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滋野井実冬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
滋野井実冬
時代 鎌倉時代初期 - 後期
生誕 寛元元年(1243年
死没 乾元2年5月27日1303年7月12日
改名 実冬→阿覚(法名)→実覚(法名)
官位 正二位権大納言
主君 後嵯峨天皇後深草天皇亀山天皇後宇多天皇伏見天皇
氏族 滋野井家
父母 父:滋野井公光、母:一条実有の娘
兄弟 実冬、女子(従三位中納言典侍)、女子(一条実家室)
鴨祐継の娘
冬季冬家、女子(昭訓門院三条局)
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滋野井 実冬(しげのい さねふゆ、旧字体滋󠄁野井 實冬󠄀)は、鎌倉時代初期から後期にかけての公卿滋野井公光の長男。

経歴

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寛元3年(1245年従五位下叙爵宝治元年(1247年)従五位上・侍従に叙任され、建長元年(1249年左近衛少将に任ぜられた。

建長2年(1250年正五位下に叙せられる。建長3年(1251年美作介を兼ね、建長4年(1252年従四位下に昇叙。建長7年(1255年)には従四位上に進み、建長8年(1256年)左近衛中将に転じた。康元2年(1257年近江介を経て、正嘉2年(1258年正四位下に叙せられる。文永8年(1274年)右近衛中将に遷り、蔵人頭に補任。文永10年12月(1274年1月)参議に任ぜられて公卿に列した。

文永11年(1274年従三位右兵衛督に叙任。但馬権守を兼ねる。建治元年(1275年)左兵衛督に遷り、建治3年(1277年)には正三位権中納言に叙任された。同時に右衛門督検非違使別当を兼帯する。弘安元年(1278年従二位、弘安6年(1283年)には正二位に叙せられた。弘安7年(1284年)右衛門督を辞退する。

弘安9年(1286年)権中納言を辞退し、本座を聴される。弘安10年(1287年)には中納言となり、正応元年(1288年)ついに権大納言に任ぜられた。

同年10月に権大納言を辞職。11月に本座を聴され、翌正応2年(1289年)11月に出家した。出家直前の9月13日、西園寺公子春日社行啓した際にはこれに供奉している[1]乾元2年(1303年)5月27日薨去享年61。実冬を『本朝書籍目録』の編者とする説がある。

官歴

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※以下、『公卿補任』の記載に従う。

  • 寛元3年(1245年)正月5日:従五位下に叙す(臨時)。
  • 宝治元年(1247年
    • 9月27日:従五位上に叙す(安嘉門院当年御給)。
    • 12月12日(1248年1月9日):侍従に任ず。
  • 建長元年(1249年)8月6日:左近衛少将に任ず。
  • 建長2年(1250年)4月9日:正五位下に叙す(室町院当年御給)。
  • 建長3年(1251年)正月22日:美作介を兼ぬ。
  • 建長4年(1252年)正月5日:従四位下に叙す。
  • 建長7年(1255年
    • 正月5日:従四位上に叙す(室町院当年御給)。
    • 11月10日:喪に服す(父)。
  • 建長8年(1256年
    • 2月26日:復任。
    • 12月12日:左近衛中将に転ず。
  • 康元2年(1257年)正月22日:近江介を兼ぬ。
  • 正嘉2年(1258年)正月5日:正四位下に叙す。
  • 文応元年(1260年)11月7日:介を止む。
  • 文永8年(1271年)4月7日:右近衛中将に転じ、蔵人頭に補す。
  • 文永10年12月8日(1274年1月17日):参議に任ず。中将如元。
  • 文永11年(1274年
    • 正月20日:但馬権守を兼ぬ。
    • 4月5日:従三位に叙す。
    • 9月14日:大嘗会御禊次第司・御後長官に補す。
    • 10月3日:右兵衛督に転じ、中将を去る。
  • 建治元年(1275年)10月8日:左兵衛督に転ず。
  • 建治3年(1277年
    • 正月5日:正三位に叙す(親院当年御給)。
    • 正月29日:右衛門督に転じ、検非違使別当に補す。
    • 9月13日:権中納言に任ず。
  • 弘安元年(1278年
    • 4月17日:従二位に叙す。
    • 12月25日(1279年2月7日):別当を辞す。
  • 弘安6年(1283年)正月5日:正二位に叙す。
  • 弘安7年(1284年)正月16日:右衛門督を辞す。
  • 弘安9年(1286年
    • 正月13日:職を辞す。
    • 正月17日:本座を聴す。
  • 弘安10年(1287年)正月13日:中納言に任ず。
  • 正応元年(1288年
    • 7月11日:権大納言に任ず。
    • 10月27日:権大納言を辞す。
    • 11月8日:本座を聴す。
  • 正応2年(1289年)11月21日:出家。

系譜

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脚注

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  1. ^ 吉続記正応2年9月13日条。

関連項目

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