襄公 (魯)
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襄公 姫午 | |
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魯 | |
第23代公 | |
王朝 | 魯 |
在位期間 | 前572年 - 前542年 |
都城 | 曲阜 |
姓・諱 | 姫午 |
諡号 | 襄公 |
生年 | 成公16年(前575年) |
没年 |
襄公31年6月29日[1] (前542年5月31日) |
父 | 成公 |
母 | 定姒 |
生涯
[編集]成公18年(紀元前573年)、成公が薨去すると、3歳の姫午が君主の位についた。これが魯の襄公である。襄公は季孫行父を丞相として、魯国の安定をはかった。襄公5年(紀元前568年)、大臣の季孫行父が死去したとき、季孫行父は薄葬をもって葬儀を進めるよう遺言しており、襄公はこれに感動して季孫行父を廉吏とたたえ、季孫行父の諡号を「文」(季文子)とした。
襄公21年(紀元前552年)、襄公は自ら晋の平公のもとに朝拝した。襄公31年(紀元前542年)6月、薨去。太子の姫野が即位した。
家族
[編集]父
- 成公姫黒肱
母
妻
子
脚注
[編集]