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藤原小屎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

藤原 小屎(ふじわら の おくそ/おぐそ、生没年不詳)は、奈良時代後期から平安時代初期にかけての桓武天皇夫人中務大輔藤原鷲取の娘。官位従五位上[1]。別名藤子[2]

生涯

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桓武天皇の夫人で、延暦7年(788年)に万多親王を産んだこと以外はよくわかっていない。しかし、小屎の祖父である藤原魚名左大臣在任中の天応2年(782年)に失脚し、程なく没してしまったため、小屎の入内は祖父の名誉回復のような影響を及ぼしたとされている[3]

また、そもそも魚名は自らの孫娘(小屎)を夫人にすることに固執したために桓武天皇の不興を買い、失脚したという説もある[4]

系譜

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脚注

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  1. ^ 一代要記』による
  2. ^ 尊卑分脈』による
  3. ^ 岩下 2013,13頁
  4. ^ 木本 2014,23頁

参考文献

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  • オープンアクセス岩下紀之「桓武天皇の後宮」『愛知淑徳大学国語国文』36号、愛知淑徳大学国文学会、2013年 NAID 120005270941
  • オープンアクセス木本好信「光仁朝以降の藤原魚名について」『甲子園短期大学紀要』32号、甲子園短期大学、2014年 NAID 110009752686