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佐竹義篤 (九代当主)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
佐竹義篤
時代 鎌倉時代末期から南北朝時代
生誕 延慶4年/応長元年(1311年
死没 正平17年1月12日1362年2月7日))
改名 春山浄喜
別名 次郎
戒名 清音寺院殿春山浄喜大禅定門
墓所 清音庵
官位 刑部大輔右馬権頭伊予守、左兵衛尉、常陸介、駿河守、遠江守、右馬頭
幕府 室町幕府
氏族 佐竹氏
父母 父:佐竹貞義、母:海上胤泰の娘
兄弟 月山周枢義篤小瀬義春義資義直義冬師義
正室:小田知貞の娘、側室:梅ノ局
佐竹義宣(義香)、小場義躬石塚宗義、乙王丸、大山義孝藤井義貫(義實)、女子3人など
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佐竹 義篤(さたけ よしあつ)は、南北朝時代の武将で、常陸国佐竹氏9代当主。

略歴

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8代当主佐竹貞義の次男で通称は次郎。兄の周枢は庶子のために正宗寺の僧になったので、家督を継いだ。建武の新政が崩壊し、南北朝の争乱が勃発すると足利尊氏に味方し、常陸守護に任じられ、帰国後は常陸国の北朝勢力の中心として活動した。

少なくても、文和3年(1354年)から延文2年(1357年)まで在京し、右馬権頭の官途を与えられ、室町幕府の侍所頭人を務めている[1]。晩年は禅宗に帰依し、入道して春山浄喜と号し、常陸国那珂郡古内郷に清音庵(後の清音寺)を建立。

子孫

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義篤は、弟や子供たちに小場氏(小場氏の養子に)、石塚氏大山氏(大山氏の祖)、藤井氏(藤井の祖)と名乗らせ、領地をあたえている。なお、4男の乙王丸は若くして死亡し、他にも女子が3人いるが、嫁ぎ先などは不明。

脚注

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  1. ^ 佐々木倫朗「総論Ⅰ 中世における常陸佐竹氏の動向」佐々木倫朗 編著『シリーズ・中世関東武士の研究 第三十巻 常陸佐竹氏』(戒光祥出版、2021年)ISBN 978-4-86403-375-6 P9.

参考文献

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