日野西資国
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時代 | 南北朝時代 - 室町時代前期 |
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生誕 | 貞治4年(1365年) |
死没 | 応永35年3月25日(1428年4月9日) |
改名 | 資国→恒佑(法名) |
官位 | 正三位、准大臣、贈左大臣 |
主君 | 後小松天皇 |
氏族 | 藤原北家真夏流日野家→日野西家 |
父母 | 父:日野時光 |
兄弟 | 日野資康、日野業子、日野資教、資国 |
子 | 盛光、資子、柳原忠秀室、柳原行光室、後小松天皇女房 |
特記 事項 | 称光天皇の外祖父 |
日野西 資国(ひのにし すけくに)は、南北朝時代から室町時代前期にかけての公卿。藤原北家真夏流日野家、日野時光の子。官位は正三位・准大臣、贈左大臣。日野西家の祖。
官歴
[編集]- 初期官歴不明
- 応永元年(1394年)以前 蔵人頭
- 応永元年(1394年)以前 左中弁
- 応永元年12月25日(1395年1月16日) - 応永2年(1395年) 参議
- 応永元年12月25日(1395年1月16日) - 応永2年(1395年) 右大弁
- 応永2年3月29日(1395年4月19日) - 応永2年(1395年)年内 備中権守
- 応永6年8月24日(1399年9月24日) - 応永10年3月22日(1403年4月13日) 参議
- 応永7年3月28日(1400年4月22日) - 応永10年3月22日(1403年4月13日) 能登権守
- 応永10年3月22日(1403年4月13日) - 応永12年7月11日(1405年8月5日) 権中納言
- 応永12年7月11日(1405年8月5日) - 応永12年7月13日(1405年8月7日)[1] 権大納言
- 応永35年3月25日(1428年4月9日) 准大臣
- 年月日不明 贈左大臣[2]
位階歴
[編集]系譜
[編集]- 父:日野時光 - 日野家19代
- 母:不詳
- 妻:不詳
- 生母不明の子女
脚注
[編集]出典
[編集]- 『公卿補任』
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