源弼
表示
(源弻から転送)
時代 | 平安時代前期 |
---|---|
生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
官位 | 従四位下、宮内卿 |
主君 | 清和天皇→陽成天皇→光孝天皇 |
氏族 | 嵯峨源氏 |
父母 | 父:源弘、母:不詳 |
兄弟 | 同、撰、雙、弼、道、希、悦、愗、就、昭、近 |
妻 | 不詳 |
子 | 恵、大輔 |
源 弼(みなもと の たすく)は、平安時代前期の貴族。嵯峨源氏、大納言・源弘の四男。官位は従四位下・宮内卿。
経歴
[編集]清和朝の貞観6年(864年)従五位下に叙爵し、貞観8年12月(867年2月)次侍従に補される。貞観11年(869年)越中権介に任ぜられ地方官を務めた後、貞観16年(874年)大蔵少輔として京官に復す。陽成朝では宮内大輔を務める一方、但馬権守・次いで但馬守を兼ね、元慶3年11月(880年1月)従五位上に叙されている。
光孝朝でも引き続き宮内大輔を務め、仁和3年(887年)大和権守を兼ねた。その後、時期は不明ながら宮内卿を務め、位階は従四位下に昇った。
子女二人は共に『古今和歌集』に和歌作品が入集している歌人である。
官歴
[編集]註釈がないものは『日本三代実録』の記載に従う。
- 時期不詳:正六位上
- 貞観6年(864年) 正月7日:従五位下
- 貞観8年(866年) 12月29日[1]:次侍従
- 貞観11年(869年) 3月23日:越中権介
- 貞観16年(874年) 2月29日:大蔵少輔[2]
- 時期不詳:宮内大輔
- 元慶3年(879年) 11月25日[3]:従五位上
- 元慶4年(880年) 2月21日:兼但馬権守[2]
- 元慶5年(881年) 3月1日:兼但馬守[2]
- 仁和3年(887年) 2月2日:兼大和権守
- 時期不詳:従四位下。宮内卿[4]
系譜
[編集]『尊卑分脈』による。