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片岡芦燕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
七つ割
丸に二引
銀杏鶴

片岡 芦燕(かたおか ろえん)は、歌舞伎役者の名跡屋号松嶋屋定紋は七つ割丸に二引、替紋は銀杏鶴。

「芦燕」は八代目片岡仁左衛門の俳名に由来する。この初代と、続く二・三・四代目は、それぞれ「芦燕」を俳名としては使ったが、実際にこれを名跡として襲名することはなかった。実際に「片岡芦燕」を襲名したのは五代目が最初である。

  • 二代目 片岡芦燕
    • 初代の養子、1839–1872。はじめ四代目三桝大五郎の門人、後に二代目片岡我童の門人となり、その養子にまでなるが、三十代半ばで早世。
    • 三桝梅丸(京桝屋)→ 片岡待之助 → 二代目片岡我當(俳名:二代目芦燕)→ 贈九代目片岡仁左衛門(明治四十年追贈)
  • 三代目 片岡芦燕
    • 初代の三男、1851–1895。意固地と負けん気が災いして晴れ舞台となるはずの片岡仁左衛門襲名披露興行を台無しにしてしまい、そのことを気に病んで間もなく悶死。
    • 初代片岡土之助 → 片岡松若 → 三代目片岡我童 → 九代目片岡仁左衛門(俳名:三代目芦燕)→ 十代目片岡仁左衛門(明治四十年改)
  • 四代目 片岡芦燕
    • 初目の外孫で三代目の養子、1882–1946。戦後間もない食糧難の時代、喰い扶持の少ないことを逆恨みした住み込みの門人によって、妻・三男・女中二人とともに自宅で惨殺された( →「片岡仁左衛門一家殺害事件」を参照)。
    • 片岡東吉 → 二代目片岡土之助 → 四代目片岡我童 → 十二代目片岡仁左衛門(俳名:四代目芦燕)
  • 五代目 片岡芦燕
    • 四代目の長男、1910–1993。惨殺された十二代目仁左衛門の長男として、我こそが「次の仁左衛門」たるべきとの自覚から、代々の仁左衛門が俳名としてきた「芦燕」を名跡とし、自分はこれを五代目として襲名した。その後は、本来「五代目我童」であるべきところをあえて「十三代目我童」を名乗り、ここでも主張を貫いている。女形であるが故に生前は果たせなかった「仁左衛門」は、死後まもなく追贈されることになった。
    • 片岡はじめ → 片岡ひとし → 五代目片岡芦燕 → 十三代目片岡我童 → 十四代目片岡仁左衛門(追贈)