松本八十八
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松本 八十八(まつもと やそはち、1838年(天保9年4月[1][2])- 1915年(大正4年)2月21日[1][2][3][4])は、幕末の村役人、明治期の政治家。衆議院議員、新潟県佐渡郡恋ヶ浦村長。
経歴
[編集]佐渡国雑太郡真野村背合(新潟県[1]雑太郡真野村、佐渡郡真野村[2]、真野町を経て現佐渡市背合)で、松本与三兵衛の息子として生まれた[3][4]。圓山溟北に漢学を、堀口松庵に書法を学んだ[3][4]。
相川奉行所教導職事務掛、浦役人を務めた[1][2][3][4]。明治維新後、滝脇背合村戸長、大小外6ケ村戸長、小学区学務委員、恋ヶ浦村長などを務めた[1][2][3][4]。1893年(明治26年)新潟県会議員に選出された[1][2][3][4]。また、真野村会議員にも在任した[1][2]。
1894年(明治27年)3月、第3回衆議院議員総選挙(新潟県第9区、立憲改進党)で当選し[3][4][5]、衆議院議員に1期在任した[1][2]。同年9月の第4回総選挙(新潟県第9区、立憲改進党)では次点で落選した[6]。
人物
[編集]能楽、囲碁、生花、点茶などを嗜み、特に能楽は、宝生流宗家・宝生九郎知栄の門下となり、佐渡の能楽振興に貢献した[3][4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 佐渡郡教育研究会、両津市教育研究会編『概観佐渡』概観佐渡刊行委員会、1964年。
- 牧田利平編『越佐人物誌 中巻』野島出版、1972年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。