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源彦良

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
源彦良
時代 鎌倉時代末期 - 南北朝時代
生誕 元亨元年(1321年
死没 不明
官位 従二位参議
主君 後醍醐天皇光厳天皇光明天皇崇光天皇後光厳天皇後円融天皇
氏族 順徳源氏
父母 父:源忠房、母:小倉実教
彦忠
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源 彦良(みなもと の ひこよし)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての公卿順徳源氏弾正尹忠房親王の子。官位従二位参議

経歴

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元弘3年/正慶2年(1333年)6月に建武の新政が開始されると、10月に従四位下に昇叙され、11月に左近衛中将に昇任される。翌建武元年(1334年)正月に従四位上、7月には従三位に叙せられ公卿に列した。

康永元年(1342年正三位に昇叙される。貞和5年(1349年)2月に参議に任ぜられるが、9月に参議左中将を辞し、12月には従二位に至る。参議を辞した後は、岩蔵前宰相中将と称された[1]

永和3年(1377年)ごろ出家。

官歴

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公卿補任』による。

系譜

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脚注

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  1. ^ 『師守記』貞治2年閏正月21日条頭書

出典

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