コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

水心会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
水心会
設立1995年
設立者水田元久
本部長崎県長崎市
首領水田元久
活動期間1995年 - 2007年
構成員数
(推定)
30余名
上部団体 山口組

水心会(すいしんかい[1])は、長崎県長崎市に本部を置いて1995年頃から2007年まで活動した暴力団指定暴力団山口組の二次団体であったものの、同組織を除籍[2]となって解散した。構成員の総数は解散時で30余(準構成員を含む)。

略史

[編集]

長崎県内最大の組織で、五代目山口組において同県唯一の二次団体であった松本組が1994年末に解散する事態となったことから、同組で永く舎弟頭を務めていた水田組組長・水田元久が、その後継団体として結成。水田は1995年4月、五代目山口組若中に取り立てられた。

その後、同じ長崎市内に本拠を置く山口組系石湊会が勢いを増すに連れ、勢力を減少させていった。1998年から1999年に掛け、山口組傘下団体との抗争事件を起こした[3][4]

2007年4月17日夜、数年前まで若頭を務めていた城尾哲弥・会長代行が、市長選挙期間中の長崎市内の路上で現職の市長・伊藤一長を銃撃し、殺人未遂の現行犯で逮捕された。翌18日未明に市長は死亡し、組事務所にも早朝から家宅捜索が入った(長崎市長射殺事件)。この事件を受けて18日に開かれた六代目山口組の緊急最高幹部会で、水田への除籍処分が確定。水田は同日午後、自ら長崎県警察本部を訪れ、自身の引退と水心会の解散を表明する「解散届」を提出した。

直ちに、若頭だった人物を中心に後継団体「清田会」が組織され、大半の組員が移行した。清田会は、六代目山口組若頭補佐兼九州ブロック長・青山千尋の率いる二代目伊豆組福岡市中央区)の預かりとなった[5]

最高幹部

[編集]
  • 会長・水田元久(六代目山口組若中、水田組初代組長)
  • 会長代行・城尾哲弥
  • 若頭・〔氏名不詳〕
  • 本部長・水田重規(二代目水田組組長)

出典

[編集]

以下の出典において、記事名に会長代行の実名が使われている場合、この箇所を伏字とする

  1. ^ “Nagasaki mayor killed; Japanese gangster blamed” ((英語)). ロサンゼルスタイムズ. (2007年4月18日). http://articles.latimes.com/2007/apr/18/world/fg-mayor18  - 『Police identified the suspect as XXX, 59, described as the acting chairman of the Suishin-kai, a local gang affiliated with the national Yamaguchi-gumi crime syndicate.』 - 『スイシンカイ』
  2. ^ “長崎市長射殺:○○容疑者所属の水心会を山口組が除籍処分”. 毎日新聞. (2007年4月19日) 記事のアーカイブ
  3. ^ “容疑者所属の水心会、地元では「武闘派」トラブル度々”. 読売新聞. (2007年4月18日) 記事のアーカイブ
  4. ^ “容疑者所属の暴力団が解散”. 西日本新聞. (2007年4月19日) 記事のアーカイブ
  5. ^ “解散後、幹部が新組織 ○○容疑者所属の暴力団”. 長崎新聞. (2007年4月22日). http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji/20070422/03.shtml (リンク切れ)

参考文献

[編集]
  • 『別冊実話時代 丸ごと一冊六代目山口組』メディアボーイ、2006年。
  • 「連載第8弾 山口組「直系組長」の武勲戦歴! ~九州ブロック篇~」『週刊アサヒ芸能』2005年11月3日号(第60巻第42号通巻3028号)、徳間書店、2005年、pp.48-49。