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牧宮神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
牧宮神社

拝殿
所在地 群馬県吾妻郡長野原町大字北軽井沢1987番地[1][注 1]
位置 北緯36度28分00.05秒 東経138度35分23.64秒 / 北緯36.4666806度 東経138.5899000度 / 36.4666806; 138.5899000 (牧宮神社)座標: 北緯36度28分00.05秒 東経138度35分23.64秒 / 北緯36.4666806度 東経138.5899000度 / 36.4666806; 138.5899000 (牧宮神社)
主祭神 北白川宮能久親王倉稲魂命伏見稲荷[2]
創建 1932年[2]
例祭 #祭事参照
地図
牧宮神社の位置(群馬県内)
牧宮神社
牧宮神社
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牧宮神社(まきのみやじんじゃ、牧の宮神社、牧ノ宮神社)は、群馬県吾妻郡長野原町大字北軽井沢にある神社

祭神

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北白川宮能久親王
浅間牧場

祭神北白川宮能久親王倉稲魂命伏見稲荷[2]

1932年昭和7年)の創建当初は豊川稲荷から勧請したが、豊川稲荷は寺院であったため一旦お返しをし、代わりに伏見稲荷大社より勧請し直した[2]

戦後1947年(昭和22年)に北白川宮能久親王合祀[2]。能久親王は1895年明治28年)に近衛師団長として台湾征討に参加し、薨去[3]。その後、台湾神宮に祀られた[4](戦後は廃社となる[2])。生前、1883年(明治16年)に当地の浅間牧場の開設に携わった[5]縁から、能久親王の功績を後世に伝えるものとして当社に祀り、これを機に社名を「牧宮神社」とした[2]

歴史

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浅間山の北麓、浅間高原北部に位置する北軽井沢は、大正時代以降避暑地別荘地として開発が進んだ。その中心部、旧北軽井沢駅前に鎮座するのが現在の牧宮神社である[6][7][8]

1932年(昭和7年)9月3日に奥の宮が完成、1933年(昭和8年)8月1日に鎮座祭を執り行った。前述の通り、当初の祭神は寺院の豊川稲荷から勧請したものであったため、伏見稲荷大社より勧請し直し、8月17日に改めて鎮座祭を執り行った。拝殿1934年(昭和9年)2月16日に完成し、例祭日を設定[2]後述)。戦後、1947年(昭和22年)9月12日に北白川宮能久親王と倉稲魂命を合祀した「牧宮神社」として鎮座祭を執り行った。1953年(昭和28年)には宗教法人登記を済ませている[2]

境内

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当社の社地の広さは181。その整地作業や社殿屋根茅葺き、その他備品類などは氏子らの奉仕寄付によるものである[2]

  • 奥の宮祠・拝殿 - 大工の棟梁・川口徳三郎が手がけたもの。彫刻を含めて製作に1年間を費やす[2]
  • 鳥居 - 金属製。1981年(昭和56年)4月、黒田工業株式会社(鳥居本体担当)・株式会社今井工務店(基礎工事担当)が奉納[9]

祭事

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当初(1934年の拝殿完成時)は5月12日8月10日としていた。その後、1946年(昭和21年)に5月17日9月18日に変更。1948年(昭和23年)には4月28日9月28日へと変更された[2]。現在の日程は上記の通りである[8]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『長野原町誌』には「長野原町大字応桑字新鎌一九八七番地の六二四」(引用)とある[2]

出典

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  1. ^ 県内神社紹介 吾妻支部”. 群馬県神社庁. 2018年10月7日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m 『長野原町誌 下巻』256ページ。
  3. ^ コトバンク 北白川宮能久親王とは(美術人名辞典、デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説)”. 2018年10月7日閲覧。
  4. ^ コトバンク 台湾神宮とは(世界大百科事典 第2版の解説)”. 2018年10月7日閲覧。
  5. ^ 浅間家畜育成牧場 沿革”. 群馬県 (2011年3月1日). 2018年10月8日閲覧。
  6. ^ コトバンク 浅間高原親王とは(大辞林 第三版、日本大百科全書(ニッポニカ)の解説)”. 2018年10月7日閲覧。
  7. ^ コトバンク 北軽井沢とは(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説)”. 2018年10月7日閲覧。
  8. ^ a b c d 北軽井沢サインマップ”. じねんびと. 2018年10月7日閲覧。
  9. ^ 「奉納 鳥居」・「奉納 基礎工事」 (銘板). 牧宮神社. 1981.

参考文献

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  • 長野原町誌編纂委員会編集『長野原町誌 下巻』長野原町、1976年3月31日。

関連項目

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