牧田実夫
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牧田 実夫(まきた じつお、1919年(大正8年)11月18日[1] - 2011年(平成23年)7月23日[2])は、昭和から平成時代の政治家。鳥取県倉吉市長。
経歴
[編集]鳥取県久米郡倉吉町(現・倉吉市)出身[1]。1937年、鳥取県立倉吉農学校(現・鳥取県立倉吉農業高等学校)を卒業[1]。
1951年、倉吉町議会議員に初当選。町議会議員1期、市議会議員5期、鳥取県議会議員3期を務めた。1982年、倉吉市長に当選。1983年、市制施行30周年にあたり第5次総合開発計画、新広域市町村圏計画およびモデル定住圏計画を基本に「中部中核都市づくり」「活力と潤いのあるまちづくり」を目指し、「水と緑と文化のまちづくり」を目標に掲げる。河北地区土地区画整理事業の計画策定に着手。1986年、第1回くらよし女子駅伝競走大会を開催。1987年、河北第2地区土地区画整理事業の計画策定に着手。「緑の彫刻賞」「前田寛治大賞」「菅楯彦大賞」の3賞を創設し、トリエンナーレ方式により3年間でそれぞれの特別展を開催。郷土作家の顕彰と地方文化の振興に尽力した。1989年、打吹太鼓を創設。
1990年に倉吉市長を退任。その後は倉吉文化団体協議会の会長として文化の振興に寄与した。
栄典
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d 日外アソシエーツ 1999, 413頁.
- ^ a b “訃報:牧田実夫さん 91歳=元倉吉市長 /鳥取”. 毎日新聞 (2011年7月25日). 2020年5月11日閲覧。
- ^ “倉吉市名誉市民”. 倉吉市. 2022年8月11日閲覧。
参考文献
[編集]- 日外アソシエーツ 編『現代政治家人名事典』日外アソシエーツ、1999年。ISBN 481691529X。