渡辺豊日子
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渡辺 豊日子(わたなべ とよひこ、1885年(明治18年)11月3日[1] - 1970年)は、朝鮮総督府官僚。男性。
経歴
[編集]熊本県阿蘇郡白水村(南阿蘇村)出身[1]。1912年(明治45年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業[2]。同年、高等文官試験に合格し、東京府属となった[2]。宮城県理事官・視学官、愛知県理事官・視学官を経て、1919年(大正8年)に朝鮮総督府事務官となった[2]。内務局第一課長、監察官・地方課長、殖産局農務課長・土地改良課長、山林部長を歴任[1]。1930年(昭和5年)、慶尚南道知事となり、さらに学務局長に就任した[1]。
退官後は、鮮満拓殖株式会社理事・監事を務め、1939年(昭和14年)からは朝鮮林業開発株式会社社長を務めた[3]。
脚注
[編集]- ^ a b c d 輓近大日本拓殖史 1934.
- ^ a b c 大衆人事録 1930.
- ^ 人事興信録 1943.
参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 『輓近大日本拓殖史』日本行政学会、1934年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版(下)』人事興信所、1943年。