに広い概念をふくめそれについて詳細に解説しようとするのは、たんなる記事の水増しに見える事。蛇足は本論にそってあるのは良いし、面白いが、蛇足のための蛇足的説明は構造として不要だからです。同時に、焼肉という項目からも共通して参照できる内容をこちらの記事だけに置くのは構造としてもおかしいからです。--114.51.149.15 2009年4月26日 (日) 05:13 (UTC)[返信]

とてもいいご提案だとは思いますが、項目を書いていただいてから除去していただければと思います。また、ブロック破りの編集はご遠慮願います。ご自身の問題点を理解し、まずはブロック解除に向けて動いてください。--海獺 2009年4月26日 (日) 05:19 (UTC)[返信]
ざっとrvをかけてしまいましたが、全体的に問題は感じられませんでした。確かに立項してからというのはありますが、それを天秤にかけても問題のある編集だとは思いません。しかしながら、主観的な部分もあるかと思いますので、私はこれ以上行いませんが問題があると感じられましたら、差し戻しをお願い致します。--Baldanders 2009年4月26日 (日) 05:57 (UTC)[返信]
コメント 私は、有意な情報を削らないほうがいいと思いますので、海獺さんの判断の方を押します。編集合戦になると困るので、rvは止めて置きます。--Freetrashbox 2009年4月26日 (日) 06:01 (UTC)[返信]
私には本項目で説明する必要性を感じませんし、単純な修辞などは削るべきだと思います。もう少し腰を据えて責任を持って記事内容について検討しますので、ひとまず私の理解と執筆方針による部分ではこのあたりで留めておきます。ざっくりとしたRVについてはお詫びしますが、やはり現在の記事内容には納得がいきません。--Baldanders 2009年4月26日 (日) 06:08 (UTC)[返信]
確かに、文章はIPさんの修正後の方がよいようにも思います。なかなか難しいところですね。--Freetrashbox 2009年4月26日 (日) 06:13 (UTC)[返信]
「歴史」のうち「近代東京のもつ煮」以外の部分を別記事に分割し、本記事には要約を残した方が「もつ煮」の記事としては良いように思います。全ての日本の肉食メニューにこの歴史部分を加筆するのも煩雑ですし、この部分については充分単独項目にするに足るテーマと内容だと考えます。IPさんの修正後の文章の方が良いというFreetrashboxさんの判断にも賛同します。ホルモン関係の分量が多いと、「この項では主にその歴史的な成り立ちと日本の関東地方で食されるもつ煮を中心に記述する」と相反している様に感じられます。--Himetv 2009年4月26日 (日) 07:48 (UTC)--追記します。もし技術的な理由などで本項目の歴史関連部分の分割について不可能ならば、すき焼き牛丼もつ鍋等の歴史関連部分にも追加するべき内容だと考えます。--Himetv 2009年4月26日 (日) 15:06 (UTC)[返信]

(インデント戻します)ウィキペディア全体をみてこの項目が良い記事になったり、他の記事を書く意欲がわく方がいらっしゃるのはよいことだと思います。ただ、私には直ちに除去をする理由が良くわからないので、もし除去されるのであれば、この項目の中にあるには蛇足である、テーマと相反しているといわれている記述が生かしていただけるような項目が作成されてから、関連項目なり、リンクにしていただければと思います。個人的にはすぐ除去されなければいけないという判断に至った理由をうかがいたいと思います。

さて、ウィキペディアは料理のレシピを集める場ではなく、百科事典であるという観点から、単に料理の材料や現在の地方色を書くだけでは足りないと考えました。細かくなりますが関西における内臓肉を食べる文化を語るとき、ホルモンという語句の説明は避けて通れないと思い併記をしてあります。また屠殺部分への言及は、もつ煮という料理の背景にある文化について切っても切れないものです。差別に関する記述についても深くではありませんが言及する必要があると思い記述しています。また記事の履歴を見ていたければわかるとおり、ホルモンという呼称については、この記事の中でどう記述するかという変遷があった上での、今の形であると、ご理解ください。--海獺 2009年4月26日 (日) 09:51 (UTC)[返信]

  • コメント 件の編集ですが、問題ないと思います。私もこの記事を立項時に読ませて頂いて、素直に凄いと思ったものですが、今回の編集は記事の問題点を的確に示しており、問題ないというよりむしろ「適切な編集」であったと考えます。また、除去された内容について、再利用の場がまだ確保されていないことは、この記事の中で述べる理由にはならないでしょう。--氷鷺 2009年4月26日 (日) 13:28 (UTC)[返信]
  • コメント こんにちは、Koba-chan です。
    差分もすべて比較しましたが、落としどころが難しいですね。件のIP氏は、既にブロック破りということで編集制限を受けたそうですが、要約欄に書かれた「蛇足」は、人それぞれの感じ方があると思いますし、蛇足かどうかについては十分に吟味すべきであると思います。私自身は「蛇足」と捉えるのはIP氏個人の POV であり、編集除去された部分を必須とするかどうかにつきましては、解説全体のバランスやその記述の必然性、更に、複数の書籍にあたり、実際に執筆した編集者の創造性の部分、いわば著作権性の部分を、吟味し、尊重すべきであると思いました。

    今回、複数の方々のご意見も拝読いたしました。人それぞれに感じ方が異なり、どちらにも取れるものだな、と再認識もしましたが、NPOVの観点に立ち、どちらとも取れる場合には、前段の「創造性」でも触れていますが、ウィキペディアの基本方針のウィキケットに立ち返って、ウィキペディアの編集に携わる方々(の創造性)を尊重するという立場から、IP氏の編集行為は蛇足だと感じた点を蛇足にしない努力を惜しんだ点、記事空間に書かれている結果だけを見て行なっている点から、創造性のない引き算であり、あまり巧い編集行為ではないと個人的には感じました。

    ウィキペディアで編集するためには各種の縛りがありますが、GFDL でリリースされているからと言って、何をしても構わない、という意味ではありません。他の記事についても同様ですが、今、ここのノートの意見を読むと、何か問題が起きたときには、何のために議論を尽くすのか、だとか、中立的な観点で編集せよ、だとかの点を忘れて、目の前のものを慌ててどうにかしようという風に見えて仕方ありません。それと、減らす前にその記事投稿してね、というのもあります。

    この記事については、IP氏の編集がなければここまで話題は広がらなかったわけで、IP氏の編集の直前まで一旦は差し戻し、記事解説の加除を巡る必然性や必要性について、このノートでも良いでしょうし、他の場所で展開しても良いと思いますが、他の記事にも活用できるような汎用の加除の方向性について何かしらの結論が出るまで、他の議論も記事も書かず、管理者にあっては管理行為もせずに徹底的にやってね、と思いました。ウィキペディアには履歴や差し戻しという便利な機能がありますので、徹底的に検討して、良い方向性や編集内容が出来てから、再度編集に取り組んでみるのが良いと思いました。どうぞ、頑張ってください。Koba-chan 2009年4月26日 (日) 16:07 (UTC)[返信]

コメントどうしても私信的なものも含んでしまうためどこに書くべきか迷ったのですが、ここに書かせていただきます。会話ページで述べたように短期的にしっかりとは時間がとれません。このままでは私への個人的なコメントを含めて一つ一つをしっかりと読んで、返信し、なおかつここの記事の改善に取り組むと非常に長い期間となってしまうかと思います。それでは、単純に一旦分離されている部分がもったいないと感じられる方もいらっしゃるかと思い、そして今後の編集や議論のしやすさを考えてひとまず戻しを行いました。記事内容と私の行為と二つのことに論点が分かれている現状で、また時間的な問題で意見もあまり読めず海獺さんへの返信もできていない状況ではありますが、後ほどしっかり対応しますので今しばらくお待ちください。--Baldanders 2009年4月27日 (月) 00:42 (UTC)[返信]

お待ちします。Baldandersさんの適切な編集に期待しています。宜しくお願いします。--Himetv 2009年4月27日 (月) 01:41 (UTC)[返信]

既存の記事、新規記事に一部転記していただくことなど、合意の上で適切な形で発展していくことを望みます。私はこの記事を立ち上げたという立場ですので、客観性に問題があるかもしれません。記事に対する中立的な観点になるのは困難であろうと思います。以降は関与を控えます。いろいろご迷惑をおかけしたことをお詫びします。--海獺 2009年4月28日 (火) 05:58 (UTC)[返信]

今後について

遅くなってすみません。はじめに本ノートにおいては混乱を避けるために、IPの方の編集や私の編集などはひとまず忘れていただいて、記事内容についてのみ考えるということでお願いできますでしょうか?私に関してのご意見等は私の会話ページかコメント依頼を立てていただくなど、別途よろしくお願い致します。また、私が責任を持ってと申し上げましたが、私の記事であるわけでもなく、誰に先んじるわけではありませんので、目についた所がありましたら適宜修正をお願い致します。

さて、今後についてなのですが、以下の点を編集していくべきではないかと考えております。

  1. 単純な修辞の削除、置き換え
  2. 独自研究に該当する可能性のある部分の明確化および出典の提出のお願いなど
  3. 歴史部分の転記や分割

1につきましては、あまり百科事典的ではないと思われる記述(枚挙に暇がない、冒険家として名高い、徳川幕府最後の将軍である…など)については全体的に削除や置換が必要ではないかと思います。該当箇所の明確化の作業もほぼ必要性がなく、この作業が一番早く簡単に行えるかと考えます。

2につきましては、一部独自研究(発表済みの情報の合成など)と思える部分があります。これについては、一旦該当箇所を明確化し、その理由を述べ、出典を出していただくことが可能であれば出典をつけ、そうでなければ削除という作業が必要かと思われます。

3についてですが、私は歴史部分がもつ煮のみに関する記述ではないことが問題かと思っております。「もつ煮」というものを知りたい方へは、もつ煮を知るまでの道のりが長い点などやや問題かと思います。また、もつ肉食ホルモン焼きすき焼き、ほかにはももんじ屋などなど関連する、もしくは背景にある歴史についての説明があってしかるべき記事が多くあります。他の記事でも必要性が感じられる記述を、「もつ煮」のみに書かれている状態というのはもったいないと思われる方も多いかと思います。以上大きく2つの意味で、転記や分割が必要かと考えます。123のどれも同時進行で行うことできるかと思います。

私の考える、今後の本記事の方向性は以上です。実際に作業に入るにはしばらくかかる可能性はありますが、何かご意見がありましたら、よろしくお願い致します。--Baldanders 2009年4月28日 (火) 09:59 (UTC)[返信]

こんにちは、Koba-chanです。ウィキペディアの書き手と閲覧者の両方の立場から、逆の考え方を表明させて頂きます。

修辞とは、言葉を「飾り立てる」意味がある一方で、ある事柄を巧みな言い回しを用いて「効果的に表現する」という意味がございます。表現方法次第では冗長性が生じてしまうことは否めませんが、百科事典が閲覧者に対して理解を深めさせる性質がある点にも目を向けなければなりませんので、そこに書かれていることが、修辞であるかどうかの判定は読み手である百科事典の閲覧者の判断に委ねたほうが良いと思います。

百科事典の利用目的を考えますと、ある程度の知識をもつ方が自らがもつ知識を確認するために調べる場合もあれば、初学者が調べごとをする際の取っ掛かりとして広く浅く知るための網羅性も求められます。更に、初学者以前の知識の方々、言わば知識を持たない方々にあっては、百科事典は知識欲を満たすための広い意味での読物的な性質を併せ持つという点も外せません。読物的な性質はウィキペディアに限らず、一般的な百科事典すべてに通じます。初学者以前の知識の方々にあっては特定の調べごとから求める知識をまず得て、更に隣接した項目や解説に書かれている字句から新たな知識を得るチャンスも得ます。時には、これまで持っていなかった認識を新たにする機会を偶然に手にする場でもあります。

紙製の百科事典は紙幅の制約がありますので、時代時代に応じたその道の権威の方々が最低限度必要で最重要とされる事柄だけを取捨選択して執筆しています。時には字数の都合で読者の理解を深めさせるための修辞も断腸の思いで削除することもあるでしょう。対して、ウィキペディアでは、紙製の百科事典に比べますと、紙幅の制限が緩やかである点、取捨選択が「協同」作業で行なわれる点、閲覧利用者がその項目に求めているものが十人十色である点、等々から、修辞の是非については厳格な判定よりは、紙製の百科事典以上の緩やかな判定を以って記述されていたほうが、不特定多数の閲覧者には優しく、分かりやすいものが出来上がりやすくなると考えます。

知識のある方たちから見れば、修辞されている事柄は冗長に映ることでしょう。もつ煮という料理が鍋料理の一種、いわば煮込み、であると勘違いしていた私のような素人の立場では、そこに書かれている事柄が修辞なのか補足説明なのか判別がつきません。が、理解しやすさでは「冒険家として名高い、徳川幕府最後の将軍である」のように併記されていたほうが一読したときに飲み込みやすいと感じました。ウィキペディアの解説はリンク依存したものが多く、知りたい事柄がたらい回しにされてしまう傾向があります。更に突っ込んで知りたい時にはリンクはとても便利な機能ですが、知識を持たない人間からすれば初めて目にする固有名詞や個人名は無味乾燥な記号のように映ります。

調べものでウィキペディアを閲覧利用される方は好奇心や探究心や向学心等々の知識欲に動かされて訪れます。そうした知識を得ようとする方たちに対して、何かの折にウィキペディアを訪れた閲覧利用者に対して、ウィキペディアはどのくらい沢山のお土産を持たせ、得をした気分にさせて帰って頂くかという点が肝要であると考えます。百科事典は考ええるあらゆる切り口でその項目を多面的に解説するといった役割がありますので、紙幅を考えず、閲覧利用者に対する分かりやすさだけを念頭において編集対応していく必要があると思います。

ウィキペディアの解説は教科書や参考書を元に剽窃あるいは劣化コピーしたレポートではありません。閲覧利用者の知るチャンスをなくす権利はウィキペディアの書き手には委ねられていないと思います。

2.につきましては独自の研究を評せるほど知識を持ちあわせておりませんが、嘘が書かれていないのなら編集対応していただきたいと思います。

3. の「歴史部分の転記や分割」については無用な作業をせず、個々の記事で個々のメイン執筆者が必要性の是非を吟味した後に、必要であれば併記したり、ポインタを示せば足りることではないのでしょうか。ここでの編集履歴を遡りますと、一旦リバートされたものを更にリバートした根っ子の部分は「削除ありき」あるいは「削除を是」としており、削除したことへの正当化に書いている過ぎません。もし、削除を正当化したいのなら逆の立場にも目を向け、敵に塩を送ると同様に検討し、記述し、どちらがより一層閲覧利用者のためになるのか、という厳正に中立的な観点が必要です。

