飯淵七三郎
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飯淵 七三郎(飯渕[1]、いいぶち しちさぶろう、1846年11月8日(弘化3年9月20日[2])- 1926年(大正15年)4月20日[3])は、明治から大正時代の政治家、銀行家。貴族院多額納税者議員。
経歴
[編集]素封家[1]・飯淵藤七の長男[2]として陸奥仙台藩領柴田郡船岡村(船岡町を経て現柴田町)に生まれる[4]。1874年(明治7年)11月、家督を相続した[2]。1879年(明治12年)船岡村会議員に当選[3]。翌年、宮城県会議員となる[4]。1893年(明治26年)久保寺豊太郎から仙台の日進学舎[注 1]を買収し、同校の改革に努めた[4]。ほか、柴田郡会議員、同議長代理などを歴任した[3]。また、農家の指導啓発に尽力するとともに、船岡村農会を設立して肥料購入、資金融資の便宜を図った[1]。
1894年(明治27年)補欠選挙[5]で宮城県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年7月4日[6]から1897年(明治30年)9月28日まで在任した[3]。1899年(明治32年)には商業貯金銀行の設立に参画し、筆頭取締役に就任した[4]。
謡曲を能くし、如城と号した[4]。墓所は角田市神次郎の法光山妙立寺[4]。ほか、柴田町船岡館山に飯淵翁頌徳碑がある[4]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 宮城県立第二中学校の前身。『宮城県百科事典』34頁。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 東洋新報社編『大正人名辞典 第3版』東洋新報社、1917年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年 。
- 『宮城県百科事典』河北新報社、1982年。
- 竹内理三ほか 編纂『宮城県姓氏家系大辞典』角川日本姓氏歴史人物大辞典4、角川書店、1994年。ISBN 4040020405。