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アイアン・デューク級戦艦

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アイアン・デューク級戦艦

竣工当時の「アイアン・デューク」
艦級概観
艦種 戦艦
艦名 人物名
前級 キング・ジョージ5世級戦艦 (初代)
次級 クイーン・エリザベス級戦艦
性能諸元
排水量 常備:25,000トン
満載:29,500トン
全長 189.8 m(622 ft 9 in)
全幅 27.4 m(90 ft)
吃水 9.0 m(32 ft 9 in)
機関 アイアン・デューク、ベンボー:バブコックス&ウィルコックス式石炭・重油混焼水管缶18基
マールバラ、エンペラー・オブ・インディア:ヤーロー式式石炭・重油混焼水管缶18基+パーソンズ直結タービン(低速・高速)2組4軸推進
最大出力 29,000hp
最大速力 21.25ノット
航続距離 10ノット/7,780海里
燃料 石炭:3,250トン
重油:1,050トン
乗員 995~1,022名
兵装 34.3cm(45口径)連装砲5基
15.2cm(45口径)単装速射砲16基
7.6cm(45口径)単装高角砲2基
4.7cm(43口径)単装機砲4基
53.3cm水中魚雷発射管単装4基
装甲 舷側:102~305mm(主装甲部)
甲板:64mm(主甲板)、25mm(艦首尾部)
砲塔:279mm(前盾)、203mm(側盾・後盾)102mm(天蓋傾斜部)、76mm(天蓋平坦部)
バーベット:254mm(甲板上部)、178mm(甲板中部)、76mm(甲板下部)
司令塔:305mm(前盾・側盾・後盾)、76mm(天蓋)

アイアン・デューク級戦艦 (Iron Duke-class battleships) は、イギリス海軍の3番目の超弩級戦艦で1912年10月から1913年11月まで4隻が就役した。「アイアン・デューク」とはワーテルローの戦いナポレオンを打ち破った初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーのことである。

概要

本級はキング・ジョージ5世級の改良型であり、防御範囲を強化し、副砲も4インチ(10.2cm)砲から6インチ(15.2cm)砲に強化した。水線下の装甲は水雷隔壁の不十分な部分を石炭庫で間に合わせ的にカバーした物で、これは対抗するドイツ戦艦が強固な水雷隔壁を装備していたのと著しい対照を成している。

副砲の6インチ砲への増強は駆逐艦の大型化に対抗するため必要であったが、単一巨砲を好むジャック・フィッシャー提督が海軍を去るまで不可能であった。副砲のうち8門は比較的高い位置にある舷側のケースメート(砲郭)に装備され、波浪への対策は有効だったが、艦前部の低い位置に装備された4門は容赦なく波浪が隙間から吹き込み効果的ではなかった。これは、近接する敵駆逐艦の艦影が水平線上に浮かんで見えるだろうという、斬新ではあるが誤った確信に基づいて装備されたもので、結局1915年から1916年にかけて後部ケースメイト配置は閉塞され、副砲は高い位置に移された。

副砲の大型化に関しては、2,000トンの排水量増加につながり、代償として甲板防御が薄くなっただけで戦闘には役立たなかったとする意見もある。そうした意見によれば、艦側面の穴は波を被りやすく、舷側に開口部を持つ貧弱な装甲の経路は二次爆発につながるおそれがあり、また中口径砲は小型の護衛艦艇に搭載した方が安価で効果的であった、ということになる。しかし、年々大型化の一途をたどる駆逐艦への対抗は102mm砲では力不足になってきており、フランス海軍のように早期から13.9cm砲を装備した例やドイツ海軍のように15cm砲クラスの口径が必要になる事は自明の理であった。また、軽巡洋艦不在の時には戦艦単体で敵水雷戦隊を撃退できうる火力は必要であった。

本級は前級と同様、21ノットの戦列を形成することを目的に設計されたが、船体の大型化により機関の負荷が大きく、戦争の終了まで改良の努力が行われたものの、19ノット以上の速力を発揮することができなかった。しかしながら海軍は本級の設計を成功とし、2年後に建造されるリヴェンジ級戦艦まで根本的な設計改良は行われなかった。

