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煙山専太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
煙山 専太郎けむやま せんたろう
人物情報
生誕 (1877-06-03) 1877年6月3日
日本の旗 日本
岩手県九戸郡大川目村
(現・久慈市
死没 (1954-03-21) 1954年3月21日(76歳没)
日本の旗 日本
広島県
国籍 日本の旗 日本
配偶者 煙山八重子
両親 父:煙山猶奴
母:登勢
学問
研究分野 西洋史
研究機関 早稲田大学
主な指導学生 小林正之
木村時夫
称号 早稲田大学名誉教授
主要な作品 『西洋最近世史』
『世界大勢史』
『独逸膨脹史論』
『英国現代史』
『征韓論実相』など
影響を受けた人物 有賀長雄
浮田和民
福沢諭吉
影響を与えた人物 幸徳秋水
宮下太吉
管野スガ
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煙山 専太郎(けむやま せんたろう、1877年明治10年)6月3日 - 1954年昭和29年)3月21日)は、明治から昭和にかけての西洋史学者[1]政治学者[2]。日本のロシア史研究の「草分け」[3]早稲田大学名誉教授。岩手県出身。

生涯

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煙山専太郎は、岩手県大川目村(現在の久慈市大川目町)に生まれた。盛岡尋常中学を経て東京帝大史学科に進んだが、のちに哲学科に転科した。有賀長雄が主宰する『外交時報』に、在学中から寄稿しており、有賀の知遇を得ている。早稲田大学で研究者、教育者として過ごした。

『外交時報』

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『外交時報』は、1898年(明治31年)に有賀が創刊した国際・外交問題専門誌である。埴原正直が編集人をやめた後、編集事務の方面で田中唯一郎が、執筆面で煙山専太郎が 有賀を補佐する存在となったとされる[4]。同誌に煙山が初めて書いたのは、1989年9月「樺太回顧」であり、その後も煙山は数多くの論文を寄稿している[5]

『近世無政府主義』

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1902年の著書『近世無政府主義』(東京専門学校出版部)は当時としてはロシア・ナロードニキの「唯一のガイドブック」であり、幸徳秋水宮下太吉管野スガらに影響を与えたと見る見解がある[6]。またナロードニキを代表する秘密結社「土地と自由」が1879年に「人民の意志」派と「黒い割替」派に分裂したことをめぐって煙山は前者を「民意党」、後者を「分黒党」と訳しており[7]、後者はいわゆる「分黒党事件」で死刑となった中浜哲らによって組織名として採用されており[8]、この点で明らかに当時の無政府主義運動への影響はあった。

もっとも、煙山の伝記を書いた千葉瑞夫によれば、煙山が同書を書いた目的は、無政府主義の宣伝にあったのではなく、正確な認識に基き批判しようとする点にあったという[9]

略歴

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  • 1877年(明治10年)6月3日 岩手県九戸郡大川目村(現・久慈市)に生まれる。父・煙山猶奴、母・登勢の長男である。
  • 1897年(明治30年)7月 第二高等学校大学予科第一部(文科)卒業。
  • 1897年(明治30年)9月 東京帝国大学文科大学史学科入学。
  • 1899年(明治32年)9月 同文科大学哲学科に転科。
  • 1902年(明治35年)7月 東京帝国大学文科大学哲学科を卒業。
  • 同年、早稲田大学に迎えられ、政治経済学科、文学部史学科において、西洋近世史、政治史などを講義する。
  • 1911年(明治44年)から1945年(昭和20年)、1946年(昭和21年)から1948年(昭和23年)まで早稲田大学教授。
  • 1922年(大正11年)から1924年(大正13年)にかけてヨーロッパに留学。
  • 1948年(昭和23年)、定年退職、同大学名誉教授となる。
  • 1950年(昭和25年)から1953年(昭和28年)まで、文化女子短期大学学長。
  • 1953年(昭和28年)11月、受洗。
  • 1954年(昭和29年)3月21日、広島において満76歳で没する。墓所は、岩手県盛岡市名須川町東顕寺[10]

