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万多親王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
万多親王
前賢故実』より
時代 奈良時代末期 - 平安時代初期
生誕 延暦7年(788年
薨去 天長7年4月21日830年5月16日
改名 茨田 → 万多
官位 二品大宰帥一品
父母 父:桓武天皇、母:藤原小屎
兄弟 平城天皇朝原内親王長岡岡成伊予親王良岑安世嵯峨天皇淳和天皇葛原親王大宅内親王高津内親王万多親王高志内親王明日香親王仲野親王佐味親王坂本親王賀陽親王布勢内親王葛井親王安勅内親王賀楽内親王菅原内親王甘南美内親王伊都内親王
正行王雄風王正躬王
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万多親王(まんだしんのう/まんたしんのう)は、桓武天皇の第五皇子。初名は茨田官位二品大宰帥一品旧字を用いると萬多親王

経歴

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延暦14年(795年周防国の田百町、山八百町を賜る。延暦20年(801年元服

嵯峨朝にて右大臣藤原園人らとともに『新撰姓氏録』を編纂し、弘仁5年(814年)に完成させた(この時の官位は四品・中務卿)。弘仁8年(817年三品に叙せられ、弘仁14年(823年式部卿に任ぜられる。

淳和朝天長5年(828年大宰帥に任ぜられ、天長7年(830年)4月に二品に昇叙されるが、同月21日に薨去享年43。即日一品贈位を受けた。

略歴

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系譜

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脚注

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  1. ^ a b 『日本後紀』天長7年4月21日条
  2. ^ 『日本文徳天皇実録』天安2年7月10日条
  3. ^ 『日本文徳天皇実録』斉衡2年6月26日条
  4. ^ 『日本三代実録』貞観5年5月1日条

参考文献

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