牧宮神社
牧宮神社(まきのみやじんじゃ、牧の宮神社、牧ノ宮神社)は、群馬県吾妻郡長野原町大字北軽井沢にある神社。
祭神
[編集]1932年(昭和7年)の創建当初は豊川稲荷から勧請したが、豊川稲荷は寺院であったため一旦お返しをし、代わりに伏見稲荷大社より勧請し直した[2]。
戦後、1947年(昭和22年)に北白川宮能久親王を合祀[2]。能久親王は1895年(明治28年)に近衛師団長として台湾征討に参加し、薨去[3]。その後、台湾神宮に祀られた[4](戦後は廃社となる[2])。生前、1883年(明治16年)に当地の浅間牧場の開設に携わった[5]縁から、能久親王の功績を後世に伝えるものとして当社に祀り、これを機に社名を「牧宮神社」とした[2]。
歴史
[編集]浅間山の北麓、浅間高原北部に位置する北軽井沢は、大正時代以降避暑地・別荘地として開発が進んだ。その中心部、旧北軽井沢駅前に鎮座するのが現在の牧宮神社である[6][7][8]。
1932年(昭和7年)9月3日に奥の宮祠が完成、1933年(昭和8年)8月1日に鎮座祭を執り行った。前述の通り、当初の祭神は寺院の豊川稲荷から勧請したものであったため、伏見稲荷大社より勧請し直し、8月17日に改めて鎮座祭を執り行った。拝殿は1934年(昭和9年)2月16日に完成し、例祭日を設定[2](後述)。戦後、1947年(昭和22年)9月12日に北白川宮能久親王と倉稲魂命を合祀した「牧宮神社」として鎮座祭を執り行った。1953年(昭和28年)には宗教法人登記を済ませている[2]。
境内
[編集]当社の社地の広さは181坪。その整地作業や社殿屋根の茅葺き、その他備品類などは氏子らの奉仕・寄付によるものである[2]。
- 奥の宮祠・拝殿 - 大工の棟梁・川口徳三郎が手がけたもの。彫刻を含めて製作に1年間を費やす[2]。
- 鳥居 - 金属製。1981年(昭和56年)4月、黒田工業株式会社(鳥居本体担当)・株式会社今井工務店(基礎工事担当)が奉納[9]。
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鳥居
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境内
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本殿
祭事
[編集]当初(1934年の拝殿完成時)は5月12日・8月10日としていた。その後、1946年(昭和21年)に5月17日・9月18日に変更。1948年(昭和23年)には4月28日・9月28日へと変更された[2]。現在の日程は上記の通りである[8]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “県内神社紹介 吾妻支部”. 群馬県神社庁. 2018年10月7日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 『長野原町誌 下巻』256ページ。
- ^ “コトバンク 北白川宮能久親王とは(美術人名辞典、デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説)”. 2018年10月7日閲覧。
- ^ “コトバンク 台湾神宮とは(世界大百科事典 第2版の解説)”. 2018年10月7日閲覧。
- ^ “浅間家畜育成牧場 沿革”. 群馬県 (2011年3月1日). 2018年10月8日閲覧。
- ^ “コトバンク 浅間高原親王とは(大辞林 第三版、日本大百科全書(ニッポニカ)の解説)”. 2018年10月7日閲覧。
- ^ “コトバンク 北軽井沢とは(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説)”. 2018年10月7日閲覧。
- ^ a b c d “北軽井沢サインマップ”. じねんびと. 2018年10月7日閲覧。
- ^ 「奉納 鳥居」・「奉納 基礎工事」 (銘板). 牧宮神社. 1981.
参考文献
[編集]- 長野原町誌編纂委員会編集『長野原町誌 下巻』長野原町、1976年3月31日。