渥美線機銃掃射事件
渥美線機銃掃射事件(あつみせんきじゅうそうしゃじけん)とは、現在の愛知県田原市豊島町天白地内で、1945年(昭和20年)8月14日、三河田原駅を発車した豊橋方面に向かう名古屋鉄道(名鉄)渥美線(現・豊橋鉄道渥美線)の電車が米軍の戦闘機により機銃掃射された事件[1][2]。
背景
[編集]戦時中の渥美線は多くの兵士や動員学徒、徴用工員らを駐屯地や軍需工場へと運んでいた[3]。。元小学校校長であり後述の「前日物語」の作成に注力した山田政俊は、前年の1944年7月のサイパンの戦闘で日本軍が全滅した時期以降に、米軍機が日本本土の空襲が顕著になり、この事件につながったと語っている[4]。
記録
[編集]銃撃があった隣村の神戸村役場の当日の日誌には、「15名即死、16名重軽傷」と記録がある[5]。戦時下の出来事だったため、報道がされることがなく、調査もほとんどされていなかったために、事件の詳しい状況が載っている資料がなかったが、豊川流域研究会が2014年から2015年の2年間で当時の乗客や目撃者へ聞き取り調査を行い、証言録を作成している[6][7]。
のちに事件を長年語り継ぐ彦坂昭市は機銃掃射のあった当日、戦闘機2機を目撃している[8][9]。また別の資料では機銃掃射を行った戦闘機は、3機の米軍の戦闘機P51とされている[2]。豊橋鉄道の資料では事件が起きたのは旧天白駅付近としている[10]。
前日物語
[編集]「前日物語」とは終戦前日に起きた渥美線機銃掃射事件を伝える紙芝居である。事件の惨劇を次世代に伝えるため、2015年の夏に山田政俊の呼びかけで「前日の会」が発足し、出前授業を開き、空襲体験を語り継いでいる[11]。
令和元年度市民提案型委託事業として、NPO法人たはら広場、田原市図書館によって「前日物語」の紙芝居の動画が制作された[12]。 紙芝居の実演動画は『前日物語 昭ちゃんの紙芝居実演(田原市図書館デジタルアーカイブ)』に公開され[13]、田原市図書館の職員による紙芝居読み聞かせ動画『前日物語(田原市図書館デジタルアーカイブ)』[14]はオープンデータ東三河にオープンデータ『前日物語(紙芝居読み聞かせ動画)』として公開されている[15]。
出典
[編集]- ^ 「渥美半島の空襲の爪痕広げ」『東日新聞』2024年8月13日。
- ^ a b “<回想列車 渥美線にゆられ>(15) 神戸駅:中日新聞Web”. 中日新聞Web. 2024年8月25日閲覧。
- ^ “刻まれた記憶 戦後60年”. 中日新聞. (2017‐08‐13)
- ^ “終戦直前の悲劇”. 東愛知新聞. 2024年8月25日閲覧。
- ^ 『証言 戦後70年 半島と戦争』田原市博物館、2015年7月、25頁。
- ^ 『証言 渥美線電車機銃掃射 ―1945年8月14日の記憶―』豊川流域研究会、2015年3月31日、前文 1頁。
- ^ 「回想列車 渥美線にゆられ 神戸駅⑮ 戦禍の証言録 後世へ」『中日新聞』2020年7月22日。
- ^ 『続 証言 渥美線電車機銃掃射 ―1945年8月14日の記憶と記録―』豊川流域研究会、2016年3月31日、27頁。
- ^ 「終戦前日 田原の悲劇語り継ぐ 渥美線電車機銃掃射 証言者の彦坂さん、自作紙芝居」『朝日新聞』2020年8月24日。
- ^ “豊橋鉄道100年史 1924-2024”. www.toyotetsu.com. 2024年8月25日閲覧。
- ^ 「渥美線機銃掃射語り部などのグループ 田原市内小学校で出前授業」『東日新聞』2021年7月7日。
- ^ “田原市図書館デジタルアーカイブ”. 田原市図書館. 2024年8月25日閲覧。
- ^ 田原市図書館 (2020-06-22), 前日物語 昭ちゃんの紙芝居実演(田原市図書館デジタルアーカイブ) 2024年8月25日閲覧。
- ^ 田原市図書館 (2020-06-22), 前日物語(田原市図書館デジタルアーカイブ) 2024年8月25日閲覧。
- ^ “前日物語(紙芝居読み聞かせ動画)”. 田原市図書館/NPO法人たはら広場. 2024年8月25日閲覧。