劉正
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劉正 | |
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生年月日 | 1928年1月 |
出生地 | 中華民国湖南省長沙市 |
没年月日 | 2006年6月6日 (78歳没) |
死没地 | 中華人民共和国湖南省長沙市 |
出身校 | 湖南大学 |
所属政党 | 中国共産党 |
中国人民政治協商会議湖南省委員会主席 | |
在任期間 | 1988年1月 - 1998年1月 |
在任期間 | 1983年2月 - 1985年6月 |
長沙県党委書記 | |
在任期間 | 1956年6月 - 1957年7月 |
劉正 | |
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各種表記 | |
繁体字: | 劉正 |
簡体字: | 刘正 |
拼音: | Liú Zhèng |
劉正(りゅう せい、リウ・ジュヨン、1929年1月 - 2006年6月6日)は、中華人民共和国の官僚、政治家。湖南省長沙市出身。
経歴
[編集]1929年1月、湖南省長沙市で生まれる[1]。南岳国家師範付属中学校を経て、1949年、湖南大学を卒業。
1949年1月に中国共産党入党。1949年10月から1952年10月は湖南省益陽軍分区司令部秘書、湖南省委徴食糧と土地改革調査隊隊員、益陽地区党委弁公室幹事、湖南省土改委員会調査科員、副課長を歴任した。1954年11月、長沙県党委副書記に就任。1956年6月、長沙県党委書記に昇格。1957年6月から1967年1月は湖南省委農村工作部弁公室主任、湖南省党委員会政策研究室副主任、湖南省党委員会農村政治部副主任を歴任した。
文化大革命の時、劉正は衝撃を受け、五七幹部学校に下放されて働いた。
1972年9月からは衡東県県委副書記、衡東県革命委員会副主任、邵陽地区党委員会秘書長、邵陽地区党委員会副書記、邵陽地区行政公署専員を歴任。1981年12月、湖南省党委員会常務委員を担当する。1983年2月、湖南省省長を兼務する。1985年6月、湖南省党委副書記に任命。1988年1月、中国人民政治協商会議湖南省委員会主席を兼任する。1998年1月に退任し、政界から引退した。
2006年6月6日に病気で湖南省長沙市で亡くなりました[2][3]。
脚注
[編集]- ^ 劉燕娟 (2006年6月12日). “刘正同志逝世” (中国語). 新浪 2020年2月23日閲覧。
- ^ “湖南原省长刘正因病医治无效逝世 享年78岁(图)” (中国語). 搜狐. (2006年6月12日) 2020年2月23日閲覧。
- ^ 洪湾 (2006年6月11日). “中共优秀党员 忠诚的共产主义战士刘正同志逝世” (中国語). 新浪 2020年2月23日閲覧。
党職 | ||
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先代 王三明 |
長沙県党委書記 1956年6月-1957年7月 |
次代 趙冰岩 |
官職 | ||
先代 王惠庭 |
邵陽地区行政公署専員 1980年1月-1982年2月 |
次代 劉明高 |
先代 孫国治 |
湖南省人民政府省長 1983年2月-1985年6月 |
次代 熊清泉 |
公職 | ||
先代 程星齢 |
中国人民政治協商会議湖南省委員会主席 1988年1月-1998年1月 |
次代 劉夫生 |