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為那都比古神社

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爲那都比古神社から転送)
為那都比古神社

拝殿
所在地 大阪府箕面市石丸2-10-1
位置 北緯34度50分23.00秒 東経135度29分50.81秒 / 北緯34.8397222度 東経135.4974472度 / 34.8397222; 135.4974472 (為那都比古神社)座標: 北緯34度50分23.00秒 東経135度29分50.81秒 / 北緯34.8397222度 東経135.4974472度 / 34.8397222; 135.4974472 (為那都比古神社)
主祭神 為那都比古大神
為那都比売大神
社格 式内社(小2座)
村社
創建 不詳
例祭 4月15日(春祭)
10月14日(秋祭)
地図
為那都比古神社の位置(大阪府内)
川辺郡 為奈郷
川辺郡
為奈郷
為那都比古 神社
為那都比古
神社
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鳥居

為那都比古神社(いなつひこじんじゃ)は、大阪府箕面市石丸にある神社式内社で、旧社格村社

祭神

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祭神は次の8柱[1]

主祭神
  • 為那都比古大神
  • 為那都比売大神
合祀神
天児屋根命火之迦具土神菅原道真

延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳では「為那都比古神社二座」と記載が見え、この2座は為那都比古神・為那都比売神の2神に比定される[2]。ただし為那都比売神は旧・大宮神社(現在は廃社:跡地は箕面市白島)における祭神で、明治40年(1907年)に当社に合祀された[2]。他の天照皇大神以下も明治40年の合祀になる[1]

祭神について

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医王山大宮寺(箕面市白島)

主祭神2柱(為那都比古神・為那都比売神)の神名の「いな」は、地名に由来する。「為那」のほか「猪名」「為奈」「為名」等と表記され[2]猪名川流域(摂津国豊島郡河辺郡)を指す広域地域の名称であった。このような「地名 + つ + ひこ/ひめ」という名称を持つ神・人物は吉備津彦伊勢津彦など多くの例が知られ、「為那都比古/比売」の場合もそれらと同様に、猪名地方にいた豪族首長層の神格化と推測される[3][4][2]。ただし、具体的にいずれの氏族に比定するかについては諸説がある(考証節参照)。

また前述のように、為那都比売神は箕面市白島にあった大宮神社の祭神である[2]。為那都比古・為那都比売両神は寛平年間(889年-898年)に別殿に分かれたといわれ[3]、確かな史料では正嘉3年(1259年)の勝尾寺文書に「当庄西東天王并若宮天満天神」の記述が認められる[4][2]。この大宮神社は明治40年の合祀後に廃社となり、同地では元神宮寺のうち薬師堂を残すのみとなっている[2]。その跡地付近では神が降臨したという巨岩(ヨーガ岩/医王岩)が知られ、加えて『摂陽群談』・『摂津志』では為那都比古神社の項に大宮神社の解説のみを載せることから、この大宮神社の方を式内社「為那都比古神社二座」の主社とする説も挙げられている[2]

なお、為那都比古神社はかつて一時期には祭神を牛頭天王とし、神社自体も「天王」と称されていたという[4]。これについて『摂津名所図会』では、天正年間(1573年-1592年)に織田信長高山右近に摂津国の寺社を改めさせた際、当社の神人は神号を牛頭天王(信長の氏神という)に改めて愁訴したので、難をのがれたと伝える[4]

「いなつひこ」を祀る他の神社としては猪名津彦神社(池田市宇保町)も知られ、円墳上に鎮座する同社を本来の式内社「為那都比古神社」とする説もあるが、詳らかではない[5][4]

歴史

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創建は不詳。前述のように、猪名地方に居住した豪族による奉斎に始まると考えられている[3][4][2]。境内西方の箕面市如意谷では銅鐸(如意谷銅鐸)の出土が知られ、それと為那都比古神社の淵源との関わりを推測する説もある[2]

