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今帰仁城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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今帰仁城
沖縄県
今帰仁城
今帰仁城
別名 北山城
山北今帰仁城
城郭構造 山城
天守構造 なし
築城主 湧川王子(英祖王の次男)
築城年 13世紀
主な城主 仲北山王:
湧川王子英祖王の次男)
湧川按司(湧川王子の長男)
今帰仁按司一世(湧川王子の長男)
仲昔今帰仁按司(今帰仁按司一世の長男)
仲宗根若按司(仲昔今帰仁按司の長男)

後北山王怕尼芝王統
第一尚氏琉球王国
廃城年 1665年寛文5年)
遺構 城壁、石垣
指定文化財 国の史跡(今帰仁城跡 附シイナ城跡)
世界遺産(琉球王国のグスク及び関連遺産群)
位置 北緯26度41分26.8秒 東経127度55分47.2秒 / 北緯26.690778度 東経127.929778度 / 26.690778; 127.929778 (今帰仁城)座標: 北緯26度41分26.8秒 東経127度55分47.2秒 / 北緯26.690778度 東経127.929778度 / 26.690778; 127.929778 (今帰仁城)
地図
今帰仁城の位置(沖縄本島内)
今帰仁城
今帰仁城
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主郭にある火之神の祠
古宇利殿内(フイドゥンチ)
今帰仁城跡入口
御内原からの眺望

今帰仁城(なきじんぐすく、なきじんじょう、別名:北山城(ほくざんじょう、ほくざんぐすく))は、沖縄県国頭郡今帰仁村に位置する城跡である。

14世紀琉球王国成立以前に存在した北山の国王・北山王居城であった。国の史跡、世界文化遺産の一部に指定されている。

伝説と略歴

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現地の伝説によれば、今帰仁世の主が築いたと伝わるが、伝説上の王統・舜天王統が始まるよりも遥か前の事だと言う。さらに利勇の反乱により世主は尽く滅亡したと伝わる。なお、現在まで発見された城郭跡は12 - 13世紀頃の築城である[1]

中山世鑑』や『中山世譜』によれば、伝説王・舜天の兄(異母弟とも)、大舜とその子が城主となり、のち舜天二世・舜馬順煕の子、今帰仁世の主(義本王とは兄弟)が城主となる。なお、この代の今帰仁世の主の二世(不詳)の養子となり今帰仁城主を継いだのが英祖王の次男、湧川王子と伝わる。

湧川王子と子孫は代々城主を継ぐが、係累の怕尼芝に討たれ、それまでの城主係累は滅亡、離散する(その子孫に護佐丸がいる)。北山王国の始まりである。怕尼芝より前代は伝記と系譜だけで年代は分かっていないため伝説に近い。

洪武帝明太祖実録』に北山王国の朝貢と今帰仁城の事が記述されている(現存する文献上、最も古い記録)。

1416年、北山王国は中山王尚巴志に滅ぼされるが、以後は北山監守が置かれた。1609年琉球侵攻後、1665年(康熙4年)には廃止されている。以降は具志川御殿十世今帰仁朝義と係累が琉球処分まで監守跡を管理した。

概要

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おもろさうし』に見える今帰仁の古名は「みやきせん」と言う。

きこゑみやきせん もゝまかり つみあけて かはらよせ御くすく けらへ 又とよむみやきせん — おもろさうし、巻十三・一二五番

今帰仁城内からは中国東南アジアなどの陶磁器が多く出土し、往時の繁栄をうかがわせる。北山は尚巴志1416年応永23年・永楽14年。1422年(応永29年・永楽20年)説もある)に滅ぼされるが、北山が滅ぼされた後も旧北山統治の要所として引き続き使用され、北山監守が派遣された。1609年薩摩藩による琉球侵攻の際には、その攻撃の第一目標となった。

現在も石垣などの遺構の整備が進み、今帰仁城跡として1972年昭和47年)5月15日に国の史跡に今帰仁城跡として指定される[2]。門から城の中心部へと向かう階段(戦後に造られたもの)の左右にはカンヒザクラの並木があり、毎年1月末 - 2月初めに開花する。本部町八重岳などと並び、桜の名所として知られている。城内には志慶真乙樽歌碑や山北今帰仁城監守来歴碑記などの碑もある。

2000年平成12年)11月に首里城跡などとともに、琉球王国のグスク及び関連遺産群としてユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録された(登録名称は今帰仁城跡)。

2006年(平成18年)4月6日日本100名城(98番)に選定された。

2010年(平成22年)2月22日に国の史跡地域が追加され、史跡名称が今帰仁城跡 附シイナ城跡へ改められた[3]

史績、城域

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南北350 m、東西800 m、面積37,000 m2。県内最大級の城(グスク)として名高い。複数の城郭により区切られ、本丸的な王邸、城主側近の武士の邸宅跡などが確認できる。城下も広く、ミームングスク、ターラグスクなどの出城もある。

出土品には14 - 15世紀頃の中国製陶磁器が多く、後北山の朝貢貿易の影響と見られ、中国の様々な文物がある。他には高麗青磁器、東南アジアや日本からの焼物もある。さらに武具類、祭祀品など様々なものも出土する。

附シイナ城跡

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シイナ城跡は今帰仁城跡から南東6キロの今帰仁村字呉我山三謝原にあり、13世紀中に築城され短期間で廃城された。石垣跡が見られる。

今帰仁の築城以前の中心拠点として、シイナ城に按司が住んだが、用水に不足し、今帰仁城に移ったと言う伝承がある。

現地情報

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世界遺産登録以降、城跡は徐々に整備および修復作業の強化が行われた。また駐車場が城跡入口付近へ、場内に入る際のチケット販売所がグスク交流センターへ移設された。2005年(平成17年)9月1日、グスク交流センターや観光バス駐車場などの周辺設備の整備に伴い、今帰仁城跡のみの入場料が今帰仁城跡と今帰仁村歴史文化センターの共通料金となり、300円から400円に値上げされた。2023年4月から600円となっている。

観覧料

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今帰仁村歴史文化センターと共通

  • 大人:600円
  • 中高校生:450円
  • 小学生以下:無料

アクセス

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バス路線
今帰仁城跡バス停
今帰仁城跡入口バス停(徒歩15分程度)
  • 65番・本部半島(渡久地)線(琉球バス交通沖縄バス
  • 66番・本部半島(今帰仁)線(琉球バス交通・沖縄バス)
名護バスターミナルからだと66番の方が早く到着でき、運賃も安くなる。

脚注

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  1. ^ 『今帰仁村史』
  2. ^ 1972年昭和47年)5月15日文部省告示第58号「記念物を史跡等に指定する件」
  3. ^ 2010年平成22年)2月22日文部科学省告示第17号「史跡に地域を追加して指定し、名称を改める件」

参考文献

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  • 『今帰仁村史』
  • 『ぐすく グスク分布調査報告(I) - 沖縄本島及び周辺離島-』(1983年)沖縄教育委員会、沖縄県文化財調査報告書第53集

関連項目

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外部リンク

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