何かを愛でるという行動は長いこと付き合っていくうちに育まれる性質があります。喩えれば、十年来愛用してきたカップを何かのはずみで落として割ってしまった。周囲から見ればただの液体を入れる食器ですが十年間利用してきた当人からすれば人生の歴史の中で十年をともに歩んできた器です。著作あるいは執筆という行為も「愛でる」と通じる部分があり、少しずつの工夫を続けていくうちに大きく育っていきます。このセクションは、「今後の方向性」と題されてはいますが、多面的な方向性を書いていない以上、あるいは、複数の観点に立って考察していない以上、Baldanders さんは今しばらくはこの記事の編集に携わらないほうが良いと思いました。Koba-chan 2009年4月29日 (水) 11:40 (UTC)[返信]

コメント - Baldanders さんのご提案に賛成いたします。こういう言い方はどうかと思わないでもないのですが、Koba-chanさんの言うことにはあまり耳を傾けないで頂きたいと思いました。初学者にも分かりやすい・読みやすい記事を目指すという点については大いに同意したいところですが、この記事の現状はそれとは遠いもののように、また先のIPによる版の方が、そういった意味で改善されたもののように思います。--氷鷺 2009年4月30日 (木) 08:21 (UTC)[返信]

コメント - Balandersさんの提案を支持します。Balandersさんの提案は肉料理記事群全体の発展を促進するものであり, 単独記事「もつ煮」の完全性を優先し肉料理記事群の発展と網羅性を犠牲にした対案より優れたものと考えます。玩物喪志という言葉が示すように、作業の対象に心を奪われ適当な処理ができないようであれば、いずれ百科事典の作成を阻害する要素になるでしょう。そうした個別の記事への過度な愛着は個人サイトならならともかく、共同作業をその核とするウィキペディアには相応しくないと考えます。そうした部分を自ら律することのできるBalandersさんには是非本記事をはじめとする諸項目に関わっていただきたいと考えます。--Himetv 2009年4月30日 (木) 17:02 (UTC)--一部修正--Himetv 2009年4月30日 (木) 21:16 (UTC)[返信]

コメント - 修辞については特に意見はありません。独自研究の疑いについては(執筆者のはじっこにいる一人として)私も文献を探してみます。連休明けになってしまいますが…。 次に、内容の転記についてはBaldandersさんに賛成致します。ただ、転記したからといっても削除が必要とは思えないのです。2つの記事に内容が冗長化した場合はメンテナンスに手がかかるというデメリットがありますが、本項目をこのまま保つことで、本記事だけで「もつ煮」を軸とした体系的な情報を得ることができるメリットがあり、私はメリットの方が大きいと思いました。さほど問題になるほどサイズが大きい記事というわけでもありませんので、転記しつつ、かつ本項目も残す、というのはいかがでしょうか。いくらか修正が必要になるとは思いますが。--Almandine 2009年4月30日 (木) 18:48 (UTC)[返信]

コメント - 114.51.149.15さんの想定していたものと同じかどうかは分かりませんが、日本の獣肉食の歴史を立項しました。もつ煮その他の記事との整理も考えたのですが、単に記載を削るだけだと記事全体のバランスがおかしくなりそうなので、なかなか難しいところですね。もつの記述が簡単すぎるので、日本の獣肉食の歴史とこのもつ煮から記述を移して(または写して)充実させた方がいいような気もします。日本の肉食は日本の獣肉食の歴史へのリダイレクトにしてしまいましたが、鳥魚を合わせて別記事として立てた方がいいのかもしれません。--Freetrashbox 2009年5月1日 (金) 09:20 (UTC)[返信]

コメントFreetrashboxさん、お疲れ様でした。そして、素晴らしい記事をありがとうございました。ひとまず本項目に関連項目節を設け、リンクを設置します。--Himetv 2009年5月1日 (金) 18:38 (UTC)[返信]
コメントFreetrashboxさん。日本の獣肉食の歴史の立項、お疲れさまでした。今後も素晴らしい記事をよろしくお願いします。ありがとうございました。Koba-chan 2009年5月3日 (日) 03:04 (UTC)[返信]

転記部について問題が発生しているようですので、ひとまずそちらは復帰した上で、一部を書き換え及びコメントアウトとしました。私がかなり間歇的にしか参加できていないため、大きく書き換えるのではなく、コメントアウトで私見をピックアップした形を取らせていただきました。ただ、「広く認知され」や「見てとれる」といった表現については簡単には置き換えができず、また、他の独自研究部分などの扱いでしっかりと考える必要がある部分についてはそのまま残しているものがあります。よろしければご意見を頂けると幸いです。最後に今回転記された部分については、私は賛成です。--Baldanders 2009年5月13日 (水) 09:23 (UTC)[返信]

コメント 先に私は「もつ」の記事を充実させた方がいいかもしれないと書きましたが、単に転記するだけではあまりにWP:JPOVです。転記するのであれば、そのあたりの工夫もお願いします。--Freetrashbox 2009年5月23日 (土) 07:52 (UTC)[返信]

WP:JPOVというのは、もつにおいて日本中心になり過ぎるということでしょうか?それについては、今後翻訳をかけるなどで対応できるかと思います。しかし、その場合「もつ」という記事名でいいのかという問題もあります。そもそもJPOVの草案が示すものについても、意見が分かれるところかと思います。それはさておきまして、現在の記事内容としては、もつ煮というものを理解する上で非常に良い状態となっているのではないでしょうか?再びいろいろな問題をはらんでいる状態であるようですが、方向としては私の考えるところと同じであると感じます。--Baldanders 2009年5月23日 (土) 08:15 (UTC)[返信]
私もこの記事に関しては読みやすくなっているように思います。差し戻すよりはこのまま再編を進めた方がいいと思いますが、移動先の記事のバランスがおかしくなってしまうようではやっぱり具合が悪いのではないでしょうか。--Freetrashbox 2009年5月23日 (土) 08:39 (UTC)[返信]
どちらに重きを置くという話になってくるのかもしれません。もつに転記した部分は、日本部分の分量が大きくなったものの、もつを説明する上で必要な記述であることは間違い無いと思います。また、Freetrashboxさんも感じておられるように、本記事も読みやすくなっていることも事実だと思います。もつ煮というひとつの料理記事よりも、多くの記事で参照される可能性の高いもつの記述が充実し、なおかつ海獺さんの記述を無駄にすることなく本記事も読みやすくなったという点を考えると、現在の状況がそこまで悪い状態とは思えません。また、JPOVになったとおっしゃられましたが、あくまでももつにおいて日本部分の記述が充実したというだけであって、多少の修正が必要なのかもしれませんが、もつ=日本の特有のもの、日本以外に存在しないという観点から書かれた記事というものではないかと思います。今後、諸外国のもつ(単純にOffal=もつとしていいのか疑問なため、記事名についての疑問を呈させていただきましたが…)について、記述が充実すれば、さらに良い記事になるということではないか考えます。英語が得意なわけではないので、綺麗な翻訳で充実させます、とお約束はできないところですが…--Baldanders 2009年5月23日 (土) 09:01 (UTC)[返信]
(追記)もつの記事を読みなおしてみたのですが、JPOVを避けるのであればもう少し修正が必要かもしれませんね…。しかしながら、もともとの記事内容自体が日本におけるもつの説明に終始しており、臓物ではなくもつとしている以上、JPOVを避けるという観点からはもう少しいろいろなことを考える必要があるのかもしれません。--Baldanders 2009年5月23日 (土) 09:11 (UTC)[返信]
議論中のところ大変申し訳ないのですが、ブロック破りによる強硬な分割・転記ということで、一旦すべて差し戻しさせていただきました。ご了承ください。
私見を述べさせていただければ、先の編集は、コンパクトになり読みやすくなった反面、歴史を俯瞰できるような記事単体の完成度という意味ではぐっと退歩したように感じました。当のIPユーザ氏が行ったような加筆を伴わない単純な切り貼りではあまり発展が望めないと思います。--cpro 2009年5月23日 (土) 15:43 (UTC)[返信]
ブロック破りの編集なら戻すのも仕方ないですね。このブロック破りの方には文章力を感じるので、早くブロックが解除されてウィキペディアの記事編集に加わってくださることを望みますが(ブロックされた事情にもよるけど)、少なくともこの記事および関連記事の発展のためにはかえって邪魔になっているように思います。ブロックが解除されてからも他の記事の編集に力を入れたほうがいいでしょうね。--Freetrashbox 2009年5月23日 (土) 16:20 (UTC)[返信]
もつにヨーロッパ部分を翻訳してみました。実を申しますと、翻訳は初めてなため完成度としてはかなり低いものかもしれませんが、先に問題とされていたことを解決するための方向性は示すことができたのではないかと思います。差し戻しについては賛否を述べる立場にありませんが、やはり差し戻される前の記事の方が良いものだと感じます。以前から申しておりますように、あの部分はこの記事のみで担うべきものではないと考えます。完成度の考え方が違っているのだと思いますが、決して退歩などしたように思えません。そして、分割によって他の記事の完成度はぐっと増したと思います。もつ煮というのは、もつあってのもつ煮であるかと思います。もつは、記事中やリンク元を参照していただければお分かりいただけると思いますが、さまざまな記事と関わりがあります。それらの記事を考えると、本記事にのみあるという状況は非常にもったいなく思います。ただそういった意味では、本記事に残したうえで転記という選択肢もあるかもしれませんが、私としては見通しの問題も含めて…、といった感じです。--Baldanders 2009年5月23日 (土) 17:24 (UTC)[返信]
Baldanders さんが、この記事に対して熱心な編集を重ねておられる理由を若干でも知り、Baldanders さんとの共通点を得たいと思い、Baldanders さんにお尋ねいたします。この記事に限らず、Baldanders さんが構想しておられるウィキペディアの記事の在り方、或いは記事の方向性はどのようなお考えなのでしょうか。今回、発端となりました解説の部分的な往来を踏まえ、この記事を話題の中心として「分割と統合」を中心にお答え頂けますと助かります。ご回答は急ぎませんのでお時間の空いた時にお願いいたします。Koba-chan 2009年5月27日 (水) 11:00 (UTC)[返信]
Koba-chanさんのコメントに気づくまで少しばかり時間がかかった上、お応えするかどうか迷っていたのですが、「この記事に限らない」私の構想しているウィキペディアの記事の在り方、或いは記事の方向性につきましては、このノートにて述べるものではないと考えますので、差し控えさせていただきます。また、分割と統合につきましては、一部転記ということでよろしいのでしょうか?本記事の方向性につきましては、今まで述べさせていただいたもので十分ではないかと考えるのですが、具体的にどのあたりが分かりにくかったでしょうか?なお、コメントの一行目についてですが、理由や私とKoba-chanさんとの間で共通点を得る必要があるのでしょうか?その点、よろしくお願い致します。--Baldanders 2009年6月23日 (火) 10:37 (UTC)[返信]

半保護

イー・モバイルを使用したブロック逃れによる投稿が相次いだのと、またその投稿への差し戻しが携帯電話 (iPhone) より繰り返されたため、2週間の半保護としました。携帯電話ブラウザからの投稿はjawpではブロック対象ですので、iPhoneの方はPCでのご投稿をお願いいたします。

記事の整理については引き続き議論をお願いいたします。--cpro 2009年4月27日 (月) 11:50 (UTC)[返信]

あるイーモバイルIPユーザです。おかしいのでは?
  • ログを見たが、「イー・モバイルを使用したブロック逃れ」というのは、いまのところ海獺氏ひとりによる「ブロック逃れの疑い」という主観のみであり、追認依頼も出されておらず、コミュニティによって追認されている確定事項ではない。ブロック逃れなのでブロック処置というその単独行為については、これは現在追認も否認もされておらず、ちゅうぶらりんのままで、本人より抗弁がなされない限りはこのままうやむやでも良いかもしれない。しかしその確定事項でないものをまるで確定事項のように扱い、それを土台にさらなる処置をするCpro氏の行為は手続きとしておかしい。
  • 最初のIP氏投稿への差し戻しは、海獺氏のRVを否定したBaldanders氏はもちろん、氷鷺氏も支持している。現在、海獺、Ks aka 98氏がBaldanders氏のノートでそれに反対する私感を表明しているが、それはただの意見表明であって、なんら方針に基づく正当性を実証するものではないこと。
  • つまり、IP氏の編集を妥当と考える人多数であるが、その編集への差し戻しについては、現在ただ、かたくなに反対する人もいるので、それに遠慮して現在保留されているだけにすぎない。FreetrashboxはIP氏が当初宣言した日本の肉食をつくる、という考えを取り入れて素晴らしい記事を短期間で執筆されたものの、なお、本項自体については百科事典で不要な修辞の除去などかんたんな修正はもちろん、他の項目と合わせて整理という作業はまったく進められ無い状況。
  • こういう状況をふまえ、その経緯に携帯電話 (iPhone) で、当初のIP投稿への差し戻しが実質支持される編集があって、それを差し戻し、半保護というのは、現在判断がわかれていてどっちも動いていない状況を、無理矢理自分が支持する方向へ固定し、支持勢力を排除する実力行使のように見えることが問題。
  • 井戸端でも話題になっていたが、Wikipedia:半保護の方針によれば、
深刻な荒らし被害に遭っているページのみ半保護にする。 ページを半保護するためには荒らしの明確な証拠が必要です。深刻な荒らし被害を現に受けていない場合は、ページを半保護してはいけません。
半保護は一部のユーザーの編集のみを禁止するため、編集合戦、差し戻し合戦などの、論争を伴う事態への対処として適当ではありません。
  • 「深刻な荒らし被害」というのはどこにも見られない事。ブロック逃れの投稿だから、というのは、追認されている確定事項ではないし、ましてやその逃れの投稿によって「本項が深刻な荒らし被害」を受けているわけでもなく、むしろ積極的に改善するための投稿であること。
  • 差し戻し合戦、論争を伴う事態への対処として適当でない、と明記されているにも関わらず、今回の騒動がまさにそれなのに、半保護をもって対処していること。
以上、Cpro氏の今回の差し戻し+半保護処置をこのまま黙認することは、IP氏の投稿を擁護するほうは悪い、荒らし行為である、そして戻す方は正しい、という評価に暗黙のうちに決めかねないと思い、指摘しておきたいと思います。--114.51.147.13 2009年5月4日 (月) 22:56 (UTC)[返信]


とりあえず、しばらく進展もなく、上記の議論にて、反論もない、不適切な修辞の除去、修正、および、もつの栄養についての節はもつへ移動させました。--114.51.162.244 2009年5月13日 (水) 00:51 (UTC)[返信]

