湯山弥五右衛門
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湯山 弥五右衛門(ゆやま やごえもん、慶安3年(1650年) - 享保2年11月30日(1718年1月1日))は、江戸時代中期の治水家[1]。
経歴・人物
[編集]相模国足柄上郡川村山北(現:神奈川県足柄上郡山北町)で代々名主を務める湯山家に生まれる[2]。父は理右衛門[2]。元禄16年(1703年)の元禄地震、宝永4年(1707年)の宝永大噴火による用水破壊による洪水で荒廃した村のため、同6年(1709年)幕府勘定奉行中山時春に皆瀬川の流路変更を願い出たが、多大な費用を必要とするとし不許可となる[2]。しかし、幕府へ訴えた結果、同年11月許可[2]。伊勢国津藩藤堂氏による御手伝普請が行われ、酒匂川本流に通じる堀割工事を完成[2]。これにより村は復興した。