焼鮒駅
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焼鮒駅 | |
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焼鮒駅(1991年3月) | |
やきふな Yakifuna | |
◄ときめき (0.6 km) (1.8 km) 越後大野► | |
所在地 | 新潟県西蒲原郡黒埼町大字山田* |
所属事業者 | 新潟交通 |
所属路線 | 新潟交通電車線 |
キロ程 | 6.8 km(白山前起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
開業年月日 | 1933年(昭和8年)4月1日 |
廃止年月日 | 1999年(平成11年)4月5日 |
*現在は新潟市西区山田 |
焼鮒駅(やきふなえき)は、かつて新潟県西蒲原郡黒埼町大字山田(現新潟市西区山田)にあった新潟交通電車線の駅。
概要
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構造
[編集]地上駅。平日午前のみ業務を行う簡易委託駅であった。相対式ホーム2面2線を有し、両ホームが構内踏切によって連絡していた。駅舎には出札窓口のほか、自動販売機、トイレ(汲取式)などが設けられていたほか、月潟方面行きのホームに秤が置かれていた[1]。
駅舎のすぐ南側を、上越新幹線の高架橋が東西に横断している。東関屋方の線路がカーブしているのは、1964年(昭和39年)の新潟地震によって、曲げられたものである。
駅名の由来
[編集]「越後七不思議」の一つに数えられる「焼鮒伝説」にちなむ[2]。
駅周辺
[編集]- 黒埼町立山田小学校(現新潟市立山田小学校)
- 当駅跡北側に所在する。校地が電車線を挟んで東西に分断されており、東側の校舎と西側のグラウンドが地下通路によって連絡していた。廃線後、線路跡はグラウンドの一部となり、直接移動が可能になった[3]。
歴史
[編集]- 1933年(昭和8年)4月1日 - 鉄道線東関屋駅 - 白根駅間開業と同時に新潟電鉄の駅として開業。
- 1943年(昭和18年)12月31日 - 新潟交通の発足により同社の駅となる。
- 1946年(昭和21年)12月 - 交換可能駅になる[4]。
- 1961年(昭和36年)9月1日 - 請負人配置駅になる[4]。
- 1965年(昭和40年)1月1日 - 貨物廃止[4]。
- 1999年(平成11年)4月5日 - 新潟交通電車線東関屋 - 月潟間廃線により廃駅となる。
駅跡
[編集]駅施設は全て撤去され、駅の跡地の一部は住宅地となり、線路跡は自転車歩行者専用道路として整備されている。
隣の駅
[編集]出典
[編集]- ^ 海津 英夫『昔、電車が走っていた ~ 新潟交通電車線(電鉄)写真集 ~』新潟日報事業者、2021(令和3)年10月14日、39頁。
- ^ 電鉄の今昔(電鉄駅めぐり)(2009年3月11日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project広報くろさき(平成12年1月号)
- ^ 海津 英夫『昔、電車が走っていた ~ 新潟交通電車線(電鉄)写真集 ~』新潟日報事業者、2021(令和3)年10月14日、38-39頁。
- ^ a b c 『JR・私鉄全線 各駅停車6 中央・上信越590駅』小学館、1993年、181頁。
関連項目
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