現状ですともつの改版時刻が2009年5月13日 (水) 00:48(UTC)であり、その時刻における最新版が除去後の版になっています。申し訳ありませんが版の時刻を特定する「もつ煮(2009年5月11日 (月) 14:09)から移動」と版を指定するか、記述削除前に移動先の改版を行うようにやり直していただけませんでしょうか。--Himetv 2009年5月13日 (水) 02:36 (UTC)[返信]
Wikipedia:削除依頼/もつが提出されました。--Himetv 2009年5月13日 (水) 05:09 (UTC)[返信]
先ほど版時刻を特定して再度もつに記述を加えました。加えた内容は。114.51.162.244さんが加筆した内容と同じです。--Himetv 2009年5月14日 (木) 09:14 (UTC)[返信]

男爵ディーノ他について

出典とされている外部リンクについてなのですが、これはWikipedia:検証可能性を満たすものではないと考えます。一度目(二度目もですが)で「など」に集約してしまったことについてはお詫びしますが、このリンクを含めた文章については編集してしかるべき部分ではないかと考えます。ただ、一度目の出典とされていた部分のみを削る方法については問題も含んでいるため、ひとまず男爵ディーノの部分について編集してみました。(単純に後の記述を含めて必要なものであるかもやや疑問ではあるのですが…)ご意見お願い致します。--Baldanders 2009年6月23日 (火) 10:53 (UTC)[返信]

ども。「Wikipedia:外部リンク」でいう外部リンクの基準と、WP:V#自主公表された情報源ほかの基準は異なりますから、誤解を避けるためにも差し戻しさせてもらいました。[2]の除去は妥当だと思います。百科事典として必要とされるけれど十分資料がないような分野では、この種の情報は、掲載は難しくとも、加筆のための資料を探す上では手がかりとなりますから、ノートに転記するなどしていただけると助かります。--Ks aka 98 2009年6月23日 (火) 19:13 (UTC)[返信]
ks aka 98さんの「差し戻し」[3]によって復活されたocnのサイトは,個人のウェブサイトのようですので,WP:Vのいう「適切な情報源としては認められない」典型例である,と,私は考えました(参照:WP:V#自主公表された情報源 (WP:V#SP)「...個人のウェブサイトやブログは、原則として適切な情報源としては認められません」)(このOCNサイトが「適切な情報源」として認められるということであれば,その理由,および,WP:V#SPで認められるとする「個人サイト」の具体的基準やそれが議論されたリンク等をお知らせください >Ks aka 98さん)。私としては,なんこ鍋の現時点の脚注1の歌志内市サイト(の親ページ)の方が,参照元としてより適切であると考えましたので,そちらにリンク先を変更しています。 なお,www.up-v.comはデッドリンクなのですが,復活された理由が私には分かりませんでした。また,「豚・牛の内臓料理」と定義されたもつ煮の記事の概要の節に,馬肉(馬腸)料理の説明が延々と並んでいたり,歴史の節に肉食料理の歴史が延々と並んでいるなどの,現在の記事の状態に関して,私は(も)かなり違和感を感じています。Baldandersさんによる記事修正の方向性に賛意を表明しておきます。なお,馬肉(馬腸)料理について触れるとしても,馬肉料理が馬腸料理に変わったようだ,とする,なんこ鍋に関する歌志内市(及びocnの個人サイト)の記述とは異なる見解のみが記載されていること等にも,かなり疑問を感じました。--Snafkin000(旧称Anonymous000) 2009年6月25日 (木) 22:35 (UTC)[返信]
(割り込みすいません)「馬」のところだけ自己解決。定義部分について、広辞苑第六版(など)を典拠に、もつの定義とも併せ、「牛・豚」→「鳥獣」に変更しました([4])。これで、概要節の説明が、冒頭といくらかはマッチしたのではないでしょうか?元の「牛・豚」の定義は脚注に残しましたが、とってもいいかもしれません。その他コメントアウト部分に若干の記載をしています。--Snafkin000(旧称Anonymous000) 2009年7月2日 (木) 18:02 (UTC)[返信]

お久しぶりです。

  • 差し戻しは、出典情報のみを「Wikipedia:外部リンク」を主な理由として除去していたことからの対応です。本文での指針はWP:Vですし、除去するなら対応する本文も除去しなければ、その記述が曖昧な情報源を元にしていて、不確かさを含むものであることを剽窃を生み出すことになってしまいます。男爵ディーノの記述の除去、ocnのサイトのリンクの張替えのいずれも妥当なものだと思いますよ。
  • 記事の修正の方向性については、Baldandersさんの方向に反対するものではありません。歴史部分の「食肉と内臓食の歴史について」「肉食の禁止令」あたりは他の項目でまとめられるならば転記や分割の上、そちらを主記事として概略をこの項目に残すという形が望ましいと思います。ただ、本項目のなかの記述として書かれたものですから、単純にどこかへ移動すればいいというものではなく、日本の内臓食の歴史に限定するとしても、補うべきところ修正をしていく必要があるところはあるでしょう。この項目の性質や資料の少なさからその作業は難しいと予想できますし、ぼくも調べてみてはいるのですが、実際てこずっていて、相応の準備が必要だと思っています。--Ks aka 98 2009年6月26日 (金) 13:14 (UTC)[返信]
どうもお久しぶりです。ごあいさつが遅くなりました。
なるほど、出典のみを除去すると、「独自研究」などとの見分けがつきづらくなる、といったところでしょうか。私は、WP:ELについては、(WP:Vの補助である)WP:RSの補完文書としての性格も併せ持つ、というような認識をしていたので(参加をはじめたばかりの大昔に、ELの公式化前の議論にちょっとだけ顔を出した程度での理解ですが)、EL違反として不適切な「出典リンク」を除去するのもいいんじゃないかという気もしていて、差し戻しには依然違和感があるのですが、まぁいいです。
大衆料理である「もつ煮」という性格上、資料の手に入りにくさは確かにありそうです。ちなみに、日本大百科事典には「もつ」の項目があり、もつ?もつ煮?の記事執筆の上で参考になるかもしれません。
で、この記事については、既にあるもつブタ、(日本の獣肉食の歴史)などとかなり記載が重複していますので、重複部分を除去ないし要約するとともに、重複していない部分でもつ煮との直接の関連性が乏しい部分をそれぞれ適切な記事に転記等して、「料理記事」であるこの記事は大幅に簡略化できそうな気はします。一部転記の方向で合意できれば、細かいところはBaldandersさんに一任すれば大丈夫ではないでしょうか?(ちなみに「日本最古の橋」だの、「豚の家畜化の歴史的な考察」だのという説明は、ブタに書くならともかく、『もつ煮#歴史』に必要だとは、とても私には思えないです(^^;;
(署名)--Snafkin000(旧称Anonymous000) 2009年7月2日 (木) 18:02 (UTC)[返信]
えーと。ぼくの理解では、外部リンクってのは外部リンク節に置かれる外部の役立つサイト、参照すべきサイトであって、検証可能性とは関係ないもの。不適切ならURLを削除。たまたまネット上にある情報源を用いて記述を行っている場合は、資料としてのふさわしさはともかく、まずは明示すべきであって、WP:Vで書かれているような信頼性を判断基準として、不適切として除去するのであれば記述ごとの除去となると考えます。
再構成するということであれば、「もつ」の用例がどのへんまで遡るかにも拠りますが、ぼくは「もつ」を「畜産副生物」へ移動することを視野に入れていました/います。また、基本的な辞書・事典類はいちおう見ましたが、そこから先の資料は、量の多寡だけではないところも含めて、かなりてこずります。近代日本の内臓食のなかでは、煮る・ゆでるというのが基本的な料理法と言えそうではあるんですが、地域差や時期の違いなどについて、包括的に扱った資料というのは見当たらないですし、ある程度まとまっていそうなものは、国会図書館にも所蔵がない、あるものでもマイクロフィッシュで未デジタル化とか、あるいはライフヒストリーのような扱いが難しいものが重要視されているとか。だから、「もつ鍋」なら、「大衆料理」として簡潔にまとめるとしても、「もつ煮」として項目を立てるなら、ひょっとしたら歴史的なことも含めてここで記述したほうがいいのかもしれないなんてことも思うんですよ。日本と他国、食用と飼料や工業用の違いとかのバランスや振り分けというのは、ちょっと悩ましい。そういう状況なので、この周辺の記事構成をどうするのがいいか、ここの記述を振り分けるのがベターなのかというところもちょっとはっきりしないし、ここの記述を他記事に振り分ける上で、ぼくが最低限必要だと思う加筆・修正のための情報も得られていないというところなのです。とはいえ、加筆を阻害したくもないので、ちょっと困っているところ。Baldandersさんさんの「もつ」への加筆や、Snusmumrik000さんのこまかいところの修正は、歓迎なのです。--Ks aka 98 2009年7月2日 (木) 19:53 (UTC)[返信]
レスがはやい(^^;;いくつか文献などぱらぱらとあたってみました。
もつについて、(主として)学術的に説明をしたいのであれば、既に「畜産副産物」の記事がありますのでそちらに記述するか、又は、別途「畜産副生物」の記事を立ち上げて記載するのがよい、と私は思います(農水省のサイト等をみると、BSEの特定危険部位の範囲をめぐって、小腸全体を含めるのか、回腸遠位部のみとするのかなど、OIEの会合で国によって主張の違いなどもあったようで、興味深い内容の記事が作れそうですよ。なお、「畜産副産物」の定義を少しいじっています。
それから、「近代日本の内臓食のなかでは、煮る・ゆでるというのが基本的な料理法と言えそう」というKs aka 98さんの主張の根拠となる記載がある『基本的な辞書・辞典類など』を具体的に教えてもらえますか?私がざっと調べた限りでは、近代≒明治時代〜戦前ではないですが
  • 1960年代半ば頃までは生の内臓が行商で売られていた。1960年代後半以降、「ホルモンが食生活に身近になった」ことによってに内臓の需要が激増し、スーパー、ホルモンの仲買人、焼き肉屋などに販売するようになった。といった記載(桜井他『屠場文化』創土社、2001,176p.-)
  • 畜産副産物協会がH10頃(BSE問題の発生前)に作成した内臓(副生物)の利用状況のリストには、焼き鳥(ブタ)・焼き肉(ウシ、ただし部位により煮込みもあり)が最初に上げられている(『食肉の科学』37-2、204-207p.、但し孫引き
などの記載を確認できたのですが、「煮る・ゆでた内臓料理が基本的」というような記載がされた文献を私はいまだ確認できていないのです。--Snafkin000(旧称Anonymous000) 2009年7月12日 (日) 18:24 (UTC)[返信]

とりいそぎ。

  • 「具体的に」:明治から戦前の、同時代的な複数資料からの判断です。まとまったものがないから苦労しているですよ。戦後(というか、高度経済成長期から、かな)は様々な調理法が用いられていますから、もつ煮で歴史を触れるとしても、日本におけるホルモン焼きやモツ鍋の流行といったものは、「もつ」で触れるということになるでしょう。
  • 畜産副産物/畜産副生物:ここは悩んでいるところで、「もつ」という表現をどう受け止めるか、ですよね。「もつ」は地域的な用法でもあるので学術的な言い換え表現としての「畜産副産物」がいい(「もつ」はリダイレクト)とも思うけど、「畜産副産物」は畜産業を前提としての表現ですから、広く食材としての内臓肉という意味では適切ではないかもしれません。「畜産副産物」は、ホームページの説明では、いまいち定義がはっきりしないようにも思いますから、協会が出している書籍をあたる必要があるのだろうな、と。--Ks aka 98 2009年7月13日 (月) 05:50 (UTC)[返信]
レスは急がなくても全然大丈夫です。(こんなペースでレスをする私が言うのも何ですが^^;;)ともあれ、お返事が遅くなってすいません。私の方で、この記事のもつ煮#参考文献などを直接あたってみました。
  • 佐々木『焼肉の文化史』(明石書店、2004)では、内臓食に関して、かなり詳細に、出典付きでまとめられています(特に3章「日本の焼肉とホルモン料理」(54-123p.)、4.1章「内臓焼肉の系譜」(123-142p.)、7章「日本の内臓食を掘り起こす」(249-306p.) など)。この中で、戦前(明治の終わり頃)の内臓料理について、「内臓料理の中ではモツ焼きが最も普及したが、その他にもモツの煮込みや、モツを使った牛飯(牛丼)などが、都市の庶民に愛好された。...」 (同書69p.、強調は引用者による)という記述がありました。明治から戦前に「もつ(の)煮(こみ)」が「基本的な料理法」だと直接的に示した文献をks aka 98さんの方でお示しいただくことができないようであれば、それはks aka 98さんが「...もつ煮として項目を立てるなら、(中略)歴史的なことも含めてここで記述した方がいい」と主張する理由の根拠を示すことができない(その主張自体がまさに、独自研究(発表済情報の合成)でしょう^^;; もっとも、私自身は個人的には、ある程度の独自研究は止むを得ないというスタンスの人ですが...)ということになりませんでしょうか?
  • 畜産副産/生物について、もつが「地域的な用法」というのも私にはよく分かりませんが、「もつ」を「畜産副生物」に名称変更(ページ移動)した方がよいとお考えであれば、ノート:もつなどでご提案頂くといいと思います(私は改名にはあまり賛成ではありませんが)
ついでに、もつ煮が基本的な内臓料理だ、という立場(もしくは、もつ煮を「大項目」にすべき、という立場)に立つとすれば、BSEに関する小腸の危険性に関する国際比較(日本の反対にもかかわらず、2004年のOIEの決定で全小腸が特定危険部位に指定されたが、その指定にもかかわらず、日本国内では回腸遠位部のみが特定危険部位として除去されていることなど)について、この記事の中に書くのも一つの選択肢となりそうですが、少なくとも私は、それが良いとは思っていません。
ということで、Ks aka 98さんは、依然、「もつ煮の記事に、内臓食の歴史的なことも含めて、詳細に記載すべき(かもしれない)」という主張を維持されますか?--Snafkin000(旧称Anonymous000) 2009年7月28日 (火) 18:00 (UTC)[返信]

佐々木『焼肉の文化史』は参照しています。理屈付けと資料の時代の並びとの対応にちょっと雑なところがあって、整理に難儀しています。詳細に情報源を示しているわりに、「モツ焼きが最も普及した」には根拠が示されていなくて、1890年代あたりから1910年代くらいまでの情報源を見ると、焼き鳥または蒲焼と、煮売りや煮込みの記述に大きな違いはない。誰かが佐々木本を情報源として「モツ焼きが最も普及した」と書いたり、それにしたがって編集することを差し止めるつもりはないですが、自分で書こうとする際には、佐々木の記述だけを頼りにはしない、そのかわり、他の情報源から合理的な理由を示せないなら、それに反する記述もするつもりはない。

