渡辺綱光
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守綱寺所蔵 | |
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
生誕 | 明和2年9月3日(1765年10月17日) |
死没 | 天保9年10月9日(1838年11月25日) |
改名 | 乗詮→在綱→綱光 |
別名 | 靭負、半蔵(通称)、潜翁、仙翁、一楽、魯縞、魯江(号) |
墓所 | 愛知県豊田市寺部町の守綱寺 |
主君 | 徳川斉朝 |
藩 | 尾張藩 |
氏族 | 大給松平家→三河渡辺氏 |
父母 | 父:松平乗穏、養父:渡辺綱保 |
兄弟 |
松平乗統、松平乗友、綱光、松平乗尹、青山幸賢正室、倉橋久幾室、筑紫孝門正室 養兄弟:渡辺規綱正室 |
子 | 養子:規綱(松平乗友次男) |
渡辺 綱光(わたなべ つなみつ)は、江戸時代中期から後期にかけての尾張藩士、歌人。渡辺半蔵家9代当主。
生涯
[編集]明和2年(1765年)、三河国奥殿藩3代藩主・松平乗穏の三男として江戸で誕生した。天明2年(1782年)、尾張藩家老で三河寺部領主・渡辺綱通の養子となり名古屋に移る。天明3年(1783年)、尾張藩9代藩主・徳川宗睦に御目見する。天明5年(1785年)江戸城で10代将軍・徳川家治に拝謁する。
寛政12年(1800年)、養父の死去により家督を相続し、加判に列する。享和2年(1802年)、実兄・松平乗友の次男・豊吉(規綱)を養子に迎える。文化元年(1804年)、隠居して家督を規綱に譲る。
天保9年(1838年)10月9日に死去した。享年74。歌道に秀でており、国学者で歌人の村上忠順は弟子。
出典
[編集]- 『名古屋市史』