人柄・学風・人脈

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  • 煙山が史学科から哲学科に移った理由として、増田冨寿は、当時史学科において地図を描く課題が出されて、それに煙山がバカバカしくなったからであると推定している[11]
  • 煙山の学問上の特徴は、個別的な事実を丹念に調査していき、その成果によって「一般的把握」を行う帰納的なスタイルである[12]
  • 煙山のロシア史研究を継いだ者としては、増田冨寿が挙げられている[13]
  • 日本近現代史専攻の木村時夫(早稲田大学社会科学部教授)は、大学院時代に主として煙山から指導を受けたと記している[14]
  • 煙山は、有賀長雄が主宰する『外交時報』を通じて有賀と交流があり、有賀を「学問上の師」としていたという。[15]。また煙山は、有賀の推薦で早稲田大学講師となったとする記述がある[16]

著書

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単著

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  • 『近世無政府主義』東京専門学校出版部〈早稲田叢書〉、1902年4月。 
    • 『近世無政府主義』明治文献〈明治文献資料叢書 5 社会主義篇 3〉、1965年1月。 
  • 『英雄末路 ナポレオン』東京堂]、1903年12月。NDLJP:782366 
  • 『征韓論実相』早稲田大学出版部、1907年9月。NDLJP:773368 
  • 『欧米人の極東研究』大日本文明協会事務所、1912年10月。NDLJP:1876245 
  • 『英雄豪傑論』東紅書院、1913年5月。NDLJP:950619 
  • 『独逸皇帝』冨山房〈時事叢書 第9編〉、1914年11月。NDLJP:953239 
  • 『一九一五年世界年史』外交時報社出版部、1916年4月。NDLJP:950978 
  • 『フレデリキ』実業之日本社〈英傑伝叢書 第7編〉、1918年9月。 
  • 『独逸膨脹史論』大鐙閣、1918年5月。NDLJP:953172 
  • 『カイゼル・ウイルヘルム』早稲田大学出版部〈時局の生める四大人豪〉、1919年2月。NDLJP:933348 
  • 『クレマンソー』早稲田大学出版部〈時局の生める四大人豪〉、1919年4月。NDLJP:933351 
  • 『独逸社会民主党』外交時報社出版部〈通俗国際文庫 第2巻〉、1919年12月。 
  • 『国際聯盟』民友社〈通新時代叢書 第12巻〉、1921年8月。NDLJP:958946 
  • 『西洋最近世史』早稲田大学出版部、1922年9月。NDLJP:965779 
    • 『西洋最近世史』(改訂再版)早稲田大学出版部、1925年7月。NDLJP:980755 
  • 『再生の欧米を観る』実業之日本社、1928年6月。NDLJP:1175579 
  • 『英国現代史』敬文堂書店、1930年9月。NDLJP:1173735 
    • 『英国現代史 続篇』敬文堂書店、1936年4月。NDLJP:1172485 
  • 『日清日露の役』岩波書店〈岩波講座日本歴史 第8巻9〉、1934年5月。 
  • 『日清戦争』建設社〈少年大日本史 第45巻〉、1935年5月。NDLJP:1168341 NDLJP:1904211 
  • 『世界史上の支那 極東将来の展望』刀江書院、1938年6月。NDLJP:1918901 
  • 『南方発展史』日本放送出版会〈ラジオ新書 44〉、1941年4月。NDLJP:1276411 
  • 『世界大勢史』早稲田大学出版部、1944年9月。NDLJP:1041277 

訳書

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  • シャルル・セーニョボス『現代文明史』大日本文明協会、1909年6月。NDLJP:768282 
  • シャルル・セーニョボス『西洋文明史』東亜堂書房、1913年8月。NDLJP:980753 
  • シャルル・セーニョボス『近代欧洲史観 第3』大国民社〈現代文明史〉、1916年10月。 
  • コスモス『永続すべき平和の基礎』塩沢昌貞校訂、早稲田大学出版部、1917年11月。 
  • ゼー・エス・シイ・アボット『フレデリキ大王』実業之日本社〈英傑伝叢書 第7編〉、1918年9月。NDLJP:951606 
  • ア・ドビドゥール『欧洲最近外交史』早稲田大学出版部〈新早稲田叢書 5〉、1919年9月。NDLJP:959902 
  • エミール・デッケルト『英国と其領土』大日本文明協会事務所、1921年6月。NDLJP:953743 