前にも書いたとおり、Snafkin000さんが参照されている資料を基にして、加筆したり移動したりすることは歓迎するのですよ。ただ、そこにある記述について、ここにはこう書いてあるがどうか、これはどうするのか、と問われても、今のところはこうなんじゃないか、こうかなあ、という暫定的な返事しかできないし、十分根拠を示すこともできないでしょう。「取り急ぎ」という返信をしているのは、そういう意味でもあります。要するに、記事間の構造も含めた全体像をぼくは把握し切れていなくて、新しい資料を読むごとに判断は揺らいでいます。これも前にも書きましたが、ここの記述を他記事に振り分ける上で、ぼくが最低限必要だと思う加筆・修正のための情報も得られていないというところなのです。加筆・修正のための最低限必要な情報量というのは、人によって違うでしょうし、ぼくが自分で書くとき、特に項目間の転記を伴う編集では、かなり閾が高くなっていると思います。ぼく自身は積極的に「もつ煮」あるいは「もつ」関連項目を充実させようとしているという意識はなくて、ここにある情報量を損なわず、転記する際には自分なりに妥当と思えるように記述を改める程度のことしか考えてはいないのですが。

「もつ煮」が大項目、あるいは「近代日本」という限定をはずして「基本的な内臓料理」という立場は、これまでも、これからもとらないでしょう。「もつ煮の記事に、内臓食の歴史的なことも含めて、詳細に記載すべき(かもしれない)」とは書いたことがないはずですが、「ひょっとしたら歴史的なことも含めてここで記述したほうがいいのかもしれないなんてことも思うんですよ」程度のことはまだ否定し切れていない。とはいえ、焼き鳥や鋤焼のことを考えると、「基本的な料理法」は言い過ぎかなとも思い始めています。

たとえば、「もつ」を一般的な項目とすると、そこでは日本に限定しないで食用としての鳥獣肉の内臓全般を扱うこととなって、肉食文化を持つ諸国、つまりほとんどの国の内臓食を扱うことになります。栄養価や代表的な各国の調理法などはここで触れるとして、歴史記述についての情報源を、ぼくはほんの断片しか得ていません。そこで、日本の鳥獣肉の内臓食については、わかりにくい項目名であることを覚悟の上で別に立てる。では、日本同様に比較的長期にわたって肉食を忌避する文化を持った韓国/朝鮮はどうしようか、それから、呼称についての記述はどこで書くのがいいのか、というのが、今の悩みどころです。また、古代から近世にかけては日本の鳥獣肉の内臓食を扱う項目を主とするとしても、近代以降は概観に留めて、焼き鳥、鋤焼、焼肉(あるいはホルモン焼き)などの詳細はそれぞれの項目で記述されるのがよいのではないか、その場合、家庭料理や高級料理、料理書に現れる内臓料理などはどうなるか、といったところも、ちょっとわからないでいます。

逆に、どうするのがよいという考えがあれば、教えてください。--Ks aka 98 2009年7月28日 (火) 19:41 (UTC)[返信]

キャプションについて

3つ写真が載っていますが一番上の写真だけ店名が入ってます。店名を記載する必要はあるのでしょうか?もしくは記載しなければならないのでしょうか?一枚だけ載っているので宣伝しているような気がします。ウィキペディアのルールについてよく分からないので、みなさんのご意見お願いします。--Chichiii 2009年12月13日 (日) 15:36 (UTC)[返信]

必ず記載しなければならない訳ではありませんが、削除する必要もないと考えます。確かに煮込みは各店によってその具材や色あい、盛り付けなどが異なるので、特定の店の例であり全てを内包するものではないことを説明するために店名を入れておくことは有用ですし、宣伝にもあたらないでしょう。--Himetv 2009年12月13日 (日) 17:54 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。よく見てみたら、後ろの方に記述してある新宿のお店も名前が明記されていました。せっかくですので、ファイルを追加しました。--Chichiii 2009年12月13日 (日) 22:35 (UTC)[返信]
もともとは、東京の三大煮込みに関する記述があったのですが、そのうちの一軒の「大はし」店の煮込みは、内臓を使用していないという理由で記述が除去されています[5]太田和彦氏は居酒屋探訪家としても著名であるので、出典付での記述として「ただし、『大はし』の煮込みは牛煮込みであり、内臓は使用していない」という注釈付で、三大および五大煮込みについての文章を「近代東京のもつ煮」のセクションには有用な記述として生かしたいとは思ったものの、個人的に少しこの記事からは距離を置くべきかとも思っていましたので、そのままにしてあります。
「岸田屋」の煮込みは、前述の三大煮込みの中に含まれており、その出典があることから、代表的なもつ煮込みとして画像を入れました。新宿の店のもつ煮込みは、冒頭の「醤油および味噌で味付けし」という文章とは異なる、塩ベースのもつ煮込みなので「味付けも多岐にわたっている。」という文章の補完のために画像を入れました。以上が二点の画像の店名記載の理由です。--海獺 2009年12月14日 (月) 08:43 (UTC)[返信]
申し訳ありません、詳しい説明ありがとうございます。写真を追加したせいで、記述の方がさみしくなってしまったので、よろしければ加筆して秀逸な記事を目指してください。--Chichiii 2009年12月14日 (月) 10:16 (UTC)[返信]

九州地方のもつ煮、もつ鍋

>九州地方にはもつ煮よりも、博多を中心としたもつ鍋の文化の方が定着しており、 (2010年4月25日 (日) 08:33 UTC)

との記述ですが、ラーメンとは違い(博多ラーメンと九州ラーメンは近縁にある)、博多もつ鍋については、九州全域に広まってるとは言いがたいはずです(いわゆる博多ローカル)。訂正求む--220.221.205.106 2010年7月13日 (火) 07:38 (UTC)[返信]

肉食と内臓食の歴史について

本文に「この地域はその後、百済野、百済郡といった呼ばれ方をされており、仁徳天皇の時代に百済からの渡来人によって豚を飼育するという文化がもたらされ、地域として割り当てられていたと考えられる[11]。鶴橋駅周辺がコリア・タウンと呼ばれ、文化として残っているのはこういった歴史的な背景によるものである。」とあるが一千年以上の歴史的断絶を経て近代に入ってからの移民が形成したコリア・タウンと関連づけるのは無理があるように思う。著者は図書館通いは得意だが人生経験は少ないのであろう。--Mikkabie 2011年8月24日 (水) 05:30 (UTC)[返信]

出典のある記述の後にどなたかがORを書き込まれたのではないでしょうか?削除しておきました。--Chichiii 2011年8月24日 (水) 13:31 (UTC)[返信]
申し訳ありません。初版投稿者が最初から記述されたもののようです。悪戯じゃないと思いますのでちょっと確認してみます。--Chichiii 2011年8月24日 (水) 13:40 (UTC)[返信]

やっぱり、おかしいですよね、この記述は。筆が走ったと言うか。どうもありがとうございます。--Mikkabie 2011年8月24日 (水) 14:09 (UTC)[返信]

その部分の出典となるURLは現在リニューアル中で正確な内容は確認できませんが、現時点での脚注No11にかかれている「猪甘津猪飼野1600年」で検索すればすぐにわかるとおり[6][7]、この地域は1600年の日韓交流としてアピールしているほどなのです。関連付けをこの記事で行っているのではありません。
Mikkabieさんとは、ただいまMikkabieさんお会話ページにて別件のお話をしているところです。ご気分を害されているのかもしれませんが「著者は図書館通いは得意だが人生経験は少ないのであろう。」とわざわざ書いていらっしゃるところから見ても(言葉は悪いですが)今回の指摘は記事の内容というよりも私への報復的な背景があるように感じます。
Chichiiiさんが当該箇所を除去されたようですが、上記の背景などについて確認していただいた上で、除去するに値しないと思うならば復帰をしておいてください。少なくとも記述した私の独自研究ではないことはご理解いただけるはずです。--海獺 2011年8月24日 (水) 14:14 (UTC)[返信]
まあ、書き方の問題でしょうね。除去しちゃうのはもったいないけど、そのまま戻すのも微妙ですね。書き直してみましょうか。あと、Mikkabieさん、こういう場では余計な一言を加えないのがよろしいでしょう。--アイザール 2011年8月24日 (水) 14:22 (UTC)[返信]
上記リンク拝見させていただきました。当該リンクを出典として上記の記述をするのはORではないでしょうか?1600年前に我々のご先祖様が滅亡した百済国からいらっしゃったということと現在のコリアタウンとの継続性に係る記述は見受けられませんでした。--Chichiii 2011年8月24日 (水) 14:26 (UTC)[返信]
自己参照となってしまうかもしれませんが、さしあたって生野コリアンタウンなどの記事もご覧になってください。--海獺 2011年8月24日 (水) 14:29 (UTC)[返信]
上記の記述が容認されるのならば、韓国人居住地域はみな百済に端を発するものとするプロパガンダが書き込まれる恐れがあると思われます。生野コリアンタウンの現在の記述も上記の記述を支持する内容ではないと思われます。--Chichiii 2011年8月24日 (水) 14:31 (UTC)[返信]
書き直しましたけど、どうでしょうか?--アイザール 2011年8月24日 (水) 14:34 (UTC)[返信]
朝鮮人居住区域であると書く必要があるのでしょうか?また、「集められ」とはどういうことでしょうか?「集まった」ではないでしょうか?食べ物の項目にステルス的に政治的な主張を盛り込もうとしているようで違和感を感じます。--Chichiii 2011年8月24日 (水) 14:38 (UTC)[返信]
ふーむ、ステルス的ですかあ。私なんかはせっかくだから、ここが現在コリアタウンだって書いてある方が知識が増えて楽しいですけれどね。「なお、大正時代以降には、朝鮮からの移民により当地にはコリア・タウンが形成された」くらいですか? 脚注にしてしまってもいいのかなあ。--アイザール 2011年8月24日 (水) 14:45 (UTC)[返信]
百済人が家畜を飼っていたという古代に関する記述の直後に、何ら継続性もない1500年後に来日した朝鮮人の記述を書く必要があるのですか?--Chichiii 2011年8月24日 (水) 14:49 (UTC)[返信]

(インデント戻す)現在のコリアタウンの案内にも百済からの渡来人のことは言及されているわけですから、関連がないとすることは無理があると思います。この記事の中でその情報を書くか、あるいは書かないかということだと思いますし、すくなくとも根も葉もないことではないという意味では、独自研究ではないことはご理解いただけたと思います。Chichiiiさんからすると 生野コリアンタウンの中の記述の「もともと古代からこの地は渡来人が多数住みついており」の「もともと」すら現在の姿に関連付ける語句として違和感があり、政治的な主張やプロパガンダに感じるということなのでしょうか?--海獺 2011年8月24日 (水) 14:53 (UTC)[返信]

(追記)単に違和感があるとしてすぐにリバートされるのでしたら、ここでの議論をする意味がありません。中立的な観点という意味合いでChichiiiさんのスタンスに大きな疑問を感じます。--海獺 2011年8月24日 (水) 14:57 (UTC)[返信]

  • 御自身の初版の記述に手を付けられたことで何か意固地になっていませんか?客観的な方だと思っていたのですが。それでは、私が除去した鶴橋駅周辺がコリア・タウンと呼ばれ、文化として残っているのはこういった歴史的な背景によるものである。の説明をお願いしたい。
  • 現在のコリアタウンを紹介するウェブサイトに当該地域の歴史を書くことには何ら問題はないでしょう。それはコリアタウンというものが出来る前のその所在地について紹介するものですからね。それにそれはそれらの団体のPOVを喧伝するものであって客観性も、極論すれば真実性も問われるものではありません。この項目はもつにです。関係ないコリアタウンについての記述をねじ込むのは不自然です。--Chichiii 2011年8月24日 (水) 15:06 (UTC)[返信]
先ほど書いたように、この記事に載っている必要がない情報かどうかという観点では、記述が残っても、消されても、書き換えられてもよいと思っていますので、依怙地になっているわけではないのです。会話ページにお越しいただいたということはWP:ORに関しての見解や説明を求められているということだと解釈したので、ここで説明しております。しかしながらChichiiiさんのお話は当初と論点が変わってきています。もともとは独自研究であるから除去というお話だったはずです。それが政治的という語句やプロパガンダという語句が出てきて、だからこの記事に相応しくない記述であるという風に変わっているようです。鶴橋駅周辺はコリアタウンと呼ばれていて、その歴史が語られるとき、もともとこの地区には渡来人が住み着いていたことがいろいろな資料で示されています。これは情報の合成ではないわけですから、独自研究ではないと言うことはご理解いただけているのでしょうか? まずは落ち着いて論点が変わっていってしまってことに気づいていただくことからはじめてください。--海獺 2011年8月24日 (水) 15:16 (UTC)[返信]
まあお二人とも、あんまり記事内容とは関係ないことは、控えめにしたほうがいいかなと。話を一番最初の記述に戻しますと、これは独自研究とは言えないでしょう。この論点でのお話はもうそれでいいんじゃないでしょうか。で、記述表現に入りますと、私も「歴史的な背景」っていうのはちょっと思わせぶりで拡大解釈を誘うのでまずいかな、と思います。でもやはり一読者としては「現在はコリアタウン」ていう、さらなる情報への小さな橋がかかっていてくれた方が嬉しいです。--アイザール 2011年8月24日 (水) 15:20 (UTC)[返信]
渡来人が居住していたことについては何ら問題としておりません。問題なのは鶴橋駅周辺がコリア・タウンと呼ばれ、文化として残っているのはこういった歴史的な背景によるものである。という記述であります。また、項目「もつに」にもつににまつわる地域のうちの一地域の現在の居住民族について記述する必要があるのかということです。関連性のないものごとを強引に結びつけた記述や「集められた」なるアイザールさんの記述について政治的と申し上げているのです。--Chichiii 2011年8月24日 (水) 15:26 (UTC)[返信]
リバートされてしまっていますが、アイザールさんの書かれた版で、私はよいと思います。アイザールさんと同様、(文章表現はお叱りを受けましたが)現在に至る情報として記載をしたいと思った部分であるということです。「記述する必要がない」というChichiiiさんの判断がこの記事にとって有意義であるならば、もう何も言うことはありません。--海獺 2011年8月24日 (水) 15:34 (UTC)[返信]

まぁ、資料はないが常識的に考えて仁徳天皇時代の百済移民と現在の鶴橋の在日朝鮮・韓国人に関連はないと思う。 埼玉県にも高麗郡があったがそちらの検証はお済みなのですか? 三韓統一以前の百済移民を韓国人と呼んで良いのかも疑問に思う。詳しく調べてはいないが所感です。 なんでこんなにモツ煮が盛り上がってるのか判らないのは私だけでしょうか?よくわからん・・・。--Mikkabie 2011年8月24日 (水) 15:36 (UTC)[返信]

