濱口達男
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濱口 達男(はまぐち たつお、1948年〈昭和23年〉10月17日 - )[1]は、日本の建設官僚。元国土技術政策総合研究所長。元ダム技術センター理事長[2]。元ニュージェック副社長執行役員[3]。安藤・間土木事業本部顧問。息子は映画監督・脚本家の濱口竜介[4][5]。父は洋画家・教育者の浜口喬夫[4][6]。
経歴
[編集]高知県出身。土佐高校、東京大学工学部土木工学科を卒業後、1971年(昭和46年)7月建設省に入省[7]。在イラン日本国大使館一等書記官、国土交通省東北地方整備局長等を経て、2004年(平成16年)1月、国土交通省国土技術政策総合研究所長に就任。2005年(平成17年)8月、国土交通省を退職。退職後はダム技術センター理事長やニュージェック副社長執行役員、安藤・間土木事業本部顧問等を歴任。
略歴
[編集]- 1971年(昭和46年)7月:建設省採用(近畿地方建設局河川部河川計画課)
- 1972年(昭和47年)4月:建設省 近畿地方建設局 淀川ダム統合管理事務所 管理課
- 1973年(昭和48年)4月:三重県 土木部 河川課
- 1973年(昭和48年)6月:三重県 津土木事務所 工務課
- 1975年(昭和50年)4月:建設省 近畿地方建設局 河川部 河川計画課 調査第二係長
- 1978年(昭和53年)4月:建設省 近畿地方建設局 淀川工事事務所 調査第一課長
- 1980年(昭和55年)4月:建設省 近畿地方建設局 河川部 建設専門官
- 1980年(昭和55年)10月:外務事務官併任、 外務研修
- 1981年(昭和56年)3月:外務省 在イラン日本国大使館一等書記官
- 1984年(昭和59年)4月:建設省 近畿地方建設局 企画部 企画課長
- 1985年(昭和60年)10月:建設省 土木研究所 河川部 総合治水研究室長
- 1987年(昭和62年)4月:建設省 北陸地方建設局 信濃川下流工事事務所長
- 1989年(平成元年)7月:岐阜県 土木部 河川課長
- 1992年(平成4年)4月:建設省 河川局 防災課 建設専門官
- 1993年(平成5年)6月:建設省 河川局 海岸課 海洋開発官
- 1994年(平成6年)7月:建設省 中部地方建設局 木曽川上流工事事務所長
- 1995年(平成7年)7月:建設省 中部地方建設局 河川部長
- 1997年(平成9年)4月:国土庁官房 水資源部 水資源計画課長
- 2001年(平成13年)1月:国土交通省 東北地方整備局 副局長
- 2002年(平成14年)7月:国土交通省 東北地方整備局長
- 2004年(平成16年)1月:国土交通省 国土技術政策総合研究所長
- 2005年(平成17年)8月:国土交通省 退職
- 2005年(平成17年)8月:(財)ダム水源地環境整備センター 審議役
- 2006年(平成18年)8月:(財)ダム技術センター 理事長
- 2010年(平成22年)6月:理事長 退任
- 2010年(平成22年)9月:(株)ニュージェック 顧問
- 2011年(平成23年)4月:(株)ニュージェック 副社長執行役員
- 2017年(平成29年)4月:(株)安藤・間 土木事業本部 顧問
脚注
[編集]- ^ (中国語) 人事興信錄. 人事興信所. (2005)
- ^ “ダムインタビュー(71)濱口達男さんに聞く「ダムにはまだ可能性があっていろんな利用ができる」 - ダム便覧”. damnet.or.jp. 2022年8月7日閲覧。
- ^ “一般社団法人ダム工学会【学会概要】会長挨拶”. www.jsde.jp. 2022年8月7日閲覧。
- ^ a b “濱口竜介監督 祖父母・父が高知市出身 県内映画関係者「アカデミー賞受賞はホームラン級」 | 高知新聞”. www.kochinews.co.jp. 2022年8月7日閲覧。
- ^ 「週刊文春」編集部 (2022年3月30日). “祝!「ドライブ・マイ・カー」 濱口監督“元官僚の父”が告白「愛読書は三国志だった小学生時代」”. 週刊文春 電子版. 2022年8月7日閲覧。
- ^ “濱口喬夫展”. 高知県立文学館 (2022年4月22日). 2022年8月7日閲覧。
- ^ 『建設省名鑑』時評社、1986年、196頁。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第42版 下』人事興信所、2003年。
- 人事興信所編『人事興信録 第43版 下』人事興信所、2005年。