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湯村辰二郎

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湯村 辰二郎(ゆのむら たつじろう、1892年明治25年)11月6日[1][2] - 1974年)は、朝鮮総督府官僚

経歴

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宮城県伊具郡角田町(現在の角田市)に宮城商業銀行頭取湯村保治の二男として生まれる[2][3]1916年大正5年)に東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、翌年に高等文官試験に合格した[1]1918年(大正7年)に朝鮮総督府試補となり、道事務官総督官房会計課長、土地改良課長事務取扱、土地改良部開墾課長を歴任し、1927年昭和2年)に欧米各国に出張した[1][3]。帰国後、忠清北道内務部長、殖産局農務課長、農林局農務課長、同農産課長を経て、1935年昭和10年)に咸鏡南道知事となった[1][3]。さらに京畿道知事を経て、1937年(昭和12年)に農林局長に就任した[1][3]

1941年(昭和16年)に退官した後は、朝鮮蚕糸株式会社社長、国民総力朝鮮連盟常務理事を務めた[4]

親族

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脚注

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参考文献

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  • 『輓近大日本拓殖史』日本行政学会、1934年。 
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版』帝国秘密探偵社、1938年。 
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版』帝国秘密探偵社、1943年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第12版(下)』人事興信所、1939年。