Chichiiiさんとしては「1600年前の人たちの後裔がそのまま住み続けて、現在のコリアタウンが形成されている」というニュアンスを感じ取って、それを許容できないと仰っているわけでしょう。でもそれを感じとるのも、ちょっとバイアスかもしれません。じゃあ逆に「歴史的には途絶しているが現在はコリアタウン」って旨を一言書いておいたほうが、Chichiiiさんの御意見に近くなるんじゃないでしょうか。ただあくまでも付言なので、短くまとめないとですが。
それと、「同じ地域」というのは強烈な関連性だと思いますし、この記事で言及される地名の中で、(偶然にも現在)もつ煮とも近い臓物食文化のある地域となっている、というのは一言書いてあっていいんじゃないかなと、判断するわけです。上でMikkabieさんがおっしゃるような歴史認識の話ではなくて、もっと単純な話です。私は関連知識が広がる方が楽しい、という立場なだけです。私の書き方についてですが、突貫で記したのでおかしいところがあったかも知れません、「集まった」でも、「移り住んだ」でも、「渡航してきた」でも何でもいいと思いますので修正してくだされば。ひとまずパソコンを離れます。--アイザール 2011年8月24日 (水) 15:42 (UTC)[返信]
ちょっと待ってください。話の経緯をきちんと読んでいますか?私は当初、出典のある記述の後にいたずらでORが書き込まれたと思ってたわけでサクッと削除したわけです。ところが、この項目は大韓民国と同様にIPが編集できないよう無期限半保護されているので、韓国IPによるいたずらは書き込めないはずなので、おかしいなって調べたところ、初版から記述されていた上に、良質な記事にまで選ばれてたわけです。ですから、初版投稿者や良質な記事に選んだ方達はこの地域はその後、百済野、百済郡といった呼ばれ方をされており、仁徳天皇の時代に百済からの渡来人によって豚を飼育するという文化がもたらされ、地域として割り当てられていたと考えられる[11]。の直後に鶴橋駅周辺がコリア・タウンと呼ばれ、文化として残っているのはこういった歴史的な背景によるものである。ということを含めて良質な記述だと判断されたわけでしょう。私自身は単なるいたずらだと思うほどのものだったので「1600年前の人たちの後裔がそのまま住み続けて、現在のコリアタウンが形成されている」というニュアンスを感じ取ってということはないのでバイアスも何もありません。何ら違和感を感じずに書き込んだ人や良質な記事に選んでしまった人たちのなかにバイアスにかかっているだけでしょう。に知らず知らずかかっていた人がいたかもしれないと捉えることもできるでしょう。記事の隅から隅までチェックしたうえで投票に臨むと言うことはなかなか難しものですから、多くの方はそこら辺にはあまり気がつかなかったというところ実際がでしょう。あくまでも、対照的に見ていただきたかったので述べさせていただきました。--Chichiii 2011年8月26日 (金) 20:25 (UTC)--Chichiii 2011年9月3日 (土) 14:55 (UTC)[返信]
何故集まったのかについては[8]ではいくつかの説を取り上げていますが、大正11年から始まった済州島-大阪間の君ヶ代丸の定期運行が最大の要因なようです。少なくとも「猪飼部は、飛鳥時代以降、殺生を禁ずる仏教の教えが普及するのに伴って消滅し、地名だけ残った」(前述資料より引用)としており、現代のコリアタウンとは関連性が無いように思いますがいかがでしょうか。--R.Lucy 2011年8月24日 (水) 15:52 (UTC)[返信]
まぁ、確かに1600年の時を隔ててコリアンタウンが同じ場所にあるのは奇遇ではあります。--Mikkabie 2011年8月24日 (水) 15:59 (UTC)[返信]
鶴橋駅周辺がコリア・タウンと呼ばれ、文化として残っているのはこういった歴史的な背景によるものである。を「鶴橋駅周辺がコリア・タウンと呼ばれ、食肉文化が盛んなのは歴史的奇遇である。」にした方が良いのでは・・・。--Mikkabie 2011年8月24日 (水) 16:30 (UTC)[返信]
私は記述に固執するつもりはないのですが、下のR.Lucyさんのご提案と含めて解決する問題のようですので、ひとまずこの話に関してはインターバルをおきませんか?--アイザール 2011年8月25日 (木) 07:15 (UTC)[返信]

「鶴橋駅周辺がコリア・タウンと呼ばれ、文化として残っているのはこういった歴史的な背景によるものである。」モツ煮と関係ないじゃないですか。関連知識として書いてもいいかとは思いますが「注釈」にでも入れとけばいいでしょう。なにもモツ煮の本文に入れる情報じゃない。--ぱたごん 2011年8月25日 (木) 11:41 (UTC)[返信]

ええ、私も注釈にいれるのでいいかなーと思ってます。先にインターバル云々と申しましたが、ちょっと後で、その方向で修正してみます。ただ、この箇所自体がこの記事に残すかどうかのお話が下にありますのでそちらもどうぞ。--アイザール 2011年8月25日 (木) 13:08 (UTC)[返信]
えっと、R.Lucyさんがご提示くださった資料を出典として「猪飼野」が消滅した旨を本文に記し、現在のコリアタウンについての付記をその脚注に納めました。今後、日本の獣肉食の歴史との整理も検討されるでしょが、ひとまずの処置です。いかがでしょうか。--アイザール 2011年8月26日 (金) 16:41 (UTC)[返信]
大正以降にうんぬんの注釈は自分も納得に行くところですが、外部リンクの”栗本智代「鶴橋・猪飼野~旧村の歴史とコリアン文化が同居するまち~」"が、つい最近の掲載にもかかわらずリンク切れなのは、どういうことでしょうか?大阪ガスのページに行くようですが。自分には、よくわかりません。--Mikkabie 2011年9月1日 (木) 15:13 (UTC)[返信]
あらら、「。」がURLに含まれてしまってたようですね。修正しました。それと、この出典は本質的には定期刊行物の記事です。ありがたいことに記事がネットにアップされてたので、リンクを貼ったという形ですね。--アイザール


(インデント戻す)読めました!!闇市とか土地の不法占拠とか日韓双方にとって、あまり気分のいい記事ではないようですね。大阪ガスという在阪コリアンの顧客を多数かかえる企業の文化事業なので記事の中立性にはかなりの配慮がなされていると推測する。--Mikkabie 2011年9月1日 (木) 20:00 (UTC)[返信]

獣肉食の歴史との関係

(インデント戻す)「明治以降の内臓肉食ともつ煮の誕生」の節より前の文章に関してはもつ煮という食文化の背景として1-2文でまとめて{{main}}で日本の獣肉食の歴史へ飛ばしてしまって良いように思います。海獺さんが執筆された頃は当該記事は無かったため、もつ煮の誕生にいたる背景を説明するために必要な記述であったと思いますが、現状では重複を避けるための双方の記事にメンテナンスが必要なように感じます。「もう何も言うことはありません」ということですが、できれば記事発展のためご協力いただければありがたいのですが、難しいでしょうか。--R.Lucy 2011年8月24日 (水) 22:47 (UTC)[返信]

私もそのご意見に賛同するところは大きくあります。でも、そう単純にあちらにごそっと持っていていいか、といわれると悩むんですよね。もつ煮は、肉食文化の中でも「臓物食」という意味で特化されているわけですから、肉食文化の中の「臓物食の来歴」みたいなものが本記事の前段として欲しいと思われた執筆者の感覚はよくわかります。で、言いにくいことをストレートにいってしますと、やはり「臓物、もつ」の歴史を語る上で、社会的差別の歴史を避けて通らないわけにはいかないのでしょう。本記事では現状、そこになんとか言及しようとして至れない、という状況かなと思っています。事柄の性質が性質だけに、なかなか信頼性、中立性の高い資料が集まらないのじゃないかな、と想像しますが、そこは執筆者に聞かねば分かりません。記事の整理は必要でしょうが、そういった内容をあちらに飛ばしてしまうと、記事としての文脈が見えにくくなりますし、その文脈を残すには「1-2文でまとめる」のは難しそうだし。。。どうなんでしょうね。--アイザール 2011年8月24日 (水) 23:08 (UTC)[返信]
アイザールさんのおっしゃるとおりです。避けて通れないから社会的差別が根底にある歴史には触れておきたい。端的に言えばどんな層の人々が主に食していたのか、その時代ごとにどこで食されていたのか、「煮る」という料理法は他の調理法と比較した場合、内臓肉の鮮度が問われにくい・・・など、いろいろな要素もあります。しかし現状はそれと匂わせる以上の確固たる資料がないというのが正直なところです。歴史節を読んでもらい、閲覧者に汲み取ってもらっている状態ですね。
ウィキペディアが、ある料理の世界や地方ごとに異なる料理法の紹介や、レシピ、材料などにのみ言及する場所なら、R.Lucyさんのおっしゃることは理解できるのですが、百科事典であるということを考えたとき、単一の項目として、非常に多角的な側面から触れておくべきであろうと思い、こういった体裁で書きました。
私はこの項目の食文化の背景は将来的にもっと言及でき、充実する部分があると思っているので、駆け足で触れているに過ぎない現在版程度のボリュームは残しておきたいという意図があります。しかしながら歴史的背景はこの項目に必要がなく、別項目で詳細に触れることで解決するということであれば、単に内容に対しての執筆意図の違いであるということでしょうから、誰がどのように手を入れてもよいと思います。--海獺 2011年8月25日 (木) 01:20 (UTC)[返信]
記事に挙げられている参考文献は私も所持していますので全て確認しましたが、海獺さんがご認識の通り、現在の「明治以降の内臓肉食ともつ煮の誕生」の節より前の文章は、あくまで日本における食肉の歴史であって、その大部分は内臓食あるいはもつ煮の歴史を語っているものでは無いと思います。
1-2文でまとめるなら、例えば以下のような見識を主に添えるべきかと思います。
ヨーロッパなどの牧畜民族では長い肉食の歴史があり、家畜の解体、内臓の利用について伝統があるが、日本では肉食の歴史は浅く、もっぱら切り身になった筋肉だけを食べ、動物の生前の姿を示すものは忌避する。魚の場合と大違いである。家畜の内臓の利用も最近になって始まったばかりである。」(『物語 食の文化』(北岡正三著)のp.61より引用)
当然、上記文章は内臓食の歴史全てにあてはまる文章では無く、海獺さんやアイザールさんがおっしゃるように一部では内臓の利用が古くから行われてきたものと思います(し、もつ煮につながる歴史的背景として本項に記載すべき情報であると思います)。また、その事柄の性質上、信頼性の高い資料や中立性の高い資料が見つかりにくいという事情もよくわかります。それならば尚更、「食肉の歴史をざっと記述して、そこに必ず付きまとうであろう内臓食(あるいはもつ煮)の歴史を読者に汲み取ってもらおう」などといった方向で解決してはならないものだと思います。
申し訳ありませんが、私用でしばらく留守にしますので、後は帰ってきてから確認します。--R.Lucy 2011年8月25日 (木) 05:46 (UTC)[返信]
前記したように、どのように変えていただいてもいいと思います。もとより、この節も前節も呼ばれて出てきているようなものですから、記事はこうあるべきだ、こうあるべきじゃないという論点でのお話をするつもりはありません。記述および編集意図を説明するために出てきているだけなのです。2009年の12月に既に書いているように、単にもとめられて意図を説明をする以外には関与を控えたいと思っています。
同様に、例えば「油かす (食品) 」などの記事にも非常に気になるところがあるのですが、信頼性の高い資料や中立性の高い資料が見つかりにくいのは事実ですし、実際に食肉市場や屠場などの施設に赴いても確固たる資料が見つかっていないことも事実です。--海獺 2011年8月25日 (木) 06:12 (UTC)[返信]

(インデント戻す)お返事が遅くなりまして申し訳ありません。残念ながら初版執筆者の方の協力は得られそうにないため、その他特に問題が無いようであれば私の方で現在の「明治以降の内臓肉食ともつ煮の誕生」の節より前の文章を削り、現状確認できる参考文献から書き直しを行いたいと思います。なお、海獺さんにおかれましては「資料が見つからないのであれば記述しない」という選択肢も視野に入れて今後記事の執筆に取り組んでいただければと思います。--R.Lucy 2011年8月30日 (火) 05:46 (UTC)[返信]

こんにちは、北欧いかがでした? いいなあ旅行。。。。。。私はそれでいいと思います。主執筆者の海獺さんにも異存はないように、上記コメントからお見受けします。ひとまずR.Lucyさんに記事の整理をお願いできますか? あと、本記事から削った文章は日本の獣肉食の歴史にある程度マージするのがいいかな、と思います。--アイザール 2011年8月30日 (火) 12:59 (UTC)[返信]

取り下げ - 上記提案は一旦取り下げます。ご意見・ご賛同頂いたアイザールさんには誠に申し訳ありません。--R.Lucy 2011年8月31日 (水) 20:27 (UTC)[返信]

R.Lucyさん、あなたの提案はもっともなものでした。ここでの議論ももっともなものでした。それが、急に取り下げ現状維持でよしとするならば、上やリンク先であなたが散々述べたことは言葉遊びを楽しんだってようにしか見えないのですが。どうされたのでしょうか?--Chichiii 2011年9月1日 (木) 15:01 (UTC)[返信]
まあまあ、そんな厳しい言葉づかいをしなくても、お話することは出来るじゃないですか。私も最初から申し上げている通り、R.Lucyさんのご意見には賛同するところ大です。ですが、人にはそれぞれ事情もありますし、モチベーションも大切ですし、Wikipediaにおいて「編集しなければならない」という義務は誰にもないのです。乗り掛かった船のなので、R.Lucyさんがあげられた資料や、その他を私も参照してみます。そのうえで、記事の修正をやってみようかと思うのですが、一ヶ月ほどお時間頂けますか?--アイザール 2011年9月1日 (木) 18:13 (UTC)[返信]

Wikipediaは基本ボランティアだから執筆義務なんてある訳無いが。やりますやっりますと言っておいて理由も述べずに取り下げでは。やってくれるんだと期待していた方は肩すかしですし、時間の無駄だったということになりはしませんか。自重して推移を見ていた者としては「なんじゃそりゃ!!」です。--Mikkabie 2011年9月1日 (木) 21:05 (UTC)[返信]

