潮城
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潮城 (静岡県) | |
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潮城跡(二ノ曲輪) | |
別名 | 城山 |
城郭構造 | 山城 |
天守構造 | なし |
築城主 | 不明(岡部氏?・徳川氏?) |
築城年 | 不明(16世紀?) |
主な改修者 | 不明 |
主な城主 | 不明(岡部氏?・徳川氏?) |
廃城年 | 不明 |
遺構 | 竪堀、曲輪、土塁 |
指定文化財 | 未指定 |
再建造物 | なし |
位置 | 北緯34度53分49.9秒 東経138度16分28.0秒 / 北緯34.897194度 東経138.274444度座標: 北緯34度53分49.9秒 東経138度16分28.0秒 / 北緯34.897194度 東経138.274444度 |
地図 |
潮城(うしおじょう)は、静岡県藤枝市潮にあった中世の日本の城(山城)。
概要
[編集]志太平野北西部にそびえる標高201メートルの独立峰「潮山」の山裾から東へ延びた低位丘陵部に所在する。尾根上の東西180メートル×南北90メートルを城域とし、中央に方形区画を土塁で囲む一の曲輪を配し、その両サイドに二の曲輪、三の曲輪を配置する[1]。
1978年(昭和53年)、国道1号藤枝バイパス建設に伴い発見され、バイパスが通過する一の曲輪の範囲が発掘調査された。室町時代後半の遺物と共に、5×3間の礎石をもつ掘立柱建物跡などの遺構が検出された[2][1]。一ノ曲輪は調査後に消滅したが、二の曲・三ノ曲輪、空堀などの遺構が一部残る。
岡部氏の城とされる朝日山城の南東1キロメートルに位置することから、朝日山城の支城とされるが[3]、当地の古地名が「城山」という以外に文献史料に記録がないため、城主など詳細不明の城郭である。
1575年(天正3年)の長篠の戦い以降、駿河攻略に乗り出した徳川家康軍が、田中城に拠る武田軍を監視するため築いた、との見解もある[4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 藤枝市埋蔵文化財調査事務所 1981年 『国道1号藤枝バイパス(藤枝地区)埋蔵文化財発掘調査報告書 第4冊 (宮塚遺跡・潮城跡)』 建設省中部地方建設局
- 静岡県教育委員会文化課編 1981年 「潮城」『静岡県の中世城館跡(静岡県文化財調査報告書 第23集)』 pp.249
- 水野茂 2012年 「潮城」『静岡県の城跡 - 中世城郭縄張図集成 - 』『静岡県の城跡』編纂委員会 pp.199