三谷隆信
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三谷 隆信(みたに たかのぶ、1892年6月17日 - 1985年1月13日)は、日本の官僚、外交官、教育者。
略歴
[編集]- 1892年 - 京都府与謝郡弓木村(現在の与謝野町)出身で、横浜で生糸商をしていた三谷宗兵衛の二男として生まれる。
- 京都府立四中、一高を経て、
- 1917年 - 東京帝国大学法科大学独法科卒業 内務省入省。
- 1919年 - 広島県沼隈郡長となりのち外務省に入り、大使館三等書記官、条約局第三課長、大臣官房人事課長、在仏国大使館一等書記官、参事官条約局長を経て、
- 1938年 - 外務省文化事業部長
- 1940年 - スイス大使
- 1942年 - フランス大使
- 1946年 - 退官。
- 1947年 - 学習院女子部長
- 1948年 - 宮内庁侍従長
- 1953年 - 皇太子海外ご訪問の随員を務む。
- 1965年 - 退任。
- 1985年 - 1月13日死去。92歳没。
文献
[編集]- 『回顧録 侍従長の昭和史』(中公文庫〈シリーズ戦後史の証言-占領と講和③〉、1999年3月)
- 改訂新編『侍従長回顧録』(中公文庫(古川隆久解説)、2024年3月)
- 欧州赴任から東宮随行までを回想。初刊は私家版(講談社事業出版、1980年)
- 足立邦夫『臣下の大戦』(新潮社、1995年)
- 岸田英夫『侍従長の昭和史』(朝日新聞社、1982年)
- 改訂版『天皇と侍従長』(朝日文庫、1986年)- 第6章が三谷の章
- 『昭和天皇拝謁記:初代宮内庁長官 田島道治の記録』(岩波書店 全7巻、2021-23年)、最終第7巻に三谷宛の書簡
- 『「昭和天皇拝謁記」を読む』(同上、2024年)- 副読本で第13章に古川隆久「侍従長三谷隆信の人と軌跡」
その他
[編集]栄典
[編集]- 勲章等
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[1]
- 外国勲章佩用允許
家族・親族
[編集]- 父・三谷宗兵衛(1918年没) ‐ 京都府岩滝村で代々造り酒屋を営む庄屋の一人息子として生まれ、明治維新後に上京し、横浜で生糸商を営んだ。
- 母・コウ(1862年生) ‐ 神奈川県和泉村の豪農・横山谷右衛門の四女。土木請負業者と二男一女を儲けたが離婚し宗兵衛と再婚。[3]
- 異母姉・三谷民子(1873-1945) ‐ 女子学院校長。幼少期に母を亡くし、父とも別れて上京、11歳から女子学院で学び、卒業後も同校で教えた[4]。1897年に英語教師の資格を得、1900年に渡米し、ドワイト・ムーディーが創設したノースフィールド女子神学校で1年学び、ペンシルベニア大学で聴講するなど欧米の教育事情を視察後帰国、女子学院教師を続け、1927年同校院長就任[5][6]。
- 異母姉・ヨウ(要、1881年生) ‐ 宗兵衛の庶子。大日本重石鉱業社長・青柳直道の長男・幹一の妻[7]。夫の弟に青柳瑞穂
- 異父兄・長谷川伸(1884-1963) ‐ 作家
- 兄・三谷隆正(1889-1944) ‐ 法学者
- 妹・妙(1895年生)‐ 山谷省吾の妻[8]
- 妹・田鶴子(1898年生) ‐ 夫は川西実三(日本赤十字社社長)
- 妻・李枝子 ‐ 父は教育者・政治家の長尾半平。妹の良子は海軍大将、男爵、呉鎮守府司令長官 加藤定吉の長男に嫁す
- 長男・三谷信 - 実業家。三島由紀夫の親友。代表作「仮面の告白」の登場人物のモデル。岳父に日本興業銀行総裁の岸喜二雄、そのいとこに正岡子規がいる。
- 長女・邦子(1927年7月20日生) ‐ 女子学院卒。同じく「仮面の告白」園子のモデルとなった。夫の永井邦夫は外交官永井松三の長男で1915年3月25日生、1940年東大法学部政治学科卒、銀行員(興銀)、実業家。永井一族には永井荷風など多数の著名人がいる。
- 二女・道子 ‐ 聖心女子学院出身。元日本郵船会長浅尾新甫長男浅尾新一郎に嫁す
- 三女・正子 ‐ 聖心女子学院出身。 夫鮎川弥一の父は日産コンツェルンの創始者鮎川義介。美智子皇后の無二の親友
- 孫・浅尾慶一郎 (参議院議員:二女の長男)
- 孫 ・鮎川純太 (実業家:三女の長男)
脚注
[編集]外部リンク
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