ご期待に添えず、また皆様の時間を徒に浪費させたことについて重ねてお詫び申し上げます。すみませんでした。--R.Lucy 2011年9月2日 (金) 05:11 (UTC)[返信]
R.Lucyさんが謝ることなど、何もありません。Chichiiiさんの最初の発言時には「穏便に済ませたい」と思いましたので特に言いませんでしたが、ここで改めてChichiiiさん、Mikkabieさんお二人とも言が過ぎる、と申し上げます。それ以外には私から申し上げることはありません。--アイザール 2011年9月2日 (金) 05:47 (UTC)[返信]
アイザールさん、それでは転記等々よろしくお願いします。R.Lucyさんの件につきましてはR.Lucyさんが謝ることなど、何もありません。とおっしゃっていますが、R.Lucyさんが海獺さんにちゃち入れるなみたいなことまでおっしゃっていたにも関わらず急にやっぱりやめたってお話なので、ちょっと問題あるのではないかと感じましたので申し上げさせていただきました。ボランティアであるのは当然ですが、御自身が責任もって編集するようなそぶりをみせ、そこに御意見した他者を御非難までしておいて、途中でやっぱりやめたっていうのはどう考えても問題行動であると思われませんか?貴方自身、このページの編集と関係ないR.Lucyさんの御旅行のお話を書き込むほどR.Lucyさんと大変親密な関係ならばこそ、注意するべきだったのではないでしょうか?また、細かいことを言えばご旅行の話をここに書き込むことも問題でしょう。アイザールさんが管理者さんとして精力的に活動されていることについては敬意を持っていますが、このページでの議論を見てると、お近い方が関われたものではバランスを失いがちなように見受けられます。御一考下されば幸いです。--Chichiii 2011年9月2日 (金) 12:10 (UTC)[返信]

R.Lucyさんには荷が重すぎたのかもしれません。お疲れ様でした。私は謝罪ではなく取り下げの理由を説明していただきたかったが、それも、差し支えがあるようですので、これ以上は求めません。
本論に入ります海獺さんの社会的差別が根底にある歴史には触れておきたいという文言に疑問があります。桓武天皇の生母は高野新笠という方ですが、百済系の方です。現代感覚の差別意識が仁徳天皇時代から続いているような考え方は完全に誤解です。--Mikkabie 2011年9月2日 (金) 11:22 (UTC)[返信]

「現代感覚の差別意識が仁徳天皇時代から続いている」なんて海獺さんふくめて誰も言ってないですし、誰も言うつもりもないでしょうし、現状の記事を見てもそう読めないですし。なんかもう、Mikkabieさん、思い込みで他者に対して奇妙なことを言わないでください。申し訳ありませんが、私も上記で申し上げた記事の修正からはいったん手を引かせていただきます。理由は「疲れたから」です。いったん忘れて、思い出したころにやってみる気になるかもしれませんが。--アイザール 2011年9月2日 (金) 12:03 (UTC)[返信]
Mikkabieさん、あなたが最初に御指摘したことは大変有意なことでしが、ちょっと脱線が過ぎるようです。御自重ください。--Chichiii 2011年9月2日 (金) 12:13 (UTC)[返信]
アイザールさん、このページでのあなたは余りにも感情的でバランスのないものだと思いませんか?Mikkabieさんに問題はあるとは思いますが、新たな管理権限を得てより責任ある立場に立つ以上、他人のせいには出来ないと思います。時間を空けてからで構いませんから、再読してください。--Chichiii 2011年9月2日 (金) 12:26 (UTC)[返信]

(インデント戻す)「この地域はその後、百済野、百済郡といった呼ばれ方をされており、仁徳天皇の時代に百済からの渡来人によって豚を飼育するという文化がもたらされ、地域として割り当てられていたと考えられる[11]。鶴橋駅周辺がコリア・タウンと呼ばれ、文化として残っているのはこういった歴史的な背景によるものである。」を受けての社会的差別が根底にある歴史には触れておきたい発言でしたので連綿と被差別部落が続いているような、お考えをお持ちのように感じたのですが。違うと言うなら、まぁいいです。現状の記事ではなくて修正する前の記事が海獺さんの正直なお考えですので最新版だけを見て話をするとかみ合わないのは当然でしょう。
脱線・・・まぁ、田舎育ちの粗野な人間なので東京流の場の空気重視で何が言いたいのか判らない奥歯に物の挟まったような言い方は好きではありません。角が立つのかもしれませんが悪意はありません。--Mikkabie 2011年9月2日 (金) 23:25 (UTC)[返信]

「鶴橋駅周辺がコリア・タウンと呼ばれ、文化として残っているのはこういった歴史的な背景によるものである。」

初版投稿者によって出典のある記述の直後に書き込まれた鶴橋駅周辺がコリア・タウンと呼ばれ、文化として残っているのはこういった歴史的な背景によるものである。についてMikkabieさんが記述の問題性を指摘したことに端を発したことですが(なお初稿では鶴橋駅周辺がコリアタウンと呼ばれ、駅のホームにも漂ってくるといわれる焼肉の香りとともに文化として残っているのはこういった歴史的な背景によるものである。でした。)、私も記事の信頼性に問題をきたすと思いましたので除去する方向で賛意を表明し、海獺さんと上で話し合った結果。

「記述する必要がない」というChichiiiさんの判断がこの記事にとって有意義であるならば、もう何も言うことはありません。--海獺 2011年8月24日 (水) 15:34 (UTC) とおっしゃられましたところ、

*080914 もつ煮 - 文献探しを手伝ってくれた利用者:アイザールさん、写真を撮影してくれた利用者:Anonymous Poweredさん、画像のアップを手伝ってくれた利用者:Peccaflyさん、ありがとうございました(8ヶ月も新規記事作成をサボってすいません)。新着記事としてトップページで紹介されました。月間新記事賞に選ばれました。ありがとうございました。

御自身のページの上記の文面を除去する利用者:海獺2011年4月30日 (土) 15:24
その次の編集で以下のような先の御自身の御発言を反故にするような投稿をChichiii会話ページに書き込まれました。

議論や資料をよくお読みください。

利用者‐会話:Mikkabie#仲良くにて「海獺さんの深くかかわれた大きな誤りを直すことができ(原文ママ)」と表現していますが、あなたは当初記述そのものがORであると指摘しておきながら、「プロパガンダが書き込まれる恐れ」や「ステルス的に政治的な主張」などと変化していき「何ら継続性もない1500年後に来日した朝鮮人」と展開しています。

これに対して他の方からは独自研究とはいえないという意見が出ており、当初提案をなさったMikkabieさんも同じ土地であるということも関連であるという意見を表明しています。ぱたごんさんも同様に注釈にでも入れておけばよい情報だとしています。この時点で全くの独自研究だという主張をしているのはChichiiiさんだけです。他の方は専ら「記事の中にこの記述が必要かどうか」という論点です。

つまり、大きな誤りと表現なさるのは、Chichiiiさんの独自の見解であり、正しい認識が出来ていないが故の発言です。非常に申し上げにくいですが大きな誤りがあるとするならばChichiiiさんの解釈や認識にあるのです。ご自身のスタンスが中立的ではないという自覚をそろそろ持っていただけないでしょうか。

もう一点指摘します。

記事のノートは記事の方向性や内容を話し合うところです。他の利用者に対する印象や意見を書くのであれば、当該利用者の会話ページで行うべきです。9月に入ってからのあなたの発言をご自身で再読してください。記事の有意義な発展に関しての意見を書くことはせず、「誰かのせい」にしようとしている無益な発言ばかりです。

返答は必要ありません。ノートにおける自分の発言だけ抜き出して読んでみてください。記事の発展に役立っているかどうか。--海獺 2011年9月2日 (金) 16:17 (UTC)

本件につきましては本項目の執筆に深くかかわる事柄についてであること、また、ここでの議論に参加された利用者のみなみなさまのお考えを決めつけられているので改変することなくそのまま提示させていただきました。ここで他の利用者さんから指摘されたのに再び同じことをしていると思いませんか?上記他のセクションでの海獺さんの御発言をみるとこの項目のさらなる編集をみなさんに委ねるよう述べながら、積極的に改訂しようとする私を含めた個別人物に対しては個々の利用者ページに現れては御非難をなさる。これでは建設的な議論はできません。こちらで海獺さんがのこの項目の今後の編集に対する姿勢を示すとともに、このページの編集にまつわる事は極力分散せずにこのページで済ますようお願いします。

  • それから、海獺さんが記述され、それほどまでにこだわり続ける鶴橋駅周辺がコリア・タウンと呼ばれ、文化として残っているのはこういった歴史的な背景によるものである。の説明を重ねてお願いします。--Chichiii 2011年9月3日 (土) 11:58 (UTC)[返信]
Count me out,,,in!
海獺さんは鶴橋駅周辺がコリア・タウンと呼ばれ、文化として残っているのはこういった歴史的な背景によるものである。の削除には既に同意なさっっているのでは?一商店街のピーアールに振り回されてはいけないと思う。出典も信頼性に乏しい情報源自主公表された情報源の疑いが濃厚で信用できません。関連性は歴史ロマンとしてはあるが史実としてはないと私は思う。だから、歴史的奇遇と以前書かせてもらいました。百済移民は完全に日本人と同化してしまって散逸した。大正期に入って済州島民が主に移民街を形成した。と記述するのが史実と照らし合わせて現時点で考え得るもっとも中立的な記述であると思う。--Mikkabie 2011年9月3日 (土) 23:52 (UTC)[返信]
  • (コメント)引用いただいた文章をお読みいただければわかるわかるとおり、Chichiiiさんの9月に入ってからのこのページでの発言が[9][10][11][12]いずれも記事の内容に触れることなく、ご自身の見解に基づく他の利用者への(ネガティヴな印象を推し進める)意見ばかりであることを指摘し、そういったお話は各利用者ページで行っていただきたい、という意図です。Chichiiiさんがこのスタンスを続けられるならば、このノートページでは記事に関する建設的な議論が行える状態ではないと思い、指摘しました。私は当初より当該文章の取捨には皆さんの意向でよいと思っておりますが(実際に現在版にはありません)、記述そのものは資料を示した上で独自研究とはいえないと申し上げています(文章表現にこだわりがあるとかではなくて、独自研究ではないと思うということを申しています)。
Chichiiiさんにお願いなのですが、こういった議論の場では「それぞれの意見の相違」と「ご自身の意見の主張」のバランスをとった発言をしていただけないでしょうか? 他の方の意見に対してChichiiiさんは答えることなく「私はORだと思った」以上の意見をおっしゃっていない状態なのです。本来であればこの文章もChichiiiさんの会話ページに書くべきものであると思うものの、ご理解いただけていないことと、議論の正常化を図るためにこちらに書かせていただきました。--海獺 2011年9月4日 (日) 02:19 (UTC)[返信]
  • (コメント)私の会話ページにて海獺氏に、猪飼野の主執筆者として「もしよろしければ見解を、、、」とのことですので参上しました。参考文献をはしょったうえで調査内容と見解を述べさせていただきます。
    まず、このノートの節のタイトルのことですが、大昔に百済からの渡来人が家畜(「弥生ブタ」ではなかったかと考えられている)を飼育する文化を持ち込んだことと、近代に入って日韓併合を契機として多くの韓国人が渡航して韓国の食肉(おもに焼肉)文化を持ち込んだこととは何のつながりもないと考えます。
    猪飼野の歴史を示す文献も『日本書紀』(720年記)の仁徳天皇十四年の条「猪甘津」の記載から、応永三十一年(1424年)の『天王寺金堂舎利講記録』に天王寺へ寄進された田地の所在地として「猪養野庄」の名が出るまで700年余り存在せず、その後も隣の木村庄とともに荏胡麻油の製造をしていた記述があり、他の例に漏れず、古代渡来人は日本と同化して養猪文化も中世までに廃れてしまったと見るのが自然と考えます。
    それから、焼肉と鶴橋・猪飼野との関係ですが、文献によると、鶴橋駅近くでは戦前には現在のような焼肉店は無く、太平洋戦争後しばらくして(昭和20年代後半)から「かどや」や「鶴一」が焼肉を出すようになり、ホルモンも既にメニューにふくまれていたようです。猪飼野では昭和初期に”カルビチプ”と呼ばれた焼肉店がカルビ焼やプルコギを提供していたようですが、戦争の影響で一旦消滅し、戦後に精肉の入手難のために流通の安定した内臓肉を提供するようになったとあります。
    なお、『モツ煮』に関する記述はございませんでした。モツ焼きはあってもモツ煮は鶴橋・猪飼野界隈の食文化にはないと考えます。(断定はしませんが聞いたことはありません。)
    「食肉と内臓食の歴史について」節の 大阪市生野区の猪甘津 云々の全文はこの項目よりも日本の獣肉食の歴史の項に記載されるべきだと考えます。(この項には不要と考えます。というより、それ以外の内容も大半は整理されるべき。)
参考文献
  • 藤田綾子 『大阪鶴橋物語 ごった煮商店街の戦後史』現代書館、2005年11月、ISBN 4768469159
  • 上田正昭監修・猪飼野の歴史と文化を考える会編 『ニッポン猪飼野ものがたり』批評社、2011年2月、ISBN 9784826505376
以上です。--Kansai explorer 2011年9月4日 (日) 13:00 (UTC)[返信]
非常に明快なご見解をありがとうございます。猪飼野関連の記述は現在版でも脚注に残っており、そのほかの部分に関しても今回のご意見を鑑み、除去いたします。お力添えをいただいたことを感謝するとともに、自身の不明を恥じ、お詫びいたします。--海獺 2011年9月4日 (日) 13:46 (UTC)[返信]
私がORであるから除去するべきであると申し上げたにもかかわらず、何ら出典を示すことなく(海獺さんは関係ないものを出典として提示されましたが)、アイザールさんが多少変えただけで無理に存続しようとしたから、ステルス的等の意見を申し上げたわけです。記述がORでおかしいのではないかと指摘を受けたにもかかわらず、出典を示すことなく無理にORを主張し続けたからややこしくなったわけでしょう。最初から、海獺さんが見つけてくださってありがとうってMikkabieさんに一言いえばすべて済んだ話だったのではないでしょうか。Mikkabieさんの記事の真実性に資する御指摘に対して、Mikkabieさんの利用者ページにがっかりしましたなどと見当違いなコメントを書き込んで[13]、どんどんことを荒げていったのは海獺さんでしょう。お二人の関係がくだらないことからのっぴきならない状態になっている中で、Mikkabieさんから御自身についてコメントを求められましたので、両者の面子を立てた形で円満に解決するようMikkabieさんの会話ページで申し上げましたところ[14]、それを閲覧していた海獺さんから上記のとおり大変心外な抗議が寄せられたわけです。そもそもMikkabieさんや私がもつ煮についてORで記述された記事であると指摘してしまったことにより、心ならずも海獺さんの面子を傷つけてしまったかもしれないと思われましたので、海獺さんがオートマタでは良好な記事を立ち上げられていましたので、海獺さんが良質な記事も書ける人であることをコミュニティーに証していただくことがよいのではないかと思い、記事を整えてくださったら推薦させていただく旨を申しあげるなど[15]、私なりには気を配ってたのですが、すべて悪い方に受け取られ大変残念でした。--Chichiii 2011年9月4日 (日) 14:41 (UTC)[返信]
再三再四申し上げているように、記事のノートページは、他の利用者に対するコメントを書き連ねる場所ではありません。上記のコメントは必要があるならば私の会話ページに転記してください。
なお、Chichiiiさんのコメントの中での「韓国人居住地域はみな百済に端を発するものとするプロパガンダが書き込まれる恐れ」や「ステルス的に政治的な主張」であるという意見には、そのような意図はありませんしや杞憂であると思われます。「生野コリアンタウン」の画像にもあるように、現在のこの地域でも、百済に関して触れられていることは確認できるという文章意図であると受け取っていただくことは可能でしょうか?--海獺 2011年9月4日 (日) 15:03(UTC)

