濱野礼奈
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基本情報 | ||||
国籍 | 日本 | |||
生年月日 | 1976年7月19日(48歳) | |||
出身地 | 埼玉県越谷市 | |||
ラテン文字 | Rena Hamano | |||
身長 | 180cm | |||
体重 | 68kg | |||
血液型 | B型 | |||
選手情報 | ||||
愛称 | レナ | |||
ポジション | センター/ライト | |||
指高 | 232cm | |||
利き手 | 右 | |||
スパイク | 305cm | |||
ブロック | 300cm |
濱野 礼奈(はまの れな、1976年7月19日 - )は、日本の元女子バレーボール選手、現指導者。
来歴
[編集]父は住友軽金属男子排球団の中心選手として活躍した濱野光之(後に順天堂大学男子バレーボール部監督)、母は元カネボウの苗代裕子というバレーボール一家に生まれた[1]。母の実家(熊本県水俣市)で誕生し、埼玉県越谷市で育つ。人呼んで「バレーの申し子」[1]。小学時代は硬式テニスに打ち込んだが、中学1年次にバレーボールに転向し、1991年に出場した全国都道府県対抗中学バレーボール大会で埼玉県チームの一員として3位入賞を果たすと、一躍脚光を浴びた[1]。
高校は國學院大學栃木高等学校に進学すると、1993年の春高準優勝やインターハイ優勝、国体優勝などに大きく貢献し、國學院栃木の一時代を築いた。一方、国際大会でも同年に開催された世界ユース選手権で銀メダル獲得に貢献した。大学は東京学芸大学に進学し[2]、1997年の全日本インカレでは優勝に貢献し、自らもスパイク賞を獲得した。同年に開催されたユニバーシアードシチリア大会でも銅メダルを獲得している。
1999年にVリーグのデンソーエアリービーズに入団し、同年5月の黒鷲旗全日本選手権では若鷲賞を獲得するなど[3]、中心選手として活躍したが2003-04シーズンをもって現役を引退した。
2004年4月に順天堂大学大学院修士課程に進学し、同学非常勤講師、同学男子バレーボール部コーチ、千葉県公立学校教員を務めた後、2012年4月に新潟医療福祉大学の講師兼女子バレーボール部監督に就任した[4][5]。
2024年、順天堂大学スポーツ健康科学部准教授[6]、女子バレーボール部監督に就任した[7][8]。
球歴
[編集]- 全日本ユース代表 - 1993年 銀メダル
- 全日本ユニバーシアード代表 - 1997年 銅メダル、1999年 4位
所属チーム
[編集]選手
[編集]- 越谷市立栄進中学校
- 國學院大學栃木高等学校
- 東京学芸大学
- デンソーエアリービーズ(1999-2004年)
指導者
[編集]受賞歴
[編集]- 1991年 - さわやか杯 強化選手
- 1993年 - 春高バレー ベスト6・優秀選手賞、インターハイ ベスト6・優秀選手賞
- 1994年 - 春高バレー 優秀選手賞、インターハイ 優秀選手賞
- 1997年 - 全日本インカレ スパイク賞
- 1999年 - 天皇杯・皇后杯第48回黒鷲旗全日本バレーボール選手権大会 若鷲賞
脚注
[編集]- ^ a b c 『月刊バレーボール』1994年2月号 149ページ
- ^ 『月刊バレーボール』1995年2月号 152ページ
- ^ 『月刊バレーボール』 1999年5月号 160ページ
- ^ 新潟医療福祉大学. “教員紹介 - 濱野礼奈”. 2014年9月7日閲覧。
- ^ 新潟医療福祉大学健康スポーツ学科 公式ブログ. “新任紹介シリーズその2!”. 2014年9月7日閲覧。
- ^ “濵野 礼奈|教員紹介|スポーツ健康科学部|順天堂大学”. www.juntendo.ac.jp. 2024年6月21日閲覧。
- ^ “クラブ・同好会|スポーツ健康科学部|順天堂大学”. www.juntendo.ac.jp. 2024年6月21日閲覧。
- ^ “db0ad59561c588af17cee04936acc878.pdf”. 2024年6月21日閲覧。
参考
[編集]- 『月刊バレーボール』2000年2月号臨時増刊 第6回Vリーグ観戦ガイドブック 78ページ