延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳では摂津国豊島郡に「為那都比古神社二座」と記載され、2座が式内社に列している[4]平安時代中期の『和名抄』に見える地名のうちでは、当地は豊島郡駅家郷に比定される[2]

江戸時代の祭礼の様子は『摂津名所図会』等に記されている[4]

明治維新後、明治5年(1872年)に近代社格制度において村社に列し、明治40年(1907年)2月に神饌幣帛料供進神社に指定された[3]。明治40年6月14日には、前述の大宮神社のほか、旧萱野村10ヶ村の神社が合祀されている[3]

境内

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摂末社

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天満宮
  • 天満宮

考証

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猪名寺一帯は猪名地方の中心地と見られるのに対し、為那都比古神社は猪名地方の東端に鎮座する。

為那都比古神社の奉斎氏族については諸説がある。具体的な奉斎氏族を検討する要素としては、『新撰姓氏録』において摂津国を本貫とする次の氏族の記載が知られる。

  • 摂津国皇別 為奈真人 - 宣化天皇皇子の火焔王の後。
  • 摂津国皇別 川原公 - 為奈真人同祖。火焔親王の後。天智天皇の御世に居に依り川原公の姓を賜う。
  • 左京神別 猪名部造 - 伊香我色男命の後。
  • 摂津国諸蕃 為奈部首 - 出自は百済国人の中津波手。
  • 摂津国未定雑姓 為奈部首 - 伊香我色乎命六世孫の金連の後。

以上のうち、冒頭の為奈真人(為奈氏)は国史にも記載が見える氏族で、伴信友は『神名帳考証土代』において当社祭神を為那真人の祖先神に比定する説を挙げ、『特選神名牒』でも祭神を宣化天皇皇子の上殖葉皇子(恵波王、偉那公/韋那君の祖)に比定する説を挙げている[4]

一方、古代の猪名地方の中心地(および為奈氏・川原氏の本貫地)は、『和名抄』に見える河辺郡(川辺郡)為奈郷(現在の兵庫県尼崎市の東北部)と見られており[6]、為那都比古神社は「いな」を冠する神社ながら猪名地方の東端(豊島郡駅家郷)に位置することから、奉斎氏族を上記の為奈氏とする説については否定の向きが強い[5][3][2]。為奈氏以外の説としては、上記の物部氏系・渡来系の猪名部氏(為奈部氏)と想定する説や、『摂陽群談』で大宮神社の祭祀に時原氏(秦氏支族)の関与が見られることから、秦氏と想定する説がある[2]

なお、『日本書紀』には古代のアガタとして「猪名県」の記載が見えることから、当社の奉斎氏族は猪名県主を担ったとする説も挙げられている[5][3]

脚注

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参考文献

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  • 境内説明板
  • 地方自治体発行
    • 『箕面市史 本編 第1巻』箕面市役所、1964年。 
  • 百科事典
    • 国史大辞典吉川弘文館 
      • 佐伯有清 「為奈氏」川副武胤 「猪名県」
    • 日本歴史地名大系 28 大阪府の地名 I』平凡社、1986年。ISBN 458249028X 
      • 「為奈郷」「為那都比古神社」
    • 『日本古代氏族人名辞典 普及版』吉川弘文館、2010年。ISBN 978-4642014588 
      • 「為奈氏」「猪名部氏」
    • 佐伯有清 編『日本古代氏族事典 新装版』雄山閣、2015年。ISBN 978-4639023791 
      • 「為奈」「猪名部」
  • その他文献
    • 生澤英太郎 著「爲那都比古神社二坐」、式内社研究会編 編『式内社調査報告 第5巻』皇學館大学出版部、1977年。 
    • 松下煌 著「為那都比古神社」、谷川健一 編『日本の神々 -神社と聖地- 3 摂津・河内・和泉・淡路 <新装復刊版>』白水社、2000年。ISBN 978-4560025031 

外部リンク

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