牧田孫太郎
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牧田 孫太郎[1](まきた まごたろう、1880年(明治13年)1月[2] - 没年不明)は、日本の実業家。
人物
[編集]福岡県・牧田嘉三郎の長男[2][3][4]。山口高等学校を経て[1]、1907年、京都帝国大学経済科を卒業[2][4]。大阪合同紡績に入社[1]。成宗電鉄創立と共に入社、支配人に就任[1]。1910年、鞍手軽便鉄道に転じる[1]。1913年、日之出生命(現住友生命)に勤務する[1]。
1918年、分家する[2][4]。1921年、瀬戸内海横断電力創立に当たる[1]。同社常務取締役をつとめる[1]。1925年、広島電気に入り、取締役兼総務部長に進む[2][3]。1933年、同社監査役[1]。1938年、同社常務取締役に選ばれる[2]。
常務になってからも総務部長を兼務し、技術関係の仕事を除いた一切の社務を切り回す[3]。1942年、中国配電総務部長[4]。島根電力取締役をつとめる[1]。
「着実な事務家」といったタイプの人であるが、経営的手腕も相当なものがある[3]。宗教はキリスト教[1][2][4]。趣味は散歩、読書[2][4]。福岡県在籍で、住所は広島市大手町[2][4]。
家族・親族
[編集]- 牧田家
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 校外調査会編『帝国大学出身名鑑』校外調査会、1934年。
- 中外産業調査会編 『人的事業大系2(電力篇)』中外産業調査会、1939年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。