源彦良
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時代 | 鎌倉時代末期 - 南北朝時代 |
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生誕 | 元亨元年(1321年) |
死没 | 不明 |
官位 | 従二位・参議 |
主君 | 後醍醐天皇→光厳天皇→光明天皇→崇光天皇→後光厳天皇→後円融天皇 |
氏族 | 順徳源氏 |
父母 | 父:源忠房、母:小倉実教娘 |
子 | 彦忠 |
源 彦良(みなもと の ひこよし)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての公卿。順徳源氏、弾正尹・忠房親王の子。官位は従二位・参議。
経歴
[編集]元弘3年/正慶2年(1333年)6月に建武の新政が開始されると、10月に従四位下に昇叙され、11月に左近衛中将に昇任される。翌建武元年(1334年)正月に従四位上、7月には従三位に叙せられ公卿に列した。
康永元年(1342年)正三位に昇叙される。貞和5年(1349年)2月に参議に任ぜられるが、9月に参議左中将を辞し、12月には従二位に至る。参議を辞した後は、岩蔵前宰相中将と称された[1]。
官歴
[編集]『公卿補任』による。
- 時期不詳:正五位下?。左近衛中将
- 元弘3年/正慶2年(1333年) 10月10日:従四位下(本位不見)、左少将如元。11月8日:左近衛中将
- 建武元年(1334年) 正月5日:従四位上。正月13日:兼安芸権介。7月9日:従三位、左中将如元
- 康永元年(1342年) 正月5日:正三位
- 貞和3年(1347年) 7月:服喪(父忠房親王)
- 貞和5年(1349年) 2月15日:参議。9月13日:辞参議左中将。12月21日:従二位
- 永和3年(1377年)頃:出家
系譜
[編集]脚注
[編集]- ^ 『師守記』貞治2年閏正月21日条頭書