植場鉄三
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植場 鉄三(うえば てつぞう、1894年(明治27年)1月22日[1] - 1964年(昭和39年)1月30日[2])は、日本の拓務官僚。実業家。
経歴
[編集]大阪府に郡正光の子として生まれ、衆議院議員植場平の養子となった[1]。1921年(大正10年)京都帝国大学経済学部を卒業し、翌年に高等試験に合格した[1]。秋田県平鹿郡長、同農林課長、同庶務課長、同知事官房主事、長崎県事務官・社会課長、兵庫県事務官・社会課長、樺太庁農林部長などを務めた[1]。1933年(昭和8年)より拓務書記官・農林課長、拓務大臣秘書官・官房秘書課長、管理局長、殖産局長を歴任[1]。1941年(昭和16年)8月に退官するが、12月に拓務次官として復帰した[1]。
1943年(昭和18年)より中支那振興株式会社副総裁を務め、翌年には内閣綜合計画局長官に就任した[2]。
戦後は大建産業株式会社社長、呉羽紡績株式会社社長、東洋パルプ株式会社社長、財団法人伊藤忠兵衛基金理事長を務めた。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 日本官界名鑑 1942.
- ^ a b 戦前期日本官僚制の制度・組織・人事 1981.
参考文献
[編集]- 日本官界情報社編『日本官界名鑑 昭和十七年版』日本官界情報社、1942年。
- 戦前期官僚制研究会編『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』東京大学出版会、1981年。
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