海獺さんは、杞憂とおっしゃるがWikipediaの記事を鵜呑みにする人も多く、くだんの「北ホルモン」の北極星[[16]]も自社サイトにてホルモン焼きのURLを貼りWikipediaにも書かれていると宣伝しています。権威あるサイトとの認識のようです。
生野コリアンタウンの町おこしの宣伝を、真に受けWikipediaに掲載し続けていたならば、図らずも政治利用され「生野は1600年の歴史的背景がある日韓友好の象徴だ」などど韓国大統領が演説をぶつ様な事態もありえないとは言い切れません。誤解や嘘も主張し続ければ、まぁまぁまぁと足して二で割るような結果となり既成事実になりかねないので注意が必要と私は思います。Wikipediaで言う中立性を養うためには、宣伝や権威付けのために起源を古く主張したり、デモなどで参加人数を誇大に主張する事例が多々あるという現実を頭の片隅に入れておくべきでした。それと、返事は結構ですなどと一方的に相手を切り捨てるような言い方は慎むべきです。お小言はこのぐらいにしまして、海獺さんはじめ「もつ煮」の作成に関わられた方々が、この記事を積極的に再構成し、再び良質な記事に選定されることを願います。--Mikkabie 2011年9月6日 (火) 12:53 (UTC)[返信]

Mikkabieさんからすると、件の文章は「生野コリアンタウンの町おこしの宣伝」を出典としている、という理解をしているということが、今回のお話でわかりました。
質問なのですが、Mikkabieさんからすると、この記事に書かれた記述に対する印象と同様に、生野コリアンタウンの記事の内容や掲載されている画像も、このままの状態であるならば「「生野は1600年の歴史的背景がある日韓友好の象徴だ」などど韓国大統領が演説をぶつ様な事態」というような危惧を持つのでしょうか? また韓国人居住地域はみな百済に端を発するものとするプロパガンダが書き込まれる恐れ」や「ステルス的に政治的な主張」などの危惧も感じるのですか? 「ありえないとは言い切れません」(実のところこの言葉はとても便利で、可能性がゼロではないことなら何でも当てはまってしまいます)という曖昧な言葉ではなく、危惧を感じるかどうかということをお答え願えればと思います。
というのも、私にはその感覚は共有できないどころか、非常にぶっ飛んだ感覚にしか見えていません。もしそういった観点が「ウィキペディアにおける中立的な観点」として広く共有されているならば、私は中立的な観点という方針に対する認識を根本的に改めなくてはならないようです。誤解を恐れずに言うならば、私には杞憂と思える、MikkabieさんやChichiiiさんの主張は、まるで「政治的に正しいおとぎ話」を読んでいるときのような感覚に似たものを感じます。--海獺 2011年9月6日 (火) 14:52 (UTC)[返信]

まず、私はChichiiiの味方でもありませんし、全発言を肯定している訳ではありません。その点はご認識ください。「件の文章は」・・・海獺さんは海獺さんなりに文献探しやネット検索をして記事を書いたように認識しています。まぁ、私も無謬の人間でもないですが「生野コリアンタウンの町おこしの宣伝」は、猪飼野≒鶴橋≒生野コリアンタウンの意味で便宜的に大まかに括って書いたまでです。
韓国人居住地域はみな百済に端を発するものとするプロパガンダが書き込まれる恐れ」や「ステルス的に政治的な主張」は関知しません。Chichiiiの危惧でしょう。
「生野は1600年の歴史的背景がある日韓友好の象徴だ」などど韓国大統領が演説をぶつ様な事態」というような危惧は個人的に持ちます。さらに知名度をあげるため2009年から「生野コリアタウン共生まつり」が開催されていると言った状況の中で母国の大統領がコリアタウンの話題を口にすることは充分にあり得ると考えています。
海獺さんの「政治的に正しいおとぎ話」を読んでいるときのような感覚と言うのが逆に私には意味が良くわかりませんが、学識ある海獺 さんが、「自身の不明を恥じ、お詫び・・・」と自ら書くような失態をするようなこともあることがWikipediaの危うさであり、前述の通り、その誤った記事を鵜呑みにする人(私の師匠の言では特に学生)も多いように思います。私の言う”中立的観点”の趣旨が伝わって無いようですが、趣旨はKansai explorerさんほど精通しろとは言いませんが、他の例に漏れず、古代渡来人は日本と同化してと言うぐらい当たり前の「常識」を念頭に考慮して注意深く記述してくださいという程度のことです。--Mikkabie 2011年9月6日 (火) 16:17 (UTC)[返信]

前提論が端折られているのはなぜですか? つまり「生野コリアンタウンの町おこしの宣伝を、真に受けWikipediaに掲載し続けていたならば、」という部分と、「誤解や嘘も主張し続ければ」という部分です。またその前段の「現在のこの地域でも、百済に関して触れられていることは確認できるという文章意図であると受け取っていただくことは可能でしょうか?」という私の発言を受けてのご回答であろうと思うので、違和感があるわけです。
「自身の不明を恥じ」とはこの地域では現在、もつ煮が文化として根ざしていないという、基本的な部分の誤解に対してのものです。遡って、根ざしていないならば記述の除去はしかるべきであろうということです。古代渡来人は日本と同化しているか否かに関しては、どなたも議論をしていないと思います。どなたかが渡来人の末裔が形成しているという主張をしているというわけでもありません。猪飼野と鶴橋の関連があるかないか、およびその関連とはどのようなものをそれぞれがイメージしているかの議論であることを再確認してください。当初から論点において大きな誤解があったまま議論が進んでいたのかもしれませんね。
また、他の利用者のお名前を出すときは、敬称を付けることをお勧めします。--海獺 2011年9月6日 (火) 16:35 (UTC)[返信]


この節の議題は「鶴橋駅周辺がコリア・タウンと呼ばれ、文化として残っているのはこういった歴史的な背景によるものである。」の真贋、出典の信頼性であると認識していますが認識が違うのですか?
生野コリアンタウンの町おこしの宣伝を、真に受けWikipediaに掲載し続けていたならば、」という部分と、「誤解や嘘も主張し続ければ」という部分です。は既に道理としてご理解いただけたものと思っていましたが、再度・・・ですか。どう説明したものか。では私の住む愛知県の事例でご説明しましょう。地元では東三河地域が古代に「穂の国」と呼称されていたと主張する方々がいます。そして「ほの国通信」なる季刊誌も発行されているのですが歴史家の評価は「穂の国」の実在を否定、もしくは懐疑的な意見が大勢です。
これも私は歴史を利用した町おこしであると思います。「穂の国」「穂の国」とポスターや季刊誌で書かれ続ければ、「誤解や嘘も主張し続ければ」いずれ既成事実になりかねないのでは?とお思いになりませんか?
「自身の不明を恥じ」あなたはKansai explorerさんのノートで「鶴橋駅周辺がコリア・タウンと呼ばれ、文化として残っているのはこういった歴史的な背景によるものである。」のノートにて海獺と申します。現在「ノート:もつ煮」において、私が記述した文章がORであるかどうかということで論争になっています。 対照の文章は「鶴橋駅周辺がコリア・タウンと呼ばれ、文化として残っているのはこういった歴史的な背景によるものである。」というものです(現在の版にはこの文章はありません)。 私自身はもつ煮という記事中に必要な文章かどうかと言う点では、皆さんの判断や合意にお任せするものの、少なくとも独自研究ではないと思っております(文章表現の仕方に誤解を招く余地があるとは思います)。また信頼性に乏しい情報源、自主公表された情報源の疑いという意見も出ております。 Kansai explorerさんは「猪飼野」に多くの加筆をしてらっしゃいますので、よろしければご意見を伺えればと思います。ただ、既に除去されている文章であるため、議論の参加に無理強いは出来ないと思っております。もし、お時間があり、気が向きましたら、見解をいただければと思う次第です。 私は関東在住であり、その地域の資料をなかなか集めることが出来ません。地域的な点の記述はやはりその地域の方のほうが、より詳しい資料をご存知であろうと思いました。不躾なお願いで申し訳ありません。--海獺 2011年9月4日 (日) 01:50 (UTC)

と述べ、「鶴橋駅周辺がコリア・タウンと呼ばれ、文化として残っているのはこういった歴史的な背景によるものである。」の質問しかしておらず「不明を恥じ」がこの地域では現在、もつ煮が文化として根ざしていないという、基本的な部分の誤解に対してのものとおっしゃるのは釈然としません。古代渡来人は日本と同化しているか否かに関しては、どなたも議論をしていないと思います。は誤解です。私も百済移民は完全に日本人と同化してしまって散逸した。大正期に入って済州島民が主に移民街を形成した。と前述していますしKansai explorerさんも他の例に漏れず、古代渡来人は日本と同化して養猪文化も中世までに廃れてしまったと見るのが自然と考えます。と記述しています。
猪飼野と鶴橋の議論はKansai explorerさんの”明確な見解”で終止符が打たれたように思いますが。
Chichiii呼び捨ては私のポカです。--Mikkabie 2011年9月6日 (火) 19:28 (UTC)[返信]

誰かが特定の話題に触れているかのレベルのお話ではなく、議論のポイントはどこなのかのお話です。
確認のために再度お伺いします。「猪飼野と鶴橋の関連があるかないか、およびその関連とはどのようなものをそれぞれがイメージしているかの議論」が議論のポイントとなっていると、私は解釈しています。既に記事中の当該箇所は除去済ですが、今後の記事の成長によっては重要な見解になるかもしれませんので、Mikkabieさんの考える議論のポイントはどこだったのかお聞かせ願えますか? 真贋や出展の信頼性については再三申し上げている通り、この土地が以前の猪飼野あたりであるということそのものは真実ですし出典も伴っております。文章表現を変えたほうがよいかという点では、私を含めそれぞれが感じており文例を実際に出してくださっていますので、建設的な議論のポイントといえるでしょう。
しかしながら、この記事のノートでは「古代渡来人は日本と同化しているか否か」は議論されていません。(引用文敬称略)
  • Mikkabie 2011年8月24日 (水) 15:36 (UTC)「常識的に考えて仁徳天皇時代の百済移民と現在の鶴橋の在日朝鮮・韓国人に関連はないと思う。」
  • アイザール 2011年8月24日 (水) 15:42 (UTC) 「「1600年前の人たちの後裔がそのまま住み続けて、現在のコリアタウンが形成されている」というニュアンスを感じ取って、それを許容できないと仰っているわけでしょう。でもそれを感じとるのも、ちょっとバイアスかもしれません。
  • Chichiii 2011年8月26日 (金) 20:25 「「1600年前の人たちの後裔がそのまま住み続けて、現在のコリアタウンが形成されている」というニュアンスを感じ取ってということはないのでバイアスも何もありません。」
ごらんのように、誰も否定をしてる人はいません。したがって議論のポイントとはなっていません。議論参加者の間では各自言及していますが、異なった立場で意見が交わされてはいないのです。ですから前段で「古代渡来人は日本と同化しているか否かに関しては、どなたも議論をしていないと思います。どなたかが渡来人の末裔が形成しているという主張をしているというわけでもありません。」と書きました。よくお読みいただければご理解いただけるはずです。ウィキペディアでは信頼できないとされる情報源の範疇になる資料では、百済の末裔の現在について少し触れている資料もあるのですが、それは知の集積の余地の部分として今後の研究に期待しましょう。
「穂の国」のケースをこのケースに当てはめるのは、全く無意味でしょう。現在の鶴橋周辺が、猪飼野および百済とかつて呼ばれていたことに関しては、誤解や嘘があるというわけではないからです。穂の国の例を挙げて根本的に条件や要素が異なる他の記事を否定してしまうのは適切ではないと思います。Mikkabieさんがこのケースを「穂の国」と同じように「実在を否定、もしくは懐疑的な意見」があるという風に捉えていたのですか?、また生野コリアンタウンの記事の内容についても、Mikkabieさんからすれば、百済門と描いてある画像や外部リンクを含めて、誤解や嘘があるとお思いですか?
ウィキペディアの権威論や影響については深く議論するつもりはありません。しかしながら「生野コリアンタウンの町おこしの宣伝を、真に受けWikipediaに掲載し続けていたならば、図らずも政治利用され「生野は1600年の歴史的背景がある日韓友好の象徴だ」などど韓国大統領が演説をぶつ様な事態もありえないとは言い切れません。」という文章を書く動機のひとつに、「穂の国」のケースを想定しているのならば、全く問題点が異なる二つの事象を比較しても仕方がないでしょう、という回答しか出来ません。「ウィキペディアに載っているから政治的に利用されて大統領が演説をするかも」というお話については、「空が落ちてくる」のようなお話なので、もうやめにしませんか?
「北ホルモン」の件も回答しておきます。当該URLの中の文章とウィキペディアの現在版では、ほとんど正反対の内容が記されています。一企業がウィキペディアの権威を借りているのかもしれないという想像は自由になさっていいと思いますが、矛盾がすぐにわかるような状態のままリンクされているので、触れてあげないほうがよいと思いますよ。たんにネット上にあるページのひとつにウィキペディアへのリンクが貼られているという事実以外のものではなく、この事実を持ち出して権威論に発展することはかなり強引なのではないかと思います。
さて、議論となっているポイントのずれがあるかもしれないという不安を残したままですが、私側から見た経緯と印象を少しまとめておきます。
アイザールさんの改稿に対するChichiiiさんによる[17]このリバートが、議論のポイントが定まらない原因になったのではないかと感じています。
このリバートは、文章中に歴史的な継続性のニュアンスをはずしても、この記事には必要がなく個人的な主張であるとしてのものです。つまりこのリバートは「もつ煮の記事ではコリアタウンに一切言及されているべきではない」というChichiiiさんの主張に基づいたものであろうと解釈できます。これは当初のMikkabieさんによる提案とは異なるものではないかと思います。
Mikkabieさんの提案は「一千年以上の歴史的断絶を経て近代に入ってからの移民が形成したコリア・タウンと関連づけるのは無理があるように思う。」という理由からの当該箇所の取捨でした。その後Mikkabieさん自身は同じ土地であるという関連性については納得し、文例として以下の文章をあげてくださいました「鶴橋駅周辺がコリア・タウンと呼ばれ、食肉文化が盛んなのは歴史的奇遇である。」
しかしこの文章もまたコリアタウンに触れられているので、アイザールさんの記述をリバートしたときと同様、仮に記事に反映されたとしても(実際にリバートなさるかどうかは別として)Chichiiiさんとしては受け入れることはないのです。プロパガンダ、政治的ステルスなどという語句が出たのも、コリアタウンに言及するかどうかがChichiiiさんの最重要ポイントだったのではないかと伺える要素です。
つまり、Mikkabieさんは「歴史的断絶があるのにこの文章では誤解を招きやすいのではないか」という意識から提議したにもかかわらず、Chichiiiさんは「この記事でコリアタウンに言及されているのはおかしい」という意識であり、当初は同じ意識であるように見えましたが、根本的な部分で大きな意識の違いがあったのではないかと見ています。--海獺 2011年9月7日 (水) 02:06 (UTC)[返信]