監修

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  • 薄田斬雲『十六世紀史』坪内逍遥・煙山専太郎監修、早稲田大学出版部〈通俗世界全史 第10巻 近代史 第2〉、1916年9月。 
  • 高須梅渓『十九世紀史 上』坪内逍遥・煙山専太郎監修、早稲田大学出版部〈通俗世界全史 第14巻 近代史 第6〉、1917年1月。 
  • 高須梅渓『十九世紀史 下』坪内逍遥・煙山専太郎監修、早稲田大学出版部〈通俗世界全史 第15巻 近代史 第7〉、1917年2月。 

共著

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  • 煙山専太郎、中島半次郎エ・グレー『日露同盟論・学制改革論・独乙の抱負遂ひに実現するか』新時代学会〈新時代の問題 第1編〉、1915年10月。 
  • 煙山専太郎、信夫淳平『昭和四年夏期特別講座 通俗日本外交史 資料』日本放送協会関西支部、1929年8月。NDLJP:1098715 
  • 上田務、煙山専太郎『朝鮮統治論征韓論の実相』亜細亜文化社〈旧韓末日帝侵略史料叢書 政治篇 9〉、1984年8月。 
  • 煙山専太郎、柴山尚則 著、惜香生 編『征韓論実相・朝鮮李舜臣伝 文禄征韓水師始末』龍溪書舎〈韓国併合史研究資料 復刻版 20〉、1996年11月。ISBN 9784844764588 

参考文献

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  • 千葉瑞夫『愛と先見の人―煙山専太郎』岩手日報社、1985年、など他。

脚注

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  1. ^ 秦郁彦編『日本近現代人物履歴字典 [第2版]』東京大学出版会、2002年、228頁。
  2. ^ 三省堂編集所編『コンサイス 日本人名事典 [第4版]』三省堂、2004年。
  3. ^ 増田冨寿『ロシア史研究五十年』早稲田大学出版部、1991年、86頁。
  4. ^ 伊藤信哉『近代日本の外交論壇と外交史学』日本経済評論社、2011年、16頁。
  5. ^ 伊藤・同書、22、23、86頁参照。
  6. ^ 三省堂編集所編『コンサイス 日本人名事典 [第4版]』三省堂、2004年、502頁参照。また盛岡市の「盛岡の先人たち」の記述も参照
  7. ^ 煙山専太郎『近世無政府主義』東京専門学校出版部〈早稲田叢書〉、1902年4月、131-132頁。 
  8. ^ 古田大次郎『死刑囚の思ひ出』組合書店、1948年10月、153頁。 
  9. ^ 千葉瑞夫『愛と先見の人 煙山専太郎』岩手日報社、1985年、35頁以下、199頁以下参照。
  10. ^ 略歴は秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典 [第2版]』東京大学出版会、2002年、国史大辞典編集委員会編 『国史大辞典 第5巻』吉川弘文館、1985年、三省堂編集所編『コンサイス 日本人名事典 [第4版]』三省堂、2004年を参照して、作成した。
  11. ^ 増田冨寿『ロシア史研究五十年』早稲田大学出版部、1991年、8頁、88頁、97頁以下参照。
  12. ^ 増田冨寿『ロシア史研究五十年』早稲田大学出版部、1991年、89頁参照。
  13. ^ 千葉瑞夫『愛と先見の人 煙山専太郎』岩手日報社、1985年、216頁。
  14. ^ 木村時夫『日本ナショナリズム史論』早稲田大学出版局、昭和48年(1973)、奥付参照。
  15. ^ 千葉・前掲書、189頁参照。国史大辞典編集委員会編 『国史大辞典 第5巻』吉川弘文館、1985年参照。
  16. ^ 千葉・前掲書、同頁。盛岡市HP「盛岡の先人たち」を参照。

外部リンク

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