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岩元達一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
岩元達一

岩元 達一(いわもと たついち、1909年明治42年)9月1日[1] - 1982年昭和57年)6月23日[2][3])は、日本の実業家政治家山形屋会長、貴族院多額納税者議員

経歴

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鹿児島県鹿児島市で、実業家・岩元善蔵(岩元信兵衛弟)の三男として生まれ、伯父・信兵衛の養嗣子となり、山形屋の6代目を継承した[4]。第一鹿児島中学校(現鹿児島県立鶴丸高等学校)を経て、1934年(昭和9年)慶應義塾大学法学部を卒業した[2][3][4]。その後、東京銀座松屋に入社し、デパート経営を経験した[3][4]

1935年(昭和10年)山形屋の取締役に就任し、1943年(昭和18年)会長となる[3][4]。その他、田辺鉄工所監査役、新生工業副社長、日本瓦斯取締役、小牧組取締役などを務めた[2]

1939年(昭和14年)9月29日に貴族院多額納税者議員に任じられ[5]研究会に属して活動し、1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]

1969年(昭和44年)県財界などの支持を受け鹿児島空港ビルディング社長に就任し、1980年(昭和55年)同会長となった[4]。その他、鹿児島商工会議所特別顧問、鹿児島県経済同友会終身幹事などを歴任した[3]

1982年6月、腎不全のため鹿児島市立病院で死去した[3]

親族

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  • 兄 岩元修一(山形屋社長)[4]

脚注

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  1. ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、170頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』188頁。
  3. ^ a b c d e f 『現代物故者事典 1980〜1982』43頁。
  4. ^ a b c d e f 『鹿児島大百科事典』91頁。
  5. ^ 『官報』第3823号、昭和14年9月29日。

参考文献

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  • 『鹿児島大百科事典』南日本新聞社、1981年。
  • 『現代物故者事典 1980〜1982』日外アソシエーツ、1983年。
  • 『議会制度百年史 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。