まず郷土史家とお呼びしても差し支えない見識をお持ちのKansai explorerさんの文献に基づいた調査見解を軽んじ「モツ煮は鶴橋・猪飼野界隈の食文化にはないと考えます。」のみに着目する、海獺さんの感性が疑問です。 {「猪飼野と鶴橋の関連があるかないか、およびその関連とはどのようなものをそれぞれがイメージしているかの議論」が議論のポイントとなっていると、私は解釈しています。}とありますが、その議論はもう尽きたと思います。 鶴橋に行ったこともない人間がこれ以上浅薄な知識で議論することが建設的議論になるのでしょうか?私は軽佻浮薄な行為に過ぎないと思います。 海獺さんは、どうも枝葉末節にこだわり議論の本筋を見失う傾向があるように感じています。 生野の記事は歴史節の、「もともと古代からこの地は渡来人が多数住みついており」が現在進行形の様な気がして疑問です。百済門は、日韓友好(共生)の思いが込められているようには感じます。歴史ロマンではありますが。 「古代渡来人は日本(人)と同化しているか否か」はこの記事のノートで新たに議論するまでもなく1600年÷30歳としても53世代を重ねており倭人との混血は避けられず同化したと考えるのが常識であると思います。今後の研究で末裔が発見されたとしても、それは百済系日本人であって百済人とは呼べない結果になるであろうと老婆心ながら思います。 「穂の国」の件もまた枝葉末節に論が向いていますが、詳しくは穂国造の記事をご覧ください。 根拠はあるにはあるのです。私は「誤解や嘘も主張し続ければ」いずれ既成事実になりかねないことの一例としてあげたまでです。 ウィキペディアの権威や影響について思慮する気が無いのは編集者として、いかがなものかと思います。 「北ホルモン」の件 正反対の内容というお説が私には良くわかりませんが、「たんにネット上にあるページのひとつにウィキペディアへのリンクが貼られているという」認識は甘いと思います。 Wikipediaは明らかに選ばれています。他のグルメサイトを載せずWikipediaをリンクしたのは、偶然とは思えません。 アイザールさんの改稿、見ましたが明確な根拠も指針もなく文脈を整えているだけに見えます。 私はChichiiiさんが「もつ煮の記事ではコリアタウンに一切言及されているべきではない」とお考えかどうかは一度本人に確認する必要があると思います。 私は、コリアタウンに行った事がありませんが、韓国人経営の焼き肉屋では「もつ煮」のメニューが一切無いように思います。Kansai explorerさんと同様に韓国はもつ焼き文化で、煮込むというのは日本人の発想のような気がしています。私は愛知県在住ですが、祖母がドテ煮を作っていました、何回も水を入れ替え煮直し臭みが完全に無くなるまで繰り返しました。最後には味噌と砂糖を入れじっくり1昼夜ほど煮込むのですが、臭み消しにショウガを入れていました。 臭みに抵抗のないコリアン文化とは、大きな違いではありませんか? Chichiiiさんにも、問題があるのはわかりますが、海獺さんも社会的差別が根底にある歴史には触れておきたい・・・正義感なんでしょうけど余計な主観で編集すれば中立性を欠いた偏向記事になってしまうのでご注意を。--Mikkabie 2011年9月7日 (水) 11:51 (UTC)[返信]

(Mikkabieさんへ)今回のお話には根拠も統合性も全くなく、印象だけのお話ですので、特に返答はありません。ひとつひとつ指摘することももう諦めました。--海獺 2011年9月7日 (水) 14:55 (UTC)[返信]
Mikkabieさん、敬称の件は気にしておりませんのでお気になさらないでください。海獺さんは論点のすり替えを行っているだけではないでしょうか?そもそも、海獺さんが出典を付すことも無くORの記述を書き込みそれを固執され続けただけであって、それに対しておかしなものであるから取り除く若しくは全く関連性がないことを明確に分かる記述をするべきであるとされた指摘がなされてきたわけであります。海獺さんのORが複数の観点からも不適切であると指摘されたのでありますが、指摘の仕方が微妙に違うからどうだったというのですか?そもそも海獺さん御自身がごっそり削除しておきながら、おかしな記述であると、先だって主張した方達を御非難なさる。どういうことでしょう。あなたのなさっていることは、つまり、あなたがたの主張を受け入れて削除したのではない。御自分で削除するべきであるとした結論に到達したっとおっしゃっているようなものです。結果的に目指す方向性が同じでありそのような方向で解決したにも関わらず、御自身の削理由は断じて先に提案したものの主張に従ったものではないと御主張をなさっているだけではないでしょうか。何ら記事の発展に寄与することのない建設性のないのないものです。あなたが大変自尊心の強い方であるということだけは強烈に伝わってきましたが、そのようなことを広く周知することはあなたにとって何らプラスにならないと思います。Wikipedia‐ノート:良質な記事/良質な記事の再選考/もつ煮 20110904でも再三申し上げました通り、落ち着いてください。--Chichiii 2011年9月7日 (水) 12:36 (UTC)[返信]
Chichiiiさん、私の議論態度以前に、他の人の議論態度以前に、この記事がよくなるにはどのようにしたらよいかの話をしませんか?
何度か指摘をしましたが、人に指摘するばかりで、記事を有意義に導くこともなく、文例を示すでもなく、ダメだ、違う、誰かが悪い、以外のお話をなさらないかたが、誤字が目立つ文章を書き込んで、記事のノートで他の人に落ち着けといっても説得力があるでしょうか(私が落ち着いているかどうかはChichiiiさんの思う通りでいいです)。今までの経緯から見て、また以前からのChichiiiさんとのやり取りや各種コメント依頼で指摘されている問題点などを鑑み、Chichiiiさんと建設的なお話をすることは私には困難です。非常に不毛な時間を繰り返しているような気がしましたので、これ以上のChichiiiさんとの議論はせず、私は私のペースでウィキペディアの決まりごとにそって編集をすることにします。--海獺 2011年9月7日 (水) 14:55 (UTC)[返信]

デタラメで人を中傷するのはいい加減およしなさい。ノート:もつ煮#キャプションについてなどを見れば明らかな通り、この項目をより良いものにしようと努めてまいりました。あなたには失望しました大変残念です。--Chichiii 2011年9月7日 (水) 15:01 (UTC)[返信]

その節の件ではなく、Wikipedia‐ノート:良質な記事/良質な記事の再選考/もつ煮 20110904で指摘した件です。このように、今回の議論とは関係のない二年前のことをいきなり持ち出されても困ってしまうので、これ以上の議論はしないということです。しかしながら今回、ご自身の編集に関して例示していただいたことには感謝の気持ちを表したいので、お返事をさせていただきます。--海獺 2011年9月7日 (水) 15:15 (UTC)[返信]

ご質問が長文かつ海獺さん独自の見解に基づいたものでしたので、海獺さんのペースに乗る愚は避けました。
どうにも猪飼野~鶴橋にこだわりがあるようですが、いったんそれは白紙にして、今後の編集方針について建設的議論をする節を立ててみてはどうですか?--Mikkabie 2011年9月7日 (水) 23:55 (UTC)[返信]

いい加減にしなさい。恥を知りなさい。

何度か指摘をしましたが、人に指摘するばかりで、生地を有意義に導くこともなく、文例を示すでもなく、ダメだ、違う、誰かが悪い、以外のお話をなさらないかたが、誤字が目立つ文章を書き込んで、記事のノートで他の人に落ち着けといっても説得力があるでしょうか(私が落ち着いているかどうかはChichiiiさんの思う通りでいいです)。今までの経緯から見て、また以前からのChichiiiさんとのやり取りや各種コメント依頼で指摘されている問題点などを鑑み、Chichiiiさんと建設的なお話をすることは私には困難です。非常に不毛な時間を繰り返しているような気がしましたので、これ以上のChichiiiさんとの議論はせず、私は私のペースでウィキペディアの決まりごとにそって編集をすることにします。--海獺 2011年9月7日 (水) 14:55 (UTC)

管理者海獺さんは上記のとおり、他人に誤字が目立つなどと偉そうに御非難しながらその文面自体を誤字で記述するなど[18]、いつものようにダブルスタンダードです。御本人は冗談でなさっているようではないので不思議です。誤字脱字の類はみなさん誰しもあるものですから、私はあえて管理者海獺さん御自身の誤字脱字の件については触れませんでしたが、その後、管理者海獺さんは御自身の誤字に気付かれた際に、何らの謝罪や他人への御非難を撤回することなく当然のごとく書き変えています[19]。御自身の数々の言行不一致を恥ずかしいと思わないのですか。ウィキペディアには多くの管理者がいらっしゃいますが、あなたほど身の程をわきまえず他者への尊大な言動をとり続けている人を見たことはございません(解任された人を除いて)。ここでの一連の議論もそもそも管理者海獺さんがいつものように上から目線でMikkabieさんに対して一方的な御非難をなさったことが発端でしょう。初めこそ管理者海獺さんの無礼な言動に怒りを禁じえないMikkabieさんの不適切な言動こそありましたが、今はどうでしょう?明らかにMikkabieさんは紳士的な対応なされているにもかかわらず管理者海獺さんは自らを省みることなくダブルスタンダードで他者への御非難を続けています。管理者海獺さんのなさっていることの多くは優良な利用者になり得る可能性のある人々を怒らして数々の混乱を生じさせているだけではないでしょうか。管理者ならば初心者やウィキペディアの知識に疎い者に対して導いてゆけばよいものを御自身が管理権限とわずかばかりの知識があるからといって、他者を尊重することなく上から目線で御発言なされて人を怒らせてきたのではないでしょうか。あなたが多くの問題に対処してきたように見えますが、そもそもあなたが多くの方々の尊厳を軽んじ面子を損なうようなことをなさってきたことによって多くの問題が引き起こし、また萌芽させてきたのでしょう。なぜ管理者海獺さんは自分自身の多くの問題を解決することもできないにも関わらず、こんなにも他人に対して偉そうなのでしょうか?管理者だから偉いとか勘違いしてませんか?また、上記文面を書かれた管理者海獺さんは何ら建設的な文例を示すことなく突如として10,000バイト以上除去、さらに除去するやいなや何ら記事を向上させる努力をすることなくWikipedia:良質な記事/良質な記事の再選考/もつ煮 20110904を提出しました[20]。一体何なんでしょう?ウィキペディアの「もつ煮」を御自身のホームページを更新するかのような御振舞いです。このような振舞いに留まることなく、何故か御自身に対して向けるべき御非難を他者へ向けられています。どういうことなのでしょう。Wikipedia‐ノート:良質な記事/良質な記事の再選考/もつ煮 20110904での御自身を全く省みることができないあなたの言動は異常といえるでしょう。管理者はあなた以外にもいますが、あなたほど御自身を特別扱いされる人はいません。 また、管理者海獺さんが執拗にこだわられているので言っておきますが、建設的も何も管理者海獺さんが御自身の頭のなかで創作された1500年の時空を超えるような鶴橋駅周辺がコリア・タウンと呼ばれ、文化として残っているのはこういった歴史的な背景によるものである。とした記述を私やMikkabieさんが除去するべきであると申し上げたことに何か問題があったのでしょうか?

管理権限を委ねられたことによって、人を尊重しない、御自身だけは特別とした誤った考えがあなたの中で育まれてしまったようですね。一度管理権限を返上し、一利用者として御活動されることが今後のあなたにとってはよいのではないかと思われます。解任された者が再び管理者になることは難しいと思われますから、自主的に返上し一利用者としてのウィキペディアに貢献して周囲から請われるかたちで再度立候補されてみてはどうでしょう。--Chichiii 2011年9月8日 (木) 12:43 (UTC)[返信]

  • Chichiiiさんは、いつまでやってるんですか?私も「鶴橋駅周辺云々」はもつ煮の本文には要らないと思いますが(関連をきちんとした出典付きで提示できるなら注釈に入れるのくらいはOK)すでに除去されたのだからもう良いでしょう。記事のことと海獺さんの管理者権限は別問題です。出典のない記述を何がなんでも入れようとしているなら方針の無理解と言えますが、逆に海獺さんは「鶴橋駅周辺云々」を削った訳です。管理者としての海獺さんは「wikipediaに対してのマイナスの行為」を防止することでFAを何十本書くよりもよほど大きな貢献をされていると思います。いつまでもいつまでも、しかも段々瑣末で感情的なやり取りになっている。もうお止めになった方が良いでしょう。--ぱたごん 2011年9月8日 (木) 14:34 (UTC)[返信]
海獺さんに利用者としての貢献を求めるのは間違いですね。もつ煮でよく分かりました。もう止めましょう。--Chichiii 2011年9月8日 (木) 14:42 (UTC)[返信]
「お互いに」の話になりますが、利用者としての貢献を期待するのは良いとしても貢献を要求するのは間違いです。--ぱたごん 2011年9月8日 (木) 14:57 (UTC)[返信]
そうですね。もう海獺さんには何も求めません。今後も海獺さんが遺恨なく精力的に御活躍されることを願います。今後に資しない一文を取り消しさせていただきます。ぱたごんさん、間に入ってくださってありがとうございました。--Chichiii 2011年9月8日 (木) 15:06 (UTC)[返信]

北∞ホルモンについて

[[21]]を見てもらうとわかりやすいと思いますが、商標はあくまでも図案であって「§」、「\」、「∞」といった記号はコンピュータ検索用の符号にすぎませんので百科事典に書く程の意味は無いかと思います。
[[22]]についても「∞」を削除し単純に「北ホルモン」と記述した方が誤解がないように思います。--Mikkabie 2011年9月4日 (日) 11:50 (UTC)[返信]
削除しておきます。--Mikkabie 2011年9月4日 (日) 15:04 (UTC)[返信]

Wikipedia:良質な記事/良質な記事の再選考/もつ煮 20110904

Wikipedia:良質な記事/良質な記事の再選考/もつ煮 20110904が提出されているのでお知らせします。--Chichiii 2011年9月4日 (日) 15:18 (UTC)[返信]

Wikipedia‐ノート:良質な記事/良質な記事の再選考/もつ煮 20110904にてノート:もつ煮に関係する議論がなされているのでお知らせします。--Chichiii 2011年9月6日 (火) 21:57 (UTC)[返信]