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メジロスイセイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
メジロスイセイ
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1968年3月3日
死没 不明
ネヴァービート
アサマユリ
生国 日本の旗 日本北海道浦河町
生産者 王蔵牧場
馬主 メジロ商事
木村孝
調教師 大久保末吉東京
梅内慶蔵栗東
千葉忠一(岩手
競走成績
生涯成績 45戦9勝(中央競馬のみ)
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メジロスイセイ日本競走馬メジロ牧場の基礎牝系の一頭であるアサマユリの直仔で、アサマユリ系としては初めての重賞競走の勝ち馬となった。

愛称の由来

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競走馬名・メジロスイセイの由来は、国鉄に当時存在していた、寝台特別急行列車の「彗星」から採られている。これは、1968年産まれのメジロ商事北野豊吉の持ち馬の名前が、特急列車から採られているためで、同期には、メジロゲッコウ(寝台特急「月光」より採られた)がいる。

戦績

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1970年7月4日福島競馬場の新馬戦でデビューを果たしたメジロスイセイだが、12月13日に初勝利を挙げるまでに6戦を要した。その後8戦するも、下級条件戦で1勝を挙げたのみで目立った活躍も無く、1971年10月16日のレースを最後に売却され、関西の梅内慶蔵厩舎に転厩した。

ところが、梅内忍騎手を鞍上に、1972年6月に中京競馬場の条件戦に出走して勝利を飾ると、条件特別戦でも好走を重ね、1972年秋の京都記念に格上挑戦すると、直線鋭く追い込んで、ヤマニンウエーブの2着に入る活躍を見せた。

1973年には、金杯日本経済新春杯でも入着し、休養を挟んで夏には待望のオープンクラス入りを果たした。そして、京都記念(秋)でヤマニンウエーブに雪辱し、重賞制覇を飾った。

その後は、1974年春の天皇賞で4着に入るなど、重賞競走で好走したが、勝ち鞍は阪神競馬場のオープン(ダート1800メートル・1:53:0のレコード勝ちだった)だけで、1975年秋の阪神競馬場のオープン(2着)を最後に、岩手公営に転出した。

岩手公営では千葉忠一厩舎に所属し、1976年みちのく大賞典を勝つなどして活躍した。

血統表

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メジロスイセイ血統(ネヴァーセイダイ系(ナスルーラ系) / Nearco 父内4x4=12.50%、 Man O'War 4x5=9.38%、 Tetratema 4x5=9.38%、 Blandford 5x5=6.25%) (血統表の出典)

*ネヴァービート
Never Beat
1960 栃栗毛 イギリス
父の父
Never Say Die
1951 栗毛 アメリカ
Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Singing Grass War Admiral
Boreale
父の母
Bride Elect
1952 黒鹿毛 イギリス
Big Game Bahram
Myrobella
Netherton Maid Nearco
Phase

アサマユリ
1959 栗毛 日本
ボストニアン
1950 栗毛 日本
*セフト
Theft
Tetratema
Voleuse
神正 *ダイオライト
*種正
母の母
トモエ
1951 栗毛 日本
月友 Man O' War
*星友
アスエ *プリメロ
第六オーグメント F-No.7-c


外部リンク

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