熊清泉
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熊 清泉 | |
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生年月日 | 1927年12月16日 |
出生地 | 中華民国湖南省双峰県 |
没年月日 | 2022年6月20日 (94歳没) |
死没地 | 中華人民共和国 湖南省長沙市 |
出身校 | 国立師範学院 |
所属政党 | 中国共産党 |
第8期全国人民代表大会常務委員会委員 | |
在任期間 | 1993年3月 - 1998年3月 |
中国共産党湖南省委員会書記 | |
在任期間 | 1988年4月 - 1993年10月 |
在任期間 | 1985年7月 - 1989年2月 |
熊清泉 | |
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各種表記 | |
繁体字: | 熊清泉 |
簡体字: | 熊清泉 |
拼音: | Xióng Qīngquán |
和名表記: | ゆう せいせん |
発音転記: | シオーン・チーンチュエン |
熊 清泉(ゆう せいせん、シオーン・チーンチュエン、1927年12月16日 - 2022年6月20日[1])は、中華人民共和国の官僚、政治家。湖南省双峰県出身。
経歴
[編集]1927年12月16日、湖南省双峰県杏子鋪鎮で生まれる[2]。国立師範学院(現在の湖南大学)を卒業。
1949年4月に中国共産党入党。中華人民共和国の創立後、衡山県党委員会弁公室秘書、衡山県党委員会宣伝部長、衡山県党委員会弁公室主任、衡山県党委員会常務委員を歴任した。1954年後に湖南省党委員会農村工作部副処長、湖南省党委員会組織部弁公室主任を担当した。1965年後に湘潭地区党委副書記兼韶山公社書記、韶山地区党委書記を担当した[3]。1971年後に湘潭地区党委副書記兼湘潭市党委副書記、湘潭市党委書記、零陵地区党委副書記を担当した。1980年後に郴州地区党委書記、湖南省党委員会常務委員兼長沙市党委第二書記、長沙市代理市長を担当した。1982年、第12回党大会で党中央候補委員に選出される。1985年7月、湖南省省長に昇格。1987年、第12回党大会で党中央委員に選出される。1988年4月、湖南省党委書記に昇格、同時に省長を辞任した。
1993年3月、中央に移り、第8期全国人民代表大会常務委員会委員に就任。1998年3月に退任し、政界から引退した。
脚注
[編集]- ^ sina_mobile (2022年6月21日). “湖南省委原书记熊清泉逝世,享年95岁”. news.sina.cn. 2022年6月21日閲覧。
- ^ “娄底籍老省委书记熊清泉回忆湘潭大学选址始末” (中国語). 騰訊網. (2019年8月11日) 2020年2月24日閲覧。
- ^ 熊清泉 (1993年12月26日). “在韶山工作的日子里” (中国語). 人民日報 (北京市: 人民日報出版社) 5.
官職 | ||
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先代 劉正 |
海南省人民政府省長 1985年7月-1989年2月 |
次代 陳邦柱 |
党職 | ||
先代 毛致用 |
中国共産党湖南省委員会書記 1988年4月-1993年10月 |
次代 王茂林 |