艦形

本級「センチュリオン」の写真。

本艦の船体形状は高い乾舷を持つ短船首楼型船体であり、外洋での凌波性は良好であった。構造を記述するならば、艦首から前向きに連装タイプの1番・2番主砲塔2基を配置、そこから甲板よりも一段高められた上部構造物の上に司令塔と箱型艦橋が立ち、艦橋を基部として単脚型の前部マスト、艦橋の後方に2本煙突が立つ。を挟んで2番煙突が配置された。2番煙突の背後に後ろ向きの3番主砲塔が配置されたため、本級の艦載艇置き場は2本煙突の間に爆風を避けるためのスクリーンを設けて保護され、艦載艇は2番煙突付近にクレーン1を片舷1基ずつ計2基により運用された。

中央甲板上の3番主砲塔を挟んで後部甲板上の後部見張り所の後方に4番・5番主砲塔が後ろ向きに背負い式で2基が配置された。副砲の10.2cm速射砲は艦橋基部と後部見張り所の基部に16門が分散配置された。第一次大戦中に艦橋構造が増設されて射撃方位盤室と射撃指揮所が設けられた。これに伴い、トップマストの短縮と煙突の側面に探照灯が増設された。

武装

主砲

Mark V 34.3cm(45口径)砲の主砲塔の構造を示した図。

本艦の主砲は、前述通りに新設計の「1912年型 Mark V 34.3cm(45口径)砲」を採用し、砲塔は改良型となり前型の567㎏より約12%重い635kgの重量弾を運用できるようになった。その性能は砲口初速762m/s、重量635kgの砲弾を最大仰角20度で21,710mまで届かせられ、射程9,144mで舷側装甲318mmを貫通できる能力を持っていた。砲身の上下は仰角20度・俯角3度で、旋回角度は単体首尾線方向を0度として1番・2番・4番・5番砲塔は左右150度であったが、3番砲塔は150度の旋回角のうち後部艦橋を避けるため後方0度から左右30度の間が死角となっていた。発射速度は毎分1.5発程度であった。

副砲、その他備砲、雷装

本艦の副武装は「1910年型 Mark VII 15.2cm(45口径)速射砲」を採用した。その性能は45.4kgの砲弾を、最大仰角20度で13,350mまで届かせられた。砲身の俯仰・砲塔の旋回・砲弾の揚弾・装填は主に人力を必要とした。砲身の上下角度は仰角20度・俯角7度で旋回角度は360度であった。発射速度は1分間に5~7発であった。

他に対艦攻撃用に53.3cm水中魚雷発射管3門を装備していた。

艦歴

ベンボウ、アイアン・デュークおよびマールバラはユトランド沖海戦に参加した。エンペラー・オブ・インディアは1931年に標的艦として沈められた。ベンボウは1929年に、マールバラは1932年にスクラップとして売却された。アイアン・デュークはワシントン海軍軍縮条約の結果練習艦に転換され、1946年にスクラップとして売却された。

  • アイアン・デューク

ポーツマス海軍造船所にて1912年1月12日起工、同年10月12日進水、1914年3月就役。1931年に練習艦に移籍、1946年3月2日に解体業者に売却処分。

  • ベンボー

ベアードモア社ダミュール造船所にて1912年5月30日に起工、1913年11月12日進水、1914年10月就役。1931年3月に解体業者に売却処分。

  • マールバラ

デヴォンポート造船所にて1912年1月25日起工、同年10月24日進水、1914年6月就役。1932年6月27日に解体業者に売却処分。

  • エンペラー・オブ・インディア(旧:デリー)

ヴィッカーズ社ベロー造船所にて1912年5月31日に起工、1913年11月27日に進水、1914年11月就役。1931年9月1日に標的艦として処分。

関連項目

参考文献

  • 「世界の艦船増刊第22集 近代戦艦史」(海人社)
  • 「世界の艦船増刊第83集 近代戦艦史」(海人社)
  • 「世界の艦船増刊第30集 イギリス戦艦史」(海人社